風の色

第一話 屋上のバレンタイン

第一話 屋上のバレンタイン

1977年2月14日の月曜日。港区立高杉中学

6時間目の美術の授業が終わり終業チャイムが鳴った。高杉中学校2年4組の須賀忠雄は最後列の座席で思いっきり伸びをした勢いで、後方の床にすっころんでしまった。オレは何がニガテって美術ほど嫌いな科目はない。特に実技は最低レベル、提出する絵の画用紙の裏はいつもC評定がハンコのように押されて返ってくる。
「あっ、須賀君、大丈夫?」と最前列の榎本理佳がすっ飛んできた。理佳は前の年の9月に転校してきたのだが、学年では首位を競うほど頭が良い。そのデキの良さと品行方正さが先生方の歓心を買い、今では24Rの学級委員をしている。そして美少女な理佳は、男子生徒にとっては憧れのマドンナ、同学年はもちろん上級生男子もわざわざ授業中に教室の扉越しに覗きにくる有様だった。先生方からは「おい!、お前らなんか榎本の相手になるようなタマじゃねぇぞ!榎本の爪の垢でも煎じて飲んで、もうちょっと勉強しろ」と教壇から怒鳴られ、奇声を上げて一目散に廊下へ逃げ出す光景もしばしば。まるで漱石の「坊ちゃん」の寸劇である。

「いいよ、大丈夫だから。ちょっと後ろに倒れたくらいで前からすっ飛んでくることもねぇだろ」
すっころんだ照れもあって言葉の矛先が理佳に向いた。実はこのオレ、理佳を快く思っていない。美少女、秀才で学級委員という三拍子そろった女子に反感を覚えるのは、オレのような成績中の下の男子生徒にとって当然だった。
「いいえ、大丈夫かどうか確認する義務が私にはあります。ちょっと立ってごらんなさい」
オマエさぁ看護婦のつもりかよ。ホントにムカツクヤツだな。でも倒れた勢いで後ろに置いてあった石膏の壺が床にガチャンと落ちて割れてしまい、ちょっと大袈裟なことになっちまった。仕方なく「ほら、大丈夫だろ?」と彼女の前に立った。理佳はオレの肩やら太ももなど押したあと、「うん、少なくとも骨には異常ないみたい」、とマジ顔で言い放った。

そのあと理佳はオレを、1階職員室の鈴木先生のところまで「連行」した。実際のところ「連行」だった。すっころんだのはオレ、そして石膏の壺を割ったのもオレの責任、理佳は全然関係ない。鈴木先生のところにはオレ一人で釈明し、謝罪すれば足りることなのに、なんで理佳、オマエまで一緒について来るんだ、看護婦の次は警察官にでもなったつもりかよ?
理佳は鈴木先生のところまでオレを連れてゆくと立て板に流した水のように話し始めた。
「鈴木先生、今日の先生の授業が終わった後、須賀君が伸びをした勢いが強くて後ろにそのまま倒れてしまいました。すぐに私がその場を検証したところ本人にケガはなし、正確に言うと右手を棚にぶつけた際に切り傷を作ってしまいましたが、私の持っていたバンドエイドで止血しておきました。それと棚に置いてあった石膏の壺の一つが床に落ちて割れました。破片は一応そのままにしてあります。以上です」
こういう女だけはゼッタイにカノジョにしたくないな、言っていることが正しいとか正しくない以前の問題だ、なんで当事者のオレを押しのけてペラペラ偉そうにしゃべり始めるのか、学級委員ってのはそんなにエラいのかい?
鈴木先生は「さすがは榎本だ。君を学級委員に推薦した先生の目に間違いはなかった。おい、須賀!お前、成績は中の下あたりだろ?頑張って榎本に少しでも近づくように努力してみたらどうだ?石膏のことは仕方ないからカンベンしてやるが、今後は榎本を見習って…」
カンベンして欲しいのはこっちだよ、先生。なんだってそう榎本、榎本って褒めて、オレのことはけなすんだよ。それもこれもマドンナ榎本のせいだ、アイツがデキ過ぎるから周りはデキが悪く見えるだけだ。あ~、今日はとんだ災難だったな。もう早く帰って「太陽にほえろ」でも観るか。

ネチネチと鈴木先生から小言を言われたあと、やっと職員室から解放された。カバンを教室に置いたままだから、仕方なくオレと理佳は階段を上って教室まで無言で歩いた。こんな偽善ぶった生徒が女王様気取りで学校にのさばっていて良いものか、オレたちのようにデキの良くない生徒たちの気持ちもわからずに何が学級委員だ、もう二度と理佳とは話なんかしたくない、顔も見たくないという気持ちが溢れかえっている。以前から理佳には反感を持っていたが、今日の出来事でその気持ちは決定的になった。教室に入るなり、後ろの棚の肩掛け鞄を掴み、オレは飛び去るようにして黒板の横の出口扉にドカドカっと向かったその時、「ちょっと待って、須賀君」と理佳の小さく鋭い声が聞こえた。
もう我慢の限界、これ以上また何かエラそうな口を叩いたらタダじゃおかねぇぞ、という目で思いっきり理佳を睨みつけてやった。理佳は「なによその顔、そんな風に睨まなくってもいいでしょ」と、さっきまでの女王様の威厳はどこへやら、しんみりとした声で呟いた。
「なんだよ、お奉行さま。まだ何かご注意があるのかい?」とオレもはまだイライラしながら言った。
理佳は「そんなんじゃないの、須賀君に渡したいものがあるのよ。教室じゃ校則違反なので屋上に来てくれる?」
とぬかしやがったので、ついにオレの堪忍袋の緒が切れた。
「おい、お奉行さまよ、校則違反の取り締まりで日頃からオンナ長谷川平蔵と恐れられているオマエ様が、なんで自ら校則違反の真似事を?しかも十手で引っ捕らえられたオレまで巻き込もうってのはいったいどういう料簡なんだい?いい加減にしろよ、デキがいいからってあんまりズに乗るな!」。日頃の鬱憤が爆発し,面と向かって怒鳴ってやった、そうしたらスッキリした。ざまぁみやがれ、てな気持ちだった。

理佳はもう泣きべそをかいている。
「違うの、違うのよ、須賀君。あのね、今日が何の日だか知っている?」理佳の蚊の鳴くような声が聞こえた。
オレは「はぁ?そんなの知らねえよ」と吐き捨てるように言った。実際知らなかった。
理佳は「あのね、男の子にチョコレートをあげる日なの」、「好きな男の子に」とさらに聞き取りにくい声で言った。
「だから、ここではマズイから屋上で渡したいの」
何の事だかさっぱりオレは分からなかった。バレンタインデーにチョコレートを渡すといのは実は1970年代後半から普及し始めた習慣だったし、しかも当時ガールフレンドなぞ一人もいなかった中2のオレが知らなかったのも無理はない。
理佳がオレのことを好きだなんてあり得ない、いや想像したくもない荒唐無稽な話だ。しかし目の前にいる理佳は何やらチョコだのバレンタインだの屋上で渡すなどと言っている。うーん、何のことだ?オレなりに思案をめぐらすとピンと来ることが一つだけあった。そうか、理佳のやつ、親友の石野恵子に頼まれて恥ずかしがり屋の彼女に代わってチョコレートをオレに渡すつもりだな。そういえば恵子、なんだかこの前からオレに気がある素振りだったし、オレも恵子に正直好意を持っていた。榎本みたいな生意気で高飛車な女子と正反対、控え目でシャイな性格、それに成績もオレとドッコイドッコイだ。なるほどね、それで榎本は普段は口もろくにきかないオレに職員室まで連行してまで近づいてきたのか。石野のチョコレートならウレシイな、よし屋上に行ってやるか。気持ちは180度回転した。
「いや、怒鳴ったりして悪かったな、榎本。それじゃこっそり上に行くか」とオレは人差し指を上に向けてニヤリとした。そのとたん理佳の顔はバラ色に染まり太陽のように明るく輝いた。「ホント、須賀君!よかった~」と声を弾ませた。
理佳のやつ、意外といいところがあるじゃないか。友達のキューピット役を買って出るなんて、やっぱり学級委員、人望があるんだな。理佳みたいな三拍子女子にとってみれば虫ケラみたいなオレになんかあまり関わりたくなかっただろうに、そこを親友とはいえ恵子のためにひと肌脱ぐというのも清水次郎長親分みたいでカッコいい、見直したぜ。

銀色の柵とコンクリート床の屋上、陽は徐々に西に傾きつつあるがまだ寒くはない。生徒たちはみな下校したようで、校舎には先生たちと生徒数名しか残っていないはず、もちろん屋上には誰もいない。理佳はさっきからモジモジしている。オレは早く帰ってテレビを観たかったので
「榎本、わざわざスマンな。さて、そのチョコレートとやらをくれよ。今日そんな日だなんて初めて知ったけれど、なんかちょっと緊張するよな。あはは」とひょうきんぶってみた。頭の中では恵子になんと言って礼をすれば良いのか、などと考えながら。
「あのね、須賀君。本当はこういうことって男の子のあなたの方から言うべきことなのよ。でもね、あなたみたいな鈍感な男の子もいるので、年に1回だけ女の子のほうから告白することが許されるのが2月14日なの。ねぇ、聞いている?それでね、これ、これなんだけど…」
理佳は手提げ紙袋を顔を真っ赤にしてオレに渡した。オレはニコニコしながら
「榎本、有難う。オレってさ、今まで彼女なんていなかったし、ましてや告白された経験なんかなかったし、なんつーか、我ながら今かなり興奮してるなぁ。あれ?なんだこの水色の手紙は。そうか、手紙がないと告白にならないからな」もうオレは有頂天になって恵子のことを思い浮かべ、理佳が目の前にいることなんか忘れていた。
理佳は「うん、ホントはこの場で直接私の気持ちを須賀君に伝えなきゃいけないんだけど、そんなの恥ずかしくってできないし..」またまた顔を赤らめて下を向いてしまった。
「え?なんでだよ。このチョコレートって、恵子からのだろ…」
オレはついつい思っていたことをそのまま言ってしまった。
「えっ…」
理佳の呼吸が止まった。しばらく二人の間に沈黙が流れたが、やがて理佳はオレから紙袋を取り返して背を向けながら「ごめんね、須賀君。こんな時間に屋上に呼び出して」と言い残して階段出口までトボトボと去って行った。オレはしばらく何が起きたのか分からずボーっとしていたが、やがて階段踊り場あたりから数人の女子たちの会話が聞こえてきたかと思うと、突然理佳のワーっと泣く声が響いてきた。

第二話 ドラフト指名

オレだって悪気があって理佳を傷つけたわけじゃない。でもアイツが一方的にオレなんかにコクるからいけないんだ。そう、“オレになんか”、だ。アイツはマドンナ、オレは成績、素行とも不良男子、誰が見ても不釣り合いだ。それなのに、よりによってこのオレにチョコレートを渡そうって、理佳、オマエ頭が良すぎて遂に気が狂ったんじゃねぇか。マドンナはマドンナらしく、そうだな、24Rの出来すぎクンの町野とでも付き合っていりゃいいんだよ。ハッキリ言ってオレはオマエが嫌いなんだよね。三拍子そろって、上から目線でオレたち下層階級を見下ろす女子って、サイテーだわ。それほど嫌っていた理佳に、昨日まさか屋上でコクりチョコを渡されるなんて唖然とした。ウチに帰ってからも、あまりの衝撃に毎週楽しみにしている「太陽にほえろ」も上の空だった。オマエが嫌いだとは言いつつ、階段踊り場で「ワーっ!」と泣きじゃくる声が耳に残って、後味の悪いことったりゃありゃしない。「オレのせいじゃないからな」と何度もつぶやいてみたが、普段は気の強い理佳に泣かれるとやはり心が弱る。

それにしても石野恵子のことは期待ハズレだったな。恵子からのチョコだとばかり思っていたのに、結局は幻に終わっちまったよ。オレは恵子みたいな普通の女の子のほうが好きだ、容姿も成績も品性も並な恵子、一緒にいて安心するんだよ。彼女は口数も少ないし、ましてやオレに何かエラそうに命令したりはしない。まぁ、そんな恵子と理佳が親友だというのが不思議と言えば不思議だが。

屋上での一件のあと、理佳はオレを無視し続けた。いや、これまでだってクラスで特に口をきくような仲ではないから、今まで通りで変わらないと言えば変わらない。でもことさら彼女から無視されているようにオレは感じた。こっちだって理佳に惚れているわけでもないし、この前の屋上の一件、オレから謝りに行くのも筋が違うと思ったので、そのまま放ったらかしにしていた。そんなことにはお構いなしに理佳のデキ過ぎちゃんぶりは相変わらずだ。授業では真っ先に挙手して先生の質問に百点満点の回答、体育では男子を追い抜いて10キロマラソンを走り抜きゴール、廊下には理佳の描いた絵が一番目立つところに掲げてあった。そしてまた男子生徒たちが金魚のフンみたいに理佳の帰り道を待ち伏せしている。ここまで来るともうマドンナを通り越して観音様だな。でもなんでこんな観音様がオレにチョコレートを渡そうとしたのか、腑に落ちない。あれは何かの間違いだったんじゃないか、そんな気がしてならなかった。

3月に入った。理佳もオレも来月は3年生に進級する。クラス替えもあるのだが、オレは「神様、お願いだから理佳とだけは同じクラスにはしないでください」と願をかけた。またアイツの高慢ちきで鼻持ちならない態度を毎日教室で見せつけられるのだけは御免だと思った。それに万一ホントにアイツがオレのことが好きだとしたらますます別のクラスにして欲しい。オレが毛嫌いしている女子から好かれているというのは、居心地悪過ぎる。間違っても同じクラス、隣の席なんて絶対にイヤだと震える思いだった。

3年の新クラス発表は2年終業式の日、職員室前の掲示板に貼られた。男子も女子も、自分がどこのクラスになるのか、クラスメートは誰か、担任は? トーゼン気になるところだから掲示板前は蟻が砂糖をたかるような混雑ぶりだった。オレはこういう時はクールぶってみたかったので見にはいかなかった。ただ「恵子はウチ、理佳はソト~」と節分のような呪文を唱えていた。しかしオレもまだ純情な男子、まだ実は一緒のクラスになったことがない石野恵子と一緒にしてくれないかな~、という想いは募るばかり。放課後も図書室で秘かにカバンに入れていた漫画「がきデカ」を取り出して、盗み読みしていた。この「がきデカ」って山上たつひこ作のナンセンスギャグ。登場するジュンちゃんやモモちゃんなんかのエッチなポーズもあったりして、思春期の男子には圧倒的に支持されていた。あの頃、女子学生までが、こまわり君の「死刑!」ポーズの真似をしていた。

