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3月の終わりにも似た気候の新春の日に、あの鎌倉の文学館へと行きましたね。石畳の古道の奥に佇む立派な建物です。覚えていますか。我々は久米正雄や高見順の直筆原稿にはほとんど興味を持てず、辟易して、靴を履き直して広い庭へ歩み出しました。私の下駄箱の鍵番号は1桁であったと記憶しています。
それは私の人生の素晴らしいひと時でありました。芝生は来たる春に備え青々とした景色を失っていましたけれど、それにも増したあの遠景の輝く海。陽の良く当たる正午の庭には我々の他に誰もいませんでしたね。
 
けれど、私はあの場所にもう一人、我々以外に見物客が居たのを知っているのです。我々の思い出のために、君には秘密にしていました。
君が壊れかけたベンチに腰掛け、いつも通りゆっくりと昼食を味わっている間、私は庭の離れにある小さなバラ園を訪れていました。時期が悪かったのでしょう。大抵のバラは開花せず、棘と葉だけのまま縞状に広がっていました。けれども――陽当たりが格別良いのでしょう――、数滴落とした赤や黄の絵の具のような花々が片隅に咲いていたのです。その場所に小さな写真家がいました。
 
写真家は十一、十二才ぐらいの黒いブレザーを身に着けた少女でした。そのバラの写真をどうするつもりなのでしょう。持ち帰ってじっくりと眺めるのでしょうか。けれども、どうもそのような鑑賞眼を持ち得ている年には見えません。不意に私は話しかけられました。少女は、近付いてくる私の存在に気付いていたようです。
「ねえ、写真を撮ってあげようか。」
「ありがとう。しかし、どうやって写真を受け取ればいいかな。」
「私のパパはね、この近くで写真館をやっているの。」

私は写真が大嫌いでした。そのため君と私が揃い写った写真は極端に少ないのです。代わりに、君の写真はたくさん撮ってあげました。江の島や横須賀で撮りました。卒業式の日にも撮ってあげたと思います。君は自分の泣き腫らした目が気に入らず、その写真はすぐ取り上げられてしまいましたが…。
そのような訳で、上手い断り方も思いつかずに私は写真を撮ってもらいました。女の子には申し訳ないのですが、きっとあまり良い写真とは言えないでしょう。それはあまりに唐突な親切であったので、今思い返しても戸惑いを顔から隠し切れなかったと悔やんでいます。

もう一つ秘密にしていたことがあります。文学館を出た後、私はもう一度その少女を見たのです。それは我々がその足で有名な鶴岡八幡宮に初詣に出向いたときのことです。
その日の鶴岡八幡宮は一年のうちで最も混みあう日でありました。本宮へ向かう一本道の、たこ焼きや綿あめの屋台が匂いを漂わせているその辺りから既に参拝客の行列が始まっていて、我々も渋々参拝のために待ちました。
私の眼前にある背中はあの少女のブレザーでした。
少女の両の手を引いて参拝を待ち惚けているのはお爺さんと母親でしょうか。石段を上り本宮に着くと、少女は50円玉を賽銭箱へ投げ込みました。3人分の50円でした。
写真館は閉じていました。あの女の子を見たのはそれきりです。

あの時、君は私に願い事を教えてくれませんでしたね。私も願い事を秘密にしました。けれど、幼げな君の願いとは違い、私の願い事は本当に誰にも聞かれたくなかったのですから、優しい君はきっと許してくれるでしょうね。

君にも子どもが産まれたそうですね。可愛いですか。君は子どもの写真を撮りますか。
鎌倉の文学館に来ています。君の写真を持ってきました。久しぶりに珈琲を飲みませんか?

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3月の終わりにも似た気候の新春の日に、あの鎌倉の文学館へと行きましたね。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-10

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