無題
断片
1
「よう、久しぶりだな」
「……土井垣……、……さん」
「ぎこちないなあ」
「はあ」
久方ぶりに顔を合わせた男は、あっけらかんとした声で言う。
「バッテリーを組むことになった。よろしくな、不知火」
2
「そうか、捕手は土井垣くんか……これも縁というやつなのかな。ま、頑張れよ」
「わからない」
「何が?」
「――土井垣将」
3
土井垣将がわからない。自分で考える手持ちが足りない。ならば、だれかにおれの持たない断片を、ヒントを、乞うしかない。
そこまで考えて、おれは一人の男を想起する。土井垣と同じ道を寸分違わず歩いてきた男。高校三年、キャプテン、球団指名を蹴っての母校チームの監督就任、そして時期を同じくしてプロ入り。父さんが奇しくもおれと土井垣のめぐり合わせを縁と表現したけれど、これもまたひとつの縁だ。――好敵手ということ。互いに、互いが負けるまでと対抗しつづけた、終生のライバル。
「犬飼小次郎……」
4
犬飼は被っていた帽子のツバを静かに引き下げた。その影の中で、瞳だけが蛍光灯の光を鋭く反射する。
「いいことを教えてやるよ」「奴は、土井垣将なのさ」
犬飼の筋張った右手は一瞬空を掴むように動いて、もとのウインドブレーカーのポケットに収まった。その右手はなにをし、なにをしてこなかったのか。落としたものはただ、過去に転がっている。右手がとれたもの、落としたもの。やり直せない過去。それは電報を伝える受話器であったり、はたまただれかの求めた握手であったり、する。
5
「おれが捕る!」
彼の言葉を使ってプレーすること。ただ、そのままではなく、すこしだけ、未来のものとして。
おれや、土井垣や、犬飼の手は、なにかを落としたり、なにかを捕れたりする。その一瞬はもう、だれにも触れられない。落とした球はただ、その場所に転がっているだけだ。
《ボールが落ちてきたー!》
だからこそ、過去の失敗を未来に笑う。できなかった握手も、とれなかった打球も、もうやりなおすことはできないから、いまここで何度でも笑いとばす。
《不知火 近鉄へ プロへ 名刺代わりのあいさつはノーヒットノーランです!》
「不知火!」
おれは土井垣将になにを見つけるだろう。
「…………土井垣さん」
「……それでいいんだな?」
「はい」
「行きましょう」
無題
未完