叶わない絵馬を提げて

叶わない絵馬を提げて

夜に溶けた2人

「行こう。ゆっくりね。足下気をつけて」
彼の優しい声はいつも私の耳元で囁くように聞こえた。彼を見ながら頷いたが、すでに彼は正面を向いていた。
夜の神社。真っ暗な泥濘を2人は歩いた。月の明かりだけでは前は見えず、前日降った雨でできた水たまりに何度もはまった。黒のスキニーに泥が跳ねてないか気が気ではなかった。人のいない屋台を通り過ぎて、水の出ていない手水場(ちょうずや)で、いろんな意味で汚れた手を清めた。
「あちゃー…見て。門閉まってて入れないね」
彼が数メートル先の楼門を指差して言った。まだ闇目のきかない私では、それを確認することができなかったけど「そうだね」と返事をした。
「でも隣の塀なら越えられそうだし、越えちゃおうか」
「そうしよっ」
私は彼の言葉に従うしかない。

「さて、やっと入れたね」
優しいトーンで言った彼はきっと笑っているんだろう。いまだに闇目のきかない私の目では確認できないけど、何となくわかった。
「これから何するの?」
「初詣だよ。もう2年ぐらいまともにできてなかったでしょ?」
「私その…初めてだから」
「あ、そうなんだ。じゃあ僕が教えてあげる」
ついてきてっと彼は優しく言った。
「ほら、まずはあそこ。長方形の箱が置いてあるでしょ?あれにお金入れるんだよ。今いくらある?」
ポケットから財布を取り出して中を確認したけど、私にはいくら入っているか分からなかった。
「私の投げる分とって」
彼に財布を預けて数秒後、財布は無事帰ってきた。
「はい、じゃあこれ持って」数枚の小銭を握らせて彼が言った。「今持ってる小銭をこの箱に投げ入れて。せーのでいくよ?せーのっ」
彼の声に合わせて小銭を投げた。カランカランと鉄が木を叩くいい音がした。
「で、二回深くお辞儀……適度な感覚で二回手を叩いて…………もう1回お辞儀……終わり」
これが噂の二拝二拍一拝。こういった儀式はどこからどう生まれたんだろうか。
「はい次、おみくじ引きにいくよ」
本堂を後にした私たちは、隅っこの杉の木が生い茂る場所に向かった。
「すげー…これ、いつまで結んであるんだろうね」
彼はそう言いながら、杉の木の枝に結ばれたおみくじを眺めた。
「よし、決めた」
そういって一歩木に近づいて、結んであるうちの13個を解いた。
「ほら、好きなやつ選んでいいよ」
両手に乗せたそれを私の前に突き出して彼は言った。その情景に触れることなく、真ん中にあった一個を引いた。
「それか…。じゃあ僕はこれ」
選んだもの以外のおみくじを結び直して、早速2人で開いた。
「…何だった?」
やや声のトーンが下がった彼が言った。
「凶だった」
「あらー残念。僕は吉だった」
そういう彼の声は少し嬉しそうだった。
「これどうするの?」
「また結び直そう」
「わかった」
やっと目が慣れてきたおかげで、彼の優しい顔がよく見えるようになった。
「一緒に結ぼう」
「そうだね」
そう言って私は、凶と言った大吉のクジを枝に結んだ。
「あとは…絵馬だな」
「そうだね」
「さすがに用意できねぇな」
落ち込む彼に私は笑った。
「…何で笑ってるの?」
不満そうに聞き返す彼の前に、ポケットから取り出したそれを突き出した。
「じゃーん。今日の昼間に買っておいた絵馬ー」
驚きと喜びを含んだ顔で、彼は小さくガッツポーズをした。
「そんな危険を冒して…ってあれ?初詣行ったことないんじゃないっけ?」
「ふふ。得意の嘘」
「ははっ。久しぶりに騙されたよ。全く」
そう行って2人で笑った。

彼の持ってきた油性ペンで、絵馬に文字を書いた。夜の中で書いた黒い文字は、綺麗に闇に同化して、その部分だけくり抜いて作ったように見えた。
「何て書いたの?」
「秘密。あなたは?」
「秘密」
「いいじゃん。教えて」
「そっちから教えて」
「じゃあ…帰ったら2人で教え合おう」
「そうしよっか。そろそろ時間だしね」
「そうだね」
中央に比べてスカスカになっている右隅の一番下の列の釘に絵馬を手早く提げて、私たちは走った。ただひたすらに走った。来た道ではなく、最初から決めていた一番警備の薄そうな場所へと向かって死に物狂いで。行きは気にしていた黒のスキニーへの泥跳ねを無視してひたすらに走った。

過去に手を汚した2人は23歳の頃からほとんど夜しか知らない。陽がでているうちはとてもじゃないが外を出歩けない。街の至る所に貼られた2人の写真はまだあの頃のまま。人相を随分と変えた2人だったが、いまだに人と関わろうとはしなかった。幸いにもお金はあった。彼の家が大手資産家だった影響だ。金を持つと人は狂う。いや、金という絶対主義な存在が人を狂わせるのかもしれない。

静けさの戻った神社では、冷たさで白く色づいた風が淡く流れていた。風に揺らぐ2人の提げた絵馬には、一刻も早く死ねますようにと、書かれていた。

叶わない絵馬を提げて

叶わない絵馬を提げて

今年こそ、早く死ねますようにと。

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-01-07

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