アンダンテ
act0
2年前の春から、私だけが動けずにいる。
どうしてこうなった?
ああしていたらこうならなかった?
なにをどうすれば、
2人はあの頃の2人に戻れる?
もう2年廻つというのに、
私はといえば、まるで成長していない。
彼がなにをしているのか、
彼女がいるのか、
はたまた結婚してしまったのか。
フェイスブックを見ればわかるかもしれないけど
私がそれをすることを許さない。
プライドが無い代わりに、変なところで意固地なのだ。
14時。
遅い。
待ち合わせの時間から30分は経過している。
ラインを見ても既読が付かない。
飲んでしまったコーヒーカップの底をじっと見つめる。
これで占いをする人もいるそうだ。
コーヒー占い。
世界は広い。
なにもすることがないので、
堂々巡りの渦の中にまたダイブする。
どうすれば、2年前の2人に戻れる?
会いに行っても迷惑だろうな。
空になっているカップを持ち上げてコーヒーを
飲んだふりをする。
でも心にこんなにも彼を残して、
私は前へは進めない。
ごくんと唾を飲み込む。
ブブブ。
ラインが来た。
「外見て。外」
窓の方へ目をやる。
嬉しそうに手を振る友達の航平と、知らない男の子。
手招きをされるので
慌ててコートを着てマフラーを巻いてレジへと向かう。
会計を済ませ外を出ると頬がぴしっとする。
「さむ・・・」
マフラーの中でそう独り言をつぶやく。
「さっみー!ごめんごめん。電車遅延しててさ」
航平がいつものように陽気に話しかけてくる。
彼とはサークルが一緒なのだ。
「人身事故?」
聞かなくていいことを聞いてみる。
「うん多分そう」
「中でコーヒー飲んだらよかったのに」
「いやーあんな人いるとこでは話せないからさ。
外に出てきてもらったわけ。
単刀直入に聞くけど、藍はこいつ見てどう思った?」
突拍子もない質問に面食らう。
「は?どうってどういうこと?人として?それとも男の人として?」
努めて平静を装おうとしたが声が少し上ずった。
航平が言う。
「そう、男として。さっき玲雄、あーこいつ坂崎玲雄って言うんだけど、
玲雄と話してたんだけどさ、もう直接的でいいんじゃねえ?みたいな。
玲雄人見知り激しいしさ、あ、でも慣れたら面白い奴なんだけど、
社交的でもないから藍に俺が聞いてみるってことになったんだ」
一気にまくし立てられる。
「いきなりすぎるよ。ちょっと待って。いきなりすぎるからなんも言えないよ」
「待って。俺目閉じる」
ハスキーな声で「れお君」が言葉を発する。
「は?」
「品定めしてあげてよ」
航平がにやにやと私の顔を見ながら言ってくる。
・・・身長は私よりちょっとだけ高い。
160cm後半かな。
細い子だなあ。羨ましい。
オーバーサイズのコートを着て、
リスのニットを着ている。
雑誌で見たっけ。これ。確かスーパーハッカ。
女の子サイズ着られるのいいなあ。
パンツは細身。
靴はビレバンでよく見るスニーカー。
なんか・・・女の子みたいだな。
「もう目開けていい?」
すこし頬が赤いのは照れてるのか寒さのせいか。
「流れわかった?」
航平がまたにやにやしながら私を見てくる。
「わかんない」
少し頬が緩むのを感じながら答える。
「もう3年よ?藍」
「2年だよ」
「もう史さんのことは諦めて前へ進むべき。
そうなるには玲雄は適任。
それに藍が今思っているようなこと、玲雄は望んでないから。な?」
「うん。大丈夫。心配しないで。藍さん」
「じゃあなんで会わせに来たの?」
藍は不安げに2人の顔を交互に見る。
「玲雄が探してるのは、恋人じゃなくてソフレだから」
「ソフレ!?」
なぜか声にならない。
口がぱくぱくする。
「そう、ソフレ。どうかな、藍さん」
2月。
光の春の中で、私は君に、出会った。
act1
なんか、私、間違えてるかもしれない。
航平と玲雄君の背中をじっと見つめながら手足を動かす。
右、左、右、左。
子どもの頃からそうなのだが、こうして確かめながら歩かないと
足がからまって転んでしまいそうになる。
実際転んでたのは小学生あたりになるまでで、
今はちゃんと右、左、右と拍子を心の中で付けてあげたら転ぶこともなくなった。
「ねーなんで俺もなの?」
航平が振り返りながら言ってくる。
「航平だけじゃないよ。あとで南も呼ぶから。
知らない子と二人で添い寝とか私にはハードル高すぎる」
「え、南も呼ぶの?4人で添い寝かよ」
「もっと呼ぼうか?美奈とか。美奈!そうだ。
美奈ならこういうの好きだよ、多分。美奈にしなよ!」
「なんか俺全力で拒否られてんね」
玲雄が立ち止まってこちらを悲しそうな瞳で見つめてくる。
「いや、拒否はしてないよ。こうやって家にまで連れてきたんだから。
ただいきなりすぎるから。どんなイケメンでも嫌だよ」
「・・・だよねーみんなそう言うんだよね。
あとは実は興味ないふりしてやりたいんだよね?
