だらんとエッセイその⑦
家族写真
思春期の頃、自分の容姿が恥ずかしかった。小学校六年生に差し掛かる頃私は太り始めた。身長や体重は今とさして変わらないのに、当時の私は肥満児そのものだった。まず顔が丸くなり顎が二重になった。目がはれ、頬が盛り上がり、鼻にまで肉がつき、まるでアンパンマンだった。ニキビまで出始めた。その出方は尋常ではなく顔中が真っ赤にただれた。化粧水をつけても石鹸で洗っても治らなかった。髪質も変化した。それまで柔らかいくせ毛だったのが、日本人形のように硬く厚いものになった。髪を手櫛で整えていたら、そのうちの一本が手のひらに刺さって驚いたのを覚えている。私の体は急激に変化し始めていた。その変化についていけず、鏡を見ることができなかった。鏡の向こうの自分は沼から這いあがってきた化け物のように見えた。大げさであるが当時はそう感じたのである。
中学生になった。洋服に疎かった私は、周囲に言われるがまま制服合わせをした。できあがった制服はぶかぶかであった。私は採寸係のおばちゃんを呪った。体に合わない服を着て、できものだらけの顔をひっさげて通学するのは恥ずかしかった。同じ学年の女子が輝いて見えた。あの頃クラスの中心にいる女の子は皆、髪を二つに結っていた。本当は私もおさげにしたかったが、おこがましく感じとてもできなかった。それから着替えが苦痛だった。冴えない顔をした自分に女の体がくっついているなんて変な感じがした。私はこんな顔で女になりたくないと思った。制服を脱ぎ体操着になる瞬間の苦痛。自分の体から異様な臭いが立ちのぼっているような気がした。セーラー服も嫌いだった。腕をあげると脇腹が見えるからだ。下着が透けるのも嫌だった。かといって下に何を着ればいいのかも分からなかった。ブラジャーを着けなければならないと知った時、顔が熱くなるほどの屈辱を覚えた。前の席にいるクラスメイトのブラジャーが透けていて、見かねて教えると「皆こんなもんでしょ。普通だよ」と言われた時の衝撃を覚えている。私はそんな風に平然とはできなかった。自分だって同じ十代の女子であるはずなのに、どうしてこんなに違うのか。どうして皆はツルツルとした肌をして可愛らしく笑えるのか。なぜ女であることを誇れるのか。私はいつでもスカートを脱ぎ捨てる準備ができていた。そんな中、図書室でこんな本を見つけた。「アグリーガール」それは当時流行っていたティーンズ向けの洋書だった。確か蛍光グリーンの表紙で、素人があまり時間をかけずに描いたようなイラストが載っていた。私はそんな本を手に取りたくはなかったし、外国の少女のはつらつとしたラブストーリーに感情移入できるはずもないと知っていたから、読みはしなかった。しかしそのタイトルは私の頭に強く焼き付いた。醜い女の子。
そういった思いを一層強く感じるのは家族写真を見る時だった。小学生の私は年相応の少女らしい容姿をしていた。肌は日に焼けて健康的だったし、体だって華奢な方だった。それなのに私はいつから変わってしまったんだろう。そんな自分に追い打ちをかけるように私は学校に行くことができなかった。私は姿形も内面もコンプレックスだらけだった。私は小学校の卒業アルバムの自分の写真を黒く塗りつぶした。見ていられなかったからだ。その思いは強烈で、今でもその本を開くことができない。
私は写真を撮られるのを嫌がった。学校で配布される写真は一切受け取らなかった。そもそも学校行事に思い入れなどなかったし、クラスメイトの顔なんか記憶に残したくもなかった。だから皆がどの写真を貰おうかと群がっているのを、私はいつも遠巻きに見ていた。家族にカメラを向けられるとあからさまに不機嫌になった。家族もそれを察したのか、進んで写真を撮ることはなくなった。それに当時は両親との関係もこじれていたので、楽しいイベントを行うどころではなかったし、彼らも私も暗い記憶を消し去ってしまいたかったのだろう、そのうちカメラを持つことすらなくなった。そんなわけで中学を堺に私の写真はぱったりとなくなった。
高校生になると自分で写真を撮りだした。家族を写真に収めるのは私の役目になった。何かあると私が真っ先にカメラを取るので、相変わらず私の写真はなかった。
