Porträt

 カタカタと、キーボードの音が響く。
 奏でているのは、珍しく情報官ではなくユリアである。しかめ面で液晶と睨み合っている彼女の顔には、これまた珍しい事に若干の焦りの色が浮かんでいた。そろそろ報告書も期限が近いのだが、その進度はどうやら芳しくないらしい。相当の早さで文字を打ち込んではデリートキーの連打音が続く。
 普段パソコンの代名詞であるリャンユイはといえば、丁度作品を仕上げた所で力尽き、ユリアの左向かいで机に突っ伏し、文字通り死んだように眠っている。
 その隣ではクラウスが大人しく粛々と本を読んでいた。空気を読むのが上手い彼なりの、隊長への配慮だ。向かい合って座るラインハルトも同様だが、こちらは単に本が気に入っただけである。
 故に、それを読み終えてしまうとぼそりと呟いた。
「あー……暇だな」
「じゃートランプでもどうよ、大将?」
 隣に座るアルベルトがニヤリと声をかける。
「掛け金はそうな、こんなもんで」
 ぴっと突き出した指は三本、それで察したラインハルトはへえ、と意外そうに声を上げる。
「強気じゃん」
「いや、ちょっと金欠でなー」
「あ、悪いな。拍車掛けるわ、オレ」
「はっ、そう一筋縄じゃやられねーよ。前線じゃ負け無しのラッキーガイで慣らした俺だぜ?」
「言ってろ人事運底辺が。まー取り敢えず、二人じゃ面白くないしなー」
 言って周囲を見渡すラインハルト。
「リーさん……は、やらないな。シェレン、お前は?」
 気安く掛けられた声に、ぴくりと反応して顔を上げたユリアは、見るも見事な三白眼である。
「……お前等が遊ぶのには何も言わないさ? 仮にここが執務室であろうとね。が、私は仕事中だ、即ち忙しい。頼むから放っといてくれ、つーか見て分かれ」
「あっそう。つまんねー」
 至極本音のその台詞に、ユリアから出るオーラが暗さを増す。苦虫を噛み潰したような表情で、一言一言噛み締めるようにゆっくりと。
「お前な……誰の出撃報告を、どんなレベルで誤魔化してると思ってるんだ……?」
「あー、はいはい」
 最早怨念に近いものが相当に込められた台詞を二つ返事で受け流すと、ラインハルトは続けて新たな獲物に目を付ける。
「じゃあクラウスは?」
「掛け金なしなら乗ります」
 本から目を上げずに答えるクラウスに、アルベルトがチッと舌打ちをする。
「けーッ、相変わらずツレねーなー」
「おれはしがない一般兵なので。生憎と先輩方に寄付もといスられるだけのお金は持ち合わせてません」
「ったく、これだから士官学校出は」
 やれやれ、とアルベルトが苦笑と共にいつもの苦言を呈す。
と、不意に外からどたばたと足音が聞こえた――かと思うと、執務室の扉が乱暴に開かれる。
「失礼しますッ! 大変だよ!!」
 急ぎながらも律儀に挨拶をして入って来たのは、正式には空軍に籍を置くミヒャエルである。肩で息をしている所を見るに、相当慌てていたようだ。
「おうミヒャエル、久し振り。お前もどう? 一戦」
「それどころじゃないよ、聞いてよ!」
「いやー聞いてるけど」
 入る時といい相変わらず律儀だよな、とアルベルト。
「上げ足取ってる場合じゃないってリッター、見てよこれ」
 ごそごそと、落ち着かない手つきで内ポケットを探る。
「――こんなの、出回ってたんだけど。」
 ミヒャエルが、そんな台詞と共に差し出したのは。
「……何コレ、オレ等の写真?」
「あ? 撮られた覚えねーけど……おいクラウス、お前のもあるぞ」
「え? 何ですかそれ?」
 良い大人の繰り広げる騒動には我関せずを決め込んでいたクラウスも、流石に訝って身を乗り出して来る。
 見せられた写真には、成程確かに十四分隊のメンバーが写っていた。
しかも、何だか妙にキマっている。
 例えば、カッターシャツを第二ボタンまで開けて、気だるそうな流し眼を(カメラと反対に)送るラインハルトだとか。
