太平洋、血に染めて 「ばるす!」

太平洋、血に染めて 「ばるす!」

第四話「トリトン」の数日後に起こった事件です!!

*オープニング
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 甲板を疾走する赤いトレーラートラック。その行く手を阻むように立ちはだかる銀色の拳銃。トラックは、まっすぐ拳銃に向かって突っ込んでゆく。そして、ぶつかったと思った瞬間、トラックのまえから拳銃の姿が消えた。
 トラックは急ブレーキをかけ、甲板のまわりを注意深く見まわした。だが、どこにも拳銃の姿は見えない。トラックは、にわかに慌てはじめた。いったい、やつはどこへ? そのとき、何者かの黒い影がトラックの頭上をよこ切った。はっとして空を見上げる。太陽にかさなる黒い拳銃の影。やつだ。そう思った瞬間、とつぜん黒い影の形が変わった。さっきまで拳銃の形をしていた黒い影は、こんどは人間の形に姿を変えたのだ。やつめ、ついに正体を現したな。
「こい、デストロン!!」
 赤いトレーラートラックも人間の形に姿を変えて迎え撃つ。
「ゆくぞ、サイバトロン!! こんどこそ決着をつけてやる!!」
 デストロンが猛スピードで太陽から突っ込んでくる。サイバトロンはよこに飛び退き、かろうじて攻撃をかわす。だが、やつは空中を飛びながら、ふたたびアタックをかけてきた。反撃、いや、まにあわない。サイバトロンは攻撃を避けるため、天高く飛び上がった。だが、デストロンはすさまじいスピードで追撃してくる。させるか――サイバトロンは間一髪のところでデストロンの攻撃をかわす。そして、勢いあまったデストロンは、そのまま小高い山に激突するのだった。
「ぐわっ!!」
 青空にひびき渡る悲鳴。
 やったか――サイバトロンが山のほうをふり返る。雪でまっ白に染まった、大きな山だ。しかし、山頂付近は大規模な雪崩により、きれいに禿げ上がっている。そしてやつは、デストロンは、無傷のまま山の頂に堂々と立っていた。
 では、いま悲鳴を上げたのは、いったいだれなのか。サイバトロンが戸惑っていると、とつぜんデストロンの足もとで山がグラグラと揺れはじめた。噴火か――サイバトロンがそう思った瞬間だった。大きな山がグルリとよこに回転した。そして、その裏側から巨大な顔が現れたのだ。
「きさまは、ユニクロン!」
 デストロンが慌てて山からはなれ、身構える。そしてサイバトロンもビームライフルを構え、ユニクロンに狙いを定めた。そのとき、一本の長い大きな手が山の下から現れ、天に向かってグングンと伸び上がった。ついに動きだしたユニクロン。はたして、彼らの運命やいかに――?
「これ、痛いではないか」
 山頂を撫でまわしながらユニクロンが言った。
 肩まで伸びる長い白髪。だが、頭頂部は額の生え際から禿げ上がっている。そして、胸元まで伸びた、まっ白なアゴひげ。まるで仙人のような老人でる。
「いけない子じゃ」
 そう優しい声で叱ったのはユニクロンではなく長老だった。
「おいらじゃない。ですとろんが、やったんだ」
 大五郎は片方の手にもったおもちゃを長老の顔のまえにかざして見せた。
「なるほど、デストロンか。わるいやつじゃな」
 あたまに大きなたんこぶをつくった顔で長老がニコリと笑った。
 たしかに、デストロンは悪者である。
「めっ!!」
 大五郎はデストロンのあたまをちからいっぱい掌で叩いて叱りつけた。
「まだ釣れないのか、じいさん?」
 ハゲあたまのよこで言ったのは、渋色(しぶいろ)のくたびれたカウボーイハットを被る男。ハリーである。
「やはり、エサがわるいみたいじゃな」
「たしかに、コッペパンで海の魚を釣ろうなんて、おかしな話かもしれないな」
 長老は艦首右舷(うげん)にあぐらをかいて座り、釣り糸を垂らしていた。ハリーは長老のよこに立って葉巻をふかしながら、ぼんやりと水平線をながめている。
 大五郎は長老の傍らで遊びながら、すぐそばの舳先にふと目をやった。甲板作業員の黄色いヘルメットを被り、カタパルトオフィサーを示すイエロージャケットを羽織った男。大五郎たちに背中を向ける格好で仁王立ちになり、腕組みをしているのはヨシオである。彼は、いつものように舳先に佇み、じっと水平線を見つめていた。しかし、日本人である彼が、なぜカタパルトオフィサーの格好をしているのか。彼は、いったい何者なのか。いつからこの空母(ふね)に乗っているのか。彼の正体を知る者は、だれもいなかった。
 長老が釣竿をにぎったまま、うとうとしはじめた。やはり、海の魚はコッペパンなど食べないのだろう。
 大五郎は、ふたたび赤いトレーラートラックと銀色の拳銃のおもちゃで遊びはじめた。このおもちゃは格納庫の隅に無造作に置かれた木箱の中にあったのだ。とうぜん持ち主をさがしてみたが、だれも名乗り出ないので大五郎が預かることにしたのである。
