夢現(ゆめうつつ)


布団の中で大事に育ててきた温もりは,掛け布団を捲った途端に奪われて,寝間着のトレーナーを脱いだら最後。鳥肌の二の腕を必死に動かして,クローゼットの中から取り出したセーターの袖の先に手を出し,続けて首を出し,静電気がパチパチ。それも御構いなしに,履き慣らしたジーパンに助けを求めたけど,ハンガーに掛けていた時間は,タイマーを切った暖房の恩恵を忘れて,ただ冷たい。履きっぱなしの靴下だけが頼りになって,トイレ,それから洗面所,軽く顔を洗って,口をゆすいで,そこにいる,髪の毛が立った自分と出会う。静電気だ。水滴で散らす。
冷蔵庫から取り出した牛乳をコップで飲んで,蛇口から流れる水で一度濯いだら,今度は水道水を飲んだ。空きっ腹がタプタプして,口を拭った。持っている中で,一番古くて,ボロっちい厚手のコートを抱え,台所で着用する。鍵とスマホは先に玄関の所に置いて,待たせているから,あとはみんなを起こさないようにそっと歩いて,日頃使いするために出しっ放しにしているヤツに足を突っ込む。ドキドキする指と紐を結んで,内鍵を外して,施錠を回した。ノブを捻って,ドアを開ければ,暗い朝の晴天と,寒気と廊下。白い息を吐いて,ロックを外した自転車を押しながら,エレベーターの階数が一番下になっていることに,今日もがっかりする。マイ自転車を壁に向かって傾かせて,手を擦る。頬っぺたをさする。足を動かす,背中を反らせる。下ボタンを押していることを察知して,こんな上の階にまで迎えに来てくれた箱に乗って,下に向かう。こもった匂いに,あるかもしれない暖気を感じようとした。むあっとした欠伸を浮かばせて,自動扉の向こうの各階を通り過ぎた。人が現れない景色。今日こそは成功しているって,期待できる最高の予感。


私はノート派。書くものは自由。今日は鉛筆を使っている。でも消す気は無いから,気に入らない箇所に二重線。あとに続けて,次々と書く。言葉が落ち着くのを待っているんだ。窓を開けて待っているんだ。
と,記してから四時間は経った。その後のフレーズが浮かばない。浮かんでも,気に入らない。気分転換に,と思って,音楽を聴いた。動画を流した。感銘を受けた本を開いてみたし,読んだ時の感動を思い起こそうとして,その時に座った位置から,寝転んだ角度まで再現した。そして入るスイッチ。シュルレアリスムの自動筆記なみに,鉛筆の先が動いていって,辿り着けるところに辿り着ける。それを読み返している私。そう期待をして,締め切りまでの猶予を無駄にした。焦って,泣いて,泣いていじけて,それで今はここ。全身厚手のコーデに加えて,厚手の毛布をマントにする防寒対策を施した姿の私は,身も心も引き締めようと,『作業部屋』の窓を開けて,信号が点滅する通りの風景と一緒に,寒さを招き入れた。人も車も通らない道。屋根まで暗い,街の並び。新聞配達のカブの細かなブレーキとアクセルが,聞こえて来ない。今日はどの新聞も休刊日,とスマホで調べて,ベッドの上に放り投げる。温かい物が飲みたくなって,我慢する。前にも経験したから,もう分かっている。フレーズの,この詰まり方は,雰囲気でどうにかなるもんじゃないって。


昨日もすごく盛り上がった。見ているだけでも,また,積極的にそこに参加して,一言,二言だけ発言してみても,高揚感に満たされていって,興奮して手に汗をかいたし,お腹を抱えてゲラゲラ笑ったし,貼られたリンクに飛ばされて,そこで繰り広げられているものを楽しんだりした。やっぱりすごい。ここまで一体になれるなんて。ここで出来ないことなんてない。『世界』はどこまでも変えられる。やっぱり最高!最高だよ!
毎晩行われるその『実行行為』に参加した後は,興奮してすぐには眠れない。頭の真ん中が熱をもっていて,心臓がバクバク,胸の真ん中近くで跳ねていて,ベッドの上で寝返りを打つ。壁に足をぶつけることがあるから,また,反対方向に寝返りを打つ。頭の中でイメージしている。きっと同じものを見ていて(何も出来ないくせに),同じように,気になって仕方ないから(画面から離れなくて),きっと眠れない。楽しむことは,できているかな。悩んだり,しているのかな。正確には分からないけれど,でも,同じじゃないことなんて,ない!
足の指先までギュッとなって,明日が楽しみになる。最初の頃は特にそうだった。今も,そこは変わらないけれど,全く同じじゃなくなっている。確かめなきゃ気が済まなくなっている。だって,思った通りになってない。そして,思い通りになったことを,みんなに正しく伝えなきゃいけない。だから,布団から出たんだ。
到着した一階。エントランスを抜ける。自転車で走ることができる,アスファルトの平坦な道。他に起きている人がいなくて,また訪れる予感。昨日もすごく盛り上がった。だから今日は,思いっ切りペダルを踏み込める。シャカシャカさせて,走っていける。車が通らない坂道を,下って下って,駆け抜ける。


覚悟を決めて座り直し,また手を動かし始めて,さっそく不満を覚えて,諦めずに考え直して,イライラして,書き直して,読んでみて,また直して,最初からやり直して,途中で止まって,自問自答に押し込められて,諦めて,だから読み直して,書き直して,書き直して,書き出していく。いつまで経っても説明できないし,理解しきれない,その過程。同業の一人はそれを,生みの苦しみで刈り込んだから素敵な原っぱ,と的を微妙に外している,その人らしい表現で笑わせてくれたけど,案外,そこが終着点なのかもしれない。右往左往に行きつ戻りつ,刈り込んでいって,パタッと倒れ込んだところで見える頭上の景色が,高さに気付かせてくれる。動けないぐらいにクタクタだから,倒れ込んだまま,俯瞰の視点をフル稼働させて,全貌を把握するように努める。刈り込んだ後の正確な姿に近いところまで,無事に辿り着けたのなら,ぼんやりと浮かんでくる。見てみたいイメージ。書き込みたい先。あとは言葉と,格闘?個人的な実感としては,それはパズルに近い。そこに当てはめてみて,他のピースと繋げてみて,欠落があってもいいし,反対に,同じピースを,同じ場所に重ねていって,立体にしちゃってもいい。平面だけが,世界じゃないんだから。手に取って,眺めてみてね,でもいいんだよって。
プライベートな画面の日記にそう書く。ポインタが点滅して,続きを待つ。
ノートは傍に控えている。カーテンの裾が動いている。鉛筆はどこかに出かけている。雲がのこのこと現れてくる。その裏に隠れる輝き。透き通ってくる世界。ぼんやりと。
落書きみたいな出だしになる。


カーブを曲がる。そろそろ,目的地に向かえる道。ブレーキ,ブレーキ。


二連,三連と書いていって,寒くなって,窓を閉めた。何かの光が見えた気がして,眼下の通り,十字路などを探してみたけれど,何も見当たらず,レースを閉めて,カーテンを閉めて,『作業部屋』はオレンジの色に強調された。私はすぐに机に戻り,鉛筆立てから取り出したもう一本の鉛筆を走らせて,書いていく。締め切りは,午前中という名目の,九時までには確実にという約束だから,あと四時間。推敲の時間も含めれば,あと一時間が,言葉を練るのに使える時間,ピースの形を自由に作れる時間。
ウサギは,すり鉢に薬草を乗せて,匂いを嗅いで,遊んでいる。
人間は,ウサギの後ろで,藁を編んで,お家を作ろうとしている。
衛星は,むず痒い表面に我慢できずにクシャミをして,波の形を残している。
きれい,きれいと囃し立てられる。太鼓に,拍子に,歌声。


道に入ってからは自転車を降りるのが決まりなのは,姿を見せるのが効果的だと考えるから。みんなそう言っているし,色んな想像だって掻き立てられるんだろうと思う。だからハンドルを掴んで,本体を押しつつ,タイヤを回す。そして密かに見上げる。暗い早朝を背景にすれば,ヤツの灯りは外に漏れるから,すぐに分かる。漏れていなければ,成功だ。念願の成功だ。反対に,外に灯りが漏れていれば,気持ちをすぐに切り替えて,わざとらしく振る舞って,通り過ぎてから,両足で地面を叩く。またか,またかよ!
いやいやと頭を振って,歩く速度も十分に落として,アスファルトの地面に,二つのタイヤの,溝を噛ませながら,今日は期待に胸を膨らませる。報告した後の,凱旋パレードのような,ううん,もっと落ち着いた,その道のプロフェッショナルが,カクテルグラスをぶつけるようなお祝いが,鳴らされるクラッカーとともにあちこちで起こるのを想像して,そして,そのきっかけを作った自分自身を誇らしげに思って,またあの興奮が戻ってくる。みんなの代表。その成否を確かめるんだ。灯りはきっとそこにない。ないんだ。


丸い模様を描く。楕円になって,見えているかも。あの遠い土地。すすきでこしょこしょ,イタズラを怒られて,お家に帰る。軽やかな十二単。


「ああっ。」
と見上げた結果。思い通りにならない世界なんて,どこにもないはずなのに。


続けて,そこにいるはずのないワタシ。膝を抱えている。体育座り?ううん,納得できない。二重線。もう一回,ワタシを描いて,いつもの格好で,スニーカーを履いたままで,徒歩のお散歩に出かける。六分の,一歩ずつ。
見上げれば,広がる黒と,青い世界。

十一
角を曲がって,地面を叩いた。そして叫んだ,打ち込んだ。
あーあ,冷めちゃった!

十二
そしてまた,ベッドの上。

夢現(ゆめうつつ)

夢現(ゆめうつつ)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted