五年目の冬

 冬の朝だというのに、目が覚めると服が寝汗でじっとり湿っていた。おまけに、喉も少し痛い。
「あっつ……」
 身体にまとわりつく羽毛布団を足で蹴りながら天井を見ると、部屋に備え付けられたエアコンが元気よく部屋を暖めていた。ぼくは、喉が弱い。寝る前には必ず暖房を切るようにしている。こんな非道をするのは、つむぎ――ぼくの恋人おいて他にいない。
 六畳1K、家賃五万のぼくの部屋――その中央部、液晶テレビの置かれた辺りを見ると、案の定、つむぎがカチャカチャと音を立ててゲームに興じていた。つむぎは上下ジャージに、オーバーサイズなクリーム色のフリースを着ていて、全く寒そうには思えない。こんなに暖房を強くしなくてもいいのに。
 布団から携帯電話に手を伸ばして時間を確かめると、まだ時刻は六時二十五分――アラームの鳴る五分前だった。つむぎがこんな時間に起きられるはずがないから、恐らく、徹夜でゲームをやっていたのだろう。暇人め。
 恨めしく思いながら、鳴り始める前にアラームを切った。学生時代、目覚ましがないと起きられなかったのが懐かしい。会社に勤め始めてからは、アラームのお世話になることも少なくなり、夜も早くなった。とてもじゃないが、つむぎのような夜更かしは無理だ。
 布団から起き上がり伸びをひとつして、つむぎの隣に腰かけた。つむぎはちらりと一瞬こちらを見てから、イヤホンを片耳だけ外す。
「おはようさん」
 視線を画面に向けたまま、つむぎが言った。
「おはよう」
 ぼくもつむぎを見ないまま、適当にあいさつを返す。それから二人して、ぼんやりと黙り込んだ。外から聞こえる雀のさえずりと、コントローラーのカチャカチャという音だけが部屋に響く。つむぎといる時のこういう沈黙が、ぼくは心地よくて好きだ。
 画面を見ると、つむぎがプレイしているのは以前立ち寄ったゲームショップでなんとなく購入した、ワゴンセールの中古ゲームソフトだった。テレビ局のカメラマンになって、美人リポーターと一緒に怪奇現象を撮影しようというホラーゲームなのだが、想像を絶する操作性の悪さが原因で、ぼくは一度プレイしてそれきりになっていた。正直、徹夜でできるようなゲームじゃない。
「徹夜でクソゲーとは、暇人は違うね」
「はー? 」
 ぼくが皮肉を言ってやると、つむぎは両耳からイヤホンを外して、ジャックをテレビから抜いた。途端に、テレビから間の抜けたBGMが流れ始める。
「クソゲーちゃうんやけど? クソゲーなんてやったことないんやけど?」
つむぎはこちらを向いて、そう言った。笑いを浮かべているが、思い切り引きつっている。そんなにクソゲーに時間を費やしたことを認めたくなかったのだろうか。
 再び画面に目を向けると、ちょうどよくわからない造形の怪物が、リポーターに忍び寄っているところだった。
「あっ、おい、敵が――」
「おっ?」
 振り向いたときには遅かった。「きゃー」というチープな悲鳴が響き、画面が暗転する。液晶に「GAME OVER」の文字が、白々しく浮かび上がった。
「――いたん、だけどな」
 つむぎの握るコントローラーが、みしりと音を立てた。
「クソゲーがぁ…」
 つむぎが、ドスの聞いた低い声でぼそりと呟く。やめればいいのにと言ったら、多分、文句を言われるのだろう。というか、ぼくのコントローラーなんだから、もう少し丁寧に扱ってほしい。純正だから高いんだぞ、それ。
 ひとまずコントローラーは置いておいて、布団を畳もうと立ち上がったぼくを、つむぎが服の裾を引っ張って押しとどめた。
「布団はそのままでええよ?」
 ぼくは掛け布団を手に持ったまま、部屋の隅に積まれたつむぎの布団を見る。あんまりにもつむぎが泊まることが多いので買っておいたのだが、使っているところをほとんど見たことがない。大抵ぼくと同衾するか、ひとりでぼくの布団を使うかだ。
「そろそろ自分の布団使えよ」
 別に、ぼくの布団を使ってもそれはそれで構わないのだが、折角買ったものが無駄になるのは、なんだか悲しいものがある。
「ええやん、別に。かわいい彼女が自分の布団を使ってるんやで? 彼氏的にはうれしいやろ?」
 つむぎはコンテニューの選択肢を押しながら、言った。再開したポイントは、随分と序盤の部分だった。徹夜でやっていたにしては、全然進んでいない。
 つむぎが自分の布団を使ってくれるのは、確かにうれしいと言えばうれしい。具体的には、シーツを替える手間が減ったこととかが。
「というか、そのフリースもぼくのだろ。返せ、この!」
「ひゃっ! ちょ、ちょっと、なにすんねん」
