裸体書店

捲る対象が違った

 はい、これは僕の蜃気楼です。まさに幻の熱です。額の熱は42℃にメラメラと立ち込め上がるのです。突然的に言いますが僕は全く持って本とか文章に興味はないのです。しかし、改めて言いましょう。本日から僕は本の虫になりましょう。と言うのは或る日の午後でした。僕が暇つぶしに近所のまぁまぁ大きいスーパーマーケットに訪れた訳です。左腕には新しく新調したキラキラと銀の光を放つ時計をはめて歩きます。歩調は何処かサーカスに入団したての小僧の様に軽かったのを覚えています。けれども所詮は暇つぶし、目的のお店が或る訳ではなく店内を逸れたミツバチの様にして回っているので飽きてしまいます。すると、僕の目の先にある看板が映ります。
 『蛍書店』
 僕はこれを見てハッとします。漫画の新刊でも読むかと。それで立ち読みをする為に書店に入店して雑誌に手に取ります。
 それで一ページ、一ページ捲り、なるほど、なるほど、最近の漫画はこんな作品があるのか、楽しいねぇと思いに更け、何となしに書店のお会計先を見たのです。
 そこには初雪の肌の様に白く、夜明けの風で色塗られた髪、椿の花弁が小さく浮いた唇、水晶の瞳、それを通してみる細い眼鏡。それを増し加えて魅せる微笑みは僕の脳髄を容易に溶かしたのです。
 エプロンと青いシャツの女の店員は子供にお釣りを渡して本をラッピングしていました。僕はその日から彼女の虜となり、時間を見つけてはその書店に通っては小説を買いました。僕は想像する。嗚呼、一体彼女はどんな本を読むのであろうか? 純粋、ミステリー、謎解き、恋、アクション、ファンタジー、化学、彼女の本を読む姿を幾度も考えましたが全てが素晴らしかった。
 白い机に座って読むのだろうか? 座布団に座って読むのだろうか? ベッドに横たわって読むのだろうか? お風呂に入りながら読むのであろうか? いやそれもとも、何処か落ち着いたカフェで読むのか? ではなく、樫の木で出来た椅子に座り公園で読むのか? もしくは波のざわめきが聞こえる砂浜に座って読むのか? それも違うとしたら天窓がある部屋の中で月の光に照らされて読むのか?
 僕は或る日こう言われました。
「佐々木が気になっている書店の女の子って眼鏡を掛けた陰気臭い奴?」
「ださくね? つーかお前が熱をあげるほど、容姿はお世辞にも可愛いって言えない……」
 まったくもって酷い奴らだ。僕はこのネジの外れた友人たちを叱責して書店へと向かいました。
 彼女は今日もカウンター先に居てレジ打ちをしています。と、彼女の隣にパッとしない剥げたおっさんが何か作業を行っているのです。どうやら店長らしく常にといっても過言ではない程にカウンターの中でゴソゴソとしている訳で、僕はこの男が傍にいる事について快く思っていませんでした。僕はこの日も額の熱は42℃にメラメラと立ち込め上がり、本を手元に視線は彼女にあったのです。
 視線はX線。彼女の衣服を透かし呼吸を辿り肺と心臓を通過します。しなやかな筋、舐めならかな皮膚、僕の瞳の潤いが彼女の脂質に点を打って弾ける。最後に黒い髪がハラりと頬を擦った。
 唾を飲み干して決意する。決めたぞ。僕は今、彼女に告げよう。この気持ちを。そうして脚は覚悟に満ちて彼女のいるカウンターへと進んで行く。
 僕は本を差し出す。彼女はその本を受け取りバーコードを読み込む、と、僕は銀の輪っかに気づいた。左手の薬指に幸せの香りを漏らすそれは、数秒間の時を飲み込んだ。理解はすぐに駆け巡るが、しかし、左脳か右脳か分からない、どっちの脳みそも認めたがらなかった。苦しい事に真新しい光はもう一つあった。あの小さな背中でパッとしない小汚い店長の左手にポツンと光る真新しい光が僕には凄く凄く眩しく見えた。
 会計を済ました僕は微笑ましく互いに助け合う二人の店員を見て書店を後にしました。
 ぼんやりと放つ街灯の下にあるベンチに座り、ペラペラと本のページを開いて並んだ文字を眼で追う。それで目の前にあるクスノキに向かって「別にあんなダサい奴どうでもいいし」って言いました。
 意味は分かりませんが新しく開くページの筈なのに既にポタポタと水滴が吸い込んで、並んだ文字が泳いでいたのです。

裸体書店

裸体書店

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-08

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