しんやはいかい
いま、そこで、あわいみどり色の息をはくいきものと、であいました。
夜と、朝の、はざまでした。
道路では、たくさんのひとが、ねむっていました。
車も、ねむっているじかんなので、道路の上でねむっても、だいじょうぶなのでした。
ぼくは、きのうの二十三時に、でかけました。
友だちが、ねむらないでみる夢から、さめるじかんが二十三時三十分の予定だったので、ねむらないでみる夢からさめた友だちと、ゲームセンターにいこうと思ったのでした。
二十三時の町は、にぎやかでした。
コンビニエンスストアの駐車場で、おどりをおどっているひとや、四角いゆうびんポストの上に立って、ほかの惑星のひととの交信をこころみているひとや、公園のベンチでキスをしている、こいびとたちや、シャッターのしまっているカメラ屋さんの前で、お酒をのんでいるひとたちなどが、二十三時の町には、あふれていました。
いぬもいました。
ねこもいました。
ねむらないでみる夢をみていた友だちは、朝の四時までやっている喫茶店の、いちばんおくの席で、ねむらないでみる夢をみていました。ぼくが友だちのいる喫茶店に着いたのは、二十三時二十五分で、友だちはほぼほぼ、夢からさめかけていたのでした。
二十三時二十五分の喫茶店には、ほかにも、パソコンをひらいてキーボードをぱちぱちうっているひとや、みえないひとと会話しているひと(みえないひと、というのは、そのひと以外にはみえないひとで、たいていのひとにはみえないひとがみえるのだけれど、ときどき、みえないひとがみえないひとも、いる)や、オセロをやっているおじいちゃんとおばあちゃんなんかが、いました。いぬと、ねこは、いませんでしたが、パンダと、ライオンが、いました。パンダは本をよんでいて、ライオンは、ピラフをたべていた。
二十三時三十分ぴったりに友だちは、ねむらないでみる夢から、さめました。
やあ。
と、ぼくはいいました。
やあ。
と、友だちは右手をあげました。
ゲームセンターに行く前に、空腹をみたすことにしました。ぼくは、家でごはんをたべてきたので、ホットケーキにして、友だちは、ナポリタン大盛りを、注文しました。料理が運ばれてくるまでのあいだ、友だちの、ねむらないでみる夢のはなし、をきいていたのですが、よくわかりませんでした。しらないなまえのひとが、たくさんでてきて、それは友だちの、ねむらないでみる夢のなかにだけでてくるひとたちで、つまり、友だちの夢のなかでつくりあげられた、現実にはいないひと、なので、ぼくがしらないのも、あたりまえのことなのでした。とにかく、よくわからなかったので、ふんふんとてきとうに相づちをうって、ホットケーキがきてからはホットケーキをたべることに集中しましたが、友だちは、ただはなしたいだけなので、ぼくがきいていなくてもかまわない、といった感じでした。友だちの、ナポリタンをフォークにくるくるまきつけるときの、フォークの回転がとてもはやくて、ときどき、見とれた。
あわいみどり色の息をはくいきものは、みにくいいきものでした。
身長は、おそらく二メートルくらいありまして、体重は、にんげんのおとな三人をいっぺんにつぶせるくらい、重たいと思われました。どすん、どすん、という足音が、数百メートルはなれたところにいても、きこえるのでした。地面が、みし、みし、とゆれているのも、からだに感じるのでした。
あわいみどり色の息をはくいきものは、ほとんどはだかでした。
下半身だけ布でかくしていましたが、ぼろい布でした。
からだじゅうが、ぶつぶつしていました。
きもちわるそうだな、さわったら、と思いました。
あわいみどり色の息をはくいきものをみて、友だちは、原始人だ、といいました。
原始人はもっと猿っぽいよ、とぼくがいうと、友だちは、あれは猿というより、とかげにちかいな、といいました。
ぼくは、どっちでもいいや、と思いました。
それよりも、あのあわいみどり色の息をはくいきものは、ちょっとくさいなと、かんがえていたのでした。
道路のあちらこちらでは、たくさんのひとが、ねむっていました。
おおきいひと。
ちいさいひと。
お年寄り。
わかいひと。
こども。
ぼうしをかぶっているひと。
かばんを持っているひと。
ゆびわをしているひと。
くつがかたっぽだけ、ないひと。
ワイシャツがところどころ、やぶけているひと。
ロングスカートのすそが、ぼろぼろのひと。
首が、ありえない角度にまがっているひと。
てをつないでいるひと。
おどりをおどっているひとも、ほかの惑星のひとと交信をこころみているひとも、キスをしているひとも、お酒をのんでいるひとも、いませんでした。
みんなみんな、ねむっていました。
みんなみんな、ねむっていました。
しんやはいかい