 例えば、愛車のバイクの手入れをし終わって、実に満足げに目を細めるアルベルトリート(に対し明らかに望遠レンズを使用)だとか。
 例えば、余程嬉しい事でもあったのか、満面の笑みを浮かべるミヒャエル(の横顔)だとか。
 真剣な表情で読書に励む(カメラに気付いていない)クラウスだとか。
 それぞれ四、五枚手にして見ても、まだ余りがある。総じて三十枚近くはあろうか、結構な量だった。
「これが出回ってるってどういうこったよ?」
「うん、コレをね。その辺の女性事務官が持ってた。」
「……は?」
「しかもね、一人じゃないんだよ……十人単位で。」
「……はぁッ!?」
 トンデモな爆弾発言に、にわかに騒然となる執務室。
「いや、何それ!?」
「あ、でも言われてみれば何かアングルが盗撮っぽい!」
「いや、それヤバくね? 確実に問題だろ」
「だよね? 軍規違反でしょ」
「うわー誰だよ」
「怖ぇえなー……」
 ざわつく執務室。しかしそこにあって一人呆れたように溜息を吐く人物がいた。それに気付いたクラウスは、彼女に声をかける。
「……隊長? 妙に落ち着いてますね」
「いや、見りゃ分かるだろ」
「え? ……あ。」
 その時である。見覚えのある――撮られた覚えのある写真を、彼が見つけたのは。
「ん? どしたクラウス」
「……何か、分かった気がします。」
 それはクラウスが隊に所属になったばかりの頃のもので、新人らしく初々しさが滲んだ、しかし凛々しい表情が印象的だ。
そして、その写真は正面からのアングルで撮られたもので。
つまり彼は、コレを撮った人物に心当たりがあった。
――優しげな笑顔で「良い記念になりますよ」なんてのたまっていた人物を、彼は躊躇なく叩き起こす。
「リー少尉。」
「……んー……?」
 一文字ずつ区切るようなクラウスの呼びかけに、うめき声なのか寝言なのかというような返答が帰って来る。
「少尉。起きて下さい」
「ああ……何ですか、クラウス君?」
「これ、あなたが撮ったんですよね」
「えー……?」
 眼鏡を掛けながら写真を受け取るリャンユイ。それを二、三秒じっと眺めると、彼はあっさりと返答する。
「ああはい、そうですよ。」
 周囲が理解に要した時間、数秒の後。
『……お前か――ッ!!』
 成人男性三人による大合唱が響き渡る中、しかし一人ユリアだけが納得したような顔で頷いていた。
「やっぱりな、最近やけに写真(スナップ)撮ってると思ったら。何、どういう風の吹き回しだ?」
 ユリアの問いに、リャンユイはへらりと笑って答える。
「いやーウチの隊結構美形揃いじゃないですか。お金払ってでも写真欲しい人、意外と多くてですね」
「売ってたの!? てかそういう話じゃないよね!?」
「お前肖像権ってもん知らねぇのか情報官!!」
「知ってますよ! 無視しただけで!」
「どうして開き直ってその剣幕!? そして何故にそこ無視出来たんですか!?」
「だってクラウス君、今は月末ですよ? 世の大半の人間が金欠になる時期ですって。アルベルトさんだって掛けトランプするでしょ?」
「一緒にすんなや! お前に比べりゃ可愛いモンだ!」
「これ思いっきり個人情報流出してんじゃん、どーすんだよ!」
 非常に珍しく常識的な事を言うラインハルトに、対するリャンユイは相変わらずの笑顔で応じる。
「まあアレです、大丈夫ですよ」
「何がだ!」
「ベストショットは秘蔵してますから。」
「……うん、マジ顔のドヤ顔で言わないで。変態っぽい。」
 笑顔のままのミヒャエルの台詞を特に傷ついた風も無く聞き流し、リャンユイは続ける。
「いや、一旦存在を知らしめてから出荷調整掛けて希少価値が高くなった所で売り払おうかと」
「そういうのに使う頭と労力は持ってるんだよなー」
