u‐0 其四~死神編~

u‐0 其四~死神編~

※この物語はフィクションです。実在する人物・団体とは一切関係ありません。

 人には一つも、判らない。
 答えがあるか、判らない。
 答えがないか、判らない。
 判らないのか、判らない。
 実に限りなく、判らない。
 不可能かさえ、判らない。
 だから求めるのだろうか。
 故に知りたいのだろうか。

      †

 居上与式を迎えに来た――少女はそう言った。大鎌を携え闇色のフードを被ったその様相を見れば、行くべき先の予想は容易についた。だが、理解はできなかった。
「……どうして?」
 与式よりも早く幽霊が、先の宣告の訳を訊ねた。与式はそこでようやくあの言葉の真意を理解し始めた。
「あなたには関係ないことだわ。それに――理由なんて、あると思う?」
 そう言うと与式に向き直り、彼の目を見て告げた。
「居上与式、死亡予定日が近づいたから知らせに来たわ。残り僅かの生命を存分に楽しんでね」
 数秒の間の後、与式は頭を搔きながら、
「あの、よく分かんないんだけど……誰ですか?」
 と言う。なるほど唐突に死亡予定だの何だのと申告されたものの、不思議に思い信じられなくて当然だ。勿論既に幽霊を知っている分与式は普通ではない人間かも知れないが、だからと言って身に起こる全事象を認める理由にはなり得ない。だが、返答はあまりに辛辣であった。
「誰って、見て分からない? そのためにこんな〝いかにも〟って恰好してるのに」
 数秒の間の後、与式は頭を掻いていた右手を下ろして
「死神ですよね」
「その通りよ」
「死亡予定は? いつなの?」
 黙っていた幽霊が割り込んできた。常の雰囲気と比較して、いつになく真剣な面持である。そんな彼女の表情を見ても、やはり少女――死神の態度は露ほどの変わりも見せない。
「そんなことはっきり喋ったら暴れ出すかも知れないでしょ。分かってはいると思うけど、あなたはとても特殊な場合なの。普通の臨終はもっと事務的なものよ」
 そう言われて幽霊はしばらく黙り込んでしまった。そこで再び当事者が口を開く。
「あの……まあ幽霊を目撃して同棲してる訳だから今更不思議に思ったりはしない……けど、本当に俺死ぬの? てか、何で? どんな理由で死ぬのか、分かんないっていうか……」
 与式は、死神の言葉を疑うつもりはなかった。だが、突然に死ぬと聴かされても、それが運命なのか、それとも何か自らの行いに間違いがあったのか、或いは死神たちが集まって籤引でもしたのか。何かしら訳があるとして、死因は何なのか、具体的に何日の何時何分に死ぬのか、死んだ後はどうなるのか、幽霊にもなり得るのか、そしたら現世に存在し続けるのか、そもそも現世ではない場所があるのか――与式の脳内に限りない疑問符が乱立した。
「さっきも言ったけど、死に理由なんてないわ。私はただ死を宣告しているだけ。なぜあなたが死ぬのかなんて知らないわ。言っとくけど――」
 死神は幽霊を指差して続けた。
「彼女のように幽霊と呼ばれる存在になることは非常に稀なことだから、普通の場合、死んだらそこで意識は消えると思っていい」
 意識が消える――つまり天国や地獄などという場所はないということなのか。
「それから、人間がイメージする死神と違って別に私が殺す訳じゃないから。この鎌だってただの飾りだし。実際の死因は私にも不明よ。じゃあ、またね」
「あ、ちょ……」
 部屋の隅にまもなく黒い炎が立ち込め、死神の躰はその闇の中へ沈んでいった。後には息の詰まるような沈黙だけが残った。
「あの、幽霊さん……」
 与式が声を掛けると、はっとした様子でこちらを見た。
「ん。何、与式くん?」
 いつもの貌だった。いつもの無垢の表情だった。だから安心した。与式に何があっても、彼女だけはありのままでいてくれる気がして。
「いや……もう終わりなのかって、思ってさ。もうちょっとやりたいこともあったなー」
 椅子に腰掛けて天井を見上げた。やはり煤汚れている。
「そんな、だってまだ予定日だって分かんないんだから。まだ時間は、きっと、あるんじゃない?」
 幽霊も座布団に腰を下ろして話した。窓外は晴れた夜空で、室内には少しく暑さがあった。
「ねえ、幽霊さん」
「どうしたの?」
 与式は背もたれに預けていた胴を起こし、幽霊を向いて訊ねた。
「過去のこと、少しでも教えてくれないか」
 幽霊は、数度静かに瞬きし、正座を解いてからゆっくりと語り始めた。
「私の夢は、先生になることだった――」
「先生……」
与式は訊き返した。
「先生って、学校の?」
「――うん」
 ほんの僅か、一瞬にも満たない逡巡の後で幽霊は答えた。与式はそれを追及しようとはしなかった。幽霊はもう一度、話し始めた。
「ごめん、与式くん。私、本当に助けられる――頼るつもりがなかったかも知れない。私、信用してなかったのかな、与式くんのこと……最低だね」
「そんなことねぇよ。気にしなくていい。ただもう、俺自身の命も長くない。最期くらい誰かのために、何か成し遂げたいから、だから――今知ってること、全部話してよ、幽霊さん」

      †

 翌日。八月八日、日曜日。世に休日と呼ばれる日ではあるものの、彼は例外である。
「……んじゃ。行ってくるよ、幽霊さん」
「行ってらっしゃい。接客、頑張ってね」
 昨晩は彼女の知り得る生前の断片、その全てを聴いた。しかし、その名や遺族、いかにして命を失ったかということになると、やはり彼女の知るところではないようであった。与式は玄関のドアを閉め、勤め先へ足を向けた。

      †

 自動ドアの電子音を耳に、明日風は店を後にした。彼女は毎日ここへ来ると、決まって目当ての品々を購入していく。だが、今朝は一番のお気に入りが品切れに遭ったらしく、その手に下げたレジ袋には杏仁豆腐が一カップ入っているのみであった。
「白……ひと」
 内心に不満を抱えて更なる目的地へ向かおうとすると、やや遠くに知っている顔が走っているのが見えた。与式である。あの様子だとこちらへ来そうだ。明日風は店の入口から少し歩道へ近づいた。すると、丁度そこで与式と目が合った。
「あ。おー、東雲! おはよー」
 与式は慌てながらも、一度足を止めて明日風に声を掛けた。
「おはようございます、居上さん」
 明日風は軽く頭を下げて言った。与式は急いでいた。だが、昨夜の話を思い出し、どうしても誰かに訊いてみたかったことを明日風に訊ねることになった。
「な、なあ、東雲……」
「何、ですか?」
「あのさ。例えば、例えば明日死ぬとして……その、東雲ならどんなことがしたい……?」
 唐突な質問にしては随分不謹慎だったが、与式は真剣だった。対する明日風もしばらく考え込み、恐る恐る口を開いた。
「変えようのない運命なら、抗う意味はないと思います」
 急に変なことを訊いてすまないと言って与式が去ろうとすると、
「――ですが。もし、僅かでも可能性が残っているのなら……私を殺そうとしているものを、壊します――」
 では。と言って明日風は去った。与式は彼女と逆の方向へ、再び足を急がせた。