午後4時。
そろそろ皆帰った頃だな。よし、ちょっとだけ掲示板を見に行くか。考えてみれば理佳とは2年生の時同じクラスだったのだから3年生も一緒ということはないだろう。反対に恵子とは一緒のクラスになったことがないのだから、もしかして…と期待を膨らませながら誰もいない掲示板の前に立って深呼吸をした。31Rから順に目を追ってゆく。32、33、34…オレ、理佳、恵子の名前は出てこない。そして運命の35R、ここでも三人の名前は出てこない、ってことは最後の36Rで三人一緒ってことかよ! その通りであった、というか想定外。恵子と一緒になれたのは嬉しいけれど、それと一緒になんで理佳までついて来るんだ。人生とは思いのままにならない、と悟った人生最初の出来事であった。言ってみれば甘いショートケーキと苦い正露丸を10粒一緒に飲みこんだ違和感とでも言うべきか、しばらく理佳と恵子の名前を見つめていたら、後ろから足音が聞こえてきた。あ、こんなところを誰にも見られたくない、と本能的にサッと立ち去ろうとして後ろを向くとなんと正露丸10粒がまっすぐオレを見つめているではないか。あり得ない、なんでこんな時間にオマエがここにいるんだ?メチャクチャ気まずい雰囲気をなんとか誤魔化したい一心でオレは「やぁ。榎本。36Rで一緒になるみたいだな。2年連続だけどよろしくな」逃げるように立ち去ろうとしたその時だった。理佳は「この前の屋上のことは全部忘れてね。あれは私の方の勘違いだったわ」とだけ言ってオレより先に消えて行った。
なんだよ、あいつ、それが言いたくてオレの後ろから近寄ってきたのか。しかしまぁオレの気持ちもおかげでラクになったよ。そうそう、あれは単なるアクシデント、お互いに忘れましょうね。でもこうなると理佳のチョコくらい試食してもよかったかな、マドンナのアイツ、チョコ作りも上手なのかね。どんなの作ったのかちょっと興味ある。でもあの水色の手紙だけはゼッタイ読みたくないけどね。

1977年4月4日(月)午前9時
今日から中学の最終学年が始まった。36Rのクラスメートはもう30分も前から教室に集まってきてワイワイガヤガヤしている。1年から顔なじみの者もいればほとんど新顔の者もいる。皆新しい学級にどんなヤツがいるのか興味津々、かつ戦々恐々。興奮のあまり女子学生のスカートめくりまでしてはしゃいでいる男子までいる。女子は女子でまた嬌声をあげて逃げまくっている。あぁ、これが永井豪の「ハレンチ学園」なのか、十兵衛役はあの川原友子。ひょうきんな振りをしてこの友子、実はとんでもない逸材であった。こういう女子が学級委員を務めるべきだとオレは常々思っていた。友子は人心掌握に長けていて、頭は良いのにアホな場面では徹底してアホになり切る。そして彼女は中学生なのに巨乳で、オレたち男子に「性教育タイム」と称して体育館で順番に内緒で「ちょっとだけよ~」と加藤茶とソックリの声で体操着の上から触らせてくれた。それがオレたち男子には楽しみだった。男子は皆口を揃えて言ったもんだ「川原友子は大物だ、将来は総理大臣にでもなって欲しいよ」。同じ乳デカでも理佳とは違って上から目線ではないし、成績だって友子は理佳の次くらい上位だが、それを感じさせない庶民性がある。昭和の宰相で言えば理佳は宮沢喜一、友子は田中角栄、どちらが人気があったかは言うまでもないことだ。

一時間目が始まった。学年最初のこの時間は高杉中学では班の編成を行う。約40名のクラスを5班に分ける作業だ。5人の班長の任命は先生が行う。ここでは横綱でいう「心技体」を備えた生徒が順番に班長に任命されてゆく。最初に任命されたのはやはり理佳であったが、相撲で言えば全盛期の輪島か北の湖といったところ。でもオレからすれば彼女は失格、「心技体」の「心」に問題がある。それより落ちこぼれの気持ちがわかる幕下の恵子が班長になるべきだと思うが、学校と言うところはそういうシステムになっていない。理佳の任命のあと友子が、そしてあと3名の男子生徒が任命された。5名班長のうち上位2名が女子とはカカア天下な36Rではある。
5名の班長がすべて任命された後、各班長がクラスメートから班員を指名するのだが、まずはA班長の理佳が最初に男子生徒指名することになっていた。男女同数に班員数をするため、最初の班員指名は男子生徒ということになっているのだ。オレはできればB班長の友子に指名して欲しかったし、あわよくば恵子と同じ班にして欲しかった。しかしプロ野球のドラフトではあるまいし、まさか堂々と逆指名はできないので、さっきからずっと友子の方を見て目を合わせてサインを送っていた「川原、オレを指名してくれ」。しかし友子は別の男子がお目当てのようで、ゼンゼンこっちを向かない。間もなく担任の吉田先生から、
「では次に各班長から班員の指名をしてもらいます。まずはA班の榎本さんからね」
高杉中学名物の班員ドラフト会議宣言がなされた。
はぁ~、榎本理佳ね。彼女からはゼッタイにオレなんか指名されねぇわ。職員室掲示板の前で「この前のことは全部忘れてね」と言われたんだし、こっちもそれでホッとしていたところだし。なぜかまた不幸なことに同じクラスになっちまったけど、お互いにピンクレディみたいに「透明人間」なってりゃいいじゃんか。ボケっとしていたらその虚を突くように、
「はい、須賀君を一位指名したいと思います!」
理佳のハッキリとした声が高らかに教室に響いた。
教室が一瞬どよめいた。なぜって普通はデキのいい順、品行方正順に指名してゆくのがドラフト指名の鉄則、よりによってなんで一位指名がオレなんだ?これって四谷学院の電車広告「なんで、私が東大に?」をはるかに超える衝撃、しかもベクトル正反対のネガティブインパクト炸裂だ。実際教室の皆はコソコソと同じ「なぜ須賀君なの?」を囁き合っている。先生も一瞬たじろいだ様子で「えーっと、須賀君の指名でいいのね?」と念を押した。そこで理佳はこう言ったんだよ。

「須賀君、心配しないで。女子の一巡目は石野恵子さんを指名するから。あなたのお望みを叶えてあげるわ」

とんでもねぇ女班長だ。切り札のスペードのエースを投げつけてオレに復讐をしようと強引に同じ班に引き込みやがった。それにオレが秘かに好意を抱いている石野恵子まで指名宣言するとは、オマエいったい何を考えている…?オレは金属バットでぶん殴られたようなショックで呆然として理佳を見上げた。でもそれが二人の40年物語の始りだとはお互い知る由もなかったのだ。

第三話 ラプソディー・イン・ブルー

毎週水曜日の6時限目は音楽。勉強、体育、美術は全滅だったこのオレも、音楽だけはダントツトップだった。オレは母の英才教育でピアノが異常に上手かったのだ。母が嫁入りの時にアメリカ製のボールドウィンのアップライトピアノを狭い団地に持ち込んだのがそもそもの始まりなのだが、昭和30年代当時、ピアノを置いてある家庭は少なかった。母は音楽教師であった母(オレの祖母)から厳しい音楽教育を受け、祖母は自分と同じ国立音楽大に母を入学させるのを当然の義務と心得ていた。母も祖母の特訓によく耐えたのだが、結局入学はかなわずそれを機に音楽の道は諦め普通に結婚した。祖母も母もその悔しさの矛先をオレに向けたのは当然かもしれない。リベンジの担い手を孫や息子にさせようとするのは世の常である。

5歳の時、幼稚園入園と同時に母からの英才教育は始まった。入園前のオレは「猫ふんじゃった」をふざけて弾くくらいだったし、母親もそれを暖かく見守っていた。ところが入園後いざレッスンが始まると鬼のような厳しさで息子を鍛えた。ピアノレッスンの第一歩は赤い表紙のメトーロローズ教則本を使う。音符を覚え、ドレミファソラシド♪ハ長調の音階を右手、左手、そして両手で弾く練習をする。ピアノ習いたてのオレだったが、飲みこみは早かった。母親もピアノを砂に吸い込まれる水のように吸収してゆく息子に目を細めつつも、本腰を入れて特訓のムチを振るった。なにせ母親が教師だからほとんど毎日が団地部屋でレッスンの日々、しかも不合格だったとはいえ一度は国立音大を目指した母親のレッスンは筋金入り、5歳のオレもメキメキと腕を上げた。祖母も時々「授業参観」にわざわざ実家の群馬からやってきて
「あぁ、こんなところでボールドウィンが役に立つなんて思わなかったわ。このピアノは大正時代に私のお爺様がアメリカ渡航の際にサンフランシスコの楽器店で気に入られ、わざわざ横浜港まで持ち込んだもの。お爺様から5代目の忠雄が引き継いでくれるなんて、私もお爺様に面目が立つというものです」と背筋を伸ばして誇らしげに言った。祖母は自分の生きている間に、オレがヨーロッパ各地の舞台で喝采を浴びる姿を冥途の土産にしたいという人生最後の夢を見ているようだった。もちろんそれは妄想に過ぎないのだが、かつて戦前、戦後と音楽教師をしていたという祖母なりの誇り、娘の国立音大不合格、そして爺様のボールドウィンを弾く孫息子の姿などが入り混じって特別な感慨が湧いてきたのだろう。母は母で祖母に向かって「忠雄には中川家(母方の家系名)の名に恥じぬよう、正統派クラシック音楽の教育を仕込みます。親の自分が言うのもなんだけど、忠雄はやっぱり中川家の血を受け継いでいるから音楽の才能はずば抜けている。私も教育のし甲斐がある。将来は絶対にお母様と同じ国立音大に進ませて、それから…」妄想するのは祖母と同じで、二人の夢は本人お構いなしに膨らんでいった。

普通の子どもたちにとってピアノのお稽古や練習は、退屈なだけではなくツライことでもある。オレのように昭和30年代半ば以降生まれた高度成長期の申し子たちは、近所のピアノ個人レッスンやヤマハの音楽教室に通ったものだが、ほとんどの子どもたちは半年くらいで挫折する。実際オレの弟も同じように母から特訓を受けたがやはり半年で挫折した。
メトーロローズの次はバイエル教則本に進むのが一般的なコースであるが、そこはすっ飛ばしてツェルニー100番に進んだ。子供心ながら「ピアノなんて簡単だ」と自惚れていたと思う。母の愛のムチは怖くはなかったし、むしろ次の課題曲が待ち遠しかったくらいだ。もちろん練習熱心だったし、なによりもピアノが大好きだった。これはきっと母の影響だと思う。入園前に団地の狭い居間で母が弾く壮大で熱情的なベートーベンの曲や、ショパンのロマンチックな曲は幼心の中でも美しく響いた。その中でもとりわけ美しく響いた曲は意外にも「乙女の祈り」であった。有名な出だし、タタタタタタタっン~と天へ舞い上がるかのような右手オクターブの旋律にジッと耳を傾けていた。母は「忠雄も幼稚園に上がったらみっちり仕込んであげるからね」と言って笑った。母の理論によれば5歳から始めるのがベストなのだそうだ。

小学校に上がっても、勉強はゼンゼンしないでピアノばかり弾いていた。父はすさがに「おい、音楽教育もいいけど勉強の方もやっとかなきゃいかんぞ」と母をたしなめることもあった。母は「少年期の訓練がその後の音楽人生を左右するんです」と大袈裟なことを言って、とにかく寝る時間と食事の時間以外はすべてピアノのレッスンに当てられた。勉強ができないなら小学校を退学させても私が忠雄の音楽の才能を引き出して見せる、まるでエジソンの母ナンシーのような尋常ではない熱意に父も黙るしかなかった。
小学校も高学年になると、港区内のピアノコンクールでは優勝、悪くても準優勝だった。上位者常連は必ずどこのコンクールに出場しても決勝戦で火花を散らすことになるのだが、子供たちのバトルというよりは保護者たちのバトルとなる。「ウチの子はアンタのガキにだけは負けませんからね」視線の応酬になるのだが、会場ロビーでは「まぁ、相変わらずお宅のお嬢様の演奏は優美で素晴らしいわ。今年も優勝間違いなしですわね、オホホ」と笑うと相手も負けじと「お宅のお坊ちゃま様こそ迫力満点の演奏で圧倒されました。今年もウチは準優勝ですわね、オホホ」とやり返す。小学生のコンクールとはいえ、優勝争いは技巧だけではなく表現力が大きなポイントとなる。力強いタッチでは男子が圧倒的に有利だが、優美で華やかなメロディラインは女子が有利となる。したがって課題曲に何が選ばれるかが保護者にとっては大きな関心事となる。

須賀親子の最大のライバルは青空はるか、という芸名みたいな同学年の女子であった。小学校はオレと別だが、市内の音楽教室始まって以来の才媛だそうだ。彼女の家は普通のサラリーマン家庭、母親は公務員なのだが、たまたま幼稚園の時に見学で訪ねた音楽教室でピアノを触らせたら、先生の言う通りの和音を即座に弾いて先生を驚かせたそうだ。「こんな子は見たことありません。お母さん、ぜひ私にお嬢さんを預けてください」と反対に拝み倒されたという伝説をもつ女子だ。はるかは先生の期待とおり、いやそれ以上に才能を開花させていったらしい。小学校3年生ですでにショパンのワルツやノクターンを弾きこなしていたというから、オレよりも一歩進んでいたように思う。先生は自分の目に狂いがなかったことを喜び、またオールドミスだった先生ははるかを実の娘のように可愛がり、時には厳しく指導し、二人の絆は日に日に確固たるものになっていった。因みにこのオールドミス先生、かつてショパンコンクールの予選に出たこともある実力者だったが、その予選であの中村紘子に負けたことを今でも悔しく思っていた。中村紘子と同じ土俵に上がっただけでもすごいことだと思うのだが、オールドミス先生は今でも自分のふがいなさを悔やんでいて、子供がいないので弟子の誰かにそのカタキを取ってもらいたいと願っていたらしい。そこに忽然と現れたのがはるかだったのだ。

