渇の戦争

全裸

手癖で書いちゃいました

ぼくが大人になれば、あの大人と同じ怒りを感じるのだろうか。

 ぼくは傍観者だ。この戦争の。

 つい最近のことになる。戦争は唐突に始まった。きっかけは一つの殺人事件だったと記憶しているが、今となってはそれもしっかり覚えていない。なぜならぼくはそれを、画面の向こう側で流れる無縁として認識していたからだ。
 ある日、一人の少年が西の将校に殺された。そのことに怒りを覚えた東側の住民が少年の遺族を中心に暴動を起こし、西側の基地に侵攻したのだ。西側はそれを武力で鎮圧、のべ300人以上の死者をだした。
 かつての日本なら、こんなことはありえない。人々は無関心で繋がれていて、なによりも厄介ごとに巻き込まれるのを嫌っていた。言葉だけ、表面だけでは非道だと罵りながら、平然と生活を送っていた。どこかの、顔のないだれかが殺されることと、朝食にシリアルを食べることは同じ位相だった。
 だが、それも今は昔の話だ。
洋氏(ひろし)、この前オカヤマが東に占領された。これは許しがたい事態だ」
 朝食のシリアルを食べながら、上座に座る父は怒りを含んだ声でそう語る。
「わしらの友人である西側の人々が東側に殺されたと想像すると、反吐が出そうになる。いいか洋氏、こんなことは絶対にあってはダメなんだ」
 戦争を始めたのは西だよ、とは言わなかった。内心うんざりしているぼくには気付かず、母も話に入ってくる。
「ほんと、想像するだけで嫌になるわ。オカヤマが占領されたってことは、ここもそろそろ東が攻めてくるわね。いつでも戦えるように、準備しないと」
 母も父も、正しい大人だ。みんなと同じ怒り。みんなと同じ憤慨。そこに多様性は無い。言葉は違えど、みんな同じことを言う。
 ぼくはそんな世界が嫌いだった。実を言えば、そんな世界なら壊れてしまえと思っていた。
 第三次大戦の終結後、日本には二つの共同体が生まれた。というのも、大戦の中で地域によって思想が違え、西日本と東日本、それぞれが国であることを宣言し始めたからだ。
 なぜそんなことになってしまったのか、学生であるぼくは分からない。思想が違えたと言っても今まで隣人だった人たちが殺しあうなんてあり得るのだろうか。ぼくにはわからないけど、それからのことは学校で嫌というほどならった。
 その頃の世界は複雑で、様々な共同体が生まれていたのだが、その中でもやはりアメリカとEUの共同体であるC(Community of)A(America and)E(Europe)と、ロシアと中国を始めとするアジア地域の共同体、C(Community of)R(Russia and)A(Asia)の二つの力が強大だった。
 その二つの共同体は社会システムの基盤としてC-PASSと呼ばれるコミュニケーションツールで結ばれていた。C-PASSをアイデンティティとして仲間意識を強め、強い結束力と絆を得ることが目的だった。
 各国はそれによって連携を強め、他の共同体との緊張を高めつつも確実に発展していった。そして、その流れは日本にもやってきた。
 日本という国の特性上、どちらの共同体につくのかという議論が盛んに行われた。戦後は続くよどこまでも。第二次大戦後、アメリカの属国でありながらも、領土問題で微妙な立ち位置であったロシア、中国。果てしない議論の結果、西日本地域ではCRA、東日本地域ではCAEにつこうという意見が多かった。そのため日本は東西に分断され、中部地方と関西地方は緊張の最も高まる場所となり、各共同体からも注目されることになった。らしい。本当かどうかかは定かではない。でも、大人たちがそういうので信じるしかない。
 まるで冷戦時のドイツか、第一次大戦時のバルカン半島のようだと、社会科の教師である翁は語っていた。
「東側の攻撃に対し、我らが西は拠点をオオサカからフクオカに移し、ここヒロシマを最終防衛線として拮抗しています」
 テレビの中の顔のないニュースキャスターはこれもまた同じ怒りを含んだ声で語る。アナウンスにはふさわしくない、感情的な声。しかし、その怒りは正しいものだ。その後に西が東に行った無人機での爆撃の映像。どこかその映像は造り物な気がして、やはりぼくは戦争を感じることができていない。
 大人になれば、そんなこともなくなるのだろうか。子供の内はC-PASSを入れることは無い。子供には負荷が大きいとして、16歳未満の子供にはC-PASSは入らない。
 ぼくが大人になれば、あの大人と同じ怒りを感じるのだろうか。
 昔ぼくは、冷たい奴だと言われた。仲間が大勢殺されていることをどう思うかという授業の時、ぼくはこういってしまった。
「悲しくはあります。けど、ぼくは殺された人のことを知りません」
 その頃のぼくはそれが当然だと思っていた。だって、顔も知らない人が戦争の中で殺されて、それを泣いて悲しめというのも無理な話じゃないか。それに、戦争が始まってもぼくらの暮らしは変わったりしていないじゃないか。
 その認識は正しくないらしい。ぼくは周りからの視線を感じ、そう思った。みんな同じ顔をして、こちらをみていた。瞳の中はただ真っ黒だった。どこか不思議そうな眼球に映るぼくがこちらをみていた。
 相変わらずぼくは戦争を感じることができずにいるけど、そのことはそれ以来口に出していない。周りと合わせて、ただひたすらに怒りを、悲しみを演じている。たぶんそうやって、人は大人になっていくんだろうと思う。
「戦争って、本当に起こってるのかな。ぼくの周りはみんな戦争が起こってるって言う。けど、ぼくはこうやって生活してるんだ。みんなの言う戦争は、本当に起こっているのかな」
 そう、自分の部屋で独り言をつぶやくけど、少し湿気た部屋の空気に溶けていくだけで、なにも変わりはしない。
 自分だけが感じている息苦しさを、ぼくは形容できずにいる。
 でも、もし形容できたとして、誰がそれを認めてくれるのだろう。誰かがぼくの息苦しさを認めてくれるところを、ぼくは想像できない。

 と、その時だった。体に響く轟音が鳴って、家が揺れた。

「東だ」

 父の叫ぶ声が遠くで聞こえる。外がどうなっているのか、ぼくが窓を覗いたときだった。
 閃光。熱。
 ぼくの眼には部屋のあちこちの様子が入ってくる。そこでぼくは、空を舞っていることに気付く。吹き飛ばされたのだ。
 無限とも思える一瞬。その一瞬の中で、ぼくは何故か安堵を覚えていた。
 これが戦争なのだろうか。いままで緩やかに続いていた世界を一瞬で崩壊させる。
 この戦争でぼくの世界が終わるなら、戦争も悪くないな。
 この戦争でぼくが大人にならずに済むなら、戦争も悪くないな。
 正しい大人が聞いたら卒倒してしまうか怒り狂うかしてしまうようなことを思い浮かべながら、一瞬は終わりを告げた。
 衝撃。
 頭に強い痛みを感じた。腹にも熱い物を感じる。
「ああ、これが戦争なんだね」
 何の感情も浮かんで来なかった。戦争も、世界も関係なく、ぼくは終わろうとしていた。ぼくの世界が、終わろうとしていた。
「そうだよ、ぼくから見た世界しか存在しないんだ」
 声になったかはわからない。ぼくはその声を発したつもりだったが、耳に聞こえた覚えがない。
 世界は、唐突に幕を下ろす。


 そして、虚無。

渇の戦争

渇の戦争

世界の淵に、終わりあり。終わりの果てに、虚無あり。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
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