高校生は平穏

初作品です。
ネタを思いついて、構成を考えて、書きました。
至らない点も多いでしょうが、ご容赦願います。

1.
 高校生の日常というものは平穏だ。と、言うよりは平穏でなければいけないのかもしれない。勉強をして、遊んで、部活をして。人生でもっとも充実している期間としてあげる人も少なくはないだろう。平穏な日常こそが充実しているという。その平穏も時が経つにつれて崩れていく。その平穏が崩れる時というのは人によって違うが、一体いつになるのだろうか。
 遅刻するかどうかの間際の時間に校門をくぐる一人の男子高校生が、そんなことを考えながら玄関に向かっていた。遅刻間際の時間といっても、この時間に校門をくぐる生徒は少なくは無い。男女問わず何人かの生徒が玄関に向かって歩いている。ただし誰一人として慌てた様子はみてとれない。
「みんな余裕だなぁ。」
 平穏をかみ締めていた男子高校生、有坂成人はそんなことを考えながらもようやく下駄箱に到着した。外靴から上靴に履き替えているとき、有坂の背中を誰かが強く叩いた。
「成人!今日もギリギリだね。」
 嬉しそうに挨拶をするのは、有坂の隣のクラスに所属する岸野寛忠だった。有坂と岸野は中学1年のときに知り合って、それからは一緒にいることが多かった。
「いってえな。朝から何すんだよ。お前もお前でギリギリじゃないか。」
 有坂は靴を履きかえるために屈んでいた岸野の頭を軽く叩いた。そしてそのまま自分の教室に向かうために歩き出していた。
「僕は計算づくで来てるからね。成人みたいに来てみたらギリギリでした、じゃないんだよ。」
 岸野は自慢げな顔で有坂に説明して見せたが、有坂は岸野の方を見ていないどころか、話すら聞いていない風だった。岸野はため息をついて、有坂のあとを追いかけた。

2.
 相変わらず授業は退屈なものだった。有坂は窓側の席だったので、授業中はもっぱら外の体育の授業を眺めるか、体育がないときは蝉の声に耳を傾けるかのどちらかであった。一日の授業が終わり、有坂は帰り支度をしていた。とは言っても、有坂はいわゆる置き勉をしていたので、持って帰るものの数もたかが知れていた。有坂はさっさと支度を済ますと、教室の出入り口へと向かった。仲のいいクラスメイトに通りすがりに別れをつげ、教室から出ようと扉を開けたときだった。目の前に一人の女子生徒が立っていた。
「わっ!…なんだ有坂か。びっくりして損した。」
 そう冷たく言い放ったのは、園田薫だった。園田も岸野と同じく有坂とは中学からの知り合いで、仲が良いのか悪いのか傍目からはわからないような付き合いをしていた。
「なんだその言い草は。俺のクラスに何か用か。帰れ。」
 冷たい園田に対して、有坂もありったけの冷たさを見せた。
「あんたには用はないの。会長に用があるんだから。会長いる?」
 そういえば自分のクラスに生徒会長がいたな、と思いながら有坂はクラスを振り返った。有坂の視界に生徒会長はすぐに入ってきた。
「会長、副会長殿が用があるらしいですよ。」
「副会長?あぁ、ちょっと待って、すぐに行くよ。」
 生徒会長が慌てて支度を始めたのを確認すると、有坂は教室の外に向き直った。そのときようやく園田の後ろにもう一人女子生徒がいるのが目に入った。
「副会長、そちらのお方は?」
 有坂は園田に対して皮肉っぽく呼びかけた。
「あんたには関係ないでしょ。生徒会所属の2年生よ。」
 園田は相変わらず冷たく言い放つと、大きくあくびをした。
「あ、2年3組の月山杏奈です!有坂先輩ですよね?園田先輩からよく話を聞いてます。」
 月山はニコニコ笑いながら自己紹介をした。園田は月山の発言に慌てた様子で喋り始めた。
「ちょっと杏奈ちゃん、変なこと言わないでよ。このバカが勘違いしたらどうすんのよ。」
「なんだ、俺の悪口でも言ってるのか。副会長ともあろうお方が。」
 有坂は園田の慌てた様子を気にもせず相変わらず皮肉を言い続けた。そうしているうちに、生徒会長がようやく支度を終えやってきた。
「やあごめんごめん、持って行くものが多くてね。」
 生徒会長は人のよさそうな笑顔を浮かべて謝った。そして3人はそのまま生徒会室に向かって歩き始めた。
「じゃあね、有坂」
「お疲れ様です、先輩」
「また明日ね、有坂くん」
 3人はそれぞれ有坂に挨拶をして去っていった。有坂はそれに答えるように軽く手を挙げて、3人とは反対方向に歩き出した。今日も平穏な一日は保たれた。そう考えていた。しかし有坂の平穏は、いや、有坂の通う高校の平穏は意外に早く崩れ去ることとなった。

3.