大学生になった。私は昔飼っていた犬の写真を見返したくなり、久々にアルバムを手にした。そこには中学生の私が写っていた。私は記憶の通り少女らしくなく、不細工だった。ある時はふくれあがった顔で笑っており、ある時は短く切った寝癖に男物の服というチグハグななりをしていた。二十を迎えていた私はそれを見て当時の惨めな気持ちを思い出した。そしてある時期から空白になっているアルバムを思った。私は突然、誰かに写真を撮ってもらいたいと強く思った。思い出を残したいのではない。写真を撮ってもらうという行為が大切なのだ。誰かから、今この瞬間の私の存在を記録したい、と思われることが。そういった写真で真っ白なページを埋め付くしたかった。しかし私は写真を撮る習慣をすっかりなくしていた。イベントにカメラを持っていくという発想すらなかった。全て終わってから、そういえば写真を撮るタイミングだったのかも、と気がつくのだ。友人と遊んでいて記念写真を撮ろうと言われると奇妙な気持ちにすらなった。習慣とは不思議なものだ。だから私は自分で自分の写真を撮ることにした。大学に入学した際強制的に買わされたPCのソフトで自分を撮りまくった。かといって何かポーズをとるわけではない。PCをいじっている自分の顔をただ撮るのである。なので当然夜の魚のように虚ろな顔で写ることになるのだが、私にはそれで充分であった。「今この瞬間の私」を撮影できたことに満足だったからだ。大学三年生になった頃、Zineを制作する課題が出た。私は取り溜めた自分の写真をまとめようと思いついた。それは私にとって、今までの年月を埋める重要な思いつきだった。私は珍しく没頭して課題を進め、教授に見せに行った。写真を見た彼の顔は歪んだ。「ひどく歪んだものを感じる」なぜ彼はそう言ったのだろう。虚ろな表情の自分を撮影し続ける私に、怨念のようなものを感じたのだろうか。私は黙ってその案を取り下げた。今はもう自分を撮ることはしていない。恐らく飢えが満たされたのだろう。今でも私の家族写真と呼べるものは増えていない。
私は時々アルバムを見返してみる。小学四年生の夏に撮った写真が一番好きだ。私は写真を撮られるという行為に何の疑問も感じず、当たり前のように笑っている。成長途中の足が布団の上に投げ出され、タンクトップから伸びる二の腕はすらっとしている。私は覚えている。この時、カメラを向けられた瞬間を。レンズに笑いかけるのに何の恐れも感じなかったことを。この写真にうつっている少女は一体誰なんだろう。ツンツン髪のやさぐれた少女は誰なんだろう。大量の写真に無表情でうつっている女性は誰なんだろう。どれも私なのか。変だなぁ。
二十歳に死にたい
二十歳になったら死のうと思っていた。
大人になる。幼い頃の私は、大人になるというということは、漠然と「何でもできるようになる」ことだと思っていた。しかし成長するにつれ、二十歳という年齢の先には、底のない穴が待ち受けているのだと思うようになった。それは真っ暗な、真っ暗な穴であった。
そう思うようになったのは確か中学生の時だった。その当時私は一歳年をとる度恐怖に戦いた。本にこんなことが書いてあったのを読んだからだ。女性はいずれ自然の美しさを離れ、男性の存在を気にかけるようになると。木や花よりも、きらびやかな洋服や、太く大きな手に抱かれるのを好むようになると。私はそんなのは嫌だった。いつまでも緑の中を走り、星空の下で眠りたかった。しかしそんな願いとは裏腹に、私の体は変化していった。髪質は変わり、背が伸び、肌が荒れ、肉がついた。自分の体が変われば変わるほど何かを失ってゆくようだった。大好きな木のざわめく音も、夜の匂いも、花の色も。実際に私は山に通うのをやめ、洋服を山ほど買い、誰かに恋をした。しかしそうしながら、常に自分が十代の出来損ないであるように感じていた。世の中には正しい年齢の過ごし方のサンプルが溢れていて、それと自分を見比べざるを得なかった。そうしていると私はひどく疲れ、年齢が一桁だった頃に見た美しいものたちを思い出し、強くそこに帰りたいと願った。私は揺らぎ続けた。失ったものの数を数えながら十代を生き抜くのは何と恐ろしかったことか。
十代の私は世間体でがらんじめだった。世の中には沢山の常識が存在した。「学校に行くこと」「皆と同じ行動をとること」「女は女らしくすること」私はどれも苦手だった。苦手といいながら意識的にそれらを避けている部分もあった。私はどれも好きではなかったのだ。やろうとしてもできなかった。皆が髪を梳かしながら爪を染め、誰々が告白し、誰々がセックスしたという話に耳をそばだてながら、強い吐き気を催した。都会に溢れる物々に憧れながら田舎にそびえる山に飛び込んでゆきたかった。皆に馴染めない自分を恥じながら、彼らをゴミのように毛嫌いした。しかし私たちはそういう世界の中でしか生きられない。私たちにとって世間は人生の全てなのだ。私は世界を恨み自分を恨んだ。両親は私が世間で戦うことを望んでいた。戦わねば世捨て人になるしかないのだ。皆と呼吸を揃えるのが何より賢い方法で、そうしなければ死ぬと言っていた。実際大人とは皆の中にうまく紛れ、肩書きを勝ち取り金を稼げるようになることで、そのために必要な術は全て学校で教えられた。私が全力で拒否し続けてきたものに私はひきずりこまれてゆく。生きるためにはひきずりこまれるしかないのだ。
