手紙

 手紙


 並んだデスクの上には書類が山積みになっている。そこらかしこで電話が鳴り、すれ違うのも困難なオフィスは騒然としていた。
 締め切りに追われる新聞社。日曜の昼下がりに映画館で起きた爆破事件によって翌日の朝刊の一面の差し替えを余儀なくされたせいだ。
「模倣犯か、残りの爆発物なのか裏を取れよ!」
 編集長が怒鳴るが誰も返事をする者はいない。「もうやってるよ」誰かの独り言は喧騒に掻き消された。
 女記者が自分の席を立ち、編集長のデスクの前に立った。
「編集長、お話が」
「後にしてくれ!見たらわかるだろう」
 編集長の苛立ちを女記者は意に介さない。
「今回の事件に関連した話です」
「……手短に頼む」
 女記者が頷く、何枚かの書類と一枚の封筒を手にしている。
「既に自殺した始まりの少年がネットにアップしたとされる犯行声明文のコピーです」
「犯行声明文?初耳だ。裏は取れているのか?」
「これからです」
 女記者の返事に編集長は持っていたペンで頭を掻きながら溜め息をついた。
「……持ち場に戻れ」
 女記者は微動だにせず、語り出した。
「少年を知っている人間は口を揃えて彼を天使のような人間だと言います。
地元のボランティア活動に積極的に参加し、誰とも平等に接し、残酷なニュースに胸を痛め時には涙を滲ませる彼を、通っていた中学校のクラスメイトは犯行を認めないどころか理解を示す者までいます。彼の居なくなった後に取った匿名のアンケートのコピーです」
 女記者は手にした書類からアンケートをまとめた物をデスクの編集途中の書類の上に置いた。
「彼の後を追って自殺したクラスメイトは三人、登校拒否が二人、男女が両方に含まれます。裕福な家庭に育ち、仲の良い両親……この両親も少年の後を追い自殺しましたが、仲の良い両親に恵まれ幸せを絵に描いたような家庭だったと、事件発覚後にも関わらず近所の人間は口を揃えて言います。一家を悪くいう者はいません。皆、幸せな家族の不幸に胸を痛めているようです」
 編集長が持っていたペンを書類の上に投げ置いて、椅子の背もたれに寄りかかり伸びをした。
「あー、何が言いたい?」
 欠伸を噛み殺しながら聞いた編集長の伸ばした手の先には、【言葉の力】と力強い字体でキャッチコピーが書かれた社のポスターが貼られていた。
「……ニュースとワイドショーの区別もつかない癖に」女記者は、小さく口の中で呟いた。
「一体、何が言いたいのかを聞いている」
 編集長が苛立った様子で急かした。
「おかしいとは思いませんか。大抵の場合だと周囲の人間は、特に故人と余り関わりが少ない人間程、故人の事を良い人だったと口を濁すだけで終わりますが、この家族は近所付き合いが密で親しい人間も多い。
付き合いが多ければ多少、折の合わない人間も出てくる。ですが彼等を悪く言う人間は一人もおらず、むしろ肯定的な意見しか見られない。都内連続爆破事件の犯人とその両親なのに、です」
 言いながら女記者は残った一枚の書類を差し出していた。編集長は差し出された書類に目を留めたまま考え込んでいる。
「よこせ」
 渡された書類には【手紙】と、題がふってあった。


       ───手紙───


この手紙がネットに公開される頃には僕はもう、この世界にはいないでしょう。なぜならこの世界にはずっと前から僕のいる場所などなかったからです。

色々な事を考えてこうするより他にないと決めました。悲しい事だけどこうするより他に僕はいられなかった。僕のエゴイズムの犠牲になった人に先に謝って置きます、ごめんなさい。

僕はこの世界に規希望を持って生まれてきました。きっと誰でもそうだと思います。そしてその希望にしたがい、命の限りを尽くして頑張りました。人が人を慈しむ事に全力を注いだのです。

僕は子供ではありません。なので世の中にある様々な価値観や倫理観、それぞれに道徳観がある事を理解しています。理解した上で人が人を慈しむ事になんの枷があるでしょう。

しかしながらこの世界に僕は希望を失いました。僕を子供だと思いますか?それならそれで構いません、僕を子供だと思う全ての人に問います。

人の想いを踏み躙る人間を見た事がないのでしょうか?付け込む人間を見た事はないでしょうか?笑う人間を見た事はないでしょうか?それを見て見ぬふりをする人間を、それを忘れたふりをして楽しく過ごす人間を、そう言った穢れた行為に率先して加担する人間を見た事はないでしょうか?貴方自身の心が、清廉潔白であると真に証明できるでしょうか?貴方の正義が、人の心を傷付けた事は一切無いと言い切れるのでしょうか?この世界の一体何が正しくて笑っていられるのでしょうか?
他人を傷物にし、自分の幸福のみを浅ましく願い、弱者の権利を主張し、自分よりも更に弱き者を指差して笑うバケモノを僕は知っています。僕はバケモノを殺します。そのバケモノが、自分の心にいないと、僕を子供だと切り捨てる貴方は言い切れるのですね。
僕の答えはNOだ。貴方の答えを聞かせて欲しい。



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 溜息と共に編集長が手紙を机に置いた。女記者がそれを見て続ける。
「ネット上ではこの手紙と共にゲームの参加条件が添えられ、個人のブログなどでの拡散が始まっています。大型掲示板などの人目に晒されやすい場で載せられてもすぐに大量の書き込みで流されると同時に削除される為、拡散の経路が追い切れません」
「ちょっと待て、ゲームとはなんだ?参加条件?何を言っている」
 編集長が机に両肘を付き、身を乗り出して聞くと、女記者はその表情を覗き込む様にして答えた。
「この事件は少年の死によって始まりました。この手紙をきっかけに、簡易的な爆発物の作成方法と共に自分の中のバケモノを認め、最後に自分自身を殺す事を条件として爆破テロへの参加をネットを使い呼びかけている者が」
「こんなモノは載せられない!」
 机の上の手紙を拳で叩き、叫んだ編集長をオフィスにいる全員が見た。一瞬の静寂の後に、また忙しなく時間が動きだす。
「君はいかれてるのか?各メディア揃って反テロキャンペーンの真っ最中だ。子供の稚拙な反社会思想で悪戯に事件を助長させる行為に加担は出来ない、責任がある。ウチはワイドショーとは違うんだ、取材を続けたければ辞表を提出してからにするんだな。戻れ!」
 まくし立てた編集長の目の前に女記者から封筒が差し出された、辞表と書いてある。
「そうします。最後に一つだけ質問を」
 受け取ろうとしない編集長のデスクに辞表が置かれる。
「なんだ?」二人は視線を合わせたまま動かない。
「手紙の答え。YESか、NOか」
「……いかれてる」

 新聞社の入るビルから女記者が出て行く。振り向きもせず歩き出した彼女の背後で轟音が鳴り響くと、ビルの横腹から白煙と共に良く晴れた空の光を受けた窓ガラスが破片となって、日曜のオフィス街にゆっくりと降り注いだ。

 完

手紙

YESかNOか。

手紙

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-31

Copyrighted
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