 翌日、昨日よりも早く学校に着いた有坂だが、昨日と変わらぬペースで教室へ向かった。校門をくぐったあたりから、何か違和感を感じたが、きっと自分がいつもより早く来たからであろうと思っていた。昨日と違って岸野の姿は無い。先に着いているのか、またはまだ着いていないのか。友達だがそんなことに有坂は興味はなかったので、寄り道することなく自分の教室へとたどり着いた。やはり違和感は拭えない。通りすがりに仲の良いクラスメイトに挨拶をして、自分の席へとすわり、ホームルームが始まるのを待った。
 いつもホームルームが始まる時間になっても、まだ先生は教室にきていなかった。遅れること約10分、ようやく担任の先生が教室に入ってきた。普段から無愛想な先生なのだが、いつになく重々しい顔をしている。
「なんだ、減給でも言い渡されたのか。朝から嫌な顔見せやがって。」
 有坂の頭の中はいまだ楽観的だったが、決して楽観的ではないことが担任の口から告げられた。
「えー…もう知ってる人もいるかもしれないが、2年生の生徒が昨日自殺を図って亡くなった。関わりのあった人もそうでない人も思うところはあるだろうが、今から全校集会があるから、各自体育館に向かって整列して待っていなさい。」
 有坂は少し動揺した。自分の知らない生徒だが、自分は平穏だとか何とか考えていた一方で、自殺を図るほどの苦しみを受けていた生徒がいたこと。そして今の今まで楽観的に物事を考えていたことに対して、少しの罪悪感を覚えた。同時にそれまで抱えていた違和感の正体に気付いた。

 全校集会では泣いている生徒が多かったように思えた。その様子が自殺した生徒の人望を物語っていた。生徒の名前は永峰凛というらしい。きっと友達の多い明るい生徒だったのだろう。平穏が崩れ去った永峰のことを悼みながら、有坂は一日を過ごした。
 学校はやはりどこか全体的に暗い雰囲気に包まれていて、目に見えて静かだったように思えた。しかしそれでも昨日までとは変わらずに授業が進んでいく。昨日までと何も変わらなかったとでも言うように、先生は授業を進めていく。有坂は少し胸が痛くなった。
 授業が終わり、いつものように帰ろうとして下駄箱についたところで、有坂は岸野と出会った。出会った、というよりは岸野が待っていたような様子だった。
「よう成人、今から帰りだろ、たまには一緒に帰ろうぜ。」
 いつもは馬鹿みたいに騒ぐ岸野も、今日は少し大人しくなっているようだった。靴を履き替えた有坂と岸野は肩を並べて家路についた。
「永峰さん、だっけ。知ってる?」
 無言で歩いていたが、岸野が急に話題を振ってきた。有坂は前を向いたまま答えた。
「知らない。2年生だろ。でも、何があったんだろうな。」
 有坂はまた胸が痛くなるのを感じた。そして二人は再び沈黙に陥った。二人の間に聞こえてくるのは蝉の声と、風でざわつく木の音。そんな中ではたまに通りかかる車の音でさえも騒音に聞こえた。
 二人は相変わらず肩を並べて無言で歩いた。お互いが何を考えてるのかはわからないまま、ある交差点に差し掛かった。
「じゃあ、ここらでそろそろ。気をつけて帰れよ。あんまりボーっとするなよ。」
 岸野はそういうと手を挙げた。
「…ああ。お前もな。また明日。」
 有坂はそれに答えるように手をあげて、二人は別々の道を帰っていった。

4.
