太平洋、血に染めて 【最終回スペシャル】
最終回 前編「蒼い砂漠」
後編「さらばヨシオ!」
*オープニング
・前編
https://www.youtube.com/watch?v=ma_PHuPii3s
https://www.youtube.com/watch?v=gQ76IGR2QnY(予備)
・後編
https://www.youtube.com/watch?v=kVAr1XltB0k
https://www.youtube.com/watch?v=qKUnIgO1d2k(予備)
*提供クレジット(BGM)
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https://www.youtube.com/watch?v=uQPP8yKKZ-Y
前編「蒼い砂漠」
水平線が明るくなってきた。また、新しい朝がやって来る。大五郎は空母の舳先でヒザをかかえながら、朝陽が顔を出すのをまっていた。ヨシオも一緒である。彼は、相変わらずカタパルトオフィサーのヘルメットを被り、おなじくカタパルトオフィサーのイエロージャケットを羽織っていた。そして、いつものように腕組みをして仁王立ちになり、じっと水平線の向こうを見つめているのであった。
「でてきた!!」
大五郎は立ち上がって水平線を指差した。
夜が地球の裏側へ帰ると、海はキラキラと輝きながら目を覚ました。そして、空も明るく太陽にあいさつをするのであった。
「おはようございます!!」
大五郎も元気よく大声で太陽にあいさつをした。
「――ああ、おはよう」
「え!?」
大五郎は、おどろいて顔を上げた。いまのはヨシオの声ではない。まさか、本当に太陽が返事をしたのだろうか。それとも、ただの幻聴だったのか。大五郎が不思議そうに太陽を見ていると、背中のほうから足音がちかづいてきた。
「あっ」
ふり向くと、黒いマントの男が立っていた。右のマユから左の頬にかけて流れる三日月形の大きな傷跡。羽佐間九郎である。
「ブラックジョークせんせー!」
「おいおい、その呼び方はかんべんしてくれ」
九郎が居心地わるそうに笑った。九郎はブラックジョークと呼ばれる世界的に有名なヤブ医者なのだ。しかも、九郎は医師免許を持っていないという。挙句の果てに、目玉が飛び出るほど高額な治療費を請求するのである。しかし、無免許の医者に高額な治療費を払う患者などいるはずもなく、彼の収入は正規の医師よりも少なかったという。
九郎がヨシオのとなりに立った。
「今日も、いい天気になりそうだな」
そう言ってヨシオをジロリとにらんだ。しかし、ヨシオは答えない。だまって腕組みをしながら、朝陽でメガネを輝かせていた。
朝陽に目を向けながら九郎がつづける。
「いま我々が洋上で見ているこの朝陽を、この蒼い砂漠の向こうで見ている人間がいるかもしれない。だが、はたしてどれだけの人間が生き残っているのか。おまえさんが見ている水平線の向こうにあるのは、楽園ではなく地獄かもしれないな」
皮肉を言って苦笑すると、九郎はマントをなびかせながヨシオの傍らをはなれていった。
結局、ヨシオはひと言もしゃべらなかった。
九郎の背中を見送ると、大五郎は舳先の示す水平線に向きなおった。はたして、あの水平線の向こう側はどうなっているのか。九郎の言うように、核の炎で焼き尽くされ、なにも残っていないのだろうか。この地球上で生き残っているのは、自分たちだけなのだろうか。母さんや父さんは、もう……。
朝陽に目を細めながら、大五郎は歯を食いしばった。そんなはずはない。母さんや父さんは、きっとどこかで生きているにちがいない。いまこの瞬間、あの水平線の向こう側で、この朝陽を見ているにちがいない。大五郎は、白ばみはじめた空に父と母の面影を浮かべた。まだ、世界は終わっていないんだ。かならず、あの水平線の向こう側にたどり着いてみせる。生き残って、おまえよりも輝いてみせる。大五郎は、心の中で太陽に誓った。
「おじさん、あさごはん!!」
大五郎は気を取りなおしてヨシオに笑顔を向けた。ヨシオは返事をしない。ヨシオは太陽に背を向けると、無言のまま左舷のタラップへ足を進めた。大五郎も、だまってヨシオのうしろをついていった。
「あっ」
大五郎は慌てて足を止めた。ヨシオが急に立ち止まったからだ。
「楽園など、この世には存在しない」
太陽をふり返り、ヨシオがつぶやいた。
「たとえあったとしても、人が住めば、たちまち地獄に変わるだろう」
ヨシオがなにを言っているのか、大五郎にはわからなかった。だが、めずらしくまともなことを言っているのかもしれない。大五郎は、なんとなくそう思うのであった。
朝食を済ませると、大五郎はヨシオとふたりで甲板へ上がった。舳先の示す水平線の上で、太陽が白く輝いている。ヨシオはだまったまま、舳先のほうへ向かって歩きはじめた。日差しがあったかいね、と言おうとしたが、大五郎は言葉をのんだ。彼はきっと返事をしないだろう。大五郎は、ヨシオの背中を見ながらこっそりとため息をついた。
舳先に立つと、ヨシオは腕組みをして仁王立ちになった。いつものポーズである。大五郎も、ヨシオのよこでおなじ格好をした。
「まぶしい!」
太陽がまぶしい。あたりまえである。生まれたときから、ずっと変わらず輝きつづけているのだ。月だって、生まれたときからずっと夜空を照らしつづけている。地球も、生まれたときからずっとまわりつづけている。それがあたりまえのように。
大五郎は、ふと思った。人間にとってのあたりまえとは、いったいなんなのだろうか。朝起きて、朝食を摂って、仕事に行って、昼食を摂って、仕事から戻って、夕食を済ませて、それから風呂に入って寝る……。でも、これではあまりにもつまらない人生である。夢のかけらもありはしない。しかし、それがあたりまえなのかもしれない。
大五郎は、ちらりとヨシオの顔を見上げた。この男は、いったいどんな人生を歩んできたのだろうか。ヨシオが自分の過去を語ったことはいちどもない。彼の過去を知るものは、だれもいないのだ。しかし、大五郎は思うのである。彼にとってのあたりまえは、きっと普通の人のあたりまえとはちがうのだろう、と。
「あと三日」
黒いマントをなびかせながら九郎がやってきた。
「あと三日で食糧が底をつくらしい」
ヨシオのとなりに九郎が立った。ヨシオは水平線に目を向けたまま、だまっている。
九郎が朝陽に目を細めながらつづける。
「水も……飲料水も、不足している。せめて雨でも降ってくれればいいんだが……」
白いシャツに黒いベスト。スラックスも黒い。そして、九郎はいつも黒いマントを羽織っていた。
「人は、いつかは死ぬものだ」
ふいにヨシオが語りはじめた。九郎は目を伏せている。ヨシオの話を最後まで聞こうとしているのだろうか。水平線に目を向けたまま、ヨシオがつづける。
「むかし、ある友人が重い病気で入院してな。オペは成功したが、予後不良で根治が見込めない、と言われた。だが、そんな友人に対し、医者は延命治療を施すことを決定した」
腕を組んだまま、ヨシオが天を仰いだ。
九郎はだまって目を伏せている。黒いマントが、潮風でバサバサとなびいていた。
「死ぬとわかっている人間を、なぜ生かそうとする?」
ヨシオが九郎のよこ顔に問いかける。
「無駄だとわかっているのに、なぜ助けようとする? 医者とは、いったいなんなのだ?」
ヨシオは九郎のよこ顔をじっとにらんだまま、彼が答えるのをまっていた。
「五体満足で健康なのに、つまらないことで自ら命を絶つやつもいる」
水平線に浮かぶ太陽に目を向けながら、九郎が静かに語りはじめた。
「だがな。病気になって、しかも余命いくばくもないとわかると、大抵の人間は必死に生きようとするもんだぜ? 自分には、まだやり残したことがある。恋人、そして家族と、もう少し一緒に過ごしていたい、ってな」
ヨシオも太陽をにらみながら、じっと九郎の話を聞いている。
「生きる理由は、それだけでいい。むずかしく考える必要はないのさ」
九郎も氷のような冷たい瞳で太陽を見つめていた。感情が凪いだような、しかし、どこか寂しそうな冷たい瞳。そういえば、ヨシオもおなじような瞳だった。このふたりは似た者同士なのかもしれない。大五郎は、なんとなくそう思った。
「あんたも、むかし死にかけたんだってな」
朝陽でメガネを白く輝かせながらヨシオが言う。
「いっそのこと、死んで楽になりたいとは思わなかったのか?」
「死んだほうがマシだ。たしかにそう思ったこともある。じつは、いまでもときどき死にたくなることがある。急患の依頼で休暇が中断されたり、手術料を踏み倒されたときとかにね」
