同調率99%の少女(13) - 鎮守府Aの物語
=== 13 川内型の訓練0 ===
流留と幸が艦娘川内と神通になるための基本訓練が始まった。まず二人は艦娘とは何かの座学・基礎体力を測るための体力測定から始めた。那珂は二人の監督となり、育成に臨む。
夏休み開始
川内と神通の着任式を終えた翌週月曜日は那美恵たちの高校の終業式の日だった。翌日からは、1ヶ月と少しの長い夏季休暇が始まる。那美恵はもちろんのこと、流留と幸の二人も、この夏休みを艦娘の活動に費やそうと考えていた。
終業式が終わると、生徒会は一学期の生徒たちの総まとめとしての申請書類・報告書の整理や教職員への報告に追われることになる。普通の生徒たちが午前中で早々に帰るのに対し、お昼すぎまで残ることになっている那美恵たち。さすがに艦娘部のほうに気が回らない那美恵は、生徒会室の扉を元気よく開けて入ってきた流留と彼女に付いてきた幸に、珍しく慌ててイッパイイッパイという様子を見せて言い放つ。
「ゴメンね二人とも。今日はあたしたち、生徒会の1学期最後の仕事でめちゃ忙しいの。だから鎮守府へは行けそうもないから、もし行くなら二人で勝手に行っちゃって。二人とももう正式に艦娘だから、いつでも好きなときに鎮守府行ってもいいからさ。よろしくね!」
「あ……はーい。」カラッとした返事で流留は返した。
「……和子ちゃん……も?」
幸は那美恵のことよりも、友人の和子の方を気にかけていた。
「うん。どっちかというと、三戸くんと私のほうが激務なので。」
そう言い終わると資料の校正や確認で忙しいのか、和子はすぐに視線を手元に戻す。幸は友人の姿を見てそれ以上口を挟むのをやめた。
会計も兼ねている三戸は電卓を叩いたり資料に書き込んだりとせわしなく視線を動かしていた。チラリと見える横顔が凄まじく真面目な表情をしていたため、さすがに空気を読んだ流留は三戸に声をかけるのをやめて呆けた顔で眺めるだけにした。
那美恵も早々に目の前の資料の確認と捺印のために視線を戻した。流留と幸はここにいるべきではないと判断し、那美恵たち4人の邪魔をしないよう、小声で話を合わせて生徒会室を出ていった。
「さっちゃん。あたしたちだけで今日は鎮守府行こうか?」
「……はい。」
行く前にせめて顧問の阿賀奈に一言断ってからいこうと幸が密やかな声で提案したので二人は職員室に行き、阿賀奈に会うことにした。
職員室の戸をノックして断ってから入り、阿賀奈の姿を探していると別の先生が話しかけてきた。誰を探しているのか尋ねられた流留は正直に伝えた。するとその教師は、阿賀奈など若手の教師は終業式の会場の片付けをしているという。
さらに何の用か尋ねてきたが、流留達は急ぎの用事ではないのでいいですと断って職員室を後にした。
「なんか、みんな忙しいんだねぇ……。」
「そう……ですね。」
「あたしさ、今まで先生のこととか生徒会のこととかまったく気にしたことなかったからさ、終業式の日がこんなに忙しいんだって知らなかったよ。あたしら普通の生徒が早く帰れるのに、大変だよね~。」
幸は流留の気持ちの吐露にコクリと頷いた。
結局流留と幸は二人で鎮守府に行くことにした。
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学校から駅へ、電車に乗って鎮守府のある駅へ向かう二人。駅の改札口を出て周りを見渡すと、お昼時のためか人が多い。学生は夏休みに入る頃だが、会社員など勤め人は普通に平日なのだ。
「そういえばさ、西脇提督って会社員だとか言ってたじゃん。」
幸はコクリと頷いて黙って流留の言うことの続きを待つ。
「あたしたち学生が夏休み入ってるのに、会社でも仕事して、鎮守府でも仕事して、マジ大変そうだよね~。」
一拍置いて流留は再び口を開く。
「……あたしさ、小さい頃一緒に遊んだ従兄弟の兄ちゃん達いるんだけどさ。大分歳離れてたから、あたしが中学行く頃にはもう働きだしちゃってほとんど会えなくなっちゃったんだ。会いたいって思った時にはいつも仕事仕事。イラッとしたけど、それと同時に働くのって大変なんだなぁって思ったよ。といってもあんま実感ないからホントにただ漠然に思っただけなんだけどさ。」
幸は話の筋が見えず、前髪で隠れた顔に?を浮かべた表情をする。
「つまり何が言いたいかっていうとさ、なんかいろいろと思い出しちゃって、提督のこと従兄弟の兄ちゃんみたいに思えてくるんだ。これ他の人には内緒だよ?さっちゃん口硬そうだから言うんだからね?」
照れ笑いを交えながら語る流留。幸は突然流留から妙な独白を聞いて困惑するも、なんとなく話がわかってきたことと、信頼されたことに嬉しさを感じたので了解代わりの頷きを2回した。
「従兄弟とは今も全く時間も都合も合わなくて会えない分、代わりに提督を……そのさ、いたわって喜ばせてあげられたらなって思うんだ。どうかな?」
目を輝かせて自分の思いを打ち明ける川内。それは那美恵と凛花が抱いているものとは、方向性が違っていた。
「うん。それ……いいと思います。」
ようやく言葉に出して相槌を打った幸。流留の考えと思い、経緯はどうであれ、自分たち艦娘の上司にあたる西脇栄馬という人の労をねぎらうのは良いことだと幸は賛同した。
「といってもさ、あたしにできることは何かって考えたらさ、趣味が合うからせいぜいその話で気を紛らわせてあげるくらいかな。何か物あげたりするのはなんか違う気がするしさ。」
「……内田さんの思うままに、やってあげるのが一番いいと思います。」
「そっか。そう言ってくれると自信付くわ。ありがとね、さっちゃん。」
流留の突然の思いの吐露。幸は心の奥底では流留に若干の苦手意識があるのを感じていたが、この同級生の人となりを知り、同級生として・艦娘の同期として、なんとかやっていけそうと実感を沸き立たせた。
このことは流留から信頼されて言われたとおり、誰にも言わないことを心に誓う幸であった。
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喋りながら歩き、気がつくと鎮守府の手前の交差点まで来ていた。そのまま進み、二人は鎮守府の本館手前の正門にたどり着いた。
「そういえばさ、なみえさんの案内なしで二人で来るのって初めてだよね。」
「はい。」
「なんか、一人前の艦娘って感じしない?」ニンマリとした顔で自信のある表情をした流留は隣を見て言った。
「あ……実は私も……。」
流留の考えていたことは幸も考えていたので、打ち明け合うと二人はなんとなしにクスクスと笑いあった。
本館の手前まで来ると、笑いあっていた二人は気を引き締めあう。
「さて、なみえさんの言ってたように、鎮守府に一歩入ったらお互い川内と神通だね。」
「……はい。」
「じゃあ行こう、神通。」
「はい、うち……川内さん。」
那美恵と決めた通りの呼び名、それを使う。
流留は頭の中で切り替えができており、幸を初めて神通と呼んだ。しかしながら彼女とは異なり幸は言い慣れず気持ちの切り替えも完全にできていなかったのか、流留を本名の苗字で呼びかけてしまう。
「ちょっと神通、ちゃんと切り替えてよね。」
「よく、川内さんは……気持ちの切り替えできたね。」
川内はフフンと鼻を鳴らして答えた。
「だってあたし、ゲーム好きだし、こういうロールプレイングゲームみたいな成りきりも一度マジでやってみたかったんだもん。だからこういうの平気だし結構ノリノリなんだぁ。艦娘ってあたしにとって天職になるかも?」
やはり自分とは異なる。神通は川内に対して改めてそう感じた。自分では思うようにやれないことを平然とやってのける。那珂といい川内といい、どうしてこうもアッサリやれるのか。
艦娘に正式に着任したとはいえ、気持ちを完全に切り替えられない神通は少し自信をなくしかけた。彼女は自分を変えたいを願ったのだが、元来持つ自信のなさがどうしても邪魔をする。神通は川内のように、艦娘になるにあたってこれまで在った自身の何かを犠牲にして完全に吹っ切れるには至っていないのだ。
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話しながら本館に入り、足を運ぶは艦娘の待機室。二人は那美恵のように、いきなり提督に会いに執務室に行くという考えにはまだ至らない。
そんな二人が待機室で目にしたのは、不知火と夕立という珍しすぎる組み合わせだった。夕立はいつもの中学校の制服ではなく私服だ。一方の不知火は先日川内たちが見た姿であり、五月雨たちの中学校のものとは異なる、彼女の学校指定の制服と思われる格好だった。
「こんちは、二人とも。」
川内は軽い口調で話しかける。
「こんにちは~川内さん、神通さん!」
「……こんにちは。」
4人ともそれぞれ挨拶しあい、適当な席に座って落ち着いた。川内と神通は真っ先に夕立の私服が気になっていたので尋ねてみた。
「ねぇ夕立ちゃん。」
「はーい?」
「なんで私服なの?学校は?」
川内からの質問を受けて、夕立は待ってましたとばかりにドヤ顔で答え始めた。
「エヘヘ~。実はねぇ、うちの学校、先週の土曜日に終業式だったの!だからもう夏休みなんだよ~。羨ましいっぽい~?」
「そうなんだ~でもうちらだって今日終業式で、実質今から夏休みだし!」
川内の言い返しに神通はコクリと頷いて同意した。
二人の薄いリアクションを見た夕立は思い通りに行かなかったためか、唸って悔しがる。
「キーーー!二人ともつまんないっぽい!ぬいぬいもあんま悔しがってくれなかったし、後は五十鈴さんだけが最後の希望っぽい!!」
「……これでもかなり羨ましいと思ったのですが。」ボソッと不知火がつぶやく。
言われた時、不知火は相当悔しがっていたのだがポーカーフェイスすぎて夕立には不知火のリアクションがまったく理解できなかったのだ。
「え、不知火ちゃんにもまさか同じこと……したの?」
川内の確認に夕立がコクリと頷くと、不知火は表情一つ変えずに同様にコクコクと頷いた。その揃った様子に川内と神通はアハハと苦笑いをするしかなかった。
今まで口を開かなかった神通がようやく開き、不知火に質問をした。
「あの……、不知火さんのところは、まだ学校あるのですか?」
夕立が私服でいれば否が応でも気になってしまう対比の服だ。神通の質問に不知火は一拍置いて答えた。
「うちは明後日です。」
大事な単語をすっ飛ばされて一瞬理解が追いつかず、えっ?と眉をひそめる川内と神通。つまり明日終業式で、明後日から夏休みなのが不知火こと智田知子の中学校のスケジュールだということを数秒遅れて理解できた。
「そ、そうなんだー。あと1日大変だねぇ。」と川内。
「そうすると……今日はなんで鎮守府に?」
何かを気にし始めた神通がさらに不知火に質問する。
終業式を迎えてない以上、不知火(の学校)はまだ普通の授業がある日なのになぜ来ているのか。こうしてお昼すぎに鎮守府に来ているということは、特別な事情があることが予測される。
「今日は出撃です。」
不知火がぼそっとした声で言った。誰ととは言わない言葉足らずだが、この場を見るに誰でも察しがつく。不知火の言葉足らずを夕立が補完した。
「今日はねぇ、ますみんとぬいぬいと3人で出撃なんだよ~。」
「お二人はなぜ?」と不知火。
「ええと、私たちは……初出勤をただなんとなく、したかったからなんです。」
「本当は那珂さんと来る予定だったんだけどねー。あの人忙しくて来られないというので先に来たの。」
夕立と不知火はふぅんと頷くだけで、それ以上話が続かなかった。その場には普段は話をなんとなく適切に広げてくれる那珂・時雨・村雨がいないためだ。その空気に若干焦る神通。一方で川内はその空気を別段気に留めていない。もう一人気に留めていないのは夕立だった。白露型の少女たちの中ではボケ担当なその少女が空気を読んで何かをするということはまずあり得なかった。
「そ、そういえば夕立さん。」
「はーい?」
「いつも一緒にいる……時雨さんや五月雨さん、村雨さんたちはどうしたんですか?」
手持ち無沙汰にペットボトルをピシピシと弾いていた夕立は神通に問いかけられてその手を休めて反応する。
「ん。ますみんは今てーとくさんのところに任務聞きに行ってるよ。さみと時雨はお家の用事で今週はパスだって。二人はいきなり夏休み楽しんでるっぽい~。」
セリフの最後はやや表情を不満げにして声に表していた。
夏休みともなると、各々普段の生活のスケジュールが劇的に変化するので会いやすくなる反面、家族旅行などでいなくなると当分は会えなくなる。艦娘の世界とはいえ、基本的には日常と変わらないのだなと神通は感じた。
「五十鈴さんと妙高さんは正直よくわからないから置いとくとして、五月雨さんや時雨さんまでいないと、なんか来ても面白くないねぇ。夕立ちゃんたちはこの後出撃しちゃうんでしょ?」
「うん。ますみんが戻ってきたら多分すぐっぽい。」
川内は感じていたことを正直に述べると、夕立が想像で説明をしそれに不知火が頷いた。
「そっか。そしたらあたしと神通だけじゃん。あ!そうだ神通。執務室に行ってみない?提督に会いに行こうよ。」