 二年生の永峰の自殺の日から四日後の夜、有坂は自分の部屋で英語の課題に取り組んでいた。あれから色々考えたりはするが、そんなに近い間柄の人間の死ではなかったため、有坂はもやもやとした思いに包まれていた。そんな時、有坂の携帯電話が鳴り始めた。園田から電話がかかってきたのだった。無視する、という選択肢も有坂にはあったが、無視するような理由も無いので電話に出ておくことにした。
「もしもし」
『もしもし…私だけど』
「知ってるか?今の携帯電話ってのはアドレス帳に登録しておけば名前が表示されるんだ。」
『うっさいな。あんたが登録してないかもしれないでしょ。』
「で、どうしたんだ、メールじゃなくて電話なんて珍しい」
『うん、ちょっと話したいこと、っていうか、相談がある、っていうか、頼みがあるの。あんた休みの日は暇なんでしょ。明日の昼あたりちょっと付き合ってほしいんだけど。』
「副会長は俺の休みを把握してるんだな。さすが副会長といったところか。」
『いちいちうるさいわよ。で、来てくれるの?』
「ああ、いいよ。お前に貸しを作っとくのも悪くない」
『ありがとう、じゃあ12時に駅前に来てね、お昼ぐらいおごってあげるから』
 そういうと、電話は切れた。相変わらず勝手な奴だ、と鼻で笑いながら電話をベッドに放り投げた。時計を見ると10時半を過ぎたところだった。有坂は再び机に向かった。11時まで課題をやって風呂に入って寝よう、有坂は心の中で呟いてペンを走らせ始めた。

 翌日、園田に言われたとおりに有坂は駅前のわかりやすいところで待っていた。有坂は持ち前の几帳面さからか、待ち合わせ時間の10分前には着いていた。あと5分で12時、というところで園田がやってきた。有坂はそれを見て驚いた。といっても園田とは中学時代からよく知っているので、私服姿に特に驚きは無かった。驚いたのは、園田の横にもう一人の女性がいたからだ。見たことがある人だ。有坂はそう思い自分の記憶を呼び起こした。名前を思い出すのにそれほど時間はかからなかった。園田の後輩で生徒会所属の、月山杏奈だ。なぜここにいるのかはわからなかったが、有坂はとりあえずと思い、挨拶をした。
「おはよう、園田。あと…月山さん、だっけ?」
「あ…はい。覚えていてくださったんですね。」
 月山はどこか力のない笑みを浮かべている。なにか疲れきったような表情もしている。有坂は色々と気になることがあったが、何かを聞く前に園田が話し始めた。
「おはよう。悪いわね、わざわざ出てきてもらって。相談ってのも私のことじゃないんだけど…まあいいわ。とりあえず落ち着いて話がしたいから、そこのファミレスでも行きましょ。いいかな杏奈ちゃん。」
 月山が肯くと、園田は有坂についてくるように促した。普通なら両手に花だとか喜ぶ場面なのかも知れないが、有坂は片方が園田であることと、明らかに雰囲気が暗いことから、あまり喜ぶ気になれなかった。
 店に入って店員に人数を告げ、席に着いた。休日の昼間だというのに待たずに入れたことに感謝しつつ、有坂は店員に差し出された水を一口飲んだ。
「みんなお昼ごはんまだでしょ?とりあえずなんか食べようよ。」
 園田が提案して、メニューを開き眺め始めた。月山は俯いてみようとしない。あまりの雰囲気に、有坂は今日はふざけて園田に皮肉を言うのをやめようと決めた。
 それぞれが料理とドリンクバーを頼んだ。有坂と園田が食べ終わる頃にも、月山は半分も食べていなかった。どうやら食が進まないようだ。なれない人がいると緊張する性格なんだろうか、有坂はそんなことを考えていた。
「…杏奈ちゃん大丈夫?」
 その様子を見た園田が、月山に声をかけた。有坂は月山を一瞥すると、コップに残っていたジュースを飲み干した。