小学校6年生の秋がやって来た。この季節に港区長杯のピアノコンクールが開催されるのだが、ここで3位までに入賞すれば中学の部への出場はノーシードとなる仕組みだった。小学校の総決算、はるかには負けてはならない。母は炎のような目をしてオレの指導を続けた。6年生にもなると母の指導もガラっと変わる。低学年のころまでは技巧中心に指導していたが、技巧を卒業すると今度は表現力である。この表現力の指導、母の場合は独特だった。「忠雄、軍隊ポロネーズの最初の部分は勇ましく、このナポレオンのアルプス越えの絵のように」とか「ドビュッシーのアラベスクはね、モネの“印象”のような気持で」などと画集を持ち出してイメージを膨らませるというものであった。今から思うとかなりユニークな指導方法ではあるが、小学生のオレはただ母に言われるがままに絵画を心に刷り込んだ。コンクールの2か月前となって、課題曲が発表された。ショパン、モーツァルト、ベートーベン、バッハ…全音の楽譜はほぼ制覇していたので、どんな曲でもドンと来い、という余裕が須賀親子にはあったし、実際それだけの備えはしてきたつもりである。課題曲発表の当日、学校から帰ると母が青い顔をして待っていた。「母さん、課題曲は何だった?」とたずねると。母は吐き捨てるように、ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」だってさ。と答えた。

「ラプソディー・イン・ブルー」という曲はアメリカのジョージ・ガーシュインという作曲家が作ったジャズ風の管弦楽曲であるが、ピアノ独奏用にも編曲されている。いかにもアメリカ風で軽快な曲ではあるが、須賀親子が邁進してきた正統派クラシックとはいささか趣が異なる。実際、母親ですらこんな曲を弾いたことが無かった。母親は正統古典派一本で来ていて、ジャズなどは音楽だとは認めておらず、むしろ軽蔑していた。
「あのオールドミス、港区の音楽教育委員であることを利用して、次回の課題曲をあの風変わりでおよそコンクールに相応しくない曲を課題曲に押し込んだに違いないわ。理由はいくらでもつけられる。ショパンばっかりではマンネリ化する、純クラシック曲に限定することもコンクールの硬直化を招く、などなど。本当は誰も予想しなかった「ラプソディー・イン・ブルー」をはるかに十分準備させておいて、本番でダントツの優勝をさせようという魂胆にちがいない。なんていう姑息な女なのかしらね。だからヨメにもいけないのよ!」とまくし立てた。そう、この時点で勝敗は決まってしまった。母も弾いたことが無い課題曲でなんでオレが優勝なんかできるのか。しかも相手はオールドミスから十分に「ラプソディー・イン・ブルー」の弾き方を伝授されてきたはるかだ。こんな策略を巡らしてでもオレを蹴落としたいというオールドミスの執念に須賀親子は敗北した。

ジャズなどという存在を認めない母は「そんな課題曲のコンクールなんて認めない。忠雄も出場なんかしては中川の家系に傷がつきます」と試合放棄を決め込んでいた。しかしオレは悔しくてしかたなかった。これまで小学校コンクールではるかとの対決は5対5の引き分け。ここで出場しなければ、間違いなくはるかの優勝、ということは小学校の勝敗は5対6でオレの負け。コンクールまであと2ヶ月ある、まだ決着は付いていない。今からでも間に合うのではないか?とオレは未練たらたらだった。それにそのジャズ風とかいう曲がどんなもんなのか、大いに興味があった。
最初は頑なに出場をさせない意向だった母も、オレの熱意に根負けして「それじゃ楽譜だけは買ってあげるけど、母さんは何も教えられないし、優勝ははるかちゃんで既に決まっているのよ。それでもいいの?」と力なくつぶやいたが、オレは「いや、まだ負けたわけじゃないよ、母さん」と見栄を切った。考えてみれば母親にピアノについて言い返したのはこれが初めてだった。息子が見込みのない勝負に挑もうとする姿に、母も少しジーンと来たのかもしれない。

翌日に早速母は楽譜を用意してくれていた。今回は母親の指導を頼りにはできない孤独な戦いだ。まずは楽譜を一目見てぶったまげた。これが本当にピアノ曲なのか?なんとなく気だるい出だしなのに、突然音符が止まりそして飛び跳ねる。しかも10小節も終わらないうちに転調するなんて考えられない。クラシックか知らないオレにはコペルニクス的転回、弾く前から困惑していた。
一体どんな曲なのか、好奇心が強まる中でまずは譜面通り音を拾ってゆく。うん、技術的にはなんとかなりそうだ。しかしなんとも不思議な気分にさせる曲だ。楽譜の解説によればアメリカ風狂想曲なのだそうだが、弾いていて気だるくもなるしワクワクもする。このワクワク感は今まで弾いたクラシック曲にはなかった。アメリカのジャズってこんな楽しい音楽だったのか、弾くほどに白黒テレビで観たエンパイヤーステートビルや、地理図鑑に載っていたゴールデンゲートブリッジなどを思い出しながら、曲に乗ってアメリカを闊歩する自分を空想した。バッハのピアノ曲を弾いてもドイツの古城を巡る自分など想像しようとは思わなかったのとは対照的である。コンクールの勝敗など二の次、この曲に出会えたことが嬉しくて、食事や睡眠時間を惜しんで練習、いやアメリカの少年となった自己陶酔と妄想に浸っていた。母はそれを黙って見守っていた。


そしてコンクールの日がやって来た。課題曲の「ラプソディー・イン・ブルー」は誰にも負けないくらい練習したつもりだし、オレなりのイメージも創作したつもりだった。しかしそれは我流だし、オールドミスの指導を長期間にわたって仰いだ、はるかが優勝することくらいオレにも分かっていた。でも区民ホールのスタインウェイであの曲が弾けるだけでも震えるほど嬉しい。エンディングのダダダダダ~ンと両手両腕で体重を乗せて弾くパートは、摩天楼のてっぺんからパラシュートでロックフェラーセンターに舞い降りるバッドマンになった気分だろうな。
こんなに楽しいコンクールは初めてだ。もともと勝ち目のないコンクール、母からの期待も皆無、というか母は区民ホールには来ていない。気ままなコンクール、はるかにも「優勝おめでとう」と素直に言える気がする。「ラプソディー・イン・ブルー」に出会ったおかげだ。この不思議な曲に出会わなければ、今回もオレとはるか、母とオールドミスは相変わらず火花を飛ばしていただろう。肩の力は抜けきっていた。
コンクールで出場者は課題曲と自由曲の2曲弾く。オレが選んだ自由曲はバルトークのピアノソナタ。有名な曲ではないが大ホールにはお似合いの打楽器的な力強い曲。はるかはなんとショパンのノクターンを選んできた。こんなの3年生でも弾けるのに、なんで6年生のはるかが?と思ったが、彼女の弾くノクターンは敵ながら天晴れだった。繊細で優美なメロディ、そして微妙な強弱を巧みに操り、これぞショパンのお手本という演奏。特訓してくれた母には悪いが中村紘子とわたりあったオールドミスの指導力は認めざるを得ない。
自由曲演奏による選考では7人の児童が残った。オレもはるかも二次選考の課題曲「ラプソディー・イン・ブルー」へと進んだのだが、オレにははるかなど眼中にない。とにかくエンディングをかっこ良く弾くイメトレに励んでいた。
弾く順番はくじ引きで決めるのだが、最初ははるか、最後はオレになった。うむ、理想的だ、トリで審査員の皆さんを飛び上がらせてやれ、と宮沢賢治のセロ弾きゴーシュみたいなことを思い浮かべてニヤニヤしていた。
はるかの演奏が始まった。水も漏らさぬカンペキな演奏だ。まず楽譜に忠実だし、転調やテンポ変換の瞬間に聴かせる躍動感はさすがだ。オレなんかが弾く「ラプソディー・イン・ブルー」とは全然違う。言ってみれば正統派、誰でもが拍手喝采する非の打ちどころのない演奏。だけどなんだか物足りないなぁ、なんて思った。自由曲で弾いていたノクターンではるかは少女としての清らかさを前面に出るような演奏をしていて、オレも聴き惚れたくらいだ。でも課題曲は彼女らしさが出てない、いやこの曲では出しようがないのかもしれない。
そして7人目、オレの演奏の晩が来た。武者震いしながら椅子に座る。会場は水を打ったようにシーンとしている。オレは一呼吸置いてからトレモロのあと右手で鍵盤の32分音符を駆け上がった。そして気だるいラプソディが流れた後この曲のテーマが流れる。最初から見せ場が続くが、自分のイメージで作り上げた狂想曲ワールドに浸った。上手に弾かなければ、とかミスしてはいけない、などというプレッシャーは全くなかった。ただ演奏を楽しんだ、期待通りスタインウェイはエンディングパートも轟音を鳴らしながらオレの演奏に応えてくれた。今まで味わったことのない演奏後の充実感が体中に溢れかえってくる。区民ホールの聴衆からの拍手はほとんど無かったけれど、オレらしい演奏ができて後悔はなかった。
審査発表があった。優勝は予想通りはるかであった。オレは3位にすら入らなかったが、何とも思わなかった。はるかは区長から優勝トロフィーを誇らしげに手渡され、オマケに会場にいるはるかの母から事前に用意されていた真赤なバラの花束を受け取っていた。母娘は抱き合って泣いていた。しかし母親気取りのオールドミスはなぜか姿を見せなかったのがヘンではあった。

発表も終わったし、予想通り入賞すらできなかったし、それでも達成感の余韻に浸りながら上を向いて出口に向かった。あれ?正面玄関にはあのオールドミスがこちらをジッと見つめている。もちろん彼女と口をきいたこともないのでそのまま通り過ぎようとしたところ。
「キミ、須賀忠雄君だよね。今日の課題曲、キミはお母さんの指導を受けず独りで練習していたはずだわね。譜面と全然ちがう弾き方していたからすぐに分かったわよ」とぶっきら棒に言った。自分の弟子が優勝したからと言って、オレにまで自慢したいのか?アホらしくなって、
「はるかさんの優勝、おめでとうございます。それでは」と言って立ち去ろうとしたところ、オールドミスが行く手を大きく遮った。
「須賀君、キミは見どころがある。はっきり言ってさっきはメチャクチャな演奏だった。でもね、キミはとてつもなく独創的で型破りな男の子ね。審査員には受け入れられなかったけれど私にはわかったのよ。キミはもしかしたらはるかよりよっぽど才能があるのかもしれない。私が指導してあげる、あなたのお母さんではもう指導はムリだわ。私がお母さんを説得してあげるわ」
唖然とした。小学生のオレに独創性だの型破りだの言われてもわけがわからん。ただこのオールドミス、クラシック一辺倒で頑固な母とは異質であることは嗅覚でわかった。でも母が彼女に息子のオレを渡すことを承諾はしないだろう。結局はオレも母からは逃れられないとは漠然と感じた。

翌日、オレの団地宅にオールドミスが訪ねてきた。えっ?本当に来たのか。頑固な母が、ましてやオールドミスに対して良い感情を持っていない母が彼女の申し出を受け入れるはずはない。すぐさま「お引き取りください」と宣言されて終わりだろう。
ところが驚くべきことが起こった。玄関先で単刀直入にオールドミスが「息子さんのピアノ教育を私に任せて頂けませんか?」と真っ直ぐと母を見ながら言うと。母は「よろしくお願いします」と即座に頭を下げたのだ!そして彼女はすぐに出て行ってしまった。この間約30秒、あっという間であった。
オレの意見も聞かず、勝手に決めたことがまず腹立たしかった。
「母さん、オレはあんなオールドミスなんか先生にしたくないからね。母さんだってこの前悪口を言ってたじゃないか。」
と当然の抗議をした。母はジッと涙を浮かべて
「忠雄はもう私の手に負えない。あの人の眼力にも負けた。たった一度の演奏で忠雄の異常な才能を見抜いた。お前はクラシックには向かないわ」
そんなことない、オレは母さんとずっと一緒にクラシックを、と泣き叫んだが母の決心は固かった。「ラプソディー・イン・ブルー」を嬉々として猛練習するオレの姿を毎日見て、もう自分の役割は終わったのだと、母は悟っていたのだった。

第四話 音楽室

中学に入学してから母からオールドミスに引き渡されたオレだったが、あまりクドクドと手取り足取り指導はされなかった。クラシックとは違って定番の教則本のないジャズ、最初は基本的なコード進行、そしてコードに沿ったアドリブ演奏の仕方などを学ぶのだが、コードさえ押さえておけば後は演奏者のフィーリングに任さられるところが斬新で面白くて仕方が無かった。クラシックとは大違いだね、コンクールで弾いた「ラプソディー・イン・ブルー」の躍動感の源泉はこんなところにあったのだと改めてわかった。あの会場で自分勝手に曲を弾いて最下位だったオレだけど、演奏を一番楽しんだのは間違いなくオレだった、反対にはるかは優勝したものの楽しそうではなかった。オールドミスはそこを読み取ってくれたのだろうか。

オレは、オールドミスのことを尊敬を込めて「エラ先生」と呼び始めていた。「エラ」とはもちろんあの偉大な女性ジャズシンガー「エラ・フィッツジェラルド」のことだ。オールドミスもこのニックネームを気に入っているようだ。エラ先生はジャズピアノ曲を当時のLP盤で片端から聴かせてくれた。まずは元祖バド・パウエル、そしてエロール・ガーナー、テディ・ウィルソン、そして中興の祖オスカー・ピーターソンまで何度も繰り返し聴かせてくれた。オレの団地にはオーディオ装置がないので、もっぱら先生宅で聴かせてもらった。どれもこれも初めて聴く曲ばかりで、ショパンやリストしか知らないオレは興奮した。ジャズで最初に聴いたバド・パウエルの名曲「クレオパトラの夢」は、それこそメロディラインが歌えるくらい聴き惚れた。この時エラ先生は32歳、オレは13歳だったから息子くらいの歳だ。同じく13歳のはるかのことを先生は娘のように溺愛していたが、オレに対して熱心に指導はするが愛情は全く示さなかった。先生宅では、毎週日曜日の午後に1時間はるかのレッスン、続いてオレのレッスンとなっていたのだが、自分のレッスンが終わってもはるかは玄関脇の小部屋でオレのレッスンが終わるのをジッと待った。ピアノ部屋から出てきた先生を捕まえて、「ねぇ、先生。この前学校でね~」と甘えるような声で話しかける。先生も「なぁに、はるかちゃん」と二人はレッスンとはまるで関係ない学校の話をする。男子禁制の楽しいおしゃべりタイム、よく見かける光景だ。はるかの母は役所勤めではるかの話し相手にもなってくれないらしい。独身のエラ先生も寂しい思いをしているのだろう、二人のお互いの寂しさは見事に埋められてしまい、オレはカヤの外に出された。カヤの外に出されてもひがみはしなかったが、実の母娘でもない二人が仲睦まじくする姿が少年のオレには摩訶不思議であった。

