赤いぼうしのアリス

「そりゃあ、失うものだってあるさ。自分らしく生きていてもな。」
そう言うと、キツネのアリスはパイプをぷかぷかとふかした。
「へぇ、そりゃあおどろいた。だってきみは風のように自由きままで、とてもそんなふうには見えないんだもの。」
アリスを見ながらタヌキのポッポが目を丸くした。
赤い帽子がトレードマークのキツネのアリスは、旅人でいつも同じ場所にとどまることはない。
自由に、着の身着のまま、心の向くまま、色んなところを旅している。
そしてふらりと戻って来ては、小さな子ダヌキのポッポに色々と話をしてやるのだった。
「ねぇアリス、自分らしく生きていても失うものがある時って、どんな時?」
切り株に座ってパイプをふかすアリスの足元に身を乗り出し、ポッポが聞く。アリスは、ふぅ~と
気持ちよさそうに煙をはいた。
「ん~、そうさねぇ~。…アレは、オレがまだもうちょっと若かったころの話だ。」
「うん、うん。」
もったいぶったようにアリスが空をあおぐ。
「この空がやがて夕焼け色のきれいなオレンジになるだろう。そんなふうにな、オレの心も真っ赤に染まっちまったことがあったんだなぁ。」
「えっ!ケガしたの、アリス?」
「ははは、そうじゃあないさ。心が夕焼け色に真っ赤に…。そうさ、オレは恋に落ちちまったのさ。」
「………こい?」
「ああ、チビにはまだよくわかんねぇかもなぁ。ようするに、だ。好きな女が出来たってことだ。」
「…好きな…女の子?それだったらボク、たくさんいるよ。ミミちゃんにチーコちゃん、リンリンに、あとそうだ、ママも!」
「そう言うんじゃあねぇよ。…ま、いいさ。聞きな。
恋をするとな、心はまるで薔薇色さ。なんてことない景色も輝いて見えたり、いつもより人に優しくできたりなんかな、しちゃったりするんだ。」
「へぇ、それはいいね!」
「だけどもよ、おまえさん、それは長くは続かないってもんよ。」
「え、どうしてなの?」
「欲が出てくるんだ。もっと会いたい、もっと喋りたい、もっと仲良くなりたい、もっと自分を知って欲しい、もっと相手を知りたい、もっと、もっと…。そりゃ、尽きないほどにな。」
「わあ、たくさんあるんだねぇ。」
「そんでよ、それが叶わないとだんだん苦しくなってくる。そうするとな、“自分”てぇもんがなくなっていくのさ。どうすれば望みが叶うか、気にするのはそればかりだ。んでよ、オレたちゃ苦しいのなんてゴメンだからな、やめようとするのさ。」
「どうしてそんなに気になるの?“こい”の望みは叶わないの?」
「叶わないってこっちゃねぇが、なにぶん、相手がいることだ。自分ひとりではどうにもならんことがある、人の思いってぇのはなぁ。だからこんなに苦しい。」
「ええ、それだったら、“こい”なんて、しない方がいいんじゃないの?」
ポッポが言ったが、アリスは首をたてにふらなかった。
「オレもなぁ、そこんとかぁ、何べん考えあぐねたことか。叶わぬ恋ほどつれぇもんはねぇ。
やめれるもんならやめちまいたかった。…けどなぁ。」
アリスは上を向くとまた、ふぅと煙をはいた。
「やめたいから、やめようって言う話でもなかったのさ。」
「どうして?」
「ん~、たとえば、だ。木の上の手の届かないところに極上にうまい食いモンがあったとしてな、
おまえさん、腹がへってへってしようのねぇ時に、どうしてもそれが食いたくなるだろう?」
「そりゃあ、もう!」
「まぁ、しいて言えば、そんなようなもんなのかもなぁ。心の奥底から湧き上がってくる衝動は、
止めることなんてできやしねぇものなのさ。」
「じゃあ、ずっと辛いままなの?手の届かないところにあるんでしょ?」
ポッポが不安げに聞くと、アリスは小さく笑った。
「オレぁずいぶんと色んなところを旅してまわってるけどなぁ、ずっと変わんねぇもんなんてぇのは、見たことがねぇ。この世でずっと変わらないなんてもんはありゃしないのさ。」
「じゃあ、いつか手が届くの?」
アリスはふかしていたパイプを口から外し、ふぅ、とひといきついて遠くを見た。
「なぁ、チビ。大事なのは手が届くか、届かないかじゃあないと思うんだ。オレたちがいちばん大事にしねぇといけねぇのは、確かに芽生えたその気持ちだ。気持ちがありゃあ、何だってできる。気持ちがやる気をおこしてくれる。そのやる気は行動になってな、その行動が一歩ずつ、連れてってくれるんだよ。…本当の望みにな。」
アリスはパイプをひょいとポケットにしまうと、うんと大きくあくびをした。
「だからな、自分の気持ちに正直にならないといけねぇ。そして動いてりゃあ、あ~んなとこにあった望みも、いつの間にかおまえさんの手の中さ。」
そう言うと、アリスは微笑んだ。なんだかあまりよくわかっていなかったポッポも、アリスの笑みにつられて、笑った。
「だからよ、チビ。いつだって大事なのは、人が自分をどう思っているかじゃあねぇ。自分が相手をどう思っているか、だ。…そのことを忘れなけりゃ、おまえさんの望みもきっと叶う。失った自分も取り戻せる。そう言うこった。」
アリスはよいしょ、と切り株から立ち上がると、大きく伸びた。
「そんじゃ、オレはそろそろまた行くとすっかな。」
「ねぇ、アリス。」
立ち上がったアリスを見上げ、ポッポが言った。
「アリスの“恋”はどうなったの?叶ったの?」
「ははっ。」
アリスはポッポの頭をポンポンとやさしくたたいた。
「どう思う?」
「うーん、わかんないよ。」
困るポッポを見て、アリスはまた笑った。
「じゃあヒントやるよ。」
ポッポの頭から手をはなすと、アリスは歩き始めた。
そうして、後ろにいるポッポに手を振りながら言った。
「オレぁ恋の相手にな、ずっと花をプレゼントしていた。コスモスのな、白い小さな花だ。
…あばよ、チビ。またな。」
夕日がアリスと重なって、アリスが夕日の中にとけこんだように真っ赤に染まった。
「…白い、小さな花…。」
アリスが去って行く後ろすがたを見つめながら、ポッポは、家の前の白い小さな花に、毎日大切そうに水をやっているアリスの奥さんを思い出した。
そしてポッポは、ひそかにクスクスと笑うとこう思った。
今のアリスは、あの夕日と同じくらい、ほほを真っ赤に染めているはずだ、と。




おしまい

赤いぼうしのアリス

赤いぼうしのアリス

赤い帽子のアリスは旅人。 どうやら“恋”について思うところを語っているようです。 アリスの旅話を、一緒に聞いてみませんか?

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-30

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