「はい…すみません。」
 杏奈は今にも泣きそうな顔をして、また俯いてしまった。有坂は用事を聞きたかったのだが、聞ける雰囲気でもなくなってしまっていた。そこで、少し席を外すことにした。
「あー、えっと、ジュース。俺ジュースいれてくるけど、二人はなんか要る?」
 有坂はそういいながら園田に目配せをした。園田は意図をわかってくれたのか、うなずきながら自分の分と月山の分のコップを取り、有坂に渡した。
「ありがと、じゃあ私はコーラで。杏奈ちゃんは何がいい?」
「すみません、コーヒーでお願いします。」
「わかった。ちょっと待ってて。」
 有坂はそう言うと二人に背を向け、ドリンクバーの機械があるスペースへと歩いていった。
 二人の飲み物を入れているとき、何気なく自分が元居た席のほうに目をやった。月山は相変わらず泣きそうな顔をして、たまに肯いている。園田は笑顔というのか、苦笑いというのか、難しい表情を浮かべて月山に何かを話している。有坂は考えた。今日の用というのは十中八九、月山関連のことであろう。というか、そうでなければ月山が来る意味がない。それは最初からわかっていた。しかし先日見た月山はあんな泣きそうな顔を浮かべる女子には見えなかった。ならば、初めて会った日から今日まで、いや、電話があったのは昨日なので、昨日までに何かがあったと考えるのが妥当だろう。そして、月山自身についてのこと。月山は生徒会に所属していて、どうやら園田とは仲が良いらしい。きっと仲が良かったから、今回の何かを相談して、その相談が自分に回ってきたのだろう、と。そして彼女は今、二年生だ。有坂には思い当たる節があった。月山の交友関係は知らなかったが、このタイミングから考えると、きっとそういうことなのだろう。して、相談の中身とは一体どのようなものなのか。有坂は自分のコップにオレンジジュースを入れると、軽くため息を一つついて、自分の席へと向かっていった。
 席について二人に飲み物をわたし、園田と目を合わせた。園田は有坂のほうを見て軽く肯いた。有坂はそれを合図と解釈し、話を切り出すことにした。
「さて、飯も食って落ち着いたところで、そろそろ今日の用を聞かせてもらおうか。」
 有坂は、あえて園田に向けて言葉を放った。月山の顔色は先ほどより幾分かは良くなっていたが、それでも少し俯き気味だった。
「そうね、でもここに杏奈ちゃんが居るからわかると思うけど、私の用じゃなくて杏奈ちゃんの話を聞いてあげて欲しいの。」
 園田は月山のほうを見ながら言った。有坂にとっては予想ができていた言葉だったので、特に驚く様子も無く月山のほうに向き直った。
「そうか。じゃあ…月山さん、話、聞かせてもらえるかな。」

5.
 月山は話している途中にも何度か泣きそうな顔になり、話が途切れることがあった。その度に園田が声をかけ、有坂はジュースを口に含んだ。話の大筋はこうだった。
 月山と先日自殺した永峰は、小学校の頃からの幼馴染で、いわゆる親友というやつだったそうだ。時間のあうときはいつも一緒に居て、それでいて窮屈さを感じない、そんな関係だった。高校に入ってからは、この二人に加えてもう一人、柊霧音という生徒とも仲良くしていたらしい。三人で一緒に遊んだり、学校から帰ったりしていたそうだ。永峰と柊はバドミントン部に所属しており、月山は生徒会に所属しており、そのため事件のあった日は月山だけ一緒に帰れなかった。そしてそのまま自殺…。しかし月山には納得のいかない点がいくつかあった。まず何より自殺する理由だった。遺書らしきものも見つかってないこと、傍から見れば永山の生活は非常に充実したものだったこと。どこにも自殺する理由が見当たらないという。有坂はそれに対して、うちに秘めた何か悩み事があったんじゃないか、というと、月山は机に身を乗り出すようにして反論した。私と凛は、悩み事を隠すような間柄じゃない、と。そのことに対しては何とでも言えそうだったが、有坂は掘り下げるのをやめておいた。