その当時、ジャズピアノの楽譜はまだ出回っていなかった。どうしても弾きたい曲があれば、LPレコードからピアノの音を拾って、楽譜に自分で落とすいわゆる採譜という方法が取られた。しかしこの採譜という作業は、簡単ではない。特にジャズピアノのようにアドリブが入ってくるとフィーリングで弾いている音を落とすのだから至難のワザである。エラ先生はこの採譜の天才で、自分の採譜をもとにアレンジしたジャズピアノ曲集を何冊か出していた。あの課題曲「ラプソディ・イン・ブルー」の編曲も手掛けたのはエラ先生であることを後で知った。先生は惜しげもなくオレに先生が採譜・編曲した楽譜を与えてくれた。オレはもう目の前がクラクラするような興奮を覚えた。しかしジャズピアノの楽譜というのは、実に面白い。特にエラ先生の楽譜は拾った音をベタッと幼稚園児がお絵かきしているようなカンジも出ている。「ここの部分、ビヨ~ンと右指が伸びるカンジに聴こえるのよね~」という鉛筆の書き込みもしてあるのがお絵かき帳っぽい。そもそもクラシックの楽譜にジャズは落としきれない、これぞコペルニクス的転回だ。

高杉中学音楽室 午後4時
6時間目の音楽の授業が終わると、オレはグランドピアノに向かっていた。普段は学校から帰って団地自宅でアップライトのボールドウィンを弾いていたのだが、さすがに毎日狭い団地では近所迷惑になる。それに音楽室のピアノはヤマハのグランドだから音色や音量がアップライトとは全然違う。そこで音楽の横川先生に頼み込んで週1回だけ放課後に自由に弾かせてもらうように頼み込んだのだ。むろん学校としては大義名分が必要なので、「須賀は次回の合唱祭の伴奏を担当するのでその練習をする。自宅は狭く近所迷惑になるので特別に音楽室の使用を認める」というお許しを得た。もっともオレは最初だけは中田喜直の「夏の思い出」とかシューマンの「流浪の民」とかの次回合唱用の伴奏を弾いていたが、生徒たちが下校する4時頃になるとカバンからエラ先生から借りてきたスコアを楽譜立てに置いた。さてと、今日はMy One and Only Love 「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」にチャレンジするぞ!と武者震いした。この曲はもともとヴォーカル曲だが、人気ピアニストのオスカー・ピーターソンが弾いてピアノ曲としても知られるようになった。エラ先生から借りたLPを事前に繰り返し聴いてはいたが、こういうバラード曲は意外と難しい。先生は「こういうラブソングは感情が入り過ぎてしまうと溺れるし、淡々と弾くのも味気ない」と言っていたが、中学生のオレにはそんなことまではわからない。まともに恋愛したことがないオレにラブソングなんて、とは思いつつも甘いメロディラインに酔いしれた。出だしからメインパートが始まる。ちょっと心を抑え気味に弾く、いや、こうじゃない、じゃあもっと気持ちを込めて... 窓カーテンから差し込む夕陽を左肩に受けながら試行錯誤してみる。あ~、うまくいかないな。オスカー・ピーターソンはムリとしてもエラ先生のせめて半分くらいは弾けないものか。

ため息をつき、ふとピアノ正面の入り口扉を見ると誰かがこっちを見ている。もう5時を過ぎ生徒は皆下校しているはずだ。ヘンだな、と思って扉まで足を運ぶと理佳が反対側にうつむいてジッとしていた。あれ?なんでまた学級委員がこんな時間にこんなところに、しかも覗き見みたいなことしているんだろ。不思議だった。あのドラフト指名以来、同じ班にさせられ、しかも彼女の隣に座らされたオレだったがお互いに無視していた。もっともオレの意中の石野恵子にとも親しくするチャンスがなかった。恵子がオレに気があるというのはオレの単なる妄想願望だったようで、ガッカリしていたところだ。
「おい、榎本。こんな時間に見回りご苦労さんだがな。ここで放課後ピアノの練習することは横川先生にお許しを得ているんだよ。見回りなら他の教室へ行ってくれ」とオレはにべもなく言い放った。理佳のやつ、また得点稼ぎのために先生に何か言いつけるネタでも探しているのかもしれないと、オレの気持ちは荒んだ。
「ごめんね須賀君。あのさ、今弾いていた曲、音楽の授業で聴くようなのじゃないよね?何ていう曲なの?」と小さい声できいた。
榎本という名のマドンナ、オレにとっては警戒すべき怪物だし妖怪だ。
「今のはジャズピアノの曲、だけどなんだってそうやって詮索するんだよ。また先生に“須賀君ったら合唱伴奏曲じゃない曲を弾いていました”とでも言いつけつつもりかよ。この際ハッキリ言わしてもらうわ。オマエみたいなやつと同じ班にさせられてこっちはえらい迷惑なんだよな。そのうえこうやって放課後まで監視されたんじゃかなわねえよ。頼むからもうオレに付きまとわないでくれ。オマエだって職員室の前で“屋上のことは私の勘違いだった。忘れて”って言っていたじゃないか」
いや、自分でもごもっともな言い分だと思った。それよりなにより怪物理佳が何を考えているのか無気味でもあった。これだけハッキリ言えば理佳もオレに寄りつかなくなるだろう。お互いの幸せのためだ。すると理佳はみるみる目に涙を浮かべて、

「須賀君のバカ!」

とシャウトして、オレを睨んだ。はぁ?オレが理佳よりもバカなのは認めるが、なんで泣いているんだ?シャウトするってどういうこっちゃ。オレは怒るよりも唖然として理佳を見つめた。理佳も無言の反抗でもするかのように目を腫らしてオレを見つめている。見つめ合い、いやにらみ合いがしばらく続いてから理佳は小さい声で
「須賀君、先週はバッハのパルティータを弾いていたわよね。あれなら私も聴いたことあったの。今日の曲はなんだか全然ちがう。歌謡曲の間奏みたいなカンジだったわ」と言った。オレは思わず吹き出した。おい、天下のオスカー・ピーターソンのピアノ曲を歌謡曲の間奏だってか?でも言われてみれば「伊勢崎町ブルース」とか「ブルーライト・ヨコハマ」なんかの間奏にも使えそうだ。吹き出してオレの気持ちも和らげいだ。
「歌謡曲でも何でもいいんだけどよ、オマエ早く帰って勉強してろよ。でも歌謡曲の間奏っていうお説で笑わせてくれたよ、ありがとな、榎本」理佳はサッと顔を赤らめて言った。
「あのね、正直に言うと毎週ここで須賀君が練習しているのを隠れて聴いていたのよ。私ね、須賀君のピアノが好きなの」
ニブいオレにもやっと分かったよ。理佳はオレのこと今でも好きなのだ。そう考えると「屋上バレンタイン」「ドラフト指名」「音楽室覗き聴き」「須賀君のバカ!」が見事に連なる。そう思ってマジマジと理佳の顔を見つめた。美少女、偏差値75、スポーツ万能・美術センス抜群の女子がなんでオレみたいに並ルックス、偏差値48、音楽だけ取り柄のオレなんかに惚れてんだよ。面倒くさいからオレは単刀直入にきいた。

「榎本、オレのことが好きなのか?」
理佳はまた例の恨めしそうな目でオレを無言で見始めた。そして一言だけ
「言わないわ」とプイッと横を向いてしまった。

理佳はオレのことを好きらしいけど、オレは理佳が好きではないから困る。そもそも、理佳とオレでは身分が違い過ぎる。まるで王女と召使だ。お似合いの王子さまなら他にいくらでもいるだろってのよ。アホらしくなってきたので
「まだあとちょっと練習したいし、明日またな」とピアノに戻ろうとした。
「うん、廊下で聴いているのならいいでしょ?邪魔はしないから」としおらしいことを言ってくる。いくらなんでもさすがに廊下で聴いていろとは言えず、仕方なく「それじゃ、中に入るかい」と言ってやった。まぁ一応オレのピアノを廊下で毎週聴いていてくれていたらしいし、しょうがねぇか。
「え!ホントに。嬉しい。」あ、これバレンタインデーの日に屋上階段で見せたあのバラ色笑顔のデジャヴューだわ。なんだか過去の思い出がアロンアルファのようにネチネチとくっついてくる。理佳とオレが強力接着されてしまうなんて、辺見マリじゃないけど「ヤメテェ~♪」。
「あのね忠雄君、ずっと前にさ、ここですごくキレイな優しい曲を弾いていたでしょ。私ね、その曲が大好きで人にきいたら「恋はみずいろ」というポール・モーリアオーケストラの演奏だって知って早速ドーナツ盤を買って毎日聴いているの。あの曲、弾いてくれないかな?図々しいかしら」と一気にまくし立てた。それにいつのまにか「須賀君」から「忠雄君」へと馴れ馴れしく呼び方変えているし。
オレはなにも言わずに弾き始めた。前奏は左手のアルペジオ、それに乗って右手は主旋律を2回奏でる。ポール・モーリアらしいロマンチックな地中海の夕暮を思わせるようなアレンジ。アメリカのヒットチャートでも1位を獲得したイージーリスニングの定番だ。オレは弾きながらまた後ろで理佳が泣いているんじゃないかとひそかに恐れた。「涙のリクエスト」になったら面倒くさいなぁ、と思って弾き終わったらやっぱり泣いていた。そして恐れていた告白がサクレツ!。

「あのバレンタインの日、私は忠雄君のことが好きですって言いたかったの!」

それを言い終わると理佳は一目散に出口に走り階段を駆け下りて行った。
覚悟はしていたものの、マドンナからありがた~い告白をまともに受けてしまって、恋愛経験のないオレはどうして良いかわからず、ピアノの前に座って黙り続けるしかなかった。

第五話 イルカ公園

理佳に音楽室でコクられてから、自分でも意外なほど動揺していた。自分は理佳を不快な存在だとしか思っていなかったはずだ。美少女だとか美術センスがあるのはガマンするが、それに加えて偏差値75っていうのが気に入らない。女のクセに男勝りに成績優秀というのは男尊女卑を是とする須賀家の家訓にそぐわない。しかし本当を言えば理佳と自分を比較してしまうと自分があまりにミジメになるだけの話で、彼女が悪いわけではない。理屈では分かっていても感情で追いつかない、心をひろく持てない。それほど嫌っているマドンナ理佳からコクられれば動揺するのは当然だ。レ・ミゼラブルに出てくる獄中のジャン・バルジャンがマリー・アントワネットに「アナタを愛している」とコクられているようなものだ。それこそフランス革命でも起きない限り、この恋愛は成就しないだろう。
その一方でオレはクラスで同じ班の隣席に座る理佳が気になり始めた。今日もすました顔の理佳だが、どうしてオレなんかにコクったのか?バレンタインデーに屋上で泣きじゃくっていた理佳、でもなぜなのか、それがゼンゼン分からない。卑下するまでもなくオレは理佳より成績や人格で遥かに下だ。そんな男になぜ?その理由を知りたかった。しかし興味本位できくのは失礼だと思い、黙っていたのはオレも男子の端くれだ。もちろん他のクラスメートにだってコクられた話は決してしない。話せば「須賀、オマエ気でも狂ったのか?」と言われるのが目に見えている。

今日の6時間目は社会科の授業、特別に学校の脇にある区立図書館で各班がそれぞれテーマを決めて発表準備作業を行うことになっていた。理佳が率いるA班のテーマは「港区の史跡 泉岳寺」だった。理佳が決めたテーマだが、あの時代劇「忠臣蔵」で有名な泉岳寺は学校の近くなのにオレは何も知らなかったので、最低限の知識は区民としても知っておきたいとオレも常々思っていた。泉岳寺には言うまでもなく「赤穂四十七士」の墓がある。彼らは主君の浅野内匠頭の仇をとるために、大石内蔵助をリーダーとして、雪降る夜陰に紛れ吉良上野介吉央の屋敷に討ち入り、見事に吉良の首を討ち取るが、その後お上から大石以下赤穂浪士全員が切腹を命じられるという日本人の大好きな忠義報恩の物語である。
図書館閲覧室のテーブルでA班も書棚から泉岳寺や忠臣蔵に関する資料を班員は探し出して持ってきた。これを白い模造紙に2枚にまとめて書き上げる作業なのだが、班長の理佳は見事な手綱さばきで、各班員の能力を見極めて的確な指示出しをする。オレが班長から仰せつかったのは資料を書庫から運んだり編曲したりする力仕事だったが、それだって大切な仕事なのよ、とリーダーは目で諭した。石野恵子はマジックペンで模造紙に発表内容を書きこむ係り。彼女はペン習字をやっているので上手な字を書く。因みにオレが淡い恋心を寄せていた石野恵子だったが、恵子は同じクラスのデキに良い町野と秘かに付き合っていることを、頼みもしないのに理佳が教えてくれた。オレはガッカリしたが、それよりそれをわざわざ教える意地の悪い理佳の方が憎らしかった。
オレは何回目かの資料返却に階段を上って書棚へ行き元の位置に本を戻していたら、いつのまにか理佳が横に立っている。ギョッとしたオレの手をいきなりつかんで「須賀君にはまだ宿題があるから、そのまま残ってください」と言い残し、すぐに閲覧室へ戻って行った。「宿題」って何だよ、また恋愛ごっこのことか。すると心で抑えていた「なぜオレに好意を?」という素朴な疑問をぶつけてやれ、という思いがムクムクと湧いてきた。相手が「宿題」で居残れ、というならこっちからも反対の「宿題」を出してやれ、とね。

