幸福老人組合

一人の老人が電車に揺られている。向かいに映る鏡を見ながら自分の老いた姿を確認しては、いつか見た言葉を

南米の奥地、プラントハンターにより発見された奇跡の植物。
「グリントゥリー」
そう呼ばれている。成分事態は政府により非公表の部分が多いが、人間に必要な栄養素が全て入っている奇跡の植物。そしてグリーントゥリーの発見により世界から農業や漁業といった第一次産業が消えてなくなりつつある。そんな未来の話。

 関東地方のとある都市のとある家で一人の男が天井を見あげながらふと呟いた。
「もう、そろそろかな」
2階から叫び声がする。
「審判の日は近い、我々は次の世代に託さねばならない、人類よ。我々は行き過ぎた。新たな時代に繋げるのだ。我々の体は滅ぶが英知は滅びはしない、気づけ、夜明けは、夜明けはちかいのだー!」
ガチャ、扉を開けて、
「うるせぇんだよクソ親父、近かぁねぇよ!夜中の今1時だぞ!」
この家に最近よくある光景だ。息子と親、そしてその親はもう老人となり、息子には見えない何かを感じつつある。
2階建ての家は中古で購入した。ローンはまだ残っているが後悔はない、男の名前は藤田、都市は36歳で家族構成は宗教に系統するボケ気味の父と、今は遺影となった母、そして自分と嫁、息子は一人で今年5歳になる。ゴミ出しや家事の一部は藤田が担当し、息子の幼稚園の送り迎えは嫁が担当する。どこにでもある平凡な家庭を絵に描いたような生活。
「昇、解るか?」
昇は息子の名前だ。朝の出勤前、少ない時間の中わずかな朝食の団らんの中藤田は祖父の洋二郎が息子の昇に話すのを聞いている。
「太陽は昇りやがて沈む、人は朝日を美しいと称えるが、沈みゆく黄昏の光を嫌い、見ないようにする。夜明けも黄昏もその二つの光は同じものなのだ。何故、何故黄昏に輝く光を嫌うのだ」
「知らねぇよ、そんなもん昇に訳わかんねぇ事吹き込むなよ親父、黄昏る前に飯食えよ、時間ねぇんだよこっちは」
そう言って怒る藤田を気にも留めず洋二郎は昇を見ている。
「おじいちゃん」
「何だ昇」
そう言って昇は小さな右手を差し出し、小指と人差し指を立てて、こう言った。
「パスアマトピア」
そのサインに洋二郎も、
「パスアマトピア」
そう言って同じ言葉と同じサインを出した。藤田は恐る恐る聞いてみた。
「何だそのパスあなんちゃらは?」
「心の安らぎを得る福音だ。よし昇、ソフトクリーム味のグリーントゥリー買ってやるぞ」と洋二郎が答えた。
「そうか・・」
藤田は力のない相槌を打った。そして絶句した。何故なら自分の父親が訳の分からない言葉を吐きそれが自分の息子が理解しようとしている。
「どうしたの?」
後ろから声がした。
「久美」
久美は嫁の名前だ。
「どうしたの?今日は病院の検査でしょ?」
朝の支度をしながら久美が答えた。
「ほら昇、早く食べちゃいなさい」久美がせかすように昇にいうと、
「分かってる。」
昇はそう言いながらチーズのような食感のグリーントゥリーを不器用にスプーンでちぎって口に運ぶ、
「これが栄養か・・・」
藤田はふと思った。人の体は人の以外のもの接種することで出来ている。それはビタミンや鉄分、カロチン、ナトリウムそれを色々なものを食べる事で人の体が出来ている。だけどこの時代ではその栄養のすべてがこのブロックに包まれている。味も確かにそれらしいがどうも藤田はこの感覚に慣れてはいけなかった。そう感じながら食事をしていると、不意に久美が言った。
「お父さん今日は定期健診の日ですよね?忘れないでくださいね」
「ああ、解ってる」
祖父の洋二郎は3年前に肺がんを患い、幸い早期発見で完治はしたものの、それ以来定期的に病院に通っている。その頃から妙な教えにはまり今日ではその敬虔な信者となりつつあった。
「プゥー」
家の前か送迎バスの停車の音が聞こえた。
「ほら昇行くわよ」
「うん」
「じゃあ、あなた、後よろしくね」
「はいよ、行ってらっしゃい」
「行ってきま~す」
そう言って昇は久美の手に連れられて家を出ていった。キッチンには藤田と祖父の洋二郎の二人がいる。
「なあオヤジ」
「うん、どうした?」
「もういい加減その変な宗教止めてくれないか?」
「お前は何を言っているんだ?これは宗教じゃない新たなカルチャーだ」
だ。前にも説明したろうこれはhpcと言って」
「ああ、わかったわかった。じゃあ俺も行くわ、オヤジ、病院忘れんなよ」
「人をぼけ老人扱いするな」
藤田もそう言って家を出た。

 仕事は単調なものだ。毎日同じことの繰り返し、昼休憩は焼き固めたグリーントゥリーと傍らにはミネラルウォーター、皆が他愛もない話をする中、藤田は一人物思いにふけっていた.
「いつからこうなってしまったんだろうな・・」
ふと口から出た。昔の父親はあんなではなかった。宗教まがいのことなど気にもしないような人間だったのに、癌を患い、更に退院の帰り道に交通事故になりかけてから、変な思想にのめりこみ、最近では自分で見つけてきた施設に通いだし、その思考はより深まるばかりだった。
「ふぁ、帰るかな、お疲れ」
そう言って残業を終えた藤田は会社を後にした。もう時間は22時を過ぎていた。

 帰りの電車で座れる事は少ない、味気ない帰宅だ。帰れば家族の顔を見れるのは嬉しいが、それを見るまでの2時間の小旅行は疲れた体には堪える。祖父の老後を考えて郊外に一軒家を買ったはいいが、往復の4時間はこれこそ非効率なんじゃないかと藤田は後悔していた。そんな考えを巡らしていると。となりの男がふと立ち上った。
「すいませねぇ」
そう言いながら老人が、代わって貰った座席によいしょと腰かけた。藤田は思う、
どうせすぐ降りるんだろう?代わったスーツで眼鏡の男を藤田は知っている。自分と同じ県をまたいで通勤している同類だ。年は自分より下だが、必ず年輩者には席を譲る。藤田はそれを嫌悪していた。
何故こんな老人を楽させなきゃいけない?何の生産性もない老人を、
「リサイクル」
ふと思っていた事が口に出た。藤田の前にいた中年の女性が不審な顔で藤田を睨んだ。藤田は思わず目をそらしながら、こう考えた。
老人は肥料にでもしてしまえばいい、「次は終点・・」
そう思っていると、車内のアナウンスが流れた。藤田は列車を降りて改札を出ると薄暗い明かりの中で吹いた風に土の匂いを感じた。

家の明かりは付いていた。藤田は玄関を入って少し不思議に思った。時計は午前0時を少し過ぎたぐらい、いつもならもう全員眠ってしまっているはず。
「ただいま」
抑えめの声でドアを開けた。
「おう、お帰り」
祖父の洋二郎がリビングで座っていた。
「どうしたんだよ親父、まだ寝てないのか」
「ああ、お前を待ってた」
藤田は洋二郎から酒の匂いを感じた。
「飲んでんのか?」
洋二郎は何も答えない、ただ一枚の紙を藤田に差し出した。
「なんだよこれ?」
藤田は紙を受け取りまじまじと眺めると、最後の承認の所にサインしているのを見て、
「親父、本気で言ってんのか?」

 キッチンのテーブルには藤田と久美の姿があった。
「まさか今こんな事が出来るようになってるとはなぁ」
「何呑気に言ってのよ、お父さん施設に入居するなんて、私聞いてなかったわよ」
「おい、声が」
そう言って声を荒げる久美をさえぎると、
「あ、ごめん」
そう言ってあやまる久美の視線の先にはリビングで昇と洋二郎が楽し気に遊んでいた。
 昨晩のことだった。洋二郎は藤田にこう言った。
「自分の生き方は自分で決める。やり方は任せて欲しい」
そう言って藤田があっけに取られている中、洋二郎はこう説明した。
 自分にはアルツハイマーの兆候が出ている。放っておけばただのボケ老人になってしまう、それを医師に相談するとここを紹介してくれた。
「トゥリーライフ」
「後は家族の了承を得て欲しい」
内容は植物の力を借りて脳の状態を健全でクリアーなものとする。自然治療を主とする新たなリハビリ療法で、ただ施設への長期間の入院が必要で、人によっては最期の時をそこで迎える事になるかもしれないので、家族の了承を得てくれと、病院からはそう言われ、昨晩その旨を藤田に伝えた次第だった。
「いきなりそんな事言われても私はまだ受け止めきれないわよ」
久美が言った。
「俺もそうだよ」
藤田はそう答えたが内心少しホットしている部分もあった。これで呆けた親父の面倒を見る心配がなくなる。自分が忌み嫌う電車で甘えた老人のように自分の父親もなっていく、仕方ないとは割り切りながら、そうはなって欲しくないと心の中で思っているのも又事実だ。だが洋二郎が提案するこの逝き方がどんなものか予想もつかない所もあり、藤田自身どう言っていっていいか解らずにいた。
「ねぇおじいちゃんの手、木みたいだね」
昇がリビングで不思議そうに洋二郎に言った。その声を聴いて藤田はリビングの洋二郎を見ると、まるで年輪のような皺が洋二郎の手に出来ていた。
「おっと、昇、内緒だぞ。黙ってたらソフトクリーム食わせてやる」
その言葉に昇は「うん」と頷き、そして手を出して言った。
「パスアマトピア」
洋二郎も、
「パスアマトピア」
洋二郎はそう言いながらソファーから立ち上がると、
「自分は少し休んで来るよ、最近どうにも眠気が多くてね」
そう言って、ソファーに寝そべった。その姿を藤田と久美、そして不思議そうな顔で昇が眺めていた。
「おじいちゃんお庭みたいな匂いがするね」
昇が言った。
「そう?ほら、昇もお昼寝してらっしゃい」
そう久美が昇を自分たちの寝室へと連れて行った後、リビングに戻ってきて藤田に言った。
「2丁目の多恵さん・・あの人が死んでからお父さんぼけちゃったんじゃない?」
「あのカルトババアか、あいつのせいで親父がおかしくなっていったんだ」
「カルトババアって酷くない?お父さん多恵さんの事好きだったんじゃないかな?」
「よしてくれ、2人は何歳だと思ってるんだ。今の親父は神様と結婚してるような人間だぞ、人間が入り込む隙間なんてないよ、それに良かったじゃないか?ようやく神の身元に行けたんだから、まあ最後は死にたくないって叫んでたらしいけどな」
「ほんとなの?」
「噂だよ。ただどんな格好いい事言っても人間最後は醜いものだぜ」
藤田は最近の吹っ切れたような顔をした洋二郎の印象が強く、疎ましかったが、少し羨ましくもあった。
 二人はお互いに答えを出せないまま2時間余りの時が経とうとしていた。そんな中、
「ピンポーン」ドアのベルが鳴った。
「はい」そう言って藤田はインターホンの前にあるモニターを見ると、見慣れた眼鏡をかけた男が入り口の前に立っていた。

 リビングに眼鏡をかけた男が座っている。男は自分の事を、
「HPC human plant consultingの佐藤です。と名乗り、
「今回は祖父の洋二郎様の施設での老後をいかにして過ごすかについてお話をさせていただきにきます」
そう言って藤田達に名刺を渡し深々と礼をすると、
「あ、メガネのおじちゃんだ」
そう言って昇が、佐藤の元に駆け寄ってきた。
「やあ、こんにちは昇君、元気かい」
佐藤はそう言いながら優しい笑顔を向けた。
「昇、この人知ってるのか」
藤田は不思議な顔でそう尋ねると、洋次郎がこう答えた。
「俺が連れて行ったんだ。なあ昇」
「うん、ソフトクリーム貰った」
「お父さん」
そう困った声で久美が言うと、
「いやいや、久美さん黙っていたのは申し訳ないけれど、もうね決めたんだよ」
「何が決めただよ!」
藤田がその言葉に声を荒げた。全員がビクッと萎縮したのに気づき、少しため息混じりに、
「ふぅー、すまん、つい」
その後少し間を置いた後、佐藤が言った。
「申し訳ありません、いきなり来てしまったばかりに」
そう言って申し訳なさそうな顔をした佐藤をかばうように洋次郎が言った。
「いやいやいいんだ佐藤さん、私が来るように言ったんだ。あなたは気にしないでいいよ」
「親父、なんで相談なしに事を進めるんだ」
説得するように藤田が言うと、
「まあ、聞け、俺には俺の考えがあるんだ」
そう言って佐藤の方を向くと、では、と佐藤が鞄の中から資料を取り出して、
「今回の御内容です」
と、テーブルの上にパンフレットを置いた。
「すいません、うちの父がお呼びだてしたのは解りましたが、全く話が見えてこないのですが」
そう藤田は佐藤に問いかけた。
「洋次郎さんの望む逝き方、それを私共でお助け出来ればと」
その言葉に藤田は、
「いくら本人が了承しているとはいえ、これは家族の問題だ。いくらなんでも唐突過ぎてついて行けませんよ」
 佐藤は丁寧な口調ではあるが、どこか人間味を感じない、藤田は佐藤の話を聞くにつれそう感じていた。そして不思議ではあるがどこか自分に似ている。そうも感じていた。
「一度私どもの施設に来てみては頂けませんか」
佐藤はそう言って簡単なパンフレットを机の前に差し出した。
「決めるかどうかは一度弊社を見て考えて欲しいのです」
藤田は佐藤に渡されたパンフレットを眺めてみると横から久美がこう言った。
「あら、割と近くじゃない車で行けば30分もかからないわよ。でも気味が悪いわ、ただでさえ良く解らないのに家の近くにこんな施設があるなんて」
そう表情を曇らせる久美に対して佐藤は、
「無理もありません、ただ私どものすべて地域とご家族の希望を受けてやらせて頂いている次第です」
その言葉に久美が、
「そうは言ってもねぇ」
そう言いかけると、藤田がこう言った。
「解りました。一度その施設を見てみます」
「ちょ、ちょっとあなた」
そう言いかける久美に対して藤田が言った。
「いいじゃないか、そこを見て駄目なら今回の話は無しだ。俺たちの同意がないと決められないんだろ?」
そう言って藤田は佐藤の顔を除いた。
「はい、その通りです」
そう佐藤が答えると、藤田は洋二郎の顔を見て、
「親父もいいな?今回は俺たちも一緒に決めるぞ」
そういうと洋二郎が答えると思いきや、先ほどまで黙って聞いていた洋二郎はもうすでにンテーブルの前で下を向いて寝てしまっていた。
「おい、起きろ親父」
そう言いながら藤田は洋二郎の背中をバン!と叩いた。
「お、おお、どうした?朝飯か?」
そう寝呆けながら洋二郎が声を出すと、
「この施設に俺たちも行く、いいな?そこで駄目なら今回の話は無しだ。解った?」
「あ、ああ」
そう力なく答える洋二郎に対して、本当に解っているか不安になりながらも、藤田達は来週施設に行く日を佐藤に了承させ、その日の話し合いは終わった。そしてその夜も。
「目覚めは近い、人類の夜明けは、人類の夜明けは」と2階の部屋から絶叫は響いていた。
トゥリーハウスの施設には広大な敷地の中あり、施設の周りには今では珍しい広葉樹林が数多く茂っていた。
「トゥリーハウス」と書かれたベージュの看板はオーガニック系の穏やかな感じで、敷地には人口の芝生ではあるものの、心安らぐ、そういった言葉が似合いそうな雰囲気を感じた。藤田は車を降り、施設の前まで来ると携帯電話を取り出し。
「もしもし、佐藤ですが今着いたんですけど」
「わざわざありがとうございます。少々お待ち下さい」
そう佐藤は答えると、間もなく白い扉が開き、
「こちらです。どうぞ」
そう言って佐藤が出迎えた。
「言って頂ければお迎えに上がったのに」
「いえ、お構いなく」
そう佐藤が手を振った。
「今日はご家族の方はご一緒ではないのですか?」
「ええ、最初に自分自身の目で見ておきたかったので」
佐藤は藤田の言葉に少し反応したがそれを言葉には出さず。そのまま施設の奥へと案内した。
「こちらです。どうぞ」
施設の中はペンションのような作りだった。働くスタッフは朗らかで、介護される老人も体は弱ってはいるが、顔は元気に見受けられた。だが少し気になったのがほとんどの老人がよく水を飲んでいるのだ。
「ここは乾燥しているのですか」
「いえ」
そう答える佐藤に少し違和感は感じたが、そのまま流した。その時、
「お父さん」
聞き覚えのある声に振り返ると、
「昇」
昇とその横に洋二郎が立っていた。
「オヤジ、どうしてここに」
「洋二郎さん」
そう言って、洋二郎のもとに佐藤が歩み寄り、少しこわばった顔で、
「今はあまり動かれない方がいいですよ」
そう言って肩にそっと手をかけた。
「いや、家にいても落ち着かなくてね、ここに来た方が安心するんだよ」
「オヤジ、なんで昇も連れてきたんだよ」
「いや、昇がな」
そう言って昇をみると、
「ここのソフトクリーム美味しいんだよ」
そう言って無邪気な笑顔を藤田に向けてきた。
「ソフトクリーム、そんなのがあるんですか」
そう言いながら藤田は佐藤の方を見ると、
「まあ、形を似せているだけですが、グリーントゥリーから採れるブロックを冷やして、糖分を多めにして、凍らせたものです。良ければ藤田さん一緒にどうですか?」
そう言って佐藤に招かれると、楽しみにしている昇の期待を裏切ることも出来ず。
「じゃあ」と、
少し戸惑いながらも、その招きを受けた。
「昇ちゃん」
施設を案内してもらっている間に知り合いの老人達から昇に声がよくかけられる。その中には車いすに乗る老人も多く、体は弱ってはいるが、しゃべり方ははっきりしていて、心なしかアルツハイマーのリハビリ施設とは思えなかった。老人たちの晴れやかな表情は晴れやかで、曇りすら感じられなかった。
「今日はここに泊まる」と洋二郎は言うので、藤田は昇を連れて帰る事にした。
「どうやってここまで来たんだ?」
と、藤田は昇に問いかけると、昇は、
「おじいちゃんが電話でバスを呼んだ」
そう言った。藤田は「そうか」と返事はしたものの、この質素な施設のどこにそんな金が出ているのかと不思議に感じた。だがその日はもう遅かったので佐藤に別れを告げると、
「じゃあね、昇君」
と、優しい顔で手を振る佐藤に、余計な詮索はやめようと思い帰路に着いた。

関東地方のとある都市のとある家で一人の男が食卓に並べられた固形物を食べながらふと呟いた。
「美味いな」
「最近食べ物に文句言わなくなったじゃない?」
食卓には久美が皿を片付けながら藤田と話している。横では昇が固形食を少しづつフォークで切って口に運んでいる。
「そう?」
「そうよ、前は形がどうのとか、食感がどうのとか言ってたじゃない」
「言ってたかな?」
「言ってたわよ」
「覚えてないや、ごめん」
「何よそれ、アハハハハハ」
「ごめん、アッハハハ」
そう言って二人で顔を見つめては笑っていた。藤田自身も、職場の同僚や周りからの目も次第に以前と同じように普通に戻って来ていた。
「ブゥー」
近くから昇を迎えに来た幼稚園のバスの音が聞こえた。
「じゃあそろそろ行くわ。おい、昇早く用意しろ、バスきちゃうぞ」
「うんちょっと待って」
そう言って昇は食事を終えると、椅子から降り、幼稚園の鞄を肩から下げた。
「いってらっしゃい」
久美の声が聞こえる。
「うん、行ってくる。今日早く終わるから、帰りに親父の病院に行ってくるよ」
「そう、気を付けてね」
あれから父の洋二郎は別の病院に移した。容態はすぐれず病院での治療の為長期乳井院中だ。前に一度家に帰ってはきたが、ほとんど眠ったままの状態は続いている。それでも変な薬は止めさせてという久美の願いを聞いて、最低限の薬以外は本人の自己治癒力に任せる治療にしたと、久美には説明してある。
「じゃあ昇行くぞ」
「うん」
藤田は昇を連れドアノブに手をかけた。

