君の世界が君の元に
雑草とラナンキュラス
ピッピッピピ…
最後の千円を引き下ろした。
➖残高 22円➖
ATMの前で、今までにないピンチに私は唖然とした。
売れない劇団員は年がら年中、金欠状態だが、どんな崖っぷちでも今まではなんとかやり抜いてこれた。そんな記録も今終わりかけている。
意気消沈しながら、雑誌コーナーの前を通ると今週のザ・テレビジョンが目に入った。
真っ黄色のレモンを持ち、はにかんでいる男の子5人組が表紙として起用されていた。yet-go!だ。
「あっ!表紙なんだ。」
給料日まであと17日もある今日、4月8日は大ファンであるyet-go!の7枚目のシングル発売日。
yet-go!は今や日本国内で知らない人はいないくらいの人気ぶりで昨年末にはレコード大賞新人賞を受賞した。
渋谷のハチ公口から見える、大型看板には先週から大きく【4月8日発売!待望の最新作「ヒカリとトキメキ」】というカラフルな文字と共に白い衣装を身に纏った5人が立ち並んでいる。
yのユウヤ。eのエイタ。tのタクミ。gのゴウ。そしてoのオキヤ。
20歳そこそこの男達は誰もが憧れるようなルックスとキレのあるダンス、そして個々の多彩な才能で人気を集めている。
中でもオキヤは今年に入って主演映画1本、ドラマ2本とノリに乗っている。私はこんなオッキーの虜になっているのだ。
CDの発売日に買えないのは初めての事だった。悔しさと自分への情けなさ、そして伝わるはずがないがyet-go!本人達に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「オッキー…ごめんね…」
小声でオッキーに伝えオッキーの前から去り、貴重な千円を握りしめてコンビニを出た。
1歩踏み出したところで頭に大粒の雨が当たり、今日雨が降っていたことを思い出した。
右手で傘をさし、左手で千円札を握り稽古場へ向かった。
歩道脇の雑草達は大粒の雨に負け、茎が折れてお辞儀をしているように見えた。
*
ピピッピピッピピッピピッ…
8時15分。目覚ましが鳴った。
寝坊癖がある俺に社長から贈られた目覚まし時計のボタンを押す。いや、押せない。手が届かなかった。
「クソッ…」
音が次第に激しくなるこの時計が俺は嫌いだ。
そもそも今時、目覚まし時計ってなんなんだ。携帯のアラームでも補える時代だろうに。
苛立ちを時計にぶつけるかのように激しくボタンを押した。
重い身体を起こし、港区が一望できる大きな窓のカーテンを開けた。
窓に滴る水滴、灰色の空が目に入ってきた。
「今日は雨か…」
見下ろすと、街中には色とりどりの傘が開花している。
カーテンを開けたあとはまずリモコンのボタンを押すのが俺の習慣。テレ日の朝の情報番組『マイニチジャパン』が流れ出した。
丸眼鏡が特徴の男性アナウンサー、服部がいつも通りニュースを読み上げている。
『さぁ〜て、ここからは芸能ニュースの時間で〜す!今日のピックアップはこっちら〜!』
少し鼻声の服部の声と共にテロップが流れた。
➖大人気アイドルグループyet-go!7枚目のシングル「ヒカリとトキメキ」本日発売!!!➖
『大人気アイドルグループyet-go!の待望の新曲が本日発売となりました。今回の新曲はメンバーのオキヤさん主演の映画「恋光」の主題歌にもなっており、すでに話題を呼んでいます!』
「あぁ、今日か…」
発売日だとか、公開日だとかもう覚えられないくらいの仕事量になり、今日の事もすっかり忘れていた。
『今回のシングルは3作ぶりにセンターをやらせていただくことになり、本当に嬉しく思っています。そして皆さんに感謝しています。個々の表情や歌詞に合わせたダンスも魅力だと思うのでファンの皆さんにぜひ楽しんで貰いたいです。』
画面の中の俺が言った。
は?感謝?誰にだよ。
yet-go!はデビュー作から俺がセンターを任されていた。それなのに、前回も前々回もゴウに奪われた。最年少で人気も地位も下回るゴウに負けた事が俺は屈辱だった。悔しかった。
だから奪い返した。それだけだ。
あの『感謝しています。』は俺にだけ分かる大嘘だった。
プルルルルルル…
ベッド横にあるスマホが鳴っているのに気がついた。
「もしもし」
「あっ、おはようございます!えっと今下に着きましたのでぇ…えっと、降りてきてくだ…」
「わかったよ。今行くから。」
会話の途中で遮って返事をした。
今年からメンバー、一人一人にマネージャーが付くようになり俺には、か細い橋本というマネージャーが付いた。明らかに年上だがその風貌からか、俺は初日から橋本と呼び、タメ口で話すことにしている。
派手色なスポーツブランドのパーカーと細めのスキニーパンツを着こなし、ゴツい星が散りばめられたブラックのクラッチバッグを持った。
「よし、オッケー。」
最後に大きめのサングラスをかけて、自己暗示させるかのように呟いて玄関を出た。
玄関横の花瓶には、一昨日の舞台挨拶の時に貰ったラナンキュラスの花が咲いていた。
君の世界が君の元に