闇の中へ
光
“生きる意味をゆっくり見つけて生きなさい”
刺殺された母が最後に言った言葉だ。
少し前の話をする。
あたしが8歳の時、両親は殺された。突然の事だったからあまり覚えていないけど、当時、あたしの家から半径5キロ圏内で通り魔事件が何件もおきていて、犯人はその人だった。夜遅くにチャイムが鳴って、何の疑いもなく開けた父がまず刺殺された。物音とともに静かになったかと思ったが、ややあって誰かが廊下をゆっくりと歩いてくる足音が聞こえてきた。明らかに父のものではなかったそれは、リビングへと姿を現した。帽子をかぶった髪がボサボサの男の人だった。黒に身を包んだその姿は、本で見た死神そっくりだった。
母が尻餅をつきワナワナと唇を震わせた数秒後、死神の持つ真っ赤な刃物が母のお腹に突き立てられた。声にならない悲鳴があがり、母がのたうちまわっていると、死神はさらに腰に差していた刃物を二本取り出して、それぞれ母の体に突き刺した。それっきり母は動かなくなった。次に死神はあたしを見て、笑った。その顔は今でもはっきりと覚えている。真っ黒い空洞が2つと歯茎剥き出しの満面の笑み。その笑顔を見た時、見えない何かに全身を固定されあたしは、その場から全く動けなくなり、近づいてくる死神から逃げることができなかった。死神はそんなあたしを操り人形のように扱った。手を掴んで持ち上げたり、足を刃物でつついてみたり。そして何の前触れもなく、あたしの左腕を魚でも捌くみたいに切り始めた。血が溢れ出し、遅れて痛みがにじみ出てきたが、それでも声は出なかった。気を失う寸前、死神はあたしの髪の毛を掴んで顔を上げ、おでこにゆっくりと切り込みをいれ始めたが、それは数秒で終わった。何の前触れもなく前のめりに倒れた死神の背中には、2本の刃物が突き刺さっていた。死神が消えた視界から現れたのは、肩で息をして腹から血を流す母だった。
「大丈夫…?」
いつもの母の声が聞こえた。苦しいはずのその顔は笑っていた。とても優しい顔だった。あたしが声を出せなくなってしまっていることを察した母は、ゆっくりとあたしに近づいた。その間も、容赦無く血は流れ続けて、母のきた道が赤く染まっていく。
「怖かったね…お母さんも怖かった…。けどもう大丈夫だからね」
痛いはずの傷を庇うことなく力強く抱きしめてくれた母。まだ暖かい母の体を抱きしめ、やっとの思いで話すことができた。
「お母さん…ありがとう…」
か細く小さなその声は母に聞こえたんだろうか。母は黙ってあたしを撫で続けて、冒頭のセリフを言った後、動かなくなった。静まり返る我が家。普段あまり目にすることのない赤と、母の死体はあまりにもリアルで、あたしは意識と心を失った。
両親を殺されたあたしは母方の祖父母に引き取られて育てられたが、空っぽになって一切の感情を表に出せず、何も口にしないので、引き取られて、1週間が経つ頃には病院で日々を過ごしていた。腕には管が通され、決まった時間に点滴を打ち、時間がきたら眠る。寝ている間はあの日の出来事を永遠と見せられて、母が殺された瞬間にいつも目が覚めた。
そんな生活が2年続いた頃。祖母の親戚のシスターがあたしを引き取りに来た。その頃のあたしには人間らしい感情が、最も最悪な形で戻っていて、無邪気で形成されていたあたしの心は憎悪によって再構築され、全ての人間に対して冷たかったから、最初はシスターの顔を見ようとはしなかった。それでもなおあたしの元に足を運ぶシスター。通いつめられて6ヶ月が過ぎようとしていた朝、あたしは初めてシスターに向けて声を発した。
「帰ってください。あたしは神様なんて信じません」
その言葉を聞いた瞬間、シスターは泣き始めた。しかし悲しくて泣いているわけではなそうだった。シスターは微笑みながら、右目から一雫の涙をこぼしたのだ。
「やっと…お話ししてくださいましたね…。待ってました。ずっと。貴方からの言葉を」
取り出したハンカチで涙を拭きながらシスターは答えた。
「私は貴方を引き取りに来ただけです。シスターのことを教えることはないのです。ただ、修道院で一緒に暮らしたいだけなのです」
「…何になるんですか」
「何になるかは分かりません。何にもならないかもしれません。ですが、ここにはもう、何もないです。歩きましょう。共に」
さぁ、と手を差し出すシスター。真っ白な綺麗な手だった。血色の悪い自分の手とは比べ物にならないほどに。
「…あたしは何も信じないから」
「もちろんです」
そう言って、シスターは笑った。
それから中学生になるまでの数年を、修道院横の別館で過ごすことになる。
そこは、これからシスターになろうという人たちが滞在するための部屋で、8つあるうちの1つが私の部屋として与えられた。板張りの小さな部屋。幼い頃住んでいたマンションの床を思い出し、胸が痛くなったが、シスターに触れられた瞬間にそれは治った。
