日曜日のお侍

「日曜日のお侍(さむらい)」

「─結果さあ酒好きなのよねぇ。どうしようもないわけ、あたしは。でもさぁ、こんなあたしが近いうちに必ず世の弱者のためにね、必ずや正義を執行してみせるんだからぁ、─いい?ねえ聞いてんのぉ?」女だてらに酒臭い息を無遠慮に膨らませた鼻の穴から吐き出しながらそうオダをあげていた自分の姿をぼんやり思い返すと、また新たな自己嫌悪の種が胸の奥深くで渦を巻くようだった。
少し動かすと棍棒で殴られたような痛みが頭を襲う。何とか首を回しベッドに備え付けの目覚まし時計を見ると時刻は既に正午を回っていた。
「─あ、ああ、─また最悪じゃ─」さやかは呻くように酒で嗄れた声を呟くとおもむろにうつ伏せになり、手だけ伸ばして昨夜飲み残した覚えのある缶コーラを散らかったテーブルの上に手探った。ガサガサと色々なものを落としまさぐり回っていたその時唐突に、
「─はい。これ?」声がしてコーラが手渡された。
「ひ、ひゃあッ、─」瞬時にベッドから飛び上がり缶コーラが指から滑り落ちた。見る見る流れ出た液体が畳に浸み込んでいく。
「─あ~あ。ダメじゃんか、こぼしちゃ」聞き覚えのある声に初めて我に返ると、声の主に目を向けた。
「─まこぉ」半ばうんざりしながらその名を口にした。
まこは、まことと云い、姉さゆみの子どもだ。今年小学校にあがったばかりで、さゆみの一粒種だ。
「─なんだよぉお前。いつ来たんだよぉ」グラグラ揺れる意識の中でそう訊くと、
「─うん。十時前、かな」まことが応えた。
「─さゆ姉、ママは?またパチンコか?」重ねて訊くとまことは黙って横に首を振った。
「─ああぁ、もうッ、─んとにしょうがねえなあ」そう言いながら思わず頭をガリガリ掻いた。
さゆみは二歳違いの姉で何か用事があるとしばしば、何の連絡も入れずさやかの暮らす狭いアパートに息子を置いて行くことがある。
いつの間にか合鍵も勝手に作られていて大いに迷惑しているのだった。大抵がはまっているパチンコを打ちに行く都合なのだが、今日は果たしてどこに出かけたのだろう─。
さゆみは十八の歳で親の猛反対を押し切って結婚、同年に出産しその直後に離婚した。
高校卒業まで絵に書いたような模範生だった姉の、親も気づかない内の婚前交渉の末の懐妊を知った時母は狂ったように泣きじゃくり、元から心臓の悪かった父はショックのあまり一時人事不省に陥った。相手は三歳上の地元では有名なヤンキーで不細工な猿そっくりの顔をしている。
高校を卒業した翌日、初めて相手の男を連れてきたのだが驚いたことに男は両親に向き合って一分も経たぬ内に土下座し、結婚の許しを乞うたのだった。
まさに親にとっては青天の霹靂だったが後日、猛反対に思い余った形でさゆみが手首を切って自殺を計ったことで泣く泣く許諾するしかなかった。
「─へへへ、あんたもこんな手を覚えときなよ。いざと言うときに役に立つから、真に迫る狂言はさ─」緊急で運ばれた病院のベッドで赤い舌を出してそう耳打ちしてきた姉に眼を向けた時、ぞわっと全身が総毛立つ感覚を生まれて初めて経験した。
腹の出が目立たぬ内にと急いだ挙式の段取りも整った頃姉に、
「─ねえ、一体どうしちゃったのさ。よりにもよってあんな不細工な奴と。それもいきなり妊娠して結婚だなんてさ」納得できない風にそう訊くと、
