304号室への鍵

304号室への鍵

一カ月後に結婚式を控えている学生時代からの友人と久しぶりに酒を飲みながら、僕にはどうしても彼に聞きたい事があった。聞きたいと事と言うよりは確認したい事と言った方が正しいのだけれど。

「いよいよ結婚式だな。僕達も来年は三十路だし、結婚するには良い時期かもしれないな」
いきなり本題に入るのもアレなのでまずは差し障りの無い話題から。
「だよな、もう30だよ。大学卒業して就職してから本当、アッと言う間だったな…お前の方はどうなんだよ?結婚とか考えてるのか?」
そう言って僕の顔を覗き込んで来た彼の顔をハートバンクの記憶センサーが認識をした。僕の中の彼のハートバンクは249号室だ。名前や血液型や住所や携帯番号や趣味、様々な情報が一瞬で僕の脳内に送られてくる。勿論その様々な情報は、僕が彼から直接聞いた情報のみで、古くからの友人とはいえ僕が知り得ない彼の情報やプライバシーはハートバンクの情報には含まれていない。

ハートバンクと呼ばれる対人間記憶機能が開発されてから、対人関係は極めてスムーズになったと言われている。ハートバンクとは、自分が産まれてから今迄出逢った人達の名前や、その人に関する自分が知り得た様々な情報を忘れない為に心にインプットされる身体の中のハードディスクの様なもので、久しぶりに会った人の名前が出て来ない気まずさや、大切な人の誕生日を忘れない様にする煩わしさから解放された。

ハートバンク1号室と2号室は父親と母親のケースが殆どを占めている。次に祖父母や兄弟や親戚が登録されているが、会った事がない遠い親戚はインプットされない。ハートバンクは自分自身が実際に会った人しかインプットされないし、学校のクラスメートや会社の従業員の名前しか知らない、下手をすれば名前さえ知らない人達はハートバンクにインプットされない。インプットされるのはあくまでも自分自身と何かしらの深い関係性がある人達に限らている。

「結婚…考えた事も無いし相手もいない」
そう言った瞬間、僕のハートバンク304号室が疼いた気がした。それを聞いてそうか…と彼は気まずそうに頭をポリポリ掻いた。

「君に聞きたい事があるんだけど。君の奥さんになる人は、君にとってのハートバンク304号室なのか?」
「…そうだよ…と言いたいところだけれど違うよ。お前がそんな迷信信じてるとは思わなかったな」
「信じてる訳じゃないけれど…」
「そうであって欲しいと信じたい…か」

ハートバンク304号室の相手と結婚すれば幸せになれるという迷信の様な都市伝説が何年か前からあって、初めは僕も信じていなかったし、そもそも304号室に必ず異性が登録される保証は無いし、まあジェンダーレスの人なら同性もありなのか…
お互いがお互いの304号室である必要性も発生する。片一方が304号室でももう片一方が304号室でなければ意味が無いのではないのかと屁理屈をこね回していたのだけれど、僕のハートバンク304号室に登録された彼女と出逢って僕はその迷信が本当であって欲しいと願った。

大学を卒業して就職した会社の、同じ部署の経理部の一年先輩の彼女に僕はすぐに恋に落ちた。落ちるのは僕の勝手で、彼女には既に同じ社内に二歳年上の営業マンの彼氏がいて、三年後彼氏の転勤に伴いさっさと結婚して僕の目の前からいなくなった。さよなら僕の304号室。彼女の送別会で僕は彼女に彼氏がハートバンク304号室なのかと酔った勢いで聞いてみた。
「違うよ。私は彼にとっての304号室じゃないし、私のハートバンク304号室は実は…君だったんだよ」
僕は何も答えずにその日304号室にそっと鍵をかけた。

友人と飲み過ぎた翌日ひどい頭痛を抱えながら伝票整理をしている僕の目の前に、出張経費の伝票を持って僕の304号室の彼女の夫である営業マンが現れた。
「久しぶりの本社はやっぱり良いな」
まるで彼女に再会したかの様な感動に僕の胸は打ち震えた。
「…お元気そうですね」
「あ、うん。来年はこっちに戻って来れそうだしね」
「そうなんですか。奥さん…元気ですか」
「あ、まあ…実は半年前に離婚したんだ。原因は聞かないでくれよ。僕が彼女を大切にしてあげられなかったから…あ、皆んなにはまだ内緒な。格好悪いからさ」

営業マンがそう恥ずかしそうに言って立ち去った後に僕は心の中でガッツポーズ。スマートフォンでは既に削除済みの彼女の携帯番号がハートバンク304号室には残っている。僕は早く304号室の鍵を開けたくて居ても立っても居られなくなった。

304号室への鍵

304号室への鍵

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted