みどり色の雨粒

 静かな五月の雨の中、地上のものはみんな頭を垂れて濡れていました。
 それでも無数の雨粒は何も言わずに降りて来るので、みんな諦めてそれを受け入れているのです。
 大きな建物や道端の石、それからこの公園に立つ大きな緑の木も、俯いてじっと時が過ぎるのを待っていました。

「どう? 居心地は。あんまりいいものじゃないでしょう」

 大きな木の枝の緑色の若葉の一枚が話し掛けました。
 その若葉の上に小さく丸まっている雨粒は身を縮めて答えました。

「そんな事もないですよ ここもなかなかいいものです」
「でも、あなたはもっと別の所が良かったでしょう。こんな小さな葉っぱの上じゃ何もできないもの」
「いいえ、そんな事は……」

 と言いながら雨粒はここに降りて来る前の自分を思い出していました。
 空の上に低く垂れ篭める五月雨雲の中に居た時、自分は大きな期待でわくわくしていたのです。
 大河の力強い激流。
 爆音と水しぶきを立てて落ちる瀑布。
 そしてあの広大な海を疾走する大津波。
 間もなく自分も雲から降り立ち、そんな光景の一部に変わるのだと思いながら、体の奥から湧き上がって来る興奮を抑え、不安と期待の入り交じった眼差しで地上を見つめていたあの時の自分。それなのに今の自分は……

「そんな事はありません」
「みんな そう言うわね」

 若葉が言いました。

「そう思わなくちゃどう仕様もないわね。だって、もうここに降りて来てしまったのですもの。あたしにもあなたにも、もうこれ以上どう仕様もないことだもの」
「そうですね」

 若葉の上の雨粒は空を見上げながら、降りて来るたくさんの雨粒をぼんやり眺めました。
 雲を離れ空中を漂い、吹きつける風と闘い、そしてここに降り立った自分。それから今なお降り続けている自分と同じ仲間たち。
 そう、自分だけではないのです。むしろこんな風に、こんな場所で、自分の一生を終わらせる雨粒の方がずっと多いのです。
 大河も瀑布も大波も今はもう夢の様でした。雨粒はため息をつきました。

「みんなそうして消えて行くわ。空を見上げ、ため息をつきながら。私の上でゆっくりと、跡形も無く」

 雨粒は丸い体を一層縮めると、灰色の雲の奥をじっと見つめました。
 やがては雲も晴れ、顔を出した輝太陽に照らされて自分は消えていくのです。この若葉の上で太陽の光を反射しながら、何もできず、ひっそりと……

 ドオオー

 突然、強い風が吹いて来て大きな木を揺らしました。
 その若葉も大きく揺れると、まるで放り投げでもしたかのように、その上に乗っている雨粒を空に向かって送り出しました。
 身を縮めたまま再び空中に戻った雨粒の目の前に、大きな木に茂った無数の若葉が広がりました。
 ざわざわ言いながら揺れる緑色の若葉たち、その緑色が目の前一杯に迫ってきたのです。
 その時、雨粒の中からは、灰色の雲も輝く太陽も消えてしまいました。
 全てがみどり色でした。自分も自分以外の世界も、全てがみどり色なのです。

「これは……」

 その瞬間、雨粒は自分がみどり色に変わったことを確信しました。 

「この一瞬、この一瞬のためだったんだ!」
 
 雨粒は声を上げました。

「僕が地上に来たのは、この葉の上に降りたのはまさにこの一瞬の……」

 雨粒の歓喜の声。
 けれども、それを言い終わる前に、雨粒は木の根元にできた泥色の水たまりの中に落ちてしまい、もうその姿を見分ける事はできなくなってしまいました。
 そして雨粒が落ちたその泥色の水たまりには、灰色の空から、絶える事なく無数の雨粒が落ち続けていました。             



終          
                              


     
        

みどり色の雨粒

みどり色の雨粒

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-10

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