「大丈夫ですか?」
「触らないで…。別になんともないですから…」
あたしの言葉にゆっくりと手をどけた。
「そこに椅子にどうぞ。ここが貴方の部屋です」
言われるがまま、部屋の中央に置かれた椅子に座った。この椅子と机の他には本当に何もなくて、人が暮らすにはあまりにも寂しく思えたが、あたしには関係のないことだった。
「これ、どうぞ」
何かが書いてある紙切れをもらった。
「ここの住所です。欲しいものがあったら、このタブレットを使って、買い物してください」
笑顔で言って、タブレットを手渡された。外に出るとどこに行くか分からないから、外に出る口実を減らそうという魂胆だろう。そう思った。
「買い物に出かけるのはダメですか?」
試しにこんな質問をしてみた。がしかし、あたしの考えはことごとく外れた。
「どうぞ。好きにしてもらって構いません。その代わり、20時までには帰って来てください。心配になります」
シスターはそう言いながら、部屋の隅にあるベッドに腰掛けた。
「…綺麗ですね。この部屋」
「もちろんです。貴方を引き取りに行く前から掃除を怠った日はありませんから」
「…半年間…毎日掃除していたんですか?」
あたしが尋ねると、シスターは笑顔のまま頷いた。
「どうしてそこまで…」
唖然とするあたしに、シスターは淡々と答えた。
「私がそうしたいと思ったからです」
純真無垢。なんの邪念も感じられないその目にゾッとした。今のあたしにとって、シスターは敵だ。そう思った。
「今は何をしたらいいか分からないと思いますが、時間が解決してくれます。それまでここにいるもよし、叔母様の家に帰るもよしです。貴方の自由にしてください。ただ、暫くは…ここにいて下さい」
そう言ったあと、ゆっくりと頭を下げて、シスターは部屋を出て行った。
その日の夜。病室のベッドとは比べ物にならないほど柔らかいベッドで、考え事をしていた。両親は殺され、犯人は母が殺した。仇を打とうにも、犯人は死んでいる。なんであたしは生きているんだろう。今後どうなるんだろう。整理のつかない脳が私に眠れと命令した。それでも、瞼を開け続けた。長方形の窓の外、月明かりが照らす協会の十字架をじっと睨む。シスターは、病院には何もないでしょうと言った。けど、あたしが考える限り、ここにも、ここ以外にも、何もない気がした。悪い意味であたしの人生はすでに完結していた。そう思うとどうでもよくなり、柔らかいベッドに沈み込むように眠った。そんな日々が続いた。
数年後の春、あたしは中学生になった。そこでも大きな壁にぶち当たってしまう。同級生がガキに見えてしょうがない病気にかかってしまったことだ。行動、言動の全てが幼稚で、話していると不快になる程、事態は深刻だった。そんなあたしの状況を察した教師が悩みがあるなら言って?と優しく言ってくれたが、言うことはなかった。あの事件以来、あたしは大人が憎く、優しくされることが嫌いだった。同情の念を感じれば感じるほど不愉快だった。あたしの気持ちがわからないのに、分かったような口を聞くなと、殺したくなった。ここで言う殺したいは、中学生が使う「殺したい」ではなく、殺人犯が使う「殺したい」だ。純粋な殺意。誰しもが一度は抱いたことのある感情だ。しかしながらその感情が倫理を超越することはない。しっかりとブレーキが効くようにできている。しかしごく稀に、先天的にそのブレーキが欠如した人間や、育つ過程で壊れてしまう人間が存在する。
実際、それが原因であたしは学校に行けなくなった。
ことの発端は、中学3年の秋。私立高校の受験が終わり、浮かれた同級生が、ピリついている同級生に対して浴びせた言動が原因の喧嘩が起きた時だった。明らかにボコボコにされている浮かれ組の人間に、あたしは
カッターを手渡した。その結果、アドレナリンに侵された体が反射的に切り裂いたのは、受験組の子の右目だった。血が吹き出し、悲鳴が上がり、それ聞いた隣のクラスから人が集まり、それがさらなる悲鳴に変わる阿鼻叫喚。その最中、過去のトラウマに犯され、顔面の皮膚を掻き毟り、泣き狂うはずの私は、静かに笑っていた。あの時の疑念が確信に変わった瞬間だった。
『私は悪意に犯されている』
決して、あの事件のせいにするわけではない。遅かれ早かれ、私はこうなっていたのかもしれない。私はすでに、あの事件を最悪な形で克服していた。
その夜。
夜の10時にシスターを呼び出した。数分後、部屋をノックする音が部屋に響き、シスターが入ってきた。
「こんばんわ。珍しいわね。貴方が私を呼び出すなんて」
「そうだね。てかダメだよシスター。年頃の女の子の部屋にノックだけで入ってきちゃ。ちゃんと入るねって言わないと、何をしてるか分からないでしょ?」
いつもとは違う雰囲気を感じ取ったのか、いつも笑っているシスターの口角が下がった。
