ある夫婦の悲劇なる喜劇
30代後半の女性、K子さんのお話しです。
K子さんは20代の時に患った病気で子供が産めません。
それがものすごいコンプレックスになっていましたが、
ある男性、Aさんと出会い結婚をしました。
Aさんは子供が産めない事を承知し、理解した上での結婚でした。
とてもK子さんを大切にしていて、男性には珍しく、家事も
分担してくれました。
料理を作るのはK子さんでしたが、洗い物は手が荒れやすいK子さんに
代わってやってくれました。洗濯物をたたむのも手の水分を奪い、
乾燥して良くないという理由でAさんの担当になりました。
しかし、K子さんは
「Aさんは本当は子供が欲しいのではないだろうか……。」と
常日頃思っていました。幸せであればあるほどK子さんは悩みました。
一度、思い切ってAさんに尋ねた事もありました。
「子供……やっぱり欲しいよね?」
そうたずねるK子さんにAさんは
「子供が欲しくないと言えば嘘になるけど、僕は子供がいる幸せより
K子がいつも傍にいてくれる幸せの方が欲しい」
と答えました。その言葉がとても嬉しくK子さんは
Aさんと一生添い遂げる事を誓いました。しかしやはり気にはかかるもので、
度々、子供が欲しいかどうか、を聞きたくなりましたが堪えていました。
それを察したAさんはある日、猫を連れてきました。
「二人で名前を考えよう」
そう言うなり、苗字との画数や姓名判断の本を取り出し
一緒に考えました。K子さんは猫好きだった事もあり
この猫が二人の子供になってからはもう産めない事を
気にしなくなりました。
以前よりもも幸せな日々を送りました。
二人ともフルタイムで働いていたので貯金はそれなりにあり、
ウイーンフィルのニューイヤーコンサートに行こうと
いう計画を立てていました。まだチケットこそ手に入れては
いないものの、どこのホテルに泊まりどこを観光して、
猫は……一緒に連れていけないか調べたりと、とても
充実した日々でした。
K子さんはとても幸せでした。
ある日、K子さんはいつもより早く帰宅しました。
ちょうどこの日はAさんの誕生日でした。
外食に行くよりも我が子として育てている猫と
一緒に家族として食事がしたいと思い、半年前から
メニューを考えAさんに内緒で準備していました。
玄関に入ると、何かが違います。
妙な違和感を感じましたが、この日を楽しみにしていたので
気のせいだろうと思い買ってきた重い食材を持って
台所に行きました。
あれ?
使った珈琲カップが二つ置いてありました。
それはとても親しい友人から、猫が家族になったお祝いに
もらったものでした。
毎朝、朝ごはんを一緒に食べるときに使っている
お気に入りのものです。
Aさんはきっちりとした人で、出かける時と寝る時に
台所に汚れた食器があるのをとても嫌がりました。
この日の朝もAさんがきちんと洗ったのを憶えています。
鼓動が早くなり、ある疑念が浮かびました。
「なぜ洗ったカップがここにあるのかしら?」
いつもの場所、冷蔵庫の上で寝ている猫に向かって
問いかけましたが、猫は耳をかすかに動かす程度。
来客用があるのにどうしてこのカップを……?
まさか……
恐る恐る二つのカップを手に取った瞬間、
息が詰まり頭の中が真っ白になりました。
飲み口にはうっすらと紅がついていました。
震える足に無理矢理、力を込めて寝室に向かいました。
なぜ寝室に向かったのか、それは女の勘でしょう。
ドアを開けるとそこには、Aさんが背を向けて寝ていました。
狸寝入りだとすぐにわかり、静かにK子さんは問いました。
「このカップ、口紅がついているけど誰が使ったの?」
しばらくした後、ゆっくりとAさんは起き上がりました。
そしてその顔を見たK子さんは驚愕し、その場に
へたり込んでしまいました。なんで……?
「あの口紅は私のよ」
Aさんは女性口調で答えました。
「もうひとつは私のボーイフレンドが飲んだものよ」
混乱してしまったK子さんはその後どう行動したのか
まったく憶えていません。
ただ、気が付いたらすっかり化粧を落としたAさんと
ダイニングテーブルに座っていました。
「あれは……何かの冗談よね?」
K子さんはパニックになりそうな頭を必死に抑え
Aさんに聞きました。
「ごめん。すまなかったと思っている。」
「説明……はしてもらえるのかしら?」
Aさんは学生の頃からゲイである事に気がついていました。
しかし、両親を早くに亡くしてしまった為か、家族というものに
強い憧れを抱いていました。子供がいて、子育てに苦労して、
たまに夫婦喧嘩をして……そんな何でもないどこにでもあるよな
家族が欲しい、と切望していました。
しかし、自分がゲイであるという事は理想としている家族を
持つ事は不可能でした。それでも家族が欲しくて周りには
ゲイである事を隠していました。
学生時代には普通に女性とお付き合いもして、セックスもしました。
しかしものすごい違和感と無理をしている歪で心が壊れそうでした。
やはりゲイであると言う自分を裏切れず、男性との交わりを
秘密裏に繰り返していました。ゲイである自分に正直になればなるほど、
思い描く理想の家族をさらに望むようになりました。
そんな中、K子さんと出会い、親しくなるにつれ自然とお付き合いを
するようになりました。そしてK子さんから子供が産めないという
告白をされた時、自分の事と重なり愛情とも同情とも違う、
もっと深い何かの繋がりを感じました。
もしかしたら、子の母に対する想いに近いものだったのかもしれません。
外部的な性別は男性でも内部的に女性であるAさんにとってK子さんの
子供が産めないという苦悩はとても理解できたのでしょう。
そうして、K子さんと結婚したAさんは幸せでした。
不思議と子供が欲しいという気持ちはなくなりました。
男女の愛情とは違いますが、K子さんを心底大切にしました。
この時のAさんは家族という繋がりを感じられ、本当に幸せでした。
しかし、ゲイである事をK子さんに隠し続けているうちに
罪悪感を抱くようになりました。
何でも度が過ぎればどこかおかしくなってしまうものです。
罪悪感が強くなればなるほど、抑えがきかなくなり、
以前に繋がりがあったボーイフレンドに連絡をしてしまいました。
久しぶりに会い、体をあわせるとそれは甘美なものでした。
Aさんは今まで抑えていたものが噴きあがりもう止められません。
貪欲に快楽を求めました。
その日までの2年間、ずっと月に2回、多い時には週に1回
彼と交わっていたのでした。
「K子の事は今でも変わらず大切に想っている。でも自分の中にあるものは
どうやっても消せない。こんな形で伝えるようになってすまない。」
「私は……どうしたらいいの?」
「わからない。」
【続く】
ある夫婦の悲劇なる喜劇