 フリースをつかんで脱がせようとすると、つむぎがコントローラーを手放し、裾を掴んで抵抗を始めた。液晶の中では、導き手を失った美人リポーターが再び怪物に襲われ、「きゃー」と悲鳴を上げている。
「いや、ほら、あれあれ。こう、恋人の匂いに包まれるーみたいな幸せを噛み締めてるんやって! いやあ、かわいい彼女やなー!」
「買ってから一度も袖通してないんだよ! というかさっきから思ってたけど、かわいいとか自分で言うな!」
「でも、かわいいやろ?」
 つむぎは自分で自分を指さして、必死にそう言った。
 むう。ぼくは一旦つむぎから手を離して、つむぎをじっくり観察することにする。
「いや、そない黙り込まれてもな…」
 つむぎの抗議を黙殺し、ぼくは観察を続ける。
 確かに、つむぎはかわいい。恋人という贔屓目もあるかもしれないが、もう五年目だ。贔屓目だって覚めかけている。それでもやはり、つむぎはかわいいと断言できる。ほっそりした小柄な体躯に、人形みたいに整った顔――決して整っているとは言い難いぼくの容姿も手伝って、 きちんとおめかししている時は一緒に歩くのが少し恥ずかしくなることもあった。
 ただ、今日、というか、ぼくの部屋にいるときのつむぎは別だ。顔色は悪いし、髪はぼさぼさ、化粧なんかもちろんしていない。服なんて上下ジャージで、その上から洒落っ気もなにもない、ぼくのフリースを着込んでいる。
 ぼくは結論を口にした。
「かわいいというより、野暮ったいな」
「は? 殺すぞ?」
「いやー、つむぎさんはかわいいなぁ」
 思わぬ剣幕に、即座に掌返しをしてしまった。やむを得ない。相手が白と言ったら白旗を揚げる、それが社会人基礎力というものだ。
「分かればええんや」
 つむぎはふんと鼻を鳴らして裾を直すと、コントローラーを拾い直し、またゲームへと戻った。正体不明の迫力に押されてしまっていたが、よく考えたら、かわいいかどうかとフリースの所有権は全く関係がない。ぼくのヒートテックフリース(4,980円だった)、諦めてたまるか。
「なあ、ぼくのフリース――」
「は?」
 社会人基礎力だ。ぼくはフリースを奪還する計画を断念すると、朝食を用意すべくいそいそと立ち上がった。
 キッチンの冷蔵庫を開くと、昨日作り置きした惣菜がなくなっている。おまけに、お茶のボトルも空っぽだった。つむぎめ、なくなったら作っておくと約束したのに。
 ぼくは茶碗に米を盛ると、ケトルで湯を沸かし、インスタントの味噌汁を汁椀に作った。おかずはない。飲み物もお茶がないので水道水だ。今日の朝食は、米一膳にみそ汁一杯、それに水道水――なんとも侘しい。修行僧だって、もう少しマシなんじゃないか?
 質素すぎる朝食をお盆に乗せて、テーブルに運ぶ。つむぎの分は、ない。冷蔵庫の中があの様子だから、もうたっぷり食べた後だろう。
「いただきます」
 ぼくが食べ始めると、つむぎはゲームを中断してテーブルの対面に座った。そのまま、ぼくの朝食をぼけっと見つめ始める。ひょっとして、ぼくの食べているところを見つめ、なにかこう、恋人が食べてるところを見てると幸せを感じる……といったいかにもなやり取りでも始めるつもりなのだろうか。5年も付き合って、初めてだな感慨に浸っていると、つむぎがだしぬけにみそ汁の椀を手に取った。かと思うと、ずずず、と音を立ててぼくのみそ汁を啜り始める。
「おおいっ!」
「うーん、うまい。やっぱり朝はみそ汁やな」
 つむぎが満足げな顔で、汁椀を置いた。あわてて取り返すと、中身がほとんど無くなっている。
「ただでさえおかずがないのに……」
 これで朝食は米一膳と水道水だけになってしまった。明らかに修行僧より酷い。これが恋人にする仕打ちだろうか。ぼくは泣きたくなるのを堪えて、残ったワカメをもぐもぐ食べた。寝汗をかいたせいか、安っぽい塩味のワカメが、やけに胸に沁みる。ぼくは思わずため息をついた。
「うん、うまい」
「……しょっぱ」
 通っぽく目を細めていると、つむぎに思い切りせせら笑われた。誰のせいだ、誰の。
 結局、ぼくの朝食は早々に終わった。別に普段から朝食をがっつり食べる方じゃないが、流石に全然物足りない。ぼくの朝食を一品減らした張本人はというと、すでにテーブルを離れてゲームに戻っていた。実際、分かってはいた。今更そんな甘ったるいやり取り、あるわけないのだ。でも、期待くらいしたっていいじゃないか。一度でいいから、彼女の手料理を食べてみたい。
「なあ、朝起きたらご飯が用意してくれてる恋人とか、素敵だと思わないか」
「えー? なに? 用意してくれんの? ほなら、和食がええな。ご飯に焼き魚にみそ汁に、おしんこも付けたやつ」
「……善処します」
 食器を下げながら、ぼくは泣いた。

