ticket-こぼした言葉-

低いステージと隙間の空いたフロアであの人はギターをかき鳴らす。それを恍惚の表情で見つめるのはわたし。
あの人はわたしを妹のように大切な存在だと言う。それがどれほど残酷なことか、わたし以外誰も知らない。
あの人と一緒にいるために、わたしは好きでもない「あなた」と夜を重ねていく。

あの人のことを教えて

 アボカド色のギターの横で、いつもしかめっつらをしているあなたがいる。
あなたはわたしが電車を降りるまでいろんな話をした。若いあの人のこと、好きだったバンド、音楽、あのバンドのギターが辞めたのはこんな問題を起こしたからだとか、休みの日何をしているだとか、もう何年歌っているだとか。
仕事の愚痴も、好きな音楽も、あなたの口から出る言葉はわたしの言葉と違って、地面に落ちていかない。
うんうんと頷きながら、まだ駅に着かないでと願う日々が簡単に、呆気なく過ぎていた春だった。



「ねぇ、こないだ。どっかいったでしょ、帰ったってうそついて。」

会話の端くれとして出た言葉に、あなたは目を丸くする。
都合よく、周りに誰もいない小さなライブハウスのエントランス。あなたは言葉を返さない。

『・・・でもね、わたしも、あの人と、さ』

そのあとに続く言葉を聞いたあなたはさらに目を丸くして、一度二人でご飯食べに行こう。そう約束をしてわたしを見送った。



 春というには暦の上では充分だったその日はやけに寒く、仕事を終えたわたしはゆらゆら電車に乗りながら今から会うあなたのことを考えていた。
指定された駅は二人がいつも乗り換えに使うなじみの場所、喫煙所の陰にあなたは立っている。重そうなギターがずっしりとあなたの肩に寄りかかっていた。

「ごめんね、おまたせ」

疲れているのか、いつもより口数の少ない電車内は異様に静かに感じた。

地元の駅、適当に入った居酒屋でかわいらしいカクテルを注文するあなたに笑みをこぼしていた。
あの人の話を聞くまでは。
あの人がどんなに遊んでいてどんなに誰かを傷つけ泣かせてきたかなんて本当は聞いたってどうしようもない、知りたいわけでもない。
それでもあの人の奥を知れたような喜びが微かにあった。
それでもよかった。こんな言葉が似合う女に、いつのまにか成り下がっていた。




 酔いもほどほどに、終電から2時間を過ぎようとしたころに二人は店を出た。
あなたの行きつけのホテルはやけに遠く、重いギターがあなたの肩を軋ませていた。
部屋に入り下ろした荷物は大きな解放感に、それは大きな眠気に、変わった。
二人一緒に体を流して、特有の大きなベッドに入ると、時計が朝4時を告げた。


今重なる二人を知る者は誰もいない。あの人も、知らない。


糸が解けたように眠るあなたを見て、散らばる衣服をかき集めたわたしは静かにソファに座る。
煙草に火をつけ、ゆっくりゆっくり燻らせながら、本当の朝が来るのを待っていた。




 寝ぼけたあなたと駅まで歩き、何時もの最寄駅で別れたのはもう昼前で、休日の半分を潰していることには気付かないふりをした。
どうしてこうもわたしの心にはいくつもいくつも溝があるのだろう。穴ではなく溝が。
それは底がないからわたしはどこにも落ちることができないまま躓き続けるのだと、気付きはしなかった。
躓いた足の痛みが心地よいなら、いくらでも足をかければいい。


 ふわふわと宙に浮いたまま、着地の方法はだれも教えてくれなかった。

ticket-こぼした言葉-

ticket-こぼした言葉-

愛するあの人と繋がっても心は吹き荒れていた。 あの人のことを昔から知っているあなたが、わたしを知りたがるなら、わたしもあなたを知りたい。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-01-11

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