川内の思いつきを聞いた神通は賛同しようと思ったが、夕立が言っていたことを思い出し、ひとつのことを察して頭を振って拒否した。それを見て目をぱちくりさせている川内に説明した。
「ちょっと……待って。村雨さんと提督は……今作戦会議中なのでは? 会議の邪魔をしてしまうのはいけないかと……。」
「そっか。そうだね。邪魔はいけないよね。うんわかった。」
神通から咎められて、川内はさきほど生徒会室で目の当たりにしたことを思い出した。那美恵たちは皆忙しそうにしていた。邪魔してはいけないと判断して出てきたというのに、同じことでうっかり提督の邪魔をしそうになってしまったと感じ、声のトーンを下げる川内。神通のとっさの判断により、川内は思いとどまることにした。もし神通が気づかなければそのまま執務室に突撃していたところであった。
ずっとただ待っているのも退屈と感じた川内は、お昼ごはんを食べに行こうと提案した。今度は神通も賛同したので昼食を買いに鎮守府を後にした。
なお、夕立と不知火はすでに昼食を済ませたというので気兼ねなく川内と神通は昼食を取りに出かけた。
平穏な初日
鎮守府に一番近いコンビニで昼食を買って川内と神通は鎮守府の艦娘待機室へと戻ってきた。するとそこには先ほどいなかった村雨がおり、夕立と不知火に何かを伝えていた。
「……というわけよ。二人とも大丈夫?」
「はい。問題ないです。」
「はーい。おっけーおっけーっぽい~」
村雨は二通りの反応を目にして、最後の夕立に対しては額を抑えて再度言った。
「ゆう……本当にあなた大丈夫なのね?」
「え~なんで疑うの~?」片方の頬をふくらませて不満げに夕立は反論する。
「返事くらいちゃんとしてよぉ。旗艦としてはあなたの反応不安になっちゃうのよ。」
「あたしちゃんと返事したんだけどな~。」
「はぁ。さみや時雨の苦労がなんとなくわかった気がするわ……。」
今回初めて旗艦を務めることになる村雨は、よく旗艦を務める五月雨や時雨の苦労を実感できた。そんな苦労は知らんとばかりに爛漫に振る舞う、頭を悩ませている張本人たる夕立は村雨の悄気げる態度をケラケラと笑うのみである。
川内と神通は3人が話していることはよく聞こえなかったが、村雨の仕草だけは分かった。なんとなく苦労していると。
「村雨ちゃんだっけ? こんちはー、どうしたの?」
「あ、川内さん。こんにちは~。私今回初めて旗艦務めるんですけど、メンバーをまとめるのって大変だなぁ~って思いましてぇ。」
「あ~、あたしたちまだ艦娘になったばかりで知ったような口聞いちゃうけど、なみえさんが生徒会長やったりするようなもん?」
川内の例えを村雨は理解できた様子で、頷いて肯定した。
「まぁ、出撃頑張ってね。3人だけなんでしょ?」
「はい。それでは行ってきますぅ~」
那珂とはまた違うタイプの気さくであっけらかんとした性格の川内の言葉に、村雨はニコッとはにかみながら言葉を返し、夕立と不知火を引き連れて待機室を出て行った。
村雨たちが部屋を出る前に川内が聞きだしたところによると、鎮守府Aの担当海域の外れにある湾内に、海に付きだした形で存在する公園、そこから見える範囲に最近深海凄艦らしき影が確認されたという。偵察任務メインの出撃とのこと。
説明を聞いて、部屋を出て行く3人の背中を見ていた川内と神通はどちらともなしにため息を漏らして今の気持ちを吐き出した。
「出撃、いいなぁ~。早く外に出て戦ってみたいなぁ~。」
「わ、私も……いつか戦っても平気なようにしたいです。不知火さんたちに笑われたく……ない。」
「うん。そうだね。二人で訓練頑張ろうね、神通。」
「はい。」
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三人がいなくなり、待機室には川内と神通の二人だけになった。買ってきた昼食をテーブルに置き、 (主に川内が一方的に)おしゃべりしながら食べ始めた。
口を二通りの目的で動かす川内と食べるためだけに動かす神通。神通は川内の話す内容を口を挟まず食べながら聞いている。川内の繰り出す話題はゲームだのアニメだのフィギュアの工作だの、およそ一般的な女子高生らしからぬ内容だったため、正直なところ神通にはサッパリであった。ただ一つ、工作物に関しては若干の興味を示すものの、それでも口を挟まず、ただ眉と目をわずかばかり反応させて相槌を打つのみである。
ひとしきり話して満足したのか、川内はクライマックスとばかりにスポーツドリンクをゴクゴクと喉を鳴らして豪快に飲み干して食事を終えた。男子高校生さながらの仕草である。川内の食事は始めてから10分程で終わっていた。
「ぷはーっ!はー、ごちそうさまでした。」
「……川内さん、食べるの早いです。喋りながら……なんで早いんですか?」
「えっ、そうかな?あたし普通に食べてるだけなんだけどなぁ。」
川内は椅子の背もたれに思い切り体重をかけてふんぞり返って言葉を返す。対する神通はまだ食事が終わっていない。彼女はチョビチョビと少量ずつ食べているためだ。川内から見るとイラッとするほどスローペースな食べ方だが、世間的には一般的な女子高生の食べ方の範疇で、さらに言えば大和撫子!と言いたくなるほどの上品な食べ方であった。
「てか神通の食べ方がノロノロすぎるんだよ。もっとサクッと食べなよ。」
「……食事は、その人の素が出る行為の一つです。どんな時でも恥ずかしくないようにしろと、ママから教わっているので……。」
川内にしとやかに語る神通は再び食べ物を口に運び始めた。川内はその様をボケ~っと眺めることにした。6~7分ほど経ってようやく神通の食事が終わった。
「……ごちそうさまでした。」
「神通さぁ、普段のお昼間に合ってる?」
「? はい。普段は和子ちゃんと一緒なので、お互い同じくらいですが。」きょとんとした表情で答える神通。
「あぁ……まいいや。」
和子と聞いて、似たもの同士なら気にならんだろうとなんとなく理解した川内はそれ以上ツッコむのをやめた。
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食べ終わった神通は、着任式のあの日から川内に対して思っていたことをおそるおそる聞いてみた。
「あの……川内さん。聞いてもよろしいですか?」
「ん?なぁに改まって?」
深く深呼吸をする。そして神通は口を開いた。
「川内さんは、同性と接するのは苦手とおっしゃってましたけど、なみえさんや私は……いいとして、村雨さんたちは大丈夫なんですか?」
神通からの素朴な疑問だった。川内はん~~と虚空を見つめて考えたのち、答える。
「あたし、同性と話すのそんなに苦手でトラウマってわけじゃないよ。あたしは、典型的な女子同士のいじめをするような性根の腐った馬鹿女が嫌いってだけ。まぁそれ以外でも話合わなきゃガッツリ苦手だと思うけど。あたし、思ったことわりとすぐ口に出しちゃうタイプだから、苦手な人は苦手だって馬鹿正直に言っちゃうと思う。」
「では五月雨さんたちは……?」神通はそっと尋ねた。
「ん~~。とはいえ五月雨さんたちくらいの年下なら、平気っぽい。でもなみえさんや神通以外の人とは、ちょっとだけ我慢してるってか踏ん張ってるっていうか、ともかくなんか違うっていう感情は持ってるかなぁ。」
なるほどと神通は相槌を打った。川内の苦手だというタイプを述べる時の彼女の表情はやや険しく、そのときのセリフには、熱がこもっていた。
「あたし頭悪いし人の感情とか察するの得意じゃないからさ。変に考え過ぎたりあとでクヨクヨするの面倒だから、あまり物事深く考え過ぎないようにしてるの。あたしにつっかかってくる奴らは大抵あたしのことひがんでる性根の腐ったやつらだったし、そういう奴らは無視が一番。あたしはそうやって今まで自分の身を守ってきたんだもん。あとは艦娘の世界にそういう人がいないことを祈るだけ。まぁでも同じようなことが今後もあれば、あたしは艦娘の世界であっても同じ対処するかなぁ。だって気にしても自分だけ傷つくんだよ?損じゃん。」
川内の語る思いはある意味で順当な対策で、視点を変えてみると逃げだと神通は思った。だが臭いものに蓋し、根本的な解決をしなくても人は生きていける、見ないということは逃げではなく生きるための選択肢でもあるのかと、神通は目の前にいる、明るく竹を割ったような振る舞いをする中性的な美少女、自分の同期である川内こと内田流留を見てそう感じた。
以前川内は、自分は嫌なことがあって(艦娘の世界へと)逃げてきたと言っていたことを神通は思い出した。本人的には逃げてきたという捉え方なのだろうが、それでも神通にとっては覚悟を決めて逃げるという選択肢を取った、勇猛果敢な人物だと感じた。逃げただけあって、きっとあの学校では彼女にとっては何も変わらないのだろうが、それを無視し耐えるに見合うだけの生きる価値を、彼女は艦娘の世界に見出したのだろう。自分を変える一手。
神通は、自身のことに目と耳と心を向けた。
あらゆる目立つことから逃げてきた。逃げたというよりもあえて見ずに平々凡々と生きてきた。
川内のような起伏の激しい生き方をしてきたわけではない。今こうして艦娘の世界に足を踏み入れてはいるが、流留のような覚悟と選択肢を選んだわけではない。ただなんとなく自分を変えたいと願っただけの目的意識に薄いかもしれない自分なのが、神通を名乗っている自分なのだ。生徒会長光主那美恵のような万能な完璧超人なぞ程遠い。彼女があまり大した理由を持たずに艦娘の世界に飛び込んだと言っていたのを思い出したが、きっとそれは嘘。きっとすごい目的を持っているに違いない。
勉強はそれなりに得意だけれども、それ以外、運動などは得意ではない、人に自信を持って言えるだけの趣味もない、平凡な生き方をしてきた自分。情けなく思えてくる。
自身と全く違う那美恵と流留という人が側にいるため、神通は自分を情けなく感じ更に自信をなくし始めていた。何か劇的な出来事を経験したい。神通が唯一願うのはそれだけであった。
「お~い?神通? さっちゃんや~?どうしたのボーっとして。」
「……えっ!? あ……。」
「あたしの話、重かった?悩ませるつもりはなかったんだけどなぁ。」
後頭部をポリポリかきながら謝る川内。事実、川内には本当にそんなつもりなく、ただ口にしただけである。
「え……と。わた、私は……」
神通は自分も何か語らなければ、同期の話を聞いたのだから自分も何か語らなければずるいと思い、言おうかどうか葛藤する。
それを川内が遮った。
「あぁ、言わなくていいよ。別に聞きたくないわけじゃないけどさ、さすがのあたしでも神通が言いづらそうってくらいはわかるのよ。たかだか数日接しただけのあんたが何を知ってんだって思われるかもしれないけどさ、無理して言わなくていいってことね。心の底から自分から話したくなった・話せるようになった時に打ち明けてくれればいいや。あたし頭悪いからなんのアドバイスもできないと思うけど、黙って聞くくらいはしてあげるから。ね?」
那珂こと那美恵と違うタイプで心優しい目の前の少女。神通は、今はその突き放したような彼女のぶっきらぼうで男っぽい優しさに救われた思いがした。黙って聞いてくれる、側にいてくれる。唯一の友人だった和子とはまた違うタイプだが、ある面では似てる川内こと内田流留。先のような苦い出来事を経験してこの場にいる川内ならば、心許せるにふさわしい。それに同学年という点も外せない好条件だ。
自分にないものを持っていて、自分の側に静かにいてくれる。
少し気恥ずかしさもあるが、幸いにも顔は長い前髪で隠れている。神通は実際の顔は照れを浮かべながら、言葉は静かに感謝を返した。
「うん。ありがとう……川内さん。」
「いいっていいって。」
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「さて、二人ともお昼終わったし、今度こそ提督のところ行こ?」
「……はい。」
今回は神通も気になることは解消されたので川内に全面的に賛同した。ゴミを片付け待機室を後にし二人が執務室の前に行くと、ちょうど提督が扉を開けて出てきたところだった。
「おぉ!?二人とも。来てたのか。」
「はい。こんにちは提督。」
「……こんにちは。」
「あぁ、こんにちは。えーっと、那珂は?」
挨拶をして真っ先に那珂のことを聞く提督。それに対しては川内が説明をした。
「なみえさんは生徒会の仕事が忙しくて多分来られないと思います。あたしたち、初出勤ということで二人だけで来てみたんです。」
「そうか。君たちは訓練前だし任務も何もないから、適当にゆっくりしていってくれ。」
「ねぇ、あたしたちの訓練は?」
川内は気になっていたことを聞いた。川内から訓練を催促された形になり提督は頭をポリポリかきながら戸惑いつつも答えた。
「まだ二人に言えるほどスケジュールできてないんだ。本当は監督役の那珂が来たら打ち合わせしようかと思ってたんだけど……仕方ないからあとで俺の方から連絡してみるつもりだ。だから、訓練の説明は後日ってことで。」
「な~んだ。つまんないの。」
「……川内さん。その言い方は……。」
「だってホントだし。これじゃ初出勤で来ても何にもすることないから来た意味ないじゃん。」