私は全力で自分の相反する感情をコントロールしようしてきた。生きるためにこなさなければならないことは、手をかしてもらいながら、出来るだけやろうとしてきたつもりだ。だけどこの先自分がこれ以上美しくなることはないと悟ったのだ。もうあの頃の気持ちで野山を駆け回ることはできない。写真の中のように笑うことはできない。風景があんな風に輝くことはない。私が望むものは全て、私を駆け抜けてしまったような気持ちになるのだ。私は手に入れ、失うのが怖かった。これから飛び込んでゆく沢山の世間体の海を思うとうんざりするのだ。私は結婚し子供を産むのだろうか?偶然手を繫ぎ合ったような人と毎日顔を合わせ、喧嘩をし、あるのかないのか分からない愛を探し、子供をぶち、抱きしめ、老人になって死ぬのか?そうしながら何度若い頃の幻想を見るのだろうか?何度桜を見て、夏を越し、冬を耐え忍ぶのだろうか?何度心から笑い、このまま時が止まればいいと願うのだろうか?何度心を打たれ、引き裂かれ、満ち足りて、生きていると叫ぶのだろうか?
私は地獄に堕ちたい。私は天国に昇りたい。川を遡り、海に流れ、風に乗り、夜空を泳ぎたい。涙を流し、花をかき抱き、世の中の全てのものを描いて、今のまま時を止めてしまいたい。もうたくさんだ、時々そう思う。これ以上何かを見ることに何の意味がある?私はうまく走れない。私は世間が求める人間にはなれない。ここで正しく暮らすことは自分を殺すことなのだ。私は疲れた。しかし私は有り余っている。私は愛しい。全てが愛しく全てが憎らしい。世の中の大半の人間が知らない、求めない、小さい自分の全てが大切で、だから苦しい。
二十歳になったら死のうと思っていた。そしてケーキの上の蝋燭がその数を示した時、私は実際に屋上から、橋の上から、天井の縄からこの世の景色を見下ろした。私の足はがくがくと震え、だから私はそれから五年も生き、多分これからも生き続ける。年を取るごとに自分の花びらが一枚一枚落ちるのを数えながら、流れ来る何かを受け止め、ぐちゃぐちゃにし、または飲み込んで吐き出し、さも皆がするように上流にたどり着くまでこうしているのだろう。二十歳を過ぎた自分のいる場所が暗い穴蔵なのか、それともほの明るい平原なのか、もはや立っている場所すら分からないが、穏やかなような諦めのような、それとも喜びか知れない感情の中にいる。それなのに時折涙があふれる。ここはどこなのか、自分が誰なのか、いつ死ぬのか、どこまで生きるのか、全ては分からないようにできていて、そしてそれは皆同じなのだ。生きるという呪いに喜ぶことすら皆の世間なのだ。
人と本能
二十五歳になった。
「ぼくは一生懸命だった。彩ることに/ちょっぴり不幸ぶりもした。よくわかんなかったけど/世の中がどうなっているのかとかそういうことに/ひたすら情報に振り回され、腹痛をおこして寝込んでた/流されそうになるたびしがみつく。内心の枯れ枝に/見えない目をこらしてどうにかしようとしている。/ぼくは一生懸命だった。/コピーにならないために/ぼくはぼくなりに一生懸命だった。いつでも/16回目の夏にたどりついたけれど/不思議なくらい汗はかかなかった。」
これは私が十六歳の頃に書いた詩である。これを読むと言葉遣いが違うので、自分が別の人間になったように感じる。私はあの頃の全てを正確に思い出す術を持たないので、それはあながち間違いではないだろう。この頃と今と共通しているものは何だろう。思いつくのが世間においての自分の役割である。あの当時、子供として、学生として生きることが私の役割だった。それに当て嵌まらなければ生きることはできなかった。そして今の私は、大人と、女という役割に悩まされている。
私が就職すると親戚は口々にこう言った。「早く結婚して子供を産みなさい」私はうんざりした。十六歳になると「学校に行きなさい」と言われ、十八歳になると「就職しなさい」と言われ、全て済んだと思えば次はこれだ。私はこのような文句を言われると、内臓に鉛を放り込まれたような気持ちになる。人間はいつまで世間という義務に尻を叩かれなければいけないのだろうか。
