Language of Flower
1945年、イギリス名門パブリック・スクールで学ぶ14歳の気弱な美少年ジョナサン。
同期生ばかりでなく教師にも苛められ、辛い日々を送っていた彼は孤高の美少年リチャードと親密になるにつれていじめっ子たちが次々と不可解な事件に巻き込まれていく…
そんな2人の穏やかなある一日のお話
窓の隙間から吹き込む風が、ほのかに甘い花々の香りと野鳥の囀りを運んでくる。
オレンジ色の暖かさを纏った光はガラスで屈折して、部屋の壁でチラチラと踊っている。
カークストン・アベイ校もに春が訪れ、ゆったりとした時間の流れが校内に満ちていた。
こんな日に外に出られたらさぞ気持ちがいいだろう、そんな事を考えながらジョナサンはぼんやりと窓を眺めていた。
どうやらここ数日、風邪を引いてしまったようだ。
季節の変わり目だからだろうか、身体が怠く、頭痛がひどい。最初は微熱だからと気に留めなかったのだが、とうとう昨日から起き上がることが出来なくなり寝込んでしまった。
昨日はリチャードの部屋に行く約束をしていたのだが、彼に伝えそびれて約束を破ってしまった。
リチャードは怒っていないだろうか。
その不安と身体の怠さとで、ジョナサンは憂鬱な溜息を漏らした。
コンコン。
少し間を置いて声がする。
「…ジョナサン?いるんだろ?」
「うん、どうぞ。リチャード。」
扉が開き、リチャードがゆっくりと入ってくる。
昨日の約束を破ったことを怒っているのではないかと身構えたジョナサンは、心配そうな表情を浮かべた彼を見てほっとした。
「風邪ひいたんだって?ニコラスに聞いたよ。」
「うん、そうみたい。昨日は部屋に行けなくてごめんね。行けないって、言いそびれちゃって。」
いいさ、と優しい微笑みを浮かべ、ジョナサンのベッドの横の棚に花を置くリチャード。
「なあに、それ?」
「お見舞いだよ。ジャスミンの花さ。」
「そんな…大げさだよ。大したことないのに…」
決まり悪そうに肩をすくめる。
「いいんだよ。僕がしたかったから、してるまでのことさ。」
そう言ってまたリチャードは微笑む。
「そう…ありがとうリチャード。」
ジョナサンは素直に礼を言って、嬉しそうな笑顔をリチャードに向けた。
熱の所為でいつもより紅みの増した頬が、幼さを引き立てる。
「でも君が花なんて珍しいね。なんでジャスミンなの?」
それは、と一瞬開いた口をつぐんでからリチャードはジョナサンのベッドに腰掛ける。
「ジャスミンの花言葉はね、『愛嬌』『清純』『素直』なんだよ。まさしく君にぴったりじゃないか。」
思い掛けない返答に、ジョナサンは思わず顔を赤らめる。
「そ、そんなことないよ…!」
もごもごと反論の言葉を探すジョナサン。
耳まで真っ赤になって、可愛いやつだ。リチャードはぷっと噴き出し、ジョナサンの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「まあそれはいいとして、腹減ってるだろ?プディングを持ってきたんだ。食べるかい?」
ジョナサンはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、急に話を変えられ諦めた。
ううん、と首を振る。
「食欲ないんだ。」
明らかにむっとした表情を浮かべるリチャード
「そんな事言って、どうせ昨日から何も食べてないんだろう?少しは食べないと、体が持たないよ。僕が食べさせてあげるから。」
食べるか食べないかの二択の選択肢だった筈なのに、半ば強引に食べさせようとする。
これは言っても無駄だな、と肩をすくめ、
「じゃあ、貰うよ。」
と言うと、リチャードはふっと表情を緩め、どこか嬉しそうにプディングの蓋を開けた。
リチャードがプディングをすくい、ジョナサンの口元に持っていく。
口内に広がる甘い香りと、とろけるカラメルの美味さに思わずぶるっと身体を震わせる。と同時に、昨日から何も食べていなかった空腹に気付く。
「美味しい…!」大きな瞳を更に見開き、キラキラさせてリチャードを見上げる。
「そうだろう?」満足そうにリチャードは微笑んでから、今度は自分の口にプディングをひょいと入れる。
「うん、美味い」
「あ!ダメだよリチャード。風邪がうつっちゃう!」
慌てて言うジョナサンに、いたずらっぽくニヤリとして
「ジョナサンにうつされるなら本望だよ。」
と、ジョナサンを見つめる。
また赤くなって、ジョナサンは思わず目を逸らす。
「そ、そんな事言ったって、リチャードが風邪を引いたら僕が嫌なんだ!心配するだろ。」
「心配してくれるのか?」
「勿論さ。」
「ほんとうに?」
「ほんとうだよ!だってリチャードは僕の大切な人なんだから!」
不意をついた返答に今度は彼が驚いた。
だがジョナサンが真剣なで頬を膨らませているのが可笑しくなって、ぷっと吹き出した。
「本当に、君には敵わないよ。」
そう言ってジョナサンを頭を優しく撫で、そのまま彼を自分の膝に寝かせる。
「少し疲れただろ。僕がしばらく居てあげるから、休みなよ。」
ジョナサンは素直に頷き、リチャードの膝で瞼を閉じた。
リチャードは、後にも先にも彼だけに向けるであろう優しい微笑みを浮かべ、まるで我が子をいつくしむかのようにジョナサンを抱いて、その額にキスをした。
僕がずっと、傍に居てあげるからね。
僕がずっと、君を守ってあげるからね。
彼の腕の中で、今までに感じたことのないような安心感と、広がりゆく心地よい暖かさがジョナサンを包み込んでいった。
「ジョナサン?入るよ?」
返事がないのを不思議に思いながらも、ニコラスはそっと扉を開けた。
視線を走らせた先に、リチャードの姿がとまり、ぎくりとする。2人は寄り添うようにしてベッドで穏やかな寝息を立てていた。
膝の上で眠るジョナサンを守るように抱いているリチャードの姿は、彼を誰にも渡さないという独占欲が滲み出ていた。
一歩遅かったかと悔しく思いながら部屋を出ようとした彼の瞳に、棚に飾られたジャスミンの花が映った。
ジョナサンが自分で花を飾るようなことはないだろうし、きっとリチャードが持ってきたものだろうと思った。
---と同時に、何かを思いついた彼の表情が曇る。
泣きそうになりながら、彼はすごすごと部屋を出ていく他なかった。
自分の部屋に速足で戻る彼の頭には、ある言葉が反芻していた。
ーーーそれは、ジャスミンの花言葉だった
『あなたは 私のもの』
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