「…なにかあった?」
「うん。あったよ」
「何があったの?」
「今日ね、何年かぶりに血を見たの。指を切って出た少量の血じゃなくてね、あの事件みたいな大量の血」
シスターの口角がさらに下がった。
「それを見てね、どうしようもなく狂うと思ったの。あの時がフラッシュバックして、頭がぐちゃぐちゃーってなって、 発狂するかと思ったんだけどさ。違った。どうなったと思う?」
「…どうなったのかしら」
「笑ったの。すごい落ち着いてたし、加害者側を羨ましいとさえ思ってしまった…。さすがに狂って───」
狂ってるよね?と聞こうかと思ったが、シスターの張り手によって遮られた。痛みが頬を伝い、次第に熱を帯びていった。振り切った手のまま、余裕のないシスターは、見たことのない顔をしながら肩で息をしていた。
「あの事件から貴方は何を学んだの…?あんな事はあってはならないことなのに…」
泣き出すシスター。その姿を見ても、私は何も感じなかった。むしろ哀れだとさえ思った。こんな子に育つ予定などなかっただろうに。むしろ私は、両親の死を糧に前を向いて笑顔で生きていく予定だったはずなのに。
翌朝、生きていける最低限の荷物を持って教会を出た。
もう二度と戻る事はないだろうと思った。
何年も育ててくれたシスターを裏切った私は、倫理的価値観を捨てた。
身分証も何も持っていない私は、自然と夜の仕事についた。某所中の某所。大人に体を売り、夜は酒を吐くまで飲み続け、朝に寝て夜に起きる生活が永遠と続いた。時には暴力趣味の男に強姦されたり、首を絞められて意識が飛びそうになったり、変な薬を飲まされたりと、人はどこまでも闇に落ちていけるんだなぁと、別な意味で生を実感していた。
今は地下2階のコンクリートでできた6畳間で暮らしている。隅っこが私の定位置。名前の知らないやせ細った30代前後の女と、ショートカットが似合う虚ろな目が特徴的な21歳と一緒に暮らしている。30代前後の女とは喋った事はないけど、21歳の人と定期的に話をする。彼女の名前はマイ。もちろん偽名。ここのオーナーがつけた名前。本当の名前はいくら聞いても教えてくれなかった。マイさんは私のようなくらい過去やトラウマを背負っている人ではなかった。中学2年生の頃に付き合った大学生とのSEXが忘れられなくて、こうなってしまったらしい。自分からゆっくりと沼に沈んでいるんだ。いろんな生き方があるんだなと思った。もっとも、こういう世界しか知らない私ならではの考えだった。マイさんの考えがおかしいとは思わなかった。
「ほんとは生きていく過程がめんどくさかっただけなんだ。親とか勉強とか友達とかお金とか。SEX以外で縛られるの嫌なんだよね」
ふとした会話の中で出た言葉だったが、素晴らしい意見だと思った。
ある日の夜。18時半ごろに目が覚めた私は、物音で目覚めた。寝ていた脳が徐々に目を覚ましていくと、ぼやけていた視界と、音を反響させない鼓膜が少しずつ帰ってきた。それと同時に、ある一定のリズムを保って響く甲高い声と、拍手に近い音が部屋に響いているのが分かった。
部屋の片隅で、マイさんとオーナーがやっていた。最初は夢かと思ったが、昨日首を絞められた時の痛みを感じるから、夢じゃないんだと悲しくなった。仕方なく寝たふりをした。ことが終わるのをただただ待っていると、自然と自分もその気になって、いつの間にか輪の中に加わっていた。
「全くお前らは…どうしようもねぇクズだ」
そう言いながら腰を振るあんたもクズだよ。なんて。拾ってもらった身ゆえに何も言えない。分かってる。どうしようもないクズなんだ私は。今更何を悔やむんだ。きっと朝のせいだ。腰を打ちつけられながら感じてしまう自分の姿に涙が出た。いつの間にか流れ出していた。同時に、オーナーの腰が止まり、両手が首に絡みついた。
「おい…教えただろ…。SEXの時に泣くなっていっただろ…」
腰の動きと首を絞める力が徐々に強くなっていく。押し寄せる快感と窒息感。このまま死ぬんだろう。ゆったりと走馬灯が流れる。小さい頃はアリを潰すのが好きだった。両親のことが純粋に好きだった。人と話すことが好きだった。確か、好きな男の子がいた。パパとママが死んだ。死神を見た。その死神の足音。病院のベッドから眺めた白天井。外は澄みきった青天井。塗り替えられた感情。歪んだ環境。蘇ってくる記憶は笑えてくるものばかり。救いようのない人生を送ってしまった…。あぁ…。
生と死の狭間、最後の走馬灯は母の声だった。
“生きる意味をゆっくり見つけて生きなさい”
遠のいていた意識が瞬間的に帰って来た。絞められていた手を振りほどき、顔面に蹴りを入れた。左目にあたったらしく、悶え苦しむオーナ。それを横目に、服をとって鉄の扉を開けて走った。薄暗いどこまでも続く廊下。出口まであと少しのところで、足をかけられて転んだ。全速力でこけたせいで体の至る所を強く打ってしまった。特に右手の感覚がなく、ゆっくりと視線を向けると、中指と薬指が普段は曲がらない方向に曲がっていた。悲鳴をあげそうになったが、後頭部に走った強い衝撃で意識を失った。