冗談めかして笑う九郎のよこ顔を、ヨシオは腕組みをしたままジロリとにらんだ。
ヨシオによこ顔を見せながら九郎がつづける。
「だれだって一度や二度ぐらい、死にたいと思うときはあるものさ」
九郎は目を伏せたまま静かに口もとでほほ笑んでいた。そのよこで、ヨシオは腕組みをしながら太陽をじっとにらみつけていた。
大五郎は甲板の上にひざを抱えて座りながらふたりの話を聞いていた。もっとも、むずかしい話なので大五郎にはよくわからなかった。
カラン……
ブリッジのほうで人の気配がした。ふり向くと、三人の若者がブリッジの近くにある大型のヘリコプターの中へ入っていくのが見えた。三人とも若い男である。ヘリコプターは風防が割れている程度で、ほかに目立つ破損個所は無いように見えた。しかし、エンジンや電気系統が故障しているので動かなかった。
ミサイルの直撃を受けて上半分が吹き飛んだブリッジの側面には、艦番が白くペイントされている。ほとんど消えかかっているが、数字で「88」と大きく記されてあった。そして、ブリッジのちかくにある一機の戦闘機に、大五郎は以前から興味をひかれていた。この戦闘機の尾翼には、まるで燃え上がる炎のようにまっ赤な鬣をもった白い一角獣がマーキングされているのだ。とてもきれいな絵である。しかし、なぜか人を寄せつけないオーラのようなものを感じる不思議な絵なのだ。でも、いちどでいいからこの一角獣が自由に大空を飛んでいる姿を見てみたかった、と大五郎は思った。
ふたりの話は、まだつづいている。内容はむずかしくてよくわからないが、大五郎はとりあえず最後まで聞くことにした。
「ところで、おまえさんの友人とやらは、その後どうなったのかね?」
朝陽に目を細めながら九郎が訊ねる。
「死んだよ。オレが……殺したんだ」
「殺した?」
九郎が冷たい瞳でヨシオをふり向く。ヨシオは水平線を見つめたまま、腕組みをしながらつづける。
「あいつの主治医は、最後まで安楽死に反対していた。だから、オレが殺したんだ。その道のプロを雇って」
「その道のプロ?」
「ドクター・キコリの名は、あんたも知っているだろう?」
「ドクター・キコリだと!?」
その名を聞いた途端、九郎の顔色がにわかに変わった。
ドクター・キコリのうわさは大五郎も聞いたことがある。枯れてもいない丈夫な木を切る樵の如く、助かる見込みのある患者を平気で安楽死させてしまう、死神のような医者なのだ。
「やつに頼んだのさ。あいつを楽にしてやってくれ、と」
「ばかなことを。私なら救えたかもしれないというのに……」
ため息混じりに九郎があたまをふった。
「べつにあんたが気にすることはないさ」
静かな口調でヨシオがつづける。
「オレは、あいつを苦痛から解放してやったんだ。あいつも、きっとあの世で感謝してるにちがいないさ」
「――きさま!」
いきなり九郎がヨシオの胸ぐらにつかみかかった。
「いったい、なに様のつもりだ。思い上がるんじゃない!」
九郎は陽の光をよこ顔に受けながら、殺気の宿った冷たい瞳でヨシオをにらみつけた。
しかし、ヨシオの表情は変わらない。相手の眼を、ただじっと見ているだけだった。
「せんせー、おちつけ!」
大五郎は九郎のマントを掴んで引っ張った。
九郎がヨシオをにらんだまま手をはなす。
「医者は神ではない。私にも治せない病気はある。救えなかった命もある。だが、私はつねに全力を尽くしてきた。おまえさんのように、簡単にあきらめたりはしなかった」
ふたりの真剣な眼がにらみ合っている。だが、あいかわらずヨシオは冷めた表情のままだった。
しばし無言でにらみ合うと、ヨシオはメガネを押し上げて太陽に向きなおった。
「……生と死は表裏一体。この世に生を受けた瞬間から、すでに死は約束されている。だれも……死神からは逃げられないのさ」
死神なら、もうここに来ているだろう。そう思いながら、大五郎は九郎の顔を見上げていた。
「まだ三日ある。私はあきらめない」
さわさわと潮風が吹きぬけ、九郎のマントがふわりとなびく。
「かならず逃げきってみせる。かならず」
しばし太陽をにらみつけると、九郎はマントを翻して左舷のタラップのほうへ歩きはじめた。そのとき、ヘリコプターがとつぜん爆発し、まっ赤な炎に包まれた。
ヘリコプターから立ち上る黒煙が、大きなドクロのかたちになっている。
「おしおきだべー!!」
大五郎は、あの三人がヘリコプターの中にいることを九郎におしえてやった。
「なんてこった」
九郎は黒いマントをなびかせながら、まっすぐに黒煙が立ちのぼるヘリコプターのほうへ駆けだした。ヨシオはヘリコプターに背を向ける格好で、肩越しに立ちのぼる黒煙を見上げている。関心がないのか肝が据わっているのか、相変わらず無表情である。大五郎は、とりあえず九郎のあとを追い駆けだした。
はたして、三人の若者たちは無事なのであろうか。
黒煙を上げて燃え上がるヘリコプターのそばで九郎が片ひざをついた。大五郎は、そっと九郎の背中越しにのぞき込んでみた。男がひとり、うつぶせに倒れている。そのすぐちかくには、もうひとり仰向けに倒れていた。
「こいつはひどい」
ひとりは虫の息、もうひとりは左足に火傷を伴う複雑骨折。重傷だが、まだ間に合う。九郎はそう言った。それからヘリコプターの中をチラリとて「あの男は手遅れだ」と、ため息混じりに首をふった。大五郎もヘリコプターの中をのぞこうとしたが「おまえさんは見ないほうがいい」と、漆黒のマントで視界を遮られた。
まわりが徐々に騒がしくなってきた。ふと大五郎が顔を上げると、いつの間にか大勢の野次馬たちがまわりを囲んでいた。
「重症のふたりだけオペ室へ運ぶんだ。急げ!」
九郎が野次馬たちに指示を出した。
「助かるのか?」
いつの間にか大五郎の傍らにヨシオが立っていた。
九郎がゆっくりと立ち上がる。
「ひとりは虫の息、むずかしいだろう」
燃え上がるヘリコプターの炎に目を細めながら九郎がつづける。
「だが、もうひとりのほうは助かる。かならず助けてみせる」
そう言うと、九郎は迷いのないまっすぐな眼をヨシオに向けた。
ヨシオは九郎の視線を避けるように顔を背ける。
「あんたは……まだ、商売をつづけるつもりなのか?」
「私は医者だ。たとえ世界がどう変わろうとも、私は変わらない」
九郎は目を逸らさない。ヨシオは腕組みをしながら立ちのぼる炎をじっと見つめている。
「……もし、助けられなかったら?」
試すようにヨシオが訊くと、九郎も炎に向きなおった。
「そのときは医者をやめるさ。二度とメスは握らん」
「たいした自信だな」
「賭けるか? もし助かった場合は、おまえさんが手術料を払うんだ」
「たとえ手術が成功したとしても、おなじことだ。三日以内に救助が来なければ、オレたちは死神に追いつかれるんだからな」
ヨシオが言うと、九郎は顔を伏せて肩をゆらした。
「なにがおかしい?」
口もとに嘲笑を浮かべる九郎のよこ顔を、ヨシオがジロリとにらみつけた。
「死神が怖いか?」
顔を伏せたまま九郎が言う。ヨシオはなにも答えず炎に視線を戻した。
「まだ生きている。まだ、希望はある。私も、おまえさんも、まだ死んじゃいない」
九郎はマントを翻しながらヨシオに背を向けると、左舷のタラップのほうへ二、三歩進んで立ち止まった。そして肩越しにヨシオをふり向く。
「それとも、こんどは自分で安楽死を試してみるかね?」
ヨシオのマユがピクリと動いた。そしてみじかい沈黙のあと、ヨシオは静かに口を開いた。
「手術料は……いくらだ?」
「七千万だ。命の値段にしちゃあ、安いもんだろう?」
そう言って静かに笑うと、九郎はマントをなびかせながら左舷のタラップを降りていった。
ヨシオは腕組みをしたまま、ジッと炎に視線を注いでいた。
後編「さらばヨシオ!」
いよいよオペがはじまった。患者はひとりである。虫の息だった若者は、やはり手遅れだったのだ。
空母の乗組員や難民たちは、ほぼ全員が食堂に集まっていた。ヨシオは入り口のよこで腕組みをしながらカベに寄りかかっている。なにか思いつめた表情で、じっと足元を見つめていた。
ハリーたちは、入り口のちかくにある丸いテーブルでポーカーをしている。大五郎は、ヨシオの傍らでヒザをかかえながらハリーたちのポーカーを見学していた。
「アニキは、まざらねぇんですかい?」
テーブルのほうからコバヤシが声をかけてきた。
「どうした、ヨッシー。そんなシケたツラしてねえで、一緒にやろうぜ」
カードをいじりながらマルコも誘う。しかし、ヨシオは返事をするどころか、ふり向こうともしない。さっき九郎とケンカをしたから元気がないのだろうか。ヨシオの顔を見上げながら大五郎が心配していると、ふいにだれかがテーブルを強く叩き、イスを蹴って立ち上がった。
「イカサマじゃ!」
吠えたのは長老だ。ひどく興奮した様子でコバヤシを指差しながら何事かわめいている。
「これで三連敗だな」
鼻先で笑い飛ばしたのは赤いモヒカンあたまの男、コバヤシである。
「このイカサマ野郎めが。もうだまされんぞ!」
長老の怒りはおさまらない。
「おちつけよ、じいさん」
ハリーが迷惑そうな顔でなだめながら長老を座らせた。コバヤシもやれやれ、というような表情でマルコと目を合わせてから首をふった。マルコは先端がカールした〝ハの字〟の口ひげをたくわえている。そして正面にMのマークが入った赤い作業帽をかぶり、赤い作業服という出で立ちだ。となりには弟のルチオの姿もあった。ルチオもおなじような口ひげをたくわえ、正面にLの字の入った緑色の作業帽をかぶり、そして作業服もやはり緑色である。このふたりが着ているのはデッキクルーの作業服で、ヨシオの黄色い作業服とおなじデザインのものだった。
ルチオのとなりにオリーブドラブの耐Gスーツ姿の若い女性が座っている。金髪のロングヘアに青い瞳。マルコとルチオの妹で戦闘機パイロットのローザである。ローザはもともとべつの空母に所属していたのだが、味方の位置を見失ってしまい、この空母に緊急着艦したらしい。そして、自分の所属する空母が撃沈されたことを艦長から聞かされたのだ。大五郎たちの病院船が潜水艦に撃沈され、ちかくを航行していたこの空母に救助されたのは、それから三日後のことだった。
「あら、ダーリン。ここにいらしたの」
「ぇ?」
ハリーがびっくりした顔でカウボーイハットの鍔をもち上げた。コバヤシも丸い黒縁メガネの奥で目を丸くしながらハリーの傍らに立った〝大男〟を見上げている。まるで野生のゴリラのようなたくましい筋肉をまとった大男。しかも、身につけているのは一枚のポージングトランクスのみ。ハリーに声をかけたのはジュリアスである。彼女……いや、彼はカタパルトのシャトルに股間を噛みつかれて性別が変わってしまったのだ。
「わたしもカード好きなの。まざってもいいかしら?」
「あ、ああ。べつにかまわないさ」
ハリーは引きつった笑みでとなりに座るよう促すと、小刻みに手をふるわせながら葉巻に火を点けた。
「ありがと」
ジュリアスは気色悪い笑みをハリーに向けながら腰をおろした。それから反対側をふり向いてコバヤシにも笑顔であいさつをした。コバヤシは戸惑った表情で笑いながらあいさつを返すと、やはり反対側をふり向き、となりの長老となにやらひそひそと話しはじめた。なんだかみんなギクシャクしているようだ。
「よ、よう、ジュリアス。調子はどうだい?」
和やかな雰囲気を壊さないよう気をつかったのだろう。ハリーの向かい側の席で、マルコは精一杯のつくり笑いを浮かべながらジュリアスにあいさつをした。すると、ジュリアスは親指を立てて「もちろん、絶好調よ」と、とびきりの笑顔でウインクをした。
「あなたは、どう?」
目をしばたかせながらジュリアスがマルコを見つめる。
「まっ、まあまあかな」
ぎこちない笑顔でそう答えると、マルコは顔をよこに向けた。それから手の中で広げたカードで顔を隠し、さりげなく存在感を消していたルチオに「なあ?」と、同意を求めた。
「え?」
ルチオの大きな眼玉がカードの陰から現れた。なぜオレに振る?――恐怖と怒りで血走ったルチオの目は、そう語っていた。一瞬マルコをにらみつけると、ルチオはジュリアスにつくり笑いを見せながら「え? あ ああ。まアまアだ。オレも、すこぶる絶好調さ」と、なんとかとりつくろった。
ローザもルチオのとなりで迷惑そうな顔をしながらスコッチのグラスを傾けている。あまり関わりたくないのだろうか。ローザはジュリアスと目を合わせようともしない。しかし、ジュリアスは空気が読めないらしい。
「いい香りね、お嬢さん。イヴリンローズかしら?」
ちょうどグラスに口をつけたタイミングである。ローザはスコッチをふきだしてむせ返った。
「あら、大丈夫? だれか、ハンカチもってない?」
ジュリアスがあわてて立ち上がると、ローザはせき込みながら「大丈夫。大丈夫だから」と掌を見せてむりやり笑顔をつくった。
「ほら、拭けよ」