「突然の自殺か…それで、俺はどうすれば良いんだ?何も話がしたいために俺を呼んだわけでもないだろう。」
 有坂がそういうと、月山ではなく、園田が話し始めた。
「いま聞いたとおり、杏奈ちゃんは永峰さんの自殺について納得していないの。遺書もないから理由もわからない。それでね…一緒に調べてほしいの。」
 園田がいつになく真剣な眼差しで有坂を見据える。有坂は園田の目をまっすぐに見つめていた。
「調べる…自殺の理由をか?だけど俺は永峰さんと接点はないし、力になれそうも無いんだが。」
 有坂は少し困ったように言った。月山のほうを見ると、申し訳なさそうな顔をして目の前のコップを見つめている。
「人当たりは良いんだけどね…人見知りするのよ、この子。だから仲良い子はとことん仲良いんだけど、そうでない子は全然ダメらしくて、ね。」
 園田はそう言うと、笑みを浮かべて月山のほうを見た。月山はそんな園田に苦笑いを返すので精一杯なようだった。園田が改めて有坂のほうに向き直り、コップに入ったコーラを一口飲んだ。
「対照的にって言ったら言い方悪いかもしれないんだけど、永峰さんの方はね、そりゃもう社交的な性格で、いろんな方面に友達がいたらしくて。あんたの居た、陸上部にもね。」
 園田は目を閉じて一息ついて、また喋り始めた。
「もう言わなくてもわかると思うけど、陸上部の女の子に話を聞いて欲しいの。それでどれほどの情報が得られるかはわからないんだけど、話を聞いちゃった以上、何もしないのももやもやするし、ね。」
「そうか、わかった。話を聞くぐらいなら俺にもできるだろう。だけど、何で俺なんだ?園田、陸上部の友達なら他にもいるだろう。」
 話を聞いているうちにジュースを飲み干してしまった有坂は、空になったコップをくるくると回しながら聞いた。
「うん。まあね。でもこれってすごく大事な話じゃない。だからあんたに話したの。」
 有坂は園田の発言を聞いて、よくわからない、という風に首を傾げた。それを見た月山が久しぶりに口を開いた。
「あの、私が園田先輩に相談して、でも二人だけじゃ情報を得られる範囲は限られてるからって、それで園田先輩が頼りになる人がいるって。それで有坂先輩に相談を…」
 それを聞いた有坂は、園田のほうに目をやったが、園田は知らん顔で窓の外を見ていた。こいつはこういうところがある。恥ずかしがって本音を言わない。
「そうか…まあ陸上部は人数が多いからな。俺が受け持とう。ただ、提案と言っちゃなんだが、一ついいかな。」
 有坂は改めて月山の目を見た。顔色はずいぶんと良くなってきたが、心なしか最初に会ったときよりも目の下のクマがひどい。友達の死を経験したのだ。泣きはらしたり、眠れなかったり、食事が喉をとおらなかったり、当然のことなのだろう。有坂はいまだ第三者である感覚が拭いきれないが、目の前にいる中学時代からの友達、そしてその可愛がっている後輩が困っている。手を貸さないという選択肢は無いのだろう。しかし、情報を得るのに陸上部だけで十分なのだろうか。もっと色々な方面から情報を入手できれば、それに越したことは無い。そこまで考えたときに、有坂の脳裏には一人の人物が浮かんでいた。
「はい、なんでしょう」
 月山が不思議そうに聞いてくる。有坂は少しため息をついて、考えたことを口にした。
「この件に役立ちそうな、信頼のおけて頼れるやつがもう一人いるんだ。そいつにも手伝ってもらっていいかな。」

6.
