八咫烏(3)

野良猫

八咫烏(3)
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第三話「笑う門には福来たる」

「そろそろお昼か」
 烏平次(うへいじ)の腹の虫が鳴いた。すると、昼九ツの鐘の音が聞こえてくるのであった。
「カシラ、昼は〝えびすや〟にしやすか?」
 よこを歩く烏平次に雷蔵(らいぞう)が伺う。
「えびすや、か」
 めし屋に入るときは、大抵いつも同じ店だった。しばらく通って味に飽きると、定期的に店を変えたりもする。最近は、主に丸屋(まるや)の向かいの〝つたや〟と、唐津屋(からつや)のふたつ隣の〝ひさご〟を交互に利用している。夜は、屋台の寿司で一杯やりながら済ませることが多かった。
 ふたりのうしろを歩いていると、烏平次が肩越しにふり向いた。
「おう、隼助(しゅんすけ)。昼はえびすやでいいか?」
「オレはかまいませんよ」
 隼助は笑顔で答えた。
「あそこの蕎麦は、うまいんですよね」
 久しぶりにえびすやの蕎麦が食える。隼助は腕組みをしながら唇をなめた。
「そうだったな」
 まえに向き直ると烏平次は肩で笑った。
「おめえは、蕎麦には目がなかったんだったな」
 腹の虫は泣いているが、三人とも笑っていた。

 昼めし時なので、やはり店は混んでいた。しかし、運よくかべ際の席が空いている。戸口を入って左側のいちばん奥、格子窓のあるカベ際の席である。
 烏平次と雷蔵は、いつものように卓をはさんで向かい合ってカベ際に座った。そして隼助も、いつものように雷蔵のよこに座った。
「いらっしゃいませ」
 注文をとりに来たのは、店の主人の女房だった。少しぽっちゃりした、四十過ぎの年増女である。
「銚子を三本。それと、天そば」
 烏平次がいやらしい笑顔で注文した。
「アッシは(あられ)そば」
 雷蔵もいやらしい目つきで注文した。
「オレは、ざるそば。大盛で」
 最後に隼助が注文すると、主人の女房はニコリと笑い、軽く会釈をして板場のほうへもどって行った。
「年増だが、わるくねえな」
 烏平次が〝烏の(いびき)〟で雷蔵と話しはじめた。これは、自分が話したい相手にだけ聞こえるように話すという会話術で、関係のない第三者には、となりの部屋から聞こえてくるような、くぐもった唸り声にしか聞こえないのである。
「いいケツしてるぜ。そそるねえ」
 雷蔵も烏の鼾で話している。ただ、あまり大きな声で話すと怪しまれるので、他人との距離に応じて声の大きさを調節しているのだ。しかし、こういう使い方はいかがなものか、と隼助はいつも疑問に思っているのであった。
 主人の女房が酒と蕎麦を運んできた。
「おう、ありがとうよ」
 烏平次は、まずお猪口をひとくち呷ってから天そばに箸を伸ばした。
「やっぱり、えびすやの蕎麦はひと味ちがいやすね」
 雷蔵も満足そうに蕎麦をすすっている。
 そして隼助がざるそばに箸を伸ばしたとき、またひとり客がやって来た。その客は主人の女房に注文すると、通路を挟んでとなりの卓に座った。
「これはこれは」
 烏平次が烏の鼾でつぶやいた。となりの卓を横目で伺いながら、うっとうしいヒゲ面に薄い笑みを浮かべている。
丑松(うしまつ)親分じゃねえか」
 お猪口を呷りながら、雷蔵も烏の鼾で話しはじめた。
「丑松親分?」
 隼助も烏の鼾で雷蔵に尋ねた。
「あいつはドジな岡っ引きでな」
 雷蔵が嘲笑を浮かべながら言う。
「このまえも、女巾着切(きんちゃくき)りに逃げられた挙句、関係のねえ(むすめ)に縄をかけちまったんだ。(やっこ)さん、思いっきり横っ面を張られていなすったよ」
 そう言って鼻で笑うと、雷蔵はずるっと蕎麦をすすった。
 この丑松という岡っ引きは、年の頃は三十五、六。外では十手を笠に威張っているが、家では女房の尻に敷かれてるらしかった。
 お猪口をかたむけながら烏平次が笑っている。笑い声だけは普通だ。
「やつには、泥棒猫一匹だって捕まえることはできねえだろうな」
 烏平次はお猪口をもったまま、嘲笑を浮かべた顔を格子窓の外に向けていた。
「丑松のダンナ。アッシらは、かの有名な八咫烏ってえ盗っ人なんですがね。ダンナひとりで、アッシらを一網打尽にしてみやすか?」
 お猪口に酒を注ぎながら、雷蔵が烏の鼾でからかいはじめた。
「てめえの目のまえで盗人が堂々と名乗ってるってのによ。とんだマヌケ野郎だぜ」
 丑松に聞こえる声で、烏平次も罵った。烏の鼾は、大抵こういう状況で使われることが多かった。そのたびに〝才能の無駄遣い〟という言葉が隼助の脳裏を過るのであった。

