オバチャンへ

薄給のガキの懐に優しい店だった。
オバチャンが一人でやっている店。
歌謡曲の番組や夏には野球中継がかかる様な店。

「オバチャン、生中」

通と呼ばれる方には御許し頂けない様な
泡が少なく、あふれるまで注いだジョッキ
まるで枡に注ぎ溢すコップ酒のように注がれたビール
これが、この店の注ぎ方だった。

一人者の夕食

「ガキ君、箸が進まないね」
「どうしたの?」

ガキは、ボソボソと仕事の愚痴をこぼし始めた。

「…石の上にも3年て言うし…見てみィ、山本リンダもまだ頑張っている。」

歌謡番組を映しているテレビ… 
♪マリリィ~ン♪

「ん? それ、本田美奈子…」と言う言葉をビールと共に飲み込んだ。

翌日はオフデューティーだからもう少し呑むつもりでいたが、
なんとなく腰を上げてしまった。



目が覚めた。
釣りにでもと思いカーテンを上げると雨
なんとなく車のキーを取り小走りに車に向かう。
チョークを引き、スターターを回と案外ご機嫌に掛かってくれる。
ウォームアップの間にメガネを拭き、
サベルトのシートベルトを締めチョークを戻す。

ファミレスで朝食をとり、足はなんとなくいつもの釣具屋に向かっていた。

釣具屋に最新のボロンロッドが飾られていた。
日本人釣師のシグネイチャー、ボロンⅩ吉田バージョン。

「ガキ君、入ったばっかりなんだ。」
「振ってみてよ。」

「軽い!」
フェンウィック960とは比べ物にならない軽さ、キン!とした張り
「スライドリングを外すとテネシーグリップになるよ。」
ガキは夢中になった。

「ガキ君、ボーナスでいいよ。」
悪魔のささやきが聞こえた。

「…」
今風に言うのなら“リアクションバイト”そのものだ

「ガキ君、サービスだ。」
箱の破れたクリアブルー・ストレーン
「売り物にならないからね。」



気が付くと助手席に2本のフェンウィックと2台のカーディナルがあった。
「K湖に行ってみよう」
信号待ちの間のシュポポポポというウェーバーの吸気音も音楽に聞こえた。


K湖のボート屋の休憩所で買ったばかりのロッドにリールをセットする。
来しなに買ったラケット用のテープでテネシーセッティングにして、
新品のストレーンを巻く。

X-53YにX-59Y、
ティーズワームのシュリンクパッケージを開け、キーパーフックにセットする。
カラーナンバー009「レッド・レッドグリッター」
当時のツインティーズは、大きなラメをフレーク、小さなラメをグリッターと区別していた。

1/8ozのシンカーを付けたサウスキャロライナ・リグ

軽いくせに反発力のバケ物、そんな感じのロッド

コン! 当たりが手元に響く

もう何匹釣ったろう。
当時のK湖は、30cm級ならいくらでも釣れた。

もう帰ろうかと思いリールを巻き始めると
ウィードの重さが消え、ラインが浮く。

反射的にあわせるとドラグが鳴った。

「でかい!」

ドラグが2回3回鳴る。


ボート屋の桟橋で得意満面で測ると48cm、1.8kg
丸々と太ったバス
K湖では、滅多にお目にかかれないサイズだった。


帰りの車中では、気分と一緒にタコメーターの針が
舞い上がっていた。


「オバチャン、生中」

手首には重さが、耳にはドラグの音がまだ残っている。

「ガキ君、何かいい事があった?」

「へへへへ…」

「しっかり呑んでくれないと、こっちも商売だからね。」



オバチャン、いつもご馳走様でした。

合掌

オバチャンへ

オバチャンへ

追悼

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-19

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