ディスチミアで切り取る光景の技法
校庭を出ると
そこはもう北大路の交差点の中間
唐突に
誰かが 傷つく
予定通りに
誰かが 誰かを待つ
その中間
落とされた
フライドポテト
感じる
またたくまに
ひとりずつ
孤立の様相
人々が
半分だけ見せる魂
午後3時過ぎの色彩。
カルネを買いに行く一乗寺
降りますランプに
いよいよ包囲されて
バスから写し取った 瞬間の親子
子が母を追いかけた
母が子に追いつく
ラムネのこころに
甘酸っぱいまま
だれも かえってきてくれない
古本屋の前
うすぐらかったので
店の軒先で 数分の
過呼吸停止
泣いた。
中古のレコード 優しくて
斜めの日差しに
恍惚落とす 吸殻
北山通りが
いつもより
話しかけてくれる
コーヒーショップ
似顔絵を描いていた
植物園の前
イタリア人の腕が 美しかった
彼女が きっと自由にする
寂しい
顔
顔
かお。
ふさぎこむ
突然の 鞍馬口
夕暮れ 投げ出したい
一日のことより
瞬間
青果店の老婦 いつものように
ミカンを売っている
日溜まり
安心まで あと少し
確認まで もう寸前のところ
毎日
彼女の掛け声
いつもどおり
聴いていた
彼女の みかんには 思いやりが ある
一日だって
彼女の みかんは
いつもの 橙の磨きと
こころからの笑みを 怠らなかった。
詩の確率を考える
この詩が
光景を
人々を
切り取る
正確さの 蓋然性
今出川の同志社キャンパス前
あえて躓づく
あえて 一人称を落とす
か な し く な る
御所のベンチに
眠る
褐色の男 旅行者
衝動で
優しさが彼に向かいたい
もし男が路をたずねたら
地図の宝ヶ池に マークをつけてやる
さっきまで あのボート置き場に
生きていく 決心が あった。
堀川病院まで 帰ってくる
堀川通りがわに
彼が背中を向けて
烏丸通りにもたれるように
彼女が顔をかくしている
彼らが
互いの
さよならに
触れる
彼らの
涙を
見たくない
煙草の
先端
浸みていく カフェラテの
パーキングエリア
マーケットで
誰かの 指先と
レモン
見入る
拾った
アパートまで 数メートル。
ディスチミアで切り取る光景の技法
気分変調症(ディスチミア)は僕が21年間背負ってきた精神疾患。
大学のとき、住んでいた京都を思い出して書いた。
作者ツイッター https://twitter.com/2_vich