今日から始める王子様候補生
前編『女の子なのに王子様!? 冒険の始まり!』
フルフルっ。
誰かが私を呼んでいる。誰だろう。必死な声。
フルフル。フルフル!
「起きてよ、フルル・フルリエ・トリュビエル! 王子様候補生でしょっ!」
「おう……じ……?」
瞳を開くとまず目に飛び込んだのは青い空。頭を傾けると私の名を叫ぶ金色の髪を持つ少女の姿があった。その鼻から上は黒い仮面に覆われているものの、鼻筋や口元だけでとても綺麗な人であることが分かる。口元には棒付きキャンディのスティックが見えた。
「しっかりしてよ、フルフル。王子様候補生なら、こんなところで――」
「……アーテルさん……? 武具屋だよ、私……」
「そうだったね」
安心したように、その綺麗な顔に笑みが浮かぶ。意識がはっきりとして思い出した。私は武具屋なのだが彼女の言う通り王子様候補生の一人なのである。女の子なのに。
「……っ!? せえいっ!」
「うわわっ」
何事かに気付いたアーテルさんはすぐさま振り向くと、その手にしていた細身の剣で何者かを斬り倒した。首の急所への鋭い一撃。そして、その何者かの声にならない断末魔。そこで倒れた何者かの姿が目に入る。豚に似た頭、そして人間よりも何倍も大きな緑色の体躯。獣のような臭いを漂わせる亜人、オークだ。
……アーテルさんがオークの命を奪った?
「ふう……良かった、目を覚ましてくれて」
そう、私に微笑んでくれる。どうやら私は何事かあって気絶してしまっていたようだ。
「……ん。おはよう。それと、ありがとう」
「お礼は後。それより、体は起こせる?」
「あ。うん。大丈夫」
言われてようやく、自分が地面に倒れていることに気が付いた。背中には土の感触があり、草が首をチクチクと刺激する。なんとか重い体を起こすと、目の前がぐらっと揺れて頭の奥が痛んだ。
「……いたた。頭が割れるように痛いよ……」
「それは……」
私に返事をしようとしたアーテルさんは弾けるように飛び退き、新たなオークが振り下ろしたメイスを避けた。空を裂く、メイスの音が緊迫感を煽る。彼女は飛び退いた先で威嚇するように剣を亜人へ向ける。
「大丈夫、フルフル? ううん。大丈夫じゃなくても、今すぐ立ち上がってっ!」
「は、はいっ!」
私は鋭く痛む後頭部を押さえながら立ち上がり、足元に落ちていたメイスの柄を握る。アーテルさんが先ほど倒したオークが手にしていた物だ。
「もしかしてアーテルさんは私を助けてくれたの?」
「まあ、そんなとこ。それよりその拾ったメイス、あんたは扱える?」
「うん、武具の使用法を説明できるように色んな武具を扱えるけれど」
一番得意なのは剣だよ。そう続けるはずだったのだが鞘に目を向け私は目を丸くする。
「あれぇ? 私の剣がないよぉ!?」
「武器が消えてるの?」
私は頷き、手にしたメイスと剣が消えている鞘を見比べて、しょんぼりと肩を落とす。
「う、嘘でしょぉ……。お母さんが残してくれた大事な剣なのにぃ……」
それに粗悪品だよ、このメイス……。鋼製じゃなくて素材は青銅。メイスっていうよりも、先っぽに青銅の塊くっつけたような、木製よりは少しマシな棍棒っていうか。取り柄って言えば低い技術で安価に作れるってことくらい。値段をつけるとしたら、そうだね。魔法自動販売機で買える缶ジュースが一本、百四十ウィズ。このメイスは八百ウィズ程度の価値かな。子供のお小遣いでも買える。
「こんなものが大事な剣の代わりだなんて……とほほだよぉ」
「……フルフル、危ない!」
「え? あぶ?」
彼女の緊迫した声に思わず腕を上げると、その左腕の盾へ風切音とともに矢が突き刺さった。顔から血の気が引くのを感じる。
「あ、危なっ!?」
「だから、そう言ってるじゃん!」
運良く腕と体には当たらなかったものの、見事に木製の円盾には矢が貫通していた。
「なにかの骨でできた安そうな矢尻なのに威力は結構あるんだね……っ」
慌てて周囲を見回すと近くには崖があり、その反対側は森に覆われていた。こんなところで私は、なにをしていたのだろうか。いや、それ以上に重要な情報は周りをオークの群れに包囲されていることだ。それぞれ手には剣や手斧など多種多様な武器を持っている。弓をつがえたオークが一匹いるが、恐らく私に矢を放ったのは彼だろう。そして二射目を放とうというのか、こちらに向かって弓を引き絞っている。
「う、うわわ、ま、待って!」
完全に動揺した私が盾を構えるよりも早く、弓オークの首に短剣が突き立つ。思わず、私は目を逸らしてしまった。命が消えていく瞬間は、どうにも苦手だ。
「怪我はない?」
アーテルさんは私を気遣うのと同時に左手の短剣を向かってきたオークに投げつける。短剣を受けたオークは小さく悲鳴を上げ、足を止めた。
「うん。無事。助かったよぅ」
アーテルさんは私の言葉に頷き、剣を構え近くのオークに向かって行く。
なんだろう、この状況。本当になにがあったのかな……。
意識を現実に戻した私の眼前に迫るオークの剣を、私は反射的に盾で弾き返す。
「よ、よく分かんないけど――っ」
武器を弾かれ怯んでいるオークの顎に私は右手のメイスを水平に叩きつけ、さらに右足を軸に体を回転させながら裏拳で殴るように左腕の盾で顔面を強打する。
「あ、危なかったぁ」
私の反撃を受けたオークは膝から崩れ落ち動かなくなった。ほっと胸を撫で下ろす私の視線の先に、倒したオークの使っていた剣が転がっている。詳しく値踏みをしたわけではないので定かではないが、ざっと見た限りでは転がった剣も刃こぼれが目立ち、かなりの粗悪品に見える。すぐにでも折れてしまいそうだ。メイスのほうが斬れ味が落ちない分、マシかもしれない。
拾っていくほどの品物でもないかなぁ。リュックの容量にも限界が――――。
って、あれぇぇ!? 背中のリュックもないよぉ!?
「すっごい連続攻撃だったじゃん」
「武器を使った戦い方は、お母さんに仕込まれてて」
「そっか。フルフルって中々やるんだね」
大量のアイテムロストに内心、戦々恐々としている武具屋と倒れたオークを交互に見やりアーテルさんは首を傾げ笑みを浮かべた。笑いかけられると私も頬が緩んでしまう。
「ありがとう。素直に嬉しい」
「どういたしまして。緊迫感の漂う戦闘中なはずなのに素敵な笑顔だね」
「褒められちゃうと笑顔の花が咲いちゃうの」
よし、元気回復っ。大事な剣とリュックは後で見つければいい!
なにがあったのか思い出せないけれど、とりあえず魔物に囲われているし、緊急事態には違いない。嘆いている暇なんてないのですっ。前向きに頑張ろう!
「それじゃ次の相手に備えて、フルフル!」
オークたちをまるで舞踏を舞っているかのように斬り落としていくアーテルさんの姿は気品すら漂わせている。咥えた棒付きキャンディがシュールなものの、優雅な装飾が施されている仮面が、その剣技をまるで舞踏会のワンシーンかのように錯覚させた。
「綺麗……」
その華麗な動きに見とれていると彼女はこちらに向かって短剣を投げつけてきた。
「うわわわわっ!?」
耳をかすめるように飛んできた短剣は私を外れ、背後から低い唸り声が聞こえた。どうやら短剣は私の背後へ忍び寄っていたオークに突き刺さったようだ。アーテルさんの攻撃が遅ければ、私は豚さんの晩ごはんになるところだったのかもしれない。
「こら、武器屋! 次の相手に備えなさいと言ってるのにっ!」
「ご、ごめんなさい。でも私は武器屋じゃなくて武具屋だよっ」
メイスと盾を構え、私は混乱した心を落ち着かせるように深呼吸する。
「当店は防具も扱ってますのでっ」
私は装備しているミスリルの胸当てを自慢気にメイスの柄で叩く。
「命の恩人相手なら全品三割引で売っても良いよ」
「そこはタダにしてよ、フルフル~」
「タダは……厳しいです」
アーテルさんは苦笑し、どこから取り出したのか新しい棒付きキャンディを魔物たちへと向けた。一体、いくつのキャンディを持ち込んでいるのだろう。
「残りは八匹。片付けるよ、武具屋さん」
「うん! 頑張るっ!」
こちらへと近づくオークに私は盾で払うような一撃を加え、怯んだところをメイスで殴り倒す。うめき声を漏らすオークは両膝をついたものの、まだ意識はあるようだ。
誰かを。ううん、なにかを傷つけるのは嫌だけれど、私も自分の命や願いを守りたいから。ごめんね。でも、できるだけ命は奪わないように戦うよ。
私はそう心に誓いながら、起き上がろうとしたオークの顎を思い切りメイスで叩く。骨が砕けるような嫌な音が響いた。
「……できるだけね」
「ほら、油断してると次が来るよ! あんまり世話焼かせない!」
「はいっ! さあ、どんと来い、オークさん!」
アーテルさんは三匹のオークを相手にしながら私の心配までしてくれている。
よし、私もしっかり戦おう! メイスと矢の刺さった盾を構え、気合を入れる。
「アーテルさん! お互い頑張って『試練の森』を越えようね!」
そう、私たちは王女様の婚約者になるべく試練の森に挑戦する王子様候補生なのだ。それぞれの願いや夢を叶えるために。太陽が真上にある。もうすぐお昼の時間だろうか。そう言えば私が王子様候補生になったのも、二日前の今頃だった。
「いらっしゃいませ~!! 今日も良い武具が揃ってますよぉ!」
カランカランというドアベルに反応し、来店した初老の貴婦人へ元気良く挨拶する。
「おはよう、フルルちゃん。今日も元気いっぱいで可愛いねぇ」
「ありがとうございますっ!」
「でも悪いけどね、武具はいらないよ。注文の品を取りに来ただけなんだ」
「ですよね! 今お持ちしまーす!」
私は元気良く答え、武器立ての横に置いてあるフラワーバスケットをカウンターの上に移す。するとお客様は満足そうな笑顔を見せてくれた。
「フルルちゃんのアレンジメントは、いつ見ても見事だよ」
「え? 本当ですか!?」
「センスが良い。安心して仕事を任せられるよ」
「褒められちゃうと笑顔の花まで咲いちゃいます。えへへ」
気を良くした私はついつい三割引きで商品を売ると言ってしまった。お調子者である。
「バスケットで使ったお花について、解説や説明をしましょうか?」
「フルルちゃんの説明は長いから……遠慮しておこうかな」
「そうですか、残念ですっ」
私は語り出すと熱くなって止まらない困った性格をしている。お店の常連さんには解説が長いと有名なので商品説明を拒まれてしまうことが多い。
「アレンジメントの腕前は、この花の都で随一なのに、なんで武具屋をやっているのかね」
「お母さんが残してくれた大事なお店が武具屋だからですっ」
三年前、私が十歳だった頃に大切な用事があると出て行ったきり帰ってこない母親。
そんな母から残されたのは、この店舗と多数の商品、そしてお守りに置いていってくれた一振りの剣だけだった。カウンターの裏にある、その剣に手を触れるとなんだか安心する。きっと母親の残した剣に温もりを感じるのだろう。
「親思いなことだ。良い子だよ、フルルちゃんは」
「お母さんのこと、今でも大好きですから」
優しかったお母さん。小さい頃はよくキャンプに連れて行ってもらったっけ。火の起こし方、傷の手当の仕方。武具の手入れと扱い方。色んなことを教わった。
「……花で商売すれば苦労しないのにね。本当に良い子だ」
貴婦人は微笑むと商品の代金を置き、出入り口へと向かっていった。
「ありがとうございましたっ! またのご来店、お待ちしておりまーす!」
「でも、あのお客様の言うとおりなんだよね。売れるのはお花ばっかりで」
ここ花の都プリムヴェールは富裕層が多く暮らす美しい街だ。名前の通り花に溢れ、人々は平和と花鳥風月を愛する心を持っている。
とても素晴らしいことだし、私もこの都を愛しているけれども――
「……戦うべき魔物が、この街にはいないから武具は売れないんだよね」
私は肩を落とすついでに椅子に腰掛け、カウンターの上に整然と並べられた短剣を弄りながら店内を見回す。
お花は売れても、武具の維持費で経営はかつかつ。武具が売れてくれないとお先真っ暗だよねぇ……。
並べられた武器や防具の間や壁にかけられた鉢植えの上で様々な花たちが微笑むように咲き誇っていた。花屋とよく間違えられる。……だってお花いじり楽しいんだもん。
趣味でやっている園芸は店の内外に広がり、花に溢れるメルヘンでファンタジーな店舗に仕上がっている。もはや一目見て武具屋だと思う人間はいないのかもしれない。それに加え、パステルグリーンにピンクの花が咲き乱れている壁紙が、より一層武具屋の匂いをかき消していた。
「うーん。これで妖精さんでも飛んでたら、メルヘンパワー三割増しって感じだよぅ」
私は視線をカウンターの上に置いてある鏡に移し、赤茶色い癖っ毛の少女を見つめる。エメラルドグリーンの瞳に幼い顔つきに、輝くおでこ。そして子供のように小さな体。見慣れた私の姿だ。
「私がもっと、もーっと美人だったら、お客さんも増えたのかなぁ……」
「充分、可愛らしいと思いますよ、フルル・フルリエ・トリュビエルさん」
「ありがとう。でも美人と可愛らしいは違…………」
あれ? 私、誰に返事してるの? 首を傾げながら、もう一度鏡を見ると私の頭の後ろに小鳥ほどの大きさの女の子が浮かんでいた。
「うわわ!? なにぃ!?」
慌てて振り返ると、やはり掌に乗りそうな小さな少女が浮かんでいる。どうやら幻覚や目の錯覚の類ではないようだ。
「よ、妖精さん!? ど、どこから……!? なんで!? いつの間に……!? メルヘンパワー三割増し~……!?」
「四十三秒前に転送魔法で、そこの空間から湧いて出ました。メルヘンパワーに関しては分かりかねます」
陸に上げられた魚のように口を開け閉めしながら混乱する私をよそに、妖精は冷静な声色でそう解説した。
「も、もしかして、お客様でしょうか!? 当店には良い、ぐぐが揃って……!」
「お客様ではありませんし、ぐぐとはなんですか」
少女は私の額をぺちぺちと叩きながら、それを言うなら武具でしょう、と言った。
「お、おでこ。おでこはだめぇ。やめ、やめてっ」
「申し訳ありません。どうにも叩きやすそうな輝く額でしたので」
「狙いやすいデコしてるって言われるし、お客さんにもよく叩かれるけれど……」
私は額を両手で隠しながら、頭上に浮かんでいる妖精を恐る恐る見上げる。ふわふわと浮いている彼女がまとっているドレスは、よく見ると糸のように細く加工されたオリハルコンで編み込まれていた。オリハルコンは世界で最も希少な金属。かなりの高級品だろう。
もしかしてお金持ちの妖精さんなの? 仕入れすぎて困ってる鋼鉄製の剣を三十本ほど買っていってくれないかなぁ。……でも、お客様じゃないらしいし無理ですよねっ!
でもこの妖精さん。お客様でないのなら私に一体、なんの用が――――
「お喜びください。あなたは我らが魔法大国の王子様候補生に選ばれました」
「おっ……王子様候補生……?」
「あなたは王位継承権第一位、ミルドレッド・スパトディア・クリームチャット様と結ばれる王子になるべく、奮闘して頂くことになります」
頭を抱える私に妖精は豪華に装飾された巻物のような物を手渡してきた。
「詳しくは、その書簡に記載されておりますので」
「ま、待って!」
この妖精さんが、なにを言ってるのか私にはさっぱり分からないけれど、なによりも分からないのが――
「お……王子様候補生ぃ!? 私、女の子だけどー!?」
「ええ、存じあげております」
「なにかの間違いじゃない……?」
「申し遅れましたが私はクリームチャットが王宮に仕える妖精リコリス」
「え? お、おうきゅう……?」
この妖精さんが王宮でどれほどの地位にあるのかは、一介の武具屋である私には、微塵も分からない。しかし高級品を身にまとっているに相応しい身分の持ち主だったようだ。
「お見知りおきを」
リコリスさんはスカートの両端をつまみ、格調高くお辞儀をした。釣られて私もお辞儀を返してしまう。エレガントな振る舞いが、なんとなく王宮っぽい香りを匂わせる。
「ご丁寧にどうも。リコリスさん」
私の言葉に彼女は会釈し、キラキラと輝くスカートから指を離す。
「王宮妖精の仕事に間違いなどは万が一どころか、兆が一にもありえません」
「そ、そっか。それなら私は間違いなく王子様候補生とやらに選ばれちゃったんだね」
リコリスさんから先ほど手渡された巻物を開き、私は再び頭を抱える。そこには大きな青い文字で、おめでとう王子様候補生と書き記されていた。
「あ……ありがとうございます」
おめでとうと書いてあったので思わずお礼を言ってしまったのだが、書物に礼を言うなんてなんだか恥ずかしい。
「素直にありがとうの言える良い子ですね。さすが王子様候補生」
「え? 褒められると笑顔の花が咲いちゃいます。えへへ、嬉しい」
と、のんきに笑っている場合でもない。確認しておきたいことがある。
「……あの。も、もしかして私、最終的には、この国の王様に?」
「そうなるでしょうね、最終的には」
「ええええええええ!? 私が王様ぁ!?」
「ですが、それは他の候補生よりも、あなたが優秀だと実力で示した場合の話です」
「じ、実力? それより他にも王子様候補生っていたんだね」
もちろんです、そう言って彼女は優雅な所作で頷く。
「クリームチャット全国、それぞれの地区から一人ずつ選ばれる王子様候補生。あなたはその一人です」
この国には地区が二十七ある。つまり王子様候補生とやらは二十七人いるのだろうか。
首を傾げる私にリコリスさんは説明を続ける。
「フルル・フルリエ・トリュビエルさん。あなたはここ花の都プリムヴェールの代表として『試練の森』踏破に挑んで頂くことになります」
「し、試練の森ぃ?」
「頑張ってくださいね」
「……どうもありがとう、リコリスさん」
なんだか聞いたことのある地名だ。確かクリームチャット北西部に広がる狂暴な魔物やら亜人が住む深い森だったような気がする。私の住むプリムヴェールは南西部にある平和な地域で魔物や亜人は殆ど現れない。お陰様で我がフルル武具店の経営はまさに斜陽のごとくでございます。もちろん平和なのが一番だけれどもっ。
「遠い目をしてどうしました」
「……なんでもないよ。花の都は美しくも世知辛いなあって」
「『試練の森』を無事に抜けた王子様候補生にはもれなく、かなりの賞金が出ますよ」
「い、いきなりお金の話……!?」
心を見透かされたかのような彼女の発言に動揺しつつも、私の心は浮き立つ。
「世知辛さを少しは緩和できる額を提供できるかと思います」
「うーん。賞金かぁ。いくらぐらいなのかな。百万ウィズくらい?」
「最低の成績でも一億ウィズの賞金です」
一億ウィズ? この妖精さん、本気で言ってるの? えっと缶ジュースが一本、百四十ウィズだから、えっと……。
「大金だね!?」
「だからそう言ってるじゃないですか」
王様になれるかどうかはこの際、置いておくとして。試練の森を抜けたら最低でも一億ウィズ。一億ウィズもあれば、大切なお店の経営が持ち直すどころか店舗拡大、広告費に注いで派手に宣伝もできる。いや、その全てにお金を使っても余裕で釣りが出るだろう。
――つまりお母さんの店と帰る場所を守れる!
「はい! 私、王子様候補生やります……!!」
「と、意気込んで故郷を離れて、はるばる首都までやってきたものの……」
目の前に広がる世界。故郷のプリムヴェールでは見たことがないような大きな建物が並ぶ。馬車が走る広い道はしっかりと石畳で整備され、なんと一部の歩道は動いている。
「な、なにこれ、凄い。乗ってみていいのかな」
おっかなびっくり、人の流れに混ざり動く歩道に乗り込んでみる。私の背負った大きなリュックが少し他の人に迷惑かなと乗ってから後悔した。動く歩道は左右を同じく動く手すりに囲われており二人分の幅がある。しかし右側は動く歩道の上を更に歩く人が優先されているらしく、足を止めている人は左側に寄っていた。
私の大きなリュック……歩道塞いじゃってるなぁ。でもそこの注意書きに動く歩道では『しっかりと手すりを掴み、歩かないでください』って書いてあるし……まあいいか。
しかし動く歩道の右側にはどんどん人が詰まり、背後からの視線が背中に突き刺さる。
「うう……ごめんなさい。でも前の人に荷物がぶつかるから、私は進むわけにも引くわけにもいかないので、本当に申し訳ありません……」
……謝っても誰も反応してくれない。なんだか都会って怖いね。それでも、この動く歩道は楽ちんすぎる。首都凄いよ!
不思議そうに見えるけれど動力は自動販売機と同じく配線で供給される魔力かなぁ。
まさに発展した都会といった様相だ。動く歩道から降り、足を止めた私は息をつく。故郷を離れて、はるばる勝手の違う都会に来たという実感が湧いてきた。
「はるばるって言ってもプリムヴェールからここまで一秒もかかってないんだけどね」
準備ができたらここに触れてください。リコリスから受け取った巻物に大きくそう書いてあったので、準備万端整えた私は深く考えず、その部分に触れた。すると目の前が光に包まれ、気がついたら国と名を同じくする首都クリームチャットの街中に立っていたのだ。最初、なにが起きたのか状況を把握できずに慌てて巻物を読み直した私だったが、王子様選抜試験開会式を行う首都への転送魔法が仕込まれていますと、隅にしっかり注意書きが記されていた。
「転送魔法って凄いんだなぁ」
故郷から首都まで徒歩で移動したら、何日かかるか分かったものではない。
そして興味本位で首都を散策し、今に至る。それにしても――
「これぞまさに場違いって感じだよ……」
すれ違う殆どの人が私を横目で追い、含み笑いまでされてしまう始末。しかし、それも無理はないだろう。私は行商人と間違われそうな身の丈の倍はある大きなリュックを背負い帯剣までしている。街行く人々はシルクの衣装をまとい、武装もしていない。更には同い年くらいの細く整えられた眉毛をした少女たちはしっかりメイクをして、服装もおしゃれの一言。なのに私はノーメイクな上に眉毛は太く、服装も胸当ての下はコットンのエプロンドレス。
なんだか、とっても恥ずかしくなってきました。どこからどう見ても私は田舎者丸出しだよね、うん。言い訳がましいかもしれないけれど我が故郷、花の都プリムヴェールの一般階層なら恥ずかしくない普通の服装だもん……。
「まあいいや。開会式は二日後だっけ」
気を取り直し、巻物を開く。開会式の会場は、この国を治める女王が住まう居城前の広場。明日までの間は国が用意してくれた宿泊施設に滞在できるらしい。巻物に記載されている地図で現在地を確認した私は、とりあえず宿泊施設へ行こうと決め、足を踏み出した。
私が首都に来てから二日が経ち、王子様選抜試験開会式の会場である城前の広場には大勢の人と兵士で溢れていた。私を含む、王子様候補生と思われる二十七人は会場内中央にある立派な舞台の上に案内され、横一列に並んだ立派な椅子に座らされている。舞台の周りは兵士に囲まれ、国民は近寄れないようになっているが、どうにも見世物にされているようで私は落ち着かない。ちなみに自前の大きなリュックは椅子の前に置いてある。
平凡に地味に生きてきた私の人生、こんなに注目を浴びることなんて今までなかったのに……。もう少しおしゃれしてくれば良かったかなぁ。なんだか、とほほだよぉ……。
とは言うものの、私以外の王子様候補生も都会にそぐわぬ服装や装備をしていた。全身を白い立派な鎧で包んでいる者もいれば、不思議な機械を背負って全身に管を伸ばしている人もいる。左隣に座っている私と同じくらい小柄な人に至っては黒いローブから伸びるフードで頭を覆い、さらには仮面まで着けていた。仮面から覗く口元にはキャンディのスティックを覗かせている。……すごい格好。――――あれ、この子?
「ん~? あんた、さっきから人のこと、じっと見つめてくれちゃって、なんなの?」
「ご、ごめん。なんでもないの」
「ふーん。まあいいけど」
この声。このキャンディ仮面……やっぱり女の子だ。私は王子様候補生たちを注意深く見渡す。豪華な椅子に座った私を除く二十五人。その半数以上は、なんと女性だった。
「……お姫様と結婚するはずの王子様候補生なのに女の人がいるのはなんでだろう」
そしておかしい。今気がついたけれど、この舞台には二十六人しかいない。王子様候補生は二十七人だったはずなのに。
「あんた、そんなことも知らずにここにいるの?」
先ほど、思わず口から出た言葉にキャンディ仮面が反応してくれたようだ。
「一部の魔法士は女の子同士でくっついても問題ないの」
「どういうこと? 跡継ぎとか、いいのかな?」
「強力な魔力を持ってる人間はね、ある魔法を使って女の子同士でも子供を作れるんだよ」
「え!? そうなのぉ!? 女の子同士で子供作れるの……!?」
「うん。限られた人間だけの話だけどね」
一般庶民な私は全く知りませんでした。魔法ってやっぱりすごい。
「教えてくれてありがとう。私はフルル・フルリエ・トリュビエル。武具屋です」
笑顔で自己紹介をすると、仮面の少女は私の顔を凝視しながら沈黙した。
「えっと……え、えっと?」
「ごめん。とても、良い笑顔だったから」
「そう? 褒められると笑顔の花がもっと咲いちゃいます」
互いに笑い合い、二人の間に和んだ空気が溢れだす。良かった、友達になれるかもっ。
「私はアーテル・アルト。あんたは略して、フルフルだね」
「ふ、フルフル……っ?」
「うん、フルフル。お近づきのしるしにチュパパキャンディあげる」
彼女がローブの中から取り出した棒付きキャンディを受け取り、私は会釈する。
「ありがとう。よろしくお願いします」
なんだか懐かしい。三年前に出て行ったお母さんも私をフルフルって呼んでたっけ。そういえばアーテルさんの髪って、お母さんと同じプラチナブロンドだ。
「ところで武具屋さんだっけ。何屋さんなのそれ」
「何屋さんって。武具屋さんだよ。武具売ってるの」
「武具って、こういう剣とか?」
アーテルさんは自らの腰に差した剣を指差す。
「うん、武器と防具を扱ってるから武具屋さんなの」
「へえ、それなら私の剣っていくらくらいするのか分かる?」
「えっと……そうだねぇ」
私は腕を組んで、彼女の剣を凝視する。
「柄も鞘もガラス製。そんな作りの剣は私が知る限り一種類しかない。それエルフの武器だよね。別の大陸に国を構えるエルフたちの特殊なガラス技法。そうして鍛えられたガラスは良質なものであれば鉄はおろか、ミスリルにも引けをとらない強度を誇る」
「へ、へえ、そうなんだ」
「一見、細身に見えるけれど、この鞘や柄に鋼鉄製のウォーハンマーをいくら叩きつけても一つの傷もつかないはず。澄んだ黒いガラスの柄。製作者は天才的な技術を持っていると容易に想像できるよ。刀身まで確認したわけじゃないけれど、アーテルさんの剣は最高品質に見える。いつかうちの店でも扱いたいくらい。刀身も同じ品質だと仮定して――」
「か、解説長いっ! エルフ製の武器ってことしか頭に入らなかったよ……」
「ご、ごめん」
「それで鑑定結果は?」
「そうだね、約千五百万ウィズ」
取引の状況で値段は左右するかもしれないが市場では大体それくらいだろう。
「ぶっぶー。おおハズレ~」
「嘘ぉ!?」
「正解は貰い物だからタダでした」
「わ…………分かるわけないよ、そんなの……っ!」
そう私が声を張り上げた時だった。視界の向こう、左端に座っていた青いドレスの美しい女性が厳しい表情を浮かべ、私の前へと粛々と歩いて来たのは。
「静粛に。これから王女との謁見が控えている。私語は弁えろ」
「ご、ごめんなさい」
助け舟を求めるようにアーテルさんへ目を向けると彼女はそっぽを向いて、どこ吹く風の様子だった。気まずい空気。もう一度、謝ろうと口を開きかけた私と視線が合い、青いドレスの女性は目を見開く。どうしたんだろう? また何か気に障ることしちゃったかな? そう慌てる私を、彼女は空色の瞳で見つめている。
「フローラ……」
フローラ? お母さんの名前だ。
「もしかして、お母さんを知ってるのですか?」
「フローラの娘……? そう。フローラにこんな大きな娘がいたのか」
母親に、そっくりだ。そう言って彼女は優しい表情で笑った。
「フローラは王立魔法学園時代の先輩で親友でね。とても世話になった」
「お母さんは学生時代の思い出を聞かせてくれる時、いつも幸せそうな顔をしてました」
「……そうか」
「最高の人たちと過ごせた素敵な時間だった。そう聞いてます」
懐かしそうに目を細め微笑む彼女を見れば、過去に二人は良い友人関係だったのだと容易に察せられる。お母さんの友達。不思議な出会いに、私は言葉が詰まる。
「申し遅れたな。私はグリセルダ・メルマイディ・ウィステリア」
私も自己紹介を返すと、彼女は小さく会釈し嬉しそうに笑ってくれた。
「私はここ、首都クリームチャット代表の王子様候補生だ。よろしく、トリュビエル」
グリセルダさんが席に戻った直後に、この国の王女ミルドレッド・スパトディア・クリームチャットが、そのきらびやかな姿を現した。彼女はこの広場を一望できるような城の上部にあるバルコニーに立ち、笑顔で皆に手を振っている。彼女を見守る殆どの人々が熱狂の声を上げた。それにしても綺麗な人だなぁ。さすが王女様。真っ赤なドレスにプラチナブロンドの髪。その髪を左右に結び分けている。
――プラチナブロンド?
私は隣に座ったアーテルさんに目を向ける。彼女は仮面から覗かせた口をへの字に曲げ、不機嫌そうな雰囲気を醸し出していた。
「……大丈夫?」
また誰かを怒らせないよう、ささやいた私にアーテルさんは頷く。
「……グリセルダめ。なんのつもりで王子様候補生に……」
「え? もしかして知り合いなの?」
「……まあね」
そう言ってアーテルさんは拗ねた子供のように頬を膨らませ口を尖らせる。凄い。仮面で顔の半分が隠れてるのに、口元だけで感情が手に取るように分かるよ、この人……。
「水の魔女がライバルなんて面倒くさいことになってきたじゃん……」
「あ、あの人が水の魔女グリセルダだったんだね」
アーテルさんは頷き、新しいキャンディを咥えた。水の魔女。その名には覚えがある。この世界にたった八人しかいない魔女の称号を持つ強力な魔法士の一人。
「確か水の魔女は王宮に仕える魔法士で一番偉い人だったような……」
小学生の頃に社会の授業で習った気がする。
「正確にはクリームチャット国軍の長官。女王に継ぐ権力者だよ、フルフル」
「え? なんでそんな偉い人が王子様候補生になって、私たちと一緒にいるの?」
「さあね。私が聞きたいよ。てっぺんになってみたかったんじゃないの?」
「うーん……」
唸りながら私は左端の席に座るグリセルダさんへ視線を送る。彼女は優しげに微笑みながら、遠く城のバルコニーに立つ王女を見守っていた。
お母さんの学生時代の友達。どんな目的で王子様候補生になったんだろう。
そうこうしているうちにも王女様の挨拶が始まった。アーテルさんが黙ってしまったので、私もバルコニーを見上げ王女の話を聞くことにした。
「現女王は危篤状態にあり、王位を継ぐ者である私は国の習わしに従って王を得なければなりません」
毅然とした態度で王女様は言葉を続けていた。魔法大国クリームチャットでは女王が頂点に立ち行政を取り仕切っている。そして国を継ぐ条件として王様を迎える義務がある。簡単に言うと女王様になりたければ結婚相手をみつけてこいっ、そういう話だ。
「我が国の二十七地区から、お集まりいただいた王子様候補生の皆さん。私の王子様になるべく頑張ってくださいね」
その言葉に王子様候補生の半分以上が、それぞれ任せろだの、俺が娶るだの、熱い反応を見せる。
「……あんな奴ら。ミルドレッドには相応しくない」
アーテルさんの呟いた、その言葉が強く印象に残った。
「それでは皆さん。ご検討を祈ります。数分後の転送に備えてください」
「え? 転送って……。え? どこへ?」
「フルフル、ちゃんと巻物読んだの?」
「うん。ざっと」
「ざっとって。ちゃんと読んでおきなよ。開会式後の段取りが書いてあったでしょ?」
「ざっとだから読み零してたかも……?」
私の言葉にアーテルさんは、これ以上ないかというくらいの呆れ顔になってしまった。
「だ、だって……挿絵のない文章読むの苦手なんだもん……」
「いい? 時間がないから、よく聞いて」
「は、はい」
「これから私たちは試練の森の入り口付近へ転送されるの」
「嘘でしょぉ……!? それじゃもう試験開始なの!? 心の準備期間はー!?」
「開会式が終わったら転送されて、そのまま開始って巻物に書いてあったのに~」
「う、うう……」
「椅子に座っている者と、その所持品を転送する魔法が仕掛けられてるから、リュックにしっかり手を伸ばしておきなよ。あんたのでしょ、そのデッカイの」
私は頷き、慌ててリュックへ手を伸ばす。ここまで持ってきて置き忘れは困る。
「王子様候補生たちは、それぞれバラバラの場所に転送されて、各自、森の北にあるゴールを目指すことになるんだよ」
「み、道順が分かんないよ」
「巻物に便利なマップの魔法がかかってるから、絶対失くさないように」
ちゃんと巻物読んでおけばよかったぁ……。後悔先に立たずである。
「それとあんた。お人好しそうだけど、他の候補生を見つけても簡単に気を許しちゃだめだよ」
「……どうして?」
「過去の選抜試験で王子様候補生の中には他の候補生を蹴落としてでも上位を目指そうって奴らがいたからね」
「みんな仲間じゃないの?」
「下手したら全員敵だよ、フルフル」
アーテルさんに返事を返そうとした瞬間だった。お互いの体が光を帯び始めたのは。
ううん……王子様候補生、全員が光ってる。きっと転送が始まるんだ。
「フルフル。この試験は王子様候補生同士、信頼を固めて協力し合えるかどうかも鍵になってる」
「信頼……」
「うん。私たち、協力し合えると思わない?」
「思う。アーテルさんは信用してる」
「……嬉しいけど、そんな簡単に人を信用しちゃだめだってば」
「う、うんっ。気をつけるね」
「よろしい。現地に飛んだら、私を見つけて。私もあんたを探すから」
王子様候補生たちを包む光がどんどん強くなっていく。
「いい? 試練の森はゴールのある北へ進めば進むほど危険になるの。気をつけて」
「アーテルさんも気をつけてね」
「それじゃ向こうで会おう、フルフル」
「うん! アーテルさん、色々親切にしてくれてありが――――」
強い光に目が眩み、目を閉じる。そして再び瞳を開くと、そこは。
「うわわわ。森だ~! 森の中に飛んできちゃったぁ!」
一面の緑。近くには小川が流れ、心地よいせせらぎの音が耳に届く。木漏れ日の光を反射した水面も美しい。綺麗な森の中に私はチュパパキャンディ片手に立っていた。
「わあっ、アネモネの花がいっぱい咲いてる!」
小川はアネモネの花に囲われて、素晴らしい風景に彩っていた。
「いいなぁ、川ごと持ち帰ってお店で育てたいくらいだよ~」
思わず花の観賞をしたくなってしまったが、そこはぐっとこらえて巻物を読み直そうと、しまってあるリュックに手を伸ばす。その時、背後から草を踏むような音が聞こえ、私は剣の柄に触れながら慌てて振り返る。
「誰!?」
「慌てないで。敵じゃないわよ」
そこには魔物の類ではなく、先程の会場で見かけた王子様候補生の一人が立っていた。
……女の子だ。一見、少年のように見えるが声はあどけない少女そのものだった。彼女は黒髪を長めのボブカットに整え、額の上にはゴーグルを着けている。笑顔を浮かべて、如何にも優しそうな女の子だった。会場で見かけた時は男の子かと思っていた。
「大きな声が聞こえたから、誰かいるのかなって。驚かせちゃったかしら?」
「ううん。大丈夫。良かった、森で出会った最初の王子様候補生が女の子で」
「女同士、話しやすい感じはするわよね」
「うんっ。男の人と森の中で一対一って、なんだか少し緊張しちゃうし」
「あなた、純粋そうだもんねぇ。可愛らしい」
「えへへ。そうかな。ありがとう~」
「なに、その眩しい笑顔」
少女は何故か眉をひそめて怖い顔をする。私の笑顔が気に障ってしまったのだろうか。
「ほ、褒められると笑顔の花が咲いちゃうの」
「ふーん。ところであなた、私が王子様候補生って覚えていたのね」
よ、良かった。怖い顔から笑顔に戻ってくれて。
「うん。不思議な機械背負ってる人だなーって思ってた」
「それなら話が早いわ」
彼女は大きなランドセルのような機械を背負っている。その機械から、まとっている鉄と革の鎧や剣へ管が伸びていた。どんな機能を持っているか分からない。様々な武具に精通している自信がある私にも、値踏みしかねる装備だった。
「背中のそれ。見たこともない機械」
「これ? 私の地区では当たり前の装備なんだけどね」
触って調べて詳しく鑑定してもいいですかぁ!? と言いかけたが、さすがに初対面でそれは変人すぎるだろう。私は必死に武具屋魂を抑え、自重する。
「私はトリニタリア・セシーナ。あなたはフルルだっけ」
「え? どうして私の名前を知っているの?」
「開会式中に自己紹介してたでしょ」
「そっか。聞いてたんだね。確か席も近かったし」
私の言葉に頷き、トリニタリアさんは綺麗なところね、と笑顔で呟いた。
「うんうん。アネモネが咲き渡ってる素敵な場所だよねっ。プリムヴェールでもこんな綺麗な場所滅多にないよっ」
「花の都の代表なのね。二十七地区で一番穏やかで平和な場所」
「知ってるの? 素敵なところだよっ」
「さぞ素敵でしょうね。あなたみたいな純粋培養のイイコが、たくさんいる地区」
彼女の瞳に一瞬、暗い影が差した気がして、私は一歩後ずさった。
「高そうな良い剣ね」
「うん、とっても大切な剣なの」
「大切な剣なのね。ふふ」
……良かった。優しそうな笑顔に戻ってくれた。
「うんっ。トリニタリアさんは、どこの地区の代表なのかな?」
「ところで美味しそうな、キャンディ持ってるわね」
「え? これはチュパパキャ……」
私は突然、腹部に強烈な苦しみを覚え、アネモネの絨毯へ膝をつく。
「トリニタ……リア……さ」
内臓がかき回されたような苦痛。彼女が私の腹部に拳を叩き込んだのだ。トリニタリアさんは優しそうな笑みを崩さず、私を見下ろしている。その優しげな表情が逆に怖かった。
「私の生まれ育った地区じゃね、そのキャンディを手に入れるために人が人の命を奪うことだってあるのよ」
お腹……苦しい……なんでこんなことを。そう言いたいのに声がでないよぉ……。
「私が、どこの代表なのか聞いたわね」
トリニタリアさんは私の髪を掴み上げ、耳元に唇を寄せてきた。目には涙が浮かび、相手の姿がよく見えない。
「私はドンディエゴディアの代表」
あれ……? 頭が痛……。なにかで殴られ…………目の前がぐにゃぐにゃ……。
「二十七地区で一番治安の悪い危険な場所よ」
「ここは……」
光に包まれ転送された先は、森の中にある小高い山の上だった。
アーテルは腰のポシェットから巻物を取り出し、現在位置を確認する。王子様候補全員に配布された巻物には現在位置と周囲数十キロに渡り地形が表示される地図の魔法がかけられている。これを見れば目的地と現在地の距離関係も容易に把握できるのだ。
あの小さな武具屋さんは、ちゃんと地図見てくれているだろうか。イマイチ心配だ。
「さあて、捜索開始と行きますか。フルフル、私が見つけるまでやられちゃわないでよ」
アーテルは森を一望し、新しいチュパパキャンディを咥えた。
「フルフル、見ぃつけた」
それは全くの幸運だった。森に入って間もなく、オークの一団を目にしたアーテルは豚面の亜人たちとの交戦を避けるために迂回した進路を取った。大回りした結果、森を抜け開けた崖の上に出た。そこで王子様候補生の女に担がれたフルルを見つけたのだ。
とっさに木陰に隠れ、二人の様子を見る。
……なにがあったのか分かんないけど、なんだか緊急事態って雰囲気だね、こりゃ。
新たなキャンディを口へ運ぶ。甘い物を食べていると脳が癒やされて冷静になれる気がするのだ。どう行動に出ようか迷っていると、女は崖へ一直線に進んでいった。
――あいつまさか。フルフルを崖に……っ。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「……っ!?」
女は私の声に驚いたのか、フルルを投げ捨て隙のない動きで身構える。地面に転がった哀れな少女は意識を失っているのだろうか、身動き一つしない。
ま、まさか。生きてるよね?
