1N

痩せた理由は。

 ジーパンを穿いたら腹の贅肉がダランと垂れたと悲しそうな表情で彼は言っていた。学生の頃は鶴の腰であったんだと両手を上げてジェスチャーをした。冷ややかな目でジッと見つめると彼は少し青ざめて「炭水化物ダイエットをするから、あと、マイナス三キロ落とすから!」と何もキツイ言葉を発していないのに切羽詰まった、声で言うもんだから、まるで私が悪名のお代官で、彼は土地を奪い取られた農民のようである。しかし断じて違う。別に私としては彼がそんなに(確かに前よりはふくよかになった気がするが……)標準的にしか見えない。少しだけ気合を込めて膨らませた風船くらいであって、広告として浮かび、フワフワと主張するballoonではないんだ。それなのに、ギャーギャーと騒ぐのはゴマ粒程度ではあるが自意識過剰ではないか? けれどもゴマ粒も掻き集めれば、一つの食い物に化けるものであるから、気を緩めるわけにはいかない。なんせ彼は自分で自信を持って述べた事を三日で忘れてしまう奴で信用におけない、ダメな人である。ダメ。全く持ってダメ。
「そういや、冷蔵庫にバターケーキがあったや。腐ると勿体ないから食おうかな。明日から我慢すればいっか」
 やはり……。甘い奴だ。甘い物が好きな奴は、自分にも甘いのか。これにはため息を吐いた。三日坊主でもなくて、三分坊主。三歩歩いたら忘れてしまう。アホの鳥か? それで彼はチョコのバターケーキを銀色のお皿に置いてフォークで突き刺した。口に入れるか入れないかと一瞬、戸惑った。そして「あ! 珈琲が飲みたいな。でも紅茶も合うな……。困る……」と、ここで腕組をしてウーンと唸って迷い始めた。
 ええ! そこで迷うの? と、私は思った。白いマグカップをコトンとテーブルに置いた。ジト目で三投身のナポレオンが掘られたマグカップである。彼のお気に入りであった。他にも頭が尖がった帽子を被るキノコのキャラクターのマグカップも彼のお気に入りで、それは大体、トーストとピザを足して作った彼のオリジナルのピッザを焼いた時に、熱いダージリンティーを注いで食い散らしていた。チーズがトロリと伸びて舌で巻いて、届かないのは指で掬って、頬張った。そうすると、彼の発言が私の鼓膜をかすめて貫通した。その文句はトラジャと言う単語だった。「トラジャ」何それ? 生まれて初めて聞く単語で、この意味、この内容を脳内で巡らせて考えるが全然思いつかない。彼の思考を掴もうとしてあせる。「トラジャ」、「トラジャ」、忍者の種類かなんですか?
 彼は結局のところ、ニンマリと笑った。頬の肉が微動に踊って見えた。ミース・ファン・デル・ローエがデザインしたBarcelona Chairから勢いよく立ち上がりコーヒーメーカーに近づいて、ウキウキと頭上にある棚から袋を取り出した。袋の中にはプラスチック製のスプーンが寂しく彼を見ていた。それを無視して彼は黒くて大粒の豆を掬って機械にダバダバと放るから、お前は火夫か! と突っ込みを入れたくなる。熱い湯気と共に香ばしくてコクのある匂いがマグカップに溜まる。
 美しさ、愛しさ、あどけなさ、ポタポタとコーヒーメーカーから落ちた。もうこれで十分だと嬉しそうに笑うと再び彼はBarcelona Chairに腰かけた。目の前にあるバターケーキは「もう待ちくたびれたよ、バカ」と言わんばかり、本当に可笑しいよ。
 気取った、ナポレオン。
 彼は心地良い表情を浮かべ一口啜って、フォークでバターの獲物を定めた。ふぅん。こりゃあ、絶対、痩せないよ。口笛を楽し気に吹いた時である。彼は右手からマグカップを落とし、石灰の像を壊した音を立てた。癒しはホンの小さなミスで消え去って原色に舞い戻った。しまった、しまった、生意気な彼は大袈裟に跳ねて、徐々に半透明な姿になる。三投身のナポレオンは三分割に割れたのでした。

「ねぇ、昨日の夜、手を滑らしてマグカップを割ったでしょ。貴方、本当に天然よね」
「え? どうして知ってるの? 誰にも言ってないのに」
「だって、ねぇ、毎日、見てるし」

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更新日
登録日
2017-02-20

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