流れ星
はんぶん、とうめい
「なぁ、見てみろよ。この東京の空。何も見えねぇだろ?」
工事中のマンションの鉄骨の上で、親方が言った。
「そうですね。何も見えないです」
「何でか知ってるか?」
「分からないです」
「本気で言ってんのかお前。さては生まれも育ちも東京か?」
バカにするような目で親方は言った。
「そうですが…何か?」
ムスッとして言うと、悪りぃ悪りぃと後頭部をかきながら言った。
「俺は九州出身の田舎育ちだからよ、東京の空が暗いことは小さい頃から知ってんだ。街の光が空気中のチリに乱反射して空を明るくしちまう。“光害”って言うんだ。聞いたことねぇか?」
光害…。何となく聞いたことのある単語だった。そもそも僕ら人間は光の反射した世界を見ている。光がないと何も見えないんだ。しかし東京の空は、光があるから星が見えない。何とも皮肉な話だ。時代の進歩とともに、僕たちは唯一無二を失っていく。
「で、結局何が言いたんですか?」
「流れ星って聞いて、何を連想する?」
「願いが叶うとかですかね」
「あー、なるほどな。実は流れ星っていうのは、死んだ人が星になって流れてるんだよ」
「そうなんですか」
「あぁ。よく母ちゃんが言っててよ…」親方の声が震える。「それでな、今日の午後にその母ちゃんが死んじまったらしいんだ」
親方の目から大粒の涙が溢れた。こういう時にどんな言葉をかけてあげたらいいのか、若い僕には分からなかった。
「あの、すいません…。なんていったらいいか…」
「あぁ、ああ、ごめんな。急にこんな話ししちまって。そりゃ困るよな。気にすんな。昼間の俺見ただろ?大丈夫。寿命だよ。寿命」
そう言いながら、僕の背中を優しく二回叩いた。
「九州の地元ではな、こんなに天気がいい日には満天の星空が見えるんだ。流れ星も1時間空を見てれば2、3個はみれるぐらい流れるんだ。でもよ、今は何も見えねぇだろ?母ちゃんの死に目も見れなかった。夜になって星になった母ちゃんを拝むこともできねぇ。それが…辛くてよ…」
そう言いながら親方は泣き出した。止まらない涙を汚れた作業着でぬぐいながら静かに。僕はやっぱりどうしたらいいのか分からなかった。
「…僕はバカなので、バカの考えだと思って聞いててもらいたいんですが、見えているものが全てじゃないと思うんです。だって見えていることって単純明快というか、それ以上がないじゃないですか。でも、見えなければ、いろんな想像ができます。自分次第で、どんな形にもできるんですよ」一度切って息継ぎをした。冷たい空気が喉に張り付くような感覚がして、咳き込みそうになったが、何とか堪えた。
「見えてなくても、きっとこの空のどこかでお母さんの流れ星は流れてます。場所も時間も分からないです。でも、確かに流れていると思うんです。見えないだけで」
後半がめちゃくちゃになってしまったが、親方は泣き顔のまま、俺の肩を優しく二回叩いた。
「分かってはいるんだけどよ…つれぇよな。生きるのって」
「みんな同じですよ。きっと」
眠らない街東京は、今日も明かりが消えることはない。24時間呼吸をし続ける。
いろんな人がいて、いろんな物語がある。仕事をするようになって、自分でお金を稼げるようになって初めて不自由だなと感じた。
働くようになったら1日の大半を仕事に捧げる。大好きなことはできなくなる。視野が狭くなる。楽しみが減る。けど、そんな中で見つける小さな幸せに溺れてしまって、結果的にそれでもいいかと思いながら歳をとる。
もしも流れ星が願いを叶えてくれるのであればこう願いたい。
どうかこんな平凡で素晴らしい世界が、ずっと……続いたらいいなと。
流れ星