記憶の鍋


僕は今25歳だ。まだ25歳なのか、もう25歳なのか。人によって変わるだろうけど、僕はまず、自分が歳を重ねている実感すら持てていない。大体、僕の脳みそは時系列に沿って記憶を整理する機能を持ち合わせていない様だし、過去の記憶も妄想もごった煮になっている。この鍋の中では、死んだ母親の上でミシェルフーコーが小難しく講義をしているし、数年前に別れた彼女が喘ぐ横でビートルズがオブラディオブラダを歌う。そこでは生と死も猥雑さと聖なる物も、全て一緒くたになっている。

鍋は底抜けに大きくて、果てしなく深い。僕はいつもその中で小さなアウトリガーカヌーに乗って、プカプカと浮かんでいる。鍋と言ったが、底抜けに大きいため僕はまだ縁を見た事が無い。アクを取るためのオタマや、記憶の火の通り具合を確かめるための菜箸も見た事が無いし、そもそもグツグツと煮え立っていない。鍋じゃ無いのかも知れない。それはもしかしたら、何かしらの液体でできた無重力に浮かぶ球体で、僕はその上をぐるぐると回っているだけなのかも知れない。

僕はカヌーの上から釣りをする。釣具には興味が無いから、なんと無くぼんやりとした感じの長い竿に、ただひたすらに細い糸が結んである。糸の先には釣り針がついてて、重りもなけりゃ浮きもない。魚はいないから餌もない。悲しい事があると、僕は直ぐに釣り針を水に投げ込む、大抵の場合すぐさま反応がある。釣り竿は大きくしなり、腕にずっしりとした重みと、慌てて逃げようともがく記憶の抵抗を感じる。釣り上がるものは様々で、ゴム長靴だったりワカメだったり、マネキンの下半分や、嫌いな上司だったり。稀にそんなガラクタが永遠と繋がって絡み合った状態で釣り上がる時もあり、そんな時はうんざりとした気分でそれを引き上げ続けなければならない。引き上げ終わると、僕はそれを手にとってまじまじと眺める。上から見たり中を覗き込んだり、バラバラにしてみたり磨いてみたり。奇声を発してるヤツとか、ブツブツと陰気に世界を呪うヤツもたまにいるが、そういうヤツは見つけ次第ハンマーで粉々にする事にしている。そうやってひとしきり眺めて満足すると、記憶はその役目を終えて鍋の中へと還っていく。手の中でぐにゃぐにゃと形を変え始め、次第にひとつながりの文字列になる。そっと水面に浮かべるとしばらくは浮かんでいるが、15秒ほど経つと溶けたバターみたいになって、ゆるやかに広がりながら最後は跡形もなく消える。

楽しい事があった時は、僕は釣りをしない。その記憶を空に映して、カヌーに寝転んで何度も繰り返し眺める。繰り返すうちに内容が変わっていき、最後には全く違う内容になってしまう。そうなるともう、最初の記憶は思い出せない。更に放っておくと、形を変えて大きな雲になる。僕はそれを見ると、足元に置いてあったビーチパラソルを広げ、カヌーの上に立てる。七色の派手な配色のやつを。やがて雨が降り始め、水面を激しく叩く。僕はその音をじっと聴きながら、雨が止むのを待つ。次第に音が途切れがちになり、やがて完全に止む。空は鮮やかさを取り戻して、水面は歩けそうなほどに平らで、ぴんと張り詰めている。雲は全て雨に変わり、鍋の中へ溶けていった。本当は、きっと僕が釣り糸を垂らすまでは、ゴム長靴もワカメも存在しない様な気がしてる。そして底抜けに大きくて果てしなく深いこの鍋は、実は宇宙ってやつではないかと僕は踏んでいるのだ。

記憶の鍋

記憶の鍋

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-28

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