「─別に。随分長いこと優等生やってきたからね。もういいでしょ?女なんだからさ、いずれはあたしもあんたも嫁いで行っちゃうんだ。遅いか早いかだけでしょ?あいつだって皆が言うほど悪い奴じゃないんだよ。男は顔じゃないって言うしね。それにあんた知ってる?ホットロードって漫画。あたしホントはずいぶん前から憧れてたんだよね、あんな恋がしたいって、主人公のモモちゃんみたいにさ─」さゆみは目を輝かせてそう応えた。
『─さゆ姉、違うよ。モモちゃんはハイティーンブギだよ。カズキでしょうが、ホットロードは』そう心の中でツッコンだが言葉にするのは止めた。
難関の進学校に合格し、ずっと上位の成績を維持し両親を喜ばせ安心もさせてきた。恐らくその間かなりのストレスを抱えそれでも頑張ってきたのだと思う。何がきっかけでヤンキー男と知り合い恋に落ちたかは定かでないが勉強ばかりで男にも免疫のない姉は、おそらくは定説の通り生まれて初めての恋に盲目になっているのだろう、と推測し納得することにした。どのみち他人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまうのだ。
互いの親が初めて顔を合わせた時向こうの両親はまさに平身低頭で、すんません。こんな馬鹿が大切な娘さんをそそのかしてしまって本当に申し訳ありません。と両手を合わせて何度も何度も謝っていた。父親も母親もいかつい身体つきの男の親とは思えないほど華奢で、他人事だが背を屈め詫びる姿が不憫にさえ映った。
さやかとさゆみは姉妹仲もよく、小さな悩み事でも互いによく相談しあっていたがヤンキー男とのつき合いに関しては全く知らなかった。さやかは誰に相談し頼ることもなく、恐らくはひたむきな恋を成就させた姉の強かさに心密かに敬服し同時に誰しも心の中に何人も入り込むことを許さない秘密の部屋を持っているのだ、と云うことを改めて知った。
安定期に入る前だったので親族での挙式のみで披露宴はなかった。
そんなこんなが何とか落ち着いたのは、まことが生まれたことによる。
初孫の誕生は世間でも言うとおりやはり格別のものらしく双方の両親は夫婦の住むアパートに入れ替わり立ち代り、相好を崩して産着やおもちゃを土産に持ってはいそいそと顔を見に行った。
離婚の原因は男が傷害事件を起こし逮捕されたことによる。いきなり警察が来て逮捕された時男は情けない半べその顔で、出所してくるまで待っててくれ、と言ったが姉は、
「─ああ、あんたやっぱダメだったね。真面目になるから、更生するからって泣いて頼むから、しょうがない。結婚してやったけどあかんわ。喧嘩だぁ?え?子どもがおるくせにくだらん事件起こして。恥かくのはわたしら家族でしょうが。もうあんたの苗字は名乗らん。とにかくもう帰ってこんでいいわ」そう吐き捨てるように言い切るとその言葉通り離婚届を拘留中の警察署まで持って行き、その場で押印させた。だが、
「─お義父さんお義母さんには関係ありませんから。変わらず可愛がってあげてください」そう言って今でもまことを遊ばせに行かせたりしている。
長年共に暮らし育ったさやかも知らなかったことだが姉は学生の頃から切れると何をしでかすか分からない一面があり、ヤンキーたちの間では有名だったらしい。男はそのことを十分承知していたのだろう。以来、出所してからも一切さゆみに連絡もしてこないのだと聞かされていた。

「─なあ、まこぉ。ならママはどこに─」そう言いかけさやかは言葉を切った。
まことは背を向けたまましゃくり上げ小さな肩を震わせていた。
「─どしたん?ん?」緩慢な動作でベッドから降りて近寄り震えるその肩に触れるとまことは今度は声を上げて泣き出した。
「─なんだよ、いつまでも泣きんべえだなぁ。ママにも言われてるだろ?男はやたらと泣くなって。ホントにどうしたんだよ?─訳を話せって」頭を撫でながら慰める様に優しい口調で言うと、しゃくり上げながらやっとさやかを向き、
「─ママ、は、─いま、たたかって、─る」訥々とそう言った。
「─え?闘ってる、って?」思わずそう聞き返すと、
「─わるい、やつ、─が、きて、─たた、かうん、だって─だか、ら、─さやんとこ、にいってろって─」真っ赤な目を右手の甲でこすりながらそう繰り返した。
意味不明で、さやかは首を傾げるとテーブルの上からスマホを取り姉に向け発信した。留守電のメッセージが応答しかけた時、
「─あ、ごめんごめん。今ちょっと取り込み中でさ」さゆみの声が聞こえた。
「─え?─何してんの今?まこが傍で泣きながら、さゆ姉は闘ってるって─」そう言いかけた時ドタンバタン、と何やら激しい音がして、
『─おら、何してんだよッ、姿勢崩すんじゃねえよッ、─ようし!そのままだぞッ、土下座だ土下座ッ』確かに姉のドスの利いたくぐもった声が聞こえてき、何故か同時に通話が切れた。
掛けなおしたが今度は直ぐに留守電になってしまった。少しの間呆然とスマホを見つめていたが、ただならぬ予感にさやかは急いで服を着替え始めた。
「─さや、どうしたの?」心配そうにまことが見上げた。
「─うん。まこの言うとおりママは何だか闘ってるみたいだ。さやはちょっと見てくるからお前はここで待ってろ」そう言うと、
「やだ、おれも行くッ」まことはそう言うと、持ってきた自分のリュックをガサガサ漁りだした。
「─なら早くしろ。あたしは駐車場から車回してくるから。支度したらすぐに降りてこいよ」慌しく靴下を履きながらそう言いつけた。
車を回してきてアパートの階下で待つまことを見て、思わず絶句した。
何をどう考えたのか、まことは侍の格好をしていた。パーティグッズで見るちょんまげのかつらを被りジーパンのベルトを通す穴におもちゃの脇差をさし黄色いビニールの鞘に入った長刀を手にぶら下げ、気をつけの姿勢をして立っていた。何を真似ているのか眉を顰めた真剣そのものの表情に思わず吹き出しそうになるのを我慢しながら助手席に座らせた後、
「─何事でござる?その格好は」やっとそう訊いてみた。クックッ、と湧き上がる笑いたい衝動を抑えるのが大変だった。
「─わるいやつを、せいばいする」まことは真剣な顔を崩さずにそう言うと口元を真一文字に結んで、キッと前を見つめた。
「ははぁん、─」口の中でそう呟き、つい最近まことがケーブルテレビで「三匹の侍」と云うモノクロの古い番組を見てから時代劇に夢中になっている、と言っていた姉の言葉を思い出した。
「─その方、腕はたつのか?」笑いを堪えてさやかが訊いた。
「うむ。めったなことでは負けん」まことが応えた。役者の台詞を丸暗記しているのが意外で余計おかしかった。
「─誰を成敗するのじゃ」再び問うと、
「─ははうえを、だいじなははうえをいじめるやつらじゃ」真っ直ぐ前を見たまま、そう応えた。見るとその目には涙が今にも溢れんばかりに揺れていた。結んだ口元はへの字に曲がり、今にも泣き出しそうに見えた。さやかから笑いたい気持ちが消えた。
物心ついた時から泣き虫で子猫を見ては怯え、仔犬に吠えられては飛び上がりしがみついて来、夏には蟻が行列を作る道も怖がって通れなかった。秋の公園で落ち葉の下にいる虫を見つけ歩けなくなり、幼稚園の時は登園の時いつも誰かと手をつないでいないと泣いていた。お弁当を残しては泣き、おしっこを漏らして泣き、誰かにいじめられては勝手に園を脱走したりもしたと云う。小学校にあげっても泣き虫は治らず、おねしょの癖も中々治らない。「泣きんべえ」と名づけたのはさやかだ。その泣きんべえが今、自ら母親の窮地に立ち向かおうとしている。
「─拙者、助太刀いたす」さやかが言うと、
「かたじけない」まことはそう言うともう一度ギュッと唇を結び、頬を真っ赤に染め大きくうなずいた。