 全て嘘だ
 
あの日帰ってきてから藤田は書類にサインをした久美の名前は自分で書いて印鑑を押し、そのまま施設に届けた。父親を施設に丸投げするようで気が引けはしたが、それより毎夜毎夜訳の分からない覚醒を叫ぶ老人がいなくなっただけで、藤田のストレスも減った。その事をかんがえれば今では良かったのかもしれないとも思っている。ただ後悔が無いわけではないが、久美から文句を言われる事がなくなったのが藤田自身の心を軽くしていた。それに何度か施設に通ううち、いくらか佐藤と話すようになり、佐藤がどうしてこの施設で働くようになったかも聞いた。それは佐藤自身交通事故で父親を亡くしその遺言に死んだあと、この体を何かに利用して欲しいという父の思いを叶えるため、この施設の研究員となったのだという、
「まだ反対の声も多いのですが」
その言葉に藤田は思った。佐藤は嘘をついている。藤田は本能的にそれに気づいてた。だが疑わなかった。やたらに親切な態度、どこから金が出ているか解らない施設の運営体制、洋二郎の施設の入所でさえ一般の養護施設に比べて半額以下だった。正直これからの面倒を考えれば藤田に取って願ったりの展開だった。久美や昇の前では家族は一緒にいるべきだと言葉では言ってはいたが、藤田の本心は
古いものはリサイクルされるべきだ。
そう呟きながら長い電車の中を過ごしていたが、今は何も感じない、それどころか、
「どうぞ座って下さい」
そう言って電車で席を譲る事もある。今までは忌み嫌っていた行為を自分からするようにさえなった。
負い目かな
藤田自身そう感じていた。
あれから3カ月が経った。藤田は父親の様子を見にセンターに通っている。正直口には出さないが煩わしい介護の手間が減った分久美も前より元気で、昇もおじいちゃんがいない生活に慣れてきている。だが今更になって藤田自身がこままでいいのかと、自分の中に気持ちのしこりが出てきていた。
 藤田は「トゥリーハウス」の前にいた。そして受付で、
「藤田洋二郎の面会に来たのですが」
そう言うと、
「申し訳ありません、藤田様は今日は特別な検査がありまして、面会を遠慮させて頂いております」
「前に来た時も同じだったのですが、その検査というのな何なのですか?」
「申し訳ありません、それはご本人様から他の方に言わないで欲しいとの事で」
「私は息子ですが」
藤田はらちが明かないので、強引に受付を抜けて、以前案内された職員の詰め所に無理やり入っていった。
「佐藤さんを呼んでもらえませんか?」
藤田はスタッフルームと書かれた部屋につくなり、施設のスタッフに詰め寄るようにそう言った。しばらくして、
「お客様。困ります」と受付の女性が走ってきたが、それと同じタイミングで佐藤が来た。そして藤田は聞いた。
「佐藤さん、あなた嘘ついていますね」
「どういうことでしょう?」
佐藤の顔が少しこわばった。
「オヤジの容態が悪くて会えないと言っていますが、本当は親父はもうここにはいないんじゃないですか?」
「おっしゃっている意味が良く解りませんが」
「もし会えるならそうなる前に最後に一度会えればと思いまして」
藤田の言葉に少し間を置いた後、佐藤が警備員を呼ぼうとする受付の女性を止めてこう言った。
「こちらへどうぞ」
施設の奥、何気ない防火扉を開けると階段があり、そこからずっと下に続く階段があった。それを20分ぐらいかけて降りていった。
「着きました」
そう言って白い扉が開くと、
「うっ」と、藤田眩しい光に目を覆った。
 爽やかな日差しの中一定間隔で2メートルばかりの木々が並んで生えていた。藤田はその部屋に入ると靴から感じる柔らかい感触に下を向いた。
「柔らかいでしょう、これが本来の土なんです」
そう言って佐藤は藤田の顔をみてこう続けた。
「良ければ、あの木達に触ってみて下さい。」
藤田はおそるおそる気に触れてみた。指の先から細かな感触と木々特有の独特な匂いが鼻に残った。そして両手で木を覆うように触れてみると、
