天使の自己犠牲と悪魔の暇つぶし
第1章 プロローグ
朝の7時になった途端、璃乃の携帯電話からけたたましくアラームの音が鳴り響く。
しかも昨夜はテーブルの上に置きっぱなしで寝たためにベルの音だけでなくバイブレーターの振動音まで合わさっている。
いくら昨日遅くまで先輩の飲みにつきあっていた璃乃でもさすがにベッドから這いずり出てきた。
そしてイライラした様子で携帯電話のアラームを切り、再びベッドへ潜り込む。
今日は土曜日。
大学の講習もなく、午後にサークル活動があるのみだ
活動場所までも璃乃の家から自転車で5分もかからない。
だからこんな早くにおきる必要がないのだ。
璃乃は身支度や移動時間も考慮して集合時間から逆算した時間にアラームを再びセットした。
操作が終わり携帯電話を閉じると、枕の傍に置き目を閉じた。
そしてふと、最近のサークルを思い浮かべた。
-最近のサークル・・・あんま楽しくないんだよな・・-
そう思いながらも璃乃の意識は眠気とともにまどろんでいった。
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あかねー!起きなさい!今日は午後からサークルなんでしょう!
1階から聞きなれた声が聞こえてくる。
今日は土曜日。
そう頭が認識すると、普段は苛立ちの元でしかない母の声も和らぐ気がするから不思議だ。
茜は土曜日のサークルが好きだった。
土曜日は次の日が休み、ということもあって大抵先輩たちがご飯に連れて行ってくれたり、飲み会を企画してくれたりするのだ。
茜は土曜日ののサークル、というよりそのサークル活動の後が好きなのだ。
何故ならご飯でも飲み会でも茜はサークルの男性陣にちやほやされ、まるで女帝のような気分を味わえるからだ。
茜は男を魅了するのが上手かった。
容姿もそんなに悪くもないし、声なんかは自分で言うのもなんだが可愛らしいと思っていた。
そして何より、男がされて喜ぶ行動、言動や、ときめかせる仕種などを適切なタイミングに違和感なくこなすのが上手かった。
もちろん無自覚でやっているというわけではない。
ちゃんとドラマ、恋愛モノの本を読んで自分で学び、練習だってしてきた。
その成果あって彼女の計算しつくされた一連の動作は彼女をサークル内の男たちにとってのマドンナの地位にまで持ち上げた。
勿論、サークル内には女性もいる。
彼女たちからすればあからさまな茜の行為は女性陣の反感を買った。
しかし嫌悪感を表に出しているのはあくまで女性の先輩たちであって、同学年の女子や、後輩の女の子達は同期のよしみや先輩への礼儀もあって普段は仲が良いフリはしてくれる。
それでよかった。
茜にとってはそれで十分だった。
彼女にとって大切なのは男たちへのアピールであって、女の友情など彼女にとってはさほど大切ではない。
男すらも離れていってしまうような嫌われぶりでなければ良いのだ。
それに彼女には切り札があった。
-璃乃・・・アンタさえいれば・・・-
茜は璃乃をとても重宝していた。
彼女にとってこれほど都合に良いアクセサリーはなかった。
璃乃はいわゆるサークルのムードメーカーだった。
飲み会でもサークル活動でも盛り上げるのがとても上手かった。
そのせいか、いつも彼女の周りには男女問わず人が集まってきた。
彼女の傍にさえいれば茜も中心になれた。
たとえ女性陣に嫌われていても彼女たちも璃乃の楽しい雰囲気に呑まれ、茜に悪態をつくことをやめる。
璃乃の傍にいれば勝手に人が集まってくるため、男たちからも「サークルの人気者」と見られて、ますます彼女の魅力も高まる、というのが真の目的だった。
しかも璃乃は男性陣に女扱いされないタイプの女の子だった。
容姿が端麗の癖にサバサバとした性格のためだろうか、彼女に対しての男性陣の言動はデリカシーのないものばかりだった。
そのおかげで、彼女の傍にいるだけで自分の女らしさが強調され、ますます魅力的に見えるのだ。
これだけでもかなりいい思いをするはずなのにさらに璃乃にはイイトコロがあった。
それは璃乃が茜が狙ってる男、宏斗と異性の中で一番仲がいいことだ。
璃乃の傍にいるだけで宏斗が来る。