「あんた、フルフルをどうするつもりだったの」
「気絶してたから介抱してあげてたのよ」
「そうなんだ。でもあんたが咥えてる限定チュパパキャンディのスティック……」
女へ短剣を投げつけると同時に一気に距離を詰め、アーテルは彼女に向かって剣を振り下ろす。
「私がフルフルにあげたものなんだけど!」
弾ける金属音。投げつけられた短剣を柄で弾いた女は、そのままアーテルの剣を刀身で受ける。剣が交差し、火花を散らす。…………手強い。
「そのキャンディ、フルフルを襲って奪ったね、あんた!」
「ご名答。だからなに?」
鍔迫り合いが続く中、女のニヤけた顔が鼻につく。
「なに? って、あんた……」
「ぶん殴ってアイテム強奪したのを恨まれでもしたら面倒くさいじゃない?」
「気持ちは分かるけどさ、試験中に他の候補生から命を奪ったら失格じゃん」
「だから証拠が残らないように、崖から投げ捨てようとしてたのよ」
「なるほどねぇ」
「分かったら邪魔しないでッ」
言葉を切ると同時に放たれた女の蹴りをかわし、アーテルは距離を取る。短剣を投げようと構えると女は口元に指を当て含み笑いをした。
「なにがおかしいの」
「その短剣、どこから取り出してるのかしら。まるで手品か魔法みたい」
「ローブからだよ」
「そのローブからぁ? 冗談でしょ? ひらひらしてるくせに」
「な、なにそれ」
「短剣が仕込まれてるような重さを感じないってことよ」
……こいつ、よく見てるじゃん。
「それがあなたの魔法? そうよね、魔法大国で魔法が使えない人間はほとんどいない」
「ノーコメント」
「そう。でもね、私は魔法が使えないのよ。分かる? この国でそれがどういうことか」
いいわね、魔法が使えて。女がそう呟いた瞬間、背にしている機械の様なものが動き出し、唸るような音を上げる。彼女は額のゴーグルを目の位置まで下げた。
「仕事にも就けない。就けたとしても奴隷に近い最下層の仕事。使用者の魔力を動力にしてる機械も使えない」
女の言葉を聞き流し、アーテルは警戒する。あの機械、なにかある。
「そんな人間はドンディエゴディアに集まって、細々と慎ましく生きるしかないの」
蒸気のような煙が、ゆらゆらと彼女の背中から立ち上がり始めた。
……なにか仕掛けてくる気だ、こいつ。
「他人から奪いながらね!」
激しく蒸気のようなものが噴出されると同時に、女は高速で間合いを詰めてきた。
「――速っ!?」
魔法大国で行き場も魔力もない人間が行き着く地区、ドンディエゴディア。そこでは魔法の代わりに圧縮した蒸気を使った不思議な機械や技術が発展しているという。その技術を使い略奪行為を続ける盗賊たち。彼女たちは拠点を地下に構える。そして出入り口を兼ねる独特な形状の建物や地下拠点を含めてバンカーと言う。
蒸気を操り地下に生きる彼女たちを人々は、こう呼んだ。
「スチームバンカー……!」
「ご名答。私の『魔法』を見せてあげるわ!」
女の剣から同じように蒸気が溢れ加速する。斬り下ろしの一撃を剣で受け流したものの、受け流した剣は蒸気を吹き出し不自然に斬り上げの軌道へと変化した。アーテルは辛うじて刀身で受け止め、反撃の水平斬りを放つが、女は蒸気を吹き出しながら後方へ飛ぶ。
その蒸気を浴びてアーテルが怯んだ瞬間だった。女は背から溢れる蒸気の勢いを利用し空中で軌道を変えると、こちらに向かい斬りかかってきた。
「な、なんて動き……!?」
「青ざめたぁ? 良い顔。あははははは」
笑いながら剣を振り上げる女の顔に、キャンディのスティックを吹いて飛ばす。
スティックが額に当たり一瞬怯んだ女の攻撃をかわし、アーテルは再び距離を取る。
「……舐めた真似してくれるじゃない」
「まあ、キャンディは舐める物だし?」
短剣を投げるモーションを見せてたらかわされてたろうし、こいつの攻撃、早すぎて投げてる余裕はなかったからね。だから意表を突いてスティックを飛ばしたけど。でも、一時凌ぎ。こいつ本当に強い。私も手加減してられないか。魔法はできるだけ使いたくなかったけど――
女の背から蒸気が溢れだす。また来るか。だったらやるしかないね。そう覚悟を決めアーテルが身構えると、女は後方の森へ蒸気の噴出と共に飛び上がった。
「なんなの、あんた。逃げる気!?」
「やめやめ。あなた、まだ奥の手を隠してそうだもんねぇ」
女は大木の枝に乗り、こちらを見下ろしながら肩を竦める。
「それにほら、豚さんたちの群れが怖い顔して、ご登場よ」
「げっ……」
森の中から鼻息の荒い複数のオークが現れた。彼らは武器を手に殺気立っている。
あちゃ~。さっきのオークの群れか。派手にやりあってたから気づかれちゃった感じ?
「それじゃ、後は豚さんたちと頑張って。私は行くわね」
「……あんた、名前は」
「トリニタリア・セシーナ」
「私はアーテル・アルト。今日のことは忘れないからね」
「はいはい。お互い生きてたらまたどこかでね。チャオ」
バカにするような仕草で手を振りながらトリニタリアは蒸気をまといながら森の中へ消えて行った。
「……引き際も見事じゃん。食えない奴」
それよりフルフルは。フルルに駆け寄り、アーテルは彼女の首元に手を伸ばす。
「……良かった。生きてる」
後頭部から出血し、呼吸は浅いが脈はある。しかし、多数のオークに囲まれたこの状況。奴らを蹴散らすのは容易でも気絶した少女を戦いながら守り抜くのは、さすがのアーテルでも自信がない。
「起きて、フルフル。かなりヤバイ状況だよ」
揺すっても起きやしない……。
「フルフルっ」
オークたちは彼らの言語で仲間に声を掛けあっているのだろう。徐々に数が増えていく。
これは、本当にヤバイってフルフル……。
「フルフル。フルフル!」
オークが放った弓矢を素手で払いのけ、アーテルの苛立ちは高まる。
「雑魚のくせに……。今、矢を飛ばしてきた豚……後でトンカツにしてやる……」
そう呟き、アーテルはチュパパキャンディを口に運ぶ。
甘い物を食べて脳に糖分を送ろう。こんな時こそ冷静にならなきゃ。
「起きてよ、フルル・フルリエ・トリュビエルっ! あんたも王子様候補生なんでしょっ!」
「あー! 思い出したぁ……っ!」
「お、おおぅ。藪から棒になんなの、フルフル~」
オークを全て撃退し――殆どのオークを倒したのはアーテルさんだけれども――とにかく撃退し、一息ついていると意識を失う前の私の記憶が急激に蘇り始めた。
「そうだ。私、トリニタリアさんに……なにかされて……あたた」
「ほら、頭に怪我してるんだから急に大声上げないの」
「うん。助けてくれて本当にありがとうございます」
「どういたしまして」
私は頭を下げながら、母の教えを思い出す。生肉を好む魔物の習性。
「移動しよう」
唐突な私の言葉にアーテルさんは怪訝な表情で首をかしげる。
「肉食の魔物は血の臭いに引き寄せられて集まってくる種類が多いの。急いでやること済ませて移動しないと」
「フルフルの頭からも少し血が出てるけど、魔物が寄ってくるのかな?」
「これくらいのかすり傷なら大丈夫。でもオークの血は……」
アーテルさんは動脈などの急所を狙い、細身の剣で一撃でオークたちの命を奪っていった。当然、動脈を斬れば血が溢れだす。彼女は返り血がかからないように出血する方向をコントロールしているかのごとく、オークたちを器用に倒していた。
その血溜まりが、命を奪われたという実感を私に突きつける。
「なに悲しげな目で豚共を見てるの」
「……どんな生き物でも死んじゃうのを見るのは辛い」
「こいつらは、私たちが死んでもそうは思ってくれないよ、フルフル」
「うん。それでも悲しいよ」
「フルフルは一匹の命も奪ってないじゃん」
「……うん。気持ちを切り替えなくちゃ、だね」
そう言いながら私は絶命しているオークの腕から鉄製の円盾を取り外し、矢の刺さった盾と交換する。
「壊れた私の盾の代わりに頂きます」
そして彼の腰に下がっている革袋を開き確認すると、中には出血止めに使う薬草が入っていた。原始的な物だが効果はある。
「な、なにしてるの?」
「気持ちを切り替えて使えそうな物を回収してるの」
「な、なるほど……」
「私のポシェットに入れてあった傷薬や包帯、万能解毒剤などなど、全部盗られちゃったみたいなので代わりにね」
息絶えた数匹のオークから使えそうな物を回収し、腰のポシェットに収める。
「戦利品、貰っていくね。ありがとう」
そして私は、まだ息のあるオークの両足を掴み必死に引っ張ってみる。重いが、あの巨大なリュックを背負い持ち上げる腕力がある私には、さほど苦もなくオークを移動させられそうだった。
「……今度は、なにを始めちゃったの?」
「生きてるオークを離れた場所に移してあげなきゃ」
「ま、待って。血に引かれた魔物が、ここへやって来るんだよね?」
「うん。だから急がないと。この子たち、放って置いたら食べられちゃうよ」
「な、なに言ってるの? こいつら、ただの亜人だよ? 人間襲う化物だよ?」
「そうだね。でも私たちがこの森に来なかったら、オークたちだって今日ここで傷つかずに平和な一日を過ごしてたかもしれない」
「……それはそうだけど。こいつら助けたって恩なんか感じないし、どこかで出会ったらまた襲ってくるよ」
「助けた相手がどう思っても構わないよ」
必死に引きずって生きたオークを森の入り口まで運ぶ。血溜まりのある崖から、もっと離さなければ。
「命は出来るだけ奪いたくないし、消したくない……」
「魔物が来るんでしょ? 自分の命を危険に晒してまで、こんな豚、守りたいわけ!?」
「私ね、お花を育てるの好きなの」
「……え? だ、だからなに?」
「お花を育てるの失敗して枯れちゃうと凄く悲しい」
アーテルさんは眉をひそめ、首を傾げる。
「命を育てるのは楽しいけれど、消えちゃうのは悲しいことだと思う」
真っ直ぐに彼女を見つめて精一杯気持ちを伝えた。バカなことをしてるのは分かってる。誰に褒めてもらえることでもない。自衛で相手が死んじゃうのも仕方がないかもしれない。でも……それでも救える命があるなら。
「オークたちにも帰りを待ってる家族がいるかもしれない……そう思うと私」
涙が溢れてくる。このオークたちにも帰りを待つ家族や子供がいて。ずっと帰らない親を待つ子供が増えてしまうのかもしれない。そんなの悲しすぎる……。
「倒したオークの家族心配して泣いてる人間なんて世界中、探してもフルフルくらいじゃないかなぁ……」
「……かなぁ」
「しょうがないな~……」
アーテルさんはため息混じりに、私が引きずっていたオークの肩を持ち上げた。
「豚共、運ぶの手伝ったげるから、さっさと済ませて、とっとと移動しよっか」
「……うんっ! ありがとう、アーテルさん!」
「元の場所にあってよかったね、フルフル」
「うん、やっと見つけたぁ、私のリュックぅ」
トリニタリアさんが私のリュックやお母さんの剣を持っている様子はなかったとアーテルさんから聞いた私。それなら元の場所にあるのではと、回収しに行きたいとわがままを言ったのだが……。広い森の中、しかも気絶した場所から崖までどうやって移動したかも分からない。分かっているのは小川沿いのアネモネが咲き渡っている場所という情報のみ。同じような場所が続き、いよいよ諦めかけた時、ようやくリュックを見つけたのだ。
「あああ、中身、こんなに散らかしちゃって……うぅ、ひどいなぁ」
「ねえ、フルフル。傷心のところ悪いけど、そろそろ日が落ちるし、ここでキャンプする準備しようよ」
確かにオークたちの運搬やリュック捜索に時間を取られすぎて既に日が傾いている。
「水辺で、なにかと便利だしさ」
「でも、ここはキャンプに向かないかも」
「どうして?」
「川沿いには魔物が水を飲みに来たり、魚を取りにくるかもしれないからね」
魚食性の魔物は近寄らなければ、積極的に襲ってくる種類は少ない。
しかし、縄張りの餌場に人間がいた場合は別だろう。確実に襲ってくる。
「争いは出来るだけ避けたいなって」
「確かに無駄なリスクは避けたい」
それに殆どの魔物は当然、生きているのだから水を必要としている。昼ならまだしも、魔物の動きが活発になる夜間の川沿いは特に危険な場所なのだ。オーガやバジリスクなどの凶悪な亜人や魔物、運が悪ければマンティコアが水を飲みにやってくるかもしれない。この場所がそんな魔物の生息圏内であればの話だが。魔物だって水分補給しないと、喉が渇いちゃうのですっ。そう説明するとアーテルさんは感嘆の息を漏らす。
「凄い知識じゃん、フルフル! そっか、この場所は危ないんだね」
「うん。お母さん仕込みの知識なの、えへへ」
「あんたって抜けてそうで、こういう時は頼りになるのね」
「ぬ、抜けてそう……かな」
「うん、抜けてそう。巻物をちゃんと読んでなかったし」
「う、うぅ。なにも言い返せないよぉ……」
肩を落す私のおでこを指先で弄りながら、アーテルさんは微笑む。
「あうう……。お、おでこはダメ。おでこは弱いのっ!」
私は両手で額を隠しながら、恐る恐るアーテルさんを上目遣いで見上げる。
「ごめん、ごめん。頼りにしてるぞ、相棒」
「えへへ。頼りにされるのって、なんだか嬉しいなぁ」
「あんたの笑顔好き。本当に花みたい。癒される」
なんだか照れくさい。顔が熱くなってきた。返事に困り、私は話を変えることにした。
「へえ、フルフルってお店の経営持ち直すために王子様候補生を頑張ってるんだ」
「うん。一億ウィズがあれば、お母さんが残してくれたお店と帰る場所を守れるの」
「試練の森さえ越えたらフルフルの願いは叶うじゃん」
「うんっ。なので頑張るっ!」
「そかそか。……お母さんの剣が見つからなくて残念だったね」
「悲しかったけれど、ないものはしょうがないし、元気に前に進んでいくよ、私っ」
「前向きなところは好感が持てるよ、フルフル~」
「ありがとう。褒められると笑顔の花が咲いちゃいます」
私とアーテルさんは森の茂みにキャンプの炎と身を隠しながら、交互に六時間ずつ睡眠を取り無事に夜を明かした。二人同時に寝てしまうと魔物の襲撃や不測の事態があった時に対応が遅れてしまうので別々に寝る必要があるのですっ。
「そういえばトリニタリアさんはリュックからは携帯用の食料だけ盗んでいったみたいだね~。他は手付かずだったよ」
「食料ロストはキツいね。昨晩はお互いチュパパキャンディしか食べてなかったし」
今もアーテルさんの口元から伸びるスティックの先にある、甘い蜜の宝玉からは甘い香りが漂ってくる。
「お陰で昨日はひもじさが和らいだよ。ありがとっ」
「私はキャンディがあれば生きていけるけど、あんたはそれだけじゃダメだよね」
「途中で食料調達すればなんとかなるよ。こう見えてサバイバルだけは得意だからねっ」
「そっか。それじゃ、そろそろ行こうか、フルフル」
アーテルさんは巻物を開き、地図で現在地と進むべき方角を確認してくれたので、私は彼女について歩き出す。
「フルフル、昨晩は剣の手入れしてくれて、ありがとね」
「どういたしまして。でもね、そんな立派な剣を血がついたまま、払いも拭きもせずに鞘に納めちゃうなんて。血液が固まったりして、くっついちゃったらいざという時抜けなくなっちゃって危ないかもしれない上に不衛生だもん。良くないよっ」
アーテルさんの両肩を掴みながら一気に熱弁する私の迫力に負けたのか、彼女の目は泳いで他所を向く。
「し、心配してくれてありがとね」
「それにポイポイ投げてる短剣っ」
「は、はい。短剣がどうしたのかな」
「あれ、ミスリル製だよね? せこいかなって思いつつ、実は一本回収しちゃったよっ」
「いつの間にか回収してたんだ!?」
「せっかくなのでミスリル用砥石で綺麗に研いで、油を塗って完璧に手入れをし終えてるよ。アーテルさんが寝てる間にっ」
「砥石なんて持ち込んでたんだねぇ。で……その短剣はどこに?」
「お尻の上の鞘に納めてあるよ。貰ってもいい? ……返す?」
「良いよ、好きに使って」
「やった~! ありがとう、大切に使うね」
「でも、ぴったりの鞘があったなんて偶然だね」
「この鞘は、リュックにしまってあった革素材を加工して即席で作りました。えっへん」
私は、お裁縫も武具の加工も手入れも得意なのですっ。
「さすが武具屋。器用だね。ちなみにいくらくらいするの、その短剣」
「ミスリル鉱石自体が高値で取引されてるし、加工できる鍛冶屋さんも国内外に数えるしかいないし……」
あれ? この短剣……よく見るとクリームチャット王家の紋章が刻んである。
「フルフル?」
「あっ……うん。一本、五十万ウィズくらいかな」
プリムヴェールの一般的な家庭における世帯主の平均収入は二十万ウィズだ。実に平均収入の二倍以上もする高価な短剣である。
「エルフのお高いガラスの剣も持ってるし、アーテルさんって何者なのかな」
「お金持ちのお嬢様かも?」
もしかして王家縁の人? とはさすがに質問する勇気が出なかった。
「うちの店、ミスリル装備なんて、この胸当てくらいしか置いてなかったよ……」
「まあ、フルフルが武器に対して愛着と執着が強いのは、よおく分かったから……」
「防具にも愛着と執着があるよ。武具屋ですからっ。…………あっ」
「な、なに? 私、防具は雑に扱ってないよ。第一、防具の類は装備してないし……」
「わあ、綺麗な滝があるよ~!」
私はリュックを降ろし、水しぶきをあげる細い滝に向かって走りだす。
「朝日が差し込む森の中の滝! そして川! 素敵だよね! 自然大好き、だって気分が晴れやかになるもんっ!」
「こら、水辺で走らないの、転んでも知ら――」
「え? うわわわっ……! 滑……!?」
「ふ、フルフルぅ!?」
ごぼぼぼぼ。口から泡が溢れて、言葉が出ない。川の岩場って滑るんだよね。苔生えてたから当たり前かな。どうでもいいけど、私泳げないんだよね。どうしよっか。だんだん、息が苦しくなってきちゃった。うう、苦しい。苦しいよぉ…………お母……さん。
フルフルは強い子だから一人でも大丈夫だよね。
……うん、大丈夫。でも、お母さんはどこに行っちゃうの?
遠いところかな。フルフルや大事な人たちを守るために戦いたいから。
……お母さんは正義の味方なの?
私に正義なんてないよ。守りたいもののために戦うだけ。たとえ相手が正しくても。
……むつかしいことは分かんないよう。
それでいいの。フルフルはフルフルだけの信念を見つければいい。
……私だけの信念。
あなたは私の帰る場所。必ず帰ってくるから。
……うん。絶対だよ。私それまでずっとお母さんの帰る場所守ってるから! ずっと守ってるから!! だから帰ってきてね。約束だよ、お母さん……。
「んん……」
瞳を開くと、まず目に飛び込んだのは水で乱れた金色の髪。お母さんの髪?
ぼやける視界に紫色の瞳がうつる。美しい瞳……誰? アーテルさん? アーテルさんの顔、想像よりもずっと綺麗。それに甘い味。チュパパキャンディみたいな…え? え?
「良かった、フルフル……」
急激に私の脳が覚醒する。私たち、キス……してた?
……ええええええええええええええええええ!?
その瞬間、急に苦しみが走り、私は水を吐きながらむせこんでしまった。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
「もう。世話ばっかり焼かせるんだから」
「……ひどい目にあったよぉ……」
ほっとした表情で微笑むアーテルさんの背後には巨大な魚の姿があった。
「うわわわっ!? な、なにこれっ!?」
よくよく見ると、その巨大魚は真っ二つになっている。
人間がミミズサイズに見えるくらいに大きい!? 私なんて一呑にされちゃいそう……。
「その魚は…………っていうか死にかけてたのに元気ね、あんた」
「お、お陰さまで」
もしかして、また助けて貰っちゃったのかな……?
「フルフルが落ちた滝壺は結構深くてね~」
ちょっとした湖のような滝壺に目を向けると確かに深い青をしている。色も深ければ底も深そうだ。そっか。人工呼吸してくれてたんだ。指を自らの細い唇に当てると、ほんのりと頬が熱くなるのを感じた。
「フルフルが溺れてるの見て、すぐに飛び込んだけど、その魚が襲ってきてさ」
「滝壺の主だったのかなぁ」
「その主さんがフルフルを朝ごはんにしようとしてたからね。戦いになっちゃって」
私は立ち上がり、アーテルさんに深々と頭を下げる。
「何回も助けてくれて本当にありがとうございます」
「い、いいってば、照れくさい。頭上げてよ、フルフル~」
「えへへ。ところでこの魚って、どうやって真っ二つにしたの?」
「え……? け、剣で」
水辺の石に腰を掛けた彼女の剣と、見事に真っ二つにされた魚の切り口を見比べる。
「綺麗な切り口。一刀両断にされてるね。でもガラスの剣がいくら鋭い斬れ味を持っていても長さが足りなくて、あんな風には斬れない。それにどうやって大きな魚を水辺から離れた場所に移動させたのかも分からない。でも不思議なことが起きるのは本に描かれたファンタジーな物語の中だけ。1+1=2。それと同じ。この世界には必ず結果には過程があるから不思議はない。絶対的な式。ちなみに、これもお母さんの教えですっ」
「は、話が長くてお母さんの教えだってことしか頭に入らなかったんだけど……」
「ご、ごめん。とにかく、なにかそういう答えや結果が起きる魔法を使ったのかなって」
剣の攻撃範囲を広げる魔法かなぁ。魔法大国クリームチャットでは、大半の人が魔力を持ち、なにかしらの魔法を扱える。魔法を使えない人間のほうが少ないのだ。アーテルさんも恐らく魔法を使えるはず。もちろん、私も――――
「確かに魔法は使ったけど、どんな魔法かは話せない」
「うんっ。分かった。とにかく助けてくれて、ありが…………」
「……ん? どうしたの? 急に雪球を背中に入れられたような顔して」
「今更だけれど、アーテルさんの仮面がない!」
「え……!?」
慌てて彼女は自分の顔をまさぐる。
「ほんとだ……っ!? 魚とバトルってた時に外れちゃった!?」
「……大切な仮面だったんだね。ごめん」
「仮面はどうでもいいけど……私の正体がバレたら困るん……」
そこまで言ってアーテルさんは口をつぐむ。
正体? あれ? この顔どこかで…………。
「る、ルミセラ・シャントリエリ・クリームチャ……むぐ!?」
凄まじい勢いで駆け寄ってきたアーテルさんに口を塞がれ、その勢いで倒れこんでしまった私たち。
「正体がっ! バレたら……! 困るんだけど!?」
「は、はい!」
魔法大国クリームチャットで王位継承権を持つものは二人。第一王女のミルドレッドと、倒れた私の上に乗っかっている第二王女ルミセラだ。
「で、でも私にはもうバレちゃったし、ここには私しかいないよ……?」
「他の王子様候補生が万が一にも潜んでるかもしれないし、王宮妖精たちが見張ってるかもしれないから」
王宮妖精。それはあるかもしれない。
この選抜試験は首位の成績を収めたものが王子様に選ばれる。だったら誰かが試験を監視していなければ成績はつけられないだろう。
「私は本物のアーテルから王子様候補生の証でもある巻物を奪って……なりすましてるの」
「な、なんでそんなことを」
「結婚なんて望んでないミルドレッドを……他人に渡すなんて嫌だから」
だからアーテルさんは会場でも絶対に王子様になるって言ってたんだ。
「偽のアーテル・アルトが首位なら、試験は無効になるかなって……」
「好きなんだね、お姉ちゃんのこと」
「うん。辛い時、表に出さなくても察してくれたりね。本当に優しい人なの」
姉との記憶を思い起こしているのだろうか。彼女は幸せそうな表情を浮かべている。
「それじゃ頑張って一位にならないとね」
きっと他の王子様候補生は、もっと先に進んでいるだろう。私のせいでアーテルさんは、まだスタート地点から然程離れていない滝のそばで人命救助を行っているのだ。
「とんでもない足手まといしちゃってる……とほほだよぉ……」
「それは気にしなくていい。私があんたを守るのは使命でもあるから」
「……使命?」
「詳しくは言えないけど……」
彼女は口淀みながら立ち上がり、私の上からやっとどいてくれた。差し出してくれた手を掴むとアーテルさんは私を引っ張り立たせてくれる。
「あなたのお母さん、フローラとグリセルダは王立魔法学園時代の親友だった」
唐突に母の名が飛び出し、私はきょとんと思考が停止してしまった。
「私のお母様、クロウエアもその親友の一人だったの」
――お母様? アーテルさん……ううん、ルミセラさんのお母さんって。……え?
「お母さんと女王様が親友ぅ!?」
私のお母さん……いったい何者なんだろう……。
「まあ、そんな事情でお母様に頼まれたのよ」
「な、なんて?」
「無事に試練の森を越えさせてって。あんたをね」
「女王様がなんでそんな……。親友の娘だから……?」
「さあね。想像にお任せだよ、フルフル~」
「う、うん。よく分からないけれど、分かった……」
それより本名を隠してても、女王様をお母様なんて言ってたら色々バレバレなのではないのでしょうか、と私は思ってしまう。もし誰かが聞いていたらの話だが。
「あんたを守るのは私が勝手にやってることだから、気にしなくていいよ」
「……出会ってたった一日で、アーテルさんは二回も私の命を救ってくれたよ」
お母さんの帰る場所を守りたい。私のそんな願いと夢も守ってくれたことになる。
「助けてもらったら、ありがとうだよっ」
お辞儀をするとアーテルさんは少しだけ照れたようだった。
「それとね、勘違いしないで欲しいけどさ」
なんのことだろう? 私は首を傾げる。
「本音言うと……そのお花みたいな笑顔を守りたいから守りたくなったっていうか……」
彼女は桃色に頬を染めている。とても可愛らしい。そして私も照れくさくて赤くなっている気がする。
「やっぱり、優しいね、アーテルさん」
「そんなんじゃない! どっちにしても私が好きで勝手に守ってるってことだから気にすんなっての~……!」
「えへへ、ありがとう」
なんだか、ちょっと不器用な王女様を好きになってきました。
「それにほら、あんたがドジって溺れてくれたお陰で、朝ごはんにもありつけそうだし」
アーテルさんは巨大魚に視線を向ける。
「ていうか、フルフル~。これ食べられる種類か知ってる?」
「セイバーリードシクティス。この国の全水域に生息してる狂暴な魚の魔物だね。でもお肉は美味しいよ。今は初夏だけれど秋物は特に油ものってて最高に美味しいの」
「良いね! お肉が美味しいしか頭に入らなかったけど」
「短く説明したつもりだったのになぁ……」
商品の説明をする場合も情報過多は、お客さんが混乱するだけなので良くないとお母さんに教わった。でも、とにかく説明するのが大好きなので、どうしても止められない。
「お肉の知識もお母さん仕込み?」
「ううん。図鑑の知識」
「本とか文字読むの苦手なのかと思った」
「挿絵がない文章を読むのが苦手なだけで、図解入りの本は大好物だよ」
武具屋さんは、お客さんが来ないと暇なので色んな本をたっぷり読んでいるのです。
「ほらね、フルフルは足手まといじゃないよ」
「え? そ、そうかな」
「キャンプの時だってどんな場所が危ないか教えてくれたし、この魚が食べられるかだって教えてくれる」
そう言ってアーテルさんは嬉しそうな表情で抱きついてきた。
「あ、アーテルしゃん……!?」
「ちょっと抜けてるけど、良い相棒だよ」
「……嬉しい」
「最初は自信あったんだけどね。私一人じゃ、この森抜けられる自信なくなったよ」
手伝ってね、フルフル。そう言って笑顔のまま私から離れたアーテルさん。彼女の言葉が私には嬉しくてたまらなかった。
お母さん以外の人から必要とされたのって、きっと初めてだから。
「アーテルさん。私、頑張る。試練の森……二人で突破しようね」
「うん。一緒に……」
言葉を切り、アーテルさんは眉をひそめ警戒しているような面持ちで辺りを見回す。何事かと思ったが、彼女が剣に手を伸ばす姿を見て察した。なにか危険が迫ってるんだ。
耳をすますと確かに、なにか物音が聞こえる。回りの樹々の隙間から漏れ出すように、ざわざわと。獣が茂みを動きまわるような。私はリュックに駆け寄り、引っ掛けてあったメイスを掴み取る。
「……相手はなんだろうね、フルフル。オークかな。それともヘルハウンド種?」
――違う。どんどん大きくなるざわめきや樹々が揺れる音。茂みの中を動きまわる音じゃない。茂みの上を歩く音だ。戦慄と緊張感が辺りを覆う。
「アーテルさん! 逃げよう! 巨人種か大型の魔物だよ……っ!」
「……逃げるには、ちょっと遅いかな!」
樹々が震え、耳を裂くような咆哮。巨木をなぎ倒し、森の中から巨大な男が躍り出た。凶悪そうな髭面。筋骨隆々な体をむき出しにし、下半身には腰布のようなものを巻いている。私が必死にバンザイして背伸びをすれば、ようやく彼の膝に届くか届かないかの巨躯。その太い腕の先には私の背丈を三倍にしたような、大きいウォーハンマーが握られている。
「嘘でしょぉ……。凄いのと遭遇しちゃったなぁ……」
「でっか……! あ、あれ、なんなの、フルフル!?」
亜人で最も危険で凶悪な巨人種。その中でも最強の怪物。
「オーガ……っ!」
真っ二つの巨大魚から流れる血の臭いに引かれたか、この水場が彼の縄張りだったのか。それは定かではないが、とにかくオーガは話し合いが通じる相手ではない。しかし、話し合いが通じないというのは図鑑で見た知識でしかない。何事もチャレンジが大事である。
「あ、あの! お魚が欲しいなら譲ります!」
「ふ……フルフル!?」
説得するなんて正気なの!? そう言わんばかりにアーテルさんは目を見開いてる。
「わ、私もオーガと分かり合うのは少し無理があるって分かってるけれどね……!」
狂暴そうに息を荒くし目はすわっている。そして彼は既に巨大な槌を振り上げていた。
「この水場が、あなたの縄張りだったなら、すぐに出て行きま…………うわわ!?」
いきなりアーテルさんに横から蹴り飛ばされて、私は前のめりに転がる。
「な、なにするのぉ……」
その瞬間、さっきまで私が立っていた場所にウォーハンマーが叩き下ろされた。激しい音と土煙が上がり、ついでに緊張感もどんどん上がっていく。
「あんた、私がいなきゃ何回死んでると思ってるの……っ!?」
「ありが…………うわわわわ!」
立ち上がろうとした私に身長よりも大きなハンマーのなぎ払うような一撃が迫る。
お母さん、先立つ不孝をお許し下さい……そう頭に浮かんだ瞬間だった。
誰かに襟首を引かれ、私は今度は後ろのめりになりハンマーの一撃を辛うじて回避できた。鼻先を走り抜けるように、ハンマーが凶悪な風切音と共に空を切る。
え? 蹴り飛ばして助けてくれたアーテルさんは離れた位置にいるのに。誰が私を?
「フルフル……! 早く逃げて!」
尻もちをついてしまい、起き上がるのが遅れた私にハンマーが振り下ろされる。
今度こそ死んじゃう。そう諦めかけた時だった。ハンマーと私の間にアーテルさんが割って入ってきたのは。
「ぐぅ…………重い……っ!」
す、凄い。私と変わらない小さな体で、あんなに大きなハンマーを受け止めるなんて。
剣を間に挟み、アーテルは両腕で必死にハンマーのヘッドを押し上げようとしている。
「……思わず飛び込んじゃったけど、この状況、ヤバイ……」
ガリ……。キャンディを噛み砕く音がした。
「ぼさっとしてないで逃げてよ、フルフル!」
「で、でも!」
「私、左手が自由じゃないと魔法が使えないんだよ……! 本気でヤバイの!」
アーテルさんは初めて見せる必死な表情をしていた。ハンマーを押しとどめるために、確かにアーテルさんの両腕は塞がっている。もし、あの巨大魚を真っ二つにした魔法が使えればオーガも倒せるかもしれない。その魔法が封じられ、余裕のない状況なのだろう。
しかし、オーガはとどめと言わんばかりに、アーテルさんに接しているハンマーヘッドの逆側を左手で押しこんできた。彼女の足が土に食い込んでいく。
「アーテルさん……どうしよう! 私……」
「……なんにもできないなら、尻もちついてないで早く逃げなさいよ……!!」
「やだ!!!」
戸惑ってる場合でも、ためらってる場合でも、ましてや怯えてる場合でもない……っ!ここで働けなければ本当に足手まといだよ!
「たあああああ!」
必死にメイスをオーガの踵に叩き込むが肉に弾かれダメージが入っている様子はない。
「私からハンマーを離せば、なんとかするから。お願い。あいつの気を引いて……っ」
アーテルさんに頷き、私はメイスを必死に振り回す。
「私が相手だよ! こっち見て~!」
アーテルさんを潰そうと意識を集中しているのか、いくら殴ってもオーガは私には見向きもしない。そうこうしているうちに巨人のくるぶしに当たったメイスは折れてしまった。
「こ、これだから鑑定額八百ウィズの粗悪品はぁ……!」
「……メイス折っちゃうくらい必死に頑張ってくれて……ありがと」
アーテルさんの表情から力がなくなっている。
「ダメ、諦めないで、アーテルさん……!」
「ごめん、もう力が……」
「なんとかするから……っ!」
「……逃げて」
こんな時まで私の心配をしてくれる。そんな人を…………。
「見捨てて逃げられないよ!」
私はメイスを投げ捨て、右拳を握る。
「アウトプットブルーム!」
右拳に魔力を集中し叫ぶ。右拳が鋭い光を放ち始める。
「……フルフル。まさか、魔法!?」
魔法は出来るだけ使うな。そうだったよね、お母さん。私は魔力がほとんどないくせに使う魔法は不釣り合いに強力だから。その分、消耗も激しい。下手したら命を削っちゃう。
「エンチャント……フラワー!!」
でも今使わなきゃ、私の笑顔を好きって言ってくれた人を守れないから!!!
右拳から溢れるように様々な色の花弁が舞う。私の唯一使える魔法、エンチャント。それは魔法の効果が及んでいる間、対象の攻撃力や強度を跳ね上げる。
「アーテルさん! 今、助けるよ!」
……お母さん、絵本の巨人が怖くて眠れないよぅ。
フルフル。大丈夫。体格で負けてる大きな人と喧嘩する時はね、急所を狙えばいいよ。
……なにを言ってるのお母さん……。
一番良いのは顎。どんな怪物でも脳が揺れたらオシマイだから。
……顎に手が届かないくらい大きな人が相手だったら?