目がさめると、いつもと同じようなコンクリートの部屋にいた。だけどいつもとは違う賑やかさがあった。
「お、目が覚めたか」
声のした方を見ると、ハットを被ったマジシャンみたいなおじさんがいた。
「おー。よかった。強く殴りすぎたから死んじまったかと思ったよ。あと2時間目が覚めなければ土に埋める予定だったが…残念だ」
おじさんは本当に残念そうだった。
「…オーナーの部下ですか?」
「オーナー?あー…島崎か。残念かもしれないけど、あの部屋のいた奴らはお前以外みんな死んだよ」
言葉が出なかった。
「マイさんも…?」
「言ったろ?全員だって」
「なんで…?」
「殺しの依頼だよ。最初は島崎だけでよかったんだけどな、島崎を殺した瞬間30歳ぐらいのおばさんが発狂しながら殴ってきてよ。ついでに殺しちまって、ショートカットの女は自分から殺されに来たよ。なんて言ったと思う?『ちょうどよかった。殺してくださいって言ったんだよ。笑えるよな」
おじさんはゲラゲラと笑った。マイさんも死んだんだ…。しかも自分から。なんで私は生きているんだろう。そう言いつつも死ぬのは怖い。私には越えられない死の壁。
「…なんで私は生きてるの?」
「いい質問だ。それを俺は、お前に聞きたかった」
おじさんはこっちを見るように手で合図した。
「ここに一枚のコインがある。これは何円玉でしょうか」
答えずに黙っていると、おじさんはゲラゲラと笑って続けた。
「500円玉です。日本で1番大きな硬貨です。これを、左手に持ちます」
言葉通り左手に500円玉を握った。
「そして、3つ数えます。1、2、3、すると…」
親指からウェーブで開けられた手の中には、何も握られていなかった。「どう?凄いでしょ?」
突然の出来事に、シンプルに驚いた。今までの感情は一時的に驚愕の驚にすり替えられた。
「驚いてくれて嬉しいわ。こういう時でもしっかり驚けるってことは、やっぱりこっち側の人間だよな。そう感じたから生かした」
真剣な表情でおじさんは言った。
「どういうことですか?」
「お前、人殺したことあるだろ」
「ないです」
「殺されたことは?」
「ないです」
「嘘つけ。わかるんだよ俺には」
「ないです」
「じゃあなんだよ。そのからっぽの目。何も宿してない死んだ目」
おじさんが手を振ると、右手から小さな鏡が出て来た。そこに映し出された自分の顔。いや、こいつは…誰だ?
「はっはっは…何だよその顔」
おじさんの言う通り、鏡に映る女はキョトンとしている。しかしよく観察して見ると、目の奥は透けていて、生者のそれとはまるで違っていた。
「何でそんな黒い目になるか知ってるか?」
「…分からない」
「俺たちは光をあまり見ないだろう?見てもせいぜい電球の明かりくらいだ。そういうやつらの目は、常時瞳孔が開いてる状態になる。この業界ではそういう目のやつを黒点って呼ぶんだ。お前ぐらいの歳でそこまで暗いのは異常だがな」
病気なんじゃねぇか?と続けて、おじさんは笑った。
「名前、あるのか?お前」
「聞いてどうするの。どうせ殺すんでしょ?」
「いいや。殺ろさねぇ。お前は今日から俺の僕だ」
おじさんが手を振って息をかけると、手に持っていた鏡が消えた。
「私は…綾」
何十年かぶりに口にした本当の名前。
「綾。いい名前だ」
机の下に用意してあった衣装に着替えさせられた。全身黒ずくめの動きやすい服装。どこか懐かしく感じるその衣装に、違和感を覚えた。
「黒が似合うな。こういう仕事は黒が基本なんだ。嫌いな色でも我慢しな」
見てみろと、姿見の前でおじさんが顎をしゃくった。ベッドから起き上がり、ゆっくりと歩いて姿見の前に立つと、感じていた違和感が確信に変わった。
“その姿見の前には、十数年前の死神が立っていた”
それから数ヶ月間、カンと名乗ったあのおじさんから、この組織の事を大体教えてもらった。7人グループの小さな組織で、男5人、女2人いること、結成当初はカンとその仲間3人でやっていた事、そして──。
「そのうちの1人は殺しのターゲットだった旭邦弘の母親に殺されたらしい」
「そんなことがあったんだ…」
そう言いながらも、心の奥底は怒りに満ち溢れていた。今すぐにこの組織の全員を殺さなければ行けない。母が死に際に言った言葉の答えがようやく見つかった。
「だから綾も無駄な殺生はやめてくれ。俺たちはあくまでも依頼された主のみを殺す。それ以外を奪っちゃ行けない」
間違った悟り方をしているカンさんの言葉。閉じ込めていたはずの怒りの火が僅かながらに漏れてしまった。
「…私は、全員殺したほうがいいと思う」
「なぜだ?」