 烏平次と雷蔵は、まだ烏の鼾で丑松をからかっている。隼助は、ひとり蕎麦の味を楽しんでいた。
「あらやだ、(らい)ちゃんじゃな~い」
 店に入ってくるなり、その客はいきなり雷蔵に話しかけてきた。どうやら町方の同心らしい。
「ぶフッ!!」
 雷蔵のふき出した蕎麦が隼助の右頬に張りついた。
「ちょっ、雷蔵さん」
 頬をぬぐいながら、隼助は雷蔵をふり向いた。鼻から蕎麦が飛び出し、マユは〝ハの字〟になっている。
「かカっ、かブっ」
 雷蔵がどもりながら怯えている。相手を指差しながら、しきりにくちもとを動かしているのだが、なかなか言葉が出てこないようだ。
「ちょっと、あなた」
 同心らしき武士(さむらい)がとても不愉快そうな表情で隼助をにらみながらちかづいてきた。
「え? オ、オレ、ですか?」
 いささか動揺しながら、隼助は人差し指で自分の顔を指して確認した。
「そうよ、あなたよ」
 同心はヒゲの剃りあとが青くのこる頬をふくらませて腕組みをした。そして、「わるいんだけど、そこの席、ちょっと貸してくんない?」と、げじげじまゆ毛の下で目をしばたたかせた。
 どうも様子がおかしい。この同心は、ひょっとして男色(だんしょく)なのでは――ヘタにかかわらないほうがいいかもしれない。隼助はおとなしく席を譲ることにした。
「はい。どうぞ」
 そのとたん、雷蔵が舌打ちをして不愉快そうにため息をついた。隼助は雷蔵の顔を見ないように目を伏せながら烏平次のとなりに座りなおした。
「だれです? この人」
 隼助は烏の鼾で烏平次に訊いた。
蕪木(かぶらぎ)新之助(しんのすけ)。北町の同心だよ」
 烏平次も顔を伏せながら烏の鼾で答えた。
「どうして雷蔵さんが町方と知り合いなんです?」
「あれは、たしかひと月ほどまえだったかな」
 この蕪木という同心がヤクザ風の男を追っているとき、たまたまそこを雷蔵が通りかかった。そのヤクザ風の男を雷蔵が取り押さえて蕪木に引きわたした。そして蕪木は、一目で雷蔵にイカレてしまった。お猪口をかたむけながら、烏平次はしみじみと語るのであった。
「町方を笑うものは町方に泣く、ですね」
 隼助が言うと、烏平次は「()げえねえ」と相槌を打って笑った。
「どうやら、(やっこ)さんも逃げなすったようだ」
 烏平次が丑松の席をアゴで指した。
「え?」
 隼助はとなりの席をふり向いた。丑松がいない。倒れた銚子のまわりに、穴あき(せん)が数枚、散らばっていた。どうやら丑松も、この蕪木という同心が苦手だったようだ。
「ねえ、雷ちゃん。これからふたりで、ウナギでも食べに行かなぁ~い?」
 蕪木は〝なよなよ〟と体をくねらせながら、誘うような怪しい目つきで雷蔵の顔を見つめている。雷蔵は額に脂汗をにじませながら、引きつった笑みを浮かべていた。
「ざざざ残念ながら、アッ、アッシはちょっと、忙しいんでさァ」
 お猪口に酒を注ぐ雷蔵の手が小刻みにふるえている。
「そそっ、それに、ア、アッシはウナギが苦手なもんでして。へ、へい」
 雷蔵はお猪口に酒を注ぐと、銚子のほうをくちにつけて大きくかたむけた。
「そ、それじゃあ、おれたちは先に帰ってるぜ」
 烏平次が席を立ったので、隼助も勘定を置いて立ち上がった。
「隼助ぇ」
 かすれた声で雷蔵が呼びとめる。
「てめえも()ぇるのか?」
 雷蔵のすがるような目が隼助を見つめてくる。
「ウナギ代も、置いていきます」
 隼助は雷蔵の視線からそっと目を逸らすと、ウナギ代を卓の上に転がして(きびす)を返した。
「それじゃ」
 隼助は戸口に向かって歩きはじめた。雷蔵が呼びとめる。しかし、隼助はふり向かない。烏平次はひと足先に店を出たようだ。隼助は暖簾を出ると、立ち止まってそっと雷蔵をふり返った。雷蔵の腕を抱きながら、蕪木が肩に頬ずりをしている。雷蔵は口もとで静かに銚子を傾けながら、口もとで笑っている。片方の鼻の穴から蕎麦を垂らしたまま、雷蔵は笑顔で涙を流しているのであった。
 ふたりからそっと目を逸らし、隼助は店に背を向けた。ふり返ったことを後悔しながら、隼助はだまって歩きはじめた。

次回、第四話「幽霊なんて怖くない!」
             おたのしみに!!

八咫烏(3)

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時代劇コメディです!

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-02-20

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