      †

 与式が帰宅したときに空はまだ明るくて、部屋の小さな窓からは毎日の通り西日が差し込んでいた。卓袱台の傍らに幽霊がいて、番組表の抜き取られた新聞を睨みつけている。
「ただいまぁ、幽霊さん。いや疲れたー。働くのって、やっぱ面倒だよ……な?」
 幽霊の様子を気にして、貌を覗き込んだ。しかし彼女の目線は記事に向いたままで返事がない。
「おい、幽霊さん。まさか死んでねーだろな」
「死んだ……」
「ってそれはそうか。だって幽霊だもん――」
「紅くんが、死んだの……」
 冗談だと思ったから、与式はまさかと言って信じなかった。それでも幽霊が深刻そうな面持で記事を指差すので、声に出して読んだ。
「詳しい死因不明……死亡推定時刻、八月七日深夜二時……まじかよ」
「遺体の見つかった部屋には体液が撒き散らされてた、って」
 紅騨一という人間は、死へと変化してしまったようだ。
「これも死神の仕業なのか……? ……どうしてだ……どうして急に、こんなにも命が消えていくんだ。突然、何の前触れもなく……おかしいだろ、こんなの」
 俯き、そして深い溜息をついた。
「何でだ。何でなんだ……」
 幽霊は与式に寄り添い、こう言って聞かせた。
「必ず終わりは来るかも知れない。でも、絶望したらだめだよ。たとえいなくなっても、与式くんは私の中に生き続けるはずだから」
 そう言って、幽霊は彼の体を抱き寄せた。血の通った人間の温もりが幽霊の躰に染み入った。しばらくそのまま時が流れた。黒い炎はまたしても立ち込め、そこから死神が現れた。それに気づいた与式は幽霊から離れ、隅に立っている少女に詰め寄った。
「教えてくれても良かっただろ……! 紅くんのこと、何で黙ってたんだよ。俺が死ぬ前に紅くんが死んで……どうしてこうも立て続けに、俺も含め周りの人間が死ぬんだ。このままじゃ、東雲まで殺されそうで……俺は、自分が悪いような気がしてくるんだ。俺のせいで死ぬんじゃないかって、そう思っちまうんだよ!」
 幽霊は二人の方を見なかった。死神は相も変わらず応えることなく静寂を保ち、その口を開いて述べた。
「紅騨一の死はこちらとしても予定外。それに、東雲明日風は当分死ぬことなんてないと思うわ」
「予定外……? 人の死を司るのがあんたらの役目じゃないのかよ」
「ええ勿論、普通はね」
 普通ではない死、それが正しく紅の命を奪ったものだと言う。
「じゃあ、紅くんは何故……」
「それは――」
「それは、この(わたくし)の仕業ですわ」
 死神が小さく舌打ちをする。新たな侵入者が二〇四(ここ)へやってきた。黒を基調とした服装に反して肌は白く、頭部には一対の角、背には翼が生えており、両者とも無論漆黒である。
「どうしてお前がここにいるのかしら?」
 死神は女を睨んだ。
「私がわざわざ人間の前へ伺っておりますのよ。貴女も訳はご存知ではなくて?」
 与式はその美貌に見入り、沈黙を守っている。幽霊も呆然として、二人で言葉を失っている。
「まさか……ここで契約を交わすつもりなの?」
「それは分かりませんわ。前回のように容易に済むとも限りませんもの……それに」
 女は幽霊を見つめながら続けた。
「飽くまで人間の霊魂に過ぎない幽霊とは異なり、私は私の意志でいつでも自由に行えますのよ」
 幽霊は確信した。女の正体、そして今喋っている能力のことを。だが、その危険性までをも心得ている死神は尚更穏やかでない。
「憑依するつもりなの? 止めなさい、そうでなければ罰を仰ぐわよ!」
 緊迫した空気の中、女はたいそう下らなさげに答えた。
「天が、人一人の命のためにそこまでするとでもお思いですの? 聞けばその人間は死亡予定日が定まっていらっしゃるようではなくて? その霊魂をたった一つ失うからと言って……みすみす天使軍を消耗するとは思えませんわ」
 そう言うと、女は与式に接近した。
「ちょっと、止めなさいって言ってるでしょ!」
 死神の制止も利かず、女は与式の耳元にまで近づいてきて静かに囁いた。
「……居上与式さん。私のお話に、ちょっとお付き合い下さらない?」
 混乱する精神に降り立った彼女は、与式にとって正に救済の使に他ならなかった。助けてほしかった。だから与式は許してしまった。故に心を、開放してしまった。

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 君代紅圓です。早くから其三をご読了下さった読者様につきましては大変永らくお待たせ致しまして誠に申し訳ございませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。この度の『其四~死神編~』の内容おいては、まず第一に、この辺りから非常に物語が進んで参ります。それと同時に、今回に限って言えば、いくつかの疑問符を置き去りにしての幕引きとなりました。今後の展開も是非気にしていただけたら幸いです。
 それではまた、次は夏頃お会いしましょう!

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彼女を知ることは、魂を識ること

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-31

Copyrighted
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