だったら膝の皿を狙えばいいよ。思い切り。顎が降りてくるから。
「膝ぁ!」
花弁をまとう拳をオーガの右膝に力いっぱい叩き込む。膝の骨が砕けるような嫌な感触が拳に伝わってきた。オーガは苦悶の表情で叫び、骨が砕けた右膝を地につけた。
「そこ! くっついて!」
花弁が意志を持ったようにオーガの見開いた目に貼り付いていく。一度、くっついた花弁は私が魔法を解除しない限り二度と剥がれない。彼はたまらずハンマーから両手を離す。
「でかした、フルフル……っ。後は私に任――」
ハンマーを放り、両手の自由を取り戻した彼女の言葉には応えず、私は左手で腰のミスリル短剣を抜く。太陽光を弾き、銀色に輝く刃。私は柄を握った左手に右手を添える。
「フルフル!?」
「たああああああっ!」
勢いをつけて巨大な左脛に短剣を深々と突き刺し、私は山のようなオーガを見上げる。
「フルフル危ない!」
目を塞がれたオーガが仕掛けてきた闇雲な攻撃を避け、私は脛に刺さった短剣に足をかけた。そして、その短剣を足場に、私は片膝をついている巨人の左膝へと飛び乗る。
「顎が降りてるよ、オーガさん」
彼の左膝を蹴り、もう一度飛び、私はエンチャントの魔法で強化された拳を振りかぶる。
「咲き渡れえええええええぇぇぇぇっ!!」
空をも削り挫くような、拳をオーガの顎めがけて放つ。耳を覆いたくなる激しい打撃音が響き、舞い上がる花弁と共にオーガの顎が跳ねる。まるで森の中に大きなブリッジがかかったかのようにオーガは激しく仰け反り倒れこんだ。
「も、もう力が……」
倒れたオーガに花びらがひらひらと舞い下りるように、全身の力が抜けてしまった私も落ちていく。しかし地面に落ちる衝撃のかわりに、甘いキャンディの香りが漂った。
受け止めてくれたんだね、アーテルさん……。私、助けてもらって……ばっかり。
「凄かったよ、フルフル。お陰で助かった」
良かった。そう安心し、私の意識は霧に呑まれるかのように薄らいでいった。
「むにゃむにゃ。私、ファーストきしゅだったんだよぉ……むにゃ」
「……」
「アーテルしゃん……甘いきしゅ……キャンディみたい……むにゃ」
「…………」
「むにゃ……せきにんとってくだしゃ……」
「あれは人工呼吸だぁぁ――――ッ!」
「うわわぁ!?」
突然の大声に飛び起きたつもりだったが、私の足はジタバタと空を泳ぐ。
「ど、どうなってるのぉ!?」
目の前には真っ赤になってチュパパキャンディをモゴモゴしているアーテルさん。
「なにがどういう……?」
「落っことしそうだから、暴れないでよ、フルフル~」
「え? ご、ごめん」
……あ、あれれ? 私、アーテルさんに……。
「お姫様抱っこされてるぅ~!?」
「お姫様抱っこだねぇ」
割と憧れでした、お姫様抱っこ。どういう経緯でこんな状態になっているのか分からないけれど、ちょっといい気分だったりも……。
「あの場所に留まってたら、また別のオーガが出てこないかって心配だったからさ~」
「だから運んでくれたんだね、ありがとう……って、そ、そうだっ。オーガは!?」
「フルフルにぶん殴られて今頃、気持ち良く寝てると思うよ」
「……良かった。ちゃんとやっつけられたし、寝てるなら命にも別状なかったんだね」
「あんたね、あんな化物の心配までしてるの……?」
「え? ま、まあ、うん。えへへ……」
そう言えば、でっかいハンマー持ってたっけ。武具屋さんとしては、こう……うずくものがあるのですが。
「あの巨大ウォーハンマー鑑定したかったなぁ。出来れば持ち帰りたかった」
「この子はまた……なにを言い出すのかと思えば」
「どんな素材で作られてたんだろう。見た感じ、なにかしらの金属だったよね。それってつまりオーガにも精錬や鍛冶の技術があるか、もしくはその技術を持ってる誰かと取引して手に入れてるわけだよ。武器はその辺に生えてるわけじゃないし。つまりオーガにもちゃんと文明があって生活もあるのが、あの武器一つで伝わってくるよねっ!」
「伝わってくるよねって言われても、私には全く伝わってこなかったけど……」
「でもほら、こういうことも考えられるよ! 武器を手に入れる知能があるのは簡単に推察できるよね。でも防具は着てなかった。武器があるなら防具だって手に入るはずなんだよ。それなのに防具を着けてなかったってことは、あの地域ではオーガにとって防具を着けるほどの驚異はいなかったのかもしれない。でもハンマーを持ってたってことは、それなりの理由があるわけだよ! 亜人だって意味もなく武器持ってウロウロしてるわけないからね! 私たちとの遭遇はきっとオーガにとっても計算外で――――」
「フルフル、お預け! ハウス……!」
「わんっ! ……って、私、わんわんじゃないよぉ……!?」
「い、犬が鳴き止まない時みたいだったから……」
「お預けにハウスまでされちゃった……」
「やっぱりフルフルって語りだしたら止まらないタイプ……?」
「うん。あ……っ! そう言えば私のリュックは!?」
「え、オーガのことより、そっち先に考えようよ……!?」
「お、置いてきちゃったのかな……?」
抱きかかえてくれているアーテルさんの顔を慌てて見上げて私は安堵の吐息を漏らす。
「心配いらないよ」
彼女の頭の後ろに私の大きなリュックが見えたからである。リュックを背負ってるから、私をお姫様抱っこで運んでくれていたようだ。これも必要、あれも必要。そんな風に荷物をまとめていたら、こんなにリュックが大きくなってしまいました。とは言っても森の中ならナイフ一つあれば生きていける自信はある。あるけれど便利グッズは持ち歩きたい。
「それより、フルフル~。そろそろキャンプする場所探さないとね」
そう言えば日が暮れてきている。
「私、そんなに意識失ってたんだ」
「今日はほとんど気絶してたよ、フルフルは」
「う、うう……本当だね。迷惑かけて、とほほだよぉ……」
「私を助けるために、無理に魔法使って気絶しちゃったんでしょ?」
しょうがないよ、そう言って優しく微笑んでくれる。優しくて本当にかっこいい。それに私の笑顔が好きって。……うぅ……なんだろう、ドキドキしてきちゃった。
「フルフル、真っ赤だけど、大丈夫?」
「うんっ、大丈夫だよ、えへへ~」
「滝壺で溺れて服ずぶ濡れだったじゃん。だから心配だったよ」
「あれ? そう言えば私たちの服、あんなに濡れてたのに。自然と乾いたのかな?」
既に夕刻。滝壺に落ちたのは朝方でかなり時間が経ったとはいえ、既に服は乾いている。いや、むしろ服や下着は乾燥しきって干した後のように心地良い。
「脱がして乾かしたんだよ」
「え……!?」
「オーガと戦った場所から移動した後ね。火を起こして服を乾かして、また着せたんだよ」
「脱が……え? で、でもアーテルさんは女の子同士……なにを恥ずかし……脱が……?」
「真っ赤になって可愛いね、フルフル~」
「は、恥ずかしい……私、裸なんてお母さんにしか見せたことなくて……」
「その間、あんたのリュックに入ってたタオルかけといたから、心配しなくていいよ」
「あうう……ありがとう……」
凄い気配り……。優しいよぉ……あうぅ。なんだか本気でドキドキモジモジしてきた。
「ところであんたさ、エンチャンターだったんだね」
話を急に変えられて私は首を傾げてしまった。
「エンチャンター?」
「エンチャントの魔法を操る魔法士のこと」
「操るって言っても普段は右手にしかかけられないし、一回使うとすぐ魔力が尽きて意識が朦朧としちゃうけどね。でも、お母さんの剣があれば――」
「フローラと同じ魔法だね」
「……え? どうして、それを知ってるの?」
「花の魔女フローラ。全身に花のエンチャントをまとう最強の魔法士。有名だよ」
「は、はなのまじょ? さいきょうのまほうし?」
確かに教科書でも大々的に取り上げられている超有名な魔女だ。挿絵も写真もなかったので読み飛ばしていた。お母さんと名前が一緒だ~くらいにしか思っていなかったのに。
「お、お母さんって八人の魔女の一人だったのぉ……!?」
「知らなかったんだ?」
「た、ただの少し変わった武具屋さんだと思ってたよ……」
「きっとフルフルと平和に暮らしたくて、魔女の立場を忘れようとしたのかもね」
「そうだと嬉しいなぁ」
親子キャンプと称した山篭りで何度か死にかけたこともあったけれど、それも今となってはお母さんとの良い想い出だ。あの時の経験が、今回の冒険で役に立っている。
「家族かぁ。家族って大事だよね、フルフル」
寂しそうに微笑むアーテルさんの表情を見たら。何故か胸がトクンと鳴った。
「今頃、ミルドレッドお姉様は城で、どうしてるんだろ」
「な、なんのつもりよ、赤騎士……!! あああ……!」
エーベルハルトに拳を叩きこまれた女は炎にまみれながら水平に飛ばされ、森の中へ消えていった。真紅の重鎧に全身を包み、両の拳から炎を踊らせているその姿は逃げ惑う王子様候補生たちにとって夜を照らす紅い悪魔に見えたかもしれない。
「赤騎士、貴様。我々、王子様候補生は協力しあうために集ったのだろうが!」
白い重鎧をまとった女がそう叫ぶ。
「選抜試験を越える? 冗談でしょう、マグノーリア。ふふ」
エーベルハルトが小さく笑いながら彼女に近づくたびに炎が激しく揺れ、辺りにはいくつもの影が踊り始める。
「私は王子様候補生を狩るために、ここに来ました」
「皆、武器を構えよ! 赤騎士は敵だ! 囲え!」
五,六人の王子様候補生がエーベルハルトを包囲するように集まる。
「あらあら」
「我々は全員が地区の代表であり強者だ! 思い上がったバカに鉄槌をくだしてやれ!」
「その調子で力を見せてください、王子様候補生の皆さん」
夜更けの森を昼のように照らす、紅蓮の炎が舞い上る。
「その結果如何では見逃してあげてもよろしくってよ」
クジラに襲われた魚の群れの生き残りが散っていくように逃げていった王子様候補生たち。エーベルハルトは倒木に座りながら彼女たちが残したキャンプで剣に刺した肉を焼いている。丁度良い焼き加減か。そう思い手を伸ばそうとした時だった。背後に気配を感じたのは。
「グリセルダ。首尾はいかがでしたか」
「王子様候補生四人、仕留めてきた」
「ご苦労さまです」
グリセルダは隣に座りパチパチと小気味の良い音を立てて燃える炎を見つめている。その青い髪が炎に照らされ揺れる水面のように美しい。
「あなたはずいぶん派手にやったな、エーベルハルト」
苦笑しながら彼女は目を伏せる。
「王子様候補生以外にもオーガが二匹と数えきれない魔物が炭になっているじゃないか」
「可哀想に。私の上げた炎の明かりに引かれて魔物や亜人が集まってきましたのよ」
「明かりに引き寄せられ、待っていたのは獲物じゃなく恐怖だった。というわけか」
「恐怖? 誰が恐怖ですか。その発言、案件ですわよ」
「す、すまない……」
叱られた犬のようにグリセルダは縮こまる。その様子が少し面白かった。
「そ、それで、あなたの首尾は?」
「一人に逃げられましたが、私は五人片付けました」
「残る王子様候補生は十八人か。いや、私たちを除けば十六人」
「それよりも面白いものを見つけましたわよ」
「ほう? 面白いものだと?」
エーベルハルトが掌をかざすと、そこには炎が巻き付くようにうねる宝玉が現れた。その宝玉は宙に浮き、輝きの中に二人の少女を浮かび上がらせる。一人は横になり、一人は火の番をしているようだ。
「…………フルル・フルリエ・トリュビエル」
「おや? 知り合いですか」
「……ああ。起きているほうは親友の娘だ」
「面白いものというのは、そのフルルです」
「トリュビエルに興味があるのか?」
「変なの」
「……変?」
「倒したオークの命まで助けようとなさったり。面白いでしょう?」
「それは確かに変だ。亜人なんぞ助けたところでなんの得もない」
「全ての王子様候補生の動向を私の『炎水晶』で監視していましたが、この二人にだけは興味があります」
「トリュビエルともう一人か。……あ。この娘は」
「気が付きましたか」
「……ルミセラ。何故、第二王女が試練の森にいる」
「さあ。何故でしょうね」
炎を操る魔法とは真逆に、涼しげで落ち着いた優しい声でエーベルハルトは笑う。
「これは森で拾ったのですが」
覆った布を外し、グリセルダに剣を見せる。不思議な金属で作られた美しい桃色の刀身。豪華な飾り柄。焚き火の炎を反射し、引き込まれるような魅力を持つ不思議な剣だ。
「立派な剣だな。しかし、剣に刃がない。これでは人は斬れないだろう」
「ええ。恐らくフルルという少女の持ち物です」
「そう言えば会場でトリュビエルが帯剣していたな。この柄には見覚えがある」
「さすがグリセルダ。良い洞察力ですね」
「そんな斬れない剣が、なんの役に立つというのだろうか」
「さあ。それは私にも分かりかねますが」
フルル、面白い子です。お陰さまで王子様候補生狩りも少しは楽しめそうですわ。
「たあああっ!」
私は向かってきたコボルトの剣と顔面を同時に左腕の円盾で払い上げた。激しい打撃音。そして顔が跳ね上がり、がら空きになった彼の喉を掴むように掌を叩き込む。
小犬のような悲鳴を上げ、コボルトは喉を押さえながら跪いた。
キャンって……。やだなぁ、わんちゃんを虐待してる気分になるよぉ……。
犬と人間の間の子のような姿。少し可愛らしいが、その性質は獰猛そのもので人間を見ると食料にしようと襲い掛かってくる。…………と図鑑に書いてあった。
「このわんころ共、有無をいわさず仕掛けてくるなんてムカつく~!」
アーテルさんはチュパパキャンディを咥えながら器用に叫ぶ。私は苦笑いを浮かべ、私は跪いているコボルトの後ろに回り、その後頭部へ盾を叩きつける。
「ごめんね。あなたたちの顎って小さくて狙いにくくて……。手早く意識を奪えない」
夜明けと共に順調に森を進んでいった私たちだったが、樹々の合間にあった開けた草原で突然コボルトの一団が襲ってきた。ただ今、夕暮れの中で絶賛交戦中だ。
「心配だったけど武器がなくてもやれそうじゃん」
「私にとっては盾も武器だからねっ」
メイスとミスリル短剣をオーガとの戦いで失ってしまったので、頼りになるのは盾と右腕だけだった。新しい短剣をください! と言えない小心者の武具屋さんです。
「それにしてもあんたさ、顎とか喉とか急所狙い好きだよね」
「アーテルさんこそ、斬るのはいつだって動脈狙いでしょ……」
「一瞬で終わるからね。楽じゃん」
アーテルさんは剣を持った四匹のコボルトと斬り合いながら余裕の表情だ。そうこうしているうちに、彼女の刃を受けた一匹の首から血が溢れ、私はつい目を背けてしまう。
「私は敵に情けはかけないよ」
「私も情けなんて微塵もかけてないよぅ……」
……命を奪いたくないから奪わないようにしているだけ。それより私も後二匹、相手にしなければいけない。
「パイクなんて持ってるよ、あの二匹のコボルトたち。騎兵でも相手にするつもりだったのかな」
違う。オーガだ。そうじゃなくても、きっと巨人種や大型の魔物と戦う時に使おうとしてたんだ。この場所は小さな草原だからいいとしても、そうじゃなきゃ、こんな森の中で不利な長槍を持ってる理由なんてない。
武器からは色んな情景が思い浮かん――――
思考を遮るように二匹のコボルトパイク兵が、低い唸り声を上げながら突進してくる。
「パイクはそうやって使うものじゃないのに~!」
パイクはその長さを活かしてチクチク攻めて出来るだけダメージを与えた後、それでも近寄られたら抜剣するなりしてとどめを刺すのが基本。
「柄は木製。刃部分は焼入れなしの粗悪な鉄製。せいぜい価格は二千ウィズだね」
私は値踏みをしながら左右から迫る二本のパイクをかわし、コボルトへと駆ける。
「借りるよっ!」
不意な接近に対応できず、慌てるコボルトの腰から剣を抜き取る。そして私はパイクを掴む彼の手首を革製の籠手ごと斬り下ろした。コボルトは苦悶の表情を浮かべパイクを落とし、手首を掴んで座り込む。
「……後でちゃんと止血してね」
剣は振り下ろした勢いのまま投げ捨て、私は落ちる長槍を足で受け止める。
「お願いだから、わんちゃんたち、みんな死なないでよっ」
パイクを蹴りあげ両手で掴み、私は身構えた。突進してくるもう一匹のパイクをパイクで絡めとるように払い、バランスを崩した相手の肩に穂先を鋭く突き立てる。
「キャンッ!」
「うう、だからその悲鳴止めて欲しい……」
「フルフル! まだ来るよ! 油断しないで!」
そう叫ぶアーテルさんの視線の先に目を向けると、森の中から五匹のコボルトが武器を構えて突進してくる姿が見えた。それぞれが猛犬のような恐ろしい唸り声を上げている。
「うわわ、いっぱい来たぁ……っ!」
「こっちにも増援来ちゃったし、そっちもなんとか頑張って!」
「やっつけるのはいいけれど……うぅ……」
コボルトの悲鳴は聞きたくないんだけどなぁ……。しょうがない。
「……パイクはこうやって使うんだよっ!」
短く突き、そして素早く引く。一匹の肩にパイクを突き刺し、すぐさま引き抜き次のコボルトの肩めがけて穂先を突き立てる。
「パイクは後の先が基本だからねっ! 攻めてくる相手を迎撃する武器っ!」
更に二匹の肩を突いた横を抜け、コボルトが接近する。私は素早くパイクから手を離し、フレイルを振り上げるコボルトへ、盾を構えて突撃する。
「たああああっ!」
「キャンッ」
突き飛ばされたは犬顔の亜人は昏倒し倒れこむ。
「……ちなみにオークから拝借した、この鉄製円盾は鑑定額一万ウィズ」
せっかくなので決め台詞の代わりに私は呟いた。
「相手は長い武器。接近戦は不利に違いない。だからなんとか近づこう。近づいたなら勝てる。武器の戦いで、その思い込みと焦りは危険だよ。そこに付け入るのが私なりのパイクを扱う場合の極意であり、基本的な――――」
私の長い話に恐れをなしたのか、コボルトたちは逃げ出してしまった。切なくなった私は、剣についた血を振り払っているアーテルさんのそばへと駆け寄る。
彼女もどうやら無事に亜人たちを倒したようだ。
「あんた争いを好まない割に、いざ本気で戦い始めると全力だし滅茶苦茶強いよね」
「それは全力だよぉ。命を奪わないように戦うには手を抜けないもん……」
「フルフルは本当に甘いんだから~」
「……肩の動脈傷つけてなければいいけれど。大丈夫かなぁ、コボルトたち」
「それより、わんころの増援が来る前に移動す……」
アーテルさんは言葉を切り、剣を森に向けた。コボルトの増援? 私も慌てて落ちていたコボルトの剣を拾い身構える。ガサガサと茂みが揺れ現れたのは――
「おや。やはり戦いがあったのか」
現れたのは幸いなことに魔物ではなく白い鎧の女性だった。しかしアーテルさんは警戒を解かず、むしろローブに左手を入れ短剣を取り出している。
「騒ぎを聞いて様子を見に来たのだが。このコボルトはキミたちが倒したのか?」
「そうだけど」
アーテルさんは更に警戒の色を強める。
「動かないで用件だけ言ってもらえる? 無駄な交戦は避けたいんだけど?」
……アーテルさんって私には凄く優しいし柔らかい雰囲気なのに、普段はこんな厳しい態度なのかな。私には初めて会った時から親切にしてくれてたのに。
「まあまあ、落ち着け」
「どうでもいいけど、動かないでもらえると嬉しいな」
一歩近寄ってきた女にアーテルさんは剣を振って威嚇する。ヒュンヒュンと小気味の良い音がした。私も真似をして剣を振り回したが、かっこいい音は微塵もしない。
「動くなっていうのはね、森に潜んでるお仲間たちにも言ってるんだけど」
「はは、感づいていたのか。頼もしい」
女が首を小さく振ると背後の森から、更に二人の武装した女性が現れた。
「私はマグノーリア・ペトロヴァ。どうだ? この試練の森を抜けるため団結しないか?」
私とアーテルさんはマグノーリアさんの提案に乗り、他の王子様候補生と合流することにした。合流した頃には皆は既に各々、キャンプの準備を終えていて、私たちも火を起こす準備でもしなければと考えているところだ。既に日は落ち、綺麗な月が出ている。
「私たちいれて総勢、十二人かぁ」
人数が多いせいか、この場にいる人間たちには活気がある。大声で笑い合い酒を飲んでいる者さえいた。彼女たちは盛大に炎を上げ、仕留めた猪形魔物の肉を焼いている。
「ひっそりと魔物をやり過ごしてたフルフルキャンプとは大違いだね」
私とアーテルさんは並んで倒木に座りながら目を見合わせる。
「……うん。少し心配」
血を流せば臭いが魔物を呼ぶ。肉を焼けば更に匂いがでる。
「魔物がいる森では、お肉はできるだけ匂いがでないように茹でなきゃ危ないのに」
そうマグノーリアさんにも忠告したが、魔物が来たところでこの人数、恐れる必要はないと取り合ってもらえなかった。確かにそれも一理あるが。
こんなに油断してていいの? ここはオーガだって出没する恐ろしい森なのに……。
「それに川沿いって危ないんじゃなかったっけ」
「うん。夜の水辺はね、魔物が棲む場所では絶対に避けなきゃ……」
「マグノーリアたちは襲われても倒すって言ってる。最初から魔物との戦いを避けるって考えはないのかもね」
「……そうなんだよね。でも魔物との無駄な戦いは避けて欲しいよ……」
猟師が動物の命を奪うのすらも私は悲しい。でも食べるためや自分の身を守るためなら仕方のないこと。私もこの森では、そうしてきた。だから私はアーテルさんが魔物の命を奪うことも悪いことだなんて思ってない。そう伝えると彼女は私の頭をぽんと叩き、撫で回してくる。
「でもフルフルは助けられる命なら助けたい。そうなんだよね」
「うん。できることなら……」
「あんたにとって命を助けたいのは理屈じゃないんだろうね」
その言葉は私の胸を強く打った。助けたいから助ける。それだけなのかもしれない。
「ここいたら人間にも魔物にとっても危ないのに。私……みんなを説得できなかったよ」
優しく微笑み、アーテルさんは私の頬に優しく触れてくれた。
「落ち込まなくていいんだよ。フルフルは全力で命を守ろうとしてるじゃん」
「うん……」
「どんな理由でも、それは尊いことだよ」
「アーテルさん……」
「私はそんなフルフルの生き方を優しいって思う」
きゅっと心が締めつけられた。涙が溢れてくる。どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう。お母さんがいなくなってから、私の行動や考えを認めてくれる人はいなかった。この街で武具屋を続けてどうするの? 商売なんて子供には出来ないよ。そんな言葉ばかりをもらってきた。みんなが心配してくれているのは分かる。でも私は誰かに自分のしていることを認めて欲しかった。アーテルさんだけは私を認めてくれている気がする。
「フルフルは純粋で純朴で健気で私には眩しくてさ~」
「え? わ、私が純粋で純朴?」
「アイテム盗まれても恨み言一つ言わないし」
「……アーテルさんが警告してくれてたのに油断してた私も悪いもん」
「自分のことは責めるくせに人のせいにしたり他人を責めたりしないよね、フルフルは」
「誰かを責めるのは苦手かなぁ」
「そんなところが気に入ってる」
私の肩に頭をのせ、アーテルさんは気持ちよさそうな表情で目を閉じる。
うわわわ……!? な、なにこの状況、ドキドキする……!? しんみりとした雰囲気が一気に吹き飛んじゃったよっ! 甘いキャンディの香りが唇から漂ってくるぅ。
キャンディの香りかぁ。唇越しに伝わった香り。キス……したんだよね、私たち。
「フルフル以外にも信用できる奴がいればいいんだけどね」
苦々しくそう言って眉間に皺を寄せるアーテルさん。そんな彼女を見たらドキドキしていた気持ちはどこへやら、なんだか今度は急に守ってあげたい気持ちになってきた。
「王宮の奴ら……お母様が危篤になった途端、手のひら返しやがって」
「……あうう」
「お姉様のこと寄ってたかって責めてさ。無能の王女って、いじめるんだよ」
私は言葉に詰まり、なにも言えなかった。
悲しそうなアーテルさんを癒やしたいのに。うまいことも言えない。……悔しい。
「ここにいる連中も信用出来ない。みんなフルフルみたいに純粋ならいいのに」
「……うまい慰めの言葉が出てこないけれど、私はそばで笑ってるよ」
「なんなのそれ」
「私の笑顔が好きって言ってくれたからね、えへへ」
信用してくれている人がいる。こんなに嬉しいことなんだ。
「うん、好き。癒される」
私の守りたいものが二つに増えた。一つはお母さんの居場所。もう一つは一緒にいて、なんだか温かい気持ちになれる、この人。アーテルさん。
「どうしたの? 笑顔の花が咲き誇ってるよ」
「えへへ、なんでもないの」
それはそれとして。私には一つ疑問がある。
「そんなに信用出来ないなら、どうしてみんなと合流したの?」
「あの白騎士のオネーサンから不穏な話を聞いたからだよ」
「王子様候補生狩り……?」
赤い騎士エーベルハルトと水の魔女グリセルダが王子様候補生を狩っている。そうマグノーリアさんは言っていた。
「でも……なんでそんなことを」
お母さんの親友。あんなに優しそうな人だったのに……。本当に敵なのかな。
マグノーリア自身は赤い騎士に襲われ、水の魔女に襲われた者の証言もあったので間違いないらしいが。人との戦いになるのだろうか。
「さあね。赤い騎士とかいうのはともかく、グリセルダに狙われたら私たち二人じゃ勝ち目がないからさ」
でも下手したら、ここにいる全員でかかっても。そう呟き彼女は口をつぐんだ。
「相手が誰でも頑張るよ、私」
「フルフル……」
「でも甘いこと言うようだけれど人と人が傷つけ合うのは、なんだか本当に悲しい……」
「本当に甘いわねぇ」
高所から突然投げかけられた言葉に私は驚き、アーテルさんは剣を抜く。
「誰だ!」
「あなた、アーテルだっけ? そっちのイイコちゃんも、ちょいおひさし」
黒い髪に額の上のゴーグル。ひょうひょうとした独特な喋り方。
「と、トリニタリアさん……!?」
「ちなみに、ここの仲良しグループじゃ私のほうが、ちょっとだけ先輩よ」
トリニタリアさんは太い木に寄りかかりながら、その枝の上に座り込んでいた。
「私やあなたたちを入れて、ご一行は十三人。不吉な数字よねぇ」
「ああ。あんたの剣? 捨てたわ」
「え!? 私の剣、捨てちゃったのぉー!?」
「まんざら知らない仲ってわけじゃないし、よろしくお二人さん」
青ざめて叫んでいる武具屋を置いてきぼりに、木から飛び降りてきたトリニタリアさんは私の隣に腰掛ける。仲良く三人で倒木にすわっている形だ。
「ちょっと、そこの蒸気猿!」
アーテルさんは立ち上がり、剣を抜いた。うわわわ、喧嘩腰すぎるぅ……!?
「蒸気ざるぅ? 面白いこというわねぇ。木に登っていたからかしら?」
「んなこたーどうでもいいのよ」
あ、アーテルさん、すんごい怖い顔! もしかしてトリニタリアさんのこと嫌いなの!?
「お、穏便に二人共、あ、あの、その、お歌でも歌いましょうか!? 音痴だけど!」
「う、歌ぁ? それよりフルフル、こいつのことムカつかないわけ?」
「うん。あなた、私のことムカつかないの?」
「ムカつきはしないかなぁ。剣が行方不明なのは悲しいけれど」
私は二人の雰囲気を少しでも和ませようと頑張って笑顔を見せる。
「王子様選抜試験が終わったら、この森にまた探しにくるつもりだからいいの」
「……この森がどんなに危険な場所かは知ってるよね?」
「うん。でもまた探しに来れば見つかるかもしれないしっ」
「前向き思考にもほどが……」
肩を落とすアーテルさんを、元気出してと励ましたら睨まれてしまった。
「あんな刃もないナマクラにどうしてこだわってるのよ。値打ち物なの?」
「金額はつけられないかなぁ」
「そんなに? もしかして結構な高級品? 柄も豪華だったわね。捨てて損したわ」
違う違うと苦笑し、私は手を左右に振る。
「お母さんが残してくれた大事な剣なの」
「……母親の? 母親が残した剣……」
何故かトリニタリアさんは眉をひそめ不快そうな表情を見せた。
「トリニタリアさん……? 私、なにかまずいこと言っちゃったかな?」
「別に。気分が悪いから先に寝させてもらうわね」
チャオ、お二人さん。そう言い残して、トリニタリアさんは蒸気と共に元いた木の上へと飛び上がっていった。背中の機械が蒸気を作っているのだろうか。恐らく鎧や剣に繋がる管を伝わって蒸気が噴出し、移動の補助をする装置なのだろう。まるで魔法のようだ。
「なんなの、あいつ」
「さ、さあ」
そう首を傾げた時だった。歓声が上がったのは。声の方へ目を向けると川辺で焚き火を派手に燃やして騒いでいた連中が魔法を乱射していた。暗闇を光の矢や輝く氷の刃など、魔法が飛び交っている。なにをしてるんだろう。
「見ろ、仕留めたぞ!」
「さすがね、マグノーリア!」
……ひどい。
川辺には様々な魔法を受けたのだろう、血だらけのカバのような魔物が倒れていた。
「あの魔物、野生のカバさんよりおとなしいんだよ……」
食べるためなら命を奪うのも、しょうがないかもしれない。私だって、そのためにこの森の中で命を奪った。兎や無害な魔物の命を。でも――
「誰か爆破魔法が得意な奴はいないか! 良い的ができた! 腕自慢をしてみろ!」
あなたたちが命を奪う理由。食べるためでもないんだね……。
立ち上がった私の腕をアーテルさんが掴む。
「止めておきなよ、フルフル~」
「で、でも、あの魔物……きっとお水を飲みに来ただけなのに……」
「あいつら人数が多くて気が大きくなってるんだよ」
「だ、だから?」
「あいつら、バカになってる。言っても無駄」
でも目の前で理不尽に命が消えていくのを見るのは……我慢できない。
「……私、マグノーリアさんともう一回話してくる……っ!」
「……フルフルっ!」
私たち、スチームバンカーでさえ楽しんでコロシはしないのにね。
走りだした私の背中にトリニタリアさんの言葉が深く刺さった。
「大事な話があると言うからついて来てやったのに、また同じ話か……」
「……で、ですから、川沿いは魔物が水を飲みにやってく――」
「うるさいな。来たら倒せばいいだけの話だろ?」
キャンプの明かりから離れた、森に囲まれた静かな川岸。静かな風が木々の間から吹き込んでくる。回りには誰の姿もない。魚が跳ねたのだろうか、小さな水音が響いた。
「この人数なら赤い騎士はおろか、水の魔女だって倒せるさ」
そういうことじゃないのに。……どう言ったら分かってもらえるのかな。
「無害でおとなしい魔物だっているんですっ……」
「だからなんだ? 魔物だぞ」
鼻で笑われてしまった。でも笑われるような発言をしている自覚も少なからずある。
「狩ってなにが悪い? 誰が困る」
「悪いなんて言ってません……可哀想だから見ていられなくて」
「だったら出て行けよ。嫌なものを見なくて済むぞ?」
多分それが正解だ。自分が正しいと言い切れない。私は相手を悪いとも思っていない。
だったら助けたくても助けられない命ならば。悲しむくらいなら見て見ぬふりをするのが一番だろう。でも――
私に正義なんてないよ。守りたいもののために戦うだけ。たとえ相手が正しくても。
そうだったよね、お母さん。やれることはやりたいから……。
「川辺を避けていけば、危険な魔物との遭遇率も減ると思います。みんなが無事に――」
「うるさいんだよ、お前!」
マグノーリアさんが上げた突然の怒鳴り声に私は思わず尻もちをつく。
「あ、あうう……」
「ゴチャゴチャと偉そうに! ここを仕切っているのは私だ!」
彼女は唾を飛ばしながら叫び、私の両手首をきつく掴む。
「い、痛い……っ」
馬乗りにされて私は身動きが取れず、段々と恐怖が湧き上がってきた。
「そんなに魔物が大事なのか? 自分がイイコで正しいと思ってるんだろ?」
「……争いを避けていけば、人間だって魔物だって傷つかずに……」
「お前みたいに私は純粋です、争いは嫌いですって逃げてる奴が一番ムカつくんだよ!」
「あうっ……!?」
頬を殴られ、口の中に錆の味が広がる。
「皆を守って導くのは私の仕事なんだ! 尊敬も羨望も私が受けるんだよ! お前なんかにゴチャゴチャ!」
そんけい……? せんぼう? なにそれ……。
「下民風情が! 私はこの国の頂点に立つんだ!」
怖い……怖いよ。人から敵意を向けられるのって怖い……。どうして? みんなで笑い合ってるほうが……幸せなはずなのに。どうして人間って傷つけ合うの……。
「その汚れてないって可愛い面、トマトみたいに潰してやる!」
「……っ!?」
マグノーリアさんが川原の石を手にし振り上げる。ゴツゴツした岩の塊。心底恐ろしい。
……いや。やだ。やだよ……。
「やだあああああああ……っ!」
鬼の形相をした彼女が石を振り下ろそうとした瞬間だった。その手首を黒い刃が貫いたのは。黒いガラスの剣……? アーテルさん?
「ぐぎ……! な、なんだよ、これ!」
剣の刀身だけが飛んできたかのようにマグノーリアさんの手首を貫いている。柄は見えない。剣は揺らいだ空間のような部分から生えてきているようにも見える。
「空間接続魔法だと……?」
空間接続……? こ、これって本当になにが……。
「フルフル! 無事!?」
アーテルさんだ。やっぱりアーテルさんが助けてくれたんだ……。
「間に合ってよかった……」
顔を声の方に倒すと、突き出した剣を構えたアーテルさんの姿があった。
その剣先は揺らぐ空中に呑まれ、消えているように見える。アーテルさんが柄を引くと揺らいだ空間から、まるで鞘より抜いたかのように剣先が現れた。
「痛っ……! くそっ」
マグノーリアさんは手首を押さえながら私から離れ、目を見開いている。
その手首を貫いていた剣は消えていた。
「貴様……まさか。空間接続魔法……世界で使い手はたった一人のはず」
離れた空間と空間を接続する魔法。そうだ。私も聞いたことがある。それは第二王女ルミセラ・シャントリエリ・クリームチャットだけが使える魔法。
「余計なこと喋ったら、次は頭に突き刺す」
「お、お前……ッ」
失せろ。アーテルさんの怒気を溢れさせる言葉に気圧されたのか、マグノーリアさんは走り去った。剣を鞘に納めると、アーテルさんは心配そうな表情で私のそばに膝をつく。
「大丈夫? ひどい目にあったね」
「うん……」
「って、口から血……! あんにゃろう! やっぱり串刺しに……!」
私は立ち上がろうとしたアーテルさんの足首を必死に掴む。
「うう……行かないで」
「うん、ごめん、フルフル……そばにいるよ」
抱き起こしてくれたアーテルさんを私はそのまま抱きしめる。抱き返してくれた彼女の温もりに安堵を覚え、一気に涙が溢れてきた。
「怖かった……怖かったよぉ……あああ」
「一人で行かせてごめんね、フルフル。もう大丈夫だよ……」
私とアーテルさんは肩を寄せ合って、星の綺麗な夜空を見上げながら川原に座っている。
「オーガの時に私の襟首を引っ張って助けてくれたのは、やっぱり……」
「まあ、うん。それ、私」
「空間を越えて手を伸ばしてくれたんだね」
「毎度、間に合って良かったと思うよ」
さっきまで怖かったはずなのに、こうして肩を並べてると、なんだか幸せな気持ちになれるから不思議。助けてくれたのも嬉しかったし。本当に……王子様みたい、えへへ。
「さっきみたいに正体がバレちゃうから、魔法は出来る限り使うの避けてたんだ」
「……うん、理解できたよ」
王宮妖精に見られていたら、きっとアーテルさんは王子様選抜試験を失格になってしまう。本物の王子様候補生じゃないから。でもそうなると彼女の願いは叶わなくなる。それなのに私のために何回も魔法を使ってくれた。
「この際だから、ちょっとだけ見せてあげる」
「えっ? えっ?」
アーテルさんは微笑むと、指先でなにもない空間を突く。すると小さく波紋が広がり、その空間に裂け目が開いた。
「な、なにこれぇ!?」
「凄いでしょ」
その裂け目はどこかに通じてるようで、その先に見えるテーブルには大量のチュパパキャンディが刺さっているケースと、乱雑に短剣が並べられていた。アーテルさんはその裂け目に手を突っ込み、キャンディを二本取り出す。
「短剣とキャンディ取り出すくらいの地味な使い方ならローブの中でコソコソやればバレないかなってね~」
「凄いよ! 便利すぎる!」
その便利な魔法で取り出すのが、主にキャンディな辺りアーテルさんらしい。
「まあ、私の魔法も万能じゃなくて。遠くへの接続は小さな裂け目しか作れない上に三秒しかもたないんだ」
「近くに繋ぐ場合は?」
「視界内なら大きな裂け目も開けるし閉じるタイミングも好きにできるよ」
アーテルさんは石を拾い、正面に向かって投げる。
石は空中で忽然と消え、次の瞬間、私の後頭部に鈍い痛みが走った。
「痛ぁ……!?」
「あ、ごめん」
カラカラと石が転がる音がして、なにが起きたのか理解できた。前に飛ばした石を空間接続魔法で後ろから出現させ、私の頭に当てたのだろう。
「実例見せようとしたら、フルフルに当たっちゃって……」
「トリニタリアさんに殴られた傷に直撃したよ……いたた」
「キャンディ、一本あげるから許して」
ありがたく頂戴し、私もチュパパキャンディを咥えた。アーテルさんの香りがする。
「うう、本当に美味しい。心の底から幸せだよぉ~」
笑顔で言うとアーテルさんも笑ってくれた。
「ところで接続した空間が閉じる時に手とか入れっぱなしにしてたらどうなるの?」
「そのまま空間が閉じて手とお別れになるよ、フルフル~」
意外とリスキーな魔法だった。
「あ。巨大魚を真っ二つにしたのって……?」
「うん。水中に大きな空間の裂け目を作って、魚の体半分を飛びこませて閉じただけ」
納得いった。それで空間を越えた巨大魚の体半分が滝壺の外にあったのか。
それにしても私は本当の本当に何回命を救われてるんだろう。
「……アーテルさん、あのね」
「ん~? なぁに、フルフル」
あどけない表情でキャンディを舐めながら、上目遣いに私を見つめる彼女が愛おしくて、つい抱き寄せてしまった。可愛い王女様は慌てた様子で、じたばたとしている。
「私にとってアーテルさんは王子様候補生じゃないよ……」
「な、なんなの、突然~!?」
「私の王子様だよっ……!」
私の中では大胆な発言をしたつもりだったが、アーテルさんは首を傾げて、きょとんとした表情で私を見つめている。
「いや、私、王女様だよ。第二だけど」
――がくっ。うん、それ間違ってないけどね。間違っていないけれどね……。
「なにを涙ぐんでるの、フルフル~? 切れた唇が痛むの?」
痛みなんてすっかり忘れてました。
「ううん。アーテルさんといると嫌なことなんてすぐ忘れちゃうねって。えへへ」
「私もあんたの笑顔見てると嫌なこと忘れられる」
ドキっ。そう私の心臓が高鳴った瞬間だった。どこからか、妙な音が耳に届いたのは。
「今、変な音が聞こえたような。気のせいかな」
しかし次の瞬間、アーテルさんが弾かれたように立ち上がり剣を抜いた。やはり幻聴じゃない。彼女はオーガの気配を私よりも数倍早く察知した。彼女が警戒した以上、きっとなにかが迫っているのだろう。
――――ココココココココ。
「……聞こえた? フルフル」
アーテルさんに答えず、私は耳を澄ます。
コココココココ。
喉を鳴らすような不思議な音。お母さんとのキャンプで一度だけ聞いたことがある。
「あれは確か……」
その時だった、キャンプの方から恐怖に惑う悲鳴や叫びが上がり始めたのは。
「フルフル、なんなの? なにが起きてるの……?」
「あの音……ううん、鳴き声。聞き覚えがある」
川沿いの森が激しくざわつく。なにか大きなものが何匹も這いずりまわっているような。
コココココココココココココココ。
森にいるは全て、キャンプの方へ向かっているようだ。
あの日。お母さんに抱きかかえられて、見上げた樹々の中に光る眼があった。なんの感情も伝わってこない、冷たく凍るような瞳。そして響く不思議な鳴き声。
ココココ。
この鳴き声……思い出した。
巨大な蛇の魔物。必ず群れでやってくる。それはオーガなんかよりもずっと獰猛で恐ろしい狩人だ。
「……バジリスク!!」
――白銀の鱗を持つ悪魔。
「みんな、逃げて!!!」
ありったけの声で叫び、駆け出そうとした私の腕をアーテルさんが掴む。
「どこに行こうっていうの!」
「みんなを助けなきゃ……! バジリスクは本当に危ない魔物で……っ」
「見れば分かるよ!」
アーテルさんが指を差す、その先にはキャンプの炎に照らされた巨大な蛇が何匹も鎌首をもたげている姿が浮かんでいた。
悲鳴、絶叫、断末魔。魔法の光も見えるが、どう見ても劣勢なのは人間側だった。
「武器も盾もないのにどうしようっての! 逃げるよ!」
……そうだ。キャンプに置いてきちゃったんだ。
「二人で頑張れば、なんとか――」
ならない! アーテルさんは強い口調で私の言葉を遮った。
「私の魔法にも限界がある」
ガリッ。キャンディを噛み砕く音。
「私が全力で戦ったとしても、あんなに大きいの何匹も相手にできない」
彼女がキャンディを噛み砕く時は余裕のない証拠なのかもしれない。オーガのハンマーを受け止めていた時もそうだった。
「……あ。アーテルさん、あれ……」
「助けてえええぇ!」
巨大な蛇に追われ、叫びながらこちらに逃げてくる女性がいた。
「マグノーリア……」
今にも彼女はバジリスクの牙に捉えられそうだ。必死に必死に走る。生きようとして。
「……誰だって本当は死にたくない。だから命が消えるのは悲しいことなんだよ」
「今回は本当にだめだよ、フルフル」
「命を助けるのは理屈じゃない。そうでしょ」
「……あんたはそうだったね」
私は頷き、バジリスクに追われているマグノーリアさんへ向かって駆け出す。
「助け……助けてえええ」
「剣、こっちに投げて!!」
「え……!?」
「手に持ってる剣!」
ためらいながらもマグノーリアさんは、言われるままに私に向かって剣を投げてくれた。その白銀に輝く剣は回転しながら、川辺の石ころを切り裂き地に突き立つ。きらびやかな装飾を施されているミスリル製の長剣。その柄を強く握りしめる。
「いやだあああああ……!」
「ココココココココ」
恐怖の叫びを上げる彼女の肩口にバジリスクは喰らいつく。
「マグノーリアさん!」
噛まれたまま持ち上げられた彼女の体に、バジリスクはその太い体躯を瞬時に巻きつける。大蛇の胴は私の身長と同じくらいの太さがありマグノーリアさんの体は、とぐろを巻く蛇に覆われてしまった。
「このままじゃ、マグノーリアさんが死んじゃう!」
私は長剣を引き抜き、バジリスクへと突進する。
「フルフル、どうする気!?」
「やってみるっ!」
とぐろを巻くバジリスクの胴体に剣を浅く突き刺す。固く分厚い丈夫なバジリスクの胴体にもミスリルの剣はすんなりと刺さっていく。
「ほら、痛いでしょ!」
グリグリと抉るように剣を揺らし続けると、バジリスクは捕らえた獲物から顎を離し、私の方へと頭を向ける。
「ココココココ」
独特な鳴き声と揺れる炎のような舌が恐怖を掻き立てる。
……ここまでは、作戦通り! 浅く刺したのは剣をすぐ抜くため!
私は蛇の胴から引き抜いた剣を両手で握った。そして出来る限り剣を低く構える。
「痛いのを刺したのは私! 私が気に入らないでしょ!」
このおっきくて太い胴体を狙ってもダメージは大して入らないよね。でも、もしかしたら頭に攻撃を加えれば倒せるかもしれない。だったらオーガの時と同じ。頭のほうから近づいてもらえばいい。蛇は獲物に向かい勢い良く頭を飛ばすように噛み付いてくる。その瞬間を狙い、攻撃を避けると同時に下から頭へ剣を突き立てる。難しいかもしれないが、それで誰かを救えるかもしれないなら。
必死に頭を回転させていた私の背後からアーテルさんの緊張した息遣いが聞こえた。
「……わがままに付き合わせちゃってごめん。逃げてもいいんだよ」
「逃げろ? いざとなったら、あんたを担いででも逃げるからね」
「ありがとう、心強いよ」
舌をチロチロと出しながら、とぐろを巻いたバジリスクは感情のない目で私を見下ろしている。ううん。感情がないと思い込んでいるだけで、もしかしたら、なにかを考えているのかもしれない。家族がいて幸せを感じる心があるのかも。私たちがバジリスクたちの狩場や水場に立ち入ったせいで、平和な時間を乱しちゃったかな。それなのに私、あなたの命を奪ってでも人の命を救いたい。……私も人間だから。
「コココココ」
……来る!
バジリスクは大きく口を開くと同時に襲いかかってきた。
「なんて無礼な小娘たちなんだ……」
マグノーリアは苛立つ気持ちを抑えられず、剣を木の幹に突き立てた。
「どうしたのよ、手首。血だらけじゃない」
仲間の一人が声をかけてきたのでマグノーリアは笑顔を作る。仲間内では出来る限り人望は集めておきたい。
「なんでもないんだ、リスティル。転んでしまってね」
王女について今は口外しないほうが身のためだろう。相手は王族。恨みでも買っては後が面倒だ。それにこの試験を抜ければ義妹になる女だ。右腕の借りはその時に返せばいい。
ルミセラはそれで構わないが、許せないのは。
あのフルルとかいう下民風情が……。たかが商人の分際で貴族の私に意見をしてきた。あの穢れなき乙女と言わんばかりの善人面。いつかズタボロに汚してやる……。
「本当にどうしたのよ? 凄い形相よ、マグノーリア」
「……大丈夫だ。それより食事に」
コココココココ
「なにか言ったか、リスティル?」
「え? なにも言ってないけど」
「確かに変な音が聞こえたんだが」
回りを見回しても特に変わった様子はない。焚き火の炎で肉を焼き酒を呑んで笑う連中。川に向かい魔法を飛ばして高笑いをしている女たち。
「気のせ……」
コココココココ
「やはり変な音が」
マグノーリアがそう言い終えた瞬間だった。隣に立っていたリスティルの上半身が袋に覆われたのは。
「……なんだ?」
袋を被せられた彼女は叫び声を上げながら、空へと飛び上がっていった。唖然として、その様子を目で追うと空中で両足を暴れさせている彼女の姿が見える。
いや、これは袋なんかじゃない。
「マグノーリア……バジリスクだ!!! ぎぁッ」
声の方へ目を向けると、焚き火の近くにいた連中が巨大な蛇に巻き付かれ血泡を吹き出している。リスティルに至っては既に全身を呑み込まれていた。バジリスクの喉は人型に膨れ上がり、嫌悪感と恐怖を煽ってくる。応戦だ。応戦しなければ。
「喰らえ、化物が! ブライトアロー!!!」
「コココ」
マグノーリアは光の弓と矢を魔法で作り出し、近づいてきたバジリスクの頭を射抜く。
倒せはしなかったが光の矢を受け、怯んだ大蛇は森の中へ姿を消した。
やれる。皆を守れる。リーダーは私だ! 腰の剣を抜き、身構える。
「逃げるな! 奴らとて生き物! 倒せる!」
数匹の大蛇に掻き回され、阿鼻叫喚の仲間たちへと檄を飛ばす。
「無理だ! 勝てるか、こんなバケモン……!」
「怯むんじゃない! 戦え! 人数はこちらのほうが上――」
そう言いかけてマグノーリアは言葉を失う。
さらに森から何匹ものバジリスクが現れる。その数は十体やそこらじゃない。
「助けえええ……!!! マグノぁぁが……」
鎌首をもたげ、舌を出すバジリスクの体内からリスティルの声が響く。
「コココココココココ」
恐ろしい。心底恐ろしい。マグノーリアは恐怖に背中を押されるように走りだした。
仲間を見捨てて。
「大丈夫? マグノーリアさん」
「……私は」
「良かった、気がついて」
目を開けると、そこには笑顔の少女がこちらを見下ろしていた。
なにがあったんだ。ここはどこだ。
「今、助けてあげるから。心配しないで」
マグノーリアの全身を鋭い痛みが襲い始める。体が動かない。ピクリとも動かない。
痛みと共に意識もはっきりと戻り、恐怖に満ちた現状を理解する。自分はとぐろを巻いた大蛇の中心にいるのだ。
「ひぃ……」
悲鳴を上げたかった。しかし恐怖と苦痛で声はでず、息だけが漏れる。
「大丈夫。もう怖くないから。大丈夫だよ」
優しく微笑み励ましてくれる少女。彼女は蛇の上に屈みこんでマグノーリアに笑いかけている。
「フルル……」
バジリスクは何故、彼女を襲わない。まさかこの小娘が倒したとでもいうのか。
「よいしょ……よいしょ」
彼女はマグノーリアの体を、巻きついたバジリスクから引き抜こうと言うのか、肩の鎧を必死に引き続ける。
「……どうしてひどい目にあわせた私を助けようとする」
そうでなくても逃げて当然だ。こんな怪物から瀕死の他人を助ける意味がない。瀕死の人間を助けたところでお荷物が増えるだけ。この森では足手まといの存在は死にも繋がる。この状況では見捨てて当然なのだ。ましてや凶悪なバジリスク相手だ。逃げないほうが正気じゃない。
「誰かを助けるのは理屈じゃないんだよ」
そう微笑む彼女を見ていると苦痛が和らぐ気がした。
……ああ。まるで女神様だ。
「あなたの言う通りでした」
「うん? なにが?」
「……川沿いは危険だった。肉も焼かなければ良かった。申し訳ありません……」
「そんなこといいから今は生き抜くことだけ考えようよ」
命を奪われるのは本当に恐ろしい。それは魔物も同じなのかもしれない。
「なにもかも謝罪します。あなたは正しかった……」
「……私が正しいことなんてないよ」
「フルフル! もたもたしてると他の蛇が来るよ! もう時間切れだ!」
「待って、アーテルさん! もう少し!」
置いてかないからね、そう言って笑顔を絶やさない少女。
だめだ。この人はこんなところで死なせていい器じゃない。
「アーテルさんの魔法でどうにか助けられないかな」
「私の空間接続魔法は転送魔法じゃないんだよ?」
「ダメなの?」
「うん。固定されてる裂け目に物体を通す必要があるから無理!」
「そっか……残念」
肩を落としながらも、フルルは再び笑顔を浮かべる。大蛇に捕らえられ、不安に駆られているマグノーリアを少しでも安心させようとしているのだろうか。
「すぐ助けるからね」
この人が女王と共に国を統べるなら、きっと優しさに溢れる世界になるだろう。
「他の蛇に気づかれた! 早く!」
ココココココ。薄気味悪いバジリスクの鳴き声が届く。
もっと、この人に早く出会えていれば私も――
「アーテル・アルトッ!!!」
「は!? 突然、なに!?」
「フルル様を連れて、お逃げください!」
マグノーリアの叫びに、フルルは目を見開く。
そんな目をしないでください。私など女神の救済を受けるに値しない汚れた人間。
「……フルフル、行くよ」
「ダメだよ。もう少しで助けられるのに……」
本当に優しいお方だ。でも引き際も弁えなければ。
「ご友人の命を危険にさらしているのが分かりませぬか」
「……っ!」
「私を助ける前にアーテル様の身も案じてあげてください」
ずるい言い方だな。我ながら。
「私…………はうっ!?」
空中から現れた腕に襟首を引かれ、フルルはマグノーリアの視界から姿を消した。アーテルの空間接続魔法だろう。とぐろを巻いた大蛇の長い胴の間にある僅かな隙間からアーテルに抱きかかえられたフルルの姿を確認し、マグノーリアは安堵の息を漏らす。
「願わくば我が剣も高貴なるフルル様と同行させて頂きたく存ずる」
「分かった。フルフルと一緒に持って行くよ」
「感謝します」
走り去る足音。遠ざかる泣き声混じりのフルルの叫び。
「せっかく仲良くなれそうだったのに! やだよおおお!」
忠誠を捧げられるお方に出会えたのに残念だ。……仲間を見捨てるくせに綺麗事を騙ってきた天罰かな。いや女神を殴ったんだ、当然の報いか。
「最後に心の澄んだ綺麗な人に出会えて本当に良かった」
あなたは生き延びてください。女神よ。
中編『決着、試練の森! 蒸気の剣と水の魔女!』
「バジリスクの襲撃で王子様候補生も大分減りました」
倒木に腰を掛け、正面に立つグリセルダにエーベルハルトは語りかける。
「残り六人を倒せば全滅か」
炎をまとい、宙に浮かぶ水晶玉。遠方を映し出せる炎水晶の魔法だ。その透明な球体に浮かび上がる荒らされたキャンプ跡。そこには、おぞましい大蛇たちが、うごめいていた。
「私たちが手を下すまでもありませんでしたね、グリセルダ」
「残りの六人は多少骨があればいいが」
「戦うなら手強いほうが面白いですからね」
エーベルハルトは立ち上がり微笑む。
「もう出立するのか? まだ暗いぞ」
「もうすぐ標的に追いつきますからね。頑張りましょう」
「やれやれ。魔女使いの荒いことだ」
「炎の魔女は、せっかちですのよ。ふふ」
「そうだったな、エーベルハルト。いや、炎の魔女ミルドレッド」
ミルドレッドは真紅の兜を脱ぎ、金色の髪を露わにする。
「次の標的は、この方々です」
炎水晶が新たな像を映し出す。
「そのうちの一人はカレンデュラ・カルボナーラか」
「別名、調律錬成士。強力な錬金術を操る魔法士ですね」
「相手にとって不足はない」
ミルドレッドは再び兜を被る。
それにしてもフルル・フルリエ・トリュビエル。あんな状況で人助けなんて。本当に面白くて素敵な人。ルミセラも、やけに彼女に拘っている様子。興味が湧いてきました。
「メインディッシュは最後に回しましょう」
なんのことだと首を傾げるグリセルダを尻目にミルドレッドは歩き始めた。
「ふぅ。これだけ走れば、もう振り切ったかな……」
バジリスクの襲撃を受け、キャンプが崩壊してから二時間。アーテルはフルルを抱きかかえて闇の森を走り続けた。右手には抜身の剣を逆手で握っているので、走りにくくてしょうがなかった。足を止め、アーテルは一息つく。
「アーテルしゃん……むにゃむにゃ」
「泣き疲れて寝ちゃってるよ、この子ったら」
「……私、ふぁーすと……きしゅだったんだよぉ……むにゃ」
「あ、あれは人工呼吸だってのにっ」
でも、こんな風にのんきなフルルが良い。泣いてるよりずっと。
この子はマグノーリアを救えなかったこと。バジリスクの命を奪ったこと。そしてアーテルを危険に巻き込んでいたこと。その全てを悲しんでいた。
「いっぱい頑張ったもんね、フルフルは」
抱きかかえられ一時間は泣き続けていたが、意識が途絶えるようにアーテルの腕の中で彼女は眠りについた。よほど疲れていたのだろう。夜明けまで六時間といったところか。木の幹を枕にフルルを寝かせ、アーテルは横に腰掛ける。マグノーリアから預かった剣に着ていたローブを裂いて作った布を巻く。
「白騎士のオネーサン、最後は少しかっこよかった」
マグノーリアの剣をフルルの隣に置く。あどけない可愛らしい寝顔が目に入った。
「フルフルが起きるまで起きてないと」
真っ暗な森。どこから魔物が飛び出してくるかしれたものではない。
虫や蛙の鳴き声だけが響く森。この樹々の中には数えきれない程の命がうごめいている。
「命……か」
アーテルは気持ち良さそうに寝息を上げているフルルに目を向け微笑む。
「むにゃ……あーてるしゃん………」
「他人の命についてなんて考えたこともなかった」
これからも、きっと考えない。マグノーリアたちを、いや他人を平気で見捨てられる私には。……それなのに、この子は。
「…二回目のきしゅは、まだ早いよぉ……」
「…………マジ」
なんちゅー夢見てんのよ、この子は……。なんだか頬が熱くなってきてしまった。
「さてと。そろそろ、そっちの相手をしてあげよっか」
アーテルは立ち上がり、剣を森の闇に向ける。虫の鳴き声だけがアーテルに応えた。
「いるのは分かってるんだけど。いつまでつけてくるつもりなの?」
アーテルの言葉に反応するかのように枝が揺れる。
「出てきなさいよ、蒸気猿」
「あ、気がついてた?」
「私が河原でフルフルの助けに入った時から、ずっと見てたじゃん」
「あは、凄いわね。気配消してたはずなのに」
トリニタリアはとんぼ返りをしながら木の枝から降りてきた。
……本当に猿みたいに身軽な奴。
「対岸の森の一際大きな木の上。特等席で覗いてたでしょ。月明かりの反射でバレバレ」
「ご名答。こいつに反射してたのかしら」
彼女は折りたたみ望遠鏡を腰のポーチから取り出し、薄ら笑いを浮かべる。
「あんたたちが囮になってくれたから、バジリスクの群れと遭遇しないで助かったわよ」
「遭遇したって涼しい顔で逃げられるくせに」
「あんなウスノロ蛇に捕まる間抜けじゃないものね、お互い」
「キャンプの王子様候補生全員を見捨てて逃げたってわけね」
でもそれが当たり前。集まっていた奴らはみんな友人でも仲間でもない、赤の他人。一緒にいたのは獣と同じ。強敵と戦うにしても逃げるにしても一匹よりも効率が良いから。
「あなたも同じことをしたじゃない? でも、それが普通の人間よね」
「まあね。でも人の命を平気で崖から投げ捨てようとする奴と一緒にしないでくれる?」
「あんたも、いざとなったら他人の命なんかさ、平気で崖からポイって出来るわよね」
アーテルは言葉に詰まる。
「あんたが何故か大事そうにしてる、そのお友達に」
私が剣を向けたらどうする? そう呟き、トリニタリアは剣を抜く。
「剣をしまわなきゃ、今すぐ首を斬り落としてやる」
アーテルは剣をトリニタリアの喉に近づけ凄む。
「あはは。ほらね」
「なにがおかしいの」
「他人の命より、自分の命や守りたい宝が優先」
「当たり前じゃん」
「でしょ? 私も同じなのよ。生きるために奪う」
「同じなんかじゃない」
「同じよ。もしも私が崖に投げ捨てようとしてたのがマグノーリアだったら?」
――こいつ。悔しいけど、なにも言い返せない。
私は返事をせずに左手を背中へ回し、魔法を使ってキャンディを取り出す。飴でも舐めて冷静さを取り戻さなければ。
「見捨てたでしょう? 平気で」
「……そうかもね」
「それが普通。おかしいのはこのイイコちゃん」
彼女は眉間に皺を寄せ、不快そうにフルルを見下ろす。
「むにゃむにゃ……あーてりゅしゃぁん……だいたんすぎるよぉ……」
「夢の中で大胆なことしてるみたいね、あなた」
「……ほんとに、もう」
気まずい沈黙が夜の森を包む。と思ったが虫たちの鳴き声で夜の森は意外と騒々しい。
「それじゃ私、木の上で寝るわ」
「せいぜい落っこちないようにね」
「チャオ」
トリニタリアは蒸気と共に木の上へと姿を消した。アーテルたちを利用するために、同行するつもりなのだろうか。あの猿は腕こそ立つが微塵も信用できない。
「他人の命より、自分の命や守りたい宝が優先……か」
そう呟き、寝ているフルルへと目を向ける。あどけない表情。悪く言えば田舎者に見えるが、朗らかで純朴そうな顔立ちをしている。決して美人ではないが、どこか愛嬌があり可愛らしい。特にその笑顔はこんな危険な森でも安堵を覚えるほど愛らしく思える。
まるで可憐な花のように。
「私も同じだよ、アーテルさん」
「んな……!?」
見つめていたフルルが突然、喋り始めたのでアーテルは思わず声を上げてしまった。
「い、いつから起きてたの?」
「他人の命より、自分の命や~って、アーテルさんが呟いてた辺りから」
「そっか。……驚いたじゃん」
「驚かせちゃった? えへへ。ごめんね」
涙のあとがフルルの笑顔を、儚く切ない表情に見せる。
「私も同じ。守りたい命に優先順位つけた」
「私やトリニタリアとは全然違うよ……」
「同じだよ。バジリスクを、あやめてしまったから」
「……蛇なんかの命まで考えてる時点で、あんたは違う」
「バジリスクだって生きてるもん」
「ほら。命について、いつも真剣に考えてる」
「そうかな」
「……そうだよ」
他人を思いやり命を大切に考える。そんな人間のほうが、この世界では珍しい。
「人間って良い。フルフルといるとそう思える」
あんたといると、私も優しい人間になれそう。やっと心の拠り所を見つけられたよ。
「ありがとう、フルフル」
「アーテルさん。どうしたの、急に」
フルルは頬を染め、はにかむような愛らしい笑顔を見せてくれる。
「ルミセラって呼んで」
「い、いいのかな?」
「いい」
好きだった姉。あの人が誰かと結ばれたら、遠くに行ってしまう気がしていた。だから、この王子様選抜試験を邪魔したかった。自分一人のわがまま。だからもういい。フルフルといたら、そんな自分が小さく思えてきた。試験に失格したとしても私はこのまま、この子から離れない。なにがあっても守る。宝石よりも美しく素敵な笑顔の花を。
「本当の名前で呼んで欲しい」
「……るみせら……さま」
「様は、いらないよ、フルフル~」
「で、でも……」
「ついでに、さん付けも止めて欲しいね」
寝転がってるフルルは顔を両手で隠した。
耳まで真っ赤になっているじゃん。可愛いなぁ、本当に。
「ほら、早く言ってよ、フルフル」
これからは魔法だって全力で使う。この子の笑顔を守るためなら。あんたが笑っていられるなら、なんだって手伝うから。
だから――――
「る、るみせ……あうぅ……」
「どうして真っ赤になってるの」
「だ、だってなんだか照れくさいんだもん……」
「変なフルフル……」
「急に呼び捨てなんて……うぅ」
「お願い……」
――だから、ずっとそばで笑っていて。
「ルミセラ……」
「よろしい」
「えへへ」
この花のような笑顔。ずっと覚えてた。小さい頃から。彼女を抱きしめようと両手を伸ばした瞬間だった。周囲の空間に大きな生き物の存在を感じたのは。
「……ルミセラ?」
「なにか来る」
アーテルは幼い頃から半径二十メートル以内に生物が近づくと、それを空間の揺らぎとして探知できる力がある。魔法ではない。持って生まれた才能だ。だがその才能が世界でただ一人しか使い手のいない空間接続魔法を生み出したのだろう。
細かい数までは分からない。でも複数。追いついてきたか。
「魔物かな……?」
「……多分、バジリスク」
ココココココ。
ルミセラに答えるようにバジリスクの不気味な声が届く。姿はまだ見えない。
「フルフルと仲良くしてると、よく邪魔が入るなぁ。たく……」
「逃げよう……ルミセラ」
腕を掴んできた彼女の手を振り払い、ルミセラは微笑む。
「……な、なにするのぉ?」
「逃げるのは賛成だよ、フルフル~」
ミスリルの剣を拾い、フルルに手渡す。
「あいつの剣も、しっかり持ってね」
逃げるのは賛成。でもこの様子じゃ、どこまでもあの蛇共は追ってくるかもしれない。
――だったら。ルミセラは空間に裂け目を作り、その中に腕を伸ばした。
「え、えっ!? ルミセラ!?」
裂け目から腕を戻すと樹々の枝が揺れ、なにかが空から落ちてきた。
「な、なんなのよ、痛……っ!」
「トリニタリアさん!?」
「や、やあ、イイコちゃん」
木の枝から枝へ移動し、逃げるつもりだったのだろう。ルミセラは空間接続魔法を使い、そんなトリニタリアの足首を空中で掴んだのだ。
「トリニタリアさん、無事だったんだねっ!」
「空から落っこちて無事じゃあないけど……」
「ううんっ! キャンプから無事に逃げられたんだね……良かったよぉ」
フルルは本気で嬉しそうだ。自分の命を奪おうとした相手の無事を喜んでいる。
蒸気猿は危ないやつだって教えたはずなのにな~。ルミセラはため息をつく。
「は、離れなさいよ、このお花畑」
トリニタリアは抱きついてきたフルルの顔を嫌そうに押しのける。
「蒸気猿、頼みがあるんだけど」
「はぁ? 私、今急ぎ……」
言葉を切ったトリニタリアの視線を追って振り返ると、そこには。
「コココココ」
樹々の隙間から鎌首をもたげ、こちらを見下ろす五匹の姿があった。
「一緒に戦おうってんなら、冗談じゃないわよ! 盗賊はね、避けられる戦いは――」
「逃げてもいいから、フルフルも一緒に連れてったげて」
「なんのメリットがあって、そんなことをしなきゃいけないのよ」
「そうだよ、ルミセラ! なに言ってるの……っ!」
フルルの青ざめた表情。置いていけないって騒ぐんだろうなぁ……。
「メリットは、あいつらが追ってこれないように私が残って片付ける。どう?」
「そういう話なら。イイコちゃんを連れて逃げるだけなら良いわよ」
「だったら私も一緒に戦うよ……!」
「足手まといがいないほうが全力で戦えるからね~」
「う、うぅ……足手まとい……」
……ごめんね。本当は足手まといなんかじゃないよ。でも全力で戦っても勝てるか分からないから。でも二人共死んじゃうくらいなら、せめて。
ルミセラはフルルの頬に触れ、精一杯優しい表情で微笑む。
「分かったら、とっとと行った行った」
「……私…………」
今にも泣きそうなあんたを見てると、こっちまで泣きそうになるじゃんか。
「あなたたち、バカじゃないの……?」
トリニタリアは理解できないといった面持ちで肩をすくめる。
「他人のために体張るなんて気持ち悪いわ」
「他人の命より、自分の命や守りたい宝が優先。でしょ」
「そうね」
「だったら守りたい宝のために」
「宝のために死ぬのはバカのやることよ」
「うっさい。それよりフルルをお願い」
「約束できないわよ」
トリニタリアに頷き、ルミセラは剣をバジリスクたちへ向ける。
「やだ……っ! 離してトリニタリアさん!」
「あいつが囮になってくれるのは私にも好都合なのよ」
「なん…………うぐっ……」
なにかを言いかけたフルルの腹部に拳を叩き込み、うずくまった彼女をトリニタリアは担ぎ上げる。
「や、やだぁ……ゲホっ……ゲホっ」
あのバカ! 手荒な真似して。生きて再会したら、やっぱ、ぶちのめしてやる……。
でも今はそれどころじゃない。ルミセラは新しいキャンデイを咥え、冷静さを取り戻す。
「……よく聞いて、フルフル。北へ数キロ。小高い山が三つある」
彼女の頬を落ちる雫に引かれたのか、ルミセラの瞳にも涙が浮かびかけたが、唇を噛み堪える。別れ際に涙なんて見せたくない。
「三つ子の山の真ん中。そこで半日待ってて」
「やだ……って言ってるのに」
「もし半日経っても私が来なかったら先に行くんだよ、フルフル~」
「……ゲホッ。どうして出会って数日の私なんかのために…………」
――あんたは出会って一日も経ってない相手のために体張るでしょうが。
「……言ったよね、あんたの笑顔を守りたいって。それだけだよ」
今はそれが私の願い。
「伝えたいことは伝えたわね。もういいかしら?」
「おっけ~」
「それじゃ健闘を祈るわ、お姫様」
「とっとと行きなさいよ、蒸気猿」
咳き込むフルルを連れてトリニタリアが去ると、蛇たちの不気味な鳴き声だけが夜の森を包んでいた。蛙や虫たちの声はいつの間にか消えて失せている。
「ちょっと……かっこつけすぎちゃったか」
ほんとギリギリ難易度って感じ。
「他人のために体張るなんて気持ち悪い、か」
「ココココココ」
「繋がれ!」
先陣を切って襲いかかってきたバジリスクの頭が空間の裂け目に呑まれ、消える。
「共食いしてなさいよ」
同時に襲いかかってきた別の個体の首にバジリスクが喰らいついた。目の前に作った裂け目に飛び込んだ一匹が、別の大蛇の背後に開いた裂け目から飛び出し、喰らいついたのだ。
「閉じろ!」
「ココココ」
空間の裂け目に飛び込んでいたバジリスクの胴だけが地に落ちる。切断されたバジリスクの頭は今も尚、同族の首に喰らいついている。
「そっちにもとどめ!」
無造作に宙を突き、剣先だけを離れたバジリスクの頭に突き立て、とどめを刺す。倒れたバジリスクの首には同族の頭が喰らいついており、悍ましさを倍増させていた。
「後、三匹!」
空間魔法は連続で使えない。持続力があれば九人目の魔女になれると言われているくらい強力な魔法なのだが、大きさに関わらず裂け目は連続で四回までしか作れない。それ以上は十分以上の休憩が必要だ。そして戦う前にトリニタリアを捕まえるため、魔法を使ってしまっていた。
「……空間接続が使えるのは後一回か」
更に別の個体へ魔法を仕掛けようとした刹那、森の影から飛び出してきたバジリスクの牙を避け、頭を斬り落とす。
「はあはあ……」
もう息切れしてきた。さすがにフルフルを担いで一時間、森を全力疾走はこたえたかな。
「でも守ったげたいんだよ。分かる? このギョロ目の怪物共」
……フルフルは私にとっては他人じゃないんだよ。あの笑顔は絶対守るんだ。
だって私は――――
「仏頂面して、どうしたの? ルミセラ」
「ぶー。だってお母様! ミルドレッドお姉様と一週間も、お会いしてないんだもん」
「ルミセラはもう六歳なんだから一人で遊んでなよ~」
五年前。王位継承権第一位の王女として様々な教育を受け始めたミルドレッド。彼女に会えない寂しさにルミセラは母親に噛み付いた。
「お姉様がいないとお城はつまんない!」
いつも傍若無人で家族の命以外なんとも思っていなかった冷酷なお母様が、この時は何故か悲しい顔してたっけ。
「確かにね。会いたい人に会えないのは苦痛でしかない」
そう言って微笑んだお母様は今にも泣きそうに見えた。
「ついておいで。私の部屋で面白いものを見せてあげよう」
「面白いものぉ?」
母親についていくと、闇のような霧をまとい、黒く輝く不思議な水晶玉を見せてくれた。
「すごーい。綺麗!」
「よく見ててよ、ルミセラ~」
期待の眼差しで水晶玉を眺めていると、そこには二人の少女が映しだされた。楽しそうな二人の温かい雰囲気。優しい笑い声。姉妹なのだろうか。
「お母様、誰これ?」
「私の命より大切な人と、その娘だよ」
「へえ~。親子なんだ。そう見えないけど。でも、なんだか幸せそう」
水晶玉に映る、見ているだけで幸せになれそうな笑顔をした少女。
「しばらく覗いて遊んでるといいよ」
「うんっ、ありがとう」
懐かしそうな微笑みを浮かべると、お母様は扉に向かっていった。
「あ、お母様。素敵な笑顔で笑ってる、この子の名前は?」
「フルル・フルリエ・トリュビエル」
「ふるる? 変な名前」
「フルルはプリムヴェール地区の言葉で花って意味なんだってさ」
「そっか! ぴったりな名前~」
「どうして?」
「笑顔がお花みたいだもん。見てて温かい」
「気に入ったんだ、ルミセラ」
「とっても気に入っちゃった」
「私も好きだよ、あの笑顔」
「フルフルに会えるかなってお母様に聞いたらさ、いつかはねってはぐらかされたんだ」
「コ…コ…」
斬り落としたばかりの蛇頭が胴がないのにも関わらず、小さな声を上げる。
「でも会えた」
覗き見に罪悪感を覚えた九歳になって、あの水晶玉を見るのを止めた。それまでは寂しい時や辛い時、落ち込んだ時も、いつもお母様の部屋でフルフルの笑顔を見て癒やされてきたんだ。開会式の会場で久しぶりに見たあの子は少し大きくなってた。でもフルフルは五年前と変わらない笑顔で微笑んでくれたんだよ。
「二度と大切な人の笑顔は消させない!!」
ミルドレッドの笑顔は守れなかった。いつでも優しかったお姉様。お母様が病床に伏せてからミルドレッドやルミセラへの大臣たちや官僚の態度は変わった。二人の王女に優しくしてくれてたのはお母様が怖かったからだ。そしてミルドレッドは笑わなくなった。
「コココココ」
「うるさい!」
バジリスクの牙をかわし、その頭を斬り落とす。
「作り笑いをしないだけ、あんたたちのほうがマシかもね」
人間が信じられなくなった。唯一信じられるのはミルドレッドと病床の母だけ。誰も守ってくれない。回りの人間なんて全部敵だ。そう思っていた。
「でも……フルフルは違ったんだよ」
あの頃の笑顔のまま。私のそばで笑ってくれて。嘘もなく、真っ直ぐで。敵だろうが魔物だろうが関係なく、誰かのために頑張ってた。あの子なら信じられると思った。
「お母様に頼まれたんだ」
生まれて初めて。細くなった手でルミセラの腕を掴みながら。
「フルルに会いたい。親友の娘に会いたいって」
――試練の森を越えさせてくれ、ルミセラ。あの子は理由があって表立って城へは呼べない。その理由も教えてあげられない。でも試練の森を突破すれば、それを口実に謁見を許すから。そうすれば生活に困ってるフルルへ出来る限りの富を与えられる。だから――。
「だからあの子を守ってあげて」
そう言っていた。母から託された初めての願い。叶えたかった。
「でも今は頼まれたからじゃない!」
逃げようとこちらに背を向けた最後のバジリスクを睨み、アーテルは剣を振り上げる。
「フルフルの……笑顔を守りたいから……!!」
空間を超えた剣が大蛇の頭を貫く。剣が肉と骨を貫通する嫌な音が聞こえた。
「これで五匹、全部」
バジリスクは鮮血を吹き出しながら倒れこみ、体をくねらせ続ける。
「さすがにもう……疲れちゃったよ」
何故か涙が溢れてきた。命を平気で奪える自分が汚れている気がして。その涙と一緒に体力も流れていっているのだろうか。体に力が入らず、ルミセラは両膝をつく。
「……なんだかフルフルの笑顔が見たい」
ココココココココ。森の暗がりから響く声。
「……う……そ」
新たに現れた、大きな生き物が周囲の空間を揺らすのを感じ取る。
そしてルミセラを囲うように森の中に浮かぶいくつもの瞳。月明かりを反射し、輝く瞳の数は十二。……六匹も。
「いよいよ、ヤバイかな。……でも一匹だって」
ルミセラは剣を杖に、もう一度立ち上がった。
「あの子のところへは行かせない……!!」
心の荒野に咲いた、なによりも大切な笑顔の花を守るために。
グツグツと煮立つような音を耳にし、トリニタリアは急速に覚醒した。
――なんの音かしら。
日が高い。もう昼か。降り注ぐ木漏れ日に目を細め、小さく欠伸をする。寝床の太い枝から地上を見下ろすと、葉にできた間隙にフルルの姿があった。彼女は石で作った円の中心に火を起こし、なにかを鍋のようなもので煮ている。
「のんきねぇ……」
ルミセラとの落ち合う予定の丘。樹々に覆われ、丘なのか森なのか巻物の地図がなければ判断しかねるだろう。フルルはバジリスクによるキャンプ襲撃の際、リュックと共に巻物を失っており、トリニタリアが彼女をここまで案内してやったのだ。もちろん善意からではない。こんなのんきなイイコちゃんでも寝ている間の番にはなるかと考えてのことだ。魔物に襲われて悲鳴の一つでも上げてくれれば熟睡していても目を覚ます。
普段ならば滅多に熟睡はしないのだが、バジリスクから逃げるために走り続けて疲労した体では自然と眠りは深くなる。
「……んん。まだ寝足りないわね」
いつもの習慣でトリニタリアは幹を背もたれに太い枝で睡眠をとっていた。魔物がうろついている地上は危険極まりないが木の上なら多少はマシだ。
「お塩が足りないかなぁ。でも、もう少しで完成~!」
底抜けに明るい声が届く。一晩中、ルミセラを想って泣いていたくせに、もう立ち直っている。フルル。こいつは理解できない生き物だった。親しくもない、いや暴力さえ振るわれた相手の命を救おうとした。凶悪な魔物であるバジリスクに立ち向かってまで。なんのメリットがあってした行動なのか。本当に理解できない。
「トリニタリアさん、起きてる? むしろ、まだいる~?」
答える代わりに彼女のそばへ飛び降りるとフルルは目を見開き慌てふためく。
「うわわわ! だめぇ~!」
「え? どうしたのよ」
そして、なにを思ったのか、フルルは煮え立つ鍋を庇うように両手をかざした。
「あちちちち……!?」
「な、なにしてるのよ」
「鍋に埃が入っちゃうよ~……っ!」
「ああ。ごめんなさい」
鍋に目を向けると、どこで手に入れたのか肉と山菜が熱湯の中で揺れていた。試練の森に転送されて以来、携帯食の不味い乾燥ビスケットやフルルから奪った干し肉、せいぜいフルルから奪ったチュパパキャンディしか口にしていなかった。そんなトリニタリアの食欲を刺激する。
「どこから取り出したのよ、この朝食セット」
焚き火を囲うように木でできた三脚があり、その中央には草で編んだロープで鍋が吊るされていた。その近くには二人分の木製の皿とフォークまで用意されている。
フルルの巨大リュックはバジリスクの襲撃にあったキャンプに置いてきたはずだ。そして彼女の腰にあるポーチは大きいが、こんな三脚や皿が入りきるとは思えない。
「トリニタリアさんが寝てる間に頑張って作ったの」
「現地調達で……?」
「短刀とミスリルの剣で枯れ木や倒木を、さくっとっ」
「さくっとねぇ……?」
「うん。鍋はポシェットに入れて持ち込んだ携帯紙製鍋だけれどねっ」
「紙なのに燃えないのかしら?」
「えっとね、水の沸点と紙の燃焼する温度の差と気化熱で炎の――」
「も、もう、もういい。分かったわ。とにかく燃えないのね」
質問を受けた時の嬉々とした表情。この子、絶対に説明好きで話が長いタイプだわ……。
「それにしても世間知らずなイイコちゃんかと思ったら、意外と野生児なのね」
「お母さんが小さい頃から仕込んでくれたのですっ」
「そう。……良い母親ね」
「うんっ。大好きなお母さんなの、えへへ」
――タリアがいれば幸せよ。あなたは一人じゃないわ――。
母親の言葉。嫌な記憶を思い出した。
「……努力だけじゃ世界の風景は変わらない」
「え? なんの話かな」
「なんでもないわ」
そっか。そう微笑み、フルルは私にスープ入りの皿を差し出してきた。
「……これは?」
「どうぞ。熱いから少しフーフーして食べてね」
どういうつもりなのか、はかりかねてトリニタリアは眉をひそめる。
「いいの?」
「うん。最初からトリニタリアさんの分も作ってたからね~」
二人分の皿とフォーク。あれはフルル自身と待ち人であるルミセラのために用意していたのかと思っていた。
「食べ物で媚を売っても私はあんたを置いて先に進むわよ」
ルミセラを待って、こんな場所で足止めを食うつもりはない。
「そ、そんなつもりはないよ」
「それならどんなつもり?」
なんの打算もなしに他人へ食事を振る舞うバカはいない。いつ食事にありつけるかも定かではない、魔物が闊歩する危険な森の中では特に。
「ル……じゃない、アーテルとの待ち合わせの場所に連れてきてくれたお礼ってことで」
謝礼か。それなら分かりやすい。
「偽名使わなくても良いわよ。あの子、ルミセラ王女なんでしょ」
「あ、知ってたんだ」
「顔を見れば分かるわよ」
だからこそ、あいつは正体を隠すために仮面を被っていたのだろう。
「それより遠慮なく頂くわね、ありがとう」
「えへへ、どういたしまして」
屈託のない微笑み。初対面でひどい目にあわされた相手に、どうして笑っていられるのだろう。この笑顔は初めて目にした時から気に食わなかった。フルルはトリニタリアの母親にどことなく雰囲気が似ている。
「おかわり、たくさんあるからね」
「これで充分よ」
「って吹きこぼれちゃ……あわわわ!」
フルルは慌てて草紐を手繰り寄せる。そして鍋を引き上げると三脚に巻きつけ固定した。焚き火からパチパチと乾いた音が響き、火花が飛ぶ。
「それじゃ食べよっか!」
肉がたっぷりと入った山菜スープ。実に美味そうだ。
「いただきま~す!」
熱々の肉を口に含んだ瞬間、得も知れぬ甘みと旨味が広がる。とろとろに柔らかくなった肉は舌先に触れる瞬間に溶けて喉の奥へと流れこんだ。しっかりとアク抜きもされていたのだろう、山菜も甘くエグ味がない。
「……美味しいわ」
「本当? 良かったよぉ、えへへ」
「相変わらず眩しい笑顔ねぇ」
「褒められちゃうと笑顔の花が――」
「咲いちゃうの。だっけ?」
フルルは言葉尻を取られてきょとんとした後、満面の笑みで頷いた。
なんなのよ、こいつ。……でも本当に美味しい。
「これ、なんの肉?」
最後の一切れを噛み締めトリニタリアは微笑む。この肉はきっと高級食材に違いない。
「トキシック・ローパー」
「ぶっ……っ!?」
思わず、口に含んでいた肉を吹き出してしまった。
「だ、大丈夫!? トリニタリアさん!」
「大丈夫じゃないわよ!」
「でも美味しかったでしょ?」
「ローパーって、あの触手ウヨウヨの魔物よね……!?」
「うん。ローパー種の毒を持っている紫色の個体だね~」
「あなた、グロい肉を食べさせただけじゃなくて毒を盛ったのね……!?」
「ち、違うよ! トキシック・ローパーは触手に強い毒があるけれど、お肉は大丈夫」
「に、肉には毒はないのね……?」
「正確には触手から出てくる刺胞に似た小さな針に強い毒があるから、お肉自体は無毒で高級な牛肉に似た食感と味を楽しめるの。個人的な見解だけれど、ローパー種は触手部分において刺胞に似た特徴が見られるのでクラゲなどの刺胞動物が進化し地上で――」
「フルル、長いわ。説明が……。肉が無毒なのは分かったから」
「う、うん。とにかく、お肉は大丈夫だよっ」
フルルは予想通り説明好きで話が長いタイプだったようだ。
「で、あの肉はどこで手に入れたのかしら」
「……今朝、スプーンを作ってたら襲いかかってきたの」
トリニタリアが寝ていた間の出来事のようだ。
「できるだけ命は奪いたくはないけれど、私もご飯を食べないと生きていけないから」
フルルは心底悲しげな表情を浮かべる。なにを悲しんでいるか理解できなかった。
「誰に言い訳してるの? そんな話聞きたくないわ」
「言い訳かぁ……」
「食べるためにやった。それでいいじゃない」
「うん……そうだね。その通りだよ」
お陰さまで美味しい朝食にもありつけたと伝えると彼女は嬉しそうに笑った。
真っ白な灰になった焚き木を土の中に埋め、のんきに後片付けをしているフルル。
なんだか平和な光景ねぇ……。こいつを眺めていると眠くなってくる。
「あなたって料理得意なのね」
こいつを置き去りにしていくか、利用するために同行させるか。どうしたものか。
「一人暮らしも、そろそろ長いからね~。毎日自炊してるよ」
「一人暮らし? 家族は?」
「お父さんは誰なのか知らないし、お母さんは三年前に出てっちゃったきり」
フルルは王子様候補生になるまでの経緯や、経営している武具屋が傾いているなど聞いてもいないのに語り始めた。なんとなしに彼女の話に耳を傾ける。ローパーの話よりも短い。きっと身の上話はフルルにとって楽しい話ではないからだろう。
「……意外と苦労してるのね」
母親に置いて行かれた、か。
トリニタリアが奪って捨てた剣。彼女はお母さんの残した剣と言っていた。そういう意味だったようだ。
「ううん。生きていようって思えるだけ幸せかなぁ」
幸せとはなんだ。自分には分からない。
「トリニタリアさんは?」
「ん~?」
「家族はいないの?」
家族か。トリニタリアも父親はどこの馬の骨だったのかも知らない。物心ついた頃は母親と二人きりだった。
――タリア。真面目に努力して頑張れば、きっとこのひどい環境でも報われるはず。剣は奪うためじゃなく、守るために使いなさい。母さんの言葉だ。
なにが守るためだ。綺麗事を歌うだけ歌って母さんは私を置いて逝った。
「……ごめんなさい」
「なに? 急に謝られても困るんだけど」
「つい家族のこと聞いちゃったから。トリニタリアさん、凄く悲しそうな顔してる……」
「……悲しいですって? 私が?」
悲しい? 私は母親の死を悲しんでいたのか? 違う。あんな奴なんか死んで当然だ。
「知ったような口利くんじゃないわよ!」
怒りの感情がこみ上げ、トリニタリアはフルルの両肩を強く掴む。
「い、痛……っ」
「あいつは。母さんは綺麗事ばっかり言ってた。あんたみたいに」
「あうう……」
「こんなゴミ溜めみたいな世界へ私を産み落とした奴なんか……!!」
産んで欲しいなんて頼んでもいないのに。
「あんな奴……死んだってね、どうでもいいのよ!」
「でもお母さんを失って悲しいんだね……」
「はぁ? 悲しくないって言っ――」
言葉を遮るようにフルルはトリニタリアを抱きしめてきた。まるで幼い我が子を母親が抱くように。優しく。
「だってトリニタリアさん、前に私がお母さんの話をした時も泣きそうな顔してたよ……」
「……わたしは」
温かい。人の温もり。忘れていた感覚。
「トリニタリアさんもお母さんのこと、大好きだったんだね」
「好き?」
母親の花のような朗らかな笑顔。優しかった。小さい畑で野菜を育てて森で猟をする。幼いころ、母さんと過ごした日々は貧しいけど幸せだった。ひもじくて苦しくて泣いてると、いつも笑顔で抱きしめてくれたっけ。――こんな風に。
「……離せ」
これ以上、こいつのそばにいると私は壊れてしまう。
「離せっ!」
「あうっ……っ」
トリニタリアはフルルを突き飛ばし、拳を強く握る。
「母さんはバカだったのよ。命を奪うのを嫌い、人の善意を信じようとしていた」
お前みたいに。そんな笑顔を浮かべながら。
「挙げ句の果て、私を守ろうとして盗賊の餌食さ」
母さんは戦いで圧倒した盗賊にとどめも刺さずに逃がした。そして逃がした奴が連れてきた大勢の仲間にころされた。フルルは真剣な表情でトリニタリアを見つめている。バカらしくなってきた。どうにも母親の話になると我を失う。悪い癖だ。
こんな奴に身の上話をしたって時間の無駄よね。
「だから私は奪う側になった。母さんみたいなバカじゃないから」
本当に、よくある話。くだらない。フルルは頷くと、一歩こちらに近づいた。
「トリニタリアさんがどんな生き方をしてきて、お母さんがどんな風に亡くなったのか私には分からない」
「そうでしょうね。興味のない話をしてごめんなさい」
フルルは首を振り、微笑む。母さんみたいな優しい笑顔で。
「でも、あなたのお母さんは絶対にバカなんかじゃない」
「……だったら、どうしてころされたわけ?」
「自分の命より守りたい宝が優先だったからでしょ」
それは分かってる。
「お母さんは大切な宝だったトリニタリアさんを守ろうとした」
そんなことも分かってる。
「どんな理由でも、それは尊いことだよ」
「尊い? だったらどうして母さんが、ころされなきゃいけなかったのよ!」
怒りに任せ、フルルの腹に拳を叩き込む。
「はいつくばりなさいよ、ガキがっ!」
「世界は優しくないから、あなたのお母さんは奪われた」
「……っ!?」
トリニタリアの拳は彼女の左手に包まれ受け止められていた。
「でもあなたのお母さんは大切な人のいる世界を優しくしたかったんだよ」
「他人の命守ったってねぇ。自分が死んだら、なんにもならない負け犬なのよ……!!!」
もう黙らせてやる。そうフルルの顔面へ放った拳も彼女は微笑んだまま受け止めた。
……こいつ、ただのイイコちゃんじゃない。
「死んだら、なんにもならない。それは大切な人や自分だけじゃなくて、みんな同じ」
「……は?」
「だから命を奪うのは怖いんだよ」
「意味が分からない……」
「どうでもいい他人にだって明日や未来。夢や希望。家族や友人。そういうものがあるかもしれない」
……イラつく。イラつくわ。イラつく。
「そんな他人の命もトリニタリアさんの命も守ろうとしてた、あなたのお母さん」
木漏れ日を浴びて微笑むフルル。
「素敵で尊いよねっ」
彼女がまるで聖母に見えた。もういい。もううんざりだ。
「……自分の命も守れないくせに…………」
腰にあるつまみを回す。背中の圧縮蒸気生成機が動き出した。
「人の命を守るなんて甘ったれたこと言うなぁ!!」
機械から革鎧や剣に伸びる管。その先の射出口から大量の蒸気が溢れ出す。
フルルはトリニタリアの叫びには応えず、笑顔でこちらを見つめている。
「……その目が、その口が、その言葉が!」
そして、なにより。
「お前の笑顔が! 母さんを思い出してイラつくのよ!」
剣を抜くと同時に背中の射出口から激しく吹き出す蒸気。その勢いに乗り、トリニタリアは一瞬でフルルと間合いを詰める。
「うわわわ……っ!?」
慌てた表情を見せたものの、彼女は転ぶようにして振り下ろされた剣を避けた。そして転がりながら地面に置いてあったミスリルの剣を拾い、立ち上がると同時に身構えている。やはり見た目ほど弱くない。フルルは隙のない動きで鞘代わりの布を投げ捨て、白銀の剣をこちらに向けた。
「人と人が傷つけ合うのは悲しいんじゃなかったかしら?」
「悲しいね」
「冗談でしょ? 剣を構えたあなたの目にためらいや戸惑いの類なんてないじゃない」
「出来れば誰も傷つけたくないし争いたくないよ……」
「人に剣を向けながら、よく言うわよ」
「誰も傷つけないとは言ってないよね」
「屁理屈を言うんじゃないわよっ!」
トリニタリアは圧縮蒸気を使い、空中から高速でフルルに迫り斬りつけた。しかし、最小限の動きで斬撃を剣で弾かれ何度攻撃しても刃が届かない。
「お前だって母親に置いて行かれたくせに……っ!」
どうしてそんなに綺麗な顔をしていられる。
「お前は捨てられたのよ!!」
どうして優しい笑顔を壊さずにいられる。
「私はお母さんに捨てられたかもしれないね」
剣が奏でる激しい金属音に消されそうなくらい細いフルルの声。
「……だったらどうして母親を待つのよ」
「お母さんの居場所を残したいから」
「母親は、そんなの望んでいないかもしれないじゃない……バカみたい!」
トリニタリアの言葉が動揺を誘ったのか、ようやくフルルの体を剣がかすめる。じわじわと赤い染みが彼女の右袖に浮かんだ。しかし次の斬撃は剣で受け止められ、再び剣の応酬が始まった。
「お母さんにとって、私のそばが居場所であって欲しい」
「……はぁ!?」
「私が、そう望んでるからだよ」
斬り合いの最中だというのにフルルは寂しそうに微笑んだ。
「お母さんにとって必要なんだって、私が望んでる」
「……お人好しの甘ちゃんが!」
怒りに任せて攻撃を繰り返しても、フルルに全ての攻撃を防がれてしまう。笑顔すら崩れていない。……化け物か。
「どうして……届かないのよ……!!」
ただ斬りつけているわけではない。圧縮蒸気は剣やトリニタリアの動きを複雑に変化させ、常人には反応できない速度で攻撃を仕掛けていた。
――蒸気で軌道を変えるフェイントが読まれている。こんなのんきそうな奴に!
