メイド立ち食いそば屋

 どこから話せばよいのやら。
 国道沿いに、味のあるラーメン屋があった。『味のある』といってもラーメンではなくて、店構えとか、脇に停めてある出前用のバイクとか、そっちのほうに味があった。
 そう、出前のバイク。これがまた、族車仕様の出前バイクというのか、出前バイク仕様の族車というのか、そんな感じのバイクで、ピンと立った背もたれの後ろに、岡持ち吊る運搬装置が無理やりくっついていた。走っているのを見たことは無かった。レストランの駐車場の前でお巡りさんとお話ししているのは、見たことがあった(軽自動車も一緒だったので、出入りのときにひっかけたのか、ひっかけられたのか)。ほかのバイクかもしれないけれど、ラッパが奏でるゴッドファーザーのテーマはよく耳にした。
 なかなか味わい深いお店だたが、いつの間にか店じまいしていた。

 いつだったか用事があってお店の前を通ったとき、復活していた。いや、これは復活と言えるのかどうか。看板が『メイド立ち食いそば』になっていた。店先のお客様専用駐車場は無くなっていて、代わりに英国式のローズガーデンにあるようなベンチと、腰丈くらいの高さのバードバス(鳥用の水飲み場)が置いてあった。どうみてもラーメン屋の店構えに、英国式ローズガーデン。(しかも看板はメイドなんたら)。何のお店か解らないお店ができていた。
 中の様子は分らなかった。窓には黄色いブラインドが下りていた。ドアには、アルバイトの募集の張り紙があった。
『……学生可 11:00~23:00(時間応相談)……』。
 ひとつ想像してみる。チリンチリンと扉を開けると赤いじゅうたんが延びていて、紺色のブラウスにエプロン姿のお姉さんたちが「いらっしゃいませ御主人様」と迎えてくれて、みんなしてお掃除するものだから、店じゅうピカピカ輝いていて、天井にはシャンデリアが下りていて、ハープシーコードの演奏がゆったりと流れていて……。なにやら見えてきた。店の奥には屋台があって、「月見一丁」なんて注文したら、「月見は無いにょ。キツネならあるにょ」と言ってくるのが現れて……。
 ……お客さまに対して「御主人様」は無いか。

 毎週土日とお店の前を通るものの、人が入ってゆくのを見たことはないし、出てくるを見たこともなかった。
 メイドさんがお店の前を掃除していたり、ベンチに腰かけて小鳥とお喋りしていたり、背中を丸めてお昼寝していたり。そんな幸せ場面に遇えるといいなと思いながら歩いていたけれど、まったくなかった。
 そもそも、こんな場所にメイドなんたらのお店を出しても、お客さんは来ないと思うのです。近くにあるものと言ったら、お寺さんしかない。法要帰りに喪服姿で立ち食いそばは無いだろうし、椀を手にしたお坊さんが、托鉢行乞にメイド……もないだろうし……あ、これはあっても良いのか。
 どちらかというと純朴な市民が集うこの町に、『メイド』が何なのかご存知のかたはどれだけいらっしゃるのだろうという疑問もあった。ほとんどの人が『冥土』を連想しているのではないだろか。お寺のたもとに建つ『冥土立ち食いそば』。食べると冥土に立つのが傍になる店。冥土に立って食べるそば。
 入ってゆく人も出てくる人もいないのは、やむなしなのかもしれない。
 アルバイト募集の張り紙に、少し数字が加えられていた。『24歳位迄(学生可)……』。お客さんから物言いでもあったのだろうか。ということは、まったくの閑古鳥というわけでも無いのか。
 ……年齢の許容範囲は、いくつなのだろう。
   §
 その日、近くの公園で大きな催しがあった。一日たっぷりのイベントで、終わったときには午後四時半を過ぎていた。おなかは空いていなかった。ただ、ちょっと休みたかった。
※考えみれば、立ち食いのお店で休憩はない。ずいぶんと判りやすい言い訳をしたと思う。
 ガラガラガラとドアを開けると(引き戸にドアベルを期待していた私が愚かだった)、そこには、どこのラーメン屋でも見られる光景があった。メイドもいなければ執事もいなかった。丸椅子が並んだカウンターの向こうには、和柄模様のバンダナ帽子をかぶった七分袖姿の兄ちゃんがいて、勇むでもなく、流すでもなく、「っらしぃ」と声をかけた。私は、座標を誤ってワープしてしまった気分だった。