マルコから借りたハンカチを口もとに当てると、ローザは大丈夫だ、というように笑顔でみんなにうなずいた。だが、ローザの正面の席で長老の顔も濡れていた。ローザがふきだしたスコッチをまともにかぶってしまったからだ。長老は掌の中でカードを広げたまま怒りをこらえた表情で目を伏せていた。
ハリーが「じいさんを拭いてやれ」とコバヤシにハンカチを渡しながら「そうなのか?」とローザに訪ねた。
「え?」
ローザは要領を得ないといった表情だ。
「香水の話さ。イヴリンローズなのか?」
「ああ、そうね。そうだった」
ローザはそう言って笑うと、落ち着きをとりもどすようにいちど軽く深呼吸をした。
「そう。イヴリンローズよ。クラブツリー&イヴリン」
そう答えてハリーに笑顔を向けると、ジュリアスが身を乗りだして「ほんとにいい香りだわ。ねえ、よかったら、こんどわたしにも貸してくれなぁい?」と、おぞましい笑顔でローザにせまった。
「え、ええ。いいわよ」
ローザは笑おうとしていたが、顔は引きつっていた。
そのとき、ふいに廊下のほうから慌ただしい足音が聞こえてきた。
「輸血用の血が足りない!」
血相を変えながらドアを入ってきたのは九郎である。
「だれか、ОのRHマイナスの者はいないか!」
食堂の中を見まわしながら九郎が叫んだ。
O型のRHマイナス。その血液型をもっているのは、およそ七百人にひとり。以前、九郎がそう言っていたのを大五郎は思い出した。
「先生。おれ、OのRHマイナスだ」
食堂の奥で難民の男が手をあげた。
「輸血に協力してくれるんだな?」
「ああ、いいとも」
「助かった。感謝する」
難民の男が先に食堂を出ていった。
九郎は踵を返すと、ヨシオのよこで立ち止まった。ヨシオは腕組みをしたまま、だまって顔を伏せている。九郎もだまってヨシオに横目を向けていたが、やがて静かにドアを出ていった。
三時間ほどが経った。
大五郎は、ヨシオと一緒に手術室の外でまっていた。ヨシオは手術室の入り口のよこで腕組みをしながらカベに寄りかかっている。大五郎も、ヨシオのとなりでひざをかかえていた。
はたして、若者のオペは無事に成功するのだろうか。
「終わった」
九郎が手術室のドアから出てきた。
「助かったのか?」
足もとに目を落としたままヨシオが訊いた。
「もちろんだ。私が失敗するはずないだろう」
九郎は血で汚れた青いサージカルガウンを脱いで丸めると、通路のカベ際にあるベンチの上に放り投げた。
若者は助かった。左足は修復不可能なので切断し、手遅れになったもうひとりの足をもらい、つなげたようだ。爆発の原因もわかった。どうやら手榴弾の安全ピンを、うっかり抜てしまったらしい。
大五郎は、ヨシオと一緒に手術室のドアを入った。部屋の奥にあるベッドの上に、まるでミイラ男のような姿の若者がよこになっていた。
「せ……先生」
若者が苦しそうにかすれた声をしぼり出した。手術は終わったばかりである。まだしゃべるのもつらそうだ。
「どうした」
ベッドのほうに向かいながら九郎が返事をした。
「先、生……た、助けてくれたのは、あ、ありがたいんですが……そのう……」
あたまだけ起こすと、若者は足のほうに目を向けた。
「あっ!」
大五郎は思わず声を上げた。
「ちっちゃいあしと、おっきいあし!」
つないだ左足が右足よりも長く、そして大きかった。
「こ、これじゃあ、み、右と左で……く、靴のサイズが、合いません」
若者は、いまにも泣き出しそうな声で九郎に訴えた。
九郎はそんな若者を無視するように背を向けると、淡々とした足取りでデスクに向かった。
「なるほど。それでブラックジョークと呼ばれているのか」
皮肉を言ってヨシオが笑った。九郎は、こちらに背を向ける格好でデスクの上のカルテにペンを走らせている。さっきとは、まるでちがう反応だ。他人の命に対しては、怒ったり、悲しんだり、喜んだりもできる。だが、自分のことになると、たとえ口汚く罵られてもまったく気にしたりはしないのだ。ヨシオといい、九郎といい、このふたりがなにを考えているのか。大五郎にはさっぱりわからなかった。
「オペは失敗、だな」
ドアに向かいながらヨシオがつぶやいた。
「――だが、命は助った」
九郎の言葉にヨシオが足を止めた。約束は足を治すことではない。若者の命を助けることだ。賭けは、九郎の勝ちである。
「たしか、七千万だったな」
九郎に背を向けたままヨシオが訊いた。
「そうだ」