 このおもちゃは、とても複雑な仕組みになっていて、ふたつとも人型ロボットに変形できるようになっていた。大五郎は、さっき人型に変形させたサイバトロンを、もういちどトレーラートラックに変形させることにした。
「とらんす――」
 ――そのときである!
「フィッシュオン!!」
 いきなり叫んだのは長老である。彼は甲板に立ち上がると、竿を大きくしならせながら、ものすごい勢いでリールを巻き上げはじめた。
「こっ、この手ごたえは……やつじゃ! リヴァイアサンじゃ!」
 長老は熱狂的なUMA(ユーマ)マニアなのである。
「しっかり巻き上げろ、じいさん」
 ハリーは慌てて葉巻をふみ消すと、長老の竿に手を添えながら手伝いはじめた。
「サメだ」
 釣り糸の先をにらみながらハリーが言う。
「こいつはサメだ」
「くわれる!」
 大五郎がおどろいて飛び上がると、ハリーは陽気に笑った。
「こんどはオレたちが食う番だ」
 だいたい百センチ前後だろうか。黒い背ビレの主は、まるでパトカーの追跡をふり切ろうとする暴走車の如く、海面の下を激しく暴れまわっていた。そして、黒い背ビレの主が大きく飛び跳ねたときである。とつぜん、ハリーと長老が弾かれたようにうしろへ吹きとんだのだ。
「はうぁ!」
 長老が背中から倒れ込んで後頭部を強打した。そのよこで、ハリーも尻もちをついて転がった。
「痛てて……」
 先に起き上がったのはハリーである。彼はカウボーイハットを被りなおしてからゆっくりと甲板の上に立ち上がった。
「やれやれ。糸を切られちまった」
 ハリーは掌をもち上げて苦笑した。
「御馳走に逃げられたサメも、さぞ悔しがってるだろうな」
 皮肉交じりに嘲笑するヨシオの背中を見てハリーがマユをひそめる。
「それじゃあ、あんたをエサにして釣ってみようか? あんたを食ったサメで作るフカヒレスープは、さぞうまいことだろうよ」
「サメ肉ソーセージのホットドッグも、なかなかいけるぜ?」
 そう言ってヨシオが肩をゆらすと、ハリーはカウボーイハットの鍔を下げて呆れたようにため息をついた。
「食えないやつだぜ、まったく」
 新しい葉巻に火を点けながら、ハリーも肩をゆらしていた。
 長老は、まだ起き上がってこない。甲板の上に仰向けになったまま、ピクピクと痙攣(けいれん)している。長老は口から白い泡を吹きながら、気を失っていた。
 大五郎は気を取りなおしてさっきのつづきをはじめることにした。
「とらんす――」
 ――そのときである!
「ヒャッホーゥ!!」
 けたたましい奇声が青空にとどろいた。後部甲板のほうからだ。いったい、なんの騒ぎだろうか。大五郎は甲板に座ったまま声のするほうをふり向いた。
 右舷中央にそびえる大破したブリッジ。そのよこから左舷(さげん)舷側(げんそく)にかけて散らばったブリッジの破片や航空機の残骸。その隙間の向こう側を、なにかがものすごいスピードで走りまわっている。あれは、トーイングカーだ。飛行機を駐機場までけん引するための作業車両である。トーイングカーはティッシュペーパーの箱のような形をしている平べったい車で、むき出しになった運転席にはフロントガラスもドアもなく、最高速度は三十キロ程度だった。しかし、残骸の隙間を走りぬけるその影は、それ以上のスピードが出ているようだ。
「あっ」
 ブリッジのそばにある真ん中から〝くの字〟に折れた戦闘機の残骸の向こうから、一台のトーイングカーがものすごいスピードで飛びだしてきた。運転しているのは、モヒカンあたまの男。スネーク率いる謎のモヒカングループである。モヒカン男のトーイングカーは大五郎たちのそばでタイヤを鳴らしながら急ハンドルを切り、ふたたび残骸の向こうに走り去って行った。
 やつらのリーダーであるスネークは、かつてギャングのボスだったらしい。その立場は空母に来てからも変わらないようで、彼はいまでも大勢の手下を従えている。この空母にいる彼の手下は、およそ数十人。彼らはグループの一員であることを証明するために、みんなモヒカンあたまになっていた。だが、リーダーであるスネークはドレッドヘアを肩まで伸ばし、口のまわりからアゴにかけてヒゲを蓄えていた。
「やつら、トーイングカーを改造しやがったな」
 ハリーが忌々しそうに紫煙を吐き出した。
「ろぼっとに、へんけいするの?」
 大五郎が赤いトレーラートラックのおもちゃを見せながら訊くと、ハリーは肩をゆらして笑った。
「エンジンのリミッターを解除したのさ」
 やつらのトーイングカーは通常の三倍のスピードはでるだろう。大五郎にはよくわからないが、ハリーはそう言った。
「海のギャングのつぎは、陸のギャングか。やれやれじゃな」
 長老が杖につかまりながらヨロヨロと立ちあがった。
「やっぱり、ですとろんはきらいだ!」
 大五郎は銀色の拳銃のおもちゃを左舷の甲板から海に投げすてた。