「カンさんは残された家族の気持ちを考えたことがありますか?」
「ない。だけど、生きていてよかったと思う安堵感の方がでかいだろ」
「私も、最初はそう思ってました」
地下3階、8畳間の中心に置いてある椅子から立ち上がり、私は続ける。
「以前、両親を殺された幼い女の子と話す機会があったんです。その子は両親の死体を見て『どうして私だけ助かってしまったんだろう』と思ったそうです」
カンさんは黙って頷いた。
「結局その答えを聞いた後、その子は死んでしまいました。今はもうこの世にはいません」こみ上げる涙を必死に堪え、声にも顔にも出さないように続ける。
「その時に感じたんです。残された側の異常な喪失感と憎悪。だからもし、依頼された主に家族がいた場合、その家族も全員殺した方がいいんです」
「なるほどな…一理ある」顎髭を撫でながらカンさんが言った。そしていつもより黒く尖った目で私を見た。
「だが、この組織のトップは俺だ。俺の意向には従ってもらう。お前はあくまでも俺の僕だ。逆らえば殺す」
「わかってますよ。大きな口を叩いてごめんなさい。これからもついて行きます」
服従の意味を込めて頭を下げた。
「それでいい」
そう言いってポケットからたばこを取り出したカンさんのたばこに、すかさず火を付けた。深く吸った煙を燻らしながら、2、3回吸ってすぐに捨てた。
「そうだ、一昨日殺したやつの資料をまとめといてくれ。玲奈、一緒について行ってやれ」
「分かった」
人殺しとは思えないほど澄んだ声のその人が「ついて来て」と足早に部屋を出た。遅れないようにと私も素早くついて行った。
一緒に歩く長い廊下が、足音を反響させる。2つ分の足音のはずなのに、7人分くらい聞こえたから、後ろを確認したけどやっぱり誰もついて来てはいなかった。
「さっきの話、あなたの体験談?」
数歩先を歩く玲奈さんが聞いてきた。『あんたの体験談』をどう捉えればいいんだろうと迷った。比喩がバレたんじゃないかと不安になったが、構わず玲奈さんは続けた。
「まぁ、どっちでもいいんだけどね。いい話だと思って」
ほっと胸をなでおろす。どうでもよかったみたいだ。
「いい話ですか?」
「うん。て言うのも、似たような経験をしたことがあるんだ」
「そうなんですね」
「敬語やめな?私の前ではいいよ」
「じゃあ…ゆっくり抜いていくね」
「そうして」
そう言って、少し笑った。
「もう2ヶ月くらい一緒にいるのに、お互いの素性を知らないのって変な話だね」
「本当ですね」
私も笑う。
「さ、入って。ここが今までの仕事の資料室」
鉄の扉を開いて中に入ると、淡いオレンジ色の電気が灯り、扉が閉まった。さっきまでとは違って、この部屋は音が響かない作りになっている。
「ふぅ…やっと2人っきりになれたね」
「え」
振り返ると、暗くてあまり見えなかった玲奈さんの顔が見れた。日本人離れした彫り深いの小さな顔。くっきりとした目鼻立ち。本当にこの人は殺し屋なんだろうか。どちらかと言うとスパイのように思えた。
「あなたは…いや、出し惜しみなんてする必要ないわね」
ガチャっと鍵の閉まる音が聞こえた。
「あなた…旭邦弘の娘でしょ?」
ニヒルな笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてくる玲奈さん。
「違います…」
「あー…怯えないで。私はあなたの味方よ…」
吐息交じりの声が壁際に追いやられた私の鼓膜を揺らす。側からみれば、抱き合っているように見えるほど近い距離で、玲奈さんは続ける。
「さっきの話…全部あなたの話よね?私には分かったわ。2ヶ月前に初めて私たちの目の前にあなたが現れた時、黒装束のあなたを見てゾッとしたわ…。その心の内の巨大な憎悪…。私には見え見えだったわ。他の奴らは気づいてないようだったけど」
鈍いよね。男ってと、玲奈さんは小さく呟いて、少し離れた。
「あなたがなんでここに来たのかは知らないけど、親の敵討ちならやめなよ。もうあなたの仇はここにはいない」
澄んだ声で冷たく言い放たれた。まるで心の中を見透かされているようだった。私の様子を確認しつつ、玲奈さんは書庫の整理を始めた。
「ま、言いたいこと言えてよかった。とりあえず仕事しよっか」
そう言われた声は、いつもの澄んだ声だった。何事もなかったかのように整理をし始める玲奈さんに、私は小さな疑問を覚えた。そこまで分かっているのなら、この密室で私に殺されるかもしれないという考えはないんだろうか。
「玲奈さん」
「んー?」
聞いてはいけないと思いながらも、なぜかこの人になら聞いてもいいと思えた。
「そこまで分かってるんだったら、なんで玲奈さんはこんな密室で私と一緒に作業できるんですか?」
私の質問に対して、手を止めることなく玲奈さんは答えた。