キャスター付きのオフィスチェアから立ち上がると、九郎はヨシオに向きなおってこうつづけた。
「ただし、円ではなくドルで、だ」
冷たい瞳で九郎が薄く笑う。ヨシオは肩越しにふり向き、相手の顔をジロリとにらみつけた。
七千万ドル。日本円に換算すると、いったいどれぐらいの金額になるのか。大五郎には想像もつかなかった。
しばし九郎をにらみつけると、ヨシオはドアに向かって歩きはじめた。九郎は呼び止めようとしない。ただじっとヨシオの背中を見つめているだけだ。ヨシオが部屋を一歩出る。そして廊下でふと立ち止まった。
「命の値段、か」
背中を見せたままヨシオがつぶやく。
「まあ、いいだろう。陸に上がったら、請求書を送ってくれ」
そしてヨシオはふり向くことなく、静かに去ってゆくのであった。
ヨシオの背中を見送ると、九郎はオフィスチェアに腰をおろしてデスクに向かった。
「それを聞きたかった」
やわらかい声で九郎がつぶやく。カルテにペンを走らせながら、九郎は穏やかな顔でほほ笑んでいた。大五郎も、廊下を遠ざかってゆくヨシオの足音を聞きながら、嬉しそうにほほ笑むのであった。
ちかくを通りかかった軍の輸送船に大五郎たちが救助されたのは、その翌日のことだった。だが、輸送船が空母を発見したのは、たんなる偶然ではないのだという。
輸送船の艦長はこう語った。
ちょうど任務を終えて帰還する途中のことだった。われわれのまえに、とつぜん大きなクジラが一頭現れて、潮を噴きながら海面をぐるぐると泳ぎはじめたのだ。最初はただ遊んでいるだけだと思っていたのだが、どうもちがうらしい。われわれがクジラをよけて目的地へ向かおうとすると、船の進路を塞ぐように立ちはだかって、動こうとしないのだ。いったい、このクジラはなにをしようとしているのか。不思議に思いながらもしばらく観察していると、私はあることに気がついた。このクジラは、ひょっとしてわれわれをどこかへ案内しようとしているのではないか、と。私は自分の勘を信じ、そのクジラのあとについていくことにした。
クジラは背中を海面に出しながら、われわれを先導するように泳ぎつづけた。夜になっても、休むことなく泳ぎつづけた。そしてわれわれも、夜通し船を走らせた。星空に輝く満月が夜の闇を照らし、キラキラと光る静かな海を、一頭の大きなクジラが泳いでいる。船乗りになって三十余年。夜の海は見慣れているが、こんな幻想的で神秘的な光景は見たことがない。まるでおとぎ話の世界を旅しているようだ、と私は思った。
やがて夜が明け、水平線が白みはじめたときだった。さっきまで目のまえを泳いでいたクジラの姿が、いつのまにか消えていた。はたして、あのクジラは幻だったのだろうか。私は、なんだかキツネにでもつままれたような気分になった。そして、そんなふうに考える自分に、思わず笑ってしまった。陸の上ならともかく、ここは太平洋のド真ん中だ。いくらキツネやタヌキでも、クジラにまでは化けられないだろう。しかし、仮に化かされたのだとしても、あまり悪い気分はしなかった。むしろ感謝したいぐらいだった。あの不思議な夜の出来事は、おそらく一生忘れることはないだろう。私はクジラの消えた海を、しばしジッと見つめていた。
空はすっかり明るくなり、水平線の上には太陽が顔を出していた。いつまでもぼんやりしているわけにもいかないので、気を取りなおして引き返そうと思ったそのとき、私は太陽の中に小さな黒い影がひとつ浮かんでいるのに気がついた。もしや、あのクジラだろうか。私は掌で陽の光をさえぎり、黒い影に目を凝らした。そして、その影がクジラではないことは、すぐにわかった。あれは船だ。それも、かなり大きな船のようだ。そのとき、伝令の声が私の耳に入ってきた。その船は、どうやらわが軍の空母らしいという監視員からの報告だった。それを聞いた瞬間、私は確信した。あの空母だ。数週間まえに横須賀港を出たまま行方不明になっていた、あの空母にちがいない。きっと、あのクジラは空母を助けるために、われわれをこの海域まで導いてきたのだろう、と。
そして艦長は、最後にこうつけ加えた。
――ひょっとしたら、あのクジラは海神の化身……トリトンだったのかもしれない――
そして大五郎も思った。そのクジラは、きっと〝あのトリトン〟にちがいない、と。
(ありがとう、トリトン!!)