って言ってくるコ。あれは本当厄介」
エレベーターが5階で止まる。
「色々大変なのね」
「まあ・・・ね」
玲雄が持つ買い物袋にはみそキムチ鍋のいろいろが入っている。
みそキムチの充満した部屋で航平、玲雄、友人の南と川の字で眠る。
私のベッドには南と私が、エアーベッドには航平と玲雄に寝てもらう。
しかし添い寝だけってなに?
抱き枕的な?でも抱くと男は男になるでしょう?
私の周りだけ?
「いつ来ても綺麗にしてんな」
航平の声にはっとなる。
「ああ、入って入って。食材は冷蔵庫入れちゃうから」
「お邪魔します。あ、このスニーカー俺も持ってる」
くったくなく笑う玲雄が少し可愛い。
「外は寒いけど中に入ると別にって感じだな」
航平がゆっくりと腰を下ろす。
「玲雄君コートこっちにちょうだい。かけとく。
航平のも一応もらっとく」
「一、応」
航平がおどけてコートを投げてくる。
それらをハンガーにかけてクローゼットの中に自分の分と一緒に入れておく。
「こたつ付けるから暖房はいいよね」
お茶を用意するために小ぶりの台所に立つ。
「フレーバーティーダメな人ー?」
扉が閉まっているので部屋に向かってやや大きな声を出す。
「別にいいけどそう気を遣わないでいいよー!」
玲雄が答える。ドアが開く。玲雄がひょこっとそこから顔を出す。
「そう?じゃあ麦茶だね」
「鶴瓶のやつ?」
「あはは。そうだよ。鶴瓶のやつ。お得なの」
グラスを1つと麦茶を作ってる瓶を持って部屋に入る。
「あと2つ持ってくるねー」
「うぇーい」
午後5:20。
バイト上がりの南、江口南ももうすぐ来るだろう。
4人で鍋を囲みながらどうして添い寝なのか聞いてみなくては。
だけど少し今日は風が吹いた。
史君のことが少し遠くなった。
もっともっと風が吹いたら、
そこに答えがあるのかもしれない。
ボブ・ディランが昔そう唄ったように。
act2
鍋の材料を切っている時チャイムが鳴った。
「来た。南だ。航平、そこの解除ボタン押して」
「知ってますぅ」
「はいはい」
白菜をザクザクと切っていく。
一人の時は4分の1を買うが、
今日は2分の1にした。
大根も入れると美味しいので短冊切りにする。
一人暮らしをするまで、一つ屋根の下に3世代で暮らしていたので
一人でご飯を食べることが最初は苦手だった。
実家で暮らしている時はもっとにぎやかな食卓だった。
祖父は9個年の離れた弟の隣で弟がのろのろご飯を食べるのを叱責していたし
父と母はなにやらよくわからない政治の話をしていたし、
静かにしているのは私と私の隣に座っている祖母だけだった。
懐かしい記憶。
だけどもうあの頃には戻れない。
嬉しいことや楽しかったことは抱きしめて離さない。
寂しいこと、辛いことはぱっと手を離す。そして流す。
ネットで読んだ好きな占い師さんの言葉だ。
嬉しいこと、ぎゅ。
悲しい辛いこと、ぱっ。
いつまでも2年前のことを胸に抱えている私は、
人から見たらひどく幼稚で滑稽に見えるだろう。
だけど進めない。
同じ大学に来いよと言われて猛勉強して先輩と同じ大学に入ったら
彼女がいると言われたあの2年前の春から。
1年も二股なんだとしたら(怖くて聞けていないのだ)相当のものだ。
ピンポーン
南だ。手を洗って拭いて出迎える。
「よう。なんか面白いことがあるんだってな?」
「みんちゃんー!」
思わず南に抱きつく。
江口南とは大学1年の時からの友達だ。
男勝りな風貌とふと見せる女の子の一面のギャップがあり
我が陶芸サークルでも人気がある。
「航平がいるって聞いたから。はいこれ」
酒がとおつまみが大量に入った袋を2つ手渡される。
南が航平と玲雄のいる部屋のドアを開く。
「え?誰だ?」
困ったように南が振り返って私を見てくる。
「小早川玲雄です。よろしく」
慌てて立ち上がって玲雄が挨拶する。
「・・・?江口南だ。え、なに?誰つながりなんだ?」
「俺ー」
航平がスマホから視線を動かすことなく答える。
「航平、すまない。一から説明してくれないか?」
私は静かにドアを閉め狭いキッチンに立つ。
ドアを隔てた部屋の中では航平がかいつまんで今回のことを話しているのが
聞こえる。あれ。春菊は苦手だったから買ってなかったのに誰が入れたのだろう。
全部切ったら多すぎる。
でも残しても絶対食べない。