「っていうか、やっぱ今日も仕事なん?」
 いつものように顔を洗って髭を剃り、スーツに着替え始めたところで、つむぎにそう聞かれた。
 ネクタイを結びながら、壁に掛かったチワワのカレンダーをちらりと見る。今日の日付は十二月二十四日――土曜日を示す青いフォントの下には、小さく「赤口/クリスマスイブ」とだけ印字されていた。書き込み欄の白さと、あざといまでのチワワの上目づかいのコントラストが、なんとも寒々しい。
「ああ、そうだよ。土曜だしな」
 ぼくの会社は週休二日制だから、土曜日は大抵出勤だ。有給申請もできないではないが、一年目の新人が先輩社員を差し置いてクリスマス有休というのは、流石に気が引ける。
 つむぎは肩をすくめると、やれやれという調子で笑った。
「イブに仕事とは、社会人も大変やなあ」
「まあ、うちはまだ良い方じゃないか?」
 むしろ、昨今横行するブラック企業のことを思えば、日曜日――十二月二十五日と、続く月曜が休日になっていることに感謝すべきだろう。予定が合いそうにないことが早めに分かっていれば、やりようはいくらでもある。実際、今年は一日遅れでクリスマスイベントを楽しむことになっていた。適当だと思わなくもないが、ぼくもつむぎも、五年も付き合えばその辺は流石に柔軟になってくる。
「というか、つむぎ、今日は講義じゃないのか」
 確か、つむぎはつむぎで、昼から補講があるとか言っていたはずだ。
 相変わらずだらだらとゲームをしていたつむぎは、痛いところを突かれたというようにぎくりとした。
 ぼくとつむぎは、元々同級生だった。一年生のときに付き合い始めてから五年経って、ぼくはとうに就職して社会人になっていたが、つむぎはいまだに大学生だ。その原因は、おおむね今朝のような自堕落な生活にある。
「あー…講義なー……講義はー……ないっ!」
 しどろもどろになった後、つむぎはゲームの電源ボタンを押しながら、威勢よく断言した。
「昼から一限だけ補講とか、やってられんわ。これまでの講義でぼちぼち出席しとるし、まあ大丈夫大丈夫」
「先週もそう言って休んでたな」
 ただし、先週は理由の部分が「しっかり出席しとるし」だったが。
「ははは」
 つむぎは白々しく笑うと、隅に敷いたぼくの布団へ滑り込んだ。こいつ、逃げやがった。
「おい、起きろ。一限だけなら行った後で寝ればいいだろ。起きろって」
 頭から布団をかぶったつむぎを、ゆさゆさ揺する。正直、これ以上つむぎがダブるのはぼくとしてもマズい。彼氏として、彼女が家に入り浸って留年というのは、あまりにも体面が悪すぎる。
 ぼくの努力もむなしく、つむぎは頑として布団から出てこない。どころか、布団を巻き込んで丸まり始めた。
「あー、聞こえんなー。きっと寝不足のせいや、うん。そないなわけで、おやすみ」
 布団越しにそう言ったきり、つむぎが黙り込む。ぼくは、ああ、こうして大学生は留年していくんだなと、なんとなく悲しい気分になった。
 時計を見ると、つむぎとじゃれすぎたのか余裕のある時間でもなくなっていた。やむをえない。ぼくはつむぎを見捨てて、身支度に取り掛かった。ネクタイの結び目を決め、ジャケットを羽織る。その上にコートを着込んで、最終確認――財布もある、定期もある、スマートフォンの電池は100%。完璧だ。
 ぼくは暖房を消して、通勤鞄を手に持った。カメみたいに布団に丸まったつむぎに、声をかける。
「じゃ、行ってくるからな」
 つむぎの返事はない。代わりに、布団から白い手がにょきっと生えて、こちらに軽く手を振った。

