知るも知らぬも(創作落語)

 みなさま、明けまして、おめでとうございます。
 いやあ、お正月というのは、実によろしいものですな。まず、ほとんどの方々がお休みとなります。ご主人は朝からお屠蘇をいただいて、数の子なんぞをアテにして熱燗をもう一杯。奥さまとお子さまは、テレビのお笑い番組を見ながらコタツでウトウト。うらやましいかぎりですな。
 まあ、あたくしなんぞは、貧乏ヒマなしで盆も正月もございませんが、それでも、いつもとは多少心もちが違います。普段は不信心者でございますが、せめて正月ぐらいは、近所の神社にでも初詣に行こうか、という気になりますな。
 昔、西行法師という偉いお坊さまが、お伊勢さまを拝んで『何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる』という歌を詠まれたそうですが、本来、仏教の僧侶であられる法師さまも、神宮には敬虔なお気持ちになられたのでございましょう。詳しいことは何も知らないけれど、ああ、ありがたい、もったいない、いやーん涙が出ちゃう、ということですな。
 さて、神社仏閣などと一まとめに申しますが、どんな田舎にまいりましてもご立派な建物が多い寺院に比べ、初詣に参拝客が押し寄せるような有名どころ以外、神社というのは大抵質素なものでございますな。特に、急速に都会化した街では、路地裏の目立たない場所にひっそりと鎮守の社(やしろ)があったりします。
 その日、営業マンの松谷さんが最寄りのコインパーキングに車をとめ、プレゼンのための会場を借りているホテルに向かう途中で発見したのも、そんな社、と申しますより、さらに小規模な祠(ほこら)のようなものでございました。
 鳥居もなく、石造りの本殿も人間の身長ほどの高さしかございません。正面に木製の格子扉が嵌め込まれておりますので、外から中のご神体は見えません。注連縄(しめなわ)もなく、細いヒモに色褪せた紙の御幣がぶら下がっております。ちょっとくたびれた生花が供えられておりますので、誰かお世話をする方がいらっしゃるのでしょう。
 どんな神さまをお祀りしてあるのか、ちょっと見ただけではわかりませんでした。祠の手前には文字が刻まれた石碑があり、松谷さんが目を凝らしてみますと、最初のひらがなだけは『これやこの』と、かろうじて読めました。もっとも、はっきり読めたところで、松谷さんにはそれが何なのか、わからなかったでしょう。それどころか、普段の松谷さんなら、何も見なかったように通り過ぎていたはずでございす。たまたまその日、難しい相手へのプレゼンが控えておりましたので、自然に足が止まったのでした。
「へえ、こんなところにこういうものがあるなんて知らなかったな。折角だし、ちょっとお参りして行くか。困った時のなんとやら、って言うしな。うーん、やっぱり、こういう時は帽子を脱いだ方がいいんだろうなあ」
 申し遅れましたが、松谷さんはまだ三十代なのですが、髪の毛に大変不自由をいたしておりまして、いわゆる、最初がハで最後がゲという状態でした。そのため、外出の時にはいつも帽子をかぶっているのです。松谷さんは仕方なく帽子を取りましたが、置くところがないために小脇に挟みました。そのまま財布から小銭を取り出して賽銭箱に入れ、柏手を打とうとして、ハタと考えました。
「あれっ、柏手って、何回叩くんだっけ」
 うろ覚えですが、二回手を打ち、頭を下げました。
「えー、神様、お願いです。どうか、今日のプレゼンが、あ、そうか、プレゼンじゃ通じないな。えーっと、プレゼンテーションって日本語で何て言うんだろう。まあ、いいや。それより、お願いごとをする時は、自己中じゃいけないんだよな。えっと、ぼくにとっても、お客さまにとっても、良い結果になりますように、お願い申し上げ、たてまつりまするー」
 もちろん、ご利益があるだろうと本気で期待したわけではございません。不安を紛らわせるための気休めであることは、松谷さん自身もよくわかっておりました。しかし、その時、何かがピカリと光ったような気がしたのです。
「な、なんだ今のは。こりゃあ、ホントにご利益があるかも。ありがとうございます、ありがとうございます」
 祠のところで寄り道したため、松谷さんが会場のホテルに着いたのは、もうギリギリの時間になっておりました。クロークに帽子を預けると、先に送っておいた荷物をほどき、バタバタと説明資料を整理し始めました。ホテルから借りたプロジェクターとスクリーンの微調整をしているところに、先方さまが到着いたしました。松谷さんは、せいぜい四五人だろうと思っておりましたが、十人も来られたのです。気の弱い松谷さんは、それだけでもう舞い上がってしまいました。
「あ、あの、少々お待ちください。ええ、すぐに準備できますので」
 あわただしく先方の担当者と名刺を交換いたしましたが、その後ろに立っている重役とおぼしきお方の「いいから早くやれ」という不機嫌そうな言葉に、一気にその場の空気がピーンと張りつめました。
「あ、ども。えっと、本日は、えと、お忙しい中ご足労いただきまして、あり、ありがとうございます。ええ、まず、スライドの方をご覧ください」
 みなさんがスクリーンに注目なさったすきに、松谷さんはこっそり水を飲み、深呼吸いたしました。
「さあ、これが我が社の新製品でございます。この高性能で、このお値段。これではほとんど、もうけ、がございません」
 そう言いながら、松谷さんはご自分の頭を片手でピシャリと叩きました。いつもプレゼンのツカミとしてやっている、鉄板の自虐ネタでございます。ところが、笑い声どころか、会場はシーンと静まり返ってしまいました。
 松谷さんはその時になって初めて、先方の重役さんの生え際が不自然過ぎることに気付きました。さあ、その後はもう、シドロモドロでございます。そこへ、声がかかりました。
「ああ、もういい」
 途中で重役さんに遮られ、プレゼンは打ち切られてしまったのです。先方が帰るのを見送りながら、松谷さんはうなだれてしまいました。
「あーあ、会社に戻ったら、何て報告すりゃいいんだ。お参りした効果は、なかったなあ」 
 みなさまも、なんだ、ちっともご利益がなかったのか、とお思いでしょうが、さにあらず。
 あの祠は、百人一首の『これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関』で有名な、歌人の蝉丸さまを祀ったものでございました。大きな神社としては、滋賀県に関蝉丸神社がございますな。蝉丸さまというのは、日本で最初に、他人のためにカツラを作ったお方とされています。その蝉丸さまに因んで、この神社は髪の毛にご利益があると言われているのです。松谷さんがお参りしたのは、その末社の一つでございました。
 その翌月のことです。松谷さんは、目に見えて髪の毛が増えてきたのに気が付いて、大変驚きました。それだけではございません。松谷さんは知る由もありませんが、同じころ、あの重役さんの頭頂部にも、ウブ毛が生えてきたのです。
 まさに、髪のみぞ知る、というお話でございました。お後がよろしいようで。
(おわり)

知るも知らぬも(創作落語)

知るも知らぬも(創作落語)

みなさま、明けまして、おめでとうございます。いやあ、お正月というのは、実によろしいものですな。まず、ほとんどの方々がお休みとなります。ご主人は朝からお屠蘇をいただいて、数の子なんぞをアテにして熱燗をもう一杯。奥さまとお子さまは、テレビのお笑い番組を見ながらコタツでウトウト。うらやましいかぎりですな……

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-15

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