あの日、僕は天使の羽を

サァーと風が吹き、木々がサワサワと揺れる


入院病棟4号下のベンチから見える桜の木はまだ葉を身に纏っておらず、寂しげだった



4病棟前の広場で、子供がサッカーをしているのが見えた



俺は、ベンチに暖かいココアを置き、

寂しげな桜に近づく



木の根元に、マーガレットを置いた




『今日でもう3年だってよ。早えな、』




木に向かって語りかければ、サワサワと揺れる枝



彼女が答えているかのようだった



”ますだくん、”



彼女の優しい声が、耳元に蘇る__

1

初めてだった。



心の底からこんなにも人間を愛したのは。



怪我をしてから愛する感情が欠如して



表情もなくなった。



人間なんか、嫌いだ。従って自分も嫌いだ。

自分を愛してくれる人間など、この世に存在しない



自分でそう決めつけて、世界を憎んだ。


僕の世界は灰色だった





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





ピーッ



笛の音がする。




ボールをつく音に



キュッキュッ、と鳴る靴



ラスト3秒





遠くからダメ押しでボールを放ると、





まるでドラマのように美しく弧を描いてゴールに吸い込まれた




《やった!増田!!勝ったぞ!!サヨナラ勝ちだ!全国だ!!》




キャプテンが歓喜して叫ぶ



チームメイトの感情は最高潮になり、出場選手はもちろん、控えの選手ももみくちゃになって喜びを分かち合った



みんなの笑顔が弾けた



幸せだった。



最高の気分だった



だが、その帰り道。





俺は思わぬ形で、世界の色を失うことになった

2

試合の帰り道、いつもの交差点で信号待ちをしていると、

一台の軽トラックが走って来た


なんだか、フラフラしていて危ない。



怖いな、と思ったその瞬間






プワァッーー!





クラクションがけたたましい音を立て、

ヘッドライトがカッと照らしつけた





やばい、と思った時にはもう遅くて





ドン





体に鈍い衝撃が走り、俺は脇道に跳ね飛ばされた









白いスウェットが、赤く染まっていく



口の中は何やら酸っぱくて気持ち悪い




ああ、死ぬのかな…




俺はそのまま意識を手放した

3

目が覚めた時、俺は全てを悟った。



全てが異様なほど白い無機質な病室。



神妙な表情でベッド際に立つ、看護婦。



【目が覚めましたね、ただいま主治医が参りますので】



その看護婦は単調にそう述べると、すたすたとその場を去った



程なくして、主治医であろう恰幅のいい白衣姿の男が姿を現した



【率直に申し上げますと、足は無事です。】



”切断でしょう”か”歩けなくなるでしょう”を想像した俺は拍子抜けした



なんだ、ならいいや。ちゃんと治せばいい話__




【ただ、誠に残念ですが、スポーツは諦めてください】





…は?

冗談だろ?

歩けるようになるのに、スポーツは諦めてください?

どういうことだよ…




【神経を損傷しています。今は辛うじて大丈夫ですが、無理をすると再発の恐れがあります。長く歩くことも、極力控えてください】




では、とカーテンをシャッ!と閉めて去っていく主治医と看護師を、睨みつけながら見送った

4

ああ、むしゃくしゃする。

自分の中のモヤモヤはどうしたって消えてくれない

全国への道は完全に絶たれ、その上、二度とバスケはできない。

残酷すぎるその運命に、俺は絶望した。

毎日お見舞いに来てくれる母親や友人たちも、きっと俺のことを”哀れだ” ”可哀想だ”なんて思ってんだろう。

そう思うと、胸糞が悪く、はらわたが煮えくりかえる思いだった



「二度と来るな。お前らの顔なんか、見たくない」


つい、そう言い放ってしまった。


流石の母親も、俺を叱りつけた。


母さんには分からないだろうよ。

俺の苦しみなんか。

二度と好きなことができない、それどころか運動すらできるか分からない。

歩くこともやっとかもしれない

そんな状況で、普通でいる方が無理だった


「ああ、死にてえ…」


毎日そう呟いた


そんなとある日


俺は病棟を移ることになった


単純に第1病棟がいっぱいで、すぐにでも入る必要のある患者がいるとの事だった。

別にどうでもよかった。


運動できないことに変わりはないのだから。


そして俺は、【第4病棟】と書かれた病棟の一室に足を踏み入れた

5

病室は思ったより広かった。





白いカーテンが風に吹かれて優しく揺れる





ため息をついてベッドに荷物を放った。




痛む足を引きずりながら、やっとの事でベッドに腰を下ろすと、


入り口からは見えなかった窓辺が見える




揺らめくカーテンの先に見えたのは






『え…?』






少女。






窓の外をぼんやりと空っぽの瞳で見つめている






『お前、誰?』




少女は軽く首を動かした




「わたし?」




『お前しかいないだろ』




「誰だろうね、」



彼女はきゅっと口角を上げた





『名前は』



「斎藤美優」





透き通るような肌に、茶色の髪


色素の薄い茶色の瞳は太陽に照らされて煌めいている





『何見てんの』




「さあね、」





俺は戸惑いが隠せなかった。



馬鹿にしてんのか?弄んでんのか?


それとも……





『なあ、』



「なあに?」



『俺の足、見える?』



包帯で処置されてはいるものの、少し傷がはみ出していて生々しい。






しかし、彼女はこちらを振り返る素振りも見せなかった





「痛そうだね。」



『見ないで分かんの。』



「想像。」




彼女が悪戯っぽく笑う





「君は?」


『え?』


「なんて名前?』



『…増田貴久』


「増田貴久くん、ね」



いい名前、とまた微笑む



マイペースなのか何なのかよく分からない彼女のペースに、俺は完璧に飲み込まれていた





「ますだくん、」


『…何』


「今日はどんな天気?」





彼女の瞳には、目の前に広がる綺麗な青空が映っている





間違いなく、彼女は見ているはずだ。





『晴れ、だけど…』





彼女は、へえ、と楽しそうに笑った





俺の中に、1つの疑念…

いや、確信に近い疑念が生じていた



『なぁ、』



彼女の手に触れ、語りかける





彼女は驚いてこちらを見た………






いや、見ていない。






確かに顔をこちらに向けているが、焦点がちっとも合わない。





俺の疑問は確信へと変わった







『あんた、目見えてないだろ』

6

彼女の目がゆっくり瞬いた






「…どうしてそう思うの?」


『俺の目、見てみ』



つい、強い口調になってしまった。





彼女は哀しそうに目を伏せた




『あ…悪い、言いすぎた……』


「いいの、私が悪いんだから」





また、哀しそうに微笑むから




『本当に…ごめん…』




胸が締め付けられた





「私ね」




彼女が手をまさぐり始めたので


思わずその手を取った





「突然見えなくなったの」





小さい頃にね、と彼女が付け加え、俺の手をぎゅっと握った




「だからあんまり覚えてないんだ。きっと素敵でしょうね、晴れ。」





彼女の瞳が切なそうに湾曲した





「でもね、1つだけ覚えてるの」




『何…を?』




「白い、花。真ん中が黄色なの」




『マーガレット?』



「そう!その花で、よく花冠を作ってて」




マーガレット、か…



何気なく外に目をやれば、無数のマーガレットの花



偶然にしては出来すぎているが




『待ってろ』



ポカンとする彼女を置いて、急げる限り早歩きで花畑へ向かった





春の生暖かい風が髪をかきあげる



花を目の前にして初めて、自分が花冠なんか作ったことがないことを思い出した



でもそんなことは気にならなかった




できる気がしたのだ





俺は一体何をしているんだろう、と自問自答を繰り返したが、作る手は止めなかった





こうしているうちに、どうやったかこそ分からないものの



なんとか形になったそれをそっと持ち、再び病室へ向かった




人の気配を感じ取ったのか、彼女はハッと振り返った





「ますだくん……?」



『ほらっ…』



彼女の頭に、出来上がった花冠を乗せてやった



「これ……」



『花冠。マーガレットの』



頭の方をまさぐる彼女の手を花冠に触れさせると、


彼女の顔がパァッと輝いた



「凄い…!嬉しい…!」



『いや、物凄い不恰好で…』



「そんなの関係ないよ!ありがとう…!!」




嬉しそうに微笑む彼女に、俺も思わず笑顔になった





「ますだくん、」



彼女が手を伸ばすので、その手を取る




「顔、触っていい?あ、目瞑って?指がささっちゃうから」




俺は言われた通りに目を瞑る





彼女の手が、心地よく頬や鼻筋、顎を撫でた





「ますだくん、綺麗な顔してるね、」





なんて、彼女は無邪気に笑う




不思議と嫌な気はしなかった





「花冠、本当にありがとう」





頭に乗っかった花冠は、大分不恰好だったが、



それを感じさせないくらい、彼女はマーガレットの花冠がよく似合った。





『どういたしまして。』






幸せそうに微笑む彼女を眺めながら、俺の冷たくなっていた心も、



じんわり暖かくなるのを感じていた

7

共同病室の夕暮れは早かった




その日までは、もう2度と人間と話したくない、関わりたくないと思ったのに



何故だか彼女とはすぐに打ち解けた



午後6時




リーンと部屋の時計がなると、ガラガラと病室が開く音がした




看護師…か?




入り口に目をやるとそこに看護師の姿はなく、代わりに茶髪の長身かつ細身な、感じの良い男が立っていた




小【美優、知り合い?】




男は驚いた様子でこちらを見ていた。






「あっ、お兄ちゃん」





『お兄ちゃん?』




小【えっと…君は?】





「その子は増田くんだよ。今日からここに入ったの」





”お兄ちゃん”と呼ばれた茶髪の男はにこりと微笑んで頭を下げた





小【美優がお世話になっております】




『あ、いや、こちらこそ…』





茶髪の男はズボンのポケットから財布を取り出し、名刺をよこした。






『小山……?』





小【美優の兄の小山慶一郎です。】





彼は美優の頭を撫でながら言った





小【よかったな、話し相手ができて】




「ますだくん、優しいんだよ!みて!この花冠、ますだくんが作ってくれたの!!」



小【美優マーガレットと好きだもんね、よかったなあ、似合ってるよ】



小山さんがニコニコ微笑む




「ほんと?」





仲の良さそうな兄弟だが、俺の疑問は解けないままだった





するとそこに、看護師が現れた





《美優ちゃん、治療の時間》



「あ、はーい、お兄ちゃん、お願い」




小【はいはい、】




小山さんという男はベッドの上の美優を抱き上げ、車椅子に乗せた



「ありがとう、お兄ちゃん」


小【全然平気。治療頑張って】




車椅子に乗せられた美優はヒラヒラと手を振りながら病室を後にした





少し気まずい沈黙が病室を包む



その沈黙を破ったのは小山さんだった




小【驚いたでしょ、】




俺が手にしたままの名刺を顎でしゃくった





小【苗字】



『ああ…、はい』




小【いいよ、タメ口で】





彼は軽く微笑んで、それから少しため息をついた





小【美優と俺は、本当の兄弟じゃない】



『え?』





切ないような、遠い目をして彼は続けた







小【美優は、養女なんだ】

あの日、僕は天使の羽を

あの日、僕は天使の羽を

いつまでも僕等の未来は続いていくと、思ってた。 ・ ・ ・ ・ 心を喪った少年と、ある問題を抱えた少女の、淡く切ない恋物語。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-05

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