「うおおっ、さむっ……」
 マンションの廊下に出たぼくは、想像していた以上の冷え込みに思わず体を震わせた。その拍子に立ち上った白い息も、師走の寒風で無残に散らさせていく。このあたりで、こんなに冷える日は珍しい。ここ最近はわりと暖かかったから、少し油断していたかもしれない。マフラーかなにか、持ってくればよかっただろうか。
 部屋に戻るか考えていると、ぼくの部屋のドアががちゃりと開いた。ドアの向こうに立っているのは、言うまでもなくつむぎだ。一瞬、大学に行く気になったのかと喜びかけたが、服装がそのままで、履いているのもぼくのサンダルなあたり、どうもそういうわけでもなさそうだ。
 つむぎは寒さに顔をしかめながらフリースの前を閉じると、ドアを閉めて廊下へ出てきた。
「寝るんじゃなかったのか」
 ぼくがそう聞くと、つむぎはポケットに手を突っ込んで、ごそごそやり始める。
「いやなに、忘れもんや」
「忘れもの?」
 オウム返しに聞き返す。忘れ物と言われても、確認はしたし、完璧だったはずだが。
「忘れもんっても、こっちの忘れもんやけどな……ほれ」
 ポケットからすぽっと手を抜いたつむぎが、こちらになにかを差し出してくる。受け取ってなにか確かめてみると、黒い毛糸で編まれた、ほつれだらけの小さな円筒だった。なんだこれ。犬用の服か?
「…うちの会社、犬は飼ってないんだけどな」
「はっはっは」
 笑顔のままで、思い切り腹を殴られた。呼吸が止まり、体がくの字になるのを自覚する。呻きながら頭を下げたところで、つむぎにがしりと頭を掴まれた。
「モノぉ見れんなら、その目ん玉いらんよなぁ? おお?」
「…ごめんなさい、なにか教えてください。お願いしますつむぎさん」
 ぼくが平謝りすると、つむぎはぼくの頭から手を離して、ふん、と鼻を鳴らした。
「ネックウォーマーや、ネックウォーマー。ほんとは明後日にしよと思ってたけど、今日は冷えるらしいから、な。ちっと見てくれは悪いけど、クリスマスプレゼントや」
 つむぎが、ぶっきらぼうにそう言った。
 つむぎがネックウォーマーと呼んだそれを、ぼくはもう一度じっくり眺めた。言われてみれば、犬用の服以外にも、人間用のネックウォーマーという用途がありそうに思える。しかし、毛糸はなんだかちくちくするし、あちこちほつれていて、どちらの用途にしても着け心地はあまり良くなさそうだ。多分、市販品ではないだろう。こんなほつれだらけのネックウォーマーを店頭に並べたら、その店は即日閉店だ。それも、オープン当日じゃなくてプレオープン日に。
 ということは、選択肢はひとつしかない。
「これ、つむぎが編んだのか?」
「……文句あんなら返せや」
 じろりと睨まれる。
「いや、ないよ――ありがとな、つむぎ」
「ふん」
 ぼくがにこりと笑うと、つむぎは居心地悪げにぼくから視線を逸らした。
 つむぎは真っすぐに気持ちを伝えられるのが苦手だと、ぼくは知っている。普段軽口や憎まれ口を叩くのは、気持ちを伝えられる隙を無くすためなのだ。そのくせ、内心ではそうして欲しくてうずうずしている。付き合い始めて1年間は、つむぎのこの性格に気づかず、随分泣かされたものだ。
 でも、今は五年目だ。ぼくはもう、知っている。
 ぼくの部屋に入り浸るのも、自分の布団を使わないのも、ぼくと一緒にご飯を食べたがるのも――全部、構ってほしいからなのだと、ぼくは知っている。そして、つむぎは今、プレゼントに対する素直な気持ちを求めていた。
 だからぼくは、思い切り直截に気持ちを伝えることにする。
「うれしいよ、つむぎ」
 つむぎはぼくの方へ視線を戻すと、またじろりと睨んだ。
「アホ」
 短く、つぶやくように言われる。眦は吊り上がっており、口元に緩みなど一寸もない。だけど、少し顔が赤いのは――多分、寒さのせいだろう。
「なにニヤニヤしとんねん。はよ仕事行け!」
「あー、その前に。正直ネックウォーマーは片手じゃつけづらいから、つむぎ、代わりにつけてくれよ」
 片手に握った鞄を持ち上げて片手がふさがっていることをアピールすると、さっさと部屋に戻ろうとしていたつむぎが眉をしかめながら振り向いた。
「ブッキヨーやなー。貸してみ」
 つむぎはネックウォーマーをひったくると、ぼくの正面に立つ。そのまま背伸びをして、両手でぼくの頭にかぶせ始めた。
