ちかう
もうたべませんと、ケモノはいった。世界のはんぶんは黄色い羽蟻に埋め尽くされていた。
羽蟻は何匹つぶしても、何十匹に水をぶっかけても、何百匹に殺虫剤を噴射しても、何千匹を燃やしても、どこからともなく何万匹と現れるのだった。たくさんの羽蟻が死んで、でも、羽蟻はどんどん陣地を拡げていった。家も、学校も、市役所も、ビルも、橋も、線路も、墓地も、空き地も、林も、森も、海も、川も、偉人の銅像も、公園の遊具も、遊園地のアトラクションも、動物園の檻も、みんなみんな黄色い羽蟻に埋め尽くされた町の人間は、静かにいなくなった。どこかへ移動したのかも、死んだのかも、わからなかった。行方不明者は、日に日に増えてゆく。
もうたべませんと、ケモノは泣いた。
ケモノはこどもだった。ぼくよりもからだは大きいが、ぼくよりも十三年あとに生まれた。こどものケモノはさいきん、小動物をたべるのだった。ねずみを、りすを、うさぎを、たべるのだった。ねこには、あまり興味がなさそうだったが、このあいだ、だれかの家のねこを襲って、たべたのだった。
生きるために。
人間が豚の肉を、牛の肉を、鶏の肉を、当たり前のようにたべるのと、おなじことである。しかし、ケモノのそれは、人間からみるとすこしちがう。ひどい。残虐。かわいそう。ケモノは、人間の年齢で数えるならば、四歳のこどもだ。
世界の行方不明者が増えている、ということは、黄色い羽蟻が増えている、ということで、いずれこの星は黄色い羽蟻に支配され、人間はいなくなる運命である、と言い切っても何らおおげさなことではない。羽蟻は、かわいいか、かわいくないかでいえば、かわいくはない。一匹、一匹をまじまじ観察したところで、所詮は蟻である。羽がはえただけの、黄色い蟻だ。
ケモノのこどもは、ぼくのあしにすがりつき、もうしません、もうたべません、と泣きつづけた。ここもあと何年かすれば、テレビで観たどこかの遠い国のように、一瞬で黄色に変わる日がくるのかもしれないと思った。ケモノのこどもは、こどもで、四歳だが、ひとりで棲んでいる。
ひとりでごはんをたべている。
ひとりでおふろにはいっている。
ひとりでねむっている。
ちかう