大五郎は胸の中で叫んだ。さよなら、トリトン。またどこかで会おう。この広い太平洋のどこかで、いつかまた……。
救助作業は順調に進められ、昼過ぎには全員の移乗が完了した。最後に空母をはなれたのは羽佐間九郎だった。彼は全員が救助された後も空母に残り、しばしヨシオとふたりきりで話し込んでいた。そして、輸送船に乗り込んだのは、九郎だけだった。
――オレは〝こいつ〟と旅をつづける。自分の運命を見極めるために――
そう言ってヨシオは独り、空母に残ったのだった。
空母が夕陽の中へと消えてゆく。小さな黒い影となって、まっ赤な夕陽の中へと消えてゆく。
「おじさん、さようならーっ!!」
大五郎は叫んだ。輸送船の甲板から、ちからいっぱい叫んだ。
三週間、あの空母で海の上を彷徨った。一日一日が、とても長かった。とても不安だった。この空母から早く逃げ出したいと思っていた。そして、ようやくあの空母から脱出できた。なのに、あの空母が慕わしくてたまらないのだ。あの空母に帰りたくてたまらないのだ。もういちど、ヨシオと一緒に夕陽を見たい。あの空母の舳先に立って、夕陽に叫びたい。なぜそんなふうに思うのか。どうして涙が止まらないのか。大五郎には、自分の気持ちが理解できなかった。
「おじさん、さようならーっ!!」
空母が見えなくなっても、大五郎は叫びつづけた。水平線の向こうに向かって、ちからいっぱい叫びつづけた。
夕陽が紅く燃えている。まっ赤な血のように。空と海を朱に染めて……。
「太平洋、血に染めて」
完
太平洋、血に染めて 【最終回スペシャル】
*エンディング
「夕陽のララバイ(ヨシオのキャラクターソング2)」※
https://www.youtube.com/watch?v=eyI635o2pmk
https://www.youtube.com/watch?v=Q7-va0hr3aY(予備)
・エンドロール
https://www.youtube.com/watch?v=cO0Ke3rGpwo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm12553659
※・・・ヨシオの「キャラクターソング1」は公式ファン
ブック「太平洋、血に染めて 番外編!」にて
使用。
*提供クレジット(BGM)
この番組は、ご覧のスポンサーの提供でお送りしました!
https://www.youtube.com/watch?v=t09iYefVFmg
https://www.nicovideo.jp/watch/sm934638
*本編終了後のCM
https://www.youtube.com/watch?v=9rrXTCc3HQY
・新番組「ZOIDS」
このあとすぐ!!
https://www.youtube.com/watch?v=uTPrCukChQw
【映像特典】
https://www.youtube.com/watch?v=RcPjWDzBU0s
https://www.youtube.com/watch?v=8j0n80QD-ms
https://www.youtube.com/watch?v=akagcuyGU3I
https://www.youtube.com/watch?v=FCvMCQ3O65s
https://www.youtube.com/watch?v=AvUUYASaPUk
・黒い天使(ブラックジョークのテーマ)
作中では描写していませんが、チャプター3のオペのシーンを
イメージしながら聴いてみてください(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=jx7gVCvxYTg
https://www.nicovideo.jp/watch/nm13175386