 アパートに着き姉の住む二階に上がると、まことはおもちゃの長刀を抜き出し慄いた顔つきでさやかの後に従った。さやかも車に備え付けのスパナを手にしていた。
「─声を立てるなよ」後ろを振り向いてそう言うと、まことは股間を押さえもじもじして頷いた。
泣きんべえでもあったがよくお漏らしもする。笑いすぎては股間を濡らし、何かに怯えては小便を漏らす癖があった。
「─漏らすなよ、我慢じゃぞ」さやかが声を顰めた。
ドアのノブにそっと手を掛け様子を窺うと、中からは物音一つ聞こえてこない。シンとしていた。
チャイムを鳴らそうとしたが止め、トントン、とドアをノックした。コトン、と中で音がした気がしたが返事はなかった。
「─さゆ姉」そう言ってノブを回すと施錠はされてなく簡単にドアが開いた。二人が靴を脱ぎ足音を忍ばせて中に入ると突然、ドタン、ガタン、ジャーッ!と激しい音がして思わずビクン、と小さく飛び上がり同時に振り返るとまことは既に裸足で玄関の外に飛び出していた。
「─あ、─何?来たの」バタン、と大きな音がして開いたのはトイレで、スカートを半分捲り上げながらさゆみが笑顔で出てきた。
「─何?何はこっちの台詞だよ。一体何やってんのよ?」まだドキドキと鼓動を耳の奥に聞きながら、そう言った。
「─あ、ああ。今ね、ちょっと取り込んでんのよ」そう言ってリビングにしている奥の部屋をクイっと首で示した。見ると格子状のデザインガラスのはめ込まれた戸の向こう側に人影が見えた。
「─あれ、まこは?」さゆみが言うと、まことはそっとドアの隙間からちょんまげの頭を覗かせた。姉はプッと吹き出すと、
「─なあに?どうしたまたお侍さんか?─あ、そうだ。こっちおいで、まこ」と我が子を手招いた。
さやかも一緒に促されリビングに入るとそこにはニッカボッカを履いた職人風の坊主頭の男が床に正座していた。男は入ってきたさやかを首だけ回して振り返ると、ニッと笑い頭を下げた。どこかで見覚えのある顔だと思い頭を下げかけた次の瞬間、
「─何、にやついてやがんだよッ─」怒声と共に一閃、姉の渾身の回し蹴りが男の坊主頭に炸裂した。ゴッ、と鈍い音がして男が前のめりに倒れ床に顔面を強打した。
「─な、何してんだよ、さゆ姉ッ、この人死んじゃうよッ─」びっくりしてそう言うと、
「ヘッ、平気だよ全然、面の皮だけは厚いんだから」姉はそう応えへらへら笑うと今度は上げかけた男の後頭部を素足で踏みつけた。そしておもむろに壁にかけられたリラックマの時計を見上げ、
「─さあてまだ時間はたっぷりあるんだからね。さあ、ちゃんと正座しなおしな」そう言いながらこちらを見て笑った。まことは母の暴力を初めて目の当たりにしたのだろう。瞬時にさやかの体の後ろに隠れプルプル震えていた。
─ああ、これか。これが姉の知られざる一面なのか─。テレビで見る恫喝の場面を切り取ったようなシーンに半ば痺れる思いでさやかはそう自答した。
「─分かっとるわ。正座十二時間じゃろ」男はそう応えるとのろのろと姿勢を整え再び正座した。何の罰なのか男は十二時間の正座を強要されているらしい。よく見るとその目の下には紅いアザがあり顔のあちこちが腫れ上がっているようだった。猿によく似てるな、そう思った瞬間不意にさやかの記憶が男と重なった。
「─あ、もしかしてキヨ、シさん?」思わずその名を言うと男はもう一度さやかを振り返り、
「おひさッ」と笑い、陽気に左手を挙げた。
男は件のさゆみの元夫だった。
「─よりを戻してえんだとよ」姉は吐き捨てるようにそう言うと妹を振り返った。
「─ったくよ、何年も連絡してもこねえくせによ」元夫をキッと見下ろしてさゆみが言うと、
「─ち、ちょっと、何を?連絡してたでしょ?別荘出てからずっと何べんも何べんもぉ、─取り合うてくれんかったんはあんたの方でしょうがぁ」キヨシは泣きそうに反論した。
「─何ぃ?あんただぁ?」さゆみが言葉尻を窘めると、
「─すんません、さゆみさん」キヨシはそう言い肩をすぼめた。
「─ねえ、だぁれ?このひと?」まことがさやかの後ろから怯えた顔を覗かせた。
「え?まことも来とんのか?まこと、どんだけ会いたかったか、わしじゃお前の─」
「ざけんなよッお前ッ、」言い掛けたキヨシの言葉を遮ってさゆみが一喝し、
「何だ?父親を名乗る資格があんのか、あ?お前に、あ?」腰を落とし元夫に真顔を近づけ声を顰めてそう迫った。
「─ママ」恐る恐るまことが声を掛けると、
「─あ、そうだ。まこ、こっちにおいで?」俄かに母親の顔を戻してさゆみが手招いた。そして元夫の前に座るよう促すと再び元夫に向き合い、
「─いいか?余分なこと言うんじゃねえぞ。あたしはどのみちお前なんかを許す気なんてないんだから。まこがお前のこと誰だか分からなかったら、全て諦めろ。本当に縁がなかったんだと思え。金輪際、一切連絡もしてくるなよ」そう吐き捨てた。
「─なら、もしまことがわしのこと分かっとったら、どうすんじゃ」キヨシがそう返すと、
「─ふん。あるわけねえじゃねえか、そんなこと。よし、万が一、お前のことを分かったらあたしも考え直してやるよ」」声を落としそう言い次いで我が子を振り返り、
「─あのね、まこ。この人ね、とっても悪い人なんだ。昔ママとまこにとっても意地悪なことした悪い人なの。でもね謝りに来たんだって。どうしても許して欲しいんだって。それでね、もしまこがこの人のこと誰だか分かったらママもこの人のこと許してもいいかな、って。まこ、この人誰だか分かる?」さゆみはニヤついて元夫を見た。
まことが生まれて間もなく逮捕され勾留されたのだ。出所してからもしつこく何度も復縁を迫られたがきっぱり断り続け、一度も会わせた事などない。当然まことには元夫が誰かなど分かるはずもない。そう確信していた。
昨晩、どこでどう調べたのか変えたばかりのさゆみの携帯に連絡してきた。これで最後にするから、どうしても話だけでも聞いて欲しい。またそう言ってきた。もう何年もしつこく連絡して来、実際辟易していた。
どんな話をされどう懇願されようとも男を許すつもりなど毛頭なかった。だが実際に会ってしまえばもしかしたら情にぼだされ流されてしまうかも知れない。
心のどこかでまだこれからをやり直せるかも知れない。と云う未練にも似た気持ちを引きずっている自分も自覚していた。
執拗に最後にすると言うその言葉に、しようがないか本当に一度だけ、と云う気持ちで話だけ聞いてやるつもりで家に招き入れてやったのだ。
男はさゆみに向き合った途端、土下座して今までを詫びた。真面目になり今は土木関係の仕事に就きじきに独立する算段もついたから、と丸めた頭を床につけ改めて復縁の願いを口にした。
その時正直さゆみは元夫の改心を垣間見た気がし一瞬心が揺らいだが、そんなこと位で直ぐに積年の恨み辛みを許す訳にはいかない、と思い直した。
何かあればパッと噂の広がる片田舎の地元で事件は面白おかしく隅々まで伝わりその後の長い年月自分たち親子、両親や親戚一同は間違いなく嘲笑の的にされてきた。本当にどれだけ肩身の狭い思いで暮らしてきたか─。
「─どう、まこ。この人誰だか分かる?」思い知らせてやる。わが子も存ぜぬ、お前は浦島太郎だと思い知らせてやる。さゆみはそんな想いで答えを促した。
「─どう?知らないよねえ、こんな人」じっと男を見つめるわが子に、せせら笑いながらさゆみがもう一度問うた。
元夫がギュッ、と目をつぶった。次の瞬間、
「─パパ」間を置かずまことははっきり答えた。一瞬時が止まったようだった。
男が首を回しゆっくりとまことを振り返った。さゆみが呆然とわが子を見つめた。しばらくの間の後、
「─え?」目を丸くしてさゆみが聞き返すと、
「このひと、パパ」まことはキヨシを指さしそう繰り返した。
「─ま、まことぉ、」潤んだ声でキヨシが言いその指先を我が子に伸ばした瞬間、
「イヤッ、ダメえッ、─」さゆみが叫びバシッ、と払った。
「─まこ、どうしてぇ?」さゆみがまことを振り返ると、
「─ママがいっぱいもってる。パパがうつってるしゃしん。赤ちゃんのボクとうつってるしゃしん、いっぱい。ね、ママもときどきみてるよね?こないだもおさけのんでから、パパのしゃしんみて、ないてたよね?」まことはそう言うとちょんまげの頭を上げ円らな瞳で、唖然と自分を見下ろす母を見上げた。



          了

日曜日のお侍

日曜日のお侍

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-29

Copyrighted
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