 券売機が左手にあった。
 ラーメン600円、ネギラーメン800円、味噌ラーメン700円……。大盛りが別にあって、100円。
 トッピング。卵、バター、ワカメ、コーン、ホウレンソウ……各100円。餃子300円、ライス200円、半ライス150円……。
 メイド……そう、一番下の段に、メイド。和風300円、洋風300円。トッピング、猫耳100円、眼鏡100円、ミニUZI100円……。横には注意書きが貼ってあって、『お食事と併せてご注文ください』。

 どうしよう。塩分がほしかったので、塩ラーメン。トッピングはコーン……とりあえず、コーン。それからメイド。これは和風と洋風の二つしかない。無難に洋風。トッピングに猫耳。あーんど、ローファーシューズ。締めて1200円。「お願いします」と食券を置いて、窓際のテーブル席についた。奥のカウンターにお客人がひとり、黙々と食事をされていた。

 ほどなくして、お冷が運ばれてきた。失敗だった。私はボーっとしていた。(一日中歩きとおしていたせいだ)。目の前で紺色の袖口から覗く白いレースが見えていたというのに、長考している将棋指しのように、じっと見つめているだけだった。我に返ったときはあとの祭りで、奥の小口へと戻ってゆく途中だった。後ろ姿は猫耳だった。猫耳のメイドさんだった。白い尻尾が生えていた。『猫耳(¥100)』は、しっぽつきだった。
 カウンターにいたお客さんと目が合った。彼はいったんお箸を置くと、姿勢を正し、私に向かってビシっと親指を立ててみせた。
   §
 ほんわりと甘い良い香りが漂ってきた。(誤解が無いように言っておくと、これはメイドさんの香りではなくて、コーンの香りです)。小口を見ると、ちっこいメイドさんが銀のお盆にどんぶりを乗せて、そろりそろりと歩いてくるとこだった。(ああ、これも言っておくと、ちっこいというのは初等教育課程にあられる御学童という意味ではなくて、私が受けた第一印象です。たぶん本人に訊いても、「えー。普通くらいだよ」のような返事がくると思います)。
 何もなければ五歩六歩という距離を、手元を見ながらこっちを見ながら一歩一歩やってくる。自前なのか備品なのか、両手にはめた白と水色のチェック模様の鍋つかみ(キッチンミトンというのかな)が、その子専用にあつらえたように似合っていて、『ラーメンを運ぶメイドさん』の御姿を、一つの芸術作品にまとめ上げていた。心の採点パネルが「ポッ……ポッ……ポポポポポ」と点いてゆき、20点満点のファンファーレを鳴らした。

 ――中学高校に通われているかたで「いくらなんでも……」と首をかしげていらっしゃるひとは、一度実験してみると良い。まず初めに、クラスの中から、口をきくどころかノーマークにすることすらマークしていなかったような目立たない子を探す。そしたら次に、お小遣いを目いっぱいはたいて、通信販売なりなんなりで衣装をそろえる(安っぽい生地を使ったものや、むやみに肌をさらけ出しているものは避ける。もともと、メイドさんの服は奥方様のお下がりだということを忘れてはいけない。エプロンも、日々の雑役からお洋服とメイドさんを守れそうな形のものを選ぶ)。猫耳と尻尾も揃える。キッチンミトンの採用は任せる。あとはそれらを学校に持って行って、実験の趣旨を説明する。十分御理解いただいたところで――ご理解のためには土下座も辞さない覚悟で――着替えてもらう(猫耳と尻尾もつけてもらうこと)。
 昼休みになったら、お弁当なり購買で買ってきたパンなりをお盆に乗せて、君の席まで持ってきてもらおう。机に審査員ボタンが搭載されていないことを腹立たしく思うはずだ――衣装と猫耳は感謝のしるしとしてプレゼントしてあげよう――。

「熱いから、気を付けてください」
 私にというよりは、自分に聞かせるようにいった。
 二三度目をぱちくりさせると、キッと眉を絞り、ひざをそっと折りながらお盆を降ろした。「よし」という小さな声が聞こえたかどうか。キッチンミトンの端を右左キュキュッと引っ張ると、どんぶりの両側をすくい上げるようにして持ち上げて、私の正面(と本人は信じているであろう位置)にぴたりと移した。
 『うまくできた!』というような顔をする。
 あとはお盆小脇に抱えて、元気よく尻尾を振りながら戻っていった。接客業務をしているというよりは、おうちのお手伝いをしている感じだった。