璃乃の傍にいるだけで引き立った私の魅力が宏斗に伝わる。
璃乃の傍にいるだけで宏斗との仲が深まる。
男たちにちやほやされるのだって宏斗にはかなり魅力的な女として映っているだろう。
(もちろん茜は皆にちやほやされること自体好きだが)
それだけの事をしていたらどんな男でも落ちていそうなものだが、3年経っても宏斗が落ちないのには理由があった。
彼には地元に彼女がいた。
もう付き合って3年だという。
遠距離恋愛が3年も続く、それほど宏斗は彼女を愛していた。
勿論宏斗が地元の彼女と今でも付き合っていることは茜も知っている。
それだけ宏斗が手強いのも知っている。
そしてなにより
他人の恋人を奪うことが世間では倫理に反する行為だとも知っている。
だが茜はそれでも宏斗がほしかった。
宏斗にはそれだけの価値があると思っていた。
宏斗は医学部生であり、かつ容姿も端麗。
サークルの部長を務め、皆からの信頼も厚い。
そう、彼を手に入れればますます茜の魅力が深まるのだ。
宏斗がほしい。
彼女はサークルに入って彼に出会ってから3年間ずっと思い続けてきたことだ。
彼女と遠距離恋愛して3年が経つかもしれないが、私は彼に出会い、サークルを通じで共に過ごしてきた時間も3年。
彼にアピールを続けてきたのも3年だ。
彼には十分すぎるほどの戦略で自分の高めに高めた魅力を魅せつけてきた。
-もうそろそろ私の落ちてもいい頃だ・・・。-
決してこれは彼女の慢心ではなく事実であった。
確かに宏斗のココロは徐々に茜に傾いてはきていた。
もちろん茜もそれに気づいている。
そう・・・もう少しなの。
もう少しで宏斗は私のものなの。
だから璃乃
アンタには最後まで私の道具として働いてもらうわ・・・。
第2章 璃乃
アラームの音が聞こえる。
二度寝する前にかけたアラームだ。
璃乃はむっくりと起き上がり、自分の安眠を妨害してくれた厄介者を黙らせた。
そしてそのまま時間を見る。
ギリギリに設定したからもう支度しないと間に合わない。
「・・・行きたくないな。」
寝巻きを脱ぎながら璃乃はつぶやく。
まだ春先というのもあって、ベッドから出るのも服を着替えるのも苦行だ。
ましてやサークルに行くための行為、というのも彼女にとっては苦痛だった。
サークル自体はそんなに嫌いじゃない。
女の先輩、女友達、かわいい後輩たち。
皆璃乃にとっては大切な人たちだ。
男の先輩たちにイジられることも、宏斗と馬鹿やるのも、
皆が楽しんでくれるなら璃乃は嬉しかった。
そう、最初は楽しかった。
しかし、茜が・・・茜が宏斗へのアピールに璃乃を使い始めた頃から楽しくなくなった。
男性陣にちやほやされるために璃乃を利用して璃乃を侮辱するようになってから辛くなった。
茜に便乗して男性陣も宏斗も璃乃を弄るのに容赦がなくなり、本当に傷つくような言葉を言い始めた頃から家に帰ったら負の感情が自分を取り巻くようになった。
別に茜が宏斗と付き合おうが男たちにちやほやされようがそんなのはどうだっていい。
ただ璃乃だって人間だ。
多くの人からマシンガンのように馬鹿にされた言動を発せられれば気持ちだって落ち込んでいく。
しかしどんだけ気落ちしたって誰も気づかない。
いや、気づかせないようにしてきた。
璃乃は傷つけられることよりも、自分のせいで周りの雰囲気を悪くしてしまうのが一番辛いことだった。
雰囲気を悪くすることで孤立してしまう、サークルが楽しくなくなる、それに比べたら自分が傷つくだけなんて安い代償だ。
皆が楽しんでくれる、皆が私を必要としてくれてる。
自分がここにいてもいいという証明。
「・・・いつまでもナイーブでいられるか。」
サークルに行ったら気持ちを切り替えなくては。
すべては茜が宏斗と付き合うまでの辛抱だ。
茜が自分を都合のいい道具としてみているのも知っている。
宏斗を手に入れるために利用しているのも知っている。
だけどそのことを責めたら自分にどんな被害が被るか分かったもんじゃない。
彼女が私をもはや利用価値がないと思って近づいてこなくなるまで耐えるしかない。
そう、皆が笑ってくれるなら、皆が必要としてくれるなら
私は頑張れる・・・。