 お昼になった。
 食堂の入り口を入ると、大五郎はいちばん奥のテーブルに向かった。入口正面から奥に向かって並ぶ長テーブルの、いちばんうしろの席だ。そして、いちばん端にカベを背にして座るヨシオのとなりに腰をおろした。テーブルをはさんでヨシオの正面にハリー、大五郎の正面には長老が座っていた。昼時なので、食堂はにぎやかだった。どちらかというと、空母の乗員よりも難民のほうが多いように見える。なにがあったのかは知らないが、大五郎たちが救助されたときには、すでに正規の乗組員はほとんどいなかったのだ。もっとも、舵を失ったこの空母は海の上をさまよっているだけなので、人手不足の心配はないのだが……。
 大五郎はコーンスープをひと口飲んでからコッペパンに手を伸ばした。食事は一日三食だが、いつもコーンスープと小さなコッペパンがひとつだけだった。ただ、朝食にはときどき野菜サラダが添えられることもあった。食料が不足しているのである。質素な食事だが、口に入るものがあるだけマシだと思わなくてはならない。この海の向こう、壊滅的な被害を受けたであろう地上には、飢えに苦しむ人々が大勢いるのだ。それにくらべると、大五郎たちはまだ恵まれているほうだった。
「いただきます!」
 大五郎が大きく開けた口の中にコッペパンを押しこんだときである。
「みなの者ぉぉ!! よおく聞けぃ!!」
 食堂にひびき渡る、けたたましい叫び声。
 大五郎はコッペパンにかじりついたまま声のしたほうをふり返った。食堂の入り口のまえに、たくさんのモヒカンあたまが並んでいる。まるでどこかのヘヴィメタルバンドのように、みんなそれぞれ顔に派手な隈取(くまど)りのメイクを施している。そのうちの何人かは、長さ百センチほどの白い鉄パイプのようなものを肩にかついでいる。その鉄パイプは変わった形をしていて、片方の先端部分がやや太く、そこだけ赤い色で塗装されていた。
 モヒカンたちの先頭に立っているのは、口ヒゲを蓄えたドレッドヘアの大男、スネークである。いま叫んだのも、おそらく彼だろう。はたして、彼らはなにをしようとしているのか。大五郎はコッペパンをかじりながら考えた。モヒカンあたまに隈取りのメイク。ヘヴィメタル。歌。大五郎は「はっ」とした。ライブだ。まちがいない。だから、みんなメイクをしているのだ。ヘヴィメタルバンドよろしく、過激にライブでもはじめるつもりなのだ。大五郎も歌いたい。みんなで、思いっきり歌いたい。ひさしぶりの余興である。大五郎は、ワクワクしながらコンサートがはじまるのをまっていた。
「ヒャック!」
 スネークの声におどろいた長老が〝しゃっくり〟をした。大五郎の向かいの席で、コップの水を少しづつ口に含みながら胸を叩いている。
 スネークが親指で自分の胸を示しながらつづける。
「いいかぁ! たったいまから、この(ふね)はオレたちが支配することになった! 逆らうやつは容赦なく海に叩き込むから覚悟しやがれ!」
 にわかに食堂がどよめき立つ。
 はたして、やつらの目的はなんなのか。この艦を乗っ取ってなにをするつもりなのだろうか。いずれにせよ、難民たちにどうにかできる相手ではなさそうだ。おそらく、ヨシオでも勝ち目はないだろう。大五郎がそう思ったときである。
「きさま ヒャック ら~!」
 ふいにひとりの男がイスから立ち上がった。
「きさまらの血は、な ヒャック に色ぢゃぁ~!!」
 しゃっくりをしながらスネークを指さしたのは長老である。
「なぁにぃ~?」
 スネークが眉間にしわを寄せて長老をみらみつける。
「キサマぁ~、このオレに――」
「ヒャック」
「うるせぇジジィ! 話してる途中でシャックリすんじゃねえ!」
「やめら ヒャック れない、と ヒャック まら ヒャック ない」
「ジジイ」
 スネークの眼が冷たい光を帯びはじめた。
「長生きしたかったら、オレをあんまりイライラさせないことだ」
 スネークがすごむと、みんな怯えた表情をしながらだまってうつむいてしまった。唯一、落ちついた様子で他人事(ひとごと)のように食事をつづけているのはヨシオだけだった。
 大五郎が口の中のコッペパンを飲みこみ、コーンスープの器に手を伸ばしたときである。
「おい、そこのメガネの男」
 ヨシオを指差したのは赤いモヒカンあたまに丸い黒縁メガネの男。
「テメェ、カシラの話を聞いてるのか」
 コバヤシである。
 大五郎は、となりに座るヨシオをふり返った。彼はコバヤシを無視しながら、マユひとつ動かさずに食事をつづけている。
「ヤロォ、いい度胸してるぢゃねえか」
 赤いモヒカンあたまの眼が血走った。
「まあ、まて」
 スネークがコバヤシの肩をつかんで制した。コバヤシはおとなしく引き下がったが、丸い黒縁メガネの奥で血走った眼はヨシオをにらんだままだった。
 不敵な笑みを浮かべながらスネークがヨシオを指差した。
「テメーはたしか、ヨシオだったな。どうだ、オレと勝負してみるか? 勝ったほうがこの(ふね)の支配者になるんだ」
 すると、ヨシオはいったん食事を中断し、横目でスネークをにらみつけた。
「勝負の方法は?」
「チキンレースだ」
「チキンレース?」
「そうだ。車はオレたちが用意する。どうだ、受けて立つか?」
 スネークを横目でにらんだまま、ヨシオはしばし沈黙した。スネークは鋭い眼でヨシオをにらみながら返事をまっている。
「……いいだろう」
 ヨシオの返事を聞くと、スネークは黄色い歯を見せてニタリと笑った。大五郎はコーンスープの中に目をおとして顔をしかめた。そしてスネークの黄色い歯をにらみながら、手にもったコーンスープの器をそっとテーブルの上にもどした。
「勝負は明朝十時。甲板でまっている」
 そして、スネークは最後にこうつけ加えた。
「逃げるなよ」
 もういちどニヤリと笑い、彼は手下どもを引き連れて食堂のドアを出ていった。
「やれやれ。面倒なことになってきたぜ」
 そう言ったハリーも、どこか他人事のような口調である。
「ところで、ハリー」
 コッペパンをちぎりながら、ヨシオがハリーに声をかけた。
「ほう。あんたから声をかけてくるなんてめずらしいな」
 意外そうな表情でハリーが笑った。
 ヨシオはメガネを軽く押し上げると、静かに話をつづけた。
「おまえに手伝ってもらいたいことがあるんだが、協力する気はあるか?」
「まずは話を聞こう。手を貸すかどうかは、それから決める」
「ヒャック」
 しゃっくりをしながら長老が指をボキボキ鳴らした。
「わしにも遊ば ヒャック せろや」
 首を左右にふってボキボキ鳴らすと、長老は不敵に笑うのであった。
 いったい、ヨシオはなにをたくらんでいるのだろうか。そして、チキンレースとはいったいなんなのか。よくわからないが、なにか面白いことがはじまりそうな予感がする。大五郎も、ヨシオたちの話にまぜてもらうことにした。 

