草食女子
「ねぇ先輩、この草、食べられますよ。」
そう言って、自分の口に草を運び、むしゃむしゃと食べる少女がいた。
彼女こそ、「草食女子」。
そんな彼女が、ある時先輩に恋をした。
これは、小さな小さな恋の話である。
梅雨
「今回は体育大会の役割について話し合いたいと思います。」
梅雨は過ぎ去り、セミが中学校の校庭でも鳴き出した。
学校では水泳の授業も始まり、いよいよ夏本番となる中、私の所属する図書委員会では、体育大会への準備に取り掛かりだした。
私たちの委員会は、得点表示の係りだった。
各種目の結果を集計し、種目の経過とともに得点の数を変えていく。
誰もが、暇さえあれば目を向けて、「次の種目では、絶対に勝とうね!」なんて話をするものだ。
計算を決して間違えてはいけない重要な職務だ。
誰もが目にするものだから、間違いは許されない。
「僕は自分の出る種目以外はずっとその場所にいるから、他の委員の役割を決めます。」
私の前では、この委員会の委員長である、三年生の石田先輩が説明をしていた。
この先輩は、私が一番憧れている人だった。
なにをするにも計画的で、やることがひときわ早かった。
私たち一年生にも優しく、気さくに話しかけてくれた。
そんな先輩が、私の前にいるのだ。
私の方をじっと見ているわけではないのに、なんだか顔がほてってきてしまう。
気付いた時には、顔は林檎飴のように染まってしまうのだ。
それと同時に、なんだか安らかな気持ちになる。
うっとりするというか、落ち着くというか…、近くにいてくれるだけで、うれしいのだ。
そんな先輩を何気なく眺めながら、私はどれに出るかということを思い出していた。
そんなとき、同じ委員会の一年生である明紀が、私の肩をたたいて訊いてきた。
「ねぇ、私たちも委員長と一緒にその場所にずっといてもいいのかな?」
その言葉に、私は一瞬ドキッとした。
1日中、石田先輩のそばにいることができる。
これは、私にとって幸せのなにものでもないのではないかと。
でも、明紀からそう切り出してくる理由が、よくわからなかった。
私とは違い、クラスの誰からも一目置かれ、非の打ち所が無い人であった。
中身はさることながら、外見からも、「一歩先をゆく女性」とでも感じられるような人であった。
そんな彼女が、私にそう切り出してくること自体、疑問に思ってしまうのだった。
「なんでそんなことをするの?」
「だってさ、クラスのところにいても正直つまらないじゃん。そこにいたほうが絶対に楽しいからさ。」
そんな言葉、彼女の口から出てくるとは思わなかった。
誰とでも仲良く話せる彼女には、もしかしたら本気で話せる友達がいないのかもしれない。
どれだけ完璧な人でも、こういうところに影があるというのだろうか。
「でも・・・そこに人がいすぎても困らない?」
「そんなこと、気にしなくたっていいんだってば。」
明紀からこんな言葉を聞いたことがなかった。
小学校のころから知ってはいたが、あまり彼女と関わってこなかったからなのであろうか。
それとも、そういう場に私が居合わせていなかっただけなのであろうか。
明紀はそう私に言うと、委員長に個人的に言い出していた。
「委員長、私と紗由だけそこにずっといてもいいですか?」
もしかして、明紀は委員長のことが好きだから、私に何か言ってくるのかな。
もしそうだとしたら、一人じゃ心細いから、私をその場に引っ張ってくるのかな。
そうだったら、私は上手いように利用されているだけなのかな。
そんな気持ちが私の心をよぎった。
なぜか胸を細い針でチクリと刺されたような痛みが走る。
その針を自らの手で抜くことが出来なかった。
勝手に嫉妬していたのだ。
そうと確かめたわけでもないのに、なぜか胸が苦しい。
これが、「恋」というものなのか…。
私自身、そんな感情を抱いていたわけではないのに…。
「紗由、委員長が好きにしろだって。よかったね。」
「うん・・・。」
明紀は私に嬉しそうに私に話しかける。
友達と話しているときは、あそこまで楽しそうな顔をしていなかった。
明紀のそんな顔を見るのが、正直私にはつらかった。
私が本当に望んでいるのはなんなんだろう。
委員長と明紀が楽しそうにしていることなのだろうか。
それとも私と・・・。
「役割が決まったから次の議題に・・・、植田、どうかしたのか。」
そう委員長に言われて我に返ると、私は無意識のうちに借りていた本の表紙側で頭を何回も叩いていた。
「アッ・・・、いや・・・、これはそのぉ・・・」
「ついに植田も野草の食べ過ぎで頭がおかしくなっちまったのか。」
同じ一年生の成田が私をそうやってからかう。
「そうかもね・・・。」
私はため息交じりにそう答えた。
「何かあったら、いつでも俺に言えよ。」
何気なく発せられた言葉に、少しだけドキッとした。
その感情が体にも伝わって、硬直してしまった。
しかしその委員長の言葉に、正直に喜べる私はいなかった。
梅雨は終わったはずなのに、私の心の中では、まだしとしとと続いているようだった。
黄昏
あれは、図書委員になってからのことであろうか。
昼休みになると、必ず私は図書館へ行くようになった。
そして、そこで『変な生き物』の本を何度も読み返すことが習慣になっていた。
そんなとき、私のそばには、委員長の石田先輩と同級生の成田がいた。
二人は私の様子を垣間見ながら、本に視線を落とす。
距離で言えば、本当にすぐそばにいるのに、やけに遠くにいるような感覚があった。
それが、私の中ではなぜだかもどかしくて仕方なかった。
でも、どうしても二人の話の内容が気になって、私は二人の間に割り込んでいくのだ。
「委員長、何を話してるの。」
私は本を片手に、体を先輩のほうへ向け、そう訊いてみた。
「お前には関係のない話だよ。こっちの話にわざわざ突っ込んでこなくてもいいから。」
先輩は、決まってこう言ってくる。
どうしてこんな態度を取るのだろうか。
私には、よくわからなかった。
「菅原先輩の言う通りだよ。関わってこなくていいから。」
成田は、先輩の発言に乗った。
「何、その言い方。」
「だって人間よりも野草とか変な生き物の方に興味があるんでしょ。」
先輩は、ぶっきらぼうに言い返した。
「違うもん。私だって…。」
そこから先は言えない。まだ言葉にするだけの自信がない。
先輩の前では…。
「なんだよ、言いかけたことは最後まで言えよ。」
私のそんな気持ちを知る由もない成田は、私に向かってそう言ってきた。
「いや、なんでもないから。」
「そういうところ、直した方がいいぞ、植田。」
「なんであんたに忠告されなきゃいけないの。」
「小学校のころからそうじゃん。毎回自分の言いたいことを途中でやめてさ。」
「あんたに、私の何が分かるっていうのさ。」
「幼馴染だからこそ、わかることがあるだろ。」
「そんなときだけ幼馴染なんて言葉を使っちゃって。本当は何にもわかってないくせに。」
「何ぃ。」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いてさ。」
結局、二人の言い合いの仲裁に先輩が入ってくる。
「もう何でもいいから。」
半分呆れ顔であった。
「先輩がそういうなら、僕はやめますよ。こんな奴の相手なんかしていても、どうせ時間の無駄ですから。」
「何その言い方。」
「だから、もうやめろって。」
今度は、さっきよりも強い口調で私たちに言ってきた。
「ほら、もうそろそろ昼休みが終わるから、ちょっと椅子を整理し始めるぞ。」
そういうと、先輩は椅子から立ち上がり、私たちのそばから離れていった。
また先輩を少し怒らせてしまった。
これで何回目であろうか。
ここに来るたび、毎回こんなことをしている気がする。
そんな自分にあきれる反面、なぜか胸が苦しい。
楽しいはずの時間が、結局ものさみしい時間になってしまっていた。
「紗由も相変わらずだね。」
「何が。」
「だって、帰っている最中にずっと野草を食べているじゃん。」
「これが私の幸せのひと時だから。」
その日の下校時、私は明紀と一緒に帰っていた。
中学校を出て、大きな川に架かる橋を越えたところ、堤防の片脇が芝生のようになっていた。
私は、そこで野草を摘んで、人目を気にせず野草を食べることが日課になっていた。
「でもさぁ・・・周りからの目をもう少し気にした方がいいんじゃないの。」
「いや、これはお父さんから受け継いだものだから。」
「そうだからって、なにも下校中にそういうことをしなくてもさ。」
「そうだけど・・・」
そういいながらも、私は野草を片手に、リアルに道草を食っていた。
それがありのままの自分の姿だったから。
これをやめろと言われれば、それは、私でなくなれと言っているようなことであった。
世間という大きな波に飲み込まれるのは、どうも気がかりでしょうがない。
「常識」ではないかと言われれば、それまでである。
しかし、自分という軸をしっかり持つことが大切だと私は思う。
たとえ、それが世間体でなかったとしても。
「そういえば、紗由。」
「うん。いきなり改まってどうしたの。」
「最近ずっと委員長のそばにいるよね。」
その言葉に、なぜか胸の鼓動が高くなる。
「委員長」という言葉の響きに、体がついつい反応してしまっているようだった。
「うん、そうだけど・・・。何かだめなことでもあった。」
「いや、そういうわけではないんだけど…。なんでいつもそこにいるのかなぁって思って…。」
「そこが一番居心地がいいからに決まってるじゃん。」
「それは委員長のそばだからいいの?。」
「それは・・・。」
少し考えてしまった。
そうではなくて図書館の場所が居心地がいいと言いたい。
たまたま私の好きな『変な生き物』のシリーズが委員長のそばにあるから、そこにいるだけだと言いたい。
だけど、なぜかそれを口にすることが出来ない。
「紗由・・・、もしかして・・・。」
「違うってば。委員長にはそんな感情を抱いてなんかいないもん。ただ、そこが落ち着くんだもん。今までに感じたことがないくらい…。」
「でも紗由・・・、それって・・・。」
「じゃあ聞くけどさ、明紀。なんでわざわざそんなことを聞くの?。」
私は、なぜか口調が強くなった。
別に怒っているわけではない。
ただ、なぜか思い上がってしまったのだ。
「それは・・・もしそうだったら、今やっているようなことをやめて、もっと女子らしくした方がいいかなと思って・・・。」
「そりゃあさ、明紀は大人っぽいし、可愛いから私にそういうことを言うのかもしれないけど、私はありのまあでいたいの。別に明紀に指摘される筋合いはないから。」
「紗由、私は別にそんなことを・・・。」
「もう、いいから。」
そう私は言うと、私はすたすたと歩いていった。
明紀にこんな態度を取るつもりではなかった。
でも、委員長のことになると、なぜかこうなってしまう。
なぜなのか、私にはよくわからない。
チカチカと点滅していた信号に向かってダッシュして、完全に明紀との距離を取った。
渡りきってから速度を遅め、私はとぼとぼと歩き始めた。
そして、小さなため息とともに、空を見上げた。
初夏の夕日はもう隠れてしまって、静かな月光が私の影を照らしていた。
草食女子