「うわぁ」
と、思わず藤田は声を上げた。そして、藤田が今触った部分を回り込んで確認して見ると、人間の顔のような木目がありありと木の中に埋め込まれるようにあった。
「何ですか、これは?」
藤田は思わず声を荒げた。その言葉に佐藤は表情を変えず。
「それが今私たちが勧めているもの、人間の植物化です」
「これ全部」
藤田が奥の方まで続く木々を指さした。
「ええ、全てです」
藤田はその言葉に、木の方を振り返り、思わず。
「狂ってる」と呟いた。佐藤はゆっくりと土の上を歩き、佐藤の方に近づいてきた。
「狂っているのはこいつらの方ですよ」
そう木に手をかけながら言った。
「緑はいい、空気を浄化してくれるし、汚れた土の上にも根をはり、大地をよみがえらせようとする。そしていらなくなれば燃やしてしまえばいい、その熱ですら有益だ。それに比べてこいつら老人は何の役にたっています?」
佐藤の声が変わってきた。落ち着いてはいるが、少し楽し気で、何か弾むように話している。
「藤田さん、私知っているんですよ。あなた電車で老人に席を変わる私を苦々しい目で見ていたでしょう?」
藤田は佐藤の言葉に思わずうっと気まずくなった。
「私も解るんです。かつて私もそうでした。元気なくせに弱ったふりをする老人が許せなかった。富めるくせに無いふりをする。そのくせ心根は傲慢だ」
そう言うと佐藤は自分の声が気を荒げてきているのを自ら抑えるように大きく息を吸い、そして吐き、こう続けた。
「でも今は違います。私は活路を見出した。どうぞこちらに一緒に来てもらえませんか」
呆気にとられる藤田に、佐藤は1本の木を指さした。
「あれが私の父です」
藤田はその木のもとに駆け寄ると、木の表面に出ている顔を確かめると、
「もうこんな状態なのか」
「ええ」
藤田は皮膚を触りながらそう言った。佐藤の父親の肌はもう茶色になり遠目から見れば皮膚は樹木を変わらなくなっていた。手足はまだ辛うじて残ってはいるがそれ以外はもう木と一緒になろうとしていた。
「これがグリーントゥリーの正体です。政府が発表しているブラジルの奥地なんて嘘っぱちです。本来のグリーントゥリーは人工的に作られていたんです。そしてグリーントゥリーを培養するのに一番いい方法は人に寄生させる事です。ひとの体を触媒にして、そして育つ、人間はグリーントゥリーとなりこれから何人もの命を繋ぐことが出来る。それは素晴らしい事です」
「でも、」
「でも何です?」
「この人達の人権は?」
「ハハハハハハハハ、何を言っているんです。この人たちに、いやこいつらに人権なんてありませんよ、何もせずにただのうのうと生きて、この地球を汚すだけ汚してまだそれでも何かを得ようとする。過払いもいい所ですよ。少しは還元させるべきなんです」
そう人が変わったように佐藤は言い出すと、もうグリーントゥリーになった人のもとに歩み寄り、
「そうですね、藤田さん、お土産にこれでも持って帰りますか」
そう言ってグリーントゥリーの枝をボキっと1本折った。
「ギャァァ」
グリーントゥリーから悲鳴が上がった。
「おや、まだ自我が残っていたんですね、確かにアルツハイマーは治る。そして脳がクリアーなまま食べられることになるんです」
そう言いながら、折った枝を藤田の方に投げてきた。
「おっと」そう言って藤田はその枝をつかむと、
「噛んでみて下さい」
「えっ」という表情で藤田が佐藤の顔を見ると
「いいから」と佐藤が強く言った。
藤田は恐る恐る折られた枝を噛んでみると、
「ん、甘い」
「そう、これがグリーントゥリーの味です。ここから加工すればどんな食べ物の味も出せる。私はこの老人達をこの方法で未来に繋げていく」
「・・・」
藤田は吐き気を催した。そして枝をその場に捨てると、佐藤に尋ねた。
「オヤジは何処にいる?」
佐藤の口から洋二郎の場所が告げられた。藤田はその言葉を聞くと、佐藤が止めるのを無視して、洋二郎のもとに向かった。