 翌朝。約束の時間である。
 大五郎は長老とふたりで先に甲板に上がっていた。ヨシオとハリーは準備があるので遅れてくるらしい。スネークたちは、すでにブリッジのまえに集合している。そして左舷側の甲板には、大勢のギャラリーが集まっていた。
 大五郎と長老は、艦首左舷のタラップのそばでヨシオたちをまっていた。
「ヨシオはまだかぁ!!」
 ドレッドヘアの男がイラついた口調でがなりたてた。スネークである。まわりのギャラリーたちも、不安そうにざわめきだした。
 ――そのときである!
「あっ! エレベーターが動きだしたぞ!」
 左舷のほうで、だれかが叫んだ。左舷後方の大型エレベーターが上がってくる。これは、航空機を格納庫から飛行甲板に上げるための装置なのだ。
「あっ」
 大五郎はエレベーターの下から現れた黄色いヘルメットを指差しながら叫んだ。
 その瞬間、とつぜん甲板のあちこちから悲鳴が上がった。みんな掌でカベをつくり、眩しそうに顔を背けている。いったい、なにが起きたのだろうか。
「うおっ!」
 スネークも両腕で顔をかばうように身構える。
「ぐわっ!」
 ほかのモヒカンたちも、にわかにうろたえはじめた。やつらも、やはり顔のまえで掌のカベをつくっているのであった。
「ぬおっ!」
 長老も体を丸めるように身構えながら、慌てて着物の袖で顔を隠した。
 そして、つぎの瞬間。
「まぶしい!」
 大五郎は掌で顔を覆いながら尻もちをついた。まるでカメラのストロボのような眩い閃光が、大五郎の眼に突き刺さったのだ。
 まちがいない。ヨシオだ。これは、ヨシオのメガネが陽の光を反射したのだ。そうにちがいない。
「ソッ、ソロモンが……焼かれている?!」
 すぐよこで長老が呻いている。だが、呻き声はひとつではない。甲板のいたるところから聞こえてくる。どうやら、みんなも〝ソーラ・システム〟の直撃を受けたらしい。
 まだ目がくらんでいるので、大五郎には周りの状況がわからない。目が開かないので、立ち上がることすらできない。小刻みにまばたきを繰り返しながら、ゆっくり目を馴らしていく。両手で顔を覆い、指の隙間からのぞき込むようにまばたきをする。しばらくそれをつづけていると、徐々に周りの景色が見えはじめてきた。
 大五郎は、ゆっくりと顔から掌をはがした。甲板に尻をつけたまま、じっとエレベーターのほうに目を凝らす。
「ああっ!」
 陽の光――いや、闘気だろうか。メガネが燃えている。まるで灼熱の砂漠に照りつける太陽のように、白く、激しく燃えている。その黄色い人影は、堂々と仁王立ちになって腕組みをしていた。
「おじさんだ!」
 ヨシオである。
 はじかれるように立ち上がると、大五郎はヨシオのそばに駆け寄った。
「またせたな、ぼうず」
 言ったのはヨシオではない。こちらに背を向ける格好でトーイングカーに寄りかかる男。
「あっ、かうぼーいのおじちゃん!」
 ハリーである。彼は肩越しにふり向くと、葉巻をくわえた顔でニヤリと笑った。
「見ろ、ヨシオたちだ」
 にわかに周りが騒がしくなってきた。どうやら、みんなも視力がもどってきたようだ。
 ヨシオがスネークたちのほうへ向かって歩きはじめた。ハリーもあとにつづく。大五郎も、ふたりの間に入り、ついて行った。
「よく来たな。てっきり逃げ出したのかと思ったぜ」
 スネークの声が甲板にひびき渡ると、ヨシオは甲板の真ん中で足を止めた。彼はスネークと少し距離をとって対峙し、仁王立ちになって腕組みをした。
「ここは太平洋のド真ん中だ。たとえ泳いで逃げたとしても、フカのエサになるだけさ」
 落ち着いた口調でヨシオが言った。
「くわれる!」
 大五郎もスネークに向かって叫んだ。
 すると、スネークが眉間にシワを寄せてギロリとにらみつけてきた。
「ひえっ!」
 とっさにヨシオの足にしがみつく。大五郎は、そのままヘビににらまれたカエルのように固まった。
「おい、そいつはなんだ!」
 スネークが指差したのは大五郎ではない。彼の人差し指が示しているのは、左舷のエレベーターに並ぶ二台の黒いトーイングカーである。
「あのクルマのことか?」
 スネークを見たままヨシオが言った。彼らのトーイングカーには、それぞれ車体前面にフレアパターンの塗装が施こされている。
「そうだ。このチキンレースはオレたちの車でやるんだ。勝手なマネは許さねえ」
 どうやらスネークが気に入らないのは大五郎ではなく、ヨシオたちのトーイングカーだったらしい。
 やれやれ、おどかしやがって――安堵した大五郎は、ホッと胸をなでおろすのであった。
「でも、オレたちの車のほうが性能はいいぜ?」
 ハリーが親指でトーイングカーを示しながら言った。
「このゲームの主催者はオレだ。オレのルールに従ってもらう」
 用心深いスネークは、なかなかヨシオたちを信用しようとしない。
「者ども! クルマの準備をするんだ!」
 スネークが号令をかけたときである。モヒカンのひとりが、なにやら慌てた様子で彼のほうへ駆け寄ってきた。モヒカンがスネークの耳元でささやきはじめると、ハリーはヨシオをチラリとみてうなずいた。順調に作戦が進んでいるということだろう。一方、スネークはアゴをさすりながら、疑わしい表情でモヒカンの話に耳をかたむけている。そして、彼の獲物を狙うライオンのような鋭い目は、じっとヨシオの顔をにらみつけていた。
 モヒカンあたまはなにを話していたのだろうか。こんどはスネークがコバヤシとなにかを相談しはじめた。ふたりとも、ブリッジのそばにある自分たちのトーイングカーをチラチラと気にしながら話している。
「点火プラグを外してあるんだ。動くわけないさ」
 大五郎の右に立ちながら、ハリーが小さくつぶやいた。彼はくちびるに葉巻をはさんだまま、カウボーイハットの鍔で顔を隠してほくそ笑んでいた。ヨシオはずっと大五郎の左で仁王立ちになり、無言で腕組みをしている。とても静かな表情だが、彼の冷たく光るメガネからは、なにやら殺気のようなものが感じられた。
 やがて相談が終わると、スネークは鋭い眼のままヨシオたちのトーイングカーを指さした。
「おい、そのクルマは本当に速いんだろうな?」
「もちろんだ。おまえさんのクルマより速いぜ」
 ハリーが眩しそうに目を細めながら答える。
「通常の五倍のスピードは出るはずだ」
 そうつけ加えると、ハリーは「ふーっ」と紫煙を吐きだした。
「ハッタリじゃねえだろうな?」
 スネークが探るような眼でハリーをにらみつけた。
 すると、ヨシオがスネークを挑発するように嘲笑を浮かべて肩をゆらした。
「どうした。怖いのか?」
「なっ……!!」
 スネークの鋭い眼が、にわかに血走った。
「キ、キサマぁ~……」
 彼は拳をブルブルと震わせて顔をまっ赤に紅潮させながら、沸々と怒りをたぎらせている。それでもなお、ヨシオは腕組みをした格好で嘲笑を浮かべていた。スネークの赤い顔のうしろで、丸い黒縁メガネの男がじっとこちらをにらみつけている。コバヤシだ。彼は、スネークが最も信頼を寄せる腹心なのだ。ほかのモヒカンたちは、スネークから少し距離をとってブリッジのまえに控えている。彼らの手には、それぞれ鉄パイプや角材などの凶器がにぎられていた。
 艦尾のほうにできた人だかりは、みんなヨシオたちを応援するギャラリーだった。彼らもスネークたちが怖いのだろう。みんなできるだけ遠くに離れて見守っているのであった。
「……面白しれぇ。見せてもらおうか。テメェらのクルマの性能とやらを!」
 口のまわりにヒゲを蓄えた顔でスネークがすごんだ。

 スネークたちのトーイングカーは動かなかった。もちろん、故障ではない。ゆうべ、ヨシオたちが細工したからだ。
「よし、ぼちぼちはじめようじゃねえか。おい、クルマをまわせ!」
 相変わらずスネークは偉そうに仕切っている。ヨシオとハリーはエレベーターまで歩いて戻ると、トーイングカーに乗って引き返してきた。
「おーらい、おーらい!」
 大五郎は彼らのトーイングカーを、さり気なく艦首のカタパルト射出位置に誘導した。舳先に向かって並ぶ、二本のカタパルトライン。右舷側のラインにヨシオ、そして、ハリーは左舷側のラインにそれぞれトーイングカーを駐車した。
 カタパルトの射出位置から舳先までの距離は、およそ八十メートル。
「スタート地点は、ここでいいか?」
 ハリーはトーイングカーを降りると、スネークに向かってそう尋ねた。
「それじゃ距離が短すぎる。もっと手前からだ」
「このクルマは、かなり無理な改造をしたんでな」
 ハリーの傍らに立ちながらヨシオが腕組みをした。
「これ以上の距離は、おそらくエンジンがもたないだろう」
「たいりょくの、げんかい!!」
 大五郎も腕組みをして叫んだ。
 甲板の上には、まだ戦闘機などの残骸が散乱していた。それに、甲板にもダメージを受けている。ほとんど無傷の艦首以外は、デコボコしていてとてもまっすぐ走れそうになかった。
「まあ、いいだろう。そんなに早死にしてえんなら、好きにするがいい」
 そう言うと、スネークは不敵な笑みを浮かべながら肩をゆらした。コバヤシもニタニタと気色悪い笑みを浮かべている。ほかのモヒカンたちも、マヌケ(づら)でヘラヘラと笑っていた。
「笑ってないで、さっさと乗ったらどうなんだ?」
 冷めた目でスネークを見ながらヨシオが言った。
「そう慌てるな」
 スネークは傍らにコバヤシを呼びつけると、なにやら言い含めてから「行け」というようにアゴで指図した。
 コバヤシがこちらを見てニタリと気色悪い笑みを浮かべる。
「レースをはじめるまえに、テメーらのクルマを調べさせてもらう!」
 コバヤシがそう叫ぶと、ハリーは俄かに表情を曇らせた。彼は葉巻をくわえたまま足もとに目を落とすと、カウボーイハットの鍔を下に引っ張って顔を隠した。
「どうする、大将?」
 横目でヨシオを見ながらハリーがささやく。
 ハリーは、いささか動揺しているようだった。しかし、ヨシオはまだ冷静さを保っている。彼は、相変わらず堂々と仁王立ちになって腕組みをしているのであった。
「ついに彼の出番が来た、というわけか」
 かすかにうつむくと、ヨシオは口もとで薄く笑った。
「彼?」
「うしろを見てみろ」
 ハリーが妙な顔をしながら肩越しにチラリとうしろをふり向く。
「なっ……!」
 ハリーの顔が恐怖に引きつる。
「い、いつのまに……?!」
 いったい、ハリーはなにを見たのだろうか。大五郎も、恐る恐るハリーの視線の先をたどった。ゆっくりと、ゆっくりとトーイングカーをふり返る。
 ゴゴゴゴゴゴ……
 冷たい殺気を放つ謎の影。大五郎は、いったん動作を止めてゴクリとつばをのみ込んだ。
「なむさん!」
 ふたたびハリーの視線を追いはじめる。ゆっくりと、ゆっくりと……。
 ゴゴゴゴゴゴ……
 視界のはしで、なにかが揺れている。白いなにかが、風に吹かれて揺れている。これは――。
 ゴ……!
「いたっ!」
 ついに、大五郎は「彼」を目撃してまうのだった!
 肩まで伸びるまっ白な髪をなびかせながら、「彼」はこちらに背を向ける格好でトーイングカーのボンネットに立っていた。
「……勇気とは、怖さを知ること」
 うしろ姿のまま「彼」が語りはじめる。
「――恐怖を我が物とすることじゃあッ!」
 どこかで聞いたことのあるようなセリフを叫びながらふり返えると、「彼」は視線の先をビシッと杖で示しながらポーズをとるのであった。
「なまはげじゃあーっ!!」
 鬼の形相で凄む「彼」を指さしながら大五郎は尻もちをついた。
「落ちつけ、ぼうず。じいさんだよ」
 ハリーが「彼」をアゴで指しながら言った。
「え?」
 大五郎は尻もちをついた格好のままボンネットを見上げた。
 額から頭頂部にかけて禿げあがった白髪あたま。そして、胸元まで伸びる白く長いアゴひげ。よく見れば、ただの長老であった。
「やれやれだぜ」
 大五郎はガッカリしたようにため息をつくと、掌を持ちあげて肩をすくめるのであった。

 コバヤシの指示のもと、ふたりのモヒカンがトーイングカーを調べはじめた。大五郎たちは、右舷のカタパルトラインから少しはなれたところに立ちながら、彼らの様子をうかがっていた。
「抜け目のないやつらだぜ。くそっ」
 ハリーが葉巻を足もとに落としてふみ消しながら舌打ちをした。長老は甲板に横になって腕枕をしながら、のんきに昼寝をしている。
 大五郎は、ハリーのとなりに立っているヨシオの表情をうかがった。彼は、太陽を背にし、堂々と仁王立ちで腕組みをしている。いつものように、舳先の示す水平線を静かな表情でじっと見つめていた。
 コバヤシは二台のトーイングカーの間に立ってモヒカンたちを指揮している。
「車体の下も調べるんだ」
 コバヤシはモヒカンたちに指示を出すと、丸い黒縁メガネの奥からギョロリとヨシオの顔をにらみつけた。ヨシオの反応を見ているのだ。少しでもヨシオが動揺したり、おかしなそぶりを見せれば、この作戦は失敗するだろう。しかし、その心配はなかった。ヨシオはいつだって、なにが起きても他人事(ひとごと)のように落ち着いているのだ。たぶん、この世にはもうヨシオを驚かせることなどなにもないのだろう。大五郎は、なんとなくそう思った。
「アニキ、これはなんですかね?」
 コバヤシを呼んだのは、右舷側のトーイングカーを調べているモヒカンだ。
「どうした?」
 コバヤシは車体のよこに立つと、もういちどヨシオの顔をにらみつけた。
 だが、ヨシオの表情は動かない。彼は、堂々と仁王立ちになって腕組みをしているのであった。
「なにか、言うことはないか?」
 ヨシオをにらんだままコバヤシが試すように訊く。
「オレを気にせず、つづけるんだ」
「ハッタリかましやがって」
 見下すような態度で鼻を鳴らすと、コバヤシは車体の下にあたまを潜らせた。
「ローンチ・バーだな」
 ヨシオがなにかつぶやいた。
「まずいな。あれを外されたら、もうカタパルトで射ち出すことはできなくなっちまう」
 心配顔のハリーとは対照的に、ヨシオの表情は静かなままだ。
 ヨシオが言ったローンチ・バーとは、艦載機の前脚部分に取りつけられている射出バーのことである。空母から発艦するときは、この部分をカタパルトのシャトルに接続させて射ち出すのだ。
「ようやくカタパルトも直ったってのに……なんてこった。ちくしょう」
「落ちつけ、ハリー。やつが見ている」
 ヨシオはブリッジに背を向けているが、スネークの冷たい視線は感じているようだ。
 トーイングカーを見たままヨシオがつづける。
「案ずるな。カタパルトに頼らずとも、なんとかなる。あのトーイングカーは、一定以上のスピードに達するとアクセルがもどらなくなるんだ。おまけにブレーキも作動しなくなる。つまり、ローンチ・バーを外したところで結果はおなじ、というわけだ」
「それはわかってるが、まだテストもしてないんだぜ? もし正常に作動しなかったらどうするんだ?」
「そうだな。そのときは、うしろからぶつけてムリヤリ海にたたき落としてみるか」
 ヨシオが冗談めかして肩をゆらすと、ハリーは呆れた顔で首をふった。
 ちょうどヨシオたちが話し終わると、コバヤシが車体の下から顔を出した。
「おい、こいつはなんだ?」
 コバヤシがトーイングカーのよこをつま先で小突きながら言った。
「こいつとは、どれのことだ?」
 ヨシオがとぼける。
「この前輪の間にある棒みてえなやつだよ。こりゃあ、いったいなんのためについてるんだ?」
 コバヤシが言うと、大五郎のよこでとつぜんハリーが吹きだしながら笑いはじめた。
「ひょっとして、てめえの股の下にぶら下がってるやつのことを言ってるのかい?」
 からかうような口調でハリーが言うと、甲板中からドッと笑い声が上がった。モヒカンたちも、みんなゲラゲラ笑っている。だが、ヨシオとスネークの表情は、相変わらず渋いままだ。
 大五郎は、コバヤシのほうをチラリとふり向いた。彼の肩もふるえている。だが、コバヤシは笑っているのではない。丸い黒縁メガネの奥で血走しる三角の眼。彼は額に青筋を立てながら、メラメラと怒りの炎をたぎらせていた。
「静まれィ!!」
 笑い声をかき消したのはスネークである。
「ごまかそうとしても無駄だ。さあ、答えてもらおうか」
 スネークがギロリとヨシオをにらみつける。しかし、ヨシオはふり向かない。彼は舳先の示す水平線を、じっと見つめていた。
 鋭い眼でヨシオの背中を捉えたままスネークがつづける。
「答えられねーんなら、そいつは外させてもらうぜ?」
 すると、ヨシオは舳先に背を向けてスネークに向きなおった。
「ブレーキだ」
 彼はメガネを白く輝かせながら答えた。
「なにィ? これがブレーキだと?」
 コバヤシが胡散臭い顔で片方のマユを上げながら言った。
「そいつは緊急停止用のブレーキでな。エンジンに直接つながってるんだ。もし無理に外せば、エンジンが〝おシャカ〟になるだろう」
 ヨシオはスネークに目を向けながらコバヤシに忠告した。
「カシラ。野郎はこう言ってやすが、どうしやす?」
 コバヤシには答えず、スネークは腕組みをしながらじっとヨシオの顔をにらみつづける。殺気を宿した彼の眼は、鋭い刃物のように冷たく光っていた。しかし、ヨシオの様子は変わらない。マユひとつ動かすことなく、堂々と仁王立ちになって腕組みをしているのであった。
 すると、スネークがとつぜん大きな声で笑いはじめた。
「なかなか肝が据わってやがる。気に入ったぜ」
 スネークがコバヤシたちを呼びもどした。
「あとはオレがカタをつける。オメェらは下がっていろ」
「ですが、カシラ。いいんですかい? もし罠だったら……」
「バカヤロウ、ビビってんじゃねえ!」
 弱気なコバヤシをスネークが叱りつけた。
「久しぶりに楽しいゲームになりそうなんだ。邪魔するんじゃねえ」
 スネークがこちらに向かって歩き出した。
「いよいよか。血が騒ぐぜ」
 緊張した面持ちでハリーが言った。
「ちがさわがしいぜ!」
 大五郎も、ハリーのよこで身構えた。
 ヨシオも舳先に背を向ける格好で仁王立ちになり、腕組みをしながらスネークを待ち受ける。長老は大五郎たちのうしろで控えている。右舷側のトーイングカーのそばに立ち、静かに出番が来るのを待っていた。
 スネークがゆっくりと近づいてくる。まるで獲物を狙うライオンのような鋭い視線をヨシオに向けながら、近づいてくる。
「じいさん」
 ヨシオは長老に背中を見せたまま合図した。
御意(ぎょい)
 小さくうなずき、長老は静かにトーイングカーからはなれてゆく。いったい、長老はなにをしようとしているのか。そして、ヨシオはなにをたくらんでいるのだろうか。
「来るぞ」
 ハリーがゴクリとつばをのみ込んだ。いよいよレースがはじまる。はたして、ヨシオたちの作戦は成功するのだろうか。
 ヨシオまで、あと数メートルというところでスネークが足を止めた。大五郎はそそくさとハリーのうしろに隠れると、彼の足の陰からそっと顔をのぞかせた。
「終わりだ。スネーク」
 ヨシオがゆっくりとスネークを指差した。
「てめえは長く生きすぎた」
「ほざきやがれィ!」
 スネークもヨシオを指差した。
「死ぬのはテメエのほうだ」
 スネークがヨシオとにらみ合っている隙に、ハリーはそっとトーイングカーまで後退りした。おそらく、ローンチ・バーをシャトルにセットするのだろう。大五郎も、ハリーと一緒に後退りした。だが、まてよ、と大五郎は思った。スネークは舳先を向いた格好で立っている。いま動けば、確実に気づかれてしまう。いったい、ハリーはどうやってローンチ・バーをセットするのだろうか。
 ハリーはトーイングカーのそばに立つと、ブリッジのほうにチラリと目をやった。どうやら、なにかの合図をまっているらしい。大五郎も、ブリッジのほうに目を向けた。すると、まもなく事件は起こった。
「あっ、テメエ!」
 ズボンのポケットを抑えながらコバヤシがうしろをふり返った。
「このジジィ! よくもオレのマリファナを……!」
 コバヤシのズボンからマリファナを抜き取ったのは長老である。
「マリファナ? タバコじゃないのか。ふん、どおりでマズいわけじゃ」
 長老がコバヤシの顔に紫煙を吹きかけて挑発した。
「ヤ、ヤロウ、なめやがって!」
 コバヤシは傍らのモヒカンから瓶ビールをひったくると、大きくふりかぶった。
「くたばれジジィ!!」
 そして彼は、長老のあたまをめがけておもいっきりビール瓶をふりおろした。
真剣白刃取(しんけんしらはど)り!!」
 長老はコバヤシの攻撃を受けとめるため、あたまの上で両手をかまえた。
 はたして、長老の運命やいかに?!
「……ぬかったわ」
 長老が血まみれの顔で不敵に笑った。ハゲあたまから、噴水のように血が噴き出している。長老は見事にドリフのコントを再現してくれたのだ。
 スネーク、そして甲板に集まっている全員が、このさわぎに注目していた。その隙に、ハリーは無事、ローンチ・バーをシャトルにセットすることができたようだ。
「つぎの一手で、ケリがつく」
 ハリーが新しい葉巻に火を点けた。
「あとは〝発艦命令〟を待つだけだ」

 パーキングブロックほどの大きさのシャトルは、まるで口を大きく開けた魚のような形をしている。しかし、車体下部のローンチ・バーに接続してあるので、外からは確認できなかった。もちろん、どちらにスネークが乗り込んでもいいように、二台ともシャトルにつないであった。無論、射ち出すのはスネークが乗るトーイングカーだけである。
「好きなほうに乗れ」
 ヨシオはスネークが先にトーイングカーに乗るよう促した。彼を警戒させないためである。
「おなじことだ。テメエが死ぬことには変わりねえんだからな」
 スネークはそう言うと、左舷側のトーイングカーに向かって歩きはじめた。同時に、ヨシオも右舷側のトーイングカーに向かい、乗り込んだ。
「今日は、絶好の海水浴日和だぜ」
 トーイングカーのシートにケツを押し込みながらスネークがつづける。
「心行くまで、たっぷりと楽しんでこい」
 スネークが運転席で腕組みをするヨシオの顔を見ながらニタリと笑った。
「こんな日は、ビーチで日光浴にかぎる」
 ヨシオが舳先に視線を向けたままスネークに返す。
「おまえが泳いでこい」
 ハリーがヨシオのトーイングカーにやってきて、運転席のよこに回り込んだ。
「それじゃ、オレは管制室でスタンバイしている」
 ハリーが運転席のヨシオにこっそりと耳打ちをして親指を立てた。それから彼は、左舷に集まるギャラリーの中にまぎれ、こっそりと左舷のタラップを降りていった。ハリーは統合カタパルト管制室に向かったのだ。カタパルトラインの間、ちょうど艦首中央に管制室が見える。およそ二メートル四方の半地下になっているドーム型の構造物で、甲板にでている部分は、だいたい大人のひざ下ぐらいの高さしかない。天井部分以外はガラス張りになっていて、外側に扉はなく、艦内からしか入ることはできないのだ。そして、ふだん使用しないときは甲板の下に収納されていた。大五郎も、管制室にはよく遊びにいくのでよく知っていた。
 トーイングカーの運転席は、車体の左側にあった。大五郎はヨシオのトーイングカーの右側に立ちながら、レースがはじまるのを待っていた。
「シートベルトを締めろ」
 ヨシオがスネークに促した。もちろん、ヨシオも自分の腰にシートベルトをまわしている。しかし、スネークは鼻で笑い飛ばして拒否しやがった。
「そんなもんは必要ねえ」
 だが、ヨシオは言う。
「臆病風に吹かれて逃げだされると困るんでな。いちおう締めてもらおうか」
 ヨシオはそう言うと、スネークを横目で見ながら薄く笑った。
 すると、スネークはハンドルに手をかけたまま肩をゆらして笑いはじめた。
「面白れぇ。いいだろう」
 スネークは、まんまとヨシオの口車に乗せられるのであった。
 トーイングカーにフロントガラスやドアなどはない。もちろん、助手席もない。そして運転席はむき出しになっており、シートの背もたれも腰の少し上ぐらいまでしかない。言ってみれば、遊園地にあるゴーカートのようなものだ。ちなみに、シートベルトはヨシオたちが改造して取りつけたものである。
「さて、準備はよろしいかな?」
 長老が血まみれの顔でヨシオのトーイングカーにやってきた。どうやら、スタートの合図をだすのは長老らしい。大五郎はヒマなので、長老と一緒に合図をだすことにした。
 ヨシオがメガネの奥から統合カタパルト管制室をうかがった。大五郎も、スネークに背中を向ける格好でチラリとうかがう。数メートル先のカタパルトラインの間。管制室の青みがかったウィンドウガラスの中に、ぼんやりとカウボーイハットの影が見える。この青いガラスは透明度が低いので、ちかくまで行かないと中の様子はほとんど見えないのだ。
「じいさん。合図をたのむ」
 ヨシオが腕組みを解いてハンドルを握った。
「スタンバイ!」
 長老は彼らのトーイングカーの間に立って掛け声を上げた。
「すたんばい!」
 大五郎も長老のよこで叫んだ。
 長老が大五郎にうなずき、スネークのほうを向いてスタンバイする。大五郎も長老と背中合わせに立ってヨシオのほうを向き、スタンバイした。トーイングカーのエンジンが激しく唸る。大五郎は長老と動きを合わせて周囲を指差しながら安全を確めた。後部甲板、左舷、右舷、そして、トーイングカーの周辺も異常はない。大五郎は、最後にブリッジのほうを指さした。上半分が吹きとんだブリッジのまえで、コバヤシたちが冷笑を浮かべている。どうやら、みんなハリーが管制室にいることに気がついていないようだ。
「レディ……」
 長老が左足をよこに伸ばすようにして姿勢を低くし、左手を腰のうしろに回して待機した。顔は血まみれのままである。そして、大五郎も長老とは逆の右手を腰のうしろに回して待機した。そのまま長老の合図をまつ。つぎに長老が合図したとき、もう片方の手を舳先に向かって水平に上げたとき、すべての工程が完了する。そして、それを合図にハリーがカタパルトの射出ボタンを押すのだ。これは、カタパルトオフィサーが戦闘機を発艦させるときに行う動作なのである。
「少しスピードが出すぎるんでな。あまり強くアクセルを踏み込まないことだ」
 舳先を見たままヨシオが言うと、スネークもまえを向いたまま鼻で笑った。
「テメエのほうこそ、ブレーキを踏み外すなよ」
 青空にひびき渡るエンジンの咆哮。
「グッドラック!!」
 長老の右腕が舳先を示す。
「ぐっどらっく!!」
 大五郎も張りきって舳先を示す。
 その瞬間だった。
「――ホントだ速ぇエェぇェー?!」
 スネークが運転席でのけ反りながら絶叫した。彼を乗せたトーイングカーは、まっ白な蒸気の煙を引きながら、すさまじいスピードで遠ざかってゆく。舳先を目指し、どんどん遠ざかってゆく。一方、ヨシオのトーイングカーは動いていなかった。彼は腕組みをしながら、運転席に座ったままスネークを見送っていた。
「あっ、目にゴミが! 目が痛てェ!」
 スネークが掌で顔を覆いながら悲鳴を上げている。
「あぁァ~、目が……目がァ!」
「カシラ、あぶねェッ!!」
 ブリッジのまえからコバヤシが叫んだ。その瞬間、スネークのトーイングカーが甲板を飛びだした。
「目がぁァぁァ~!!」
 甲板に悲鳴だけをのこし、スネークは空高く飛んでゆくのでした。
「ばるす!」
 大五郎は飛び上がってよろこんだ。
 大きく弧を描いて白い尾を引きながら、スネークのトーイングカーが海の上に落ちてゆく。滑走時間は、わずか二秒。あっという間の出来事だった。
 スネークが走り去ったあとのカタパルトラインからは、まだ白い煙が立ちのぼっている。そしてコバヤシたちは、ただ呆然とブリッジのまえに立ち尽くしていた。
 スネークを見送ると、ヨシオはトーイングカーからゆっくりと降りてきた。そして、そのままトーイングカーのよこで仁王立ちになった。彼は腕組みをしながら、静かに舳先のほうを見つめはじめた。
「外道の最期は、こんなものだ」
 ひとり言のようにヨシオがつぶやいた。
「どうやら、うまくいったみたいだな」
 ハリーが管制室から戻ってきた。彼はヨシオのそばに立つと、葉巻をはさんだ指で舳先のほうを指さし示した。
「カタパルトの圧力をフルパワーにセットしたんだ。(やっこ)さん、小便をちびるヒマもなかったろうぜ」
 ハリーはそう言って葉巻をくわえると、まぶしそうに目を細めて肩をゆらすのだった。
「英雄じゃ」
 長老が小さくつぶやいた。
「英雄じゃ」
 天に杖を掲げながら、もういちどつぶやく。
「英雄じゃ……英雄じゃ!」
 徐々に声を大きくしながら、長老は繰り返し唱えつづけた。
 すると、ギャラリーたちも艦首に集まってきた。みんなで大五郎たちを囲むように輪をつくり、長老と一緒にヨシオを称えはじめる。
 ――英雄だ! 英雄だ!
 青空には、いつまでもヨシオコールが轟いていた。
「そろそろ最後の仕上げといくか」
 ヨシオがハリーにうなずいて合図した。
「全員、左舷舷側に整列!!」
 ハリーが大声で指示をだすと、みんなは歓喜を上げながら左舷に殺到した。海を正面にして立つ格好で、よこ一列に並ぶ。列の先頭、空母の舳先にはヨシオが立った。
「あっ、カシラ!」
 ギャラリーの中に交じってコバヤシが海に叫んだ。
 大五郎も、ヨシオとハリーの間に立ちながら海を見やった。空母の左側。海面に突きだしたあたまが、波に揺られて流されている。スネークだ。彼は、必死に両手をふり回して波をかきわけている。しかし、どう見ても泳いでいるようには見えない。
「お~い! 助けてくれー!」
 海面を叩きながらスネークが叫んでいる。やはり、彼は溺れていたのだ。
「おっ、オレは〝カナヅチ〟なんだーっっ!!」
 すると、ヨシオは傍らのハリーにうなずき、最後の指示を出した。
(ぼう)ふれ!!」
 みんなに号令をかけると、ハリーはカウボーイハットを頭上で大きくふりはじめた。そのよこで長老も杖を大きくふっている。みんなも、スネークに向かって帽子や手拭いをふりながら見送っている。なにも持っていない者は、両手を大きくふって見送っていた。大五郎も、ハリーのとなりで大きく手をふりながらスネークを見送った。
 ――そのときである!
「きた!」
 大五郎は叫んだ。スネークの背後に迫る三角形の黒い背ビレを指差しながら。


     ※ばるす・・・・・(いにしえ)より伝わる滅びの呪文。

エピソード「ばるす!」

           おわり

太平洋、血に染めて 「ばるす!」

次回 「13日は何曜日?!」

             おたのしみに!!


<エピローグ>
 夕焼けの中を漂う、一隻の航空母艦。舳先に伸びる、ひとつの黒い
 影。ひとりトーイングカーに寄りかかり、ギターを抱いて歌う男。
 赤いモヒカンあたまの歌声が、紅い海にひびき渡る。
 さらば、スネーク。
 いずれ、あの世で会う日まで……。

 ・バイバイスネーク(コバヤシが即興で作ったスネークの鎮魂歌)
  https://www.youtube.com/watch?v=1i0GHciPy0g
  https://www.nicovideo.jp/watch/sm15888953
 
       ーーーーーーーーーーーー
 
*エンディング
 https://www.nicovideo.jp/watch/sm5213470
 https://www.nicovideo.jp/watch/sm13425263(予備)

*提供クレジット(BGM)
 この番組は、ご覧のスポンサーの提供でお送りしました!
 https://www.youtube.com/watch?v=B-cbseD5MRY
 https://www.youtube.com/watch?v=XqS72t4zrSg(予備)
 

【映像特典】
 https://www.youtube.com/watch?v=IrzgFpkzSlg
 https://www.youtube.com/watch?v=QBF2ZS-p0Ns
 https://www.youtube.com/watch?v=aF2Joccwfnk

太平洋、血に染めて 「ばるす!」

第四話「トリトン」の数日後に起こった事件です!!

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • アクション
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-02-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
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