第3章 惨死
「フラれるにはどうしたらいいかな?」
以前、宏斗がボヤいたことがあった。
璃乃は一瞬何のことか分からなかった。
が、直ぐに彼の恋人の千鶴の事だとわかった。
彼女とは会った事もないが、人伝いに聞くととても可愛らしい女の子のようだ。
そんな彼女と別れたいなんてよほど遠距離恋愛は辛いのだろうか。
そう思いつつ彼の話を聞き流す事にした。
いくら会った事がないとはいえ、軽々しく「別れちゃえば?」などは言えない。
相手が可愛らしい良い子なら尚更だ。
そんな子に別れ仲人などやって恨まれるなんて堪ったものではない。
しかし、璃乃が遠回しに破局を食い止めようとしても宏斗はどんどん別れたい気持ちは日に日に強くなっているようだった。
茜のせいだ。
茜は宏斗に恋人がいると知りながらも熱烈にアタックをしていた。
例え他の人間が非難の視線を向けようとも。
いくら誠実な男でも、3年間もアタックをされ続け、更に恋人と遠距離恋愛中ならば心も揺らぐのだろう。
おそらくもはやこちらが何を言っても無駄と思えるような雰囲気だった。
ーまぁ、私には関係ないか。ー
下手に首を突っ込むものではない、恋愛というやつは。
人の恋路を邪魔する奴は何とやらという言葉もあるじゃないか。
元カノと戦争になっても彼等の自業自得である。
そうなってもおかしくない事をしているのだから。
ー私には関係ないはずだったのに…。
腹部からは激痛と共に生温いドロドロとしたものが流れている。
「え、…な…に?」
あまりに唐突で、あまりの激痛で、璃乃の頭はついていかない。
ーサークルの部室に来たら知らない女の子がいて、声かけて、そんで…あれ?刺されてるよね?ー
「私、捕まっても後悔しないわ。それほど大好きだったのよ。ヒロくんのことだもの。ヒロくんのことで捕まるのなら本望よ。」
よくわかんないけど、なんか、彼女の涙を見たら・・・・
「ごめん・・ね・・・。」
わかんないけど私が悪いなら謝るよ。
だから泣かないで。
ああ、それにしても
もう死んじゃうんだなぁ。
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「なに・・・これ・・・。」
紗江は思わず呟いた。
目の前に信じられない光景が広がっている。
サークルの部室の前に包丁を持った女と、その下に人が転がっている。
殺害現場なんてドラマでしか見たことない。
しかも被害者は・・・
「璃・・・乃・・?」
口から出た声は思ったよりも小さく、掠れていた。
何で彼女が殺されている?
彼女は殺されるほどの恨みを買うはずがない。
つまり、目の前にいる女は・・・
―通り・・魔?-
無差別なら次は自分だ。
早く逃げなくては、と思いつつも体は動いてくれない。
と、いうよりも璃乃が死んでいるということが紗江の頭に充満していた。
紗江に気づき、彼女がこちらを向いた。
終わった、と頭で思ったが、向こうは襲ってくる気配はなかった。
「別にあなたは殺さないわ。私は恋人を奪ったこの女に復讐したかっただけだから。警察に通報しても良いわよ。捕まる覚悟はできてるから。」
紗江はまだ混乱して頭がついていかないが、あるフレーズに違和感を感じた。
恋人を・・・奪った?
-誰が? 璃乃が?-
璃乃は大学に入ってからできた紗江の親友だ。
クラスも一緒、サークルも一緒。
一日の大半を璃乃と過ごしているのにいつ彼女に恋人を奪うことができる?
他人を傷つけることを一番嫌う彼女がそんなことをするはずが・・・。
そう考えてた紗江はひとつの最悪のシナリオを想像してしまった。
「ヒロ君を奪った報いよ・・・。」
彼女は憎らしげに包丁を手放し璃乃を睨み付けた。
-あぁっ!やっぱり・・!-
この女の子は宏斗の恋人の千鶴さんで
璃乃は茜と間違われて・・・
紗江は泣きたくなった。
勿論恐怖からではない。
自分の一番の親友のあまりに残酷な最期についてだった。
皆のために傷つきながらもあれだけ頑張って尽くしてきたのに、
最近は宏斗を落とすために茜に道具のように扱われても愚痴を言うどころか笑顔も崩すことはなかったのに、
それなのに最期は茜に間違われて殺されるなんて・・・っ!
