珈琲
「砂糖は何杯?ミルクは?」
「私、ブラックでいいわ。」
百合江さんは今日もブラックコーヒーを嗜む。金縁の白いティーカップにインスタントコーヒーを二匙。コポコポとドリップポットでお湯を注ぐ。高円寺の骨董品屋で前の彼女と買ったものだ。
インスタントコーヒーと言えど、湯気と共にふわりと沸き立つコーヒーの香りに、安堵のようなときめきを感じる。
時間に余裕があるときは、ミルでブラジル産のコーヒー豆を挽く。微睡みの時に、無心でゴリゴリとミルを回すのは案外至福の時だったりしている。
朝のコーヒーを淹れるのが、僕の仕事だ。
隣で百合江さんがトーストを焼く。機嫌が良い時は、スクランブルエッグを作ったりしてくれる。でも、ほんと、たまに。
仕事の日は、トーストを囓りながら支度をする。休みの日は、ソファでダラダラとテレビを見るか、ベッドに再び吸い込まれる。
僕の分のコーヒーは、一杯のミルクと二匙の砂糖を加える。
百合江さんは、初めはウゲッて顔をしていたけれど、最近は「流石、甘党」と笑ってくれるようになった。
舌を、甘い液体が滑る。やっぱり、インスタントだな、って感じの安い味がする。奮発してスペシャルティコーヒーの時は、香りも風味も格別だ。
でも、お正月の番組みたいに名前を伏せられた状態で、インスタントかスペシャルティかを当てなければならないとなった時、当てられる自信はない。結局のところ、先入観なのかも。(あの番組、セレブ気取りの女優が一発噛ませられた時の顔、傑作だよなって思ったりする、せせこましい僕なのです。)
百合江さんのキスはいつも苦かった。
ブラックが好きな百合江さんは、キスをした後、真っ直ぐに僕を見つめる。「あなたのこと全部お見通しなのよ」と言わんばかりに。
その上、いつだって言葉がストレートだ。好き嫌いもはっきりしている。
「佐伯くんとのキス、いつも、甘いの」
って、恥ずかし気も無く言ったりしてくる。
ボヤけた僕は、なんだかむず痒くなって、穴があったら入りたい!みたいな気持ちになる。たぶん、穴に入っても、むず痒さは無くならないんだけど。
─────僕が生きていくには、現実はあまりに苦すぎた。
ブラックコーヒーが飲めないわけではない。珈琲くらいは、甘くしたかった。
百合江さんは、たまに朝に帰ってくる。いつもの決まり文句を尋ねる。
「砂糖は何杯?ミルクは?」
「私、ブラックがいいわ。」
そんな時、百合江さんには秘密でブラックコーヒーに二匙の砂糖を加える。
彼女が飲んだ白いティーカップには、赤い口紅がつく。雪の上に散った、赤い椿の花弁みたいだった。
決まって百合江さんは、僕の鎖骨のあたりに顔を埋める。彼女がどんな顔をしているのか、なんとなく、分かる。
僕は、百合江さんの髪を撫でながら、ボーッと天井に昇る湯気を見つめる。天井に近くなるにつれて、湯気は消えていく。正確には、消えていない。目に見えなくなっただけだ。
僕も湯気になりたいと思ったりする朝がある。
珈琲
冬はブラックコーヒーですね。