 ラーメンは旨かった。『並んでいたものをレシピ通りに混ぜ合わせました』というぞんざいなものではなくて、『おいしいものを食わせてやろう』という頑とした意気を感じた。麺は太く、心なしか甘みがあった。硬すぎず、柔らかすぎず、するすると入っていきつつも、噛まずにはいられない口触りがあった。
 それから塩。塩というよりは、潮。何が効いているのか判らないけれど、磯の香りがあった。何年も前に友達と海に行ったとき、音を立てて波しぶきを上げる岩棚を前に、二人並んで腕組みをして、「来年だね」なんて話しをしたのを思い出した。(台風の影響で波が強く、岩棚へは降りられなかったのだ)。「何か喰って帰るか」と入ったお店の景色がまた素晴らしく。ずっと眺めていたいがばかりに、一皿ぽっちの沢庵を、てれんこてれんこ口へと運んでいたのを思い出した。

 ふと思った。いまここでお代わりをしたら、またあのメイドさんが来てくれるのだろうか。券売機に行って餃子だけを選んでも、最初に頼んだ『メイド(洋風)¥100』は継続して頂けるのだろうか。
 改めて『和風』を選んだときは、ほかのお嬢さんが来られるのだろうか。それとも、先ほどのお嬢さんが、うんしょうんしょと着替えを済ませて、装い新たに再登場されるのだろうか。
 和風はどんな格好なのだろう。黄蘗(きはだ)に牡丹のかすりの着物で『オミッチャン』みたいな感じなのだろうか。それとも、少し落ち着いた着物に大きめサイズのエプロンをかけて、『ミルクホールに勤める恋する乙女』の装いなのだろうか。
 『メイド』は選ばないで、トッピングだけを選んだときはどうなのだろう。当社既定の制服、プラス猫耳なのか。普段着、プラス猫耳なのか。学校の制服、プラス猫耳なのか(学校帰りのアルバイトと考えると、十分あり得る)。……その前に、トッピングだけの注文はできるのだろうか。
 よし。少し考えを変えてみよう。まず初めに味噌ラーメンを選ぶ。そのあと、和風メイドを五連打、洋風メイドを五連打する。どうなるのだろう。一杯の味噌ラーメンを先頭に、十人のメイドさんが大名行列を成してくるのだろうか。それとも、向こうからこちらまで一列に並んで、お盆に乗せた味噌ラーメンをバケツリレーされるのだろうか。
 まいったな。ラーメンを食べ終わってしまう。お水のおかわりを頂きたいのですが、これはセルフサービスなのかな。
   §
 結局、追加の注文は無しにして、ご馳走様ということにした。お水のお代わりは、ちゃんと来た……さっきのメイドさんで。
 抱えるくらい大きなポットを持ってきて、コップを前に仁王立ちすると、じっと見据えた目をされて――まるでコップのどこかに線が引いてあって『見ててください。線のとこでぴたっと止めてみせますからね』と言わんばかりの険しさで――、注がれていた。注ぎ終わると、とっておきの『うまくできた!』をして、回れ右で帰って行った。尻尾の先が私の額をはたいたけれど、まるでおかまいなしだった(もちろん私のほうは、湯立神楽の御利益にあずかったような喜びようだった)。
 そんなこんなで、ご馳走様のあとにもう一度ご馳走様を言って店を出た。可愛かった。素材の味を見事に生かした仕上がりだった。麺には麺の味があり、コーンにはコーンの味があり、メイドさんにはメイドさんの味があった。
 また行こう。すっかり元気になって、家路を歩いた。

 坂を上がる手前の信号で青になるのを待っていたとき、『立ち食いそば』の要素が無かったことに気が付いた。

メイド立ち食いそば屋

著者メモ:ワープロ縦書き。頭にすっと入ってこないところがある。文章がせっかちなところもある。五月半ば、かわいいウエイトレスさんと出会った話しなのに、裁判所で余罪を追及している検察官のような調子になっている。冬場に書くのは良くないのかもしれない。暖かくなったら、一から書き直してみよう。

メイド立ち食いそば屋

国道ぞいに『メイド立ち食いそば』というお店ができた。どんなお店なのだろう。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-22

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