 他んトコに使ってくれないかなーと苦笑する隊長に、笑顔を一ミリも崩さず無理ですと即答する情報官。
徹底した悪びれなさに周囲の方が疲れて来たのか、段々と追及のテンションが下がって来る。
「なあお前、面倒臭いから殴っていい? てか殴るよ?」
「ったくもー、どーすんだよコレ」
「出荷元責任取れるんですか?」
「いや、一回売ったのに回収は出来ませんよー金銭的な意味で」
「あーもー話になんない! 隊長! なんか言ってやって下さい!」
 遂に困った時の隊長頼みを使うミヒャエルだが、しかし当のユリアはそこまで真剣にはとり合っていないようで。
「まー写真くらいならどうって事無いだろ」
「隊長っ!!」
「どうせ買う奴はこっちの顔分かってて買ってる訳だし、それに」
 台詞を切って数枚写真を手に取り、満足そうに眺めるユリア。
「見た感じ良く撮れてるじゃないか」
「そうですよ、結構自信作です。本職舐めないで下さい」
 脈絡のない自慢をするリャンユイに、ミヒャエルとラインハルトが食ってかかる。
「だから困るんじゃないか!」
「変なファンでも付いたらどうしてくれるよ!」
「……うわあ、女難の切実に贅沢な悩みだ」
「………………。」
 呆れ半分で呟かれたクラウスの台詞に、どうしてコイツらばっかり、と哀しくなったアルベルトだった。
「あーもう、オレは自分の分だけでも回収するぞ、意地でもな」
「ああそれ、僕も手伝うから一緒にお願いしたいなぁ」
「えー回収しちゃうんですかー?」
「お前はちょっと黙ってろ!」
 ぎゃいぎゃい騒ぎ立てる男性陣を生温かく見守りながら、写真に目を通していくユリアだったが――しかし、一枚の写真で手を止める。
「…………これは」
「……隊長? どうしました?」
 異変に気付いたクラウスが訊ねるが、彼女は答えない。つかつかと騒ぎに歩み寄る、その手には何故か愛用のアルミ製十五センチ定規が握られている。
 隊長の動きに気付いた部下達が動きを止めたその瞬間を上手く突き、ユリアは静かに声をかける。
「――リーさん。ちょっとそこに直れ?」
「は?」
「コレ、何?」
 そう言って彼女が見せたのは、彼女が手を止めた一枚の写真。写っているのは、特に何という事もなく煙草をふかしている彼女自身だった。纏う気だるそうな気配が、良い感じの雰囲気を醸し出している一枚だ。
「ああ、なかなからしくて良い写真でしょう? 隊長はやっぱり士官学生層とかに需要があってですね。公式に名前が売れてると違う――」
「君、私が写真嫌いなの知ってるよな?」
「え? ……ああ、そう言えば」
「……良し(グート)、いい度胸だ」
 瞬間、首筋を掠める微かな痛み。
それが定規での突きだと悟るまで数秒、我に返った時には彼女は穏やかな微笑を浮かべていた。
その笑顔を見て、その場の全員が悟る。
 ――あ、マズった。
「お前さぁ」
 見た目だけは柔らかな笑顔と猫なで声で話しかけながら、ユリアは獲物の輪郭をつぅっと定規でなぞる。彼の背筋に悪寒が走るのは、定規がアルミ製なだけではない筈だ。
「ねぇ? 帝国陸軍の最果てみたいなこの部隊で、万が一にもやらかしたらどうなるか分かってるよなぁ? 何? そんなに仕事辞めたい? 無職系男子ですか? 流行ると思う?」
「……は、流行らないんじゃないかと……」
「黙れ。」
「はいっ。」
 何でそんなに斬れそうなんですかそれは本当に定規ですか!! と喉元に突き付けられた定規に内心悲鳴を上げながら、一歩後ずさるリャンユイ。対するユリアは追い打ちを掛けるように続ける。
「これでも君には目を掛けてあげてたつもりなんだけど。残念だなぁ、心から遺憾の意を表明したいね。まさか君を査問委員会に売り渡す日が来るとは思わなかったよ。本当に残念でならないなぁ」
「そ、それはあのマジで止め、」
「うん? 何か言ったか? 何なら今すぐこの場の全員に、隊長権限で君に向けての強襲命令(アサルトオーダー)掛けても良いんだが? なあ?」