どうしよう。
「ちょっと藍、こんなことしてちゃ男運益々なくなるぞ。
添い寝だけってなんだ。そうやすやすと人を信用しちゃいけない」
ドアを軽く開けて南が私に言ってくる。
「もう南余計なこと言わなくていいって。お前に関係ない話だろ」
そう航平に言われた南はやや語気を荒くして反論する。
「関係ないが藍は大事な友達だ」
「はいはい。大事だったらお鍋のお手伝いよろしく姐さん!」
「お前いつも思ってたが・・・苛つく話し方するな」
南が航平を見下ろす。
スマホの画面から顔を上げないまま航平は
「そんなことないもんね。僕、健全な大学生だよ?」
「・・・・もういい。藍手伝ってくる」
ドアが開く。
「なんだ、そっちのコンロでもう始めちゃったのか」
南が鼻をくんくんさせながら言う。
「その方が早く煮えるから。もうちょっと火通ったらそっちに持っていくから強にしておいてね」
食べ物を作っている匂いはどうしてこんなに人を幸せで満たしてくれるのだろう。
カレーを作っている時の、カレー粉をまだ溶かす前のあの匂い。
たまに歩いていて民家からそういう匂いがすると嬉しくなる。
誰かの家の、誰かの幸せを満たす料理。
「添い寝フレンド・・・か」
なんとなくつぶやいてみる。
添い寝だけとはいえ前に踏み出す形にはなるし、玲雄も好みのタイプではないが可愛い感じだし
やってみる価値はあるかもしれない。
もういやなのだ。私は。
同じ気持ちを持ったまま歩んでいることが。
前に進んでいても気持ちだけ2年前に置き去りにしていることが。
引き受けよう。
どう転ぶかわからないけど一度決めたことはてこでも動かない。
どうなるのかわからないけど、流されてみよう。
流れ流され、生きてみよう。
少しだけ視界が開けたら、きっと今よりかは楽になれるはずだから。
act3
深夜3:00。
ついに航平がつぶれて寝てしまった。
南もアンモナイトのように丸まってこたつで寝ている。
「強いね」
ピーナツをぽりぽりと噛みながら玲雄が誰にでもなく言う。
視線の先は深夜番組だ。
「私は梅酒とか甘いお酒しか飲まないから。あんまり酔わないんだよね」
「僕は飲めるのかな?」
「さあ・・・親が強かったら子どもも強いって言うよね」
「こうはなりたくないなぁ」
玲雄が赤い顔をして大の字で寝ている航平に視線を投げかける。
「誕生日、いつ?」
「4月の3日」
「もうすぐだね」
「大泉洋と一緒!」
「あ、ごめん『水どう』見てない人なの、私」
「えーーーー。絶対見るべき」
「他には?」
「野球の上原と高橋監督。知ってる?この2人生まれた年も一緒なんだよ」
「へぇ。野球あんまり知らないんだけど、ジャイアンツってことはわかるよ」
「みたいなことをさ、添い寝しながら話すの」
「・・・・玲雄君てやや病んでる?」
「みんなどこかしら病んで生きてるよ今の時代」
「まぁね・・・」
自分に思い当たる所があり過ぎたので生返事でごまかす。
「してみよっか。添い寝」
「今ぁ!?ちょっと待って。それは待って」
「じゃやめとく」
悲しげにこちらを見つめる瞳は実家で飼っているポメラニアンのユークを
思い起こさせる。
構ってあげないときに、悲しい時にする表情。
「犬ってさ、悲しい顔してる時それが人に伝わってるのわかってそうしてるのかな」
「ん?なんて?ごめん頭働かない」
「犬がさ、悲しい表情してるぞってわざとしてるのかなって」
「?なんで犬?」
「ごめん。やっぱこの話なしでいい」
自分の思考から直接会話につなげるのが私の悪い癖だ。
玲雄君からしてみれば、確かになんでいきなり犬の話に?
と不思議に思っただろう。
「化粧落としてくる」
「そうなの?」
玲雄はまだピーナツをぽりぽりいわせている。
「知ってる?このまま朝まで化粧したままだと顔に雑巾のせてるのと変わらないんだって。
あと・・・忘れちゃったけど肌が元通り回復するまで120日かな?かかるって」
「迷信じゃないの。今流行のフェイクニュース」
「雑誌に載ってたもん」
「ついでにシャワーもしてくれば?」
「だめー。そこまでまだ信じてないから」
「ひどーい」
ほら、また、ユークの悲しげな瞳と玲雄君の持つそれとがリンクする。
玲雄君を可愛いと思うのは、ユークと似ているからかな。
洗顔しながらそんなことを藍は思う。
アンダンテ