「…きっとあなたはそういうこと出来ないと思うから。今までだってしたことないでしょ?試しに抜いてみる?腰に刺さってるそれ」
玲奈さんが指摘したのは組織に入ってからカンさんに貰ったナイフだった。人体に刺されば容易に貫通するほどの長さがある。…まだ一度も使ったことはない。
「綺麗に手入れされてるとかじゃない。まだそれは一度も使ったことがない。でしょ?」
また心を見透かされたのかもしれない。
「それに…あなたはきっと頭が悪いんだね。そんな質問を私にしていいの?一応私も殺されるリストに入ってるんだからさ、今から殺そうとしてる相手に『今からあなたを殺してしまうかもしれませんよ』って言ったら、失敗しちゃうよ」
そう言いながらも、ファイルに穴を開けてファイルに綴じている。その様子を見て「逆に」と私も口を開いた。
「どうして玲奈さんは私を殺さないんですか?」
その質問に玲奈さんは答えない。着々と業務をこなしていく。そこに畳み掛ける。
「この2ヶ月。私の正体を知っておきながら生かしておいた理由が知りたいです。殺せるタイミングはたくさんあったのに、私なんで生きているんでしょうか」
パチンっ。最後の紙をファイルに綴じて、元あった場所に戻した。それから、別な棚から赤色のファイルを取り出して、私に渡した。
「旭邦弘。あなたのお父さんに関する情報が書いてあるわ」さっきとは違った声で、玲奈さんは静かに言った。
「この組織に2ヶ月も居るんだからわかると思うけど、私たちは見ず知らずの一般人は殺さない。それをしっかり読んでから、私たちを殺すかどうか決めて」
それじゃあと、玲奈さんは私を1人残して出て行った。玲奈さんから言われた通り、ファイルをパラパラとめくって行った。ニュースで見たことがある顔もいれば、見たことがない顔、名前だけ聞いたことがある人、いろんな人がいた。中には行方不明になっている人の名前もあった。すでに私の頭の中にはいくつかの疑問があった。その答えが自分で出せるかはまだわからないけど、読むしかない。
『旭邦弘:◯◯組、若頭』
“松井孝明により、刺殺”
松井孝明。あの死神の名前なのかな。
:◯◯組、若頭の旭は、パチンコ屋◯◯店の厄介な客を年間で15名殺害。これを数年繰り返す。本部長時代からメキメキと殺しの片棒を担いで行った。
:ここからは内通者による報告になるが、旭は若頭になる前、二重人格者のように二面性を持つようになり、家の中の彼は内通者からみればまるで別人に感じられたという。家の中の温厚な彼は、とてもじゃないがヤクザには見えなかった。家族には医者だと嘘をついていたみたいだが、晩御飯時にする病院での1日には、異常な信憑性があった。隣で聞いていた彼自身も、その専門知識や、患者の話を信じてしまうほどの饒舌だったという。
1年間の調査の結果、旭は“手を出してはいけない人間”を殺害してしまい、暗殺が決定。松井孝明が“掃除”を行うが、家族を巻き込んでしまい、その結果、殺し損ねた母親にナイフで刺殺される。
カタカタと手が震えているのがわかった。ファイルを閉じようと試みたが、うまく動かせずに地面に落としてしまった。
これは果たして事実なのだろうか。他のページには確かに真実が書いてあった。嘘偽りはない。だけどこのページに書いてあることはとてもじゃないが信じられなかった。
幼い頃に父がしてくれたいろんな話を思い出す。帰ってきた時にほんのりと香る消毒液の匂いも、面白い患者さんの話も、生と死の話も。あの話が全部嘘で、ヤクザで、人殺しに手を染めていたなんて…。簡単には信じられない。
結局答えは出ないまま、いや、答えを信じられないまま、私は資料室を後にした。来た道を帰ると、カンさんが私を見た。
「随分と遅かったな。玲奈は先に帰って来たみたいだが」
心臓が強く脈打つ。口を開こうとすると、心臓が口から飛び出しそうになった。もしかすると飛び出していたかもしれない。
「最初だったので、玲奈さんの作業をずっと見ていました。ファイルの場所、穴をあける機械の位置、どのカテゴリーになるか。それを一通り見た後、もう一度イメージトレーニングをしてました」
なるべく普通の顔で、言った。カンさんの後ろで腕を組んでいる玲奈さんが、ニヤリとほんの少し笑った気がした。
「だから言ったでしょ?私がそう指示したって。なんで何回も確認する必要があるの?私達のこと信じられない?」
「いや、そういうわけじゃないが…」
カンさんは俯き、顎髭をいじった。
「あの部屋に監視カメラがないからって疑いすぎだよ。少しは信じてほしいな」
「それには俺も同意する。カン。もう少し俺たちを信じろ。もう長い付き合いじゃないか」
「職業柄、そういう癖が付くのは仕方がないが俺は、あんたも、こいつらも信じてるぜ。少なくとも俺はな」
玲奈さんの言葉に、ちょうど帰って来た2人の男が返事をした。戒さんと仁さんだ。
「まぁそう責めるな。今回も俺が悪かった」そう言って頭を下げるカンさん。今までなんどこの光景を見て来たか。
「そしてご苦労。どうなった」
「バッチリだ。証拠は残っていない。今回も白だ」
戒さんの言葉に妙な引っ掛かりを覚えた。
「そうか。それじゃあ、書類をまとめて、また声をかけてくれ」
「あいよー」
そう言って2人は奥の部屋に消えた。時計を見ると午後18時を回っていた。
「ごめん、18時なったから、私外回りしてくる」
そう言って玲奈さんがブルゾンのチャックを上まで上げた。
「わかった。衛と変わってくれ」
「分かった」
そう言って、扉に手をかけた玲奈さんの動きが止まった。
「綾も連れて行っていい?」
「え?」
突然の出来事に驚いた。
「どうだ、綾。いけるか」
「…行きます」
「分かった。気をつけろよ」
「じゃあ、ついて来て」
先ほど同様、足早に出る玲奈さんについて行った。
先ほどの廊下の階段を登り、ドアを開けると、冬の冷たい風が顔を撫でた。
「どうしてわた」
どうして私を?と聞こうとした所で、玲奈さんが私に黙ってとハンドサインを出した。
「玲奈と…綾か。珍しいな」
「でしょ?6時だよ。交代」
「もう1時間か。特に異常はない。だが少し寒い。そんな薄着で大丈夫か?」
「中に着込んでるから平気。ありがとう」
「綾は?」
「私も。ありがとうございます」
「そうか」
薄暗い中であまり見えなかったが、衛さんはにこやかに言って、中に入って言った。
数十秒後、玲奈さんの透き通る声が聞こえた。
「他の仲間がいる前で、安易に話しかけないほうがいい。多分、私以外にさっきの話をしたら、殺されるよ」
「うん…」
どうしても気になる。玲奈さんの言動。行動。
「どうしても気になる?」
またしても心を読まれてしまった。
「心を読まれてるんじゃないか?って考えてるでしょ」
驚いた顔で玲奈さんを見ると、うははと笑った。初めて見た無防備な笑顔に、どきっとした。
「私ね、昔心理学を先行して習っていた期間があったの」
玲奈さんはそう言いながら、謎の身振り手振りをし始めた。
「何してるんですか?」
「言ってなかったね。ここは監視カメラで見られてるんだ。音声はとられてないから、こういう風にやってると、監視カメラの向こうで誰かが見ていたとしても、何かを教えているように見えるでしょ?」
そう言いながらも謎の動作を続ける玲奈さんが、おかしくて、私もさっきの玲奈さんみたいに笑った。その顔を見てか、玲奈さんは驚いた顔をした。
「そんな感じで笑えるんだね」
「玲奈さんこそ。さっき笑ってましたよ」
私たち2人はきっと心のそこから笑った。
「それで?」
「なんですか?」
「決まった?私たちを殺すかどうか」
「はい。決まりました」
「どうするの?」
「一旦は保留にします」
「保留なんだ。なんで?」
「私の父は、この組織の人間に殺されました。だけど、この組織から真実を知らされました。恨みもありますし、感謝もあります。だから、保留です」
「ふーん」
「どうでしょうか。この答え」
「なんとも言えないかな。だって保留ってことは、いつか殺される可能性があるってことでしょ?」
「そうなります」
「えー。殺されたくないなー」
子供っぽく玲奈さんは言った。
「みんなそうだと思います。どんなに悪い人だって、殺されるのは嫌です。でも、常に殺されるかもしれないんです。玲奈さんも。私も」
「確かにね…」
少し悲しそうに玲奈さんは呟いた。それと同時に19時を知らせるアラームが鳴った。
「交代ですか?」
「みたいだね。あんまり楽しい話じゃなかったけど、真面目な話ができてよかった」
もう辺りは真っ暗なので、玲奈さんの顔はあまり見えなかったけど、きっと笑っているだろうと感じた。
ガチャっと扉が開く音がした。
「玲奈、綾、交代だぜ」
声の主は仁さんだった。
「わかった」
玲奈さんは小さく返事をして、扉に向けて歩いて行った。私もそれについて行った。
「お疲れ」
後ろから仁さんが呟いた。私には聞こえたが、玲奈さんには聞こえなかったのだろうか。玲奈さんは返事をしなかった。後ろからは少し強めに扉が閉まる音がした。
足音の反響する廊下を歩いていると、足音は2つしかないのに、後ろからはさらに3人分ほどの足音が聞こえた。さっきと同じ原理だろうと私は振り返らなかった。
広間の扉を開けると、珍しくカンさんが中央の椅子に腰掛けていた。
「ご苦労だった。玲奈」
2人で帰ってきたはずだったが、カンさんは玲奈さんにだけ労いの言葉をかけた。
「お安い御用よ」
玲奈さんもそれに答え、奥の部屋に消えて行った。状況があまり理解できない私は、そのまま玲奈さんについていこうとしたが、カンさんに止められた。
「綾。座れ」
カンさんの向かいの椅子に顎をしゃくられ、私はそこに座った。それと同時に額から汗が垂れた。部屋の温度は至って正常だった。
「何でしょうか」
「お前は、俺の、なんだ」
いつものハットを被り、俯いているため、カンさんの顔は見えない。
「僕です」
「そうだ。それは俺が命じた」
カンさんは2ヶ月前と同じように手を握り、少し上下に振った。手を開くと中には煙草が入っていた。人差し指と中指で挟まれた煙草に火をつけようと席を立とうとしたが、カンさんの大きな手に遮られた。動くなのハンドサインだ。私が椅子に座りなおすと同時に、カンさんは指を鳴らした。交差された親指と中指の間から火が出ており、それで煙草に火をつけた。
「じゃあ、僕の使命は何だ」
「それは…主人に従うことです」
「そうだ」
カンさんはそう言って、顔を上げた。ハットの下から覗く目は、死神のそれだった。
「ここで死ね。旭綾」
そう言うカンさんの右手には既に銃が握られており、銃口は私の額に向いていた。
「え…なんで…」
戸惑って席から動こうとすると、両肩と頭を何かで抑えられた。
「動かねぇほうがいいぜ。動くなって言われた時は特にな」
「仁の言う通りだ」
「俺たち男は唆しいですからねぇ」
後ろには、仁さん、戒さん、衛さんが立っていた。
「答えを聞かせろ。綾」
ガチガチガチガチという音が部屋に響く。私の歯が震えている音だ。目からは大粒の涙と汗が混じって地面に落ちていた。完全なる死。それがもう目の前にある。どこで間違ってしまったんだろうか。
「ごめんね綾」
カツンカツンという足音ともに、カンさんの後ろから玲奈さんが出てきた。
「さっきの会話、全部監視カメラでここに中継されていたの」
『そういうことだ。綾』
後ろにある大きなモニターから、声がした。後頭部に当てられていた銃が離れたので、ゆっくりと振り返ると、モニターには盲さんが映っていた。これでこの組織の役者は全員揃った。
「な……ん…で……」
声にならない声を私は振り絞った。
「何で?それは何に対しての何でなの?私たちを殺そうとしている人を殺すのは、至極真っ当なことじゃない?」
「でも私は…」
「殺すつもりなんてない。なんて…今更いうつもり?残念だけどもう遅いの。あなたさっき言ったわよね?『どんなに悪い人だって、殺されるのは嫌です。常に殺されるかもしれないんです』って。それが今、あなたに廻ってきただけよ」
「玲奈の言葉通りだ」煙草を吸い終わったカンさんが、吸殻を握って消した。
「資料室で話したかはわからないが、俺が初めてみんなにお前を見せた時、玲奈だけがお前の憎悪に気づき、俺に報告した。『この子は組織に恨みを抱いている人間かもしれない』と」
カンさんは銃のハンマーを引き、トリガーに手をかけて、続ける。
「当初は玲奈の勘違いかと思ったが、お前の変わった言動。黒点の割に殺しを怖がるところ。そして何より俺たちに向けている目。それを確認した時、俺も疑いの目でお前を見るようになった」
パンッッ‼︎と、100個の風船が一斉に爆発したかのような音が部屋に響き渡り、私の頭に激痛が走ると同時に、何らかの液体が顔面の左側を流れた。
「そして今日。いよいよ確信の時。玲奈を使い、カメラも盗聴器もない資料室で玲奈に揺さぶりをかけさせた。その結果、お前は何かを知ってしまったかのような顔で、この部屋に帰ってきた。心理学をかじっていない俺にでも分かるほど明らかな顔、明らかな嘘、だった」
パンッ‼︎と、さっきよりは小さな音が部屋に響き、私の左肩を何かが貫いた。
「あとは…玲奈のスキルで警戒心を時、お前の口から全てを聞き出した」
パン‼︎右肩。
この時の私は、あまり痛みを感じていなかった。何気ない時間に聞くラジオ放送を聞いているような心地良ささえ感じていた。
「お前はさっき俺たちを殺すのを保留すると言っていたが、先に俺が保留を解除する」
そう言うと、カンさんはさっきと同じ動作で銃を構えた。
「すまなかった」
パンッッ‼︎‼︎さっきと同じ風船が100個同時に爆発し、私の額を一直線に貫いた。
椅子からよろめき、机の上に崩れ落ちる頭部。木でできた小さな円形のテーブルを私の液体がじわじわと侵食していく。
何かの記事で“人は死んでも聴力はしばらく残る”と読んだ記憶があるが、それは間違いなかったようだ。
全てが終わり、銃声の残響が消えると同時に、モニターから声が聞こえた。
『全部終わった?』
「あぁ。終わった。“白”で処理してくれ。盲」
『キャシャシャシャ。処理するまでもねぇだろ。闇で生きてきた女だ。このまま闇の中に沈むさ』
「念には念を、だ。頼んだぞ」
『あいよー』
返事をし、盲さんはどこかに消えた。
こうして、私は人間社会の闇で死んだ。闇を生きた人間は、公の場に出ることはなく“大きな何か”によって、白くひっそりと処理される。言葉の通り、白紙に戻されるのだ。生きていても死んでいても結局、闇に沈む。
死んでもなお沈む体に、私が生を感じる事はなかった。
闇の中へ