「こんな弱そうな奴に攻撃が通じなくて意外って顔してるっ」
「……なんですって」
「その機械の動きはキャンプで再会した時に少し見せてもらったから」
「だから? だからなんなのよ!」
「あの時、気がついたの」
突き、斬り上げ、袈裟斬り、あらゆる方向へ変化する斬撃の全てをフルルはまるで未来が読めているかのような動きでさばいていく。
「蒸気を噴出する前に、射出口に繋がった管が膨らむよね」
管が膨らむぅ? 革鎧や剣に伸びた圧縮蒸気を送るための管。どこにどれだけ蒸気を送るかは左手の籠手についた装置で操作する。
「……それで動きを予想してるってぇ? ハッタリかどうか試してやるわよ!」
トリニタリアは彼女に蒸気を浴びせながら距離を取ろうと肩と腰の射出口から正面に吹き出す操作をした。するとフルルはそれを予期してたかのように後方へ飛び、高温の蒸気を回避する。
……こいつ、本当に私の動きを!
「ある程度は予想出来るんだよ、トリニタリアさんの動きは」
「へえ、私たち、スチームバンカーにそんな弱点があったなんてね」
キャンプで見せた一度で、使い手も気づいていなかった機械の隙に気づいたのか。
「管が見えない背中や死角部分の蒸気射出は音である程度、予想してるよ」
こちらの動きを先読みができる、それだけじゃない。フルルは剣の腕前も一流以上だ。
だからなに。だからなんなのよ。
「平和な街でぬくぬくと育ったガキが……!」
「そうだね。私は幸せものだと思うよ」
「幸せなんか私は知らない!!」
蒸気の出力を限界まで上げ、トリニタリアは地を走る稲妻のようにフルルに襲いかかった。剣と剣が咬み合い、火花が美しく散る。
「母さんは間違ってたのよ! 世界に私は一人ぼっちだ! 誰も信用しちゃいけない! そうしないと、みんな私から奪っていく!!」
「世界には温かいものを与えてくれる人だっているよ」
「どこにいるっていうんだ!」
「言葉じゃ伝わらない」
「大嘘つき。世界は優しくなんかできない!」
母さんは間違ってた。だったら。
「お前も間違っているのよ! フルルぅ!!!」
剣の射出口から強度の限界を超えた蒸気が溢れだす。渾身の斬り下ろし。その斬撃をフルルは剣で受けようと上段に構えた。
出力最大で斬りつければね、私の一撃はオーガだって受け止められないのよ!
「あの世で母親でも待ってるんだなァ! ガキ!」
――でも本当にそう? フルルは母親に置き去りにされて一人で生きてきた。私となにが違う。本当のガキはどっち?
剣と剣が交差する瞬間だった。予想していた激しい衝撃はなく、トリニタリアの剣はなんの手応えもなくフルルを避けていく。
「……な!?」
フルルは剣を受ける瞬間、刀身を斜めにし斬撃を滑らせるように受け流したのだ。
剣と剣が交わる刹那を見切らなければ、こんな受け方はできない。剣を下げるのが早くても遅くても斬撃を受け流せないだろう。それもただの攻撃じゃない。圧縮蒸気の噴出で加速した一撃だ。剣の腕前が一流以上? 目算が甘かった。彼女の剣技はマスタークラスだ。速度と力。いなされた斬撃は勢いがあった分、トリニタリアのバランスを崩す。
「剣は得意なの」
「あなた…………何者よ……」
「武具屋だよ」
こちらの喉に剣を突きつけながらフルルは笑顔でそう言った。
「ハッタリよね。あんたに人は斬れない……」
「どうかな」
まだやるなら悲しいけど斬る……そんな目ね。勝てない。優しいだけでも力だけでもない。母さんもこいつくらい強ければ死なないで済んだのかもしれないわね。
「母さんに……生きてて欲しかった」
「その気持ちは、いっぱい伝わってきたよ」
花のような笑顔。トリニタリアはあふれる涙が止められなかった。フルルに死んでしまった母親を重ねていた。そして母親へ伝えたかったことを喚き散らした。母親に甘えて反抗するように。ガキは私の方だったのかもしれない。
「……降参。あんた強すぎ」
涙を拭いたトリニタリアさんが剣を納めてくれたので、私は安堵の息を吐く。
「うう……緊張したよぉ。ひ、人と実戦で剣を交えるなんて生まれて初めてで……」
緊張の糸が切れてしまい、私の両手両足は震え出し、その場に座り込む。。
「……あなた、そうやって情けないフリして相手の油断を誘ってきたの?」
「ち、違うよ!? 私が情けなく見えるとしたら、それは素だよ……!?」
我ながら弁解になってない弁解をした気がする……。
「そう言えば今まで腹パンチを防げなかったくせに今回は余裕で受け止めてくれたわね」
「……うう、お腹パンチはひどいよぉ……本当に苦しいんだから」
「そんなことはどうでもいいのよ。今までのは? わざとくらってたの?」
「ち、違うよ。単純に避けられなかっただけだよ」
「そう言えばマグノーリアに襲われてた時も抵抗してなかったし、そういう趣味?」
「しゅ、趣味……?」
「……どえむの人かしら?」
「えむ違うもん……っ!」
私は必死に首を振る。
「ど、どえむというと、いわゆる痛いのとか苦しいのを喜びにするマゾヒストな人たちの上位種を指す言葉だったはずだよね」
「上位種って。まあ、どえむはマゾの上位互換みたいなものだから間違ってないわね」
「うんうん。って、絶対に……どえむ違うからね!?」
ひどい誤解もあったものだよ……。
「前に、お腹パンチを避けられなかったのは、戦う気になってなかったからだよぅ……」
「油断してたってこと?」
「うん。そういうことになるかな」
初めて会った時は仲良くしようとして気を緩めていたし、二回目のパンチはルミセラしか見ていなかったら叩きこまれたので油断もなにもない。
「マグノーリアさんの時は怒鳴られて怖くて竦んじゃったの……」
「臆病なのかしら?」
「うん。私ね、気は小さい方だよ」
オーガと対峙した時もそう。大きな相手に怖気づいてしまって、うまく動けなかった。
「それは納得いかないわね」
眉をひそめてトリニタリアさんは私の横に、ずいっと腰掛けた。
「さっき私の拳を防いだ時は油断もなかったし、怯えてもいなかったわよね?」
「それは戦う覚悟を決めてたから」
「え? なに? 私と最初からやりあう気だったの?」
「ち、違うっ。そうじゃなくて」
私は言葉を切り周囲を見回す。静かな森。今のところは今朝倒したローパー以外に魔物が現れる気配はない。
「バジリスクは必ず追ってくる。だから、いつ来てもいいように戦う覚悟を決めてたの」
「臨戦態勢だったわけね」
「それに、お母さんに甘えてる子供みたいだったから怖くなかったよ」
「……私が子供みたい……? 言ってくれるわね」
「う、うう。だって駄々こねてるみたいだったんだもん……」
「……まあ、あんたを母親に重ねてたところはあるわね」
「お母さんだと思って甘えてくれてもいいんだよ、えへへ」
「はい!? ……もう一回勝負する!?」
「え、遠慮したいかな……」
真っ赤になってしまったトリニタリアさん。可愛いところもあるのかもしれない。
「それじゃ油断してる時を狙えば、あなたに勝てるわけね」
「う、うん。でも……もうトリニタリアさんとは争いたくないなぁ」
「心配しなくても、二度と腹パンチはしないわよ」
「うん、信じるね、えへへ」
微笑むとトリニタリアさんも笑顔で返してくれた。打ち解けてくれたのだろうか。斬り合って深まる女の友情というものもあるようだ。
「それよりバジリスクは必ず追ってくるっていう根拠は?」
「それはね~」
考えたくないし考えると涙が出てくるがルミセラがバジリスクたちに敗北し命を落としていた場合、あの蛇たちは必ず追ってくる。昨晩、私たち三人を襲ってきたように。そう話す私を見つめ、トリニタリアさんは首を傾げた。
「昨夜も不思議に思ったのよ。かなりキャンプから遠ざかってたじゃない?」
「私、途中で寝ちゃったし、ルミセラに抱きかかえられてたから距離感ゼロで……」
「一時間も走ってたわよ、あの姫様。私も振り切られそうな速度で」
一時間。凄い体力だ。私という荷物を抱え込んでいなければ、もっと遠くに逃げられたかもしれない。……でも私を助けるために。
「まあ地図で確認したけれど、昨晩の私たちはキャンプから相当離れてたわけよ」
トリニタリアさんは腕を組み立ち上がる。
「だからルミセラも、もう蛇が追いかけてこないって安心して足を止めたと思うのよね」
「なのにどうして追いつけたのか?」
「そう。ずっとつけてきてたなら、もっと襲撃が早くて然るべきなのよ」
トリニタリアさんの言う通り。キャンプから逃げた私たちの後をずっと追いかけてきたのならルミセラが足を止めた時点で襲われていただろう。でもそれにはカラクリがある。
「理由があるの。昨晩、追いかけてきたのは多分、一匹」
「どういうこと? 何匹も襲ってきたじゃない」
「逃げ出す前に私たちに気がついた子が追ってきて、仲間に位置を教えだんだよ」
「え? 仲間に位置を? 蛇のくせに?」
「バジリスクは蛇の特性が強いけれど決して蛇じゃない」
魔物だよ。そう口にしながら私は手にしたままだった剣の柄を強く握る。
「詳しい説明は省くけれど、蛇は聴覚が退化してて音を聞く能力は低いの」
「それは聞いたことがあるわね」
「でもバジリスクはそうじゃない」
カラカラカラ。バジリスクの名を口にした刹那、木と木がぶつかり合う音が響く。
「……なんの音!?」
木の音に警戒したのかトリニタリアさんは身構えた。私も彼女に続き剣を構える。
「バジリスクは、あのコココって鳴き声で他の個体とコミュニケーションを取ってるの」
「会話……してるの?」
「うん。あの声は小さいけれど数十キロ先の他のバジリスクまで届く。だから後をつけてきた一匹が仲間に位置を教えたんだ。ルミセラが足を止めた時点でね」
再び木と木がぶつかるの音がした。あれは私が今朝、焚き火や料理の準備をするために森に入った時に仕掛けた鳴子の音。草を編んだロープと枯れ木を使い即席で作った仕掛け。大型の魔物だけに反応するように木と木をロープで結び、敢えて高い位置に設置してある。そして、その鳴子は鳴り響いた。
「あの蛇たちは頭が良い。必ず群れでやってくる。一匹で獲物を襲う無理はしないの」
「……もしかして」
「昨夜、逃げた私たちをつけるために、少なくても一匹は近くについてきてるよ」
それも追跡対象に気取られないように充分に距離を取って。
「……なんて恐ろしい化物なの」
トリニタリアさんは青ざめて周囲を見回す。
「だからオーガよりも、ずっと狡猾で凶悪な魔物なんだよね。バジリスクは」
出来れば出会いたくない魔物だった。あの巨大な蛇たちは川や泉へ夜に集まる習性がある。水を飲みに来る別の生物を捕食するために。魔物の住む森で夜の水場は危険極まりない場所なのだ。
「鳴子が鳴ったってことはバジリスクか同じような大型の魔物が近づいてきてる」
「あの変な音、あなたが仕掛けたのね」
「うん。魔物が来るのに、トリニタリアさんは逃げないの?」
「逃げないわよ。逃げるなら、あなたも一緒」
「私は後一日、この場所でルミセラを待つつもりだから、なにが来ても逃げな……わっ!?」
彼女は笑顔を見せながら、私の小さなお尻をひっぱたいてきた。
「な、なにするのぉ!?」
「なら後一日、付き合うわよ」
「……ど、どういう風の吹き回しかな?」
「私は他人の命より、自分の命や守りたい宝が優先」
「だったら危険に付き合うことないよ」
「好きで残るんだから気にすることないわ」
「わ、私がトリニタリアさんの守りたい宝ってこと?」
「悪い……?」
赤くなったトリニタリアさんに微笑んだ瞬間、空から巨大な物体が降ってきた。
十メートルほど先に土埃が舞い上がる。
「うわわわ!? びっくりしたぁ!」
「……来たわね!」
土埃の合間に、もう見慣れた白銀の鱗が見えた。やはりバジリスクだ。
「でも、どうして空から……」
「トランポリンでも踏んだのかしら」
「そ、そんなわけ……」
よく見ると巨大な蛇は全身を血に染め、ピクリとも動く様子がない。
「もう死んでるんじゃない?」
「分からない……。でも、なにがあったんだろう」
剣を構え、蛇に一歩近づこうとした私の上を大きな影が過ぎる。文字通り黒い影だった。太陽が隠されたかのような大きな大きな影。思わず見上げて私は息を呑む。
「あれって。……なによ」
バジリスクの血なのだろうか。その大きな顎を赤に染める獰猛そうな表情。
それは人と獅子の間の子のような恐ろしい顔立ちをしていた。獅子の体に生えたコウモリの翼を羽ばたかせ、空から私たちを見下ろしている。
「……マンティコア!!」
「強いの、それ」
「バジリスクの捕食者で天敵って言ったら、どれだけ危険な相手か伝わるかなっ……」
恐らく私たちをつけてきていたバジリスクを餌にしようとしていたのだろう。運悪く私たちはマンティコアの縄張りに入っていたらしい。
「あ、あの蛇野郎を食べる化物ですってぇ……?」
蠍のような尻尾をくねらせ、マンティコアは殺意を溢れさせるように激しい咆哮を上げた。大気を震わせ、そして身も心も凍てつかせるかのような、恐ろしい叫び。
「あの尻尾は……ま、まずいよ……」
……お母さん、絵本のマンティコアが怖くて眠れないよぅ。
フルフル。マンティコアだって顎を殴れば一発だよ。
……なにを言ってるのお母さん……。
もしマンティコアに遭遇したら尻尾の動きに注意すること。
……尻尾? この蠍みたいな尻尾のこと?
うん。生意気にも尻尾から毒針なんか飛ばしてくるからね、この子。
「トリニタリアさん、物陰に隠れて……っ!」
「え?」
マンティコアの尻尾が鞭のように空を裂く。
――針を飛ばした……っ!
魔獣の攻撃法を知らなかったのだろう。トリニタリアさんは反応できずに立ち尽くしている。彼女目掛けて複数の毒針が飛来する。
このままじゃトリニタリアさんが……っ。
「危ない!」
私はとっさに、マンティコアとトリニタリアさんの間に割って入っていた。胸に衝撃が走り、私は膝をつく。
「ふ、フルル、大丈夫!?」
「……平気、毒針は全部、胸当てで止まってるよ」
さすがミスリル製。当店で一番高価な装備だったもんね。
一部の針は貫通しているが胸がぺったんこで、この時ばっかりは助かった。マンティコアの毒は神経毒の一種。意識を保ったまま全身の自由が徐々に奪われていく。あの魔獣を前に動けなくなれば確実な死が待っているだろう。
「トリニタリアさんこそ大丈夫かな? どこにも毒針刺さってない?」
「ええ……あなたのお陰で」
安堵し微笑むと、トリニタリアさんは何故か泣きそうな表情を浮かべた。
私は急いで胸当てを外し投げ捨てる。肌まで到達していなかったものの、胸当てを貫通している毒針もあった。なにかの拍子で刺さってしまっては困る。
四百万ウィズの高級品なのに……とほほだよぉ。後で回収して修理したい……。
「そ、それどころじゃないかぁ」
こちらの様子を伺うように飛んでいたマンティコアは毒針の効果がなかったと判断したのか地表に舞い降りてきた。喉を鳴らす巨大な魔獣。毒針は生成するまで時間がかかるはずなので、すぐさま二射目があるとは思えないが危険な状態に変わりはない。なにせ相手はバジリスクを一咬みで喰い千切ると言われている怪物だ。危険以外の何物でもない。
「……フルル、あなたに危険を強いてしまうけど作戦があるわ」
「作戦? どんなのかな。興味深いよぅ」
トリニタリアさんが説明してくれた作戦はこうだ。
まず私が飛び出し囮になりマンティコアの気を引く。その間に彼女が蒸気の力で飛び上がり上から魔獣の頭を攻撃する。下から小さな人間が攻めてくれば巨大な体を持つ怪物の視線は当然下方に集中するだろう。そこをトリニタリアさんが上から攻めるのだ。確かに有効な作戦かもしれない。
「よし。その作戦乗ったっ!」
マンティコアが上げた身震いするような咆哮を合図に私は剣を構え飛び出す。私を見下ろす魔獣が前足を振り上げた。
す、鋭い爪だねぇ。あんなので切り裂かれたら痛いだろうなぁ。
「で、でも当たらなきゃ問題ないっ!」
振り下ろされた鋭爪を避け、その前足に剣を振り下ろす。剣を受けたマンティコアは小さな悲鳴を上げた。よし、怯ませた!
「今だよ、トリニタリアさん!」
そう叫んだものの、彼女の追撃が行われる様子はない。思わず振り返ると、そこには青ざめたトリニタリアさんの姿があった。
「ご、ごめんなさい! 機械が……! 蒸気が出なくて……っ!!」
後ろ! 彼女の叫びにマンティコアへと向き直ると、巨大な牙が迫っていた。
ガチッ!! 牙と牙が交差する激しい音。とっさに後方へ飛び、難を逃れたものの状況はより悪化した。
「しまったっ!」
――……剣を取られちゃった!
そしてマンティコアは鋭い牙で挟み込んだ剣を噛み砕く。
「う、嘘でしょぉ……!?」
……ミスリル製の武器を噛み砕いちゃうなんて、どれだけ丈夫な牙なの。戦慄する私の後方で、更に錯乱しているトリニタリアさんの叫びが聞こえた。
「う、裏切ったわけじゃないの! あなたとの戦いで限界を越えて酷使してたから……機械が……その……私は……!」
「気にしなくていいよ」
今にも泣きそうな彼女へ微笑み、私はマンティコアへと視線を戻す。失敗は誰にでもある。責めるつもりはない。
「ま、待って頂戴。今、直すから!」
とは言ってもマンティコアは修理を待ってくれるつもりはなさそうだ。こうなったら素手でやるしかないか。
「逃げて、トリニタリアさん」
「でも……!」
「ここは私がなんとかするっ!」
バジリスクに使うつもりだった、とっておきの仕掛けもあるし。
無残に砕けた剣の残骸を吐き出したマンティコアに私は拾った枝を投げつける。
「ほら、こっちだよ、わんちゃん!」
私はお尻を叩き、駆け出す。目的のポイントまでついてきてもらおうかっ。
あ……ライオンはわんわんじゃなくてネコ科だった。まあマンティコアは獅子のような胴体をしている魔物ってだけで正確にはライオンじゃないから、まあいっか……。
と、のんきなことを考えている場合でもない。怒り狂った魔獣が跳びかかってくる。
「グルァアアア!!!」
「うわわわ……っ!」
必死に迫る怪物の攻撃を避け、私は樹々の間を走る。小回りの利く分、障害物の多い森の中を逃げるだけなら私のほうが有利なのだが――
ひいい……怖い……! おっきなお顔……! 太い牙! お母さん、先立つ不孝をお許し下さいってお祈りしたいけれど!
「そんな後ろ向きじゃ、ダメだよね!」
怒り狂ったように、唸り声をあげる魔獣。剥き出しの牙を輝かせ、迫るマンティコア。
ここだ。目的の場所まで誘い出せた。私は魔獣を真っ直ぐ見据えて枝を引く。
「私の勝ちだよ、マンティコア」
その瞬間、大木から丸太が落下し、走るマンティコアへと襲いかかる。両先端を草紐で括られている丸太はブランコのように左方から魔獣の胴へと激しく激突した。しかしマンティコアは、よろめいたものの大したダメージにはなっておらず怒りの咆哮を上げる。同時に私の腹部に鈍い痛みが走った。
「やられた。……毒針かぁ」
魔獣は勝ち誇ったかのように、両膝をついた私の方へゆっくりと近づいてくる。
「それだけ大きな体だもんね。丸太だけじゃびくともしない」
――でも。
「グ、グガ……ッ?」
「丸太だけじゃないんだよね」
マンティコアは小刻みに震えだし動きを止める。私は吊り下げられて揺れている丸太に目を向けた。丸太には赤紫色をした紐状の物がぐるぐると巻きつけられている。
「あの丸太には朝ごはんにしたトキシック・ローパーの触手を巻きつけてあるの」
私は腹部の痛みをこらえながら、必死に両足へ力をこめて立ち上がる。
「死んじゃった後もローパーの触手には刺胞がしばらく残ってる。だからトラップに有効活用させてもらったよ。効くでしょ? マンティコアの毒針よりも強力な神経毒だからね」
そう説明し私は苦笑した。
「ガアアアアア!!」
「だよね。私の長い話なんて魔物だって聞きたくないよ」
私は呼吸を整え、深く息を吸い拳を握る。
「アウトプットブルーム」
トキシック・ローパーの猛毒でも、マンティコアはすぐに持ち直すだろう。
「マンティコアは神経毒に耐性があるって図鑑に書いてあった。もしも自分の毒針が刺さってもやられないように」
現に魔獣は体の自由を取り戻しつつあるように見えた。
私が動けなくなる前に、とどめを刺させてもらうね。
「フラワーエンチャントっ!」
右拳から花びらが溢れ、甘い香りが辺りを包む。
「マグノーリアさんから貰った剣も守れなかった」
「グルル……」
「私が弱いせい。あなたのせいじゃないけれどね」
拳を握り、近づくとマンティコアは弱々しく喉を鳴らした。
怖いよね。魔物も生きてるもん。
「命までは取らないから。そんな怯えた顔しないで」
行くよ。
「咲き渡れぇぇぇぇぇっ!!」
空を裂くような拳でマンティコアの顎を跳ね上げ、同時に大量の花弁が舞い踊った。
「フルル、無事!?」
倒れていた私に駆け寄ってきたトリニタリアさんに微笑み、大丈夫だよと返事をする。
「でも体が動かないや……」
「もたもたしてて、ごめんなさい……。あの怪物を一人で倒したのね」
「頑張ったよ」
「あなたって本当に凄いのね。尊敬しちゃう……」
「えへへ。褒められると笑顔の花が咲いちゃいます」
笑い返してくれたトリニタリアさんは、私の腹部を目にし笑顔を凍りつかせる。
「なによ、これ……ひどい傷!」
言われて腹部に目を向けると、エプロンドレスは血に染まっていた。
「毒針にやられちゃって」
舌を出して微笑むとトリニタリアさんは大粒の涙を浮かべた。
「猛毒なの……?」
「うん。それなりにね」
辛うじて舌は動くが、時間が経てばどうなるか分からない。マンティコアの神経毒は身体の自由を奪い、やがて心臓などの内臓にも悪影響を起こし死に至らしめる。
今度こそ死んじゃうのかなぁ。
後一歩でトリニタリアさんだけじゃなくて、自分の命も救えたのに。惜しいっ。
「失敗した私を……どうして守ろうとしたのよ……」
「誰かを助けるのは理屈じゃないんだよ」
「……そんなの分からない」
「それにね、世界にはトリニタリアさんのお母さん以外にも、あなたを助けようとしてる人だっている」
世界は残酷で醜いことばかりではないはずだ。頑張れば優しい世界もきっと作れる。
「信じられる人もいるって伝えたかった」
トリニタリアさんが泣いてる。私を心配してくれてるのかな。やっぱり本当は優しい人だったんだね。
「母さんみたいなこと言わないで……」
「トリニタリアさんは……」
魔法を使ったせいだろう、意識が朦朧としてきた。
「トリニタリアさん、あなたはね……一人じゃないよ」
「……嫌よ。母さんと同じ笑顔をした人をまた失うのは嫌……」
「トリニタリアさんも私の笑顔を気に入ってくれたんだねぇ……」
子供みたいに何度も頷く彼女の頬を撫でたかったのに両腕は動かなかった。
「……ごめんね、悲しませ……ちゃって……」
その時、複数人の人影が視界に入った。誰だろう。王子様候補生だったらいいな。
……違う。あれは緑の鱗の肌を持つ亜人。リザードマン。
「逃げて……トリニタリアさん」
私は亜人たちと戦うために立ち上がろとしたが体に力が入らなかった。
「いいから休んでなさい」
「でも……」
「心配しなくても、私はスチームバンカー。お荷物は捨てて行くわ」
もう意識が……。目の前が霞んでぼやけてきちゃった……。
「……だから安心して寝てなさい、お人好しのイイコちゃん」
ルミセラ、ごめんね。待ち合わせの約束……守れそうにないよ。
……あれ? ここはどこだろう。私はなにを……。
「良かった。目を覚ましたのね、フルル」
……トリニタリアさん? 私……なにが。
「まだ朦朧としているのかしら」
確かに意識がはっきりとしない。夢の中にいるようだ。視界もぼやけている。
「無理しないで。安心して寝てなさいと言ったでしょう」
そうだ。私たち……マンティコアに襲われて……。あ。リザードマンはっ?
そう口にしたつもりだったが、うまく言葉にできたかどうか自信がない。
「私がそばにいるから心配しなくていいわ。もう怖い魔物は来ないから」
そっか。あなたが守ってくれてるなら安心だね。なんだかまた眠くなってきちゃった。
そうだ、トリニタリアさんにずっと聞きたかったこと。寝ちゃう前に聞いておこう。
あなたは、どうして王子様選抜試験を頑張ってたの? お金のため?
「私? 王様になりたかったから」
なんで?
「魔力のない人間でも平等に生きられる国にしたかったのよ」
平等な国。素敵な夢だね。
「ありがとう。それに今はね……」
トリニタリアさん、なんだか少し照れくさそう。
「母さんや、あなたみたいな綺麗事を信じてる人間も安心して生きていける国にしたい」
そっか。ありがとう。やっぱりトリニタリアさん、根は優しい人だよね、えへへ。
「優しい? さて、どうかしら」
優しいよ。照れくさそうな顔も可愛いし。……でも、お話してたいけれど、また眠気が。ふわぁ。ダメ。やっぱり眠いや……。
「眠そうね。もう一眠りしたら? ついててあげるから」
うん。そうさせてもらおうかな。ありがとう、トリニタリアさん。
「私たち、友達になれるかしら」
もう友達だよ。
「……ありがとう」
トリニタリアさん、泣いてるの? 目を覚ましたら……またお話しようね。
おやすみなさい。
「ええ。優しい夢を、フルル」
ふらつく足に鞭をうち、ルミセラはフルルが待っているはずの場所へと辿り着いた。
煮炊きをした形跡がある。しかし誰の姿もない。
「半日以上経っちゃったもんねぇ。誰もいなくてもしょうがないか」
置いて行かれたならそれでいい。フルルが無事な証拠だ。
それよりも自分はどうやって助かったのか。
昨晩、新たに現れたバジリスク六匹に囲まれたルミセラは死を覚悟した。ココココと喉を鳴らす不気味な声。光る眼に包囲され、もはや逃げ場はない。そう諦め自らの胸に剣を向けた瞬間だった。花のような甘い香りが漂い意識が朦朧としてきたのは。新しい魔物? まどろみの中、次々とバジリスクが弾けるように空へと飛んで行く。夢でも見てるのかな。そう思い浮かべたルミセラを何者かが抱きかかえた。
――花の香りが強くなった。優しい笑顔の女の人。誰? ……フルフル?
そうして意識を失い気が付くと近くに魔物の姿はなかった。
「誰かに助けられたのは間違いないけど」
まあいいか。少し休もう。そう思い腰を下ろしかけた時、バジリスクの死体が視界に入った。まさかフルフルが襲われて。そう不安に掻き立てられ、死体の側に駆け寄ったルミセラは別の生き物の存在を察知した。
この大きさ。人間と……かなり大きな生物……?
「フルフル、返事し――――」
周囲を見回したルミセラは言葉を失った。人間の身の丈ほどあるバジリスクの胴を、一咬みで食い千切れるであろう顎を持つ巨大な獣。
「……マンティコア」
しかし、噂に名高い凶暴な魔獣は顎と牙を砕かれ、小さく痙攣していた。倒れたまま動きそうにない。
「……驚かせないでよ、ったく~」
ん? これって。よく見るとマンティコアにはいくつもの花びらが貼り付いている。その周囲にも、この場で花が散ったかのように花弁が散乱していた。
「こいつ、フルフルがやっつけ……。……っ!?」
マンティコアの向こう側に目を向け、ルミセラは息を呑んだ。あまりにも凄惨な光景。腕や首を落とされた人間たち。
違う。これは人間じゃない。頑強な鱗に覆われた亜人。これ、リザードマンの死体じゃん。三十体近く倒れてる。なにがあったの……?
その近くに木へ寄りかかり、項垂れている女の姿があった。
「あんたは」
砕けたゴーグル。血で濡れた黒髪。彼女の肩から胸にかけて深い切り傷がある。どう見ても致命傷だった。胸には矢が刺さり他にも大きな傷が全身にある。
――トリニタリア。
「……ひどいありさまじゃん、蒸気猿」
肩で息をしていた彼女は、こちらに気づき顔を上げた。
「あなたも人のこと言えないわよ、姫さま」
バジリスクとのナイトパーティでルミセラの服もすっかり汚れている。
「でも、あんたよりはマシだよ」
「そんな話は後にして、あなたの宝物を心配したらどうかしら」
トリニタリアが視線で示した先にはすやすやと眠るフルルの姿があった。
「フルフルは無事なの、蒸気猿!?」
「マンティコアの毒針にやられてたけど、針は全部抜いて解毒剤を飲ませておいたわ」
多分、心配いらない。その言葉は消え入るようで、よく聞き取れなかった。
「傷には傷薬も塗っておいたわ」
「傷薬に解毒剤? 用意良いじゃん。褒めたげる」
フルルは幸せそうに微笑み寝息を立てている。良かった。この子は大丈夫そう。
そんな武具屋の近くには傷薬とエリクシルと書かれた空瓶が二つ転がっていた。
「……初対面で挨拶代わりにフルルから、拝借した薬だけどね」
「前言撤回……あんたやっぱり最低だわ」
「そうね、最低よ、私は」
苦笑し、トリニタリアは血を吐き出した。胸に刺さった矢で片肺をやられているのかもしれない。喋るのも辛いはずだ。
「あのトカゲ共、全部あんたが倒したわけ?」
「……まあね。トカゲ革の財布が欲しかったから」
「軽口叩けるなら心配いらなそうだね」
「当然……げほっ!」
トリニタリアは血泡を吹き、ゼーゼーと苦しそうに息を吸う。
「……さあ、とっととイイコちゃんを連れて先に進みなさいよ」
「あんたはどうすんの」
「私は大丈夫」
彼女の傷から流れ続ける鮮血。それはトリニタリアの下に小さな水溜りを作っていた。
「血溜まりの上で言われても大丈夫とは思えない」
「……それよりフルルが起きたら絶対、置いていけないって騒ぐでしょう」
「そうなるね」
「それが面倒くさいから……あぐっ」
大量に血を吐き出し、彼女は胸を押さえる。
「ちょ、ちょっと。死ぬわよ、あんた」
「いいから……フルルが寝てるうちに行きなさいって言っているのよ」
「……容赦なく置いていくわよ、あんたのことは」
「分かってる……だからお願いしてるのよ」
残念だけど……可哀想だが重傷者を連れてはいけない。
試練の森は北へ進むほど危険になる。ここから先はもっと恐ろしい魔物が現れるかもしれない。トリニタリアの言う通りだね。フルフルが目を覚ます前に立ち去ろう。
それにしても蒸気猿の奴……一晩会わないうちに、なにがあったのか。随分と変わったように見える。
「フルフルを守ってくれたんだ?」
「私が……その子に守られたのよ」
……誰かをかばってなきゃ、あんたがリザードマンごときにやられるわけないじゃん。
「私を守ろうとした母さんの気持ち……今なら分かるわ……」
本当に変わったわね、こいつ。なんて満足そうな表情。
フルルを抱きかかえ、トリニタリアに背を向ける。
「ルミセラ、その子の笑顔……守ってあげて」
「言われなくたって守る」
立ち去ろうと一歩踏み出し、ルミセラは振り返った。
「ありがとう。見直したよ」
トリニタリアは答えず、ルミセラを見送るかのように手を振る。
そして力尽きたかのように、その手を湿った草と土の上に落とした。
「フルルと仲間たちがマンティコアをも倒したようです」
「ほう。中々やるものだな」
宙に浮かぶ炎水晶に映しだされた像を見つめながらミルドレッドは楽しげに笑う。
「意識を失ったフルルをリザードマンから守り、トリニタリアが脱落ですね」
「スチームバンカーが? 命を賭けて他人を守るような奴には見えなかったが」
「人は出会いにより変われるものかもしれませんね」
人と人の出会いか。グリセルダは目を細める。
「フルル。彼女には人を変える力があります」
「どういうことだ?」
「トリニタリアだけではなくルミセラも、あのあどけない武具屋の影響を受けているように見えました」
グリセルダは炎水晶で常に彼女たちの様子を観察していたわけではないので、なんとも答えられず頷くに留まる。
「マグノーリアもかしら。最後は毅然としていました」
本当に楽しそうに笑っているな、ミルドレッド。
「トリュビエルは不思議な力でも持っているのだろうか」
「どうでしょうね。でも――」
炎水晶を見つめながらミルドレッドは目を細める。
「この案件は本当に面白いです」
「そうか。なら倒すべき王子様候補生は残すところ――」
「今、あなたと交戦中の三人を含めて五人です」
「すぐ残り二人になる」
数メートル先で這いつくばっている三人の少女をグリセルダは見下ろし僅かに微笑む。
「そうですね、お任せします」
この森にきて彼女は笑うようになった。グリセルダは複雑な心持ちになる。
ミルドレッドは王宮にいた頃は、いつも悲しそうだった。形ばかりの笑顔を民や官の前では絶やしていなかったものの、瞳には常に悲しみの光が宿っていた。王女としての責務を健気に果たしながらも国の重鎮たちからは無能と責められる毎日。そんな日々が彼女から本当の笑顔を奪ってしまったのだ。それはグリセルダの守りたかったものだったのに。居場所であるはずの王宮ではなく皮肉にも、この危険な森でミルドレッドは笑顔を取り戻した。炎水晶越しに目にするトリュビエルの活躍を無邪気に楽しんでいるようだった。まるで冒険譚を見ているように。
「そしてバジリスクからルミセラを救った何者かですが」
「誰だったのだ、結局」
ミルドレッドは首を横に振る。
「何者かが現れバジリスクを蹴散らす直前、炎水晶にノイズがかかりました。なにも分かりません」
「妨害魔法か」
「恐らく。それも強力な」
炎の魔女の魔法を妨害できるとなると相当な魔力の持ち主だ。
「それなら何故、ルミセラを救ったものを『何者』だと限定する。人とは限らないだろう」
「ルミセラとバジリスクが戦っていた現場にあった足跡から推測しました」
炎水晶に二つの足跡が映しだされる。
「小さいのはルミセラの靴跡です」
「大きい方が謎の助っ人か」
「王子様候補生以外の何者かですわね」
何故そう言い切れるのかと問うと彼女は頷く。
「この大きな靴跡は他の王子様候補生全員の靴跡と一致していませんでした」
「……全員の靴跡と比較したのか」
「面白いことは探求したくなるたちですので」
炎水晶に次々と靴跡が映し出された。
「その後も炎水晶の魔法で、この謎のお客様を捜索していますが引っかかりません」
彼女の炎水晶は半径百キロ以内のあらゆる場所での探知と追跡、そして監視を可能にする強力な魔法だ。しかし、その魔法でも捉えられないとは。
「あなたの魔法でも見つけられない誰かか」
「王子様候補生よりも、よほど手強い相手かもしれませんね」
「……警戒はしておこう」
食い入るように見つめていた炎水晶から目を離し、彼女はこちらへ顔を向ける。
「面倒に付き合わせてしまいましたね」
「気にするな。面倒とも思わん」
「ありがとう。結婚相手は、どうしても自分で選びたかったのです」
国のために尽くしてきた王女。そんなミルドレッドが初めて見せたわがまま。
――選抜試験に自ら参加し、伴侶となる王子様候補生を見定めたいのです。
しかし魔力は強くとも世間知らずの自分は森でどうしたらいいか分からない。だから、あなたにも同行して欲しい。そう頼まれてグリセルダは二つ返事で了承した。現役の国軍長官が権限を使い自らを王子様候補生に推挙する。王宮のうるさがたには、とうとう王位を狙いに来たかと揶揄されたものだ。だが、そんなことはどうでもいい。
「それでは戦いに戻るとしよう」
理屈も理由も信念も正義も関係ない。私がここにいる理由はただ一つ。私が愛するミルドレッドを嫁にしようなどという不埒な王子様候補生ども。貴様らの全てを撃滅することだ。こいつらもすぐ片付けてやる。
「待たせたな。カレンデュラ・カルボナーラ」
地に落ちた虫のように草地でもがく少女を見下ろしながらグリセルダは口角をさらに歪める。既にカレンデュラと行動を共にしていた他の二名は戦意を失い、彼女の後ろで怯えた顔をしていた。
「どうした。お前は名高い錬金術士なのだろう? そんなものか?」
「どうしたって言われてもね……なんだい、この魔法は……っ!」
必死に立ち上がろうとしているが、カレンデュラの手足はつるつると地面を滑り再び地面に這いつくばる。
「す、滑るのだよ」
カレンデュラの全身や周囲の草地は泡と液体で覆われている。グリセルダの魔法が生んだ液体が摩擦を減らし、立ち上がれないほどに滑ってしまう状況を作り出す。
「ボクは負けないのだよ……っ!」
「なら抗ってみせろ。策がないなら私の勝ちだ」
「……くっ。魔女め……っ」
カレンデュラは悔しさに満ちた表情を浮かべると片腕を上げた。
「こうなったら……最終手段だね! ゴーレム!」
彼女が魔法を使ったのだろう。草や木を巻き込みながら地面がせり上がり、十メートルはあろうかという巨大な土人形が出現した。
「魔力が空っぽになったけど……ボクもここまできて負けたくないからね!」
「随分と立派なお友達だ」
「お友達を紹介してやるのだよ!」
潰せ! カレンデュラの叫びに従い、巨大なゴーレムは拳を振り上げた。
そんな木偶の坊で水の魔女に本気で勝てるとでも思ったのか、小娘が。
「バブルフェザー」
グリセルダの両手から泡のように透き通った美しい羽が大量に舞い上がる。
「……またその魔法かねっ!」
泡の羽が次々とゴーレムを覆っていく。土くれの人型は主と同じように全身を液体で覆われると足を滑らせたかのように転倒した。
「学習しない奴だ」
水しぶきと同時に泡の羽が舞い上がる。
「ゴーレム……立て!」
すがるような叫びも虚しく、土塊の人形は泳ぐように両手両足を暴れさせる。
「摩擦の少ない世界では大きなお友達も無力だな」
「摩擦を無くす魔法かね……」
「無くしてはいない。摩擦を無くしていたら、あなたは分解され消えている」
手加減してやったのだ。滑る程度にな。
「た、たかが滑るだけの魔法に……ボクが……」
「お別れだ。カレンデュラ・カルボナーラ」
「片付きましたね」
「ああ。カレンデュラと一緒にいた他の二人も片付けた」
倒木に座り、ミルドレッドはいつの間にか焚き火を拵えていた。
彼女の前には長い枝で作った三脚に吊るされた鉄鍋があり、煮える湯が肉の色を変化させている。鍋は編んだ草で作られた紐で吊るされている。
「本格的だ。凄いな」
「フルルの真似をしてみました、ふふ」
「鍋はどうした?」
「あなたが倒した三人の誰かが持っていた剣を拾って、炎で加工して作りました」
「……器用なものだ」
「でも……スプーンと取り皿がうまく焼き切れなくて……」
彼女の回りには焼け焦げたスプーンと皿のような木片が、いくつも転がっていた。
「なんでも炎で作ろうとするから……」
「失敬な。草紐は炎に頼らず、素手で編みましてよ」
頬を膨らませて反論してくるミルドレッドが愛らしい。
「何故、スプーンやらを木製にしようとした。鉄で作ればいいだろう」
「フルルは木で作っていました。紙製の物は手に入れようがないので鍋は仕方なくです」
気になる人の真似をしたがる幼子のようだ。
「それなら木製のスプーンと皿は任せておけ。これでも手先は器用でね」
グリセルダはドレスの袖からナイフを取り出し、微笑んだ。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま。良い腹ごしらえになったな」
野菜嫌いなミルドレッドがこしらえた鍋には肉しか入っていなかった。それ以前に食べられる野草が彼女には分からなかったのかもしれない。
「それにしても、あの魔法。アクアケージとかいう」
ミルドレッドはカレンデュラたちが浮かんでいるほうへ振り返り苦笑する。
「ぷかぷかと浮かんで水槽の魚みたいですわね」
「ゆっくりと頭を冷やす時間が出来るだろう」
グリセルダもカレンデュラたちへ目を向けた。そこには水でできた球体の中に浮かぶ三人の少女の姿がある。魔法で作られた水の檻。重力に逆らうかのように球体に固定された水の中に対象を閉じ込めるグリセルダの魔法だ。
「これで王子様候補生は残り二人か。ルミセラと――」
「フルル・フルリエ・トリュビエルです」
待っているぞ、クロウエアとフローラの娘たちよ。特にトリュビエル、貴様は我が君の心を掴みつつあるようだ。たっぷりと、かわいがってやる。ふふ……。
「へくちっ!」
突然のくしゃみ、そして寒気に私は身震いする。
「風邪でも引いたかなぁ」
「気をつけてよ、フルフル~」
「うんっ。この森で風邪を引いたら命取りだもんね」
「また気絶されても困るし~」
「も、もう気絶しないもん……」
この森に来てから何回気絶したんだっけ……。四回? 五回……? ま、まあいいや。
「とにかくフルフルが無事で良かった」
「えへへ。ルミセラも無事で良かった」
夜の深い森の中。私とルミセラは肩を寄せあい、小さな焚き火を見つめている。
「トリニタリアさんは私を助けた後、一人で先に行っちゃったって教えてくれたよね」
「あいつ、協調性皆無だからね~」
「嘘でしょ」
「うん。大嘘」
そしてルミセラは、あの時の様子を話してくれた。トリニタリアさんがリザードマンの群れを倒してくれたこと。フルルを守ってと頼まれたこと。
彼女がもう助からないほどの重症を負っていたこと。
「あいつを私は置き去りにした。怒る?」
「私は気絶してて、なにもできなかった。怒れるわけないよ」
「フルフルは誰も責めないもんね。自分のことは責めるくせに」
「私に誰かを責める資格なんてない」
ルミセラは私の首に両腕を回す。
「う、うわわ、ルミセ……っ!?」
「泣いていいよ」
「私……」
「悲しいんでしょ?」
「……う、うう……また守れなかったよぉ……」
私の額に額を寄せ、ルミセラは優しく微笑む。甘い吐息がかかる。キャンディの香り。
涙が止めどなく溢れてきた。
「もっともっと必死に頑張って努力すれば、きっとトリニタリアさんを救えたかもしれない。マグノーリアさんだって……!」
「いつだってフルフルは頑張ってきたよ」
「結局、私は守られてばっかりだよぉ……っ! いつだっていつだって……!!!」
「でもさ」
ルミセラに強く抱きしめられ、私は硬直する。
「あいつら、最後はかっこ良かった」
「かっこ良かった……?」
「ある意味、フルフルに救われてたはずだよ」
「でも……死んじゃったら意味ないよ……」
「だからだよ。あいつらも、そう思ったんでしょ」
「……どういうこと?」
「死んだら意味がないから、フルフルを助けたいって思ったんだよ。トリニタリアたちは」
――自分の命も守れないくせに、人の命を守るなんて甘ったれたこというなぁ!!
トリニタリアさんはそう言っていた。守られて大切な人に命を落とされるより、自分も大切な人を守りたかった。そういう意味だろう。お母さんが自分を守るために死んじゃったのを、ずっと怒ってたんだ。大切な人だったから。大好きな人だったから。優しい世界をくれた人だから。生きていて欲しかった。でも自分が弱かったから守れなかった。だから今度こそは守りたい、そう思ってくれたのかもしれない。守る対象を私にして。
「あいつらはさ、誰かの命を守りたい、そんな甘いフルフルを守りたくなったんだよ」
「……私も守りたかったよ」
「あんたの笑顔見てると命がけで守りたくなるんだ、これが」
「なにそれぇ……」
「誰かを助けたいならさ、自分の命もしっかり守ったげないとね」
「うん……強くなりたいなぁ」
「一緒に強くなっていこう」
頬ずりをしてきたルミセラに身を任せ私は目を細める。
「ねえ、フルフル」
「なあに?」
「この森を無事に抜けたらさ、一緒に暮らさない?」
一緒に…………暮……え?
「武具屋さん手伝わせてよ」
「え? え?」
一緒に暮らす? 一緒にクラス? クラスチェンジ? え? 暮らすって言った?
「えええええ!?」
「なに面白い顔してるの。このデコ助~」
私の額にぐりぐりと額を押しつけながら、ルミセラは嬉しそうに笑う。
「い、痛い! お、おでこはだめ!」
おでこ攻めから逃げるようにのけ反った私は後ろに倒れこんでしまった。
私の上に重なりあうように倒れたルミセラの顔が近い。
「うわわ……」
唇と唇が微かに触れ、私の心臓は張り裂けるかのように高鳴る。
甘い香り。彼女の口から伸びるキャンディのスティックが私の頬を擽る。
「……もぉ、なにしてるの。ドジなんだから」
うう、謝りたいのに……変にドキドキ緊張して、言葉がでないよぉ……。
「なんだか真っ赤だね、フルフル~。……わっ!?」
離れたくない! 私は起き上がろうとしたルミセラを思わず抱き寄せてしまった。
「な、なんのつもりか説明してもらってもいい?」
「わ、私も一緒に暮らしたい!」
抱き寄せた理由を説明するのも恥ずかしいので誤魔化すように本音を言ってみた。するとルミセラは体を起こし私を見つめ、ぱーっと明るく表情を緩ませる。
「ほんと!?」
満面の笑みを浮かべた彼女は重なりあった私の体を激しく抱きしめてきた。
「えへへ~。喜んでくれてるみたいで私も嬉しいなぁ」
でも……う、うう? な、なんだか苦しいような……。
「い、いだだだだだ……!?」
そう言えば、この人はオーガのハンマーを受け止めるくらいの怪力の持ち主でした。
「ごめん、嬉しくてさ~。つい力が」
ルミセラが抱きしめる力を緩めてくれたので、私はほっと息をつく。
「私は王女だから困難はあるかもしれないけれどさ!」
こんなに興奮して嬉しそうなルミセラの顔は初めて見た。目が輝いていて本当に可愛い。
「フルフルと絶対に一緒に暮らしたい!」
「うんっ! 私もルミセラと一緒がいいっ!」
「それなら、しっかりとお店の経営持ち直してよね、フルフル~」
「二人のお店のためにも試練の森を突破しなきゃだねっ」
「やる気が三億倍くらい湧いてきた! 二人のお店。良い響き!」
「こうやって新しい目標をあんたと話し合えるのも、あの人のお陰かなぁ」
「え? どういうこと?」
「バジリスクに襲われた夜のことなんだけどね」
私たちは焚き火近くに座り直し会話を続けていた。もう当たり前のように、ぴったりとくっついて座っているが私は未だにルミセラと密着するのは少し恥ずかしい。
「そんなわけで私は謎の女の子に助けられましたとさ」
揺れる明かりに照らされたルミセラを見つめながら私は息を漏らす。
「……その人がいなかったら、ルミセラは今頃……」
「うん、消化されてバジリスクの栄養になってたかも?」
「うう、謎の女の子に全力感謝だよぉ……」
ルミセラを助けたのは花の香りがする女の子だったらしい。最初は私に助けられたと思ったようだ。水に落ちて匂いは消えてしまったが、この森に転送された頃の私は花の香りを放っていた。店に花が溢れているので、香りが移っていたのだ。それに私が花の魔法を使うので連想したのだろう。しかしルミセラを助けたのは当然、私ではない。他の王子様候補生が彼女を救ってくれたのだろうか。
「そう言えば、王子様候補生って何人残ってるのかな?」
私は腕を組み、意味もなく空を見上げる。多くの候補生が無事だと良いのだが。
「って。ルミセラに聞いても分からないよね。我ながら、ろくでもない質問を――」
「現在、森にいる王子様候補生が誰で何人残ってるのかは巻物を見れば、すぐ分かるけど」
「え!? 知らなかったよ……っ!」
「だ~か~ら。ちゃんと巻物は読んでおきなっていったのに」
鼻をつままれ、私はフガフガと変な声が出てしまった。ちなみに私の巻物はバジリスクに襲われたあの夜、リュックと共に失われてしまった。なので現在地や目的の場所が表示される地図の確認もできず、どこへ向かうかの判断はルミセラに任せっきりだった。
「……だいぶ減ってる」
巻物を開いたルミセラは深刻な表情を浮かべた。私は彼女の背後から覗き込む。
ずらっと記載された名前と思われる文字列。それは黒と、乾いた血のように赤黒い文字で色分けされていた。黒文字は四つ。その一つはフルル・フルリエ・トリュビエルと記されていた。
「黒文字の名前がまだ生きてる王子様候補生」
「赤文字は……?」
数えたわけではないが、黒文字が四なら赤文字で記載された名前は恐らく二十三。
「……命の反応がない王子様候補生だね」
「嘘……」
名前の列の上に説明書きがある。全王子様候補生一覧。記された名には森の中での生命反応を探知する魔法がかかっている。黒文字は存。赤文字は滅。そう書かれていた。
赤文字の中にはトリニタリアさんとマグノーリアさんの名も含まれていた。
「……やっぱりみんなは」
涙が巻物の上に零れていく。もしかしたらみんな無事かもしれない。その淡い期待は絶たれてしまった。
「生き残りは私たち二人と……こいつら」
黒文字の四人。
「グリセルダとエーベルハルト」
グリセルダさん。会場であったお母さんの親友だった人。そしてマグノーリアさんが言っていた炎を操る赤い騎士。彼女たちは王子様候補生を狩っていたという。
「なにがあっても最後まで一緒だからね、フルフル」
「うん。……ずっと一緒だよ」
そう誓い、私たちは手を握り合う。
マンティコアを倒したあの日から四日。魔物たちとの戦いは続いた。
ワイバーンにゴブリンの群れ。ハーピーにトロルなどなど。数々の魔物や亜人の襲撃を退け、私達は順調に試練の森を進んでいる。
「もうちょっとでゴールだね。頑張ろ、武具屋!」
「二人で一緒に最後まで行こうねっ」
「もちろん! 張り切って行くよ!」
「うんっ! えいえいお~!」
元気良く声をあげ私たちは草木を掻き分け道なき道を登る。雰囲気は、まるでピクニックである。急な勾配。標高が高いのか木の種類が変わっていた。この高所を越えれば巻物の地図に示された目的地に到達する。私の少し前を歩く彼女の横顔を見つめる。
――一緒に暮らそう、かぁ。生まれながらの王女様って雰囲気。私と一緒に暮らすって言ってたけれど本当に叶うのかな。期待してもいいのかな。
「な、なに、じっと見つめてくれちゃってるの?」
私の視線に気づいたルミセラは、こちらに振り返り片眉を上げる。
「なんでもないよ、えへへ」
「なんでもないってなんだ、こいつ~」
「って、見て! もうすぐ山頂だよ~!」
山頂は木が少なく、剥き出しの岩肌の合間の、あちらこちらに花が咲き渡っていた。
「わぁ。綺麗! お花が咲いてる~!」
樹々に遮られずに広がる綺麗な青い空。雲一つない。そして一面の桜色をした花々。美しい光景に私の心は踊り出す。山頂に向かって思わず駆け出し、私は既視感を覚える。
あれ? 前にもこんなことが。
そう首を傾げ、山頂にたどり着いた瞬間だった。山頂から先が急な斜面になっていると気がついたのは。
「あっ……!」
驚いたのも束の間。私は足がもつれ、前のめりになり斜面を転がり落ちる。
「――嘘でしょぉ……!?」
「フルフル……! 繋がれ!」
「うわわわわわわわ……っ!!!」
「繋がれ! 繋がれっ!」
視界が回転し、自分が激しく転がっていること以外は、なにが起きているのか分からない。なにが起きているのか分からないが、恐らくルミセラが空間接続魔法を駆使して離れ行く私を掴まえようとしてくれているのは理解した。
でも止まらないこの感じ! うまく私を掴めてないよねっ! どこまで転がるのぉ!?
「あんた、どうして……そそっかしいところは治んないのっ……!!」
ルミセラの叫びがこだまし、私は回転しながらどこかへ向かって転がり続けた。止まらない私。ずっと転がり続けるのだろうか。それとも岩石にでもぶつかって大怪我しちゃうのかな。下手したら……。
「んぐ!?」
そんな思考を遮るかのように、私は宙に投げ出された。
「が、崖!? うわわわわ……っ!?」
高いところから落ちる夢を見ると、ぞわぞわするけれど、あれの三億倍ぞわぞわだよ! 実際に高いところから落ちると、とってもぞわぞわだ~!
お母さん、先立つ不孝をお許しください。そう覚悟を決めた時だった。なにか生暖かいものに包まれ、落下速度が緩やかになったのは。
「ど、どうなってるのぉ……?」
なんと私の全身はうっすらと炎に包まれていた。
「も、燃え……!?」
熱くはない。炎に包まれた私は、羽になったようにふわふわと、ゆっくり落下していた。そして転がり落ちた時にできたのであろう、擦り傷や痣などが徐々に消えていく。
「え? な? ……なにこれぇ!?」
そんな騒然としている私を誰かが抱きとめてくれた。
「空から女の子が降ってくるなんて。試練の森は不思議な場所ですわね」
私を抱きかかえた少女は無邪気に笑った。その笑顔に見とれていると体を覆っていた炎が徐々に消え去っていく。
「な、なんだったんだろう、この炎……」
「怪我などを燃やし尽くす癒やしの炎です」
「……もしかして助けてもらいました?」
「ええ、誰かを助けるのは理屈じゃありませんからね」
え? その言葉って。
「どうかされましたか?」
「う、ううんっ。ありがとうございました!」
「どういたしまして」
鈴を転がすように笑う少女。この人……どこかで。
左右に結び分けた淡いブロンドの髪。水を弾く白く透き通るような肌。小さく細い肩に綺麗な鎖骨。赤いドレスに真紅のティアラ。そしてこの美しく整った顔。見覚えが……。
「あ、あな、あなたは、まさか」
「初めまして。フルル・フルリエ・トリュビエル」
「み、ミルどりぇっどぉおうい……!?」
「ええ、ミルドレッド・スパトディア・クリームチャットです」
噛み噛みですね。そう笑う王女様に私の頭は真っ白になった。
私は浅い泉の中に尻もちをつき、驚きのあまり口をパクパクとさせている。そんな私を女神のような笑みを浮かべて見下ろすミルドレッドさん。王女様がどうしてこんな場所に? そもそもここはどこなんだろう。辺りを見回すと美しい光景が広がっていた。
「わぁ。綺麗!」
「素敵なところですね。気に入りましたか?」
王女様に返事をするのも忘れて、私は自然の美しさに魅入っていた。切り立った崖の下、樹々に隠れるように小さな泉がある。私はその泉に腰まで浸かっていた。小魚が指を突いてくすぐったい。
「凄く素敵! とっても気に入りました!」
水面が木漏れ日を反射し、まるで液体になった宝石のように輝いている、泉全体が幻想的な青い光を放っていた。せせらぎと鳥の歌声が、心地良い。そんな優美な世界の中央には水を滴らせた美しい少女が立っている。まるで神秘的な一枚の絵画のように、完成された芸術品にも見えた。
「楽しそうですわね、ふふ」
「私、綺麗な自然や風景を見ると興奮しちゃって我を忘れちゃうんですよね~」
……その困った性格のせいで今ここにいるわけです。ついでに言うと、前にも同じ理由で滝壺にも落っこちて、とほほだよぉ……。そう説明すると王女は優しげに微笑んだ。
「こんなに美しいところですもの。気持ちは分かります」
「またピクニックに来たいなぁ」
「危険な森ですのに剛気ですわね」
口元に手を当て笑う彼女の姿は気品に溢れていた。
さすが第一王女様……お姫様オーラに満ちてる。この人がルミセラのお姉さんかぁ。それにしても、なんて優しそうに笑う人なんだろう。
「ミルドレッドと呼んでください。敬語も必要ありません」
「え? そ、それはさすがに勇気が……」
「ルミセラには敬語も様もつけていないじゃないですかっ」
ミルドレッドさんは子供のように頬を膨らませ、私を睨んできた。
「え? え!?」
「それに私の方が年下なのです。親しげに話かけてくださらないと」
「し、親しげって。会ったばっかりなのに……っ!?」
「そうそう。そんな砕けた態度が望ましいです」
今までの神秘的で気品溢れる雰囲気から一点、無邪気な子供のような雰囲気だ。
「……ん? 待って」
「はい?」
「今、年下って言った……?」
「ええ。私は十二歳です」
「私は十三歳だから確かに年下だね」
「王子様候補生の経歴には目を通してありますので存じあげております」
「ルミセラってミルドレッドさんの妹だよね?」
「つーん。呼び捨てにしてくださらなければ口を利いてあげませんもん」
「み、ミルドレッド……」
「はい。ルミセラは間違いなく妹です」
ですよね。それってつまり。…………ええええええええええええええ……!?
「ルミセラって私より年下なのぉ……っ!?」
「ちなみに、あの子は十歳です」
「じゅ、じゅう!?」
十!? 十歳……!?
「三歳も年下ぁ!? ……うわわ!?」
動揺しながら立ち上がった私は、つるつるした水底の石に足を滑らせる。
「あら。大変」
どぼんっと小気味の良い水音が上がり、私は浅い泉に全身を浸からせた。
る、ルミセラが年下ぁ……? 確かに色々とぺったんこな私よりもぺったんぺったんだったけれど、スラリとして大人びた外見で身長も私より少し高くて美人で…………。
「さ、フルル。私の手に掴まって」
ミルドレッドに引っ張り起こしてもらい、ようやく立ち上がる。
「重ね重ねありがとうございます……」
「水も滴る良い王子様候補生ですわね」
苦笑いを浮かべる私を見つめるミルドレッド。彼女が上目遣いで私の胸元にまで詰め寄ってきた。身長が低い私よりも、彼女は頭一つ分ほど小さい。百四十センチ程だろうか。じいっと見つめられ私は動揺してしまう。
「この森に来て数日間。あなたたち王子様候補生を私は監視していました」
「か、監視……?」
ミルドレッドが指を鳴らすと空中に小さい炎が燃え上がる。その中に浮かぶ小さな水晶玉が現れた。炎をまとう水晶はキラキラと輝き、引き込まれるような美しさを放っている。
「詳しい説明は省きますが、広範囲の探知と追跡、そして監視を可能にする魔法です」
水晶球には泉に立つ私とミルドレッドの姿が映し出されていた。
「あなたの活躍を、この水晶越しに楽しませて頂きました」
「なんで、そんなことを……」
あ、そうか。
「王女様自ら、王子様候補生の順位を決めるために監視を?」
「ある意味そうかもしれませんね」
「もしかして、その魔法で私が崖から落ちるのを知って助けてくれたのかな?」
「そうなりますね」
「うう……さっきは本当に助かりました。ありがとう」
ミルドレッドは微笑むと私に背を向け、泉の外へと歩き出す。すると赤いドレスがゆっくりと燃え上がり彼女を炎が包み始めた。
「え!? な……っ!?」
慌てて泉から飛び出し、炎に巻かれるミルドレッドに駆け寄る。
水をかけなきゃ……!? 錯乱する私をよそに炎は瞬時に消え去った。
そして炎が消えた後には、真紅の重鎧をまとったミルドレッドの姿があった。
「私の存在を知られた以上、顔を隠す必要ありませんね」
彼女は苦笑し、腕に抱えていた兜を投げ捨てた。
「赤い鎧の騎士……?」
生き残りの黒文字だった王子様候補生は四人。フルル・フルリエ・トリュビエル、私と。アーテル・アルト、ルミセラと。グリセルダ・メルマイディ・ウィステリア、水の魔女と。残りの一人は――
「まさか……王子様候補生狩り……」
ミルドレッドは微笑みを絶やさず、こちらに向き直り頷く。楽しげな表情が途端に恐ろしい物に見えてきた。
「正解です」
「……エーベルハルト・バウムガルテン!」
私は後ずさり、腰の短剣に手をかける。マグノーリアさんから預かった剣を失ってしまったので、代わりにルミセラから貰った新しいミスリルの短剣だ。
「王女様がなんで王子様候補生狩りを……」
「伴侶となる人くらい、自分で選びたかったのです」
真剣な声。気持ちは分かる。結婚相手くらい私だって自分で選びたい。
「炎水晶から見た王子候補生。たった一人だけ無類の輝きを放っていた人がいました」
ミルドレッドは差し出すようにこちらへ掌を向ける。
「あなたです、フルル。あなたなら私の伴侶となるのに相応しいと考えます」
「わ、私が……っ!?」
「ええ、そんなあなたに最後の試練を与えます」
「……最後の試練?」
「出番ですわよ、グリセルダ」
ミルドレッドの呼びかけに答えるように私の背後から枝を踏む音が響く。慌てて振り返ろうとした瞬間、渦を巻いた泉の水が細い紐のように伸び、私へ向かってきた。
なにこれ!? そう思った時には私は水の紐に縛られ身動きが取れなくなってしまった。全身を縛られ、私はバランスを崩し転倒する。両手首が強く締められ、鈍い痛みが走った。
「い、いたたた……」
水の紐? 魔法? 倒れた私を何者かの影が覆う。見上げると、そこには――
「……グリセルダさん」
……なんだか鬼のような形相で私を見下ろしてるよぉ。開会式の会場で会った時はあんなに優しい顔してたのに……。私、なにか気に障ることしましたぁ……!?
「フルルはグリセルダと戦って頂きます」
「いつお呼びがかかるのかと痺れを切らしていたぞ」
「お待たせしました」
「それよりミルドレッド……。トリュビエルが伴侶に相応しいとは本心か?」
「本心でしてよ」
「そうか。……そうなのか」
な、なんだか、グリセルダさんの私を見下ろす目が一層怖くなったような……!?
「あなたの母、フローラには学生時代、大いに世話になった」
彼女は鬼のようだった表情は緩ませ、どこか懐かしげに呟く。
よ、良かった。よく分からないけれど、お怒りが収まったようで……。
「クロウエアに魔法の実験台にされた時、フローラには何度も助けられた」
「じ、実験台……」
「そうだ。あなたの母君がいなければ、私は学園を生きて卒業できたかどうか怪しい」
クロウエアってルミセラやミルドレッドのお母さんの名前だったよね。
「クロウエアにフローラ。そして私は親友でな。いつもつるんでいた」
そう言えば女王様もお母さんと友達だったってルミセラが言ってたっけ。
お母さんの過去を私は、なんにも知らない。
「よく三人で森へキャンプに行ってな。フローラには木のスプーンや皿の作り方を教えてもらったよ」
「短刀を使って即席で作るのですよね」
私の言葉にグリセルダさんは嬉しそうに笑う。
「そうだ。本当に良い思い出だ」
「えへへ。私もお母さんから習いました」
「素敵な人だったな」
「はい。お母さんは本当に素敵な人です」
私とグリセルダさんは微笑み合い、辺りに穏やかな空気が流れ初め――
「だが! 貴様は許せん、フルル・フルリエ・トリュビエル!」
「ええええ……っ!?」
「我が君、ミルドレッドを誑かすとは……」
彼女は再び鬼のような形相を取り戻し、拳を強く握りしめた。どれだけ強く握ってるのですか、と聞きたくなるくらい、グリセルダさんの拳はギギギギと異音を立てている。
「フローラの娘だから手心を加えてやろうと思っていたのだがな!!」
……もしかして。
「貴様は我が恩人、フローラではない! その娘である!」
ミルドレッドのことが好きでヤキモチを……!?
「娘には恩はない! 滅ぶべし!」
「ほ、滅ぼされるのは困るよ……!?」
グリセルダさんは右手から大量の水を出現させ、巨大な斧を作り上げる。
私を六人分くらい繋いだ長さはあるよ、あの斧……!
「ま、まさかその斧で私を!?」
グリセルダさんは返事の代わりに恐ろしい轟音を立てて頭上で斧を振り回し始める。
「うわわわわ……!」
私はミルドレッドに助けを求めようと、彼女が立っていた方へ顔を向ける。
あ、あれ!? いない!? どこいっちゃったのぉ!? こ、このままじゃ……!
しかしグリセルダさんは攻撃を止め、慌てる私から視線を外し身構えた。
どうしたのだろうと彼女の視線を追う。そこには空間が裂けるようにして別の場所の光景が浮かんでいた。人が通れるほどの大きな裂け目。この魔法は――
「ルミセラ!」
空間接続魔法。その裂け目から剣を構えたルミセラが飛び出す。
「フルフルに、なにをしたああ!!」
ルミセラは怒号を上げながら、グリセルダさんへ斬りかかった。
「来たか、じゃじゃ馬め」
その鋭い無数の斬撃を水の魔女は巨大な水斧の柄で受け止め続ける。
「質問に答えなよ、グリセルダ!!」
「なにを激昂している。貴様もトリュビエルにご執心か?」
「そうだよ!」
……ルミセラ。私の胸に熱いものがこみ上げてきた。
でも相手はこの国でたった八人しかいない魔女の称号を持つ一人だ。彼女に勝ち目はあるのだろうか。八人中、最弱と言われている酸の魔女でも、たった一人で一軍を相手にできるという。
最強の魔女は花の魔女フローラ。次点は夜の魔女クロウエア。三位は炎の魔女ミルドレッド。そしてルミセラが対峙している相手は、この国で四番目の実力を持つ魔法士。
「水の魔女グリセルダ……」
グリセルダに狙われたら私たち二人じゃ勝ち目ない。ルミセラはそう言っていた。
「逃げて、ルミセラ! 私のことはいいから……!」
「置いてけるわけないじゃん!」
「良い覚悟だ、じゃじゃ馬」
「後ろ足で蹴飛ばしてあげるよ!」
ルミセラは絶え間なく剣を叩きつける。凄まじい猛攻だが水の魔女は巨大な斧を器用に操り、柄で斬撃をいなし続けていた。
この人、強い。魔法だけじゃないんだ……グリセルダさんは。
「どうした? 息が切れてきたな」
「……余裕余裕。後一時間は剣を振り回していられるね」
「隙を与えずに攻撃を続ける。私に魔法を使わせないためか?」
ルミセラは眉間にしわを寄せ、なにも答えずに剣を振るい続ける。
「確かに私は両手が自由でなければ新たな魔法は使えないが」
瞳が鋭く青い輝きを放ち、グリセルダは斧を握る両手に力を込めた。
「一時間も貴様のお遊びに付き合うつもりはない!」
なにかする気だ……。
「ルミセラ! 危ない!」
「弾けろ! バブルフェザー!」
水の魔女の叫びと同時に水の斧が、泡で作られたように見える半透明な無数の羽と変化した。そして羽を避けようと後方へ飛んだルミセラへと吹雪のように襲いかかる。
「……あ、泡の羽!?」
ふわふわとした泡の羽。一見、なにも害がないような美しい羽を全身に浴びたルミセラは、その場に転倒した。深刻なダメージでも受けてしまったのだろうか。
「ルミセラ……! 大丈夫!? どうしたの!?」
「大丈夫だけど……なんなのこれ。体中が滑る!」
ルミセラは石鹸水の膜で覆われているかのように潤って見える。その手から剣が文字通り滑り落ちた。彼女は立ち上がろうとするのだが、全身に踏ん張りが利かないようで何度も滑っては倒れこんでしまう。
――滑る魔法。恐らくあの泡の羽に触れると摩擦が奪われ、滑ってしまうのだろう。
「もう貴様は立ち上がることも剣を持つことも叶わない」
「こ、こいつ、両腕が塞がってるのに別の魔法を……」
「一度、魔法で作り出した物体なら別の魔法への転換は可能だ」
倒れたルミセラを見下ろしながら、水の魔女は挑発的に両腕を広げる。
「それに両腕も自由になったぞ? 次はどうする? 策がないなら私の勝ちだ」
「……うっさいな。今、考え中」
「お得意の空間接続魔法も私の周囲には裂け目を作れないからな。役には立たん」
「ど、どうしてルミセラの魔法が通用しないの?」
浮かんだ疑問が思わず口からついてでてしまった。
「こいつはね、フルフル。自分の周囲に魔法の障壁みたいなもの張ってるんだよ」
「ま、魔法の障壁?」
「よく見てみ」
目を凝らしグリセルダさんの周囲を見ると確かに薄い膜のようなものが見えた。まるで大きなシャボン玉に覆われてるかのように彼女の回りを覆っている。
「あのシャボン玉みたいな魔法障壁の中には空間の裂け目は作れない」
「剣で攻撃してたってことは物理攻撃なら通るってこと?」
「うん。あいつの障壁は魔法以外には作用し――」
ルミセラは、もう一度立ち上がろうとしたものの、滑って前に倒れこんでしまった。倒れた彼女は泡を放ちながら数メートル滑っていく。こんな状況でなければ楽しそうなのだが、戦闘力を確実にそぐ恐ろしい魔法だ。
「ルミセラ……!」
「大丈夫……フルフルのことだけは守るから」
苦しげな声。ルミセラは倒れながらも、どうにか剣を手にしたが、柄を持つ両手が滑るのだろう。実に持ちにくそうだ。とても振り回せる状態ではない。
……この水の紐をなんとかして私も戦わないと。エンチャントを使う? でもこの状況じゃ難しい。私の魔法は右腕が自由でなければ使えない。
「ルミセラにはもう戦う力はない。まずはトリュビエル――」
水の魔女は両手を頭上に掲げ、巨大な水の塊を作り出す。
「貴様から片付けてやろう!」
「グリセルダさん、なんでこんなことを……!」
「何故こんなことを……だと?」
グリセルダさんの眉が小さく痙攣する。
「愛する人が望まない婚姻を強要されている。そんな状況になったら貴様ならどうする」
「そ、それは……」
「望む望まないにせよだ。愛しい人が、その婚姻を是とするなら私も納得する」
「愛する人……ミルドレッド」
「だが我が君は婚姻を是とせず、私に王子様候補生の選定を手伝えと命じられた」
「それで王子様候補生狩りを……」
「私を除く全ての王子様候補生を滅ぼせば、あのお方を笑顔にするのは私の役目となる!!」
グリセルダさんの瞳が魔力を放つかのように再び青く輝く。
「永劫の静謐に呑まれ、朽ち果てよ、フルル・フルリエ…………」
「繋がれ!」
水の魔女の言葉をルミセラが再び遮る。
「ええい、貴様の魔法など、私には通じないと――」
「……あんたにはね!」
ルミセラが余裕の笑みを浮かべ、手にしていた剣を放った。彼女のガラスの剣は空中で忽然と消え、私の正面に転がる。
「フルフル! それで水の紐を斬って!」
私は頷き、水の紐で縛られたまま剣を拾おうとしたのだが柄が滑り、うまく掴めない。これでは紐の切断は難しい。ルミセラのように剣もジェルのような水の膜で覆われている。
「無駄だ、馬鹿め。私のバブルフェザーの前にはあらゆる抵抗は無力だ」
「確かに『抵抗』というものは摩擦によって生まれるもんね。さすが水の魔女。うまいこと言いますね」
「そろそろ貴様も無駄な抵抗は止めにしたらどうだ」
自らが作り出した巨大な水塊の下で、グリセルダさんは勝ち誇った表情を浮かべる。
「バブルフェザーでしたっけ。あの魔法の影響下にある場合、ジェルのようなもので覆われて摩擦が大幅に奪われてる状態になるんだよね。それって単純なようで本当に恐ろしい魔法だと思う。戦うのはおろか、移動も困難で――」
「……お前、話が長いな」
話を遮られた私は苦笑し、先ほど剣に触れた右掌へ目を向ける。ほんのりとだが、私の手もヌルヌルとしていた。剣の柄からうつったのだ。指で擦るとほのかに泡立つ。
「まあいい。もう御託は結構! とどめだ!!」
巨大な水の塊が私へと放たれた。その瞬間、私は両手両足の自由を取り戻す。
「……!? 貴様、どうやって、アクアバインドを解いた!」
アクアバインド? この固体に近い不思議な液体の紐を操る魔法のことかな。拘束を解けたのは摩擦を減らす魔法のおかげだよ。長い話で時間を稼いでる間に、掌についていたジェルのような物質を水の紐と肌の間に塗りこんだの。びっくりするほど簡単に、キツく縛られてた紐から手も足も滑って抜けちゃった。ある意味、便利な魔法だよねっ。ルミセラがつるつるになってた剣を魔法でよこしてくれたおかげだよ、ありがとう!
そう解説したかったのだが、眼前に巨大な水塊が迫る私には余裕がない。
……かわせない。自由を取り戻すのが、ちょこっと遅かったかなぁ。今度こそ……私。
「――させない!」
……ルミセラ?
「繋がれっ!」
こちらに向かって迫る水の塊と私の間に大きな空間の裂け目が現れた。
「ルミセラ、貴様、そこまでして……」
「そこまでする価値のある笑顔なんだよ!!」
水の塊は空間の裂け目に体積の半分を呑まれている。その裂け目はどこに繋がっているのだろう。すぐに解った。ルミセラの正面に水の塊の残り半分が姿を現していたからだ。
「ダメ、やだよ、ルミセラ!」
「……一緒に暮らしたかったね」
今までありがとう。そう言い残して彼女は、空間の裂け目から現れた水の塊に呑まれていった。まるで棺のようにルミセラを包み、水塊は揺れている。
「ルミセラあああ!」
「バカな奴だ。空間接続魔法の欠点だ。一方の裂け目を自らの正面にしか作れない」
「……そんな」
だからルミセラはあの魔法を自ら受けるしかなかったんだ……。私を守るために……。
「こんな無力な小娘を助けたところで片付ける順番が変わるだけだ」
「……あの子は私を守るって約束を果たしてくれただけだよ」
「そうか。だが安心しろ」
グリセルダさんは口角を歪め、両腕で天を仰ぐ。
「貴様も同じ場所へ送ってやる!」
二つ目の巨大な水の塊が現れた。
「抵抗してみろ。策がないなら私の勝ちだ」
私は右手のぬめりをスカートで拭き取り、拳を強く握りしめる。
「ルミセラを助ける。二人でこの試験を越えて、一緒に暮らすって約束したから」
私を助けてくれた人たち。みんなに生かしてもらえたから私は今ここにいる。だからこそ途中で投げ出すわけにはいかない。もうお母さんのお店を守るためだけじゃない。
みんなが繋いでくれた私の命。これは私自身の戦いなのだから。
「その発言は私を倒すと受け取ってもいいのか?」
「うん。そう言ったつもりだよ」
水塊の中を漂うルミセラ。まだ生きてるよね。すぐに出してあげるから。
「面白い! 抗ってみせろ、最強の魔女の娘よ!」
「お待ちなさい!!」
一触即発だった私とグリセルダさんの間に炎が燃え上がり、瞬時に消え去った。
「う、うわわわ……!? なにこれぇ!?」
突然のことに私と水の魔女の動きが止まる。
「私が席を外している間に決着をつけようなんて案件ですわよ」
声の方へ目を向けると、そこには赤い鎧の騎士が立っていた。
「ミルドレッド!?」
私とグリセルダさんは同時に驚きの声を上げた。
「はい。ミルドレッドです」
「姿が見えないと思っていたぞ。どこへ行っていた」
「キャンプに、これを取りに行っていました」
彼女は布に包まれた細長い棒のようなものを両腕で抱えていた。柔らかく微笑み、ミルドレッドはこちらヘ歩み寄る。
「お返しします」
「え? わたしに?」
「あなたのものです」
彼女から細長い棒を受け取り、私は首を傾げる。
なんだろう、これ。……でも、それより。
「ミルドレッド、お願いがあるの」
「伺いましょう」
「グリセルダさんにルミセラを解放するように言って欲しい」
「それは無理な相談です」
「なんで……。私ならいくらでも戦うから……っ!」
「そういう問題ではありません」
ミルドレッドは私に背を向け離れていく。その声には厳しさすら感じた。
「どんな理由にせよ、妹は王子様候補生としてこの森に入りました」
「そうだけれど……」
「だったら容赦はしません」
なんだか涙が溢れてきた。王子様候補生は、みんなそれぞれの思惑でこの森にやってきた。王様になって世界を良くしたい。王様になって偉くなりたい。私のように賞金目当てだったり、ただ言うがままに流されてきただけの者もいただろう。でもルミセラは。
「あの子は大好きなお姉ちゃんを取られたくないって、子供みたいな理由でこの森で命を賭けてきたんだよ」
「……ルミセラがそんなことを」
「そんな可愛い妹さんが、あんな目にあって悲しくないの……?」
戸惑いの表情を見せたが、ミルドレッドは決意したように私を見つめ返してきた。
「ルミセラを助けたいならご自分の力でお願いします」
「できるものならな」
「……いいよ。力づくでも助けるから!」
無理だったとしても諦めずに戦う。一人で森を抜けても私の願いは叶わない。
「アウトプットブルーム!」
そう魔法を唱えた瞬間だった。ミルドレッドから渡された、布でくるまれた棒が輝きだしたのは。布の隙間から光が溢れる。
「う、うわわわ……なにこれぇ!?」
布を取り除くとそこには。
「あなたのものに間違いありませんよね、フルル」
私は冒険中、ずっとつけっぱなしだった剣のない鞘に目を向ける。
「うん、お母さんの剣だ……」
輝く桃色の刀身。剣全体に花をモチーフにした可憐な装飾が施されている。
暖かい光。お母さんの腕の中にいるみたい。
私はその光を噛みしめるように目を伏せ、剣をゆっくりと鞘へと納めた。
「……なんなのでしょうか、その剣は」
「お母さんが作ってくれた世界で、ただ一本の剣。私にしか扱えない剣」
フルフル。やっと目を覚ましてくれたのね。
……お母さん、私……魔法使っちゃったら気が遠くなって……。
だから魔法は使っちゃダメって言ったのに。
……ごめんなさい。子猫が野良犬にいじめられて死んじゃいそうだったから、つい。
つい野良犬を粉々にしちゃったの? 野良犬にも命はあるの。ダメだよ。
……ち、違うよ! エンチャントを使って殴ったのは地面だよっ……!