午後4時半、各班の準備作業が終わったところで社会科の三木先生が
「来週の6時間目に発表してもらうから、それぞれ準備しておくように」と指示が出たところで三々五々、生徒たちは図書館を出て行った。閉館時間は既に過ぎているので皆急ぎ足だった。理佳はオレの横にピッタリくっついて図書館玄関から離れず、そのままオレは「連行」させられた。連行先は学校の近くの児童公園、通称「イルカ公園」という場所だった。なぜ「イルカ」なのか、それは公園のコンクリート壁に大きなイルカが二匹描かれていたからこう呼ばれていた。もう薄暗くなってきて電燈にはポツポツとオレンジ色の光が灯ってきている。小さな公園で、松に囲まれたうす暗いサビシイ場所である。ここでいったい理佳はどんな宿題をオレに出すつもりか。ベンチに座るなり理佳は切り口上に言ってのけた。

「それで忠雄君、この前の宿題はどうしたの?まだ答えをもらってないんだけど」

はぁ?宿題なんかもらった覚えなんかねえよ、また理佳のやつ勘違いしているな。オレは黙っていた。一呼吸置いて理佳は「やっぱりね」とため息をつき、
「ねえ、いい?この前音楽室で私があなたに言ったことを忘れてないわよね。その答えが宿題なの。ずっと答えを待っていたのに忠雄君ったらまたサボっているんだもん、いい加減にしてよね」。おいおい、マジかよ。あんな一方的なコクリに対しても、答えなきゃいけねぇのか?それにさ、なにも答えないってことはノーだってことくらい偏差値75のオマエならわかるだろう。こうタンカを切ってやりたいところだが、相手は一応中学生女子、ましてや学級委員、ヘタな言い回しをすれば後でどんな復讐に会うかわからないので用心深く言葉を選んだ。

「いや、返事が遅くなって悪かったね。オレさぁ、気持はありがたいけどやっぱり榎本とは釣り合わないよ。オマエはマドンナ、オレなんかコジキみたいなもんでさぁ…」

と言い終わらないうちに、理佳の顔がオレの顔に覆いかぶさって、突然生温かい唇を重ねてきた。完全に想定外パニック、もちろんオレにとっては初めてキス、しかもウムを言わさず強引に奪われてしまった。真珠湾攻撃だってもっとお手柔らかだったはずだ。マドンナ奇襲攻撃にオレは覆いかぶさる理佳を見上げたまま動けず、本当に息が止まりそうだった、いや息の根を止められたのだ。頭が真っ白になるというが、その時のオレの頭は真空管シリンダー状態。それからどれくらいたったか、やっと理佳は顔を持ち上げてくれたので息を戻すことができた。
「あのねぇ、忠雄君、私だってあなたに嫌われていることくらいずっと前から気が付いていた。でもあなたのことが好きだったから屋上でバレンタインもしたし、ドラフト指名で強引に私の横に座らせたし、そしてここでキスまでしちゃった。あ、これって私は初めてだからね。でも初めてキスなんか全然恥ずかしくないわ。あなたからノーの答えを聞く前に口を封じてやろうとここに来る前から企んでいたの。どう、参った?」と不気味に笑った。奇襲をくらって参らないヤツがどこにいる?こっちは無防備な戦艦アリゾナ、ゼロ戦攻撃で即撃沈だよ。でもこのままでは終わらせないぞ、オレだって反撃したい。用意していた質問をぶつけた。

「あのさ、もう終わったキスなんかどうでもいいんだけど、なんでオレのことが好きなのよ。マドンナと皆から崇められているオマエがオカシイじゃねぇか」

理佳はその質問をまるで待っていたかのようにブツブツなにやら口ずさみ始めた。

「淋しがりやで 生意気で 憎らしいけど スキなの L・O・V・E投げキッス♪」

「忠雄君って3月生まれ、私は前の年の4月生まれ。学年は一緒だけどあなたはほとんど1年下の男の子なの。忠雄君はキャンディーズの歌に出てくるダメな男の子ソックリ。私って、前の学校でも高杉中でも成績は良いし学級委員にもなるし、両親や先生、生徒たちから優等生扱いされているのがイヤでしょうがないの。だって本当に窮屈なんだもん。でも結局いい子を演じている自分が情けなくてね。高杉に転校してきて、アナタを見たときサエない男子だと思ったのはウソじゃない。でも自分で言うのも何だけど、すべての男子たちから注目されて当たり前な私なのに、アナタだけからは完全無視された、いいえ不快に思われていたのがすごく悔しかったの。なんで?とよく考えてみたら、当たり前の事だった。須賀君だけは私の傲慢で鼻持ちならない正体を見抜いて軽蔑していたんだってね。そう、私のことを無視することで私の正体をはっきりと示してくれたのが須賀君だったの。それがわかって突然あなたが猛烈に好きになっちゃったのよ、わかるかしら?」
オレから初キスを奪った余裕だろか、理佳の舌は滑らかに回る。オレの頭にはあの「あしたのジョー」に出てくる矢吹丈と白木葉子のミスマッチ告白シーンがよぎった。しかしジョーもオレも身分違いの年上女から突然コクられて返答のしようがない。
「あのさぁ、普通は軽蔑されれば嫌いになるんじゃないのかねぇ。反対に好きになるっていうのが腑に落ちないよ」オレは正直に感想を述べた。
「私みたいに成績優秀、品行方正な女子はどこかでガツンと叱られなくちゃいけないのよ。だって心の中では、これでいいのかしら?って不安なんだもん。先生も友達も両親も、誰も叱ってくれない。忠雄君だけが無言で叱ってくれたのよ、「調子に乗ってんじゃねぇ」てね。だから好きなの。それとね、さっきも言ったけど、私って年下の男の子がカワイイし好きなの。しかもあなたみたいなハチャメチャな性格の男子は、品行方正な私にとって憧れと言ってもいいくらいだわ。」
ますます分からん話だ。キャンディーズを歌いながら「年下だから好き」という話はあり得ない。だってオレは別に年上の女子なんか好きじゃないよ。それにハチャメチャな性格に憧れるって理屈は世界中どこ探しても聞いたことが無い。話を聞けば聞くほど不気味な理佳から離れたいと思ってくる。悪いけどこれは理佳の片想い、というか彼女のオレに対する誇大妄想だ。オレが無言で理佳のことを叱っていたなんて、それは彼女のひとりよがりだ。オレはただ単に理佳が嫌いだっただけだ。それがわかった以上、オレの気持ちをこの場でもう一度はっきり言っておかなければならない。このままでは理佳の妄想は膨らみ、オレは誤解され続ける。悪循環は断たなければならぬ。オレは静かに引導を渡そうとした。

「ありがとう、榎本。マドンナのオマエにそこまで誉められるなんて驚きだ。強引だったけどキスも初めてだったよ。だけどな、悪いけどオレは別に榎本のことを好きでは..」

言い終わらないうちに、うわっ、今度はミッドウェイかよ!グラマン戦闘機がオレの顔を目がけて急降下爆撃!そして

「お願い、その先は言わないで、忠雄君」

再び唇攻撃、しかも何十機も束になって…空母赤城は大炎上。攻撃が一段落すると理佳は、

「はい、今日の課外レッスンはおしまい。また明日ね!」と明るい声でベンチから立ち上がって、一人でイルカ壁の近くの出口の方へ歩いて消えてしまった。

普通の男子たちにとって、マドンナにキスされれば一生の想い出になるんだろう。だけどオレは違うぞ、と思いたかった。しかし2回までキス攻撃をくらってオレの気持ちは揺れてきた。理佳は魔性の女だ。学校では非の打ちどころのない優等生、しかし一皮むけば三国志の諸葛亮孔明よろしく中学生策士、自分の能力と美貌を駆使してお目当ての男子に食らいついてくる大胆さはアントニウスとシーザーを手玉に取ったクレオパトラ。そうかと思えばバレンタインの屋上や音楽室で「艶姿ナミダ娘」を演じてみせるKYON2。どれが本当のオマエなんだよ、理佳? そして何よりゼンゼン意味不明な「忠雄君が好きな理由」。何もかもミステリアスな理佳は、妖怪ベラのようにオレにのしかかってきた。あれだけムカッ腹を立て、無視してきた理佳だったのに、あの涙(屋上階段と音楽室)、あの奇襲攻撃(ドラフト指名とイルカ公園)、あの告白(音楽室)はオレの心を揺さぶるのに十分だった。一人残されたベンチに座って静かに考えた。いや、本当はオレだってもしかしたら他の男子と同じで最初から理佳に憧れていたのかもしれない。だがオレは、マリア様じゃあるまいしマドンナ崇拝みたいな真似をするのがイヤで、自分の心を偽っていた。しかし憧れている理佳から好かれていることがわかると、反対にアマノジャクのように彼女を無視し続けた。

そしてそのまま結局は卒業式を迎えた。順当に理佳は名門都立高校へ進学、オレは三流の地元私立男子高校へ入学した。卒業式の日、学校の体育館で港区長代理の祝辞で始まった式は退屈で早く解放されたかった。理佳は卒業生代表の答辞を区長代理の前で堂々と述べていたが、お経を聞いているような味気なさだった。でもこれでオレも理佳に会うのは今日が最後になるかもしれないと思うと、やはりちょっとこみ上げるものがある。転校生だった理佳はオレの中学時代の想い出の一つになった。オレのことを初めて好きになってくれた女子であったことにも間違いはない。ただ不器用なオレは見栄と意地の塊になって彼女にまともに接することができなかっただけなのだ。そんな思いで答辞を述べる理佳の姿を遠くから眺めていた。

式が終了し、生徒たちは体育館出口へとノロノロ歩き始めた。オレもボケッとしながら上履きを脱いで運動靴に履き替えていたら、理佳がサッとオレの横に来て悲しそうな顔でつぶやいた。

「私、最後まで須賀君にイジメられたわ」

言い終わると彼女は生徒たちの集団に紛れ込んでしまい消えて行った。

そう、その通りだ。オレは本心とは反対の態度をとって理佳をイジメていた。デキ過ぎの彼女が悲しめば悲しむほど、デキの悪いオレは快感を覚えた。ざまぁみろ、このマドンナ優等生め、とね。しかし心の底でオレは理佳を尊敬していたし、憧れてもいたし甘えもしたかった。でも、今日で二人はもう二度と会うことはないと思っていた。
「さよなら、理佳。いろいろ悪かったな」と心の中でポツリと言い、誰もいない体育館にひとり立ちながら理佳の去って行った方を見送った。しかしまさか40年後に二人が出会って、オレの正直な気持ちを伝える機会が来るとは、オレも理佳も夢にも思っていなかった。

第6話 結婚

オレは都内の三流私立高校を卒業した後、大学への進学はせ音楽出版社に入った。進学するほどの学力はもちろんなかったし、ピアノだって音大に進むほどではなかった。一時エラ先生から「アメリカのジュリアード音楽院で挑戦してきたら?推薦状を書いてあげる」と言われたことはあった。新天地アメリカでジャスを本格的に学ぶのは夢のような話であるが、そもそもオレは英語がゼンゼンと言っていいほどできない。音楽院であっても留学生はTOEFLという英語試験にパスしなければならないが、オレはこの時点ですでにアウトだ。消去法的に結局は就職することになった。
音楽出版社というところでは、音楽の素養などそれほどは必要とされていないし、実際に社員の多くは音符もろくに読めない人が多い。でも会社というところは、音譜や音楽雑誌の販売、音楽関係イベントを企画することが商売なのであって、音楽の特別の知識などは不要なのだということがだんだんと分かってきた。少しでもオレの音楽知識が仕事に活かされれば、などと青くさいことを考えて入社したオレにとってはガッカリな話ではあったが、それでも音楽出版社にもぐり込めたのはラッキーだったのかもしれない。毎日、何らかの形で音楽に触れることができるのは、残業であっても休日出勤であっても苦にならないのはやはり幼少のころから音楽に親しんできたからだろう。しかし皮肉めいた見方をすれば、幼少の頃から訓練してきた総決算が残業のツラさを軽減することくらいにしか役に立たなかった、とも言える。しかしせいぜいそんなもんだろう。プロとアマでは雲泥の差がある。オレくらいのピアノ弾きなんか世の中掃いて捨てるほどいるのだ。母や祖母が抱いていた妄想、エラ先生が寄せてくれた期待なんか厳しいプロの世界では吹き飛ばされるホコリみたいなものだった。

25歳の時にオレは職場結婚した。相手はごく普通の女子社員で名前は里子、容姿端麗ではないが誠実が取り柄の女性だった。年齢はオレより3歳若いが、裏千家の免状を持っている。里子の誠実で純朴なオーラは幼いころから嗜んできた茶道と無関係ではあるまい。里子が喜怒哀楽の感情を露わにすることは滅多にないし、絶対と言っていいほどウソはつかない。白状してしまえば、会社で初めて里子に会ったとき、中学時代に一瞬だけ思いを寄せた石野恵子のことが頭をよぎったのだった。顔かたちは似ていないが、あのペン習字だけが得意な恵子がなつかしくなって里子にアタックしたのかもしれない。オレみたいなガサツな男じゃ純朴な里子も嫌がるだろうな、と思ったのだが意外にもなついてきた。最初に連れて行った場所が新宿のジャズライブハウスだったのだが、ここでは毎週金曜日の夜にジャムセッションと称して、演奏に自信のある常連客達がそれぞれ楽器を持ち込んで演奏を披露する。オレも実はこの店の常連を未成年の頃からやっていた。この程度のアマチュアセッションならオレくらいの技量があれば十分通用する。年上の女性客や歌手たちからも結構チヤホヤされていい気になっていた。
里子に狙いを定めたオレは終業後のある日、思い切って「あのさ、サトちゃん、オレのピアノ聴きたくねぇか?」と言ってみた。里子はビックリした声で「え~?須賀さんてピアノ弾けるんですか?ぜひ聴きたいです!」とい、ここまでは想定内の返事。
「そうか、じゃ来週の金曜日の夜に新宿の店でオレの演奏があるから来てくれよ」とメチャクチャにキザっぽく言い放った。里子は二度ビックリして「須賀さんって夜はミュージシャンやっているんですか?カッコいいわぁ。絶対に行きます!そうだ、経理課の梅ちゃんも連れて行ってもいいですよね?彼女も音楽が好きだし」と無邪気に言う。
ここでオレも困った。「いや、キミだけ来てほしい」では下心ミエミエだ。かと言って初デートのつもりなのに余計な邪魔が入られても困る。しかし結局は「うん、梅ちゃんも誘ってみてよ」と言うしかなかった。