ガラス張りの天井からは柔らかい光が漏れていた。息を切らしてたどり着いた先に洋二郎は既に植物となっていた。藤田は樹木のような肌となり、土に植えられた洋二郎を見ると、一瞬立ち止まり、不意に涙が出た。自分自身が招いたのか?それともこれを父親自身が望んでいたのか?藤田の中に後悔と疑問の葛藤が渦巻いてくる。だが今はそれを振り払いながら、
「オヤジ」
そう言って洋二郎のすぐ近くへと行った。植物してはいるが洋二郎の顔はまだ残っている。「アァ・・アア・ァ・」
藤田を見るなり、声にならないような声を挙げた。
「解るかオヤジ」そう言いながら藤田は洋二郎を抱え、揺すると洋二郎はそれに反応するように声を振り絞った。
「・・・・・」
「え、なんて?」
「・・・・・・・・」
藤田は洋二郎の声に耳を近づけて必死に聞こうとすると、
「・・タエサン・・ライセデアオウ・・・」
その言葉を聞いた瞬間藤田の体から力が抜け、何処か馬鹿らしく思い、思わず涙が零れた。
「オヤジ、もう俺も解らないのか・・・」
そう言葉をこぼすと、少しして、
「水をやるにはまだ早いんじゃないですか?」
横から佐藤の声がした。藤田はその言葉の方を向く、そして力なく上を見上げると、その奥に見える文字があった。
「あれは?」
藤田の言葉に佐藤が答える。
「我々の言葉で来世で会おうという意味です」
藤田はその言葉を聞くと、「フフ」と、少し笑って、
「ソフトクリームくれって言葉じゃなかったんだな」
そう言った後、涙を拭いて、洋二郎に最後の言葉をかけた。
「パスアマトピア」

 何十年かの時が経った。

 電車の中、仕事帰りの疲れた若者が座っている。その前には年老いた会社員が立っている。特になにもいう訳ではないが老人は若者に目配せをしている。
「ハ〜」
そう軽くため息のような音を出して、若者は立ち会がり席を譲る。
「すいませんねぇ」
そう言いながら老人は譲られた席に座る。疲れた若者は立ち、さほど疲れてはいない老人は座りながら列車に揺られている。そして向かいのガラスに映る自分を見て藤田は思う、
「何も悲観することはない、いずれ俺も・・いずれ俺も・・・」


END

幸福老人組合

幸福老人組合

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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