紗江は何もいえなかった。
二人は何も言わず立ちすくんでいた。
するとしばらくしてサイレンが聞こえた。
それからすぐ慌しく警察も入ってきた。
紗江は呆然とそれを眺めていた。
千鶴も同様だった。
しかし紗江の視界に茜が入ってくると急に目が覚めた。
茜は紗江に近寄った。
「大丈夫?紗江。怪我とかしてない?」
本当に心配しているとは思えないような浅はかな笑みを浮かべている。
「・・・茜が警察呼んだの?」
「うん、そうだよー。びっくりしちゃったー!まさかこんなことするなんて。」
「え?」
「さっきあの子に『ヒロくんの好きな女の子って誰?』って聞かれたからさー、宏斗と一番仲いいのって璃乃でしょ?だから璃乃のことかなーって思っちゃってそう答えちゃったんだ。」
紗江は頭に血が上るのを感じた。
そのせいで璃乃が死んだことについて罪悪感を感じていないということだけではない。
この女は、今宏斗が好きなのが自分だということを知っていながら璃乃を身代わりに使ったのだ。
「っっあんたのせいでっ!!」
紗江は茜に掴み掛かった。
殴ろうと思った。
いや、殺そうと思った。
それほどの殺意が沸いた。
しかしまだ警察がいた。
したがって紗江はそのまま取り押さえられた。
第4章 前嵐
璃乃が死んで半年が経った。
宏斗の彼女である千鶴さんは殺人で捕まることになった。
当然といえば当然なのかもしれないけれど。
それでも比較的罪は軽くなったと風のうわさで聞いた。
私が彼女が殺人に至った経緯を包み隠さず話したからだろう。
璃乃の両親にもすべて話した。
二人はただ黙ってずっと話を聞いて、終わったら静かに「紗江ちゃん、ありがとう・・・。」と言った。
私がすべてを話しに来たあとに千鶴さんのご両親が土下座をしに来たらしい。
しかしもうすでにすべてを知っていた璃乃のご両親は千鶴さんのご両親を責めることなく帰したそうだ。
璃乃のご両親はどんな気持ちだったんだろう。
二人とも璃乃の親らしく優しすぎるのか・・・それとも素直に自分の娘を殺した犯人を恨めない状況だからなのか・・・私には分からなかった。
結局、璃乃の葬式は身内だけでひっそりと行われた。
本当はクラスやサークル内で璃乃の葬式に出たいという人はたくさんいた。
でも璃乃のご両親は表には出さないが精神的に相当参っていたらしい。
私が代表として行くことになった。
でも、私はそれでよかったと思っている。
きっとクラスはともかくサークル内だったらあいつも来る。
直接的ではないにしろ璃乃の命を奪う原因を作った女、茜。
あの女の策略で自分は傷つかずに元恋人を排除し、璃乃はその犠牲となった。
全部計画的のくせして私は何も知らないなんていう顔を貼り付け無関係を主張した。
きっと葬式の時だってお気の毒になんて顔を貼り付けて璃乃の両親に「お悔やみ申し上げます。私は璃乃さんとは生前とても仲良くしていただいており・・」とか周りに受けるような嘘を並び立てるんだろう。
あの女の得意技だ。
そんなことしたら璃乃の両親が本当に悔やみきれない。
結局、千鶴さんの逮捕によって宏斗と千鶴さんの関係は自然消滅。
意気揚々と茜は宏斗と付き合った。
宏斗は多少璃乃の死を悲しんでいたようだが、最近気になっていた女とついに付き合えて悲しみは吹き飛んだようだ。
そんな様子を見てサークル内の先輩、同学、後輩達は呆れ果てもう二人に関わるのをやめた。
それどころか璃乃というムードメーカーを失い、なんとなく飲み会も楽しくなくなり、そのまま参加する人もまばらになってサークルに出入りする人もほとんどいなくなった。
璃乃の守ってきたものがどんどん崩れていくのを感じた。
そう思っても私には何もできない。
璃乃みたいなことはできない。
彼女も守ってきたものを守ってあげたいのに、守っていきたいのに。
街に出るとときどき宏斗と茜が楽しそうに歩いているのを見かける。
二人が付き合おうがどうも思わないが、この状況になった元凶が関係ない顔してのうのうと歩いているのがひどく憎かった。
殺意が沸いた。
あの二人に駆け寄って何度包丁で滅多刺しにしたいと思ったか。何度線路に突き落とそうと思ったか。
でも、臆病者の私は結局できない。
璃乃の仇も取れない。
なによりそんなことしたって璃乃は戻ってこない。
楽しかったあの空間は戻ってこない。
その後、女子の先輩達は茜が二股をかけているだの、茜に彼氏を寝取られただのを噂していたが特に記憶には残らなかった。
どうでもよかったから。
無気力に・・・淡々と時は過ぎ
鬱病に苛まれながらも
私達はまたひとつ学年が上がった。
そして
新しい後輩ができた。
やけに興奮したひとつ下の後輩が
スカウトしたと言って連れてきたその子は
容姿も性格も璃乃にそっくりの1年生だった。
天使の自己犠牲と悪魔の暇つぶし