約束の金曜日が来た。終業後、会社玄関前で待っていたら向こうから「お待たせしましたぁ~」と満面に笑みを浮かべて里子が走ってきた。あれ?梅ちゃんは、とオレの顔に書いてあったんだろう、里子は「梅ちゃんはね、今日は社交ダンスのお稽古があるから来れないんですって。だから今日は私一人だけなんですけど、いいかしら?」と少し顔を赤らめて言った。これぞ天の恵み、なんという幸運だろう。神様、ありがとう!と叫びたいところを抑えて、「ふーん、そうなのか。まぁオレはどっちでもいいけどね」と冷静な素振りを見せた。ここで手のウチを見せるのはちょっと早いと打算した。

新宿歌舞伎町の一角にある雑居ビルの地下1階にジャズライブハウス「バードランド」がある。黒くメタリックな思い扉を押すと、1950年代のモダンジャスが勢いよく外に飛び出してくる。まだ時間が早かったのでカウンターの中にマスターに飯坂さんがグラスを磨いているほか、誰もいなかった。
「よお、チュウちゃん(忠雄のオレはこの店ではそう呼ばれていた)。またまた美人を連れてきたな!」と余計なことを言う。ねえ、マスター、最初から失恋レストランにしないでくれよな、今夜は大事な日なんだからよ。
「うん、この人は藤田里子さん。オレの会社の後輩。ジャズって聴いたことないと言うので連れてきたんだよ」と一通りの紹介をした。すると里子は突然「マスター様でいらっしゃいますか。ウチの須賀がいつもお世話になっているようで、感謝申し上げます」と言うもんだからマスターとオレを同時に驚かせた。おいおい、オレは里子の身内でもなんでもねえのにその挨拶、しかもここは百鬼夜行の歌舞伎町ど真ん中だぜ。裏千家ってのは世界中どこへ行ってもピンと背筋が伸びているのかね。
里子は壁にかかったジャズミュージシャンたちのモノクロ写真やらジャズ専門誌やらバカでかいスピーカーなんかを見て回っていた。何もかも珍しいんだろうな、こういうアングラな世界が。
「私ってずっと茶道の躾を受けてきたから、こういうアヤシイ世界を覗いてみたくて仕方なかったの。この店の奇抜なデコレーションやズンズン響く音楽、なんだか私の中に押し込められていた魔性が呼び起されるようでワクワクするわ」と本気なのか冗談なのかわからないことを言う。カウンター席に二人座りながらオレはボトルキープしているヒゲのニッカウイスキーを、里子はサングリアを飲みながら、まずは会社の話や同僚の話などを無難にし始めた。里子はよほどこの店が気に入ったようで、話は上の空、あとはLPレコードから流れるジャズを熱心に聴いていた。うむ、まずはここに連れてきて正解だった。彼女は完全にこの世界にハマッたと見た。そうこうしているうちに常連アマ演奏者たちがトランペットやサックスを携えて店に入ってきた。オレとはもう5年以上の顔なじみのツーカーの仲、特に即興演奏をする間柄はお互いのフィーリングが合わないとダメだ。したがってセッションも自然とフィーリングが合う同士で組み合わせが決まってくる。

夜7時になった。
「今夜もまたここバードランドへお越し頂きありがとうございます。年の瀬も迫って皆様なにかと気忙しいかとは存じますが、どうぞごゆるりとお楽しみください。今夜のオープニングは、今井京子ボーカル、今井俊夫ベース(旦那)、土井孝雄ドラムス、渡辺博テナーサックス、そして須賀忠雄ピアノでございます」
マスターの司会でアマバンドセッションが始まった。客はまだ半分の入りだが、ハッキリ言って客より演奏者が楽しんでいるような店だ。それにオレは意中の里子にイイところを思う存分見せつけてやらなければ連れてきた意味がない。一曲目は必ずこの店で演奏する「バードランドの子守歌」。いろいろな歌手が歌ってきたが、今夜の今井京子はサラ・ヴォーン風でオーソドックスに迫る。京子が哀しげに恋歌最初のパートを歌い終わると続いてテナーソロ、そしてお待ちかねのピアノソロ。だがここは派手に弾いては興ざめだから、伴奏の続きイメージでさらっと弾いた。
二曲目はボーカル一回お休み、トランペットの涌井実が加わり「チュニジアの夜」というジャズファンにはお馴染みの曲を演奏。さぁここでオレのピアノソロが光るところだ。思う存分弾いてやるぞ、という高揚感、あ、デジャヴューだ。小6の時に区民ホールで弾いた「ラプソディー・イン・ブルー」が蘇ってくる。里子の方を見るとなんだかボケっとした表情だ。うーむ、オレの演奏が気に入らないのかなぁ、と不安がよぎる。
テナーソロ、トランペットソロのあとオレの順番が来た。まずは落ち着け、お前は時々ノリ過ぎてこの店で何回か失敗している、とにかくリズムセクションから飛び出した演奏だけはやめろ、と自分に言い聞かせながら弾いた。よし、今夜は調子が良い、ベースとドラムのリズムに完全に噛みあっている。さっき少し飲んだニッカで緊張感と高揚感が高まる。そう、この二つがジャズ演奏の起爆剤。そして最後にオレのピアノソロで「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」。マスターに頼み込んで今夜だけソロで弾かせてもらった。オレとしちゃ里子へのプロポーズのつもりで弾いたつもりだけれど、彼女の表情は「はい、お受けします」というカンジではなかったので意気消沈しながら弾き終わった。

ソロ演奏が終わると、次のグループと入れ替わった。オレはカウンターの里子の席に戻ってまずはニッカを一口飲んでから言った・
「どんなもんだい?」
ホントは語尾を下げて胸を張りたいところだが、里子の冴えない表情を思い出して疑問形の語調になっていた。しかし里子は何も言わない、ずっと黙ってこちらの様子を窺っている。オレはずっとクールなふりをしていたが心の中で「あ~、やっぱりキザったらしくピアノ演奏なんか聴かせたのが良くなかったのか」と心を暗くした。しかしその瞬間、里子の方から思い切ったように、
「茶道しか知らない私をこんなアヤシイ場所に連れてきて、そして須賀さんのピアノを聴かせてしまった罰です。須賀さん、私と付き合ってください!」と横のオレに向かって頭を下げた。彼女の顔を見れば本気なのはすぐわかる。正直言ってぶったまげた。地味で真正直で折り目正しい里子が、よりによってこんな雑居ビルの地下でそういうこと言うのか?相当の覚悟があったはずだな。ここで「いやいや、こちらこそ」と頭を下げるのがスジだが、「そこまで言われりゃ、女のキミに恥はかかせられないな」とかなんとかまたキザなことを言った。ホントはオレの方が先に里子に惚れていたんだけどね。いずれにせ社内恋愛大作戦は初日に成功した。

二人はそれから半年くらい付き合って結婚した。続けて二人の女の子にも恵まれた。社宅住まいではあったが、それなりに幸せな家庭、それに裏千家の免状を持つ里子は近所の公民館で茶道教室を開き、安月給のオレを経済的にも支えてくれていた。こうして須賀家族は平成の世を地味ではあるが平和に暮らした。気が付くとあっという間に銀婚式、そして長女の結婚、孫の出産と目出度いことが続いた。特に孫の俊夫にはオレも里子もメロメロだった。オレは誓った。この子にはオレみたいな中途半端な夢を持たせてはいけない。国語、数学、理科、社会、英語をみっちり仕込んで、一流大学、できれば東大に入れたい。そして将来は官僚か外交官になって….あはは、誰でも子や孫ができると誇大妄想が始まるんだ、今は亡き音楽教師だった祖母のことを思い出した。そういえば高杉中学のマドンナ理佳は今頃どうしているんだろうか、数年前に聞いた風のうわさで東大法学部へストレート入学して大蔵省(現財務省)に入省したらしいけれど。オレの孫の俊夫にもそういう華麗なコースを歩ませたいと心から願った。

第7話 再会

年が明けて2017年元旦、須賀家は穏やかな早春を慶びあった。去年暮れには社宅を引き払い、郊外に中古ではあったが念願の一戸建てを購入したのだった。長女は既に嫁いで子育て中、次女も何やら新しいカレシと結婚を前提で付き合っているとの情報を妻の里子から聞いている。次女までがこの家を出てしまえば、狭い我が家でもさすがに寂しくなりそうだが、代わりにオレの母親、そうあの元ピアノ教師の母親に今年中に来てもらうことにしている。母親は80歳を過ぎた今でもカクシャクとしているのだが、夫を亡くしてからずっと都内で一人暮らしをしている。それにこの先いつ健康を崩すかわからないので、一戸建てを購入したのを機にウチに来てもらうことにしたのだった。母親と里子は非常にウマが合ったのが幸運である。ピアノと茶道、形式は違うがどこかで心が通じ合うのだろうか。里子などはオレと話しているより母親と話している方が楽しいと公言して憚らない。オレは苦笑するだけだが、嫁と姑が同じ屋根の下でうまくやってくれさえすれば文句はない。

元旦の朝は澄んだ空気と青い空、我が家の庭に咲く牡丹ではヒヨドリが啼いている。里子は庭に面した四畳半和室を茶室に改造した。炉縁、釡、掛け軸や棚などを新調しただけでなく、庭には飛び石、「ししおどし」まで配置する念の入りようだ。里子はこれまで我が家を経済的にも支えてきたのだから、好きなようにさせてやればよいとオレは黙っていた。「これでだけそろえれば、ウチでまた茶道教室を開いても恥ずかしくないわ。ねぇ、あなた。この茶室の名前、どうしようかしらね?」とおよそ見当違いな人間に質問してきた。オレは伊藤園の「お~い、お茶」で十分、正座して抹茶なんか畏まって飲む気にはなれない輩だ。でもふとイタズラ心が出て「うん、草佳庵っていうのはどうだろね」とつぶやいてみた。もちろん草佳の「佳」はあの理佳の「佳」から持ってきた。なぜ今ごろになって突然彼女の名前が?と可笑しかった。里子はしばらく考えていたが「無粋なあなたにしては風流な思いつきだわ。うん、草佳庵で決定!」何も知らない里子は手を叩いてはしゃいだ。

元旦の午後、オレたち夫婦と次女、長女夫妻に孫、それに母の総勢6名で、千代田区永田町の日枝神社に初詣に参った。老齢な母は平成になって建て替えられた港区公営の高層アパートに住んでいたのだが、タクシーで15分の近場ということでこの神社にしたのだ。因みにここは、江戸時代初期の創立で古い神社なのだが、ちょっとした丘の上の社殿までエスカレーターを乗り継いでいけると言うハイテクな神社である。母のような老齢者にも優しい構造となっているのが嬉しい。須賀一家もまずは入り口の御手洗(みたらし)で手と口を清め、拝殿に参拝。綱を揺らして鈴を鳴らし二礼二拍一礼。お賽銭は正月だからちょっとはずんで5千円を札で投げ入れた。もうすぐ2歳になる孫の俊夫は、ちっともジッとしておらず、目を離すとすぐにあっちこっちへと走り回るので、長女は気が気でない。無事参拝も終わると、俊夫の姿が見えない。またそこら辺を走り回っているのだろうと、皆で探したが見つからない。15分探しても見つからない、さすがに皆の顔色は青くなった。「まさか誘拐?」言葉には出さないが、皆の頭の中にはこの不吉な二文字が浮かんできた。オレは恥も外聞もなく「トシオ~!」と叫びながら走り回った。どうしても見つからなければ近くの警察に届けなければならない。息を切らして階段まで来てみると、俊夫が赤いスーツ姿の女性に抱かれてあやされていた。猛然とダッシュして俊夫を抱き上げて、「おい、俊夫。心配するじゃないか!」と言葉もまだよくわからない子供に思わず怒鳴ってしまった。普段は優しい顔しか見せないオジイちゃんに怒鳴られて俊夫は突然泣き出した。女性は中に入るように「このお子さん、迷子になっていたようでしてね、私も心配なのでお迎えが来るまで坊やに遊んでもらっていたのですよ」と笑った。
「いやいや、男の子というのはジッとしていなくて困ります。本当にありがとうございました。それでは失礼いたします」。俊夫の無事を早く家族の皆に知らせてやらなければならない。深々と頭を下げて踵を返した瞬間,

「須賀君じゃないかしら?」

え?その懐かしすぎる声の響きはもしかして理佳か。オレはしばらく言葉が出なかった。オレは亡霊でも見るように理佳を見つめた。

「榎本なのか?…」

確かに理佳だ。あれから40年、彼女も54歳になっているはずだが、あの元マドンナ、美貌はそれほど衰えていない。神社には場違いな赤いスーツも理佳が着ると似合って見える。

「須賀君、私もビックリだよ。多分40年ぶりくらいだよね。元気?この子はお孫さんかな。私にも一人女の子の孫がいるよ」

やがて里子と長女がこちらに飛んで来て泣いている俊夫をひったくった。オレは
「こちらのご婦人に保護して頂いていたんだよ」と短く説明した。里子と長女は理佳に頭を下げたが、すぐにオレの母に無事を知らせに社殿の方へ足早に行ってしまった。理佳は

「須賀君、元気そうでよかったわ。それじゃね、さよなら」

と言って振り向きもせず階段を下って行ってしまった。
オレも家族の手前があるし長くは理佳と一緒にはいられないが、それでももうちょっと近況報告したかったよ。アイツがどんな華麗な赤じゅうたん人生を歩んで来たのか、今なら素直に聞ける。それに孫が一人いるって言っていたな。どんな男と結婚してどんな生活をしているのかも興味津々だ。できれば日を改めて二人だけでミニ同窓会をやりたいところだけど、サッさと消えちまいやがった。まぁアイツにとってオレなんか過去の初恋の中学生男子、今じゃとるに足らない男なんだろう。それだけの話なんだと諦めた。

正月休みも終わり、4日から通常出勤。今朝は雪が舞っている。あ~、初日からこれかよ。仕方ないな、オレみたいなしがないサラリーマンは槍が降ろうとも這ってでも会社に辿り着かなければならない。それにこの歳でやっとオレも課長に昇進、雪ごときで休んだら部下たちに示しがつかない。さて、じゃぁ行ってきますかね、とコートを羽織ろうとすると里子が、
「そうそう、あなたのコートの中に国会議員さんの名刺が入っていたわよ。バーの女の名刺じゃないのね、珍しいこと」と笑って差し出した。オレだって全然覚えが無い。国会議員の名刺なんか持っているわけねぇだろ、と思いながらも一応名刺を見てすぐにわかった。理佳の名刺だ。「自由党 衆議院議員 吉田理佳」と刷ってある。名刺の厚さはオレたちサラリーマンの2割増しくらい、杉の香りを含ませている。そうか、日枝神社で一瞬オレの横に立ったのはそのためだったのか。何回もその名刺を玄関で眺めていたのを里子も不審に思って。
「その議員さんと会ったことがあるの?」ときいた。
「いや、多分何かの講演会のときに秘書が配っていたんだろうな。それじゃ行ってくるよ」と勢いよく玄関を出た。オレの気持ちは複雑だった。もちろん理佳がコッソリ名刺を渡してくれたのは嬉しかった。しかし相手は国会議員だ、オレみたいな平民が近寄れるわけない、ヘタすりゃSPに捕まっちまうわ。それにしても理佳が名刺を渡してくれた理由がよくわからない。まさか「須賀くん、連絡してきてね」、と言う意味ではあるまい。「次の選挙でヨロシク」、でもなさそうだ。会社に到着するまでの満員電車に揺られながらあーでもない、こーでもないと思いはあちらこちらに飛んだ。会社初日はお得意様への挨拶廻りだったが、一日中理佳のことが頭から離れずに困った。アイツ、中学の時から策士だったからな、班長権限でオレをドラフト指名したこと、オレの唇を塞いでアイツの告白にNOと言わせなかったこと…今ではほろ苦い思い出だが、あのころから政治家としての周到さ、大胆さを十分に持ち合わせていた。

帰宅して「吉田理佳」のことをパソコンでググりまくった。オレは自由党と社会党の区別すらできない政治無知だったし、ましてや吉田理佳なんていう存在も知らなかった。吉田理佳のホームページに記載されている経歴は華麗すぎるくらい華麗だった。東大法学部卒⇒大蔵省キャリア⇒在ワシントン日本大使館出向⇒吉田誠衆議院議員(自由党創立者の孫)と結婚⇒神奈川一区から自由党で衆議院選出馬・当選⇒財務省政務次官⇒外務省副大臣⇒自由党政調会長に至る
オレには何が何だかわからない華麗な経歴に目が眩む。今は政調会長を務めているらしいが、自由党の要職なんだだろう。ましてや旦那サマが吉田一族という名門の出身、いわゆるサラブレッドなんだろう。ダメだ、オレなんかとてもじゃないけど理佳にメールなんかできやしねえよ。
理佳が思う存分に国会で活躍してくれていることはオレたち高杉同窓生としちゃあ誇りだ、それがわかっただけでも名刺をもらった甲斐がある。日枝神社の出会いは単なる偶然、理佳は自分の近況を知らせるつもりで名刺をオレのポケットに忍び込ませただけなんだ。そう解釈するのが自然だ。それにオレも今では課長、さすがに忙しい。部下たちの面倒は見なきゃいけないうえ、平成不況で売り上げが伸びない会社の利益をどうやって上げるか、などとマネジメントから宿題が各課長に出たりするので無い頭も絞らなければならない。こうしてオレは理佳のことを徐々に忘れて行った。

1月の末頃だったか、テレビのワイドショーであのおニャン子の国生さゆりが「バレンタインデー・キッス」という懐かしい歌を歌っていた。昭和のアイドル歌手も50歳を越えている。その歌を聴きながら突然あの高杉中学の「屋上のバレンタイン」を思い出した。あのとき理佳はオレにコクろうとして失敗したんだっけ。紙袋に手紙も入っていた。何が手紙に書いてあったんだろう?それを思うと気が気でなくなってきた。何が書いてあったにせよ、オレはそれにまだ返事をしていない。これはあまりにも失礼な話だ。もちろんあの手紙はもうどこにも無いだろうけれど、書いた内容くらい理佳も覚えているかもしれない。それに対してオレは返事をする義務がある、そう、これは男としての義務だ。40年も経ってしまったが、今でもいいからちゃんと答えなければいけないんだ。いつのまにかオレの心は昭和の少年に戻ってリキみまくっていた。そしてまた卒業式の日に理佳に言われた「私、須賀君に最後までイジメられた」という言葉が頭の中でリフレインした。そうだ、54歳にもなって今さら身分の差なんか関係ない、建前なんて気にしている場合ではない。オレは理佳に会ってちゃんとあの屋上の返事をしたい。ひとりよがりな考えかもしれないし、理佳はかえって迷惑するかもしれない。それでも一旦火の付いたオレの気持ちは止まらず、いつのまにか自宅のパソコンに向かっていた。理佳の名刺に記されているメルアドは議員公式のものだ。そこに入るメールは彼女の秘書がチェックするかもしれない。オレは言葉を選んで簡潔に書いた。

拝啓 吉田理佳先生 
先生のご高説にはいつも深く感じ入るものがあり感謝しております。また先生のご講演があればぜひ拝聴致したいと願っております。 
須賀忠雄 拝

政調会長なんて陳情やら党内調整やらで一日にきっと何十通、いや百通以上のメールが来るんだろう。だからこんな平凡なメールなんか秘書のところで握りつぶされて、理佳のところへは届かないかもしれない。それでもかまわない、オレは誠意を尽くしてこの短いメールを送るんだ。これでいいんだ、これで終わりにしよう、と思って送信ボタンをクリックした。そしてメールのことは忘れた。自分なりにケジメはつけたつもりだった。

翌日、会社の昼休み、何気なくヤフーページを開いたら珍しく個人アドレスに「受信メール1件」のサインが光っている。広告メールかな?と何気なくクリックするとなんとビックリ、理佳からだった。

「須賀君、この前は本当に驚いちゃったわ。元旦は毎年恒例の自由党本部での新年会があって、午後の部まで時間があったし天気が良かったから、本部近くの日枝神社に詣でてみたところで須賀君にバッタリ会うなんてね。オマケにかわいらしい坊やとも遊んでもらえたし。私もね、須賀君のご高説はともかくピアノはずっと前から聴きたかったのよ。懐かしいわ。あなた、新宿のバードランドで今でも弾いているでしょ?聴きたいわ。公式メルアドはちょっと具合が悪いから、プライベートで使っている携帯アドレスに返信してください、待っています。 榎本理佳」

どこでバードランドのことなんか知ったんだろ?まさか国政調査権でも発動したのか?などとふざけたくなるくらいオレは子供のようにはしゃいだ。大物政治家の理佳から返信が来るなんて100%ないと思っていた。しかも旧姓の「榎本」ときやがったぜ。でも歌舞伎町の店なんかで二人でいるところフライデーされたらオレはいいけど理佳センセイはヤバイんじゃねえか?彼女くらいエラくなれば政敵だって多いはずだ。心配はしたものの即座に理佳の携帯アドレスに返信し、2月6日の金曜日、午後7時にバードランで会う約束をした。なんだか新年から夢を見ているような、浮ついた気持だった。

第8話 風の色

理佳と約束した2月6日の夕方、タイミング悪く大事な顧客からのクレームが入ってその対応にウチの課は追われた。しかし今夜ばっかりは遅刻するわけにはいかない。会社には「母親が病院に運ばれた」とウソをついて定時に退社させてもらった。これまでマジメに35年も無遅刻無早退を守ってきたことも幸いし、部下たちも「それは大変ですね、すぐにでも病院に行ってあげてください。後はわれわれで何とかしますから」と言ってくれた。部長も「気にしないで明日から休んでも構わんぞ」と言ってくれた。そこまで言われるとこれから同級生とはいえ、女に会いに行くのが急に後ろめたくなり心の中で皆に頭を下げた。しかし一歩会社の外に出ればもう心臓はドキドキ、バクバクしてくる。だが多忙な政調会長がハナキン7時というゴールデンタイムに一人で歌舞伎町なんかフラフラと来れるものなのか怪しんだ。たとえ来るにしてもテレビで良く見かける黒いスーツで身を固めたイカツイSPに囲まれて店に入ってくるんじゃないか、などと悪い想像をした。
6時半にバードランドに到着した。マスターの須坂さんには「今日は一人連れが来るから」とだけ言っておいた。口の軽いマスターは「そういえばチュウちゃん、この店で里ちゃんのこと口説いたんだよな、あれってもう30年前になるかい」と遠い目で天井を見上げた。「それで今夜のお相手は?」とイタズラっぽく笑った。
「あのさぁ、今夜の連れはちょっと並じゃあないんだよな。まぁ来ればの話だけどさ」と謎めかして笑い返した。そう、来れば、の話だ。メールで理佳は「万難を排して行くわ」と言っていたが、オレですら顧客クレームに追われてんやわんやしているのに、政調会長なんかその100倍くらいてんやわんやの毎日なんだろう。今夜は来れないかもしれないってことはオレも理佳も心のどこかで覚悟している。

いつものとおりジャムセッションは7時から始まった。マスターの名調子の司会も毎度お馴染みである。オレの演奏は理佳が来てからということで特別に頼み込んでおいたが、9時を過ぎても理佳は店に姿を見せない。セッションのラストは10時、これを逃せば理佳はオレのピアノが聴けなくなる。でも姿は見せない。そうだよな、理佳は公僕たる政治家だ、日夜粉骨砕身働いているんだよ。オレみたいに飲んだくれてピアノ弾いているゴロツキとは違うんだ、と思って気を静めようとした。そう、理佳は今でもスーパーマドンナだよ。最終セッションでオレはそう思いながらトリオでピアノを弾いた。そして演奏は終わった。
「よう、チュウちゃん、その並じゃないっていうお連れにはフラれたのかい?」とマスターはオレをからかう。普段なら「いや~、またやられちゃったよ」と照れながら返すところだが今夜は「マスター、ちょっと黙っていてくれないか!」と声を荒げた。ただならぬ様子にマスターも気が付き「いや、悪かった」と黙ってテーブル席の方へ行ってしまった。
やっぱりガッカリだな、でもさあ、来られないのならメールの一本でもくれればいいんだよ、それを無連絡だなんていくらなんでもひどいじゃないか。やっぱり理佳はエラくなり過ぎてオレたち庶民を軽く見ているんだな。そう思いながらニッカをチビグラスにそのまま注ぎ、グイっと飲み干した。その瞬間、階段をドタドタっと降りるてくる足音が聞こえたかと思うと理佳が現れた。彼女は狭い店のカウンター席に座っているオレをすぐに見つけ
「須賀君、ゴメンナサ~イ、遅くなっちゃいました!」とオレの横に駆け寄ってきた。今夜は地味なグレーのビジネススーツ姿だ。いつも理佳はこうやって奇襲攻撃を仕掛けてきた。そのたびにオレは振り回された。今夜だってそうだ、もう諦めかけていた矢先に竜巻のように現れる。彼女はサッとオレの横の席に座り「まずは生ビール!」と吠えた。マスターは怪訝な顔で、
「あのう失礼ですが、もしかして貴女は自由党の…」と言いかけると理佳はウグイス嬢の真似をしながら
「はい、吉田理佳です。次の選挙では候補者名は吉田理佳、比例区では自由党、とお書きくださいね」とおどけた。きっと何千回も同じギャグを演じてきたのだろう。マスターはポカーンと口を開けたままでいる。
「おい、チュウちゃん。こんなエライ人となんでお知り合いなのさ?」素朴な疑問である。するとオレを制して理佳は
「マスター、この人はね、ワタシのクチビルを初めて奪った人なんです、しかも中学時代に」とマジ顔で言うもんだからマスターは二度ビックリ。
「恐れ入ったよ、チュウちゃん。要するにお二人は初恋の仲ってわけか。これはお邪魔ムシだった。ではごゆっくり」生ビールを注いで理佳の前に置くと調理場の中へ入って行った。

「本当にゴメンネ、須賀君。7時の約束が10時半になっちゃった。ちょっと言い訳させてもらえれば、今夜に限って税制調査会の座長やっている中村のジジイが自由党案を突然ひっくり返して、もう大騒ぎになっちゃったのよ。そもそも中村っていうジジイは学者あがりのカタブツでね…」こりゃまた長くなりそうだし、オレには関係ない話だ。
「吉田さん、もういいよ。超多忙なセンセイがオレなんかが出入りする店に来てくれただけで本当に感激なんだよ。それにオレの株も上がったみたいだしね」と照れてみせた。久しぶりに会ったんだし和やかに話を進めたかった。さっきまでの理佳への恨みもすっかり忘れていた。しかしなぜか理佳は黙ったまま目を伏せていた。
「須賀君らしくないわね。何よその吉田さんとか、センセイとか、株が上がったとか。よそよそしいったらありゃしない」。とポツリと言った。
「いや、気に障ったなら謝るが、でもなぁ、やっぱり中学の時のようにはいかないだろう、だからさ..」オレもちょっとしどろもどろになりながら言い訳じみたことを言った。でもなんでオレが謝るんだろうな?とも思った。さっきから理佳は目を伏せたままで、ビールにも口をつけない。
「どうかしたのかな、まずは乾杯しようじゃないか、久しぶりなんだしさ」とオレは明るい声をことさら張り上げると、理佳は
「今夜はもう帰ります。来るんじゃなかったわ」と席を立とうとした。
この一言でさすがにオレもキレた。
「メール一本よこさず3時間以上遅刻して、挙句の果てに訳も分からず帰ると言い放つのが常識人のすることかよ。おい、榎本、オマエ国会議員だからってテングになってんじゃねえか!」
うっ、イカン、思わず言っちまった。間違ってはいないと思うが相手は国会議員だ。ちょっとマズかったかなぁ、と思ったがもう遅い。あぁ、これでジ・エンドだな。すると理佳は中学の時に何度か見せたあのバラのような笑顔を見せながら、
「その一言を待っていたのよ、須賀君。さぁて今夜は朝まで飲むからね、付き合いなさいよ、年下の忠雄君!」と奇声を発して目の前のグラスビールを一気に飲み干した。そしてあのイルカ公園で口ずさんだキャンディーズの呪文を機嫌よく唱え始めた。

「淋しがりやで 生意気で 憎らしいけど 好きなの♪」

オレは呆気にとられたが、もう苦笑するしかない。この呪文の直後にあの公園でこの怪物女から初キスを奪われたんだからな。二人はいつしか40年前のベンチに座っているような気分になっていた。

「ねぇ、須賀君。今夜はあなたのピアノを聴きに来たのに残念だったわ」と惜しい顔をして言うので、ここは思いっきりシタリ顔をしながら、

「うん、さっきライブは終わっちまったけど、一曲くらいピアノソロを弾いたって今夜くらい罰は当たるまいよ。いいよね?」とマスターの方を向くと彼は笑顔を向けて頷いてくれた。

「何かリクエストはあるかい?そうだな、あの頃はオスカー・ピーターソンとか、それになぜかポール・モーリアなんかも弾いていたっけ」あの放課後の音楽室を思い出しながら言った。すると理佳は思いがけず、

「ショパンの別れの曲、卒業式の朝に須賀君がキザったらしく音楽室で女子たちに囲まれて弾いていたでしょう。私はあの時、廊下で一人聴いていたんだよ。だって皆の前で泣くのは恥ずかしかったんだもの」

真珠湾だのミッドウェイだのでオレの唇を目がけて奇襲攻撃した女子が、こんな乙女チックな思いをして卒業式の日に廊下の陰に隠れていたなんてな。

「別れの曲かぁ。何年も弾いていないからちゃんと弾けるか自信ないけどやってみるか」
オレは店奥の黒いピアノ椅子に腰を下ろしてちょっと思い出すように出だしの部分を幾小節か弾いてみた。うむ、これならまあまあ大丈夫だ。静かに情緒深く弾き続ける。そうか、この曲が理佳への最後の曲となっていたのか、気が付かなかったよ。しかし皮肉なもんだ。別れの曲が40年後に出会いの曲になったなんて、ショパン大先生もビックリだろう。
カウンター席に戻ると理佳は涙を浮かべているようだった。彼女は「元祖ヤマトナデシコ七変化」である。マドンナたちのララバイかと思いきや妖怪人間ベラにでも変身する。オレに対しても恫喝するボヘミアンかと思えば男にすがりつく恋の奴隷にもなる。中学の時から身に付けていた天才的な演技力は政治家としても十分に役立っているはずだ。カウンター席に戻ると、いきなり理佳節が始まった。

「須賀君。あなたのおかげで、今夜は私の生涯で最高に幸せな日になりました。奇跡のような日枝神社での再会、そして卒業式の日の朝に聴いた別れの曲をここでまた聴けるなんて…」

あぁ、理佳は自分で自分の演説に酔っている。でもそれを聞いているオレだってもちろん幸せだ。この瞬間の二人はタイムマシーンで高杉中時代に戻っている。それにしても理佳は酒豪だ。いくら飲んでもシャキッとしているし話も乱れない。それに比べてオレはなんだかもう眠くなってきた。もともとそれほど酒が強くないし、今夜はピアノ演奏やら理佳に待ちぼうけをくらったこともあって少し疲れていた。時計が午前零時を回ったころ、
「榎本、今夜は来てくれて本当にありがとう。これからはオレ、榎本や自由党を応援するよ。それじゃまたメール連絡させてくれよ。もっとも榎本はオレと違ってヒマじゃないし、なかなか会えそうもないけどな」と言って席を立とうとすると、あの懐かしいセリフがまた鋭く飛んできた。

「須賀君のバカ!」

はぁ?また意味わかんねぇよ。オマエのことを応援するって言っているのに、なんでバカ扱いされるんだろう。

「さっき言ったでしょう?今夜は朝まで飲むんだって。なんでレディを置き去りにして帰るわけ?」あの恨めしそうな目で見上げてきた。

「だってオマエ、おエライさんだからどこかでクルマ待たせているんだろ?オレは最終電車の時間だし」

「つべこべ言わずここに座りなさい、忠雄君。シンデレラ時間過ぎたら私の出番だわ」
スーパーマドンナに逆らわない方がいいな、ここは朝まで付き合うか。里子にはメールで「常連客と朝まで飲むことになっちまったので先に寝ていてくれ」とでも言っておこう。

「そうか、それじゃオールナイトで楽しもうじゃないの、年上の理佳さま」
オレは気合を入れなおして、またウィスキーをチビリチビリとだがやり始めた。何より奇跡のように理佳と会えたのが嬉しい。相手が国会議員だろうがパート主婦だろうが関係ない。とにかく思春期の二人、心はチグハグのまま卒業してしまったが、40年前の思い出話を歌舞伎町でできるなんてすごい話だ。しかし肝心の自分の理佳に対する思いをまだ伝えていない。よし、今夜はゆっくりオレの正直な気持ちを話す絶好の機会だ。
「理佳、聞いてくれ。オレ実はさぁ…」
ここでアクシデントが突然オレを襲った。ウィスキーの飲みすぎでカクっと来たかと思うと、そのままカウンター席の後ろに倒れちまった。理佳が驚いて「須賀君、大丈夫?」と覆いかぶさった。あ、デジャヴューだ。二人が初めてまともに口をきいた中2の美術の時間、オレが石膏壺を割ったあの事件が一瞬思い出された。マスターの「ああ、大丈夫ですよ。こいつは飲みすぎるとこうやっていつも寝ちまうんです」という声だけは覚えているが、その後は全く記憶にない。

目が覚めると、オレはベッドの上に横たわっていた。ここがどこなのかサッパリわからないが、どこかの家の寝室のようだ。サイドテーブルに目をやると、「おはよう、須賀君。目が覚めたら横の電話でこの内線番号を押してね」と書いたメモが置いてある。どうもあの後、理佳の自宅へ運ばれたらしい。なんという失態だ、穴があったら入りたいような恥ずかしさをこらえながら受話器をとった。理佳のウグイス嬢のような声が聞こえてきた。

「須賀様、お目覚めはいかがでございましよう?只今そちらに参りますので少々お待ちください」間もなく白いセーター姿の理佳がニコニコしながら部屋に入ってきた。
「あの後ね、大変だったんだから。須賀君ったら泥のように眠って動かないし、仕方ないからマスターの飯坂さんと私で駅前のタクシー乗り場まで運んで、やっとウチまで連れてきたけど、玄関から私一人でこの部屋にあなたを押し込んだんだからね」
あー、みっともない。そして礼を言う前に恐る恐る質問をした。
「あのう、ご主人は?」
理佳は覚悟していたように答えた。
「1年前から別居中なのよ。もう公然の秘密になっちゃっているけど」
そうか、そうだったのか。長居は無用だ、サッサと引き揚げよう。
「いや、本当に迷惑をかけてしまって申し訳ない。すぐに退散します」
ハンガーに掛けたコートとジャケットに手を掛けようとした。

「須賀君、そんなに私のことが今でも嫌いなの?」

あぁ、そうだった。オレはまだ自分の正直な気持ちを理佳に伝えていなかったんだ。理佳はまだ誤解したままだったんだ。

「いや、そんなことではなくて女の一人住まいにオレなんかが朝っぱらから一緒にいたらオマエに迷惑がかかると思ってね」と弁解すると、理佳は嬉しそうに笑った。
「きゃぁ~、オマエだって! ねぇ須賀君、早くシャワーでも浴びてさっぱりしたら一緒に朝ごはん食べよう。高杉中の仲間なのに遠慮なんかしたら許さないから」

ご主人と別居中と聞いてオレも一瞬ときめいた。今さら理佳をどうこうしようとは思わないが、土曜日の朝に思いがけず彼女の家で朝飯が食えるなんて、昨夜に引き続きハプニングの連続でウキウキする。オレもホイホイと浴室でシャワーを浴びた後、広い庭に面したダイニングルームの椅子に座った。トースト、ハムエッグ、コーヒーにトマトジュースだけの簡単な朝食ではあったが、朝陽の差し込む部屋で54歳の理佳は輝いて見える。とても孫がいる女には見えないな。しばらく二人は向かい合って黙って食事をしていたが、同時に
「あのさ」
と声が出たので二人で吹き出した。理佳は
「忠雄君からどうぞ」と言うのでオレはこの場で全部オレの理佳への思いをぶつけるつもりで、一呼吸置いてから、
「40年だよな、あれからさ。オレさぁ、中学では榎本にずっとツラく当たっていたんだけれどね…」
そこで理佳は突然手でオレの話をさえぎった。
「忠雄君、その先は言わない約束だったでしょ?私がどんな思いをしてあのイルカ公園であなたの唇を塞いだと思っているのよ!同じ班なのにあなたから無視されてどれだけツライ思いをしたのか分かっているはず。それなのに40年経った今も同じセリフで私のことを苦しめるの!」理佳のやつ、オレの告白を全部聞かないうちうちに被害妄想を膨らませている。

「いや、それは誤解だよ。オレはな、榎本、本当はオマエのことが高杉中の時から好きだったんだよ」

理佳は目をキョトンとしていたが、やがてけたたましく大笑いした。

「それはそれはありがとう、須賀君。でもね、いくら一宿一飯の恩義があっても、そこまでおっしゃって頂くことはありませんことよ。あなたには同じ班で隣席だったのにバレンタインデーでも卒業式の日まで無視されて、その後一度もあなたには会わなかった。それを今になって逆告白されるなんて、あはは~、チュウちゃんに座布団三枚!」
理佳は泣いているのか笑っているのか分からない目をしてでオレを睨んでいる。

オレはグッと我慢した。理佳がそう言いたくなる気持ちはよくわかるし。彼女にとってみれば「今さらジロー」なのだから。しかし理佳が今オレのことをどう思っていようと、オレの気持ちだけは伝えておきたい。きっと今日がその最後の機会なのだ。

「理佳、オマエがそう言うのはよくわかるよ。高杉中時代、デキ過ぎ、美少女で学級委員のオマエのことに反発して無視していたのは事実だ。そうでもしなければ落ちこぼれのオレは自分がミジメでしょうがなかったんだよ。でもそんな狭い心のオレに対して、マドンナと呼ばれていたオマエが体当たりしてきたのに驚いたし圧倒された。オマエから2度もコクられたのにおれは無視し続けた。でも卒業式の日に「須賀君にイジメられてきた」と言われて別れてしまってから分かったよ。オレの本心は、オマエのような何でもできる生徒になりたい、オマエのような度胸のある人間になりたい、オマエのようなクラスの人気者になりたい、でもそうなれないからオマエのことを嫌うフリをしていた。心の底では、オマエに憧れていたんだよ、好きだったし、尊敬もしていたし、弟のように甘えたかった。それに気づきながらオレのつまらない意地が邪魔をして好きだと言えなかったんだ。これは今だから言える真実なんだよ」

オレにしては良くできた演説だったと思う。簡潔に40年閉じ込めていた正直な思いを本人の前で言えた。良かったな、忠雄。これで思い残すことはない。理佳はジッと聞いていたが、

「ねぇ、私、あなたに渡したいものがあるの、それはここじゃなくてもっと相応しい場所があるのよ。来週の土曜日、空いているかしら?そう2月14日の高杉中の屋上であなたに渡したいの。チョコレートなんかじゃないわよ。もっと大事なものです」

「あぁ、いいよ。あれからちょうど40年目のバレンタインデーだな。何もかも偶然が重なるもんだ。しかし学校の屋上なんか、オレたち父兄でもないのに勝手に入ってもいいのか?」

「うん、大丈夫。区立中ではね、受付に来訪者名簿が置いてあるからそこの卒業生の欄に名前を書けば誰でも入れるわ。時間は40年前と同じ3時半にしようね。その時に渡します」

「なんだい、その渡すものって?」

「ネタバレはしません」

理佳は明るく笑った。

2017年2月14日 土曜日 午後3時半

オレと理佳は高杉中の屋上に立っていた。ちょうど40年前の風景と何も変わっていない。理佳が泣きじゃくった階段の踊り場もそのままだ。陽は徐々に傾き、二人の影は少しずつ伸びてゆく。理佳とオレはずっと黙っていた。あの時のことがつい先週のように一コマ一コマが浮かびあってくる。
「須賀君、あの時と全然変わっていないね。中2の私たちから見れば54歳なんてジイサン、バアサンだけれど、あっという間にお互いにそうなっちゃったわ、浦島太郎みたい」と言って笑った。
「オレさ、榎本の泣きじゃくる声がまだ耳に響いているよ。今ごろ詫びてもしょうがないけどな」と寂しく笑った。
理佳は内ポケットからなにやら取り出して言った。
「これ、なんだかわかるかしら?須賀君もあの時チラッとだけ見たはずなんだけどな」
手渡されてオレはすぐにそれが何か分かったが、信じられなかった・
「榎本、まさかこれ、あの時にオレに渡そうとした手紙なのかよ?」
驚きのあまり手が震えるのが自分でも分かった。
「これね、もうボロボロでしょ。40年前の今日、この手紙を須賀君に渡せなくてね、それ以来ずっと今日まで肌身離さず持ち歩いていたの。結婚してからも持ち歩いていたんだからね。なぜだかわかる?それはね、私みたいなスーパーウーマン、男たちを蹴り落としてのし上がる世界に住む女のたった一つの青春の想い出、宝物だからなの。この40年間、あなたのことは忘れなかったわ。だから日枝神社で偶然出会った時もすぐにわかった」オレの涙腺はもう緩みっぱなし。そして理佳は続けて言った。

「それじゃ、手紙を読んでください」

オレは涙で目をにじませながらボロボロになった小さい水色の封筒から白いメモ用紙を引っ張り出した。たった一行こう書いてあった。

「須賀君に会えて幸せです」

二人は沈みゆく夕陽を並んで眺めている。

「あの日の夕陽と同じだな、榎本」
「うん、あの時の風は悲しい朱色だった。でも今日は幸せな水色だわ」
「オレも榎本に会えて幸せだ。今日になってやっと言えたよ」

懐かしい「恋はみずいろ」の旋律が二人の耳元で響いている。
屋上は40年間ずっと二人のことを待ってくれていてくれた。(終わり)

風の色

風の色

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-10

Public Domain
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  1. 第一話 屋上のバレンタイン
  2. 第二話 ドラフト指名
  3. 第三話 ラプソディー・イン・ブルー
  4. 第四話 音楽室
  5. 第五話 イルカ公園
  6. 第6話 結婚
  7. 第7話 再会
  8. 第8話 風の色