「分かりましたごめんなさい俺が悪かったです!!」
 観念したらしいリャンユイが叫ぶ。ついうっかり一人称が素に戻った事にも気付かないテンパりようだった。
「……ふむ。認めたな?」
 ユリアは真顔に戻って定規を一旦彼から離すと、再度その鼻先へと突き付ける。
「という事は、次にやる事は?」
「……全写真を責任を持って回収させて頂きます」
 土下座すらしそうな勢いのリャンユイに、ユリアはようやく定規を上げると、満足そうに頷いた。
「宜しい(グート)。」
 ――それが勝利宣言だった。
「よしっ! 良くやったシェレン!」
「隊長流石です!」
「いやぁ魅せるねぇ!」
「よッ、帝国の魔法博士!」
 やんややんやと彼女を持ちあげる部下達に、しかし彼女はきょとん、と一瞥をくれる。
「え? いや」
 そして、何の悪気もない顔で一言。
「誰もお前等の分もとは言ってないが」
「……はあッ!?」
「お前等ひいてはここの名が売れる分には歓迎だからな。宣伝効果は高そうだし。私の分以外は回収させるつもりはないよ?」
 むしろ良いぞもっとやれというか、としれっとのたまう隊長に、意気揚々とガッツポーズを取るリャンユイと、肩を落とすその他隊員。
「ふざけんな! 何でだよ!」
「回収させて下さいよ! 多分僕等じゃてこでも動かないんですから!」
「自分で交渉すれば良いだろ……ああそうだ、リーさん」
 ニヤリ、と笑って彼女は腹心の文官に問う。
「その写真、データは残ってるんだろ?」
「勿論バックアップも万全です、隊長」
「……だ、そうだ。御愁傷様だな」
 はっ、と鼻で一笑するユリア。
「くっ、自分が免れたからって……!」
「はっはー。悔しかったら中間管理職で胃の痛い思いをするんだな」
 からからと高笑いをする隊長に、新人士官は胡散臭そうな半眼で訊ねる。
「……隊長、地味に楽しんでません?」
 対する答えはあっけらかんとしたもので。
「うんまあ。報告書の意趣返し。」
「……畜生! コレは抵抗できない! 殺られる!」
「いや、オレは自力ででも回収する! 言われのない言いがかりで刺されたくない!」
「いや君どんな昼ドラな人生送ってるのヴァルトス!?」
「お前まで昼ドラ言うな! 頼むから!」
 ラインハルトの矛先が逸れたその瞬間を狙って、リャンユイがここぞとばかりにまくし立てる。
「大体ですね! そもそも写真売って売れる方が悪いんですよ!」
「何その究極の開き直り!?」
「だって売りたくたって売れない人だっているんですよ!? 私とかサトーさんとか、後」
 言いかけた台詞を一度切るリャンユイ。意図的に一呼吸おいて、彼は遠い目をして呟いた。
「――マルセル大佐とか。」
『……………………ああ。』
 その一言に全員沈静化し、この場に居ない他所の隊長へ向けて、誰からともなく合掌したのだった。



 ――何だかんだで、その後。
 隊員達の必死の回収も、残念ながら機材をフルに使用した量産には勝てず。
 十四分隊のブロマイドもどきは、今も結構な数が帝国軍内に出回っているらしい。
ラインハルトの写真を持って戦場に行くと弾が当たらないとか、ハートマンのを持ってると撃墜されないとか、そんな都市伝説的な噂と共に。

 ……余談だが、一部のコアな女性隊員の間で、好きなカップリングのツーショットが倍額で取引されたりしたのは、彼等も知らない話である。

Porträt

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  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-08

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