 先ほどの話合いから20分経ったレストランの有坂の席の隣には、岸野が座っていた。軽く自己紹介を済ませて話の筋を伝えた。
「ヒロ、お前はバスケ部所属だった上に、兼部で科学部にも所属していたよな。その二つもそこそこ人数が多い。永峰さんのことを知っている女子もいるだろう。」
 岸野は有坂の今までの話を黙って聞いていた。しかし表情はいつもどおりだった。そしていつもどおりの調子で話し始めた。
「そうだね、陸上部には及ばないけど、バスケ部も人気部だったしね。それに科学部は文化系部でトップの人数を誇る部活だしね。男子も女子も揃い踏みだよ。それで…うん、永峰さんだっけ。実は僕、ちょっとした知り合いなんだ。まあほんとにちょっとしたもので、永峰さんはバドミントン部、僕はバスケ部だから、部活をやっているときに体育館で話すことがあってね。すごく…いい子だったよね。」
 そこまで言い終えた岸野は、一瞬だけ表情を曇らせた。だがすぐにいつもの表情に戻った。
「僕もね、あの子が自殺するなんて、ちょっと変だと思ったんだ。人には言えない悩み、みたいなものを抱えていたのかも知れないけど、完全に隠しきれる人なんかいないから、何らかの行動に出るはずなんだよね。そういうの、なかったんでしょ?」
 月山を見て、岸野はそう尋ねた。月山は力強く頷いた。
「それにしても薫ちゃん、僕にも相談してくれても良かったのに。」
 岸野は皮肉っぽく言った。もちろん岸野に嫉妬というような感情があるわけはない。純粋に話のネタとして言っているのが、表情からも見て取れた。
「だってヒロくんさ、そういう軽いとこあるじゃん。最初に会わすにはちょっと頼りないのよ。ああでも杏奈ちゃん、一応安心して。この人も大丈夫だから。」
 雑談が始まったところで有坂は窓の外に目をやった。道行く人はみんな、暑さにうなだれながら歩いている。もう7月にもなったんだから、この暑さは当然なのだが、梅雨明け宣言もされていないのに、この日の天気は雲ひとつない快晴だった。空はこんなに晴れている。外はとても明るい。そして、広い。なのに、一人の女の子が、心に何らかの闇を抱えて、この世から去っていった。そしてそのことは、また別の女の子の心に闇を生み出した。完全に負の連鎖となっていた。今目の前に居る女の子の心が折れる前に、なんとかしなければいけない。これはきっと、高校三年生にもなってのらりくらりと過ごしていた自分に対する課題なのだろう。有坂は、あまり知らない女の子のことで、頭がいっぱいになっていた。

「それじゃあ一週間後にまた集まって、報告会みたいな形にしようか。」
 レストランを出て別れる前に、有坂がそう提案した。期限を設けることで、ある程度の義務感を出すためだ。
「そうね、じゃあ来週の土曜日の昼十二時、また駅前に集合しましょ。それでいい?」
 園田に聞かれた月山は、頷きながら言った。
「はい、お願いします。私もできるだけ友達に話を聞いてみます。」
「一つお願いしといていいかな。」
 有坂の発言に、月山が不思議そうな顔をした。
「永峰さんのさ、日記とか、手紙とか、そういう本人の気持ちが書かれているようなものがあれば、永峰さんのご両親にお願いして借りてきて欲しいんだ。出来るかな。」
「はい、おじさんやおばさんに一度会ってお話しをしたとき、私と同じように納得がいかない、と言っていました。事情を説明すれば貸してくれると思います。」
 こうして有坂たち四人は、一週間後に報告会をすることを約束し、有坂と岸野は月山と連絡先を交換し、それぞれが家路についた。

7.
 休みが明け、再び学校が始まり、周りはいつもと変わらない空気へと戻っていた。一人の人の死なんてこの程度なのか。有坂は少し落胆しつつ自分の席へと着いた。
 授業中、有坂はどのようにして情報収集をするかを考えた。一口に情報を集めるといっても、そもそも何から聞いていけばいいのだろうか。いきなり、なぜ自殺したかわかるか、などと聞かれても困るだけだろう。また、不信感を抱かれればそれ以上の情報は引き出せなくなってしまう。いかにうまく話してもらうかにかかってくるだろう。有坂は、岸野に相談することにした。
 一日の授業がすべて終わり、有坂は鞄を持って岸野のいるクラスの教室の前に立って待っていた。5分もしないうちに岸野は出てきた。
「やあ成人、どうしたんだ、珍しい。」
 岸野は相変わらずの調子で有坂に近寄った。下校するために廊下を歩いている生徒が多く、色々な話し声が飛び交っていた。
「うん。まあ…ちょっと相談があってな。」