脅かして追い払ったのね。優しい子。
……地面に大穴が空いちゃったけどね。
穴は塞げばいい。でも命は取り戻せないからね。
……命は大切。奪うより育てるほうがずっと温かい。だよね。
その通り。でも魔法を使うたびに気絶してたら困っちゃうよね。だから三年をかけて、この特別な剣を作ったの。
……三年も。お母さん、頑張ったんだね。それより特別な剣って?
フルフルの魔法はどんな魔法よりも強い。でもあなたには魔力が僅かしかない。
……うん。だから私、魔法を使うたびに気絶しちゃう……。
でも大丈夫。この剣はフルフルの僅かな魔力を増幅、そして安定させる制御装置。どうしても戦わなきゃいけない相手が現れたら使いなさい。この剣を。
あなたの守りたいものを守れる力を引き出してくれるから。
「ありがとう。私の剣、拾っておいてくれたんだね」
「はい。いつかお返ししようと思って」
おかげさまで剣もこうやって帰ってきた。ミルドレッドは基本的に優しい人なんだと思う。でもみんな自分たちの譲れない想いのために戦って、そして傷つけ合ったんだ。この王子様候補生選抜試験は最初から悲しい戦いだったのかもしれない。
「こんな戦いは、もう終わりにしないとね」
私は剣に手をかけ水の魔女へと向き直る。彼女の頭上には、まだ水塊が浮かんでいた。
「……なんだ、その落ち着き払った態度は」
「ルミセラを解放する気はないんだよね」
「望みを通したいなら力で来い」
「うん。力がなければ守られてばかりだもん」
私はゆっくりと息を吸う。
「アウトプットブルーム」
鞘に収めた剣が強く発光し始める。
「聖剣フローラリア!!」
鞘から抜いた剣。聖剣フローラリアは無数の花弁を放ち、周囲を桃色の花びらが覆っていく。空を森を泉を全てを埋め尽くすかのように。
「……なんだこいつ、凄まじい威圧感だ」
「さすがは私の見込んだ王子様候補生です」
「……ミルドレッド!」
「はい? どうしました、グリセルダ」
「もう戦闘開始で構わないんだろうな」
「どうぞ。手加減は必要ないようですね」
「魔女を相手にしているつもりで本気で行く!」
グリセルダさんの瞳が青く輝く。
「アクアケージなど生温い!」
水塊は弾け飛び、水の魔女は周囲に無数の羽を舞い上がらせる。泡の羽は数えきれない程の花びらと交じり合い、辺りを埋め尽くす。
「うわぁ、綺麗。花吹雪と羽吹雪。なんて幻想的な空間なんだろう」
「全ての花を無様に散らしてくれる。冬場のサクラのようにな!」
「冬のサクラも春になったら咲き誇るために、いっぱい頑張ってるんだよ」
「ほざけ! バブルフェザー!!!」
生きるために、未来のために。そうやって頑張るのは絶対に無様なんかじゃない。
「全ての摩擦を奪われ、塵となるがいい! フルル・フルリエ――」
言葉を呑み込み、グリセルダさんは目を見開いた。
私の操る花びらが、全ての羽にくっつき覆っていったせいだろう。
「綺麗な泡の羽。あなたの魔法は美しく、そして強力だよね」
私は剣を空に向かって掲げる。すると花びらの海が渦を巻くように私の回りに集まってきた。全ての羽は嵐の海に浮かんだ船の如く、花吹雪に呑まれて消える。
「……なんだその魔法は……」
「私の魔法はね、くっつく魔法だよ。水の魔女」
「……くっつく魔法? ある意味、私の魔法と逆の性質……それも段違いに強力な……」
花弁がグリセルダさんを魔法障壁ごと覆う。
「み、身動きが……取れん」
「ルミセラを解放してくれるかな」
「バカな。勝負はまだついてはいない!」
「そっか。そうだよね。引けない戦いってあるのかもしれない」
グリセルダさんはミルドレッドのこと、きっと本気で好きなんだ。だから私には負けられない。自分の手で大切な人を守りたいんだよね。
でも私もね、みんなに助けられたこの命、あなたに奪われるわけにはいかないから。
「アウトプットブルーム!」
さらに大量の花弁が溢れ、そして掲げた剣に集まり形を成していく。グリセルダさんはその様子を見上げ、口を開き唖然としている。
「狂い咲け! フローラリア!!」
それは花弁で作られた、天を突く程の巨大な一本の剣となった。
「……貴様に人は斬れない! 甘ったれた夢を見ている小娘には!」
「どうかな」
トリニタリアさん。マグノーリアさん。
――そしてルミセラ。
みんなが守ってくれた命だもん。私は私の信じる道を行くね。
「たあああああああ!」
全身の筋肉とバネを駆使し、一気に剣を振り下ろす。
「わ、私の魔法障壁でそんなものぉぉ……!!」
「咲き渡れええええええええええええええええええええええ!!!」
空を割り、大地を裂くかのような轟音。フルルの振り下ろした巨大な花の剣は大気を震わせ、青空に浮かんでいた雲すらも吹き飛ばした。花の剣は飛散し、花びらとなって辺りへと舞い降りていく。まるで天界から降りそそぐ雪のように。可憐に儚く美しく。
「凄い。……今の一撃は私でも防げたかどうか分かりませんわね」
不思議なことにあれだけ大きな剣が叩きつけられたにも関わらず、森に被害が一切出ていなかった。樹々は風圧に揺れてはいるが平穏そのもの。地面にもなんら異常はない。草一つ折れてはいなかった。そんな中に、へたり込み呆然としている青ドレスの女がいる。
「グリセルダ。生きていますか」
「ああ……生きているのか私は……」
「真っ二つになったかと思いましたが、どうやら無事のようですね」
「……剣が接触する前に、私の体に合わせて消えていったからな」
グリセルダは無傷のようだ。安堵したミルドレッドはフルルへ目を向ける。
彼女は目が虚ろで足下もおぼつかない様子だった。恐らく限界以上に魔力を使い、疲弊しきっているのだろう。
「……凄まじい魔法だったな。剣に刃が必要ないわけだ……」
「フルルは剣を振りおろす途中で力尽きてしまったのでしょうか」
グリセルダは首を振り涙を落す。
「あいつは……手心を加えたんだ……全てに」
「負けましたね、グリセルダ」
「……剣の補助があったとはいえ、ここまで実力差を見せつけられてはな。私の完敗だ……」
よほど悔しかったのだろう。グリセルダは地に伏し泣き崩れた。
あなたの気持ちは承知していました。いつも私を第一に考えてくれていましたね。
「結局、私を斬れなかったじゃないか、甘ちゃんめ……」
「ありがとう、グリセルダ」
「……気にするな」
水の魔女。あなたの忠誠と愛情に敬意を。そして――。
「フルル」
ミルドレッドの言葉にも反応せず、彼女はゆっくりとこちらに近づいてくる。フルルは握力すら失うほど疲弊しているのか剣を手から零した。
「……ルミセラを……自由にして」
最早、気力だけで意識を保っているのだろう。彼女はミルドレッドを見ていない。
ふらつく足を引きずりフルルは、すぐ目の前まで歩いてきた。
「ルミセラを……」
震える体で彼女は拳を振り上げる。
「返し……て……」
のろのろとした右拳。フルルは薄れいく意識の中でも戦っているのだろう。大切な友人を守るために。ミルドレッドはその拳を左手で受け、倒れかけた彼女を抱きとめる。
「……頑張りましたわね」
気絶してしまったのかフルルの全身は脱力していた。そんな彼女をミルドレッドは思わず強く抱きしめる。
「合格ですわ、フルル・フルリエ・トリュビエル」
彼女を抱くミルドレッドの両腕から炎が上がる。そしてフルルの全身を優しく包んだ。
「癒やしの炎です。今はゆっくりとお休みください」
その時、むず痒いような違和感を右頬に覚える。 指を頬に這わせてみると、そこにはなにかが貼り付いていた。
指でつまみ剥がしてみると、それは――
「まあ。綺麗な花びら」
桃色の小さな花弁。偶然貼り付いたのだろうか。
「……なにやらフルルに一本取られた気分です」
「あなたも完敗だな、ミルドレッド」
「……ええ。手も足も出ませんでした」
後編『約束と責任! 三人の未来!』
フルフルっ。
誰かが私を呼んでいる。誰だろう。必死な声。
フルフル。フルフル!
「起きてよ、フルル・フルリエ・トリュビエル! あんたは王子様でしょっ!」
瞳を開くとまず目に飛び込んだのは。……なんだろう、これ? カーテン? あれ、私、ふかふかのベッドに寝てる? あ、これいわゆる天蓋付きベッドだ。
「ルミセラ……? おはよう」
「おはよう、フルフル~! やっと起きてくれた!」
頭を傾けると目を涙で濡らした金色の髪を持つ少女の姿があった。その口元には棒付きキャンディのスティックが見える。私が天蓋付きのベッドに横たわってルミセラとおはよう? なにそれ。ああ、分かったぞぉ。
「うん、これは夢だ。夢に違いない。夢の中で寝たら、どうなるか試してみよう」
「こらこら、寝ちゃダメだって……!」
「んん……?」
「目を覚ましてくれて本当に良かったよ、フルフル王子」
「ルミセラ……? 武具屋だよ、私」
「そうだったね」
彼女は安心したように微笑むとベッドに横たわっている私に飛びかかるように抱きついてきた。
「うわわわ…………ぐえ!?」
突然、のしかかられて私はヒキガエルのような声を上げてしまった。
「ごめんごめん。もう起きてくれないのかと思ってさ。嬉しくて」
「お、起きてくれないって、なにが?」
「一週間、寝っぱなしだったんだよ、フルフルは~」
「一週間も!?」
「なにから説明したげたらいいかな」
私から離れると、睫毛の長い瞳の涙を袖でこすりルミセラは微笑んだ。
「あ。ルミセラがドレス着てるぅ~!? 王女様みたい!」
「いやいや。私、王女様みたいっていうより、王女様だから」
「そ、そう言えばそうだったね」
嬉しそうに笑うルミセラは漆黒のドレスにティアラを合わせ、どこからどうみても完璧な王女様だった。ストレートのブロンドに素晴らしく黒が映える。
「綺麗……」
「ん~? フルフルだって綺麗だよ」
「どこが? 私なんて眉毛太いし、実は太もも太いし、ちびっちゃいし、腕は細いけれど髪の毛も癖っ毛で服装だって子供っぽ………………」
半身を起き上がらせた私は、自分の着ている衣装を目にして驚愕する。
「えええええええ!? なにこれええ!?」
ベッドから飛び起きた私は錯乱し、部屋中を歩き回っていた。
薄い桜色のドレス。鎖骨が剥き出しな上に肩まで出ている。床を引きずる長いスカートが実に歩きにくい。広い部屋に置いてあった豪華で大きな鏡に写った、そんな自分の姿を目にして私は再び驚愕する。
「どうなっちゃってるのぉ……!?」
「落ち着いて。王宮妖精が着替えさせたんだよ、フルフル」
「そうなのぉ!? 私のお子ちゃま体型にこのドレスは馬子にも衣装ですらないよ……!?」
「超絶可愛いよ、フルフル~」
「え? ほんと? えへへ」
ルミセラに褒められて私の頬は一気に熱を帯びてきた。
「褒められると笑顔の花が咲いちゃいます」
「その笑顔見てると私も笑顔になっちゃうよ」
ベッドに腰掛けているルミセラとにっこりと微笑み合う。
「それにしても広いお部屋。私のお店よりも何倍も広いし豪華だよぉ。あ、壁にかけてある剣。あれオリハルコン製だっ! 良い仕事してるな~。お値段はざっと見積もって」
「ま、また始まった」
「でもオリハルコン製の剣なんて滅多にお目にかかれるものじゃないし、柄の飾りも――」
……って。そうじゃなくて!
「……ここどこ!?」
私は試練の森にいて。ルミセラが魔法で水の中に閉じ込められて……あれ!?
「ここは王宮だよ」
「グリセルダさんとミルドレッドは!?」
「元気にしてるよ。とにかく試練の森、首位突破おめでとう」
「え? 試練の森首位突破? 私、いつの間にか試練の森突破しちゃったの?」
ん? 私が首位突破? 話が全く見えてこないんですけれど……!?
「私が分かりやすく説明して差し上げますわ」
「ミルドレッド!?」
いつの間にか部屋の扉が開かれており、そこには森で見た時よりも豪華なドレスを着た第一王女の姿があった。扉を開いた妖精がミルドレッドに一礼し、姿を消す。
リコリスさんのお友達かな? 私に王子様候補生の話を持ってきた妖精リコリス。ふと彼女を思い出し、遠い昔のことのように懐かしさを覚えた。
「ルミセラの説明は少し適当過ぎますわね」
「だって、なにから説明していいのか分かんなかったんだもん……」
チュパパキャンディを咥えた口を尖らせてルミセラはベッドに寝転がった。相変わらず喜怒哀楽が分かりやすい子だ。
「テーブルと椅子をお持ちなさい」
ミルドレッドの言葉と同時に豪奢なテーブルと椅子が三つ、忽然と現れた。
「す、凄い。王宮って便利なんだね」
「王宮妖精は優秀ですからね」
「王宮妖精さんが転送魔法で頑張ってるのかな」
「そうだよ、フルフル。あいつらの転送魔法は一流だからね~」
「……うちのお店にも一人欲しい」
重い武具をいちいち倉庫から出したり、しまったり運ばないで済む。実に便利だろう。一家に一人、王宮妖精。
「それでは座ってお話しましょうか」
ミルドレッドに促され、私たちはテーブルにつく。よく見ると紅茶やお菓子までテーブルには用意されていた。なんて優秀なの、王宮妖精!
「さてと。どこから説明しましょうか」
彼女はティーカップを手に取り、ゆっくりと私の現在に至るまでの状況を教えてくれた。試練の森の目的地までミルドレッドが私を運んでくれたこと。目的地には転送魔法のかかった装置があり、それに触れると城の広間に送られること。ルミセラの予想通り王宮妖精たちが王子様候補生を監視し点数をつけていたこと。目的地まで到達したのはグリセルダさんとミルドレッド、私の三人だったこと。
そして私が最優秀の成績を収め、首位で王子様に選ばれたこと。
「私が王子様……。そうだ、ルミセラは?」
「私?」
「うん。ルミセラはどうなったの?」
「グリセルダの奴に負けたあの場所から、王宮妖精の転送魔法で城へ逆戻りだったよ」
「そっか……私を守るために」
肩を落とした私の頭をルミセラは優しく撫でてくれた。
「フルフルの役に立てたなら満足だよ」
頼もしく優しい笑顔。そばにいてくれるだけで安心する。
「ありがとう。ルミセラが無事で本当に良かった……」
相変わらず……ルミセラはかっこいい。う、うう……また顔が熱くなってきちゃった。
「フルルがお目覚めになられたのであれば今日は祝賀会ですね」
「私と祝賀会になんの因果関係が……」
「王子様選抜試験突破の祝賀会だよ、フルフル」
「へえ。私、そういうの参加したことないから楽しみ。でも……」
「暗いお顔をなさってどうされました? 体調が悪いようなら延期しましょうか」
……体調は平気だけれど。そう言いよどみ、私は顔を伏せる。
「王子選抜試験で、いっぱい命が失われたよ。人も魔物も……」
そんな私を見やり、王女姉妹は顔を見合わせる。
「……とてもじゃないけれど、お祝いする気分じゃないよう」
森にいた間は泣くだけ泣いたら切り替えて、明るく前向きに頑張ってきた。そうしなければ前に進めないと思っていたから。でも今はみんなの死を悲しむ余裕がある。
「試練の森を無事抜けれたらみんなのお墓を作りたいって思ってたんだ」
「あ~。そのことなんだけどさ」
「あら、もうこんな時間ですか」
豪華な装飾が施されたな壁掛け時計を見てミルドレッドは慌てる。
「申し訳ありませんが、公務や祝賀会の準備が残っていますので失礼致します」
彼女はカップをテーブルに戻し、優雅に立ち上がる。そして茶請けのケーキを口に運んでいた私を輝く瞳で見つめてきた。なんだか、その視線は炎のように熱い。
「お加減がよろしいようでしたら一時間後、国民に姿を見せてさしあげてくださいね」
「こ、国民に!? もしかして、このドレス姿で……!?」
「それはただのパジャマですわよ。もっと素敵なドレスを用意させます」
「こ、この豪華なドレスってパジャマなのぉ……!?」
私みたいなちんちくりんが素敵なドレスを着て国民の前に姿を見せるぅ……?
「引っ込めって石とか投げられないか心配なのだけれど……」
「ないない。今のフルフルはクリームチャットの英雄なんだよ~」
「え、英雄!? 寝てる間に、なにがあったのぉ!?」
錯乱した私をあやしながら、ミルドレッドはゆっくりと説明してくれた。その説明によると、どうやら王子様候補生選抜試験の様子は一部始終が記録として残されているらしい。王宮妖精たちの魔法には映像を記録として残し、後で視聴できる魔法があるのだと彼女は教えてくれた。そしてその映像記録の一部、主に魔物との戦いや、王子様候補生同士の戦闘シーンを国民に公開していたという。どんな風に過去を見れるのだろうか。興味がある。
「全地区同時放映ですね。有名人ですよ、フルルは」
「水の魔女を倒して試験を首位突破だもんね。街中にフルフルのポスターが、いっぱい貼ってあるよ」
「はい……!? 私のポスター!? それも街中に!?」
な、なにそれ。目立たず平和に暮らしてきた私に降って湧いた一大椿事だよぉ……。
「だああ……!! 恥ずかしいから今すぐ全部回収してよぉー……!!!」
「あ、時間でした。私はこれにて失礼します」
「ま、待って……!」
「それでは一時間後に迎えをよこしますね。ごきげんよう」
ミルドレッドは片手を上げると開いたままだった扉から、そそくさと出て行ってしまった。どこからともなく現れた王宮妖精が無情にも、ばたんと扉を閉める。
「み、ミルドレッドぉ……」
「お店の宣伝にもなるじゃん。……多分」
「そ、そうだといいけど……」
なんだか、とてつもなく恥ずかしい。私……これからどうなっちゃうんだろう。
「……でも、もうお店は関係ないか」
ルミセラは寂しそうな笑顔を浮かべ席を立つ。こんなに弱々しい表情、試練の森では目にしたことがない。
「フルフルは国王になるんだもんね」
「ルミセラ、私は……っ」
「お姉様と、お幸せにね」
繋がれ。そう呟き、彼女は空間の裂け目へと消えていった。
一時間が過ぎ、やってきたリコリスさんに促され私は廊下へと出た。
「天上に住まう翼を持つ天使の如くお美しいです、フルル様」
「ありがとう、リコリスさん。…………て、天使っ!?」
「ええ。ドレスが良くお似合いです」
「正直、こんな格好で人前に出るなんて気後れしてるよう」
迎えを待つ一時間の間に、他の王宮妖精に着替えさせられて私は花と宝石をあしらったゴージャスなドレス着ていた。頭には桃色ティアラを乗せ、ヒールの高い靴まではいている。おまけに胸元にはピンクダイアの装飾品と、一見王女様と見間違えられるような格好をしていた。とは言っても王女様ではなく私は女の子にして王子様なのだが。
「どこからどう見てみも立派な王子様です」
私はどうやら本当にミルドレッドと結婚してしまうことになるらしい。どうしたらいいんだろう。リコリスさんがやってくる前の一時間。寂しそうだったルミセラの顔が頭から離れなかった。森を抜けたら二人で暮らそうと約束を交わしていた。私が王様になってしまったらそれは、きっと叶わない。
「……リコリスさん、私が王子様やめるって言ったらどうなるのかな」
「あなたに、その権利はありません」
「ないんだ……」
「王子様に選ばれた時点で、あなたにはあなたが想像しているよりも重い責任が課せられているのです」
「責任……」
「王女と婚姻を結び国王となり、この国を背負う義務。あなたが選んだ道です」
私が選んだ道。王子様に選ばれるとは思ってもいなかった。最初はお店の経営を持ち直す賞金が欲しくて、あの森へ足を踏み入れたんだ。でも最後は。死んでいったみんなの分も最後まで生き抜かなきゃ、そういう思いで前へ進んだ。
「フルル様。この先にあるのが、あなたの責任です」
リコリスさんに導かれ、私は城の廊下を歩き進む。アーチの先には大理石出できたバルコニーがあり青い空が見える。その時、大勢の熱のこもった叫びが聞こえた気がした。
「歓声?」
「そのまま前へお進みください」
言われるままにバルコニーの大理石の手すりへ近づくと、そこには私の『責任』が待っていた。
大歓声だった。城の前にある広場を埋め尽くすように集まった大群衆。何人いるんだろう。数えきれない。私は人々を城の高所にあるバルコニーから見下ろしている。城が震えるかと錯覚するような歓声に私は呆然とする。
「国民はあなたを歓迎しています」
みんな私の名前を叫んでるんだ。
「フルル様。あなたは王に相応しい慈愛と力を国民に示しました」
「私が?」
「花のように、お美しい心を持つ王子よ、あなたの活躍は皆に勇気を与えたのです」
私を見つめるリコリスさんの瞳には尊敬の色が浮かんでいる。
……みんな期待してくれてるんだ。王子様候補生になるまでは誰にも必要とされてなかった私に。――でもルミセラも必要としてくれてた。
「さあ、国民に応えて差し上げてくださいね、フルル」
私の横にはいつの間にか、頬を赤くしたミルドレッドが立っていた。
「うん……」
「あなたなら最高の王になれますわ」
彼女も私へ心の底から期待を寄せてくれている。
私の進んできた道の先に待っていたもの。そして、この手に掴んでしまった責任。こんなつもりじゃなかったでは済まされない。
私……裏切れないよ。
太陽を掴むように右腕を掲げ、私は人々に向かい力強く手を振る。国民たちの熱狂がピークに達したかのような大歓声が巻き起こり、その声は国中を駆け巡るかのようだった。
祝賀会が始まり、貴族や高貴な人々が、ひっきりなしに冒険譚をせがんできた。語るのも説明をするのも大好きな私は、ここぞとばかりに延々と喋り続けた。しかし武器の講釈や魔物の生態について事細やかな解説が始まると皆、逃げていった。やがて上品な音楽が奏でられ優雅なダンスが始まると、みんなはそちらに行ってしまい私はぽつーんと壁に寄りかかって手皿に取ったケーキを寂しく食べている。私にはどうにも場違いすぎる。
「王子様、ダンスのご相手を願えませんか?」
如何にも貴族のお嬢様という綺麗な女性に声をかけられ私は慌てて転びそうになる。
ヒールの高い靴は苦手だよぉ……。
「ご、ごめんなさい、私、食べるのに忙しくて」
「そうでしたか。これは失礼を」
我ながらろくでもない断り方をしたものだ。断った理由は別にある。
……武具屋さんはダンスなんてしたことがないので人前で踊るのは恥ずかしいのです。
「せめてルミセラが誘ってくれたらなぁ……」
しかし、彼女は祝賀会には参加していないらしく姿が見えない。
それに死んじゃった人たちのことを考えると私、心から楽しめないよ。でも生き延びたんだから前向きに明るく生きなきゃかな。いつまでも引きずってたらトリニタリアさんたちだって、きっと喜ばない。
「パーティーの主役が壁の花か、トリュビエル」
「うわわ……!?」
ぼけーとケーキをかじっていた私はいきなり声をかけられ驚いてしまった。
「明日の戴冠式を過ぎれば、あなたは正式に私の主だな」
私の前にはいつの間にか、美しい羽飾りで彩られた青いドレスを着た大人の女性が立っていた。貫禄と威厳をドレスと共にまとっているかのような、美しい女性。
「ぐ、グリセルダさん!?」
ど、どうしよう。気まずいよぉ……。記憶が曖昧だけれど私……この人を、やっつけちゃったんだよね。そうでなくても私はミルドレッドを巡る恋敵みたいに思われてるし……。
そんな私の不安をよそにグリセルダさんは真剣な表情で私の両肩を鷲掴みにしてきた。
「突然だが、あなたに頼みたいことがある!」
「な、なんでしょう!?」
「我が君を……幸せにしてやってくれ」
彼女は涙ながらに、そう訴えてきた。本当に好きなんだ、ミルドレッドのこと。
「約束してくれ、トリュビエル……」
「……私は」
グリセルダさんの想いも背負わなければいけない。結果的に私が彼女から大切な人を、もぎ取ってしまったのだから。頷くとグリセルダさんは深々と頭を下げてきた。
「うわわ……! 顔を上げてくださ――」
「もう一つ!!」
顔を上げてとは言ったが、予想以上の勢いで顔を上げられ私は驚いてしまった。
「明日の戴冠式は結婚式を兼ねていて、あなたとミルドレッドは誓いの口づけを交わす」
「く……くちづけぇ!?」
まあ……結婚式なんだから、それくらいするよね。ん? 明日、結婚式なの……!?
「ああ、もぉっ! どこからパニックになればいいのか……分かんないよぉ……!」
「とにかく、トリュビエルよ!!」
真剣を通り越して恐ろしい表情で名を呼ばれ、私は強張る。なんだか少し怖い。
「ミルドレッドと口づけを交わした暁には!!」
「あ、暁には?」
「トリュビエルよ、私とキスをしてもらえないだろうか!」
「ええええ……!? な、なに言ってるんですか……!?」
「間接的な口づけで構わない! 私もミルドレッドと――」
「案件ですわよ、グリセルダ」
迫る水の魔女と私の横には炎の魔女が呆れ顔で立っていた。
「ミルドレッド……!?」
同時に叫ぶ私とグリセルダさんに彼女は苦笑する。
「グリセルダ。廊下で立ってなさい」
「しょ、承知した……」
とぼとぼと去っていくグリセルダさんを微笑ましく思いながら見送る。ミルドレッドへ顔を向け彼女と目が合うと私の顔が熱くなってきた。こ、この人と私は誓いのキスを……。
「お顔が真っ赤ですわね、ふふ」
表情を明るく染め、ミルドレッドは私の額に指を這わせる。
「あ、あうう? な、なんで、みんな……おでこを。うう、くすぐったいよう……」
「……あなたがどこか悲しそうにしていらしたから気になって」
「それで話しかけに来てくれたんだね」
そして、ついでに水の魔女からも救ってくれて、どうもありがとう。
「優しいね」
「……っ!」
炎のように顔中を赤く染め、ミルドレッドは驚いたように首を振る。
「もしかして照れちゃったのかな。今度はあなたが真っ赤だよ」
「……フルルに優しいなんて言われたら、それは照れますわよ」
ミルドレッドは口元に指を当て、恥ずかしそうに目を逸らした。
「……私、今まで人に恋をしたことがなくて。当然、告白も初めてです……」
「え、こ、告白ぅ!?」
こちらへ一歩近づき、小柄な彼女は私を潤んだ瞳で見上げてきた。
「ですから、うまく気持ちが伝わらないかもしれませんが……」
上目遣いに見つめられ、私は照れくさくなり目を逸らす。
「あなたの花のような笑顔と勇敢な魂に……私は心を……」
「う、うう……て、照れてきちゃったよう」
「私は……あなたを心から…………」
唾を飲み込み、彼女は顔を伏せる。
「な、なんだか、私までドキドキするぅ……」
「……だめ。恥ずかしいです。もうこれ以上……口にできなくってよ」
余程照れくさかったのだろうか。ミルドレッドは私に背を向ける。
「なんだか私も緊張したよぅ、えへへ」
「ご、ごめんなさい……」
「ミルドレッドって、なんだか可愛いね」
私に背を向けていた彼女の肩は小さく震え、耳まで赤くなった。
「……案件ですわ~~~~!!」
そう叫びながら彼女は祝賀会の会場から走り去ってしまった。
「行っちゃった……」
なんだか、とっても可愛かった。グリセルダさんがミルドレッドに惚れている理由が分かった気がする。
「こんにちは、フルル様」
「こんにち……うわわ!?」
いきなり目の前にリコリスさんが現れ、丸太で殴られたように私は驚いてしまった。
「驚きましたか、それは失礼を」
「それはもう大変驚きましたよう……っ!」
スカートの裾を両手で摘み上げ、リコリスさんは優雅に一礼をする。私もせっかくなので真似をしようと思ったが手皿が邪魔で叶わなかった。
「ルミセラ様は、あなたが選抜試験で失われた命を思い、悲しんでいるのではと心配なさっておいででした」
「あの子が私の心配を……」
ルミセラが私のことを考えてくれていた。それだけで頬が緩んでしまう。
「あなたは大変な誤解をなさっています」
「……誤解?」
「先方の準備が整いました。あなたを転送してもよろしいでしょうか」
「え? え、先方? 準備? 転送ってどこへ……?」
「これはルミセラ様のご指示。そしてフルル様にとって大切な話です」
真剣な目。きっと本当に大切な用件なのだろう。
「分かった。なんのことか分からないけれど、リコリスさんに任せる」
光に包まれた私は見たこともない噴水の前に立っていた。回りは城と城壁に囲まれている。綺麗な場所だった。無数の薔薇が至るところに咲いている。
「ねえ、リコリスさん、ここ素敵だねっ!」
「ここは城内にある中庭でございまいます」
「中庭! わぁ、綺麗! 咲き渡ってるぅ~!」
噴水に向かう道には見事な薔薇のアーチ。私は思わず駆け出してしまう。
色んな色の薔薇が咲いてるぅ! なんて素敵なんだろう!
「優しい日差しが差し込む中庭の園! そして薔薇! 素敵だよね! お花大好き、だって気分が和やかに……うわわわ!」
あまりにも気分が高揚してしまった私は慣れないハイヒールに足がもつれ、走りながらバランスを崩してしまった。あわや噴水に落ちるかと思われた時、私は誰かに抱きとめられ危機を免れた。その誰かは太陽を背にしており逆光で顔が見えない。
「あ、ありがとう。助かりましたぁ」
「綺麗なドレスが台無しになるところだったじゃない、イイコちゃん」
「え……?」
「ほら、自分の足で立って」
この声。まさか。私はフラフラと尻もちをつく。
「フルル様。お元気そうで、なによりだ」
別の女性の声。そちらへ顔を向けると彼女の白い鎧が太陽光を反射し目がくらむ。
「見違えたわよ。もうどこからどうみても王女様って感じね」
「フルル様は王女じゃないだろう。王子だ」
私は色々な感情が溢れて、なにも言えなくなってしまった。
「フルル様、どこかお怪我をなされたか!?」
「再会に感激してくれちゃってるんじゃないの?」
生きててくれたんだ。
「トリニタリアさん…………」
「ご名答。私よ、イイコちゃん」
「マグノーリアさんも…………」
「女神よ、お会いしたかったですぞ」
「う、うう……ああ……」
笑顔で頭を撫でてくれた二人。たまらなく涙が溢れだしてしまった。
「あなたなら最高の王様になれるわね」
「忠誠を誓います。フルル様に仕えるなら本望だ」
「頑張る……頑張るよ、私……っ!!」
私は二人を抱きしめ、涙をこらえることなく延々と泣き続けた。
「お、王子様候補生は全員無事ぃ……!?」
「そうなのよ。私とマグノーリアを含めて実は誰一人死んでない」
あっさりとそう言ったトリニタリアさんは涼しい顔をして噴水の縁に座っている。
「我々は、そこに浮かんでいる王宮妖精たちに救われました」
「ど、どういうことぉ!? 分かるように説明してもらってもいいかな……!?」
リコリスさんに詰め寄ると額をぺちぺちと叩かれた。
「落ち着いてください」
「お、おでこはだめぇ……やめてっ」
「申し訳ありません。相変わらず叩きやすそうな額でしたので」
「う、うう……おでこは触られると、くすぐったくて弱いの」
私は額を両手で隠しながら、頭上に浮かんでいる妖精を恐る恐る見上げる。前にも、こんなことがあったような。なにやら既視感を覚えた。
「それよりも、どうしてみんなが無事だったのか教えて欲しいよ……っ」
「というわけで採点のための監視は保護も兼ねていたわけです」
生命の危機に晒された王子様候補生は王宮妖精たちの手により強制的に転送魔法で城へと送り帰らされていたらしい。
「ぽかーんと口を開いてどうされましたか、フルル様」
「そ、そんな安全策が取られてたなんて……」
「はい。大蛇の胃袋に入っていようが、水の檻に閉じ込められていようが我々の魔法はいつでも強引に転送が可能です」
なんて優秀なんだろう、王宮妖精……。
「そんな風に転送された王子様候補生は、その後どうなったの?」
「待機していた我ら王宮妖精の回復魔法専門班による手厚い治療を受けて頂きました」
「回復魔法まで使えるのぉ……!?」
「我々の治療スタッフは心停止三分以内なら腕がもげていようが心臓が砕け散っていようがモノが残ってさえいれば蘇生させる自信があります」
……モノって。破片が残ってれば蘇生できるのかな。本当に優秀すぎる。
「そ、それより王子様候補生の命は守られてるって巻物に書いてあったのかな?」
「機密事項を書くわけないじゃないですか。命だけは守られると知ったら参加者の真剣さも危機感も失われて試験にならなくなりますからね」
「……そっか。だから巻物の説明文には『森の中』での生命反応を探知する魔法がかかっていると書かれてたんだね」
赤文字は命を落とした者ではなく『森の外』へ転送された候補生の名前だったのだ。
「はい。これは王子様候補生選抜試験運営に関わった我ら王宮妖精、そして王族とグリセルダ様だけが承知していたルールです」
「王族? ルミセラも知っていたの?」
「ルミセラ様は試験運営に関わっておりません」
彼女も巻物での確認をしていた時、深刻な表情を浮かべていた。王子様候補生が保護されているという事実は知らなかったのだろう。
「なんだぁ~。そうだったんだ」
「というわけで誰も命を落としていませんので安心して祝賀会をお楽しみください」
って。そういうことは…………。
「早く言ってよぉぉぉぉぉ……!!!」
でも本当に良かった。みんな無事で。魔物たちの命はかえってこないかもしれないけれど、それなら救いはある。
「それじゃ私たちも祝賀会に参加させてもらいましょうか」
私の肩を叩き、トリニタリアさんは微笑む。
「うんっ!! みんな生きてて良かったよう!」
薔薇の香りに満ちた中庭で、私たちは微笑み合いお互いの生存を喜び合った。
ぼけーと壁掛け時計見つめていると長針が真上を指した。すると和やかな音楽が奏でられ、時計の窓から飛び出した竜の人形が九回鳴く。
「もう夜の九時かぁ。寝てる時も、この時計は鳴るのかな。ちょっと、うるさいかも……」
自室として与えられた豪華な部屋で独り言を漏らし、ふかふかのベッドに寝転がる。
「祝賀会楽しかったけれど、疲れちゃったよう~」
慣れないヒールの高い靴のせいで主に足が疲れてしまった。
「これからは外に出る時、ずっとあんな靴はくのかなぁ」
祝賀会の後、自室に戻ると王宮妖精たちがテキパキとパジャマに着替えさせてくれた。パジャマと言っても、この国の王族は就寝時にもドレスを着る習慣があるらしく私は落ち着かない立派な衣装をまとっている。
「なんだか、お城の生活って絵本で読んで空想してたけれど、やっぱり凄い」
着替えも食事も王宮妖精が用意してくれる。ドアの開閉すらやってくれるのだ。と言うよりドアノブに触れると王子のやることではないと王宮妖精に叱られてしまう。
「王子様かぁ」
今日はまだ王子様だけれど、私は明日の戴冠式で王様になる。
「王様の仕事ってなんだろう。武具屋より大変なのかな」
武具屋。お母さんが残してくれた大切なお店。お客さんにお店の鍵を預けて花の世話をお願いしちゃったけれど、みんな枯れてないかな。本当にこれで良かったのか分かんない。お母さんが帰ってきてくれるはずだった、あの場所を私は捨てようとしている。あの店は私の全てだったのに。
「ルミセラと一緒に暮らしたかった。私の全てだったあの場所で……」
頬を伝わり熱いものが流れていく。この国の人々。みんなの期待と、それに応える責任を私は背負ってしまった。裏切れるわけがない。
――お姉様と、お幸せにね。
「あの時のルミセラ、悲しそうだった。……そんなに私と一緒に暮らしたかったのかな」
一緒に暮らそうね、そんな些細な約束。相手は王女様だ。一緒に暮らそうなんて口約束を守ってくれるかどうかも定かではない。ただの気まぐれかもしれない約束。
「私……バカだ」
ルミセラはずっと約束を守ってくれてたじゃない。私の笑顔を守るって約束。命を賭けて守り続けてくれた。バジリスクの群れにだってグリセルダさんにだって立ち向かってくれた。なにもかも、私と交わした約束を果たすために。
「そんな人と交わした約束を……私」
――破っちゃったんだ。一番裏切ってはいけなかった人を私は裏切ったのかもしれない。フルフルと絶対に一緒に暮らしたい。そう言って嬉しそうに笑ってくれたルミセラの顔を思い浮かべ、私は泣き疲れて眠りに落ちるまで涙を零し続けた。
「フルル・フルリエ・トリュビエルよ。クロウエア・セリア・クリームチャットの名において、そなたを魔女の称号を与える」
「…………え?」
「そなたは魔女を倒した。今日からは剣の魔女を名乗るがいい」
女王の間。荘厳かつ、城内で最も豪華絢爛な場所だといえるだろう。その中にこの国でたった一人座ることを許された玉座がある。その玉座に腰掛けた威厳に溢れた美しい女性。この国の人間なら誰もが知っている。女王クロウエア。またの名を夜の魔女。私は玉座の前に立ち、縮こまっていた。しかし女王の髪の色は私とそっくりで親近感を覚える。
「フルル、心配なさらないで」
隣に立っているミルドレッドが小声で励ましてくれたので、私は小さく頷く。
今日は結婚式を兼ねた戴冠式のはずが、おかしなことになってきた。
「わ、私が魔女……ですか?」
「不服か?」
「い、いえ、そのようなことは……うう……」
私の後ろには国の高官やら貴族などのそうそうたる人たちが並んでいる。そんな彼女たちに、ざわめきが走っていた。みんな、そんな話聞いてないよって感じだね……。
「これは私の決定だよ、フルルが嫌って言っても覆らないからね~」
女王が突然、砕けた口調になったので私は呆気にとられる。ルミセラに喋り方がそっくりだ。
「しかし陛下。王子とはいえ、そのような未熟な魔法士に魔女の称号は!」
「そうだ! そんな商人上がり風情に!」
振り返ると、ドレスや豪華な鎧を来た女性たちが口々にヤジを飛ばしていた。彼女たちがこの国を仕切っている人間なのだ。どうにも武具屋に魔女の称号が与えられるのが気に食わないらしいが、私も別に欲しいとも思えない。魔女を名乗る資格もないだろう。
「とにかく陛下。ご再考を!」
「魔女の名が汚れますぞ!」
みんな凄い剣幕……。私が王様になることを期待してくれてたわけじゃないの?
昨日の祝賀会で親しげに話しかけてくれた人たちも……怒ってる。
「飾りの王に権を与えたくない。そういう話ですわね」
「飾りなんだ、王様って」
「王には政に加わる権は、ほとんどありません」
少しだけ私は悲しい気持ちになった。トリニタリアさんは王様になって、この国を良くしようと願っていたのに。
「それでも官の任命権を持っています。ですから皆、媚を売り利用しようとする」
官の採用やら、そういう人事には関われるのだろうか。……正直、国の難しいことは私には分からない。
「ですが、魔女になれば別です」
「魔女には政治に参加する権利がある?」
「簡単に説明すると国の全てに対して発言権があります」
「そ、そんなに偉いの、魔女って……?」
「ええ。飾りの王が自分たちの領域に口を挟める権を得れば煩わしいのでしょうね。お人好しで甘い小娘であれば逆に」
「ど、どうして? 私、一所懸命頑張るよ」
「あなたのように綺麗事を信じている人間は汚職や利益を貪るために政に参加している者には邪魔でしかありません」
「……そんな……」
私の言葉は一際大きく響いた怒鳴り声にかき消されてしまった。
「あのような商人上がりに政を任せるなどと!! 病床で判断が鈍りましたか、陛下!」
女王は女性に反論せず、顔を伏せている。肩で息をし顔は真っ青だ。
「女王様は危篤状態って開会式の時にミルドレッドが……」
「戴冠式と、そしてフルルに魔女の称号を与えるために、お母様は無理を承知で、この場へ来ました」
「……私、魔女の称号なんて」
その時、再びあの怒鳴り声が耳に刺さる。
「お答えください、陛下!! ならば代行して大臣である私が、決議を下――」
その言葉を遮って女王の間に透き通った美しい泡の羽が無数に舞い上がる。その場にいた人間全てが虚をつかれ静まり返った。
「いつから、この国は女王の決定を大臣が覆せるようになった」
――グリセルダさん? 水の魔女は宙を舞い落ちてきた羽の中を粛々と歩く。そして私や女王、そして愛するミルドレッドを庇うように彼女は皆の前に立った。
「国軍長官は軍務だけ担っていればいいものを……!」
「魔女は政の全てに対し、発言権があったはずだが?」
余裕の微笑み。大臣を一笑し格上のオーラを放っている。間接キスをしたいとか喚いて廊下に立たされていたグリセルダさんと同一人物とは思えない。
「水の魔女は、この王宮で最も頼りになり、そして官の中で唯一の信じられる人間です」
唖然としている私に耳打ちし、ミルドレッドは微笑んだ。
「皆、納得したようだな」
グリセルダさんが指を鳴らすと、舞っていた羽は全て小さな泡となって儚く消えた。
「魔女を倒せるのは魔女だけ。それなら九人目の魔女は……このフルルだよ……」
今にも消え入りそうな声で女王はささやいた。体調が悪化しているのだろう。
「どうした? なにを静まり返っている」
グリセルダさんの笑い含みだが鋭い声。
「新しい魔女の誕生だろう? 拍手をしたらどうだ」
彼女の迫力に押されてか女王の間は。緩やかにだが拍手で満たされる。
「よろしく、剣の魔女」
背中越しにグリセルダさんが声をかけてくれた。優しい声だった。思わず涙腺が緩む。
「あなたにならミルドレッドを任せられる」
「ありがとう、グリセルダさん……」
……本当に素敵な人。試練の森で知り合った人たちはみんな、最高に素敵な人たちだよ、お母さん。
戴冠式が始まり、女王の間は先程とは打って変わって厳かな空気が漂い始める。私とミルドレッドはいよいよ結ばれるのだ。皆の視線を受け、私とミルドレッドは女王の前へと進む。リコリスさんが国の歴史や王家に入る心構えを話し始めた。それなりに緊張していたはずなのに、小難しい話を聞いていると私は眠りそうになってしまう。
「フルル。聞きたいことがあります」
そうささやいたミルドレッドへ、私は首を傾げて先を促す。
「……王になって後悔しませんか?」
何故かミルドレッドの頬を一筋の涙がこぼれ落ちた。
「私は王様になるよ。課せられた責任は果たす」
「責任……ですか」
「トリニタリアさんの願いを叶える王様に。マグノーリアさんが忠誠を誓うに相応しい王様に。グリセルダさんが想いを託すに値する王様に」
人々が上げていた歓声に応えるためにも。
「そしてミルドレッドの期待を裏切らない王様に」
王様になる決心はしている。でもルミセラとの約束と店が心残りだった。これ以上、涙を零すまいと堪えているのか、ミルドレッドは唇を噛む。
「そんなに悲しそうな顔をして、どうしたの……?」
「……フルルの最高に素敵な笑顔の花は、こんな場所にいては枯れてしまいます」
彼女はにこやかに笑い、私に背中を向ける。触れたら壊れそうな、そんな悲しい笑顔に見えた。
「申し訳ありませんが、あなたは私の好みではありませんわ~」
「み、ミルドレッド?」
「こんな商人上がりの平民と婚姻を結ぶなんて冗談ではなくってよ」
「なんで、そんなこと……急に言うの……?」
「さっさと自分のお店へお帰りくださいな」
ミルドレッドに詰め寄ろうとした瞬間、彼女と私の間に炎の蝶が羽ばたく。何匹もの、炎で作られた蝶が放つ凄まじい熱量に、私は足を止めてしまった。
「熱……っ! ミルドレッド!!」
場にいる全員が動揺し騒ぎ始めた。一番動揺しているのは、きっと私だろう。
「リコリス! フルルをお送りしなさい」
ミルドレッドにリコリスさんが頷いた瞬間、私の両手が、いや全身が光リ始めた。
「……転送魔法!?」
「本当に、よろしいのですね、ミルドレッド様……」
「ええ。よろしくってよ」
――なんでこんな。
「ミルドレッドぉ……っ!!!」
好きって言ってくれてたのに! 私は王様になる覚悟を決めてたのに! なんで! その叫びは届かなかった。当然だろう。既に私は見慣れた武具屋の中に立っていたのだから。
「い、いけません、お待ち下さい、ルミセラ様!」
「うるさいな! 私はミルドレッドに用があるんだっ!」
ルミセラは鼻息を荒くし、扉の前に立ちはだかったリコリスの胴体を握りしめた。
「ぐ、ぐうぅ……お許しくださ……」
「せえいっ!」
思い切り廊下の向こうにリコリスを投げ捨てルミセラは扉に手をかける。多少手荒に扱っても大丈夫だろう。王宮妖精はあんな見た目だが下手な魔法士より余程手強い。
「それにしたってお姉様は……どういうつもりで」
日の暮れた王宮の廊下。この扉はミルドレッドの部屋に繋がっていた。
……フルフルを故郷に帰したって、どういうつもりなのさ、ミルドレッド。
フルルと交わした、プリムヴェールで一緒に暮らすという約束。初めて叶えたいと願った夢。でも約束を交わしてくれたあの人は王様になる運命を背負ってしまった。フルルのせいじゃない。それは理解している。でも生まれて始めて手に入れた夢は壊れてしまった。胸がズキズキと苦しくなってルミセラは自室にこもって一人、ずっと泣いていた。戴冠式にも出席せずに。そのせいで戴冠式でなにが起きたのか、ほとんど把握していない。
「お姉様、色々聞きたいことがあるんだけど!」
しかし姉の部屋へ強引に闖入したものの、中は無人だった。
「お姉様? いないの?」
ランプに照らされた赤を基調とした上品で落ち着いた内装の部屋。本来、落ち着く色とは思えない赤のはずなのに、住んでいる人間を表すように部屋には優しい雰囲気が満ちていた。壁やテーブルにいくつも並んでいる写真立て。その中にはルミセラやクロウエアと一緒に眩しい笑顔で笑うミルドレッドがいた。その笑顔はフルルにそっくりだった。
その中に一つだけ花で飾られた豪華な写真立てがある。
「……これって、フルフルの写真」
祝賀会で撮った写真だろうか。写真立てには見ているだけで心が温まるような満面の笑みを浮かべたフルルの姿があった。それを目にした瞬間、ルミセラは理解した。
「お姉様もフルフルのこと、心の底から大好きになってたんだ……」
「……うう……」
「……ん?」
「フルルぅ……私の王子様ぁ」
「泣き声?」
声はベッドに引かれたカーテンの向こうから聞こえる。
「……ミルドレッド」
カーテンの向こうには布団を被り泣きじゃくる姉の姿があった。
「昨晩、申し訳ないとは思いましたが、フルルの様子を炎水晶で覗いてしまったのです」
ベッドから出たミルドレッドは両膝を抱え、壁の隅に座りこんでいる。ルミセラに気がついた彼女は、なにを思ったのか隅っこに行ってしまったのだ。
「……フルルは昨晩泣いてらしたのよ。今の私のように」
「フルフルが……泣いてた?」
「ルミセラと一緒に暮らしたかった。私の全てだったあの場所で」
その言葉がフルルのものだと、すぐに察しルミセラの胸はきつく締められる。
「あの人は悩んでいるようでした。お店のこと。あなたと交わした約束のこと」
――だから私は。ミルドレッドは涙声でそう呟き膝の上に顔を伏せる。
「フルルは気丈にも、笑顔で王になる道を選んでくださいました……でも」
「お姉様はフルフルを、この城に縛りつけないために」
ミルドレッドは顔を上げ、微笑む。涙を零しながら。
「私の勝手なわがままです。フルルには城の生活より、自由に咲く花でいて欲しかった」
「だからって、これじゃお姉様が全部悪いみたいに……」
王女が女王になるには王が必要だ。それがこの国の法なのだから。だからこその王子様選抜試験だったはず。
「責任は私が全て負います」
「お姉様……」
その法を捻じ曲げて許されたのはクロウエア、現女王だけだ。圧倒的な魔力にカリスマ性。そして政治手腕と横暴な性格がそれを可能にした。しかし、ミルドレッドは。圧倒的な魔力こそあれど、性格が優しすぎる。
「ルミセラも私のわがままを聞いてくださらないかしら」
「なにさ、わがままって」
戸惑う私の手にミルドレッドは、その温かい掌を添える。
「フルルに会いたいでしょう?」
真剣な眼差し。ルミセラはミルドレッドの決意めいた意志を感じ言葉に詰まる。
「そ、そうだね。会いたいよ……っ」
彼女は満面の笑みで微笑むと、ルミセラの手を強く握る。次の瞬間、その手を炎が覆い、私は仰天した。
「な、なにを。ミルドレッド……!?」
「心配なさらないで。フルルの武具店、その座標情報を魔力共に託しました」
言われてみれば炎は熱くはなく、私の体からは力が溢れるようだった。
「私の魔力を使えば遠距離の空間接続魔法でも大きな裂け目を開けるでしょう?」
「……どうしてそんなことを」
「フルルと妹の望みを叶えてあげたい。それだけです」
「私にフルフルのお店に行けって?」
炎水晶で姉が位置を特定し、座標情報を魔力にのせて私に引き渡す。そうすれば炎水晶で探知できる距離ならどこへでも行ける。
「小さい頃、よくやったっけ」
大好きな姉と空間の裂け目を使って城を抜けだして、よく遊びに出かけた。
「そうですわね。懐かしいです」
ミルドレッドは懐かしげに微笑むと私を抱きしめる。
「お姉様を誰にも渡したくない。そんな理由で森では命を賭けてくださったのね」
「わ、わ、私は、私はその……!」
「大好きです、ルミセラ」
「……私も大好きだよ」
「さ、お行きなさい。お母様には私が責任を持って話を通しておきます」
「でも……」
「あなたは自由な空の下で生きなさい、ルミセラ・シャントリエリ・クリームチャット」
力強く優しさに溢れた声。
「……分かった」
……本当に全部背負い込んで悪者になるつもりなんだね。
「どうしてフルルに、そこまで優しいの?」
「愛している人には泣いているより笑っていて欲しいでしょう」
よく分かる、その気持ち。私もお姉様には笑ってて欲しかったから。
「もちろん、ルミセラ。あなたにもです」
「で、でも、私は別に泣いてなんか」
「涙のあとが残ってますわよ」
「うっ……」
「フルルをお願いします」
「絶対、フルフルの笑顔の花は枯れさせないよ」
「あなたも幸せになりなさい」
微笑むミルドレッドの顔を見た瞬間、ルミセラは涙が止まらなくなった。
「お姉様ぁ……全部押し付けてごめんなさい…………」
泣きじゃくるルミセラをミルドレッドは、そっと抱き寄せてくれた。
私は武具屋の二階にある自室のベッドに寝転がり、息を吐く。
「また泣き疲れて寝ちゃってたのかなぁ」
外は真っ暗だった。寝返りをうち、ベッドの横に転がっている大きなケースを見つめる。今朝プリムヴェールに送り返された少し後に、リコリスさんが運んできてくれた札束の詰まったケースだ。それは部屋の半分を埋め尽くす勢いで並んでいる。重みで床が抜けなければいいが。
「一億ウィズなんてものじゃないね、これ……」
これできっと、お店は助かる。でも、なんだか釈然としない。
リコリスさんに王女姉妹が、どうなったのか質問したが答えてくれなかった。
「……大変なことになってなければいいけれど」
突然豹変したミルドレッド。でも短い付き合いだけれど私には分かる。彼女は理由もなく、あんな態度は取ったりしない。だったらどんな訳があっての発言だろう。
「簡単だね。私をこの場所に帰してくれたんだ」
私の本心に気がついてた。もしかしたら炎水晶を使われて、部屋で泣いてたところを見られたのかもしれない。戴冠式を潰してしまった彼女に、あの大臣たちがどんなに辛辣な態度を取るか想像に難くない。
「試練の森で崖から落ちたところを助けてくれたよね」
怪我も治してくれた。お母さんの剣を私のもとに返してくれた。そして最後は私の背中に降りてくるはずだった責任を全て肩代わりしてくれた。
「ルミセラとミルドレッドには助けられてばっかりだったよ……」
二人に会いたい。ルミセラとは話す機会さえなかった。
「悩んでてもしょうがないよね。こうなったら、お城に行って…………ん?」
……なんか変なものが浮いてる。
ベッドに寝転がって天井に目を向けていると不思議な物が見えた。寝ている私の正面に空間が水平に裂けて開き、別の部屋が見え――――ルミセラの魔法……っ!?
「フルフル~!」
その裂け目からキャンディを咥えた王女様が飛び出してきた。
「ルミセ…………あ痛っ!?」
飛び出してきたと言うより落下してきたルミセラは私の額に額を強打し、ひっくり返ってしまった。
「痛い! おでこが~! おでこはだめぇ……!」
「いてて……。出口が水平になるなんて。長距離の空間接続は安定しないんだよなぁ……」
「ルミセラ……! なんでここに!?」
「お邪魔します、フルフル~」
「お邪魔しますって……。お、お城から直接、来たのぉ!?」
ベッドにできた空間の裂け目。向こう側の出口は空間が縦に裂けているようだ。手を振っている少女の姿が見える。
「ミルドレッド……っ!」
「フルル。私はひどいことを言いました。ごめんなさい……」
「謝らないで。謝らないでよ……!」
「どうか、妹とお幸せに……」
涙ながらに微笑むミルドレッドに私は言葉が詰まる。ルミセラも同じことを言っていた。
「さよなら。お姉様……」
ルミセラの言葉は届いたのだろうか。無情にも空間の裂け目は閉じてしまった。
「ルミセラのことは分かったよ。好きにさせてやりなね」
「ありがとうございます! お母様……っ」
戴冠式の翌日。クロウエアはベッドに横たわりながら、今にも壊れそうな弱々しい表情を浮かべる娘の話に耳を傾けていた。
「ルミセラは第二王女だ。見聞を広げるために市井に出ているとでも言えば体裁が整う」
風に揺れるミルドレッドの輝くプラチナブロンドの髪。フローラと同じ色の髪だ。
いつも自室の扉や窓を開け放してあるので部屋には、昼下がりの緩やかな風が吹き込んでくる。こうでもしなければ閉鎖された城の中は、クロウエアにとって窮屈でたまらない。
「ねえ、ミルドレッド。あれで本当に良かったの?」
「なんの話でしょうか、お母様」
この子の泣き腫らした目。好きだったんだろう? フルルのことが。あの武具屋に背を向け、冷たい言葉を放ちながら、あんたは泣いていたじゃないか。
「なんでも背負い込まないで自分の幸せも考えなよ」
「フルルとの小さな思い出があれば私はそれだけで充分、幸せです」
心底嬉しそうに微笑むミルドレッドに母親として胸が疼く。
「これで私はもう国のために、どんな人と結婚だってなんだってできます」
出来た娘だ、本当に。しかし、国の重鎮たちには王女批判を激化させる口実を与えてしまっただろう。
「あんたもフルルについて行きたかった?」
「私には責務があります」
「正直に答えなさい」
ミルドレッドはクロウエアから目を逸らし、ためらいがちに頷く。
「……そうか」
娘に自由すら与えられない母親か。クロウエアは深く息を吐き、目を伏せた。
ミルドレッドが辞去し、一人残されたクロウエアは部屋の片隅へ目を向ける。
「いるんでしょ。気がついてるよ」
誰もいない部屋。しかしクロウエアには分かる。
「夜の魔女の目を誤魔化せるとでも思ってるの、フローラ?」
「あ、やっぱり気がついてた?」
なにもなかったはずの空間からシールを剥がすかのように風景が削れ、その下から少女が現れた。まるで透明になれるシールを全身に貼り付けていたかのように。少女から剥がれ落ちたシールのようなものは全て花びらと変化し、床に落ちると同時に消滅した。
「えへへ。久しぶり」
風になびくプラチナブロンドの髪。花をモチーフにしたチュールスカートのドレスを着た、愛くるしく微笑む幼い見た目の少女。
「十六年ぶりじゃん、花の魔女」
見た目は少女だがフローラは今年で三十二歳だ。ちなみにクロウエアも同年齢である。
「王立魔法学園の卒業式以来だね」
「変わってないね、あんたは」
「あなたも変わってないよ」
綺麗なまま。そうささやいてフローラはベッドに腰掛けた。枕元に置かれた彼女の小さな尻が可愛らしい。
「危篤だって聞いたから様子を見に来たの」
「あんたはさ、こんな時じゃないと会いに来てくれないもんねぇ」
「ごめんね。私には私の戦いがあるから」
フローラは世界を巡り人々を救う戦いを続けていた。小さな幸せが壊れないように。そして、この国に天災クラスの魔物、ドラゴンがやってこないように。
「あなたやフルルがいるこの国に、一匹だってドラゴンはやってこさせない」
「……ドラゴン退治は他にできる人間がいない。助力できなくて、ごめんね」
「ううん。私にしかできないことだから。いいんだよ、クロエちゃん」
フローラはクロウエアを『クロエちゃん』と愛称で呼ぶ。この子は昔から色んな夢や願いを持って自分の道を進んでいた。女王として生きる道が決められていたクロウエアとは正反対に。惹かれ合ったのは、お互い正反対だったからかもしれない。
「試練の森に行ったのは私の様子を見に来たついで?」
「う、うぐっ。な、なんの話かな……」
「あんた、選抜試験に武力介入してたでしょ~。部外者の闖入は困るんだけど」
「あ、あれぇ? バレちゃってたぁ……?」
本来なら選抜試験に介入した部外者は王宮妖精たちにより排除される。なのでルミセラは王子様候補生として試験に参加したのだ。しかし、フローラは最強の魔女。王宮妖精にどうこうできる相手ではない。王宮妖精たちは花の魔女が森にいたことすら認識していないのだ。実際に彼女は誰にも悟られず、城の警備を抜け女王の部屋までやってきた。
あんたは探知魔法を妨害するのも姿を隠すのも得意かもだけどね、でも――
「私の夜水晶に探知されずに行動できる奴なんて、世界に一人もいないんだよ」
クロウエアは片手を掲げ、魔力を集中させる。黒い霧のようなものが集まり闇の塊が宙に浮かぶ。それはやがて闇をまとう水晶玉へと変化した。ミルドレッドの炎水晶は半径百キロ以内のカバーできるが、夜水晶は実に数万キロは余裕で探知できる。夜水晶の効果が及ぶ範囲には試練の森も含まれていた。そのため森での出来事は、ほぼ把握している。
「ルミセラのこと、バジリスクから助けたでしょ」
「う……っ。フルフルのところへ魔物を行かせないように頑張ってる姿が、自分に重なっちゃって。つい……」
ドラゴンから国を守ってきたフローラ。それで彼女はルミセラだけを助けたのか。
「の、覗いてたんだねっ。えっち……」
「えっちって。学生の頃は私たち、激しく愛しあ――」
「うわわわわっ……! そんな話はしなくていいでしょぉ……!?」
フローラが年甲斐もなく、真っ赤になって両手を振り回し始めたのでクロウエアは彼女の顔面に夜水晶を押し付ける。
「う、うぐぐ……っ。この、どえすさんめぇ……」
「ほら。あんたと私の娘たち。元気にやってるよ」
水晶玉には笑顔で接客をしているフルルやルミセラの姿があった。戴冠式ではフルルと直に会えた。そして今はフローラとも。命が尽きる前に、これ以上ない贈り物と言える。
「あのお店、まだ残ってたんだ」
「クリームチャット中から、いいや、他国からも客が来てる。大盛況って感じだねぇ」
「凄い。私がいた頃よりお客さん多いなぁ」
選抜試験首位合格者にして九人目の魔女が運営する武具店。それは話題の店にもなる。
「たまには顔見せてやんなよ、フローラ」
「三年間、好き勝手に生きてきて、今更合わせる顔が……」
クロウエアは夜水晶を投げ捨て微笑む。
「娘と一緒に過ごせる時間は永遠じゃない」
「クロエちゃん……」
「終わりに近づいてから後悔しても知らないよ」
――私みたいにね。もっと娘たちに母親らしいことをしてあげられたら良かったのに。そう後悔している。病床に倒れてから、ずっと。
「……分かった。心の準備ができたらフルフルに会いに行く」
「そうしてやりなね」
クロウエアは深く息を吐き、目を閉じる。少し疲れてしまったようだ。
学園で過ごした私たちの幸せな時間。あの頃はいつも一緒だった。寝る時も授業でも食事をする時も入浴だって一緒だった。フローラはいつもそばにいてくれた。当たり前の存在。終わらない関係。ずっとずっと一緒だと思ってた。そんなわけがないのに。
「クロエちゃん。私は今でも、あなたを愛してるよ」
意識が混濁してきたようだ。現実と想い出の区別がつかない。
魔法学園を卒業したあの日、フローラと私は『カプセル』を交換した。
それは強力な魔力を持つ魔法士のみが可能とする魔法。その魔法は術者の遺伝子情報がこめられたカプセルのような物を生み出す。愛する相手とキスをしながら発動させる魔法だ。そのカプセルを飲んだ女性は相方の子を成せる。例え女性同士でも。
「クロエちゃん。死んじゃ……やだからね」
フローラの熱い涙が零れ落ち、クロウエアの頬を打つ。夢と希望、そして願いを無数に抱えた彼女を閉鎖された城に束縛したくなかった。だから卒業式を終え、王宮に帰ったあの日。ついて来いとは言えなかった。きっとフローラも城では生きていけないと分かっていたのだ。お互いの道が重なっていないと私たちは知っていた。
「私は……独裁者になるしかなかったんだ」
「……え?」
女王である母が危篤になり、クロウエアの伴侶を決めるべく王子様選抜試験が始まろうとしていた。でもそれは苦痛以外の何物でもない。まだフローラへの愛が冷めていなかったからだ。だから短慮を起こした。もう決めた相手がいる。だから王子なんて必要ない。そう叫んだ。想う相手が誰なのか明確にしないクロウエアに案の定、皆は反発した。しかし、その全てを力でねじ伏せクロウエアは女王となったのだ。愛するフローラの子を産み、王女とするために。そして『カプセル』を飲んだクロウエアの独裁が始まった。
私のわがままが娘たちに重い運命を背負わせてしまったんだ。
「……だからルミセラには……自由に生きて幸せになって欲しい」
「フルフルがそばにいるから心配いらないよ」
「ミルドレッドにも……自由を与えてあげたかった……」
「クロエちゃんにも自由をあげたかったよ」
学園を卒業したあの日から堪えてきた涙が溢れてきてしまった。
「私にはあんたがくれた三年間がある。それだけで充分、幸せだよ」
ミルドレッドも同じようなことを口にしていた。愛する人との大切な記憶を胸に責務を果たそうと。…………娘たちを残して逝くのがこんなに辛いなんて。
胸を引き裂きそうな悲しみを和らげるかのようにフローラが強く手を握ってくれた。
「心配いらないよ、クロエちゃん」
「……フローラ……」
「クロエちゃんが眠れるまで、手を握っていてあげるから」
温かい手。優しい温もり。幸せな時間。
「あの頃みたいじゃん……」
優しい時間が流れていた学園で過ごした日々。
「そうだね。あの頃みたいだよね」
「最後に幸せをくれて……ありがとう、フローラ……」
愛してる。自然と笑顔が零れ、夜の魔女の意識は深い闇へと沈んでいった。
女王の間に飛び交う大臣や高官たちの罵声や中傷。朝から続く不毛な会議ではあるが、ミルドレッドは目を伏せ、全てに耳を傾けていた。無能な王女と何度も繰り返さなくても、そんなことは自分が一番良く知っている。
「こうなったら女王政の撤廃も已むなしですな」
「我々で国家評議会を運営し、新たな秩序を設けましょう」
「王女は冠を拒んだわけですからな、無能以前の問題だ」
飛び交う勝手な議論。しかし自分が女王の地位を継ぐよりは、どれも良い案に思えた。隣に立つグリセルダが一歩前に出たのを目にし、ミルドレッドは彼女の腕を掴む。
「構わないのです、グリセルダ」
「……しかし、奴らに好き勝手言わせていいのか?」
「私は彼女たちに全ての権を委ねようと思います」
「あんな奴らに……」
「それが国民にとって最善なら構いません」
ミルドレッドは大きく息を吸い込む。
「みなさん! 私は国家評議会の設営に同意し――――」
そう叫んだ瞬間だった。城が大きく揺れたのは。
「何事だ、リコリス!」
「グリセルダ様。敵襲でございます」
「て、敵襲だと? バカな……! 国の中央部だぞ、ここは!」
敵対している国はあれど、最前線は遥か北。この城が襲撃された前例など今まで――。
ミルドレッドは眉をひそめる。いや、なにもかもがおかしい。城が襲われたならば真っ先に敵の排除に向かうはずの王宮妖精が何故平然としている。
「リコリス、あなた。……なにか知っていますわね?」
その言葉は女王の間に溢れかえった悲鳴と怒声にかき消された。女王の間。この場所へ続く頑強な扉が、まるでケーキにナイフを入れるかのようにいくつもの剣に引き裂かれ、断片に分かれて飛び散る。強引に開かれた女王の間の入り口から無数の花弁が舞い上がり、ミルドレッドは息を呑んだ。
「ま、まさか……この魔法は」
花びらと共に舞う剣。ざっと見ても五十は超えている。全ての剣は花弁をまとい、光輝いていた。その中心に立っている人物を目にし、ミルドレッドは涙を浮かべる。
「迎えに来たよ、ミルドレッド」
「フルル……」
全ての剣は幾何模様を描くように、フルルの周囲を美しく舞う。その右手には聖剣フローラリアが携えられていた。恐らくフルルは自由に操れる花弁を剣に貼り付けて、間接的に操っているのだろう。まさに剣の魔女に相応しい魔法だ。
「剣の魔女! 貴様……国家へ反逆するつもりか!」
「魔女は政に発言権があるんだよね?」
「だからどうした!!」
「第一王女は剣の魔女が連れ去る」
喧騒に満ちていた女王の間が静まり返った。大きく口を開き、唖然としていた大臣が正気を取り戻したのか腰の剣を抜く。
「各々方、この反逆者を討ち取るのだ!!」
高官たちも伊達に魔法大国で偉そうにしているわけではない。それぞれが魔法の達人なのだ。
「フルル……! お逃げください!」
ミルドレッドの言葉は間に合わず、大臣の言葉に冷静さを取り戻した高官たちは一斉にフルルに向かって魔法を放った。
「アウトプットブルーム」
フルルが静かにそう呟いた瞬間、舞い飛ぶいくつもの剣が一斉に動き出す。そして飛来する炎や雷など、全ての魔法を斬り刻み消滅させた。舞う無数の剣には一つ残らずエンチャントがかけられていたのだろう。頑丈な扉を斬り裂いた時点で、それは明らかだった。こんな強力な魔法に対抗できるのは、この国には夜の魔女か花の魔女しかいない。
「ソード・オブ・プリンセス」
決意と強い意志を感じさせる冷静な声。トリニタリアと戦っていた時のように。
「魔女は魔女以外に負けないから、魔女なんだよ」
フルルの言葉に再び静寂が訪れた。誰一人、物音を立てようとしない。圧倒的な力の差を見せつけられて皆、唖然としているのだろう。
「さあ、行こっか、王女様っ」
歩み寄ってきたフルルは笑顔で手を差し伸べてくる。助けを求めるようにグリセルダへ視線を向けると彼女は目配せし、幸せになと言った。
「で、でも私は国を捨てては行けません……」
「なにも心配しないで、王子様についてきて」
いつもの優しい笑顔。力強い言葉。本当に王子様みたいで。
「私はまだミルドレッドの王子様でしょ?」
ミルドレッドは思わず何度も頷き、フルルの小さな手を強く握り返してしまった。
「誰の許しを得て、こんな勝手を――」
そう言いかけて大臣は身震いをすると言葉を呑み込んだ。何故そうなったか理由は分かる。ミルドレッドも同じだからだ。身震いするほどの恐怖を感じている。
……これは恐怖を操る魔法。
「このクロウエアが許したんだよ」
それは夜を支配する魔女の力。女王の間から奥にある女王の自室へ繋がる通路。そこにはクロウエアとルミセラの姿があった。
「へ、陛下ぁぁ……!」
大臣や高官たちは恐怖に引きつった顔を地面に擦りつける。
「お母様……お体は……」
「治っちゃった」
「治っちゃったですって……!?」
昨日まで危篤状態でしたのに……。
「ルミセラまで……一体これは」
「だから迎えに来たんだよ、お姉様~」
ミルドレッドが呆然としていると、女王は凶悪な笑みを浮かべながら玉座へ腰掛ける。
「それよりさぁ。私が寝込んでる間に好き放題、言いたい放題。評議会だぁ?」
「へ、陛下、許しくだ…………!!」
「楽しい夜の始まりだねぇ」
黒い霧のようなものに包まれ、大臣や高官たちは一斉に女王の間から姿を消した。
「あれは、お母様の支配する異空間、夜の牢獄へ送る魔法ですわ……」
「あ、あの女王様、大臣さんたちはどうなっちゃうのかな……?」
「剣の魔女ちゃんは、また他人の命の心配? あんたお人好しだよね~」
「うん。お人好しかもっ」
「この国が誰のものか教育するだけで命までは取らないよ」
「……良かったぁ。ありがとうございますっ」
「それより早く、うちの可愛い王女たち連れて自分の城に帰りなよ、王子様~」
「はいっ! 女王様!」
なにが起きているのか、ついていけないミルドレッドは目を白黒させる。ルミセラが無言で空いている手を握ってきた。
「お姉様、魔力分けてっ」
「え、は、はい」
言われるままに妹へ魔力を分け与える。
「繋がれ!」
女王の間に大きな空間の裂け目が現れた。その向こうには小さな部屋が見える。
「フルルの部屋ですわね……」
「それじゃ女王様! 約束通り炎の魔女は剣の魔女がもらっていきますっ!」
「お母様、元気でね~」
二人に手を引かれ、ミルドレッドは混乱したまま空間の裂け目を通り抜ける。
「お母様、どういうことですのよぉ……!」
「詳しくは二人から聞きな」
「お母様……っ!」
「大切な人といられる時間は限られてる」
優しげな目。こんな優しそうなお母様は初めて……。
「どうか毎日を大切にね、私の可愛い娘たち」
空間の裂け目が閉じると、そこには誰よりも大切な二人が立っていた。
朝日の差し込む店内は美しい花と武具で満たされている。試練の間、お得意さんに留守を任せたのだが、しっかりと花の世話をしてくれていたようだ。店内を満たす花の香りが心地良い。
しかし、そんな花に囲まれながらも、開店準備をしている私は大いに嘆いていた。
「剣……剣ぃ……」
「剣がどうしたの、フルフル~」
店内の床を掃除していたルミセラはモップをバケツの水に浸し、首を傾げる。
「お城で使った剣、全部忘れてきちゃったよぉぉ……!」
「お母さんの剣は持ち帰ってきたんでしょ?」
「それはそうだよ、手に持ってたからね……」
「だったらいいじゃん。どうせ在庫過多だったんでしょ? 鋼鉄の剣」
王女誘拐作戦のために剣の在庫を全て持って行き、その全てを未回収のままだった。
「忘れなよ、お金なら賞金貰って有り余ってるんだからさ~」
「あ、それ商人らしからぬ問題発言だよぉ……!?」
「私、王女様なんだけど」
「フルル武具店に就職したのだから武具屋さんでしょぉ……っ!」
「店員さんだし~」
「共同経営者だもん……っ!」
べ~だ、と生意気そうに舌を出して笑うルミセラを私は追いかけ回す。
なんだか楽しい。ルミセラと一緒に暮らせるなんて夢みたい。それに――
「ふふ。走り回っているとバケツを倒しますわよ」
ミルドレッドも一緒に暮らせるようになるなんて。彼女はカウンターに立ち、私たちの様子を微笑みながら眺めている。その微笑みに笑い返しながら走っていた私は、不覚にもバケツを蹴り倒してしまった。床に埃の混ざった輝く水が広がっていく。
「だから言いましたのに」
「掃除当番代わってね、フルフル」
「とほほだよぉ……」
満面の笑みでモップを渡され、私はがっくりと肩を落とした。
「一晩経っても、未だに信じられません」
「うん~? なにがかな」
涙目になりながらモップをかけ続ける私にミルドレッドが語りかけてきた。ちなみにルミセラは倉庫に別のモップを取りに行っている。なんだかんだ言って掃除を手伝ってくれる優しい王女様だ。
「お母様が首謀者だったなんて……」
「うん。ミルドレッドを連れ去ったのは女王様の計画だよ」
あの騒ぎの前夜、リコリスさんが以前のように転送魔法で店にやってきた。突然現れた彼女は有無をいわさず、私を城へと転送魔法で送り飛ばしたのだ。それも女王の部屋へ直接である。そして私に女王様は言った。
「ミルドレッドをさらって欲しいんだよ、フルル~」
「え、えっと……話が見えてきませんがっ!」
女王の部屋に突然招かれ、激しく動揺する私ですが。なにから動揺して良いのか分からないよ。突然招かれたこと? ミルドレッド誘拐の話? それとも危篤だった女王様が元気いっぱい、顔色をツヤツヤさせてワインを飲んでることー!?
「母親として、もうしばらく娘を自由にしてやりたいんだ」
子供を想う優しい母親の表情。彼女はそんな顔をしている。
「強引にさらうくらいしないと、国を捨てては行けませんわーとか言い張って聞かないだろうからねぇ~」
「ミルドレッドを自由にできるならなんでもします」
「城へ正面から乗り込んで、かっさらっちゃいなよ。あの大臣たちの鼻もあかせて、せいせいするでしょ?」
「お、お城に正面から乗り込むぅ……!? それはさすがに無理ですよぉ……!」
「なんでもするんだよね?」
「な、なんでもします」
「それならよろしく。自分じゃ気づいてないけどね、あんたは、うちの軍隊を全員相手にしても勝てるくらい強いんだよ? 城の一つや二つ、落とす覚悟で頑張ってよ」
「わ、私ってそんなに強いんですか。……出来る限り頑張ってみます」
「ありがとう、剣の魔女。感謝するよ」
満面の笑みでクロウエア様は強引に私を抱き寄せ、頬にキスをしてきた。
「ほんと、フローラにそっくり」
「それにしても、お母様はどうして快癒なされたのです? なにか聞いてはいませんか?」
「まず病気の原因から話すけれど、魔力がマイナス感情で暴走してたらしいよ」
愛する人と自由に会えない束縛。自分を縛り付ける城を憎み、そして民を捨てて愛に走れない自分の弱さを呪っていた。娘たちの自由すらも奪った弱さ。、そして自分への消せない悪感情は魔力を暴走させた。
「そうやって自分を壊していったんだって。女王様は悲しそうに言ってたよ」
母親の内面を聞かされたミルドレッドは悲しげな表情で目を伏せた。しかし、なにかに気がついたように表情を輝かせる。
「つまり、快癒したということは」
「うん。愛してる人と再会できたんだって」
クロウエア様の愛している人が誰だったのか。そこまでは聞いていない。でも十年以上も会っていないのに愛し続けてしまう相手だ。きっと素敵な人に違いないだろう。
「私とルミセラのお父さんかもしれませんわね」
「もう一人のお母さんかもよ」
「そうですね、ふふ」
「お母様、そんな風に復活したんだね」
微笑み合う私とミルドレッドの間に、ルミセラが現れた。
「うわわっ!?」
「ルミセラ!? 驚きましたわ……っ!」
「ごめん、ごめん。取ってきたよ、モップ」
彼女の背後には空間の裂け目が開いていた。
「あ、ありがとう。本当に驚いたよう……」
倉庫は近いので空間接続魔法で戻ってきたのだろう。歩いて移動するより魔力を使ったほうが疲れそうだが。
「まあ、それでね、ミルドレッド」
私の言葉に彼女は首を傾げる。
「女王様は後、十年は玉座を譲る気がないみたいだよ」
「それは、なによりです」
「公務で第一王女が必要な時以外は、ここで暮らしていいって言ってた」
ミルドレッドは目を見開く。
「三人で暮らせますの?」
「そうだよ、お姉様~」
「うん。ずっと一緒に暮らしていこう。毎日を大切に幸せな日々を紡いでいこうね」
「大好きですわよ、二人共ぉ……っ!」
涙をぽろぽろと零しながら抱きついてきたミルドレッドを私とルミセラは受け止めた。
王子様選抜試験から一年が過ぎた。フルルの武具店は全国から武具を求める人間が集まり、客足の途絶えない人気店となっていた。あの少女たちは忙しい毎日を送っているようだ。フルルたちは、きっと幸せに暮らしているだろう。私は久しぶりにプリムヴェールの地へ足を踏み入れた。あの店に寄ってみよう、その決意を胸に。花の香りに満ちた美しい町並み。エメラルドグリーンの石畳が続く大通りの一角にその店はあった。武具屋フルミル。店名が変わっていた。少女たちが三人の名前を合わせてつけたのだろうか。店の回りは相変わらず花で埋め尽くされている。なんの店か分かりにくいったらありゃしない。私は苦笑し、営業準備中と書かれたプレートのかかったドアを開く。
「いらっしゃいませ、お客様」
カウンターに立っていた少女が柔らかい笑顔で迎えてくれた。庶民的なワンピースとエプロンを着ているが間違いない、この少女は第一王女のミルドレッド。
「営業時間は三十分後です。…………おや? あなたは」
私は彼女に頭を下げ、フルルの所在を尋ねる。
「フルルはルミセラと散歩に行きました」
そう言い終えると同時に彼女の右腕から炎が上がる。
「お気になさらないでくださいね。遠隔視の魔法です」
炎をまとう水晶玉。夜水晶の魔法にそっくりだ。
「あ。もうすぐ、お店に戻ってきましてよ」
ミルドレッドがそう言い終えると同時にドアベルが鳴った。
早朝のプリムヴェールの街は爽やかな朝日とのどかな雰囲気に溢れていた。
ぴよぴよと鳴く鳥さんたちの可愛い声。街中、至るところで栽培されている花々。私は、この平和な街が本当に好き。ルミセラと手を繋ぎ、私は温かい街を歩く。
「フルフル~。な、なんで手を繋いでるのかな」
「えへへ」
「急に笑顔の花を咲かされても。質問に答えてよ~」
「内緒っ。ねえ、ルミセラ。ちょっと話して行かない?」
私は通りに面した街路樹の横にあるベンチに腰掛け、ルミセラの手を引く。
「わ、分かったよ、私も座るって」
私の横に腰掛け、ルミセラは新しいチュパパキャンディを口に咥えた。
「今日はね、私とルミセラが出会ってから、丁度一周年なの」
「へえ、早いもんだねえ。懐かしき試練の森。トリニタリアたち、元気でやってるかな」
「私たちのお店で働きたいらしいから今度、面接受けに来るらしいよ」
「トリニタリアが? あいつ採用したら、絶対に売上持って逃げるって」
「そ、そ、そ、そんなことないんじゃないかな。意外と良い人だよ……」
どうしよう。今日、二人きりになれたら色々話そうと思ってたのに。なにを言っていいのか分からなくなってきちゃった。一年越しの想い。とても大好きだったこと。今でも大好きなこと。いざ言葉にしようと思うと、なにも出てこない。
ルミセラと目が合い、私の頬は熱くなってきてしまった。
「真っ赤だよ、フルフル」
「ルミセラが……!!!」
「わっ!?」
「オークに襲われた時も! 滝壺で溺れた時も! オーガに襲われた時も! バジリスクに襲われた時も! グリセルダさんと戦ってた時だって!」
あなたのことが大好き。そう伝えたい。伝えたいのに。恥ずかしくて言えない。
「あなたが守ってくれたから、私は笑顔でいられるの。色んな人と出会えて、色んな経験をして、乗り越えられて。あなたがいてくれたから、私はいっぱい頑張れた……」
ルミセラは珍しく茶々を入れずに黙って私の長い話を聴いてくれている。
「うまく言えない。武具の説明なら、言葉が溢れてくるのに……」
なんだか胸が苦しくて涙が零れ始める。大好きだって一言、伝えたいだけなのに。
「その笑顔を守りたかったんだよ」
彼女は溢れる涙を指で優しく拭ってくれた。
「ありがとう。でも……」
「でも?」
「私はルミセラのこと、守れてない……」
「分かってないなぁ、フルフルは」
彼女は私の頬を突っつき、頬を寄せてくる。
「フルフルの笑顔はいつだって私を守ってくれてるんだよ」
「な、なにそれぇ……」
「その笑顔に何度救われたか分かんない」
「う、うぅ、どういうことぉ……?」
「あんたの笑顔のおかげで人間も捨てたものじゃないって思えた」
よく分かんないけれど……褒められてる気がして照れてきちゃった。あうう……。
「色んな人間を変えてきたんだよ、あんたの笑顔」
「そ、そうなのかなぁ」
「フルフルのね、最強の魔法はエンチャントなんかじゃない」
ルミセラは私の手を首に両手を回し、微笑む。
「笑顔だよ。笑顔の魔法」
な、な、なに、なんなの……!? ドキドキしちゃ……あうあうあう!
「私にもフルフルの魔法がかかってるんだ」
大好き。彼女はそう小さく呟き瞼を閉じた。
「私も大好き。大好きだよ、ルミセラ……」
「ただいま~! ミルドレッド、お留守番させちゃってごめんねっ」
店の軽快なドアベルに負けないくらい元気良く挨拶をする。今日も幸せいっぱいです。
「フルル。あなたにお客様がお見えですわよ」
「ん? フルフルにお客? まだ開店してな――」
片眉を上げて言葉を切ったルミセラの視線を追うとそこにはプラチナブロンドの少女が立っていた。カウンターを挟んでミルドレッドの前に立っている。少女はゆっくりとこちらを向き微笑んだ。
「あー!!! 森でバジリスクから私を助けてくれた人だー!」
驚愕の声を上げるルミセラ。きっとそれ以上に私は驚いている。
「そうでしたか。この人なら確かに炎水晶に引っかからず行動できてもおかしくない」
なんで私を置いて出て行っちゃったの。あなたに、ずっとそう聞きたかった。でも、そんなことどうでもいい。色んな気持ちや言葉がこみ上げてくる。でもでも、そんな言葉もどうでもいい。私は両手を広げ久しぶりに会う彼女の胸に飛び込んだ。ずっと待ってたよ。
「お帰りなさい、お母さん」
今日から始める王子様候補生