不満たらたらで愚痴を漏らす川内と、それを注意して抑える神通。
提督はその様子を見て、二人の人となりが少し分かった気がして微笑ましく思った。が、やることがないと言われると心苦しくなる。訓練を受けさせてない以上はうかつに同調させるわけにも、戦闘訓練として演習を勧めるわけにも行かない。艦娘名を名乗っているだけのまだ一般人同然の女子高生二人なのが、目の前の川内と神通なのだ。
何か話題を振らなければと考える提督。すると川内が先に口を開いた。
「ねぇ提督。これから何するところだったの?」
「ん? これからお昼買いに行こうと思ってたんだ。そうだ!二人とも良かったら一緒に行かないか?」
提督のせっかくの誘いだったのが、二人はバツが悪そうな表情をする。
「ゴメンね。あたしたちついさっき食べたばかりなんだ。」
なんともタイミングが悪い3人であった。
「じゃあ俺お昼買ってくるから、二人ともよかったら執務室にある本でも読んでてくれよ。艦娘や深海凄艦に関する資料が揃ってるから、訓練を始める前の予習ってことでさ。」
提督がそう提案すると、二者二様の反応を目の前の女子高生は見せた。
「え~~!あたし本読むの苦手なんだけどなぁ。」
「本……あるんですか!?私、それ読みたいです。」
面倒臭がる川内と、本と聞いてやる気を見せる神通。提督はその様子を見てまた一つ、二人の人となりがわかってきた気がした。
「うんまあ、あとは適当に任せる。俺が帰ってくるまで留守番しててくれ、な?」
「はーい。いってらっしゃーい。」
「(コクリ)」
川内と神通は昼食を買いに行く提督を見送ると、すぐに執務室に入った。執務室には当然誰もいない。
秘書艦席は机の上が綺麗に片付けられており清潔感が溢れている。デスクカバーの中には海をモチーフにした絵が挟まれていた。そして一輪の花が小さな花瓶に刺してある。秘書艦は五月雨だということを思い出した二人はそれが彼女の趣味なのかと想像する。
秘書艦席の後ろには3個ほど本棚がある。とはいっても全棚が本で埋まっているわけではなく、隙間がまばらにある。あとは荷物入れの棚やロッカーがあった。
次に二人が提督の執務席に目を向けると、そこには机の上にノートPCと書類が何枚か、そして机の脇には筆記用具や文房具を入れると思われる小棚があった。他には趣味と思われるペットボトルのおまけのフィギュアがいくつか並べられている。配置が縦一列や横一列ではなく、意味ありげな配置になっていた。秘書艦席とは違いやや雑多だが西脇提督の人となりがわかる、整えられた机だ。
「あ、このフィギュア、あたし一個持ってる。提督も集めてるんだ~。」
「……川内さん、知ってるの?」
「うん。コンビニでこれ見たことない?今キャンペーンやってるんだよ。」
川内の説明を聞くがさほど興味がない神通は適当に相槌を打って返事をするのみにした。
提督の執務席の後ろにはガラス張りの戸が付けられた、本棚くらいの背の高い棚がある。そこには西脇提督が写った写真や五月雨が写った写真、二人が写った写真が写真立てに飾られていた。他にはこの鎮守府、正式名称の書かれたブロンズの盾が静かに鈍い光をたたえ、公文書と思われる書面が埋め込まれている。
"208x年1月8日 ○○県○○市○○区○○設置
深海凄艦対策局オヨビ艤装装着者管理署千葉○○支局・支部 以下ヲ命ズル
ア 深海棲艦(ソノ他類推サレル不明海洋害獣生物)ノ駆除
イ “ア” ニ対応スル人員(以下、艤装装着者)ノ採用・教育・訓練
ウ “イ”ノ艤装装着者ノ教育
エ ・・・
・・・・・・
防衛省 深海凄艦対策局オヨビ艤装装着者管理署統括部 部長(局長) ○○○○
防衛省 艤装装着者統括部 部長 ○○○○
防衛大臣 ○○○○
総務省 艤装装着者生活支援部 部長 ○○○○
厚生労働省 艤装装着者生活支援部 部長 ○○○○"
仰々しく記された文面を見てゴクリと唾を飲み込んで圧倒される二人。
「なんかこういうの見ると、あたしたちすんごい組織に入ったんだなって実感湧くねぇ。」
「……はい。不思議な感じです。」
「あとこの隣の写真さ、提督すんごい硬い表情、おっかしぃ~!」
数人の男性と一緒に写っている提督の写真を見た川内はプッと笑い始める。それがどういう集まりの写真なのかは二人にはわからなかったが、少なくともこの艦娘制度に関する人たちの集まりなのだろうと察した。
「あ、これ提督と五月雨ちゃんが写ってる。お?五月雨ちゃん中学校の制服着てるー。この姿見たことないから新鮮だな~。」
「これ、本館の正門のところでしょうか?」
「そう言われるとそうだねぇ。でも本館まだ変な柵っていうか網がかかってる。工事中だったのかな?」
提督と五月雨が写った写真は、鎮守府Aの本館の正門の前で撮られたものであった。神通が写真の日付を見ると、前年の12月20日とある。さきほどのブロンズの盾よりも前の日にちになっていた。
「人に歴史あり、ですね……。」
「ん?」
「いえ、私達の知らない、人の歴史を見るのって、面白いと……思ったんです。」
「ん~。そう言われると確かにね。この二人まだ固い表情してるから、きっと出会ったばかりの頃だったんだろうねぇ。会社員と中学生、不思議な組み合わせ~。」
提督と五月雨が写った写真などを見てあれやこれやと想像しながらおしゃべりをする川内と神通。提督がいないのをいいことに、本よりも執務室にある様々なものを興味津々で見て回っている。川内と神通の二人は、本よりもむしろ部屋の中のものを見て回るのが、共通して楽しめることだったのでノリノリなのであった。
ひと通り見て回った川内と神通は最後にソファーに座り、入り口付近に立てかけてある壁掛けタイプのテレビに注目した。
この時代のテレビは、かつて存在したようなブラウン管や液晶一体型の機器そのものではなく、専用のスクリーン用のシートおよび好みの壁の四隅に取り付けてその四隅の中に映像を映しだすという、超小型の機器(群)になっている。機器の投影範囲には性能差があり、執務室にあるテレビ(の装置)の間隔は長辺が140cmあった。2020年代に革新的な形式の製品が発表され、それから2030年代にもなると、スクリーン一体型のテレビは一気に廃れてサイズ拡大競争もリセットされ、テレビは進化をやり直していた。流留たちの時代ではこの形こそがテレビという常識である。執務室にあるサイズのテレビは大きい(幅)でも圧倒的な美麗さで大抵の材質の壁でも綺麗に映る高性能タイプだった。
なんとなくテレビをつける川内。月曜日のお昼すぎ、テレビ番組は特に興味を引くものは放送していない。チャンネルをを切り替えてみると、ちょうど映画が放送されていたので二人はそのまま映画を見ることにした。
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しばらくすると提督が手に袋を下げて執務室に戻ってきた。
「お、なんだ。テレビ見てたのか。」
「うん。見たらダメだった?」と川内。
「いや、別に構わないよ。それと……はい。二人にジュースとお菓子。好み知らないから適当だけどいいかな?」
「やったぁ!ありがとー提督!!」
「……ありがとうございます。わざわざ。」
「いいっていいって。今日は退屈させちゃって悪いからさ、せめてお詫びにってことで。」
提督は袋をさげたままソファーの間のテーブルの前に立ち、二人のために買ってきたジュースとお菓子を取り出して渡した。川内がそれとなくチラリと袋を見ると、その中には焼肉弁当と執務席の机の上にあったペットボトルの蓋のフィギュアがおまけに付いたお茶が入っていた。
「あ~提督。それまた買ってきたんだ。集めてるの?」
「気づいたのかい。うん、なんとなく集めてるんだ。川内も?」
「あたしも一個持ってるよ。けど今回のキャンペーンは好きなキャラいないからパス。」
「そうか。俺はこの作品好きだからなぁ~」
「それじゃさ!この前のコラボにあった作品は……」
話がノリだした川内は提督とフィギュアの話からそのコラボ作品のアニメの話に移った。提督は執務席に戻り弁当を開けて食べ始め、会話相手の川内はソファーに座りながら提督の方を見て話を再開した。提督はウンウンと相槌を打ち、時々自ら話を振って川内の話を盛り上げる。
神通はその話についていけないので黙って見ているだけである。ただ彼女が感じたのは、その様子がさきほど川内が打ち明けた提督への思いが実行に移されている、ということであった。
あまり深く物事を考えないであろう川内は本当にただなんとなく、話題のキーとなるおまけ製品を見つけたから話し始めただけなのだろう。
意図せず自分の望んだ通りの展開をできていることを羨ましく思い、いつか自分もそういう会話を艦娘の誰かと楽しみたい、そう願う神通であった。
提督はひと通り食べ終わり、片付けをした後二人に対して話しかけた。
「そういえば何か本は読んだかな?」
「え?あ~うん。ま~色々見させてもらったよ。色々と。」
「えっと……あの、見させてもらいました。さ、参考に……なりました。」
二人は焦りつつも答える。提督は特に深く尋ねる必要もないだろうと感じそれ以上話を広めるつもりなく、言葉を続ける。
「そうか。いずれもっと関連資料集めて図書室作るつもりだから、もし本好きなら協力してほしいな。その時はよろしく頼むよ。」
「「はい。」」
提督の何気ない将来の希望に、元気よく返事をして答える二人。その後川内と神通は提督から艦娘制度のことについて簡単に説明を受けたり、提督の労をねぎらうつもりで雑談などをして過ごし、16時前には鎮守府から帰っていった。
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終業式であった月曜日、那美恵は生徒会の仕事でてんてこ舞いで結局鎮守府に行くことができなかった。生徒会の仕事がようやく片付いた午後突入後1時間半ほど経った頃、時間的に余裕はあるにはあったのだが、肉体的にも精神的にもヘトヘトになった那美恵は同じく疲れきっていた三千花や三戸、和子ら同生徒会メンバーと一緒に帰り、遅めの昼食をとってそのまま帰宅していたのだった。
その夜、那美恵は提督から連絡を受けた。内容は川内と神通の訓練のことであった。
「こんばんは那珂。川内と神通の基本訓練について、話したいことがあります。明日は都合大丈夫でしょうか。」
おっさんらしい、硬い文章である。それに対し那美恵は普段の口調と同じ雰囲気の文章で返信した。
「おっけ~ですよ♡ 今日は鎮守府に行けなくてゴメンねm(__)m 二人は今日はどうだった? と・く・に、川内ちゃんが迷惑かけなかったかなー?」
数分して提督から返信がきた。それを読む那美恵。那美恵の文面の影響からか、文調は砕けていた。
「おー。特には。それから二人には気持ち良くしてもらって助かったよ。」
いきなり出てきた想像だにせぬフレーズに、那美恵は思わず文面を二度読みした。
「き、気持ちいい……?な、なにそれぇーーー!?」
提督から来た返信の最後の文章に那美恵は頭にたくさん!?を浮かべて混乱し始めた。一体何が気持ちよかったというのか。那美恵は混乱しすぎて自室で一人慌てふためき、やがてあらぬ妄想をしだす始末。
「も、もしかして何も知らない二人をいいことにイ、イケないことしちゃったんじゃ……!?」
頭をぶんぶん振って変な考えを振り切る那美恵。
「いやいや、あの西脇さんだもん。そんなことしないはず。ってそんなことってなんやねん!」
セルフツッコミをするほどまだ混乱している。
尋ねようにも夜遅くいため提督の都合を考え、また自身の心境も落ち着いていないので返信するのはやめておいた。明日鎮守府に行ったら直接問いただしてやろうと心に固く決意する那美恵であった。
訓練に向けて
翌日火曜日、夏休み初日となって気分が一新された那美恵は流留と幸に連絡を取り、今日は鎮守府へ行くと伝えた。
「おはー!今日はあたし朝から鎮守府行くよ。二人はだいじょーぶ?」
すぐに流留と幸から返信が来た。
「おはようございます!あたしも朝から行けますよ~」
「おはようございます。私もこれから出発します。どこかで待ち合わせでもしますか?」
「それじゃー、○○駅の改札出たとこにしよ?10時半でいいかな?」
「OKです。」
「はい。了解いたしました。」
朝9時頃、那美恵は起きて朝ごはんをゆっくり食べたあとのメールのやりとりをする。流留と幸もほぼ同じようで夏休みだというのに早起きしているのであった。
待ち合わせを取り付けた那美恵たちは間に合うように朝の身支度をして自宅を出て向かっていった。
那美恵が駅(鎮守府Aのある駅)の改札口を出て見渡すと、まだ流留と幸はいないようだった。時間は10時20分。那美恵は、時間は決めたよりも早い時間に行って確実に皆を待つタイプなのだ。
30分になった。駅構内から人がぞろぞろ降りてくる。ちょうどそのダイヤの電車が停車していたのだ。その人の中に前髪を思い切り垂らして顔を隠した少女が歩いてくる。神先幸だ。
那美恵は彼女に気づくと、まだ距離があるにもかかわらず声を上げて呼び寄せた。
「お~い!さっちゃ~ん!ここだよ~!ここここ!」