 楽しそうに笑いながら話す三人組が目の前を通った。有坂は無表情でその三人組を目で追った。目で追った先から、また逆方向に歩く二人組が目に入った。こちらも人生を満喫しているような顔で話している。有坂は目を閉じてため息をついた。その様子を見ていた岸野は苦笑いを顔に浮かべた。
「そっか、ちょうどいい。僕も成人に少し相談があったんだ。」
 そうして有坂と岸野は、一緒に下校することにした。
 玄関を出て校門に向かっているところで、校門のあたりに見覚えのある人影を見た。どうやら誰かと一緒にいるようだが、その見覚えのある人影の正体は、月山だった。月山は有坂たちに気付くと、軽く会釈をした。二人はそれに軽く手をあげて答えた。
「やあ月山さん、今から帰るところ?」
 岸野が持ち前の明るさで話しかけた。月山の表情は最後に会ったときよりもだいぶ明るくなったように思えた。
「はい、実はあの日から少し学校を休んでしまっていて…それで、今日は久しぶりの学校だったんです。」
 月山は笑いながら言ったが、その笑顔はまだどこか無理をしているように見えた。しかし、学校に来て友達と話すことで、笑えるまで回復したと思えると、有坂は少し安心した。
「杏奈ちゃん、この人たちは?」
 一緒に居た、月山の友達と思われる人物が月山に聞いた。有坂が受けた第一印象としては、今どきの女子、といった感じだった。よく見ると、左手首にミサンガをいくつかつけていた。
「あ、この人たちはね、さっき話したでしょ。有坂先輩と岸野先輩。」
 その言葉を聞いた女子生徒は、一瞬表情を曇らせた。しかしすぐ先ほどの表情に戻すと、有坂と岸野の方に向き直った。
「どうも。杏奈ちゃんの友達の柊です。あの、凛ちゃんのことについて調べてくれるそうですけど…その…」
 有坂は先日の月山の話を思い出した。月山と永峰と一緒にいた生徒。柊霧音。永峰と同じバドミントン部所属だったはずだ。柊は何かを言いかけたが、口をつぐんでしまった。四人の間に妙な沈黙が流れた。そして柊は再び口を開いた。
「その、やっぱりいいです。杏奈ちゃん、帰ろ。」
 そう言うと、柊は月山の手を引っ張って歩き出した。月山はこけそうになりながらもなんとかついていった。
「ちょっと、霧音ちゃん?すいません、先輩、さようなら。」
 月山はそのまま柊に引っ張られていってしまった。こけて怪我でもしなければいいが。有坂はそんなことを考えていた。
「なんだろ、なんか嫌われちゃったみたいだね。初対面の女の子に。」
 岸野はあくまで飄々と言った。
「さあな、あの子も仲良かった友達が死んでるわけだし、何か思うところがあるんだろう。俺たちにはきっとわからないさ。」
 有坂は岸野の方は見ずに、月山と柊が去っていったほうを見ながらつぶやいた。しばらく見つめたあと、有坂は逆方向を向いて歩き始めた。岸野もそれに従って歩き出した。

8.
 話すことが多いだろうと考えた有坂は、河原で座って話すことを提案した。岸野はそれに応じ、二人で帰り道沿いにある河原に座りこんで話した。結局岸野が相談したかったことも有坂と同じで、どのような方向性で情報を集めるかということだった。そして、その話も結局、まず自分が仲の良かった部員から、永峰の人間性を絡めて話をしていく、という結果に終わった。意外に早く話し合いが終わってしまい、少しの間、川を眺めて、二人して沈黙に陥っていた。有坂がそろそろ帰ろう、と言おうとした矢先、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。二人は音がしたほうに顔を向けた。そこにいたのは、さきほど逆方向に歩いていったはずの柊の姿があった。
「あの…先輩、少しいいですか。」
 そう言う柊の顔は無表情だった。普段なら丁重にお断りして帰っていたところだろう。しかし今は、状況が普段とは違う。何か話しておくべきことがあるかもしれない。有坂は岸野のほうを見ると、岸野も同じように有坂のほうを見ていた。有坂は岸野も同じ判断をしたと考えた。
「柊さん…だよね。わざわざこっちに来るぐらいなんだから、何か大切な話なんだよね。」
 ここを流れる川は、それほど流れが急というわけでもないので、あまり流れる音は聞こえない。車もあまり通らないので、とても静かだ。休日になると、散歩をしに来る人が少なくは無い。平日の、学校が終わったあたりのこの時間帯だと、近くの道を歩く小学生たちのにぎやかな声が聞こえたりもする。しかし今は、何もない。とても静かだった。歩いている人は少数いたが、このあたりには三人しかいないような静けさが漂っていた。
 有坂がそう聞いたあと、少し間をおいて柊は頷いた。そして有坂と岸野の顔を交互に見やると、睨むような目つきで話し始めた。
「杏奈ちゃんから聞きました。凛ちゃんのことを調べてくれるって…たしかに凛ちