生まれたての骸

   







   






   

   







  


隣の保護室の扉を

狂った誰かが  狂った音程で  殴り続ける  不規則な 継続



彼は

ちっぽけな  青い混濁したものになる



ここではだれも   救ってはくれない



彼が  彼であることを



いのち ギリギリのところで  支えているのは


ひとにぎりの  


ほんの魂


たしかに みつけた



それは いつか    気高く 夢見心地

それは やがて    ひからび 色褪せる



やせっぽち の  彼のいのち


ちいさな   彼の青い混濁の魂が 救ってやる



ここは  そんな  部屋


排便を流すだけの自由すら  彼のものではない  場所。


   







   







  
   






   


「近くに阪急線の長岡京駅からちょっといった先の、橋の上の、線路があるやろ、そこに飛び込みはったんやがな。開放病棟にあげてもろうた次の日だったらしいわ。まだ若かったみたいやったけどな」


「いつのことなん? どんなひとやったん?」


「15年ぐらいまえやもんな。どんな子やったろうな。顔だけ、覚えとる。目がきれいやったわ。まだ、あずない子やった」



   






   







  

   






   



幻聴の夢の中にいて笑みをこぼす人たちのるつぼ。疎外された、これほど優しい人たちが、みんな、だれかとだれかが、たとえ瞬間的なものであったとしても、紡ぎあった心どうしの中から生れ落ちた。

わたしもまた、かつては望まれて、生まれていたものだったことを知る。

仲間たち。

彼らだけに備わる使命は、彼らの人生の側から、おのずから働きかけられる。

人生からの声、20床のひしめきあうベッドの、一番格子窓に近い片隅から、聴く。


「朝、起きたらねえ、枕の上に、びっしり、すきまなく、アリがおるんですわ。もちろん幻覚ですよ。西園寺さん、わたし、一家心中しかけましてん。中一のときでしたわ。新しい病棟、もうすぐ建つでしょ、西園寺さんはまだ若いし、そっち移る。わたしは古いここの住民ですわ。あ、これ、坊主にしてもろた。ボランティアで若い美容師さん、来てはるでしょ。さっぱりさせてもらいました、ははははははははは」



精神病棟の夜は、ちぎれていくほどに、人恋しい。眠らない夜の仲間たちがビートルズの“Twist and Shout”を、騒々しく、繰り返し聴いている。なぜビートルズだったのか、わからない。それがずっと続いてきた彼らの人生。朝になって患者の一人が「よお、ジュリア」と声をかけたら、賄い婦の少女が「おはよう、レノン」と返す。20年以上毎晩聴いているのに、仲間たちが飽きることなんてない。

歌だけが、ここでは、棄民にさせられた彼らにとっての、解放の時間。

黒いツグミが飛び立つ、夜のしじま。



あまりにも、あまりにも、人生が強いる、過酷。家族と心中しようとした仲間、身寄りが彼を残して知らない街へ移住してしまった仲間、アル中、シャブ中、ペイ中、鉄道に飛び込んで終えた仲間。

時に人生は容赦なかった。



時間がいとおしい。限られた時間の中でどれだけの意味を、果たしうるのか。


岩倉病院から転院してきた、仙人のようなあごひげの澄んだ長さが尊くみえた仲間。チキンラーメンをおごってくれた夜。彼は毎晩そうして食べるものだから、しょっちゅう看護師から目をつけられている。

「ジョージ・ハリソンが一番好きなんやなあ」

「なんで?」

「かわいらしいように思うんや、ジョンやポールよりなあ・・・・・・・」




いままで様々なものを見つめ続けてきた。いま、見続けているものはどうだろう。見つめているという瞬間を自覚するとき、なぜこうして、ここまで、生きるに至ったのか、その意味の先端にふれるまで、あともう少し。




「躁のときはなあ、バシっと服も車もキメてなあ、ぶいぶいいわせとったもんなんやでえ。鬱に変わったら、なんもあかんわ。さっき女性病棟の女の子と話したけど、お互いしんどうて、すぐ帰ってきてしもたわあ。心配せんでええ。鬱病なるっていうことは、おまえ、それだけ、優しいんや。気にせんでええがな。ぼちぼちいけや。おれの楽しみはなあ、たまに外泊許可もろうたときに、預けた息子に会いに行くことや。嫁は出て行ったけどな、小学生の息子は、おるんよ。たまに会いにいったる。おうたら、料理作って、いっぱい、美味いもん、いっぱい食わせてやるんやがな。こうみえてもな、コックやっとったんやで、料理は今でも、誰にも負けへんでえ」




仲間たちは、きっとここで終わるだろう。


それでもなお、

噛ませ犬には決してならない。


この過酷の中で、きれいにもらえている、物語の、ほんのかけら。




父と面会した。

父が優しかった。

わたしは救われるのだろうか。



   






   







  

   






   


「詩の根本は、なんですか」



「目をそらさず、見続けることです」



「哲学のこころって、なんなのか」



「自分で死なないこと、終わらせないことだと思います」



「生きることって、本質があるんだろうか」



「自分を見定める。そういうことじゃないかな」



「死の意味って、なに」



「最後まで見届けた者への、祝福だと思う。きっと」



「魂は」



「永遠の命。そう信じてる」




あなたは、 わたしは。



あなたはわたし。わたしも、たぶん、あなた。わたしとあなたはひとしい。



朝焼けを待ち望んだ場所で、ひとしくこぼれおちて、やがて黄昏のいつかの日に人知れず朽ちる、二つの、いま生まれたての、骸。



あなたも、わたしも。


【観察室  夜  二人の患者  美化されたダイアローグ】




   







   






   

   







  

生まれたての骸

20代の頃の精神科入院歴をモチーフにした作品。

保護室・・・・・・自傷他害のおそれのある患者を一時的に拘禁する部屋。ほとんどの精神科病棟に備えられている。
観察室・・・・・・僕が入院した民間精神病棟では存在した。保護室に入るほどの症状ではないが危機的な状態にある患者が入室する。ナースルームの隣にあり看護師から窓ガラス越しに見える仕組みだった。

作者ツイッター https://twitter.com/2_vich

生まれたての骸

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-23

Copyrighted
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