実際にここは田舎であるから若くして結婚する人も多い。私の周りにもウエディングドレスドレスを着た人間がいくらかいる。その人達は当然のように腕に子供を抱いている。しかし自分がそうしている絵を想像しても、それは学校に行くのと同じくらい億劫なことのように思える。人生を添い遂げるって何なんだ。怖い。誓うって何を。誰に誓えばいいんだ。純白って何なんだ。お色直しって、何なんだ。親戚中の前でキスって、どうしてそんなことを。指輪。いつでも薬指に光る指輪。お前を離さないって、呪いか。子供。自分の血を分けた。妖怪か何かか。自分のことすら愛せないのになぜ分身を愛せようか。そんな得体の知れないやつらと一つ屋根の下で永遠に。死ぬまで暮らすって。目眩がしてくる。確かに私の下腹部には子宮が埋まっている。体は十分に成長している。しかしそれだけなのだ。できるならばこの臓器をむしり取って車に轢かせてしまいたい。願いが叶うのならば人間をやめたっていい。虫か何かになって誰かに潰されて死にたいのだ。幸せって何なんだ。生きるって何なんだ。どこまでも人生って、見えない追い風に唆され続けるものなんだと思う。皆こぞってレールに乗せようとするけれど、それって幸せなんだろうか。残念ながら私はそうしろと言われれば言われるほどプレッシャーに負けてしまい、そうしたくなくなるのだ。私は自分の義務に怯え続ける。
私たちは文明を築きながら尚動物としての宿命から逃れられないのである。親の元で生きる方法を教わり、いずれ群れを作り、それに馴染み、ボスを決め、ツガイになり、子孫を残して死ぬ。何て分かり易い本能だろうか。っていうか、もうそれでいいじゃないか。服を着るのを止め、縄張り争いをし、喉笛に噛みつき合い、メスを取り合い、好き勝手な相手と道端でセックスして、ボコボコ子供を産み老衰で死にさらせばいいのだ。何をいちいち気取る必要があろうか。それをわざわざ言葉を駆使して伝えていると思うと滑稽ですらある。あんたが眉をしかめてさも常識ぶって言う台詞は結局それじゃないか。
もし人間が死ぬまで同じ見た目でいられるのならば、生き方って変化するのだろうか?「年をとって落ち着く」という現象や「家族」という言葉は存在しただろうか?もし私たちの寿命が短かったならば、学校や結婚は存在したのだろうか?「一途」という価値観や「若い」という年頃は存在しただろうか?幸せを感じる場面も変化しただろうか?私たちの寿命や生体が私たちの運命を決めている。私は私という個人である前に人間という生物であり、その習性に基づいて生きているのである。そして動物が弱い個体を見殺しにするように、私たちもまた、集団に馴染めないものは死ぬしかないのである。
しかし十六歳になっても二十五歳になってもふと寂しい。寂しくて、しかし寂しさを抱く度、私は自分を駆り立てる本能を感じるのであった。ヒトリハイヤダロ。コドモヲツクレ。
着飾る
ある人に「見た目が安定しない」と言われたことがある。年齢別に私の姿を思い出しても、人物像がまとまらないというのだ。私もそんな気がする。
私はお洒落が好きで、洋服などを散々吟味して買っている筈なのに、それを身につけた自分の姿は薄ぼんやりとしてつかみ所がない。ヘアカタログを見るのも好きだが、自分がどうしたいかと聞かれたら分からない。また化粧もぼんやりしている。チークやアイシャドウなど、色々なものが化粧品売り場に並んでいるのは知っているのだが、どれで自分の顔を彩っても違いが分からないのだ。それにどんなもので自分を飾ろうが何だか上滑りなのである。私は私自身を象徴する何かを追い求めながらここまで来た。
だから洋服にアイデンティティを持っている人を見ると凄いと思う。彼らの持つものは全て意味があり、美しい。その人を特別な存在のように見せている。同じ店に行っても、彼らが手に取るものは自分が選ぶそれよりきらびやかで、どこからそんなものを見つけ出してきたんだと思う。それがセンスというものなのだろうか。
私の見た目が安定しない原因として、そもそも自分の見た目を見失っているというのもあるかもしれない。私は自分がどんな背格好でどんな表情をしているのか分からない。だから写真を見ると、あ、こんな人間なんだ、と思う。自分を鏡を見ても奇妙な気分になる。これが自分、と思いながらじっと向こうを見つめる。何度も自分の頬に触れてみる。肩や胸を眺め回して、記憶の中のそれと見比べてみる。少し異なっているようにも同じようにも感じる。しかし鏡の中の自分はショーウィンドウに映る自分ではないし、また映像に切り取られた自分でもない。一体どれが本当の姿なんだろう?
それに対し人の姿を覚えるのは得意だ。その人がその日着ていた服や、どんな顔でどんな仕草をしていたか細かく記憶している。それなのに自分の姿を覚えていられないのだから不思議である。
私は自分を意識すると、まず魂がどっしりとそこにあるのを感じる。様々な考えが私を形作り、その上に服や装飾品がくっついている。それは私が逃れたくても逃れられないものであり、どうしようもなく私を浮き彫りにする存在である。アクセサリーや洋服はその上をつるつると滑り落ちてゆく。魂は暗く重苦しい。それからなかなか質量がある。内臓の変わりにドロドロした半透明の何かが詰まっているようである。果たして皆も自分の存在を思い返してそう感じることがあるのだろうか。
ぼんやりとした輪郭で人に触れる時、不思議な気分になる。どうして今、自分の指にこの人の感触が伝わっているのだろう。「温かい」と言われまた変な気分になる。私はちゃんと人なんだなあ。
ポケット
私はポケットを活用しない。うっかり何かを入れようものなら、翌日それは洗濯機の中でびしょぬれになって発見される。久しぶりに履いたジーンズのポケットに手を突っ込むと、ボロ雑巾のようになったレシートがぼろりと出てきて虚しい気持ちになる。じゃあ徹底して何も入れなければいいのだが、それすら意識にないのだから、そもそも物を入れる場所を決めること自体に興味がないのだろう。だから服にポケットがついていようがいまいが気にしない。
鞄にしても同じである。鞄を買う時まではポケットの有無を気にしている。しかしいざ使うとなると、空いたスペースに必要最低限のものを放り込んでお終いとなる。携帯電話くらいはすぐ取り出せるようにポケットに入れてみたりするのだが、どのポケットに入れるかまでは決めないので、いざという時に全てのポケットを見るはめになる。挙げ句の果てにはそれを戻す時ポケットに入れるのを忘れてしまい、なくしたかと思って慌てて探すようなこともある。これでは意味がないのかもしれない。しかしルールを決めたとしてもすぐ忘れてしまうのだ。
買い物に行って、レジに商品を持っていく時「来るぞ」と思う。あの時間が。できるだけ他の人に迷惑がかからないよう、店員がバーコードを読み取っている隙を見計らい、鞄をごそごそして財布を取り出す。これは時間との真剣勝負である。指先の感覚を研ぎすませ、素早くごそごそをする。この技は多くのごちゃごちゃ鞄を相手にしてきた人間しか使うことはできない。しかし、この試練をくぐり抜けると次の難関が待っている。財布のどこに何が入っているか分からない。ああ、ほら、「カードはお持ちですか」が来た。早く探さないと。ていうか、そもそもこの店のカード、持ってたっけ。全部探したが見つからず新しいのを作ると、後になって同じカードが何枚も出てくる。だから私はできるだけカードを作らない。
けれど私の「ごそごそ」は他の人の「ごそごそ」よりも短いと思う。なぜなら物をそれほど持ち歩かないからだ。財布、携帯電話、リップクリーム、部屋の鍵。この四つがあればどこへでも行ける。鞄にも大きくスペースができるから、もし荷物が増えたとしてもそこに詰められる。旅に出る時も同じである。私はキャリーバックを持たない。全てリュック一つに収まってしまうからだ。
だから女性と遊ぶと荷物の多さにびっくりする。彼女たちは黒光りする大きな鞄をぶら下げている。トイレに行くとそこからボコボコ物を取り出し、顔面や髪の毛に塗りたくるのだ。ヘアスプレー、ワックス、コテ、ヘアアイロン、制汗剤と汗拭きシート、化粧道具一式、パンパンに膨れ上がった長財布、箱入りのお菓子、ガム、500mlのペットボトル。その鞄、四次元に繋がっているのか。ていうか重くないのか。彼女たちの捨て身の美意識は感服に値する。
しかしずぼらな私は今日も野郎と同じ量の荷物で外出し、短い「ごそごそ」をやるんだろう。私は身軽を愛している。
だらんとエッセイその⑦