缶コーヒー
ブラックコーヒーが嫌いなわけ。
わたしはその日、大の男が泣きじゃくるのを初めて見たんだと思う。
彼が涙とともに胸中を訴えたのは、わたしが最愛と別れを告げた翌月であった。
妙に人目を気にして生きてきたわたしは、人から向けられる感情をやたらときにするし、異常と言えるかもしれないほど敏感なのである。
彼が持つ感情に関しては薄々勘づいてはいたのだ。
彼が言わんとすることは明白だった。
自分なら幸せにするのにと。
自分なら置いていかないのにと。
自分ならひとりにしないのにと。
どうして自分ではないのかとわたしに投げかけた。
なんだかそれがわたしは妙に嫌だった。
困ったんじゃない。
不快だった。
なんとも勝手な話だが皮肉を吸って生きてきたこの身体はまともに、真っ直ぐに言葉を聞けないのだ。
彼が幸せにするのにと言えば、
わたしは幸せではなかったのかと。
彼が置いていかないと言えば、
わたしはあの人に置いていかれたのかと。
彼がひとりにしないと言えば、
わたしはひとりだったのかと。
こんな第3者的な見解で、何も知らぬ言葉で不幸が釣れるほどにわたしは弱っていたのだなと。
それほどまでに心をあの人に奪われていたのだなと。
今となっては思うが。
ただ、彼の好きという言葉を重んじたいと思う反面それを飾るための前置きが憎らしくて仕方なかったのは、わたしが幾分も子どもであった証拠だ。
その相反するなにかが自分の中に居座るのがどうも気持ちが悪くて。
彼からの好意を正当に受け取れない自分が嫌らしくて。
どこか他人事の主観が白々しくて。
世にいうヤケクソというやつかもしれないが、飲めもしないブラックコーヒーをコンビニで買った。
案の定、苦味と酸味は喉に雪崩込む異質物でしかなかったので、一口で飲むことを諦めた。
たった一口のくせに、わたしの口の中に居座り続ける風味がなんとも苦手だった。
缶コーヒー
じつはじつわ。