美少年は白衣を翻す

「天高く馬肥ゆる秋!」
 秋独特の澄み渡る空の下、日本中どこでも見掛ける一般的な公立高校の校門前で少年が奇声を発していた。
「灯火親しむべしの方が適切か!!」
 実験用白衣を翻して颯爽と立つ美少年。科学部部長、天王寺大樹。彼の白衣を翻しているのは天然の風ではない。科学部部員が持つ小型扇風機が起こす風だ。場を盛り上げる為にとスマートフォンから軽快な音楽も流れている。
「諸君!我々と共に科学を探求しようではないか!!」
 下校時刻の校門前は帰宅部の生徒達で溢れ返る。そこを狙って科学部への勧誘活動を行なっているのだ。運悪く天王寺と視線が合ってしまった生徒達が捕獲された。
「君達、科学部に入らないか?白衣姿で実験してみないか? 楽しいよ!」
 科学部部長の厚い熱意に絆されたのか、それとも見世物としてなのか生徒達は興味を示していた。これで止めておけば目出度く新規部員の確保も可能であったかもしれない。だが天王寺の熱弁は止まらない。
「続いて科学部法度! 部を脱することを許さず! 背いた者は切腹を申しつくべく候なり!!こ れは新撰組局中法度に習ってある! 科学部の脱退は許さナハァ!!」
 調子に乗る科学部部長の頸動脈に手刀が打ち込まれた。
「驚かしてごめんなさいね、ウチはそんな怪しい部じゃないから安心して入部してね」
 怯えている生徒達を気遣い笑顔で応対する科学部の紅一点、鬼頭タカコ副部長。だが彼らが怯えている原因は新撰組局中法度ではない。的確な急所攻撃を受けて悶絶する天王寺部長の姿に怯えているのだ。


***


「またも入部者は無しか……」
 彼らが部室として使用している化学室は重苦しい空気が流れていた。天王寺大樹は窓際に立ち、秋空に向って叫んだ。
「このままじゃ科学部は廃部だぁ!!」
 この高校の規則では部員が五人になると部から同好会へと変わり、部費が減少する。科学部の部員は現在六人しかいない。三年生である天王寺と鬼頭が卒業すれば二年生三名と一年生一名のみとなり、その時点で同好会となってしまう。
 嘆き悲しむ部長を気遣うように二年生が声を掛けた。
「別に俺達は同好会でも良いですけど」
「良くなぁーい!! そんな消極的でどうする!!」
 天王寺以外の部員は同好会になることに不満など無い。元々、金が掛かる実験など天王寺が行なうだけだ。天王寺は素っ頓狂な人物ではあるが頭の出来は天才の部類だ。故に金の掛かる実験も行う。
 だが他の部員だけになれば化学室に置いてある機材や薬品で十分なのだ。部費を削られても然程困らない。
「今日も興味を持つ生徒はチラホラ居た様子でしたけどねえ……」
「ちょっと募集の掛け方が個性的過ぎるんじゃないでしょうか」
 天王寺が再び秋空に向って叫んだ。
「何故だ! どうして部員が増えないのだ!!」
 己の奇行に原因があるとは微塵も感じていない様子だ。
 本来なら、天王寺の美貌を持ってすれば新入部員の確保など容易いだろう。動機不純とはいえ、彼の白衣姿に釣られて入部を希望する女子は多い。知性的な顔立ちの彼は白衣がとても良く似合う。
 だが、口を開いた途端、彼の前から女子は去っていく。
 春の新入生勧誘会での出来事だ。桜舞い散る校門前で新入生の勧誘を始めると、天王寺大樹の白衣姿に釣られて女子が大量に集まってきた。
「花とは美しいものだ」
 天王寺は桜の花びらを手に取り口付ける。この辺で既に寒気を感じて立ち去りだす者もいた。
「新春シャンソンショー!!」
 叫んだ後、アカペラで声高らかに愛の賛歌を歌いだす。御丁寧に原詩バージョンだ。四月は新春ではない。天王寺は間違っている。いや、彼が間違っているのはソコだけではないのだが。
 彼の奇行が始まると集まっていた女子は蜘蛛の子を散らすように去った。聞く者が居なくなった中、それでも熱唱を続ける部長。その勇姿に部員達は涙を流した。
 ……哀れで。
 理由を問えば、新入生への愛を歌ったのだとでも答えるだろう。だが理由を問う者は誰一人としていなかった。そんなどうでもいい理由など聞きたくもないから。
 結局、入部したのは男子一人きりであった。唯一の一年生部員、土居恭介。彼が入部した理由は部長の歌に感銘を受けたわけではなく、純粋に科学への探究心からだ。
 毎度繰り返される天王寺の奇行に付き合う度、土居恭介の脳裏には退部の文字が過る。だが言えない。言える雰囲気ではない。
「うぅむ、今回の“白衣は御洒落作戦”も失敗か! よし、次は究極の萌えッコ作戦で男子生徒を確保だ!! ツインテールに眼鏡に白衣だ! 行け鬼頭副部長!!」
「黙れ変態!!!!」
 強い口調で否定されて部長は項垂れた。土居恭介は部長を不憫に思って元気付ける言葉を探した。思案するうち大事なことを思い出す。生徒会が配りに来たプリントを受け取っていたのだ。勧誘騒動の為に忘れていた。
「部長。生徒会から文化祭についての規約文書が来てました」
「おっ! 今年の賞品は何かな?」
 天王寺が嬉々とした様子でプリントを受け取る。鼻歌交じりだ。
 文化祭。それは文化部が脚光を浴びる祭典である。加えて、この高校ではアンケートを行なうのだ。生徒と来校者に一番良かった部を選んで票を投じてもらう。この結果により賞品が出るので自ずと各部共、催し物に力が入る。部員全員が興味深そうにプリントを覗きこんだ。
「待て待て諸君! 僕が読み上げよう!! 一位、早生みかん五キロ。二位、壊れ煎餅一箱。三位、オレンジジュース一缶」
 ……一缶?天王寺部長の嬉々とした朗読を聞いていた全員に疑問が沸いた。
「これは……三位の部に一缶?」
 副部長が鼻で笑う。
「そんなケチ臭い。部員全員に一缶ずつでしょ?」
「しかし、全員に配ると二位よりも高値になる部もあるのでは?ブラスバンド部とか」
 パンパンパンパンパンッッ!!
「はいはいはいはいはいっ!!」
 会話を遮るように、天王寺の拍手と雄叫びが響いた。
「案ずるでない!! 我々が狙うのは一位だ、三位の心配など弱小書道部にでもさせておけばよいのだ!! はははははっ!!」
 天王寺が弱小と馬鹿にした書道部の人数は現在六名。どんぐりの背比べ。天王寺の高笑いは目くそ××××を笑うでしかない。
「僕の研究発表は高校生科学大会で最終選考まで残ったのだぞ。文化祭で発表すれば一位は間違いない!」
 研究表題は、化学進化による原始生命体の誕生と自己複製について。
 原始海洋と熱水噴出孔について説き、ヒトは祖先が生まれたであろう場所へ還る進化を遂げるという少々破天荒なテーマであった。
 天王寺大樹の発表は終了と同時に関係者席の約半数から喝采の拍手が鳴った。この場には天王寺の思考回路を理解出来る人物が多かったのだろう。
 では何故、最終選考で落ちたのか。原始生命体の誕生についてなど現時点で結論が出ていない題材を評価することは難しいという理由であった。
 数々の奇行により素っ頓狂な人物に見えるが頭の出来は天才の部類だ。ナントカと天才は紙一重……なのだ。天王寺の場合、文化祭など普通に発表を行なえば拍手喝采を受けて一位を取る事など容易い。
 普通に行なえば。彼の脳味噌が奇行に走らなければ。
「早生みかん五キロ……」
 鬼頭タカコはプリントを凝視していた。
「天王寺、絶対に一位を取りなさいよ!」
「任せたまえタカコくん!!」
 どうやら鬼頭タカコは、みかんが好物らしい。


***


 そして来たる文化祭当日。
 天王寺は科学部部員を引き連れて意気揚々と体育館へ向かう。この高校の文化祭は土曜日、日曜日の二日間開催で、先ずは体育館で全生徒が集まってのオープニングセレモニーから始まる。校長先生の御挨拶、そして生徒会長からの注意事項と来て応援団部の演舞で締め括る。その後、例年通りであれば体育館は 軽音楽部や有志バンドの演奏、女子生徒が可愛らしい衣装を着て地下アイドルよろしく歌ったりする場所となる。
 だが今年はオープニングセレモニーの後、体育館で科学部の催し物が行なわれることになった。科学大会で最終選考に残った天王寺の発表は生徒全員が見学するべきであるとの化学教師からの提案が通ったのだ。
 体育館は全生徒の他にも生徒父兄や近隣中学高校の教師達も集まって満員状態であった。天王寺が普通に発表を行なえば早生みかん五キロは鬼頭タカコ含む科学部の物となるであろう。天王寺大樹が普通に発表を行なえばだが。
 科学部員達がステージのセッティングを始めた。電動の大型スクリーンを吊り下げて式台の上にノートパソコンとマイクを設置する。事前に機材の接続は済ませてあるから、これで準備は十分のはずだ。だが科学部員の作業は止まらない。何やら扇風機だのスピーカーだの発表には不要そうな物を設置していく。
 科学部部員が音楽を流し始めた中、天王寺大樹は扇風機から放たれる向かい風に白衣を翻し、颯爽と登場した。
「科学部部長、天王寺大樹です!!」
 この段階で天王寺の奇行癖を知る教師達の眉間には皺が出来た。当の本人は満面の笑みだ。普通の高校生なら極度の緊張から足の一つも震わしそうな場面だが彼は緊張などしない。何故なら天王寺大樹だからだ。彼に緊張するような神経は無い。
 天王寺がノートパソコンの操作を始めると二百インチのスクリーンに表題が大きく映し出された。
――原始生命体誕生の原始海洋と青少年が興味を持つ海水浴場の共通点について――
 科学部部員一同は溜息を吐いた。科学大会で発表した時の表題と全然違う。きっと部長はロクな事をしない。故に一位は諦めねばならないだろう。
「全て終わりましたね……」
「天王寺に早生みかん驕らしたる……」
 そんな科学部部員達の喪失感など気付くはずもなく、天王寺大樹はベラベラと発表を進めていた。
「DNAとは、デオキシリボ核酸の省略である。アデニン、チミン、グアニン、シトシンの4種類の塩基とデオキシリボース、リン酸から……」
 勢いづいたのか天王寺の口調が早まっていく。体育館内は静まり返っていた。感心しているのではない。単純に驚いているのだ、早口言葉のような天王寺の説明に。
「化学進化とは原始大気あるいは原始海洋の中で無機物の合成から有機物であるアミノ酸等を……」
 ノートパソコンを操作し、スクリーンの画像を次々と変えながら、天王寺の早口は止まらない。
「……DNAの情報がRNAに転写されタンパク質が作られる。生物の遺伝情報は……」
 天王寺の流れるような早口が止まった。
「……って話は置いといて!!」
 置いとくのかよ。という満場一致のツッコミが入りそうな雰囲気の中、天王寺は目の前のノートパソコンを操作した。
「遺伝情報の伝え方を、分かりやすく我々ヒトを用いて説明しよう!」
 スクリーンから小難しそうなDNA等々の画像が消え、次に出てきたのは南国の海だ。
「これが我々の知っている海である。原始生命体が生まれた頃の原始海洋とは当然全く異なる! だが海とは我々ヒトも原始生命も遺伝情報を伝える場として……」
 続いて映されたのは海辺でセクシーポーズを取る水着姿の美女に群がる男性達であった。この場で映しだすには相応しくないだろう。
「遺伝子を残すべく……」
 ステージ袖に居た化学教師が飛び出してノートパソコンの電源スイッチを押した。強制終了だ。体育教師がステージ正面の階段を駆け上がって天王寺の襟首を掴むと、そのままステージ袖へと引き摺って行った。
「片付けましょうか」
 鬼頭副部長の掛け声で、部員達は機材を片付け始めた。
「さ、再開を要求する!!」
 ステージ袖で天王寺が叫んでいるが教師達は聞く耳を持たない。天王寺は不満を露にして暴れたが抵抗むなしく両腕を教師に掴まれて引き摺られるように連れて行かれた。その姿に部員達は深い溜息を吐いた。遠くで何かを殴打したと思われる音が響いた後、天王寺の叫び声は途絶えた。


***


 天王寺は教師達から激しい叱責を受けた。先ず科学大会での発表内容から変更するなら報告をすべきである。そして発表に必要だとしても公共の場にふさわしい表現方法に代えるべきである。この際だからと普段の行いも含めてたっぷりと説教を受けた。
 さすがの天王寺も反省をした様子で項垂れ始めると、やっと教師達は解放してくれた。天王寺は元気無い足取りで最も心休まる場所である化学室へと戻った。
 化学室には天王寺の研究経過がパネル展示されていたが、遊びたい盛りの生徒達が見に来るはずもない。天王寺は誰も居ない化学室で独り佇みパネルを眺める。深海底の熱水噴出孔で暮らす少々薄気味悪いチューブワームがリアルに描かれていた。
「僕はアミノ酸になりたい」
 誰も居ないと思ったから呟いたのに、天王寺の言葉に質問を返す声がした。
「なんでアミノ酸?」
 声に驚いて振り向くと、化学室の出入口に鬼頭タカコが立っていた。
「タカコくん……」
「せっかくアミノ酸が固まってヒトと成れてるのに、なんでアミノ酸に成りたいのよ」
「原始生命体が何処で生まれたかは現在でも様々な説があって定かではないが、僕自身は海底の熱水噴出孔ではないかと思っている。お母さんである地球の熱を感じられる其処で、僕は地球に守られたアミノ酸になりたいんだ」
 奇妙な夢を語る声が震えていた。天王寺のくせに珍しく落ち込んでいるのだろうかとタカコは懸念して近付く。天王寺の目には涙が浮かんでいた。
「僕は駄目な部長だ。部員を増やす事が出来ない。研究とは、お金が必要なんだ。それなのに彼等は来年から部費を減らされてしまう」
 タカコは思う。天王寺の奇行は、自分なりに必死に動いていた結果だったのだろうと。
「さっきの研究発表。なんで馬鹿な真似したの?」
 馬鹿な真似という言葉が傷口を抉ったのか、天王寺は顔を歪ませて涙を数滴落とした。
「だって今回は文化祭だから。現在の海やヒトを用いた方が分かり易いかなと思ったんだもん」
 優秀なるオバカさんに、タカコはデコピンを食らわせた。
「だからって家族でテレビ観ているときに出てきたら気まずくなるレベルの画像を使わなくたっていいでしょ!」
「皆に興味を持ってもらうには身近な遺伝情報の伝え方が良いって思ったんだもん……」
 天王寺大樹。常に悪気はないのだ。だが早生みかん五キロは貰えないだろう。
「仕方ないわね、早生みかんの代わりに私から御褒美あげるわよ」
 タカコに耳を引っ張られて天王寺は体を屈めた。美少年特有の白い頬にタカコがキスをする。突然の行為に、天王寺は全身を真赤に染めて力が抜けたように倒れた。
「て、天王寺っ!? 大丈夫??」
 朦朧とする意識の中、天王寺は思った。人間で良かった……と。


***


 文化祭が終了して一週間後が過ぎた頃、生徒玄関ロビーに投票結果が張り出された。科学部は、天王寺の奇行を面白がった生徒達の票を集めて堂々の三位入賞となった。殆ど発表出来なかった天王寺の心理としては複雑であろう、落ち込んでいるであろう……。と思いきや。天王寺はオレンジジュース350MLを高々と掲げて高笑いしていた。
「三位だよ、三位! 書道部なんて最下位だったらしいよ、はははははっ!!」
 ちなみに書道部の催し物は部員が書いた作品の展示。教室後方の壁に画鋲一つでペロンと貼られて寂しげに風に吹かれていた展示物を見れば、最初から参戦の意思など無いことは明白だ。
 一位はメイド喫茶を開いた漫画部。二位は歌劇風喫茶を開いた演劇部。どちらもマニア受けして票を稼いだようだ。
「これで新入部員が確保出来るかもしれんぞ」
 オレンジジュースを手にして浮かれ気分の天王寺大樹。彼の頭には発表を一分弱で切り上げさせられた過去など残ってない。あれで来る部員など科学への探究心は薄いだろう。
「土居君、九オンスの紙コップを五つとメスシリンダーを用意したまえ」
 優秀なる部長は一年生からメスシリンダーを受け取ると丁寧に洗った。そのメスシリンダーでオレンジジュースを30mlずつ量りながら五つの紙コップに入れていく。
 部員は六人なのに紙コップは五つだ。部員には少ししか分けず、残りは自分が飲むつもりか?そのような疑惑が部員達の頭を過ぎったが、天王寺の行動は思いがけないものだった。
 天王寺はオレンジジュースの缶を科学部紅一点のタカコに渡した。
「早生みかん。約束したのに貰えなくて御免なさい」
 何だかんだ言いつつも部員達が天王寺部長に付いて来るのは、このような愛すべき一面があるからだろう。なんて、ちょっと和やかな空気をぶち壊すように天王寺の奇行が始まった。メスシリンダーに水道水を170ml量って紙コップに注いでいく。明らかに薄すぎるオレンジジュースが五つ出来あがった。土居恭介は気付く。だから九オンス指定だったのだと。
「乾杯!!」
 部員達は紙コップを手にした。
「か、乾杯……」
 見るからにして色が薄い。飲んでみると微かに甘いような気がするオレンジ色の水。戸惑う部員達に鬼頭副部長が声を掛けた。
「飲みなさい。天才がうつるかもよ」

美少年は白衣を翻す

美少年は白衣を翻す

雪降る季節に秋の話ですみません。以前に書いたものを改変して載せています。楽しんでもらえれば幸いです。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-15

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