那美恵は人の目なぞ一切気にしない質だが、幸はおとなしい性格のためモロに気にする。那美恵が声を上げた瞬間、周りの人間は那美恵や自分たちの側にいるであろう呼ばれた"さっちゃん"なる人物がどこにいるかキョロキョロする。とはいえ皆特に興味を持続する気もないのかすぐに自分たちの目的のために視線を本来の方向に戻してスタスタと立ち去る。
そのため幸が那美恵の側に行く頃には周りの人間はすでに気にしていない様子だった。
「……お、おはよう…ございます。」
「うん。おはよー!」
「あ、あの……」
「ん?どーしたの?」
幸はもじもじしながら数秒してやっと言葉をひねり出す。
「あまり……離れたところから呼ばないで……ください。」
幸の必死の懇願に那美恵は目をパチクリさせたあと、困り笑いしながら弁解した。
「アハハ~ゴメンゴメン。さっちゃんこういうことされるの苦手だった?今度から気をつけるね。」
幸はフゥ、と溜息を軽くついて那美恵の側に寄った。
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待ち合わせ時間から15分ほど過ぎてようやく流留が改札口を通って出てきた。
「すみませ~ん。二人とも。遅れましたー。」
本気で謝っている様子ではなく、特に悪びれた様子もなく那美恵たちに近寄ってくる流留。
「流留ちゃんおっそ~い!待ち合わせを15分も過ぎてるよ?」
「だからゴメンなさいってば。夏休みなんだから少しくらい……ね?」
那美恵は時間にルーズなのは嫌いなのだが、本気で怒るわけでもなく軽く冗談を飛ばして流留を注意するに留めておいた。
「も~流留ちゃんはスペイン人かよって話ですよ。」
「えっ?なにそれ~~」
意味がわからずツッコミ返す流留に、二人の端で黙っていた幸が那美恵の代わりに説明した。
「あの……ラテン圏の人って、結構普通に待ち合わせ時間に遅れることがあるらしいんです。なみえさんはそれで皮肉って……いるのかと。」
説明されてもなにそれ?となお聞き返す流留に那美恵と幸は暑さも相まってそれ以上詳しく解説する気は失せたので放っておいて鎮守府への道を進んだ。
後ろからはスペイン、という言葉だけを取り出して連想した流留が
「スペインか~あの有名なご飯なんでしたっけ~?パエリア?一度食べに行きたいなぁ~」
という単純な欲望丸出しの言葉をダラダラ垂れ流していた。
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鎮守府に着いた3人は早速本館に入り、那美恵は流留と幸を引き連れて執務室へと向かった。執務室のドアを叩き、断りを得て那美恵はドアを開けて入った。
「おはよ!提督。」
「おはよーございます、提督!」
「おはようございます。提督。」
「あぁ、おはよう三人とも。」
挨拶も早々に那美恵は早速本題に入ろうと提督に話を切り出す。
「連絡受けたけど、訓練のお話だよね?」
「あぁそうだよ。昨日は光主さん来なかったから話せなくてさぁ。」
「別に先に二人に話してよかったんじゃないの?」
「いや……そういうわけにもいかないだろ。俺は一応君を監督役として頼ってるんだから。」
頼ってる、はっきりとその言葉を聞いた那美恵はドクリと心臓が跳ねる思いがしたがそれを隠して受け答えをした。
「そっかぁ。あたし頼られちゃってますかぁ!そう言われたら仕方ないよね~……あっ!」
おどけて言葉を続けようとしたとき、ふと昨晩やりとりしたメッセージのことを思い出した。
「どうした?」
「昨日の!メール!!」
突然憤怒した那美恵のことを理解できず呆ける提督。そんな提督に向かって那美恵はさらに詰め寄る。
「気持ちよかったってどーいうこと!? 昨日流留ちゃんとさっちゃんに何したのぉ!!?」
「へっ!? 昨日って……」
一人で憤怒して一人で提督に思い切り詰め寄る那美恵を見てあっけにとられる流留と幸、そして詰め寄られている被害者の提督。この少女は何をこんなに怒っているんだとチンプンカンプンになっている。
「何を言って……あっ、昨日のマッサージのことか、もしかして?」
「……え?」
「え? いや、だからマッサージ。二人がさ、仕事お疲れ様って言ってマッサージしてくれたんだ。俺はいいって言ったんだけど川内がどうしてもっていうからさ。なぁ?」
同意を求められた流留はウンと頷いて答える。
「はい。西脇さん、提督の仕事も会社の仕事も大変そうだなぁ~って思って。んで昨日はやることなくて神通と暇してたんで、マッサージしてあげたんです。それが何か?」
流留からなんの意図も感じられない説明を受けて那美恵は目を白黒させてポカーンとし、フリーズしてしまった。3~4秒して解凍された那美恵は引きつった笑いをしてしどろもどろになりながら言葉を発する。
「あ、あぁ~アハハ。そ、そっか。提督お仕事尽くめで大変だもんねぇ~。な、流留ちゃんやさし~な~!五臓六腑に染みわたるでぇ~アハハハ~!」
那美恵がなぜ慌てふためくのか理解できてない流留と提督。一方の幸は黙って見てはいたが、那美恵が何を勘違いをしたのかを察した。高校では完璧超人で皆から慕われてる生徒会長光主那美恵という先輩も、場所が変われば人の子なのだなと愉快に感じた。とはいえこの察した思いをこの場でしゃべるほど空気の読めない、また人を辱めるほどの度胸は持ちあわせてはいない。
そんな幸だが、那美恵が勘違いしてまで秘める真の思いまでは気づかずにいた。
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「コホン!まぁ提督も?お疲れでしょうけど!やるべきことはみんな揃ってしっかりやりましょー!」
「え、あぁ。そうだ……ね。」
なんとか気を取り直して話を戻す那美恵に、提督はまだあっけにとられつつも相槌を打って続くことにした。
那美恵と流留、幸の3人は一旦艦娘の制服に着替えてくると言い執務室を出て行った。数分して再び執務室に現れた3人は、那珂、川内、神通に切り替わっていた。再開する頃には那珂も提督もすっかり気を落ち着かせており、すぐに本題を切り出した。
「じゃあ3人とも、ソファーに座ってくれ。」
「「「はい。」」」
提督は執務席の机の引き出しから数枚の資料を取り出して自身も3人の向かいのソファーに座った。そして口を開いた。
「川内と神通の訓練についてだけど、那珂の時と同じようなカリキュラムで行う予定だ。3人とも川内型の姉妹艦ということで、訓練も同じで済む。だから今回は俺の代わりに那珂が監督役、つまり二人を見て進行を調整する役目を担って欲しい。ここまではOKかな?」
「はい。だいじょーぶだよ。」
那珂は返事をし、川内と神通は黙って聞いている。
「それから、基本訓練の最中は手当が出ます。これは学生艦娘の二人も同様。」
「手当?つまりお給料もらえるの?」
と川内が真っ先に尋ねた。
「あぁ。学生艦娘制度内で採用された艦娘には、通常の艦娘や職業艦娘ではもらえる任務等の実働に伴う手当はすべて学校の部に一旦入り、学校側でやりくりされる。つまり実質的に学生艦娘には一時手当は直接行き渡らない。その代わりの授業免除や代休等の公的な支援が約束されるんだ。これは国の防衛にために働いたという観点でのお話。その前段階の艦娘として着任直後の基本訓練、これはあくまでも自分のために行う行為であり、これに関しては学生艦娘の運用は当てはまらない。あらゆるタイプの艦娘で、基本訓練の間は日給を与えられるんだ。その人の大事な時間を費やして国の防衛のために働けるようにするための絶対に必要な訓練をしてもらっているから、それに見合うだけの手当が出るということ……です。」
提督の話を聞いて川内と神通は那珂の顔を見る。那珂は自分のことを暗に尋ねられていると察し、答えた。
「うん。あたしも基本訓練の時お金もらったよ。あたしは土日分を除いた1週間つまり5日と3日訓練した扱いになってたはずだから、合計6万4千円もらったかな。」
「ろ、6万!?」
「……訓練してお金もらえるなんて……。」
川内と神通はそれぞれ違う驚き方をする。それを見て提督は補足した。
「艦の種類によって一日あたりの手当額も、その対象となる期間も違うんだよ。例えば駆逐艦白露型は3000円、重巡洋艦妙高型は12000円、後うちにはいないけど、戦艦金剛型は20000円という具合。重巡洋艦や戦艦になれば艤装の扱いは難しくなるから、その分の手当ということ。そして期間もダラダラやってひたすらもらえるわけじゃない。それは当たり前だな。軽巡洋艦の川内型と長良型という艦は最長3週間まで手当が出る。川内型と長良型の艤装は、最大でも3週間で艦娘、つまり艤装装着者としては十分慣れられるという想定なんだ。だからそれを越えてしまったら適正に見劣りとして手当は出なくなるペナルティ。ただ訓練中の怪我等のための保険は鎮守府全体でまとめて入ってるからそれは気にしないでくれていい。」
「ほぇ~~。なんか本格的に働くッて感じ。」
「…はい。」
川内と神通は説明にあっけにとられる。
「訓練中はお給料出るということは四ツ原先生経由で君たちの高校にも話をつけてるから、ご家庭には自分たちで話しておいてくれ。一応変な出処のお金じゃないってことを君たち自身の口から……ね?」
「「はい。」」
給与面の話のあと、川内と神通は提督から基本訓練のカリキュラムの資料を提示された。そこには次の項目が並んでいた。
・一般教養(座学)
・艤装装着者概要(座学)
・川内型艤装(無・改)基礎知識(座学)
・川内型艤装(無・改)装備・同調
・川内型艤装(無・改)進水・水上移動
・川内型艤装(無・改)腕部操作
・川内型艤装(無・改)脚部操作
・川内型艤装(無・改)スマートウェア操作
・川内型艤装(無・改)バリア操作
・川内型艤装(無・改)レーダー操作
・川内型艤装(無・改)魚雷発射管操作
・川内型艤装(無・改)艦載機(ドローンナイズドマシン)操作
・川内型艤装(無・改)出撃訓練(屋内・屋外・水路以外)
・川内型艤装(無・改)防御・回避(バリア訓練含む)
・川内型艤装(無・改)単装砲砲撃訓練
・川内型艤装(無・改)連装砲砲撃訓練
・川内型艤装(無・改)機銃訓練
・川内型艤装(無・改)雷撃訓練
・川内型艤装(無・改)艦載機・対空訓練
・深海凄艦デモ戦闘1/2/3/4
・自由演習
……
「こ、こんなに多いんですか!?」
カリキュラムの多さに驚き慄く川内。
「実際には2~3組み合わせて1つの訓練で終わらせられたりするから、多くても内容はあっさりしたものだよ。他の艦種ではカリキュラムが少なくても一つ一つめちゃくちゃみっちりやるのもある。川内型は数は多いけど、那珂も比較的あっさり終わったし、君たちも問題無いとは思う。」
「……とは申されましても、私、体力が……心配です。」
と不安を口にする神通。
「あ~、基礎体力はまぁ、必要だとは思うからそれは合間を縫ってやってくれ。同調では腕力・脚力や敏捷性は高まるけど、持久力や基礎体力までは増えないからね。それは普段から気をつけてとしか言えないな。」
神通の不安を耳にして対応しきれていないフォローをする提督。
「あたしは体力は自身あるからそこは平気かな。心配なのは、全部覚えられるかなってとこなんですよね~。身体動かす訓練はいいけど、学校の授業みたいに本読んだり座って何かするの苦手なんすよね、あたし。」
一方の川内は後頭部をポリポリかいて苦々しく思いを口にする。
「進め方は基本訓練の管理者、つまり那珂、実際のカリキュラム調整は君に一任するよ。いいね?」
「はーい。わかりました。任せて。」
那珂から快い返事を聞いた提督はニコッと笑って頷き、念押しして那珂に言った。
「スケジュールを作ったら後で俺に提出してくれ。確認するから。それから明石さんにも話を通してあるから、今後はいつ工廠に行って艤装を装備してもらっても構わない。先日は同調しないでってお願いしたから不満だったろうけど、今日からは、明石さんと那珂の監視のもとならいつ同調してもいいから。ただ地上では周りに気をつけてやってくれ。」
先日は、という言葉を聞いた3人はドキッとしたが、那珂も神通もポーカーフェイスを保ってなんとか普通に返事をした。ただ川内だけは焦りの顔をしたままだ。那珂は肘でつついてわざとらしく大きめの声で注意を促した。
「川内ちゃん!神通ちゃん!そういうわけだから!このまえ!同調できなかった!分!今日からガンガンして慣れていこうね!!?」
「へっ?あ~は、はい!わかりました!」
「……はい。承知しました。」
焦りを隠しきれず返事をする川内と、いたって平静を保って返事をする神通、二者二様であった。
「ところで君たち夏休みだっけ?」
「「「はい。」」」
「休みたっぷりあるだろうし、早めに終わらせてくれればいつでも任務を任せられるから、頑張ってくれよ。とはいえ夏真っ盛りだから、熱中症には気をつけて。個人的には13時以降の日中はぜひとも避けてほしい。うっかり倒れられたら管理者として俺マジで困るのよ。もちろん君たちへの心配が先だけどさ。」
基本的な注意をしつつ、最後はおどけてみせる提督。その言葉に3人はクスッと笑いつつも、真面目に返事を返した。
その日から川内と神通の、本物の艦娘になるための訓練が始まった。
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提督から訓練の事前説明を受けた3人。那珂は執務室の秘書艦席を借りてカリキュラムの確認を始めた。川内と神通は那珂についていき、那珂のやることをじっと見ている。
それに気づいた那珂は、二人にピシャリと言い渡す。
「カリキュラムはあたしが責任持ってきっちり決めてあとで二人にも確認してもらうから、二人はいつでもできそうな"一般教養"と"艤装装着者概要"をやっておいて。」
「……やっておいてって言われても。何をどうすればいいんですか?」
川内の返しに神通もコクリと頷いて那珂に尋ねた。
二人の言い分ももっともだと思い那珂は提督の方を見つめた。提督は那珂の視線に気づいて那珂に助け舟を出す。
「後ろの本棚に国から指定された教科書があるからそれ読んで。別にテストするわけじゃないから、暇な時に読んでおいてくれれば構わないから。」
それを聞いて安心した3人。川内と神通はそれらの教科書を本棚から引き出し、ソファーに座って読み始めた。
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那珂は自身の基本訓練の頃を思い出しながら、カリキュラムの羅列された資料とにらめっこしながら考えにふける。ざっと決める分には決められるが、川内と神通の能力的な問題もある。まずはそれを確認しなければならない。
座学やシミュレーション的な訓練は室内でいつでもできる。那珂は非常に真面目な顔をして考える。チラリと提督のほうを見ると、提督はPCに向かって何かを打ち込んでいる。那珂はすぐに視線を戻して手元の資料を見直す。
「ねぇ提督。」
那珂は再び視線を上げて提督を呼んだ。
「ん?なんだい?」
「あたしがやったときの資料って、秘書艦席の後ろの本棚に今もあるの?」
「あぁ。まったく変えてないから、全部あるはずだよ。」
「そっか。ありがと!」
自身が使った時の資料の場所を確認した那珂はカリキュラムの資料にメモ書きを始めた。夏休みはたっぷりあるが、長々と訓練をさせるわけにもいかない。先ほど聞いた給料の話もあるが、二人の体力や興味の持続を考えると、自身の時と同じか、少し日数をプラスした2週間が的確と判断する。本を読む座学はこの2週間繰り返しやってもらうことにして、早々に二人にさせるべきは基本的な動きだ。艤装の装備や同調を再優先で行い、その後進水、出撃で基本的な動きを完璧にマスターさせる。その後、シミュレーション訓練に戻り、腕部や脚部、その他装砲の操作や訓練とする。
最後は食事でいえばメインディッシュ、あるいはデザートたる深海凄艦とのデモ戦闘。那珂自身のときも行ったもので、小型ボートの上に、かなり耐久力のある深海凄艦の模型が乗っかっているものだ。それは自動運転でペイント弾を投げて迫ってくる。那珂は最初それを見た時は思わず笑ってしまったが、提督に真面目にやれと注意されたのと思い出した。
最重要拠点ではない鎮守府に配備される訓練用の機材は質が若干落ちる。場所によっては捕獲した深海凄艦をそのまま使うところもあるがそれはかなり限られた場所だ。
モロに首都圏近郊な鎮守府Aではそういうたぐいのガチの訓練はかなわない。
それで訓練にならない場合は自分自身が深海凄艦役となって二人に演習を何度もさせればいいだろうと考えた。慣れてない二人に本気でやる気もないが、わざと負けてやる気もない。自身だってできたんだからこのくらいはあの二人もきっとできるはずと、那珂は信じていた。
1時間ほどみっちり練って考えて調整したカリキュラム案を提督に報告することにした。
「……うん。なるほど。それはそういう根拠で考えてるんだね。」
「そ。あとこれはね……」
お互い顔はかなり接近していたが話が真面目な問題だったので、那珂も提督も一切気にはしない。
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那珂が真面目に考えている間川内と神通は借りた教科書を読んでいた。早々に飽きかけていた川内はじっと真面目に読み耽る神通に小声で話しかける。
「ねぇ。ねぇってば神通。」
「……!? は、はい。なんでしょうか?」
「そっちって、面白い?」
「この教科書ですか?」
「うん。それ。」
「ものすごく面白いです。以前の艦娘部の展示の比ではないかと。とても……参考になりますよ。」
珍しく興奮気味に言葉を出す神通を見て川内は興味を惹かれかける。彼女が読んでいるのは艤装装着者概要のための教科書だ。一方で川内が手に取ってしまったのは一般教養向けの教科書である。
「そっち一緒に読ませてよ。てかあたしのこっちの本さぁ。ぶっちゃけ中学の時の社会科の教科書みたいな内容なんだもん。面白くないよ~。」
「……むしろそういう艦娘以外の知識のほうが大事な気も……はい。一緒に読みましょう。」
「やったぁ!」
川内は手に持っていた本を閉じてテーブルに置き、神通に半身をくっつけて密着して彼女が手にとっている教科書を読み始めた。
「せ、川内さん……暑いです。そ、そんなにくっつかなくても……こうして真ん中に置けば……見えますので。」
「え? あぁゴメン。よく○○くんたちの漫画読ませてもらう時にこうしてたからつい。」
鼻で吹き出しながら笑って少しだけ神通から離れて座り直す川内。
神通は何気なく川内がポロリとこぼした過去のことが気になった。彼女は男子と密着して何かしてたのかと、思わずギョッとする。そんな態度を取っていれば、かつての噂どおりの誹謗中傷が生まれてしまうわけだと、川内をなんとなく気の毒に感じてしまった。
川内が神通と一緒に艤装装着者概要の教科書を読み始めてから十数分経った。川内もようやく興味を持続していた。川内は三戸と同じくゲームや漫画・アニメで旧日本海軍や各国の艦隊を覚えたため、それらに近い情報が出てくると"おぉ~"だの、"なるほどあれはこうやって艦娘制度に出てくるのかぁ!"と、声を上げて感心しながら読みふけっている。
一方の神通は趣味らしき趣味がない分、読書はジャンルを問わず手を付けていた。さすがに艦娘の本は興味はあれど手に取る勇気がなかったためにほとんど読んでこなかったが、軍艦や艦隊に関する本はサラリと読んだことがある程度。その方面の知識では川内のほうが卓越しているのかと彼女に感心した。
ただ、神通は勉強では負けていられないと、密かに闘志を燃やすのであった。
二人様々な反応を示しながら教科書を読み、ふと神通が時間を気にして時計を見ると1時間ほど経っていた。ふと提督の執務席のほうを見ると那珂が提督のすぐ脇に居り何かを話していた。カリキュラムの準備が進んでいるのだろうと踏み、すぐに視線を本の方に戻した。
次に神通が顔を上げて時計を見た時は、読み始めてから2時間経っていた。とっくにお昼をすぎている。神通が顔をあげたのでつられて川内も視線を本から離して部屋全体に向ける。その頃には那珂は秘書艦席に戻り、提督はPCに向かって別の作業をしていた。
ずっと同じ姿勢で本を読んでいたため身体が硬くなってしまった二人はグッと背伸びをした。
「はぁ~~~!ずいぶん読んじゃったね。それ確かに面白いわ。」
「……はい。」
「そーいう本だったらあたしも真面目に読めそう。ねぇ!提督!」
PCから目を離した提督が川内を見た。
「ん?なんだい?」
「この本さ、持ち帰ってもいい?結構面白かったよ。普段本読まないあたしでもバリバリ興味持って読めたもん。」
「あ~、別にいいけどそれ1冊しかないから、適当にコピーしていってくれ。」
「わかった!ありがとね。」
提督から了承を得た二人は本を持ち帰ることにした。提督と川内のやりとりを聞いて視線を上げた那珂は川内と神通の方を見てニカッと笑いながら語りかける。
「どう?二人とも。お勉強できた?」
「はい!これならカリキュラム一つ今日終わりですよねきっと?」
「アハハ。一般教養と艤装装着者概要はもうクリアってことにしておくから、繰り返し読んでお勉強し続けてね。それ以外はこのあと説明するから。」
「はーい。」
「……はい。」
那珂はグッと背筋を伸ばした。
「んん!! はぁ~久々に真面目に考えたら疲れちゃった。もうお昼だよね。どうするみんな?」
「よし。今日は俺がおごってあげる。」
提督はリラックスしはじめる3人を見て、そう宣言した。
「えっ!?いいの?」と那珂。
「うわーい!やったぁ! 提督ふとっぱらぁ!」
「……申し訳ないですけど。」
バンザイをして思い切り川内は喜び、一方で神通は申し訳なさそうにするが、実のところ好意に甘える気満々である。
「いいっていいって。他の子は……五月雨と時雨はご家庭の旅行で今週は来ないし、今日は村雨たちも任務ないから来ないだろうし。留守番は明石さんに任せて行ってしまおう。」
「アハハ。明石さん仲間外れ~。」
「いいんだよ。あの人は会社の人と来てるんだし。」
那珂と提督は遠回しに明石を茶化す。そして那珂たちは提督に率いられ、昼食を取りに鎮守府を後にした。
幕間:将来
那珂たち3人を連れた提督は近くの居酒屋に連れて行った。まだお昼の定食メニューは続いている時間だ。4人は店に入り座敷席に案内された後、それぞれ好みのメニューを頼み待つことにした。
冷水をコクッと口にした後、那珂が喋り始めた。
「提督はこの店よく来るの?」
「あぁ。お昼もよく使うし、夜もたまに明石さんたちと……って何言わすんだ。」
「自分で言ったんじゃん!へぇ~明石さんたちとここでよろしくしちゃうんだぁ~」
わざとらしくニヤケ顔で提督を茶化し始める那珂。
「よろしくって……明石さんだけじゃなくてたいていは技師や事務員さんたちと一緒だぞ?君が考えてるようなやましいことはないからな?」
「「「アハハ」」」
那珂と提督のやりとりに一同は笑い合い、しばらくして届いた料理を堪能した。
昼食を一番早く食べ終わったのは川内だった。その後提督、那珂、神通と続いた。那珂と神通は僅差だった。
「川内は食べるの早いなぁ。俺も大抵早いと自負していたけど、女子高生ってこんなに食べるの早いのか?」
提督の素朴な疑問に那珂と神通が揃って答えた。
「ううん。川内ちゃんが早すぎなだけ。男子みたい。」
「……先日も、川内さんはお昼食べ終わるの、早かったです。」
「えぇ~!二人ともなんでそんな息ピッタリ!?ひどいですよ~!」
「だって、ねぇ~?」
「……はい。」
早いのは事実だったので、那珂も神通も顔を見合わせて失笑するしかなかった。
「まいいや。ねぇ提督。ドリンクバー頼みたい。」
「居酒屋にそんなものねぇよ。帰りに飲み物買ってあげるからそれで我慢しな。」
「はーい。」
その後もなにか思いついたように口を開いては提督に何か買ってくれだのこれが欲しいだの言い出す川内。
提督と川内の何気ないやりとりを見ていた那珂。妙に欲望に正直なところが川内にはある。中学生組でいえば夕立と似てると気付き、提督が夕立に対して行う接し方を思い出す。本人的には至って平静を保って振舞っているのだろうが、傍から見るとデレッデレした顔になっている。あれは溺愛する娘に対する顔のようなものだと那珂は思い、心の中で苦笑した。
夕立よりかは歳相応に精神的にも成長している川内だから、提督は夕立と川内を全く同じ接し方で接しないだろうとは思ったが、きっと提督にとってどちらも同じような存在になるのだろう、と漠然と捉えることにした。
自分"たち"のライバルにはなり得ない。心のなかでホッと一息楽観視する那珂であった。
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その後店を出た4人はブラブラのんびりと歩きながら本館へと戻る。
「ねぇ提督。今日は会社戻るの?」那珂はなんとなく尋ねてみた。
「いや、今日は一日こっち。だから君たちは時間気にせず訓練続けていつ帰ってもいいぞ。」
「そっか。うんわかった。」
「そういや提督って夏休みはあるの? てか会社と鎮守府、どっちとしてあるの?」
次に尋ねたのは川内だ。
「うーん、夏休みまだ決めてないんだよな。ちなみに鎮守府……国の仕事のほうはうちの鎮守府下では俺がすべての裁量権を持つトップだから自由。だから最終的には会社に夏休みいつ取るか言えばいいだけなんだ。」
「へぇ~。会社員って夏休み少ないんだよね?大変だねぇ~。」
「学生とは違うからね。ま、君たちも数年後働き出せばわかるよ。」
「働くかぁ~実感ないなぁ~。高校卒業したら、あたしどうなるんだろ……。」
提督の何気ない返しに感慨深く感じた川内は自身の将来を気にし始める。それを見た那珂が首を傾げて尋ねた。
「川内ちゃん?」
「いやぁ、まだ高校入ったばかりですけど、高校卒業したら大学行くのか働き始めるのか、考えたら不安になりませんか?」
「う~~ん。そう言われるとまぁね。あたしは高校生活もう半分過ぎてるし、そろそろ進路考えなきゃいけない頃だもん。」
「那珂さんは高校出たらどうするんですか?」
「あたしは大学行く予定。その合間に艦娘の仕事を続けられたらなって思ってるの。川内ちゃんと神通ちゃんは?」
川内はしばし唸ったのち答えた。
「あたしは……まだ考えてないです。不安に感じちゃうから、考え過ぎないようにします。」
そう言った後、川内は何かを思いついた表情になって提督の方を向いて口を再び開く。
「そうだ! ねぇ提督。艦娘って普通に仕事にならないの?」
「えっ? ええとだな……職業艦娘っていうのになれば準公務員になれるし、公務員への昇格も約束されてるから安泰といえば安泰な仕事だが。」
「じゃああたしはその職業艦娘になろっかなぁ~?」
川内の発言に提督が鼻で笑いながら忠告する。
「おいおい。職業艦娘は甘い考えでなれるようなもんじゃないぞ?激務だって聞くし、色んな鎮守府に派遣されるし、相当鍛えないと厳しいだろうし。」
「身体動かすのは得意だからそのへんは心配ないって。あ~、早く訓練終わらせてバリバリ活躍したいなぁ~。」
提督の厳しい意見も意に介さず、自身の思いを素直にぶちまける川内。そして隣を歩いている神通の方を向いて次はとばかりに神通のことを尋ねてみた。
「神通は?」
「えっ……?わ、私?」
「そうそう。」
川内の将来の考えを聞いて自身を見つめなおそうと思っていた神通は考え途中で注目されたので一瞬焦るが、数秒落ち着いたのち答えた。
「わ、私は……まだわからないです。大学……かもしれません。艦娘の仕事は続けるかどうかわからないです。」
「え~?艦娘やめるかもしれないの?」
川内が不満タラタラに神通に言葉を投げかける。
「いや……あの、わからないです。まだ艦娘になって間もないですし。」
二人の意見を聞いていた那珂が口を開いた。
「そりゃまあ二人とも訓練まだやってないからなんにも実感ないでしょ? とりあえずさ、将来は置いといてもいいんじゃない? 提督もあつ~~~く語ってたでしょ、あたしたちの日常生活がまず大事だってさ!」
言葉の最後のほうは提督にチラリと視線を送りながら口にする。目が合った提督はやや恥ずかしそうに咳払いをして話題を締めようとした。
「ンンっ! まぁなんだ。艦娘の仕事は大変だろうけど、少なくともうちの鎮守府の担当海域ではそんなにしょっちゅう出撃があるわけではないし、艦娘のことに影響されずに君たちそれぞれの日常や将来のことを考える時間は存分にあるはずだ。俺はあくまでも艦娘としての君たちの管理者や保護者であって、君たちの日常には口出しできる立場じゃないから、見守ることしかできないけどさ。」
「でも人生の先輩として相談に乗ってくれてもいいでしょ?うちの艦娘はほとんど学生なんだし。トップの人がぁ~艦娘たちの悩みの相談に乗ってくれるフレンドリーな人ならぁ~、きっとうちの鎮守府も評判良くなって艦娘ガンガン増えると思うよ?」
那珂はわざとらしく提督に半身を寄せ、人差し指で提督の肩をツツッと撫でる。目は笑みを含んだ上目遣いになっている。完全にからかっていると気づいたのは神通だ。川内は那珂の言葉を額面通りに受け取って、那珂にノる。
「そ~ですよねぇ。それいいですねぇ! あたしたちの人生相談にも乗ってくれる提督!面白いと思いますよ。あたしも話したいですし。」
「……川内さんは、提督と明石さん以外で趣味の話の合う人が欲しいだけ……なのでは?」
神通から静かで鋭いツッコミをうけた川内は後頭部をポリポリかいてアハハと笑いながら相槌を打った。
「アハハ。川内ちゃんもそう言ってることだしぃ、みんなの相談に乗ってね!」
二人の言葉を受けて、那珂は提督に茶化し混じりの再びのお願いを口にする。提督は女子高生2人の勢いに押されてたじろぎながらもどうにか反応して言った。
「は、ハハ。わかったわかった。わかったからそんなにくっつかないでくれよ。恥ずかしいだろ。」
その後も那珂が軽く茶化し、川内がその意図にわからず額面通りにノり、たまに神通が鋭くツッコむ。そんな光景が展開されながら、4人は本館に入り、それぞれ作業の続きをし始めた。
基本訓練(導入)
昼食が終わって那珂たちは本館へ帰ってきた後、それぞれの作業の続きをした。那珂は訓練のカリキュラムの調整の続きを、川内と神通はカリキュラムの中の座学たる"一般教養"と"艤装装着者概要"を、教科書を使っての独学を再開した。
二人は那珂と提督から、教科書を繰り返し読めと指示を受けたため、一旦その本をコピーしにコンビニに出かけ、必要と思われるページをコピーしたのち、二人で分けて読書を再開した。原本は川内の強い勧めにより、神通が持ち帰ることとなった。
那珂は数回提督とカリキュラムの調整内容を話し合い、大体望みの形を見出した。しかしそれをそのまま実行に移せるわけではない。最終的には、川内と神通の身体的な確認が必要になるからであった。
夏休み初日、まだ7月後半とはいえすでに夏真っ盛りの気候のため暑い。熱中症にも気を張らなくてはいけないため、その日は夕方まで川内たちには教科書を読ませることにし、那珂は16時を過ぎたあたりで一旦一人で外に行った。気候を確認した後再び執務室に行きソファーで寝っ転がって教科書を読んでいる川内・きちんと座って読んでいる神通の両人に向かってこれからの予定を伝えた。
「さて、二人とも。外はだいぶ暑さが和らいできたから訓練始めるよ、いい?」
「はい!待ってました!」
「……わかりました。」
「とはいってもね、今日はカリキュラムの内容にいきなり入るんじゃなくて、二人の体力測定みたいなことをしたいと思います。ここまではいいかな?」
「体力測定ですか。まぁあたしはいいけど、神通は運動苦手なんでしょ?」
「……苦手というか……体力が心配です。」
川内の口ぶりは余裕を持っていて軽いが、神通は語尾を濁す。
「そんなだから、いきなり艤装装備してやるんじゃなくて二人の限界を知りたいの。それによってはカリキュラムをまた調整しなくちゃいけないから。二人に無理のないカリキュラムにするために、今日はこれだけ頑張って、ね?」
「「はい。」」
「それから提督。」
「ん、なんだ?」
「あたしだけだと絶対偏った見方になっちゃうから、提督も二人の様子を見て欲しいの。前に提督があたしのこと見てくれたように、二人の身体能力を計るのを助けて欲しいの。お願い?」
「あぁ。わかったよ。」
提督の返事を聞いて那珂は提督に向かって無言でコクリと頷いた。
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16時すぎ。気分的には夕方だが、夏のこの時期晴れていれば普通に明るく、まだまだ日中という感覚だ。
気候としては太陽がわずかに落ちてきているため暑さは13~15時ほどではなくなっている。とはいえまだ暑いことには変わりはないため、川内と神通を外に連れてきた那珂は二人に無理をさせるつもりはなかった。
4人が出てきたのは本館裏手、つまりは本館と海岸の間にあるグラウンドだ。一般的な鎮守府よりも狭いとはいえ、都心ど真ん中の学校によくありそうな小さめのグラウンドと同じくらいの広さは確保されている。
「体力測定って言っても、具体的にはどんなことするんすか?」
両手を頭の後ろで組んで歩いていた川内が開口一番質問をした。
「んーとね。あまり複雑なことやってもあたしも提督も計れないから、わかりやすいところでは、ぐるっと何周かするのと、反復横跳びとか、腕立て伏せくらい? てきとーで悪いけど、それらをできるところまで。」
「はい。わかりました。」
「……うぅ。はい。」
ケロッとした返事をする川内と、かなり嫌そうな表情で返事をする神通。違いは明白だった。
「それじゃ最初はグルっと5周くらいしてみて。携帯でタイム計るから。」
「了解で~す。」
「……はい。」
那珂と提督はそれぞれ携帯電話を出し、川内と神通のラップタイムを計り始めた。
軽快に走る川内。それを追うように走る神通。川内の走る姿は綺麗なフォームで陸上部の部員さながらの姿であった。一方の神通は明らかに運動苦手そうな少女の女の子走りになっており、川内とはすぐに差がつきはじめた。
川内が5周走り終わる頃には、神通はまだあと2周残っているという状況になっていた。
「はい!川内ちゃんゴール!」
「ふぅ。タイムはどれくらいですか?」
わずかに息を荒く吐きながら川内が那珂に近寄る。
「これくらいだよ。」
「うーん。この前の体育の時より落ちてるなぁ。」
「アハハ。まぁここは学校のグラウンドとは大きさも地面の質も違うから一概に言えないと思うけどね。でも早いね~川内ちゃん。マラソンやったらあたしより早いんじゃない?」
「え、そうなんですか?那珂さんは運動って……」
「あたしもそれなりに得意だけど、持久力は川内ちゃんに負けちゃうかもなぁ~」
アハハと笑いながら川内のタイムと能力を褒める那珂。川内はこの完璧超人の生徒会長に勝てる要素があることを誇らしく感じた。
那珂と川内が自身の体育のことについて話している間、神通はまだ走っている。速度が落ち、どう見ても体力の限界の様子が伺える。
「なぁ那珂。神通やめさせたほうがいいんじゃないか?ヘロヘロになってるぞあれ。」
神通のタイムを計っている提督は神通を見て途端に不安になったことを那珂に漏らす。
「あと少しなんだし、彼女がもう限界って言うまでは続けます。そしたら休ませます。」
「うわぁ……那珂さん厳しいなぁ~。」川内は顔を歪めて言った。
そののち神通は本気で限界を感じたのか、最後の1周の半分まで来たところで、バタリと倒れこみ、力を振り絞って手を掲げて"限界"という意思表示をした。さすがに本人から死にそうな意思表示を掲げられては続ける気が失せてしまった那珂はそこで測定を中断した。
駆け寄った3人は神通の状態を確認する。熱中症の類の心配はなさそうだが、かなり息があがっていてつらそうな雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。
「ロビーは冷房が効いてるから、そこで休ませよう。俺が運ぶよ。」
そう言って提督は神通を正面から抱えて抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこ状態である。普段であれば抱き上げられた時点で神通は顔を真赤にさせて慌てふためいてもおかしくないところだが、その時彼女はそんな気力すら残っていない状態であったため、おとなしく提督に抱きかかえられてロビーの端にある長めのソファーに横たえられた。代わりに内心慌てふためいて身悶えして恥ずかしがったのは那珂だった。表向きは努めて冷静を装い、提督に抱きかかえられてロビーに運ばれる後輩の姿を眺めるだけだったが。
川内は那珂の指示で執務室に一足先に戻り、置いてきたスポーツドリンクを持ってきて神通の口に運んで飲ませる役目を担った。
数分してようやく話せるくらいにまで回復した神通。そんな彼女の手を取って那珂は一言謝る。
「ゴメンね。無理させちゃって。でもこれで今後の訓練では、神通ちゃんには無理の無い範囲でやれるカリキュラムを立てられるよ。だから、今日は我慢して限界まで走ってくれてありがとね。」
那珂の優しい言葉に、神通は返した。
「あの……私、まだやれます。」
神通の言葉に那珂はチラッと提督を見て目配せをした後、神通に向かって頭を振った。
「無理しなくていいよ。あたしは二人の限界が知りたかっただけだから。」
「ゴメン……なさい。私、足手まといにならないように、体力つけます。」
まだ完全に復活していない呼吸を整えながら神通は自身の思いを口にした。
「もう~神通ちゃんは頑張り屋さん!負けず嫌いなところあるのかなぁ?もう~可愛いなぁ~!」
「あ、熱い……です、那珂さ…ん。」
思わず神通をヒシッと抱きしめつつ、さりげなく的確に評価をする那珂。ムギューっと抱きしめられた神通は那珂を振りほどこうと弱々しく身を捩るが、結局人肌の熱さは取れなかった。
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神通が立ち上がって普通に歩けるくらいに回復した頃には、17時にあと数分で届く頃になっていた。
「えーと、体力測定なんだけど、まぁ、なんとなくわかりました。ホントはこのあと反復横跳びとかしてもらおうと思ったんだけど、状況が状況なのでやめておきます。神通ちゃんダイジョブ?」
那珂の言葉のあと、神通はコクリと頷いた。
「あのー、あたしはまだまだやれますよ。足りないくらいです。」
まだ元気いっぱいとばかりにガッツポーズをする川内。事実、彼女はまだ体力があり余っていた。そんな彼女の様子を見た那珂は俯いて考えたのち、こう彼女に伝えた。
「それじゃあ川内ちゃんだけ今日は続きね。神通ちゃんはあたしたちと一緒に川内ちゃんのこと見てよっか。」
川内と神通は頷き、川内は再びグラウンドへ、神通は那珂に付き従う形で彼女の向かう方向へついていった。提督は那珂たちからやや離れた距離を保ってグラウンドに出た。
その後、川内はもう5周し、その後反復横跳び100回、腕立て伏せ12回をこなしたところでようやくヘトヘトになって座り込んだ。これといって特定の運動部に所属していないがこれだけこなした川内。そんな彼女に対して、那珂は心のなかでこう思った。
((体力面はまったく問題なし。むしろあたしを超えそうで頼もしいな。もしかして……脳筋だったりするのかな?))
甚だ失礼かもしれないと思い、口には一切出さなかった。
「はぁ……はぁ……。さ、さすがにヘトヘトだわ。提督! あたしのタオルと飲み物取ってきて~。」
「はいはい。っていうか俺、一応君たちの上司なんだけどな。」
「気にしないでいいよ!」
「それは俺のセリフだわ!」
提督は一応文句を言うが本気で嫌というわけではない。ロビーに置いてきた3人分のタオルと飲み物をまとめて持ってきた提督は川内に確認する。
「ほら。どれが川内のだ?」
「ん~? あ、それとそれ。」
川内はスクっと立ち上がって小走りで提督に近づき、彼が持っていたタオルとペットボトルのうち自分のものをサッと抜き取り、まだ提督の手に引っかかっているタオルで自らの顔を拭い始めた。
提督は自分の手に引っかかったタオルが引っ張られ、川内が顔を思い切り近づけてきたのにドキリとした。川内は提督の反応なぞ気にせず汗を拭う。ミディアムな長さの髪が頭を振って拭う仕草に合わせて揺れる。激しい運動後のため、否が応でも汗の匂いがダイレクトに周囲、至近距離に伝わる。
生活が生活なら女子高生とこんなに接近したり親しげに会話することなぞありえなかった三十路の西脇提督は年甲斐もなく中学生のように照れ、その照れ隠しに軽口を叩く。
「あー、人の手元にまだあるのに近くで拭くな。全部抜いてから拭け。汗臭いな。」
「そっか。アハハ!ゴメンゴメン。」
提督の軽口を特に気に留めず素直に謝る川内。その口ぶりは人の評価など一切気にしていないのがよく分かる軽快さそのものだ。
「ちょーっと提督!女の子に臭いとか汚いとか言ったらダメだよぉ!デリカシーなさすぎ!」
何気なく提督と川内のやりとりを見てた那珂は二人のその言い方と態度が気になり、二人に割り込んで入るように身体を近づけて注意しはじめた。たじろぐ提督を最後まで見ずに今度は川内の方を振り向いて叱る。
「あと川内ちゃん。女の子なんだから、丁寧に受け取って人の迷惑にならない距離でそういうケアしなさい!」
「え~別にいいじゃないですか~。」
「ダーメ!艦娘はうちの学校の生徒だけじゃなくていろんな人が集まるんだから、今のうちにうちの学校代表として恥ずかしくない振る舞いをしてよね?」
「はーい。善処しまーす。」
「はは、厳しい先輩だな、川内。」
気怠い返事を返す川内を茶化す提督。その瞬間那珂は提督にキッと鋭い視線を送る。
「……っと。俺も気をつけます。」
その視線がかなり真面目なモードだったので提督は本気で驚いて謝った。
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二人から返事を聞くと那珂は2~3歩離れてしゃべる。
「はい、よろしい。それじゃあみんな、ロビーに戻りましょ。川内ちゃんお疲れ様でした!」
「はーい。汗かいちゃったしシャワー浴びたいなぁ~。」
「……私もです。」
那珂のすぐ後ろに来ていた神通も川内と同じ意見を呟く。
「ねぇ那珂さん。シャワーってどこにあります?」
ロビーから執務室に戻る途中で川内が尋ねる。その質問には提督が答えた。
「すまん。シャワー設備はないんだ。」
「えーー!? じゃあ那珂さんや村雨さんたちはどうしてたの!?」
「駅の向こうのスーパー銭湯行ってたよ。」
「えーー。ちょっと面倒だなぁ」
そう言いながら汗ばんだ感触が気持ち悪いのか、艦娘の制服の胸元の生地をパタパタ揺らして空気を通し、涼みながら川内は文句を言う。彼女の気持ちを十分理解しているのか、那珂は同意した。
「確かにそうだよねぇ。せめてシャワー室1つは欲しいよねぇ~。チラッ?」
言葉の最後はわざとらしく効果音を口で発して提督に視線を送った。那珂は先頭を歩いていたため、振り返って送った彼女の視線の先に川内と神通の二人はすぐにその意図に気がついた。
「ねぇ提督。シャワー室作りましょうよ!」
川内はストレートに提督に目下最重要な願い事を言った。那珂と神通も視線で訴えている。そんな3人を見て提督はドヤ顔になって口を開いた。
「あぁ。実は五月雨たちからもお願いされていてな。今建築業者と最終的な設計を詰めてるところなんだ。」
「えっ!?そーなの?だったら早く言ってよ~!」
那珂は提督の側に駆け寄り肩を小突くと、川内達の方を見て言葉を続ける。
「川内ちゃん、神通ちゃん。うまくいけば訓練期間中にシャワー浴びて気持よく帰れるようになるよ!」
「ですね~!」
「……ほっとします。」
3人が勝手に盛り上がるのを見て提督は苦笑しながら3人に向かって伝える。
「まだ工事計画中の別館もあるし、西にある市との共同館や別館も効果的に使えるように設計しなければいけないんだ。意見をくれると助かるよ。」
「もしかしてさっき提督がPCに向かってやってたのって……」
那珂が想像しながら尋ねると提督は答えを発した。
「そう。フロアのシミュレーションアプリで設計考えてたんだ。」
提督の発言を聞いた川内はその場にいた誰よりもノリ気になって声高らかに提督に願い出る。
「ゲームみたいで楽しそー!それ見せて!」
「あぁいいよ。」
「やったぁ!」
提督と川内が妙に仲良さそうにしているのを目の当たりにし、やや不満気になる那珂。日中に二人の接し方に対して感じた妙な感覚。那珂は複雑な心境になりはじめた。
川内が自身で言っていたように、あまり深く考えずに物事をする傾向にあることを那珂はわかっていた。最近の言動や行動を見てもそうだと把握している。趣味が合うから男子生徒と一緒になって馬鹿騒ぎする。ただそれだけの行動原理。流留自身にはどの男子に対しても恋愛感情はないのかもと那珂は想像した。
男勝りとも言える少女、川内こと内田流留。ハッキリ言って黙って立っていればうちの高校でトップクラスの美少女だろうと那珂は評価している。その評価は他の生徒もそうだろうとなんとなく察していた。だからこそ彼女の何気ない振る舞いを誤解して妬む女子が多かった。そしていじめ。
今の自分はややもすると、妬んで流留をいじめていた女子の数歩手前まで来ているのではないか。たった数日しか提督に会っていないのに、下手をすれば4ヶ月近く艦娘として在籍して提督と接している自分よりも提督と親しげに接している。那珂の心の奥底で靄が発生し始めるのを感じた。それは世間一般的には妬みや嫉妬と呼ばれる感情だった。
このまま進めば流留をいじめる(ていた)女子のようになりかねない。だが自分は彼女の考えを聞き、彼女のことを理解した上で最大の味方としてここにいる。事の次第をわかっているから一歩を踏みとどまることができる。そう自分に言い聞かせて彼女に対する負の念を押し消す。
那珂は二人の会話に表向きはにこやかな笑顔を向けながら観察を続けた。
「ねぇ提督!そのアプリってどう?面白い?」
「いや……面白いかって言われると、あくまで仕事として使ってるからなぁ。まぁ、作ったり設計することが好きな人なら、プライベートでやるなら楽しく使えると思うよ。プラモやブロック遊びと似てるな。」
「そっか。なら見るだけじゃなくてやりたいなー。」
「やらせるのはちょっとな。そのまま業者に発注できちゃうから見るだけ。」
「はーい。じゃー仕事じゃない時にやらせて?」
川内は提督の忠告に素直に返事をし、汗を流したいという欲求を忘れて満面の笑みを提督に向けて会話する川内。それを見ていた神通が静かにツッコんだ。
「川内……さん。シャワー浴びたかったのでは? あまりこの状態で……男性の側にいるのはどうかと。」
「ん~~?あぁ、そっか。すっかり忘れてた。シャワーも浴びたいけど、そのアプリも見たいなぁ。どうしますか、那珂さん?」
「えっ!?それをあたしに聞くぅ?」
那珂は川内・提督観察を中断してすぐさま返事をした。
「いや、なんとなく。那珂さんの言うこと聞いておけばバッチリかなぁって。」
ここまでのところ、川内の提督に対する接し方は男子生徒に対してと変わらない、素直な欲求によるものだ。なんら心配することはない。だから川内を妬むのは筋違いだ。せっかくの艦娘仲間であり大切な後輩なのだ。よくないことを考えるのはやめよう、那珂はそう捉え、思考を切り替えることにした。
とりあえずは求められた意見への回答。あまり自分を盲信されても困るが、期待に答えないわけにはいかない。
「う~~ん。まぁ、夏休みはまだたくさんあるんだし、今日は二人ともスーパー銭湯行って帰りなさい。」
小さい子がお姉さん風を吹かすような仕草をわざとらしく再現して二人に指示する那珂。 ここはさっさと帰すのが吉だろうと判断した。
「は~い。わかりました。」
「……了解しました。」
川内と神通の二人は那珂の指示に返事をして素直に従った。
「那珂さんはどうするんですか?」
「あたしはカリキュラム考えないといけないから残るよ。」
「えー、那珂さんもスーパー銭湯行きましょうよ~。」那珂に一緒に行こうとねだる川内。
「あたしそんなに汗かいてないし、二人のためにやることやっとかないといけないんだもん。明日からの訓練、乞うご期待!」
「アハハ。それじゃ期待して今日は帰ります。ね、神通。」
「……はい。あの……あまり厳しく方向で、お願いできれば……。」
「何言ってんの!那珂さんに任せておけば大丈夫よ!」
神通の不安げな言い方に川内は同期の背中を軽くパシンと叩いて突っ込んでフォローをした。
「そーそー。だから行った行った!」
那珂は執務室へ向かう道を逆走させるかのように川内と神通を手で払って急かした。とはいえ二人の荷物の一部は執務室にあるため一旦全員で執務室に入り、二人は持ち帰る予定の教科書を手に取り挨拶をして執務室から出て行った。
出る前に日給のことを思い出した神通は川内の口を通して提督に尋ねてみた。すると提督は、早速とばかりに金庫から二人分のお金を取り出し封筒に入れ、手渡しした。川内と神通はそれを受け取ると、人生初の給料に沸き立つ。廊下に出た二人は軽快な足取りになって更衣室へと向かっていった。二人の手には8000円が入った封筒が壊れやすく大切なモノを扱うかのようにそうっと指と指の間に挟み込まれていた。
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その後川内と神通は制服から私服に着替え始めた。
「なーんかさ、那珂さんあたしたちを帰すの急かしてなかった?」
「……気にしないでいいと思います。」
「ふ~ん。ま、いいや。じゃあ早く着替えてお風呂行こ?」
「はい。」
川内と神通は艦娘の制服のアウターウェア、インナーと脱いでいき、ロッカーから私服を出した。
「夏場に2枚も服着るもんじゃないね~。この制服夏の活動には向かない気がする。そう思わない?」
「でも、川内型はこれを着ないと性能を発揮できないらしいですし。」
「そんなことわかってるけどさぁ。せめて夏服、冬服とか欲しいよねぇ~。」
「……まぁ、それくらいは確かに思いますが。」
川内は時々鋭い的確な指摘をする人なのだなと神通は思った。素直に感じたこと・欲したことを口に出すがゆえ、時々思考に鋭さが伴うのだろと分析した。神通はそんな彼女を羨ましく思った。色々感じたことを勝手に察し、自分が傷つかないように解釈を交えて飲み込んでしまいがちな神通。例え川内を真似したとしても、真似しきれずに終わるだろうと神通は想像し、一人で落ち込む。
ふと顔を上げて川内を見ると、彼女は私服の上半身部分を着終えていた。薄い青地の長めのカットソーチュニックだ。
神通は鎮守府に来る時にも見て思ったが、男勝りな雰囲気に似合わず服装は実に女性らしい。下は何も履いてないように見えて、ジーンズ生地のショートパンツだった。鎮守府に来る前に服装の話になり、おもむろにたくし上げてみせる彼女の仕草を見て神通は思わずドキッとした。てっきり下は普通に下着だと思い込んでいたため、見てるこっちが恥ずかしいと神通も那珂も焦った。
正直に口に出したら川内本人には失礼な言い方だが、頭が悪いと公言していて男勝り、なのに私服へ気の使い方や細かいところは歳相応、女性らしい。そしてスタイルも良い。これだけアンバランスな味を醸し出す美少女なら、あの学校で妬む女子も多いわけだ。なるべく目立たないように地味でおとなしく、をモットーに生きてきた自分とは全然違う。
神通はまたしても沈黙したまま他人観察・分析をしたのち思いを張り巡らせていた。
「ねぇ、神通さ。」
「は、はい!」
考え込んでいた時に急に自身の艦娘名を呼ばれたため焦って川内の方を向いて返事をした。
「たまにっていうかしょっちゅう俯くけどさ、何かすっごいこと考えてたりする?」
「……!?」
「あぁ、気に触ったならゴメン。でもさ、気になっちゃうんだよねー。前髪たらしてるしメガネずーっとかけたままだし。あぁいや、メガネは仕方ないか。とにかくさ、何考えてるかわかんないから不安になっちゃうんだよね。」
神通は、ズキッと心臓が痛むのを感じた。
「ご、ゴメン……なさい。」
「謝る必要ないって。あたしたちもう友達じゃん? それに艦娘としては姉妹だし同僚だし。今すぐどうってわけじゃないから、思ったことはなるべく話してよ。昨日も似たようなこと言った気もするけど、ほんっと、お願いね?」
「じゃ、じゃあ……今は、これだけ言わせてください。」
「うんうん!何!?」
神通が語ると聞いて川内は身を乗り出して彼女に近づく。勢いがありすぎて鼻と鼻がくっつきそうなくらいであった。
「川内さんみたいに、お洋服のセンスとかスタイル良く大人っぽい女性に……なりたい、です。」
4~5秒後、時が動き出す。
「…………え? えぇーーー!!?」
大人しい同僚の考えていたことがまさか自身が気にしていたことだったとはつゆ知らず、驚きを隠せず後ずさる川内。
「いや、あたしそんなことないし!大人の女性って……あたしそんなことないっての~。」
神通の言ったことを手をブンブン振りながら否定する川内。そんな彼女を見て神通はすかさずフォローをする。
「那珂さんも前に言ってましたけど、川内さんは……女性としてもっと自信を持って振る舞ってもよいかと思います。な、何をどうしたらそんなにスタイル良くて……素敵なお洋服選べるんですか?」
先ほどまでのカラッとした元気は鳴りを潜めて神通の質問に困り笑いをしてたじろぐ川内。まだ下のショートパンツは履いてない、完全なワンピース着用状態の彼女はモジモジしながらゆっくりと口を開いた。
「いや……普通にご飯食べて適当に体動かしてるだけだよ。服は……あたしだってそりゃ可愛い服に興味あるし、雑誌見て適当に選んでるだけでぇ。普通の女の子っぽいことならむしろ那珂さんや副会長の中村さんにアドバイスもらったほうがいいって絶対。」
照れまくる川内をよそに神通は胸に手を当てながら、さらに彼女の評価を口にする。
「川内さんは素敵な女の子だと思います。那珂さん……会長や副会長、和子ちゃんとは違うタイプ。また、私の憧れが増えました。」
正直に神通が語ると川内は隠しもせず照れを表し続けながら言葉を返した。
「ん~~。えらく照れること言うなぁ。あたしなんか憧れにしたって……。」
「今どきの女の子のこと、教えてもらいたいくらいです。」
「いや、それ言うならむしろあたしの方こそ教えてもらいたいんだけどさ。」
神通はほのかに笑顔を見せる。小さく、フフッと言葉が漏れたのを川内は聞いた。
「じゃあさこうしよ。那珂さんや五月雨さんたち、明石さんたちに女子とはこうあるべき!!ってのを一緒に教えてもらおうよ。きっと面白いよ? ……ぶっちゃけあたしとしては漫画やゲームのほうがいいんだけど、そんなこと言うと那珂さんに厳しく言われそうだから、こっちの方も身に付けないといけないし。」
「……はい。私も、そうしたいです。一緒に。」
「そうだね。頑張ろ、神通。」
その言葉に神通は無言でコクリと頷いた。力強い頭の振りだった。
その日もお互い語り合って結束をひそかに強める二人。川内のほうが先に着替えが終わっていたため、川内は神通が着替えを終えるのを待った。着替え終わった二人は艦娘の制服を包めてバッグに仕舞い、更衣室を出て鎮守府の本館を後にした。
その後二人は初めて使う艦娘の優待特典をドキドキしながらスーパー銭湯で使い、無料で汗を流してサッパリした後帰路についたのだった。
まとめ
川内たちが出て行った後の執務室、那珂は秘書艦席に座り、カリキュラム調整の作業を再開していた。すでに17時を回っている。那珂はさきほどの川内と神通の運動神経の違いを頭に浮かべていた。ハッキリ言って全然違う。凄まじく違う。
次に提督が言っていたことを反芻する。
艤装は腕力や俊敏性は増すが、基礎体力や持久力は増えない。艤装を装備して同調すれば大抵の作業はその超絶パワーアップした身体能力でもってラクラクこなせる。それは那珂自身、これまで経験ですでにわかりきっていた。
もちろん運動神経がよい人間なら同調後の能力は比例して増すので、川内と神通では同調後にも差が出ることが予想される。ただそれでも普通の人間を超える能力を得られるので、瞬発的な行動では神通でも問題ないとふむ。しかし彼女に問題なのは、基礎体力が川内はもちろん那珂自身にも劣る点。川内が最終的にこなした運動量は、実のところ那珂自身でも問題なくこなせる量だった。それが神通は最初の走り込みの途中で限界を迎えてしまったのだ。
那珂はそこが大いに気がかりだった。
同調した後は地味に精神力も要する。ネガティブなことを考えすぎてたり変に気を散らしてしまえば同調率は低下し、艤装をスムーズに扱えなくなる。地上とは勝手の違う水上で問題なく動けるだけの体力とバランス感覚、そして同調率を保つための精神力。
軽巡洋艦川内型担当となった那美恵、流留、幸と、駆逐艦白露型担当となった皐月、時雨、夕音、真純たち。学年的な能力差もあるが、軽巡洋艦と駆逐艦では、その運用の難易度も違う。艦娘の全ての艦種で同じように求められるわけではないが、艦娘としての必要な能力としては基本的な前提条件は同じだ。
川内型は特に他の艦娘の艦種では行えないような細かく自由自在な動きが行える構造の艤装になっている。ゆえに外装が少なく、身軽さ重視となりその分防御性能が低い。カバーするのは装着者の身のこなし、バランス感覚。同じ軽巡洋艦でも特に必要となる。
那珂こと那美恵自身は元々の身体能力やバランス感覚からして川内型艤装の艦娘には最適だった。
自身の例だけでは偏った見方になってしまうが、今はそれしか判断基準がない。データが必要だと判断した。
神通には基本訓練中、メインの訓練に支障が出ない程度に適度な体力づくりを心がけてもらう。その上で同調し、水上移動を試してもらう。それで二人の感覚をつかむ。当面はそれが優先だ。川内にはいきなり身体で覚えさせてもいいだろう。その間神通には各装備の座学やシミュレーションでとにかくイメージを掴ませる。その後実技たる実際の訓練に臨む。デモ戦闘および演習で締めだ。
那珂の頭の中では二人の訓練方針が固まってきた。一度水上移動までをさせてテスト、その後いきなり実技。川内は座学は苦手そうだったので開いた時間にしてもらう。
二人の訓練終了日には差が出るだろうと予想したが、那珂は多少はそれも仕方ないかと考える。
「提督、川内ちゃんと神通ちゃんの訓練の方針決めたよ。聞いてくれる?」
「ん?あぁ、いいよ。」
那珂は秘書艦席から立ち、考えとカリキュラムの資料の2つを持って提督との打合せに臨んだ。彼女から事細かく訓練の流れを聞いた提督は、那珂を褒めながらその内容を承諾した。
「なるほどね。那珂は二人のことよく見てるんだなぁ。さすが生徒会長、感心するわ。」
「エヘヘ~もっと褒めてもいいんだぜぃ。ただ、どのくらい想定とズレがあるかが心配なんだよねぇ。」
「うーん。まぁそれは仕方ないさ。君は訓練の指導役は初めてだし、艦娘に訓練の指導や監督を任せる事自体、うちでは初めてだ。」
那珂はコクリと頷く。
「今回の君のやり方がうちのやり方のよいベースになれればと思ってるから、ズレとかはちゃんとメモに残した上で進めてくれ。工廠は関連設備はいつでも、使えるように、俺から話を通しておくよ。」
「うん。お願いね。」
提督から承諾を受けた那珂は思い切り背伸びをして一息つくことにした。
「ふううぅーーん!! あー、疲れた。二人とは別の意味で疲れたよー。」
「ご苦労様。精神的に疲れたかな?」
「そーだねぇ。提督にマッサージしてもらおっかなぁ~?」
「……精神的に疲れた人をどうマッサージしろっていうんだよ。」
提督からのツッコミに笑みを浮かべて那珂は返す。
「それはもー、あたしが喜怒哀楽全部表現できるようなデートしてくれればいいんですぜ、旦那!」
「お前……それ単に自分の欲望まんまじゃないのか……。」
「エヘヘ~」
提督と二人きりの会話を楽しむ那珂。艦娘部の設立に奮闘し始めてからなかなかできなかったことなので、那珂は若干の気恥ずかしさを感じるも、提督と話す喜びによる気持ちよさと楽しさのほうがはるかに勝っていた。
その後も雑談を続け、気が付くと18時近くになっていた。
「お?もうこんな時間か。君はそろそろ帰りなさい。もうやることないだろ?」
「うん。そーだねぇ。……提督は?」
「俺明日一日中会社でこっちには来られないから、もうちょっとやること済ませてから帰るよ。」
「えっ、明日会社なの? ……そっか。」
「うん。だから……ほらこれ。渡しておくよ。」
提督はしゃべりの途中で机の引き出しを開けて何かを取り出し、那珂へ向けて手のひらをつきだした。手の平には鍵が乗っかっていた。
「これって?」
「本館の鍵渡しておくよ。スペアキーだから気にせず持っていてくれ。君なら失くしたりしないだろうから心配はしてない。ちなみにこれ持ってるのは他には五月雨と明石さんだけ。二人が来てない時とか、それ使って入っていいよ。」
那珂は提督の手のひらにある鍵を掴んで自身の手に収めた。提督から鍵をもらう、それは信頼の証でもあった。喜びのあまり顔が素でにやけそうになるがなんとか抑えて平静を保つ。
「おぉ~鎮守府の鍵!なんか男の人からもらうと、同棲って感じでおっとな~!通い妻的な?」
妙な感想を口にする那珂に提督は苦笑しながらツッコむ。
「なんちゅう例えだ……。ともかく、五月雨が帰ってくるまでか訓練期間はそれ渡しておくから、自由に鎮守府に来てくれて構わないからね。俺も会社の方の仕事の都合で来られない場合もあるだろうし。」
「はい。りょーかい。大切に使わせてもらうよ~。」
那珂は鍵をぎゅっと握りしめ、もう片方の手で提督からカリキュラムの資料を受け取り、踵を返して執務室の出入口のドアへと歩いて行った。
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ドアを開ける一歩手前で那珂は立ち止まった。心にかかった若干の靄が彼女の足をわずかに止めさせた。軽く深呼吸をする。提督には背を向けているので表情は誰にも見られずに済むため、那珂は目をそっと閉じて上唇と下唇をゆっくりと引き離して言葉をひねり出す。
「……ねぇ、提督。」
「ん?なんだい?」
PCに向けていた顔を上げて提督は軽く聞き返す。その声を聞いて那珂はわずかに葛藤したのち、言葉を飲み込んだ。そしていつもの調子に戻る。
「ううん。なんでもない。なんかおもしろい冗談思いついた気がしたけど~いいや!」
「はぁ……なんだそりゃ。」
今の那珂の向きでは当然提督の顔は見えない。提督も那珂の様子に気づくはずもなく、PCの画面に視線を戻して作業を再開した。
那珂は提督が発するカチャカチャという打鍵音を背後にしたままドアを開け、普段のにこやかな笑顔をして振り向き、別れの挨拶をして執務室を後にした。
((提督に聞くことじゃない……よね。かと言って川内ちゃんに面と向かって聞くことでもないし……。いくら趣味で気が合うからって、二人共まだ出会って間もないんだし、変な勘ぐりや想像を口にするのはやめよっと。川内ちゃんはせっかく学校外で居場所を見つけつつあるんだから、あたしが和を乱したらいけない。余計なことを考えるなんて、あたしもまだまだだなぁ……))
那珂は軽く頭をブンブンと振り、靄がかった負の思考を雲散霧消させる。そして二人の教育に集中することを改めて心に誓うのだった。
同調率99%の少女(13) - 鎮守府Aの物語
なお、本作にはオリジナルの挿絵がついています。
小説ということで普段の私の絵とは描き方を変えているため、見づらいかもしれませんがご了承ください。
ここまでの世界観・人物紹介、一括して読みたい方はぜひ 下記のサイトもご参照いただけると幸いです。
世界観・要素の設定は下記にて整理中です。
https://docs.google.com/document/d/1t1XwCFn2ZtX866QEkNf8pnGUv3mikq3lZUEuursWya8/edit?usp=sharing
人物・関係設定はこちらです。
https://docs.google.com/document/d/1xKAM1XekY5DYSROdNw8yD9n45aUuvTgFZ2x-hV_n4bo/edit?usp=sharing
挿絵原画。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=60996599
鎮守府Aの舞台設定図はこちら。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=53702745
Googleドキュメント版はこちら。
https://docs.google.com/document/d/1_RLwNAe2eP6zGLgBm_EbuJN2UJmSYzVHIgKbgZnPo5A/edit?usp=sharing
好きな形式でダウンロードしていただけます。(すべての挿絵付きです。)