 つむぎの小さな顔が、ぼくの顔の真ん前にあった。ネックウォーマーに気を取られていて、ぼくの動きには全く気を払っていない。その無防備さと、可愛らしく動く長い睫毛に、なんとなく、悪戯心をくすぐられてしまう。もし、ここでつむぎに不意打ちで悪戯したら――そう、例えばキスでもしててみたら、つむぎはどんな反応をするだろうか。
 怒るだろうか、照れるだろうか――やってみなければわからない。
 だから、ぼくはとりあえずそうしてみた。
 親しんだ柔らかい感触が唇に触れ、ぼくと同じシャンプーの匂いに鼻孔をくすぐられる。顔を離すと、つむぎはなにをされたか分からないと言うような、ぽかんとした表情を浮かべていた。ぼくはおもわず、ぷっとふき出してしまう。
「やっぱり、つむぎは不意打ちに弱いな」
 ぼくがそう言うと、つむぎははっとしたように赤面する。かと思うと、すごい勢いでネックウォーマーをかぶせ終え、ぼくの肩口を思い切り叩いた。
「な、なにすんねんな! このアホ!」
 眦を吊り上げ、唇をきっと結んで、ぼくの肩を何度も何度もばしばし叩く。顔が真っ赤だ。五年も付き合っているんだから、いい加減こういうことに慣れてほしいと思うこともあるが、今日のように不意打ちが成功したときは、本当に楽しい。
「照れてる照れてる」
「うっさいわ! くそ、お前のようなやつにネックウォーマーはいらん! 凍死しろ、この!」
 何を思ったのか、つむぎが先ほどぼくに被せたばかりのネックウォーマーを取り返そうと掴みかかってきた。
「返さんかい!」
「やだね」
 廊下でしばらくじゃれ合っていると、流石に度が過ぎたのか、隣に住む老婦人に窘められてしまった。
「仲が良いのは結構だけどね。朝は静かにしなきゃ駄目だよ」
 ごめんなさいと謝りながら、そうか、ぼくはつむぎと仲が良いのだなと、改めて思う。そして、つむぎはやっぱりかわいいと内心で頷いた。つむぎはというと、老婦人が去った後で、「なかよないわ」とだけ呟いていた。
 時計を見ると、針は八時を指していた。もう、遅刻ギリギリだ。流石にじゃれ合いすぎたらしい。名残惜しいが、もう行かなくてはならなかった。
「それじゃあ、今度こそ行ってきます」
 コートの襟を正しながら、ぼくがそう言うと、つむぎはいつものように鼻をふんと鳴らした。
「はよ行け。ほんで――」
 そこまで来て、急激に語気が弱まり、聞こえなくなった。つむぎは紅潮した顔をフリースの襟で隠し、少しだけ俯いた。
「――はよ帰れよ。クリスマスに、一人寝はないで」
 最後の方はほとんど口の中だけで喋っているんじゃないかというような声量で、聞き取るには努力を必要とした。もしかして、最近折角買った新しい布団を使わなかったのは、今日自然に同衾したかったからなのだろうか。だとすれば、随分と迂遠だ。
「おう。つむぎも、クソゲーばっかやってないでさっさと寝ろよ。肌荒れるぞ」
「うっさいわ。クソゲーちゃうし。クソゲーなんてやってへんし。凍死しろ、アホ」
 つむぎは威勢よく吐き捨てるとバタンとドアを閉めて、部屋の中へ戻っていった。
 そう言ったって、実際やってたじゃないかと思ったところで、ああなるほどと納得する。そういえばあのゲーム、随分と序盤だった。徹夜でやっていたにしては、ありえないほどに。ぼくはくっくっと笑いながら、不格好なネックウォーマーをしっかり被り直して、会社へ向かうべく歩き出した。
 マンションの外へ出ると、廊下に増して冷たい風に、身体を思いきり嬲られた。ほつれだらけのネックウォーマーは、笑ってしまうくらい暖かくない。おまけに、予想通り首元がちくちくとする。そしてその割には、サイズがきつく、しっかり首に絡み付いて離れない。
 きつくて、ちくちくして、離れてくれない。それでも、このネックウォーマーとはなかなか長い付き合いになりそうだなと、ぼくは思った。

(了)

五年目の冬

五年目の冬

関西弁のかわいい女の子が書きたかった

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-23

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