ノセル
私の使命は”乗せる”事。ご主人様を乗せて何処へでも行く事が私の使命である。
私のご主人様の莉央ちゃんが無事に志望高校合格を果たし、通学の為に自転車が必要となった時に私はこの高岡家にやって来た。自動車、電車、飛行機、ありとあらゆる交通手段の中で私は一番手軽で一番働き者だと自負している。
「この色すごく綺麗、この自転車が良いな」
自転車屋に並んでいる数々の色や形の自転車の中から莉央ちゃんはライムグリーン色の私を選んでくれました。こんなに可愛い女の子が私を選んでくれた…私は感無量で、莉央ちゃんが行きたい場所へなら何処へでも莉央ちゃんを乗せて行くと心に誓いました。
高校の始業式はとても緊張したものでございます。莉央ちゃんの緊張感が私にも伝わってまいりました。初めての場所、初めての仲間達。不安と期待で私と莉央ちゃんの胸はいっぱいでした。高校に到着して学校内の駐輪場に綺麗に並べられた私は、莉央ちゃんにファイト!と精一杯のエールを送りました。
「あなた綺麗な色ね」
私の隣りに並んだパステルピンクの自転車が私に話し掛けてきました。恥ずかしがり屋の私は何も答えられませんでしたが、君こそ可愛い色だねと心の中で思っておりました。
「駐輪場の場所隣りだね」
「本当だ、途中まで一緒に帰ろう」
始業式の後、早速お友達が出来た莉央ちゃんが私を迎えに来てくれて、パステルピンクのお隣さんのご主人様が莉央ちゃんと同じクラスでお友達になれた事を知って、私の胸は高鳴りました。ギアの付いていない私ですが、その日の走りはキレキレだったと思います。
その日から私は莉央ちゃんを乗せて、莉央ちゃんが行きたい場所へ何処へでも参りました。学校、予備校、近くのショッピングモール、少し遠い緑地公園、莉央ちゃんのアルバイト先のパン屋さん、莉央ちゃんのお友達のパステルピンクのお隣りさんの家ー
何時も何処でも、私は莉央ちゃんと一緒でした。ひと昔前は自転車は今よりも価格が高く、皆んな大切に乗ってくれていましたが、今は大量の輸入自転車の流通により安く手に入る自転車は、使い捨て感覚であまり大切にされなくなってしまいました。パンクしたらすぐに買い替える、違法駐輪で撤去されれば引き取りに行かずに買い替える…悲しい事にパステルピンクのお隣さんも一年も経たずにいなくなってしまいました。
けれど莉央ちゃんは私を大切にしてくれて高校三年間ずっと乗り続けてくれました。自転車冥利に尽きるとはこの事でございます。傷や汚れはご愛嬌、ブレーキがギィギィ変な音を立てても油を挿せばまだまだ大丈夫。莉央ちゃんの高校生活の三年間の思い出が私にも刻まれているのですから根を上げる訳には参りません。けれど莉央ちゃんが高校を卒業して大学へ通い始めたら私の出番も少なくなるのだと考えると少しおセンチな気持ちになってしまうのです。
志望大学への合格を無事に果たした莉央ちゃんを乗せてその日もいつも通りに自宅に向かっていたのですが、交差点の右側から向かって来る自動車と衝突しそうになり、莉央ちゃんは慌ててハンドルを左に切りましたが、左に曲がると莉央ちゃんの身体が自動車と衝突してしまうと咄嗟に思った私は、莉央ちゃんの意思とは反対の右に大きくハンドルを切り、サドルから莉央ちゃんをブン、と左に振り落としました。
ガシャン、と大きな音がして身体に今まで受けた事がない大きな衝撃を感じた私は、莉央ちゃん今まで大切に乗ってくれてありがとう、薄れていく意識の中で最後にそう思ったのでございます。
「莉央、本当に良かった、怪我が無くて」
「うん…危なかった。もう少しで衝突する所だった…でも自転車が…自転車、そうだ自転車は?」
「車とぶつかってペチャンコよ。警察から引き取ってきたけど、廃車にするしかないわね」
「ダメだよ!だって…自転車が守ってくれた気がする」
「何変な事言ってるの?」
「分からないけど…あの自転車気に入ってるし、大学に行っても駅まであの自転車で行きたいから、修理に出してよお母さん」
「…新しいのを買った方が安いんじゃないかしら」
「お願い!」
ブレーキオイルの匂いで私は目を覚ました。自転車屋の店主がブツクサ呟きながら私のハンドルを修理してくれている。
「しかし…ハンドルは曲がり切ってるし
車体はペチャンコだし、こんなもん修理するより買った方が安いのに変わった人もいるもんだな。よっぽど気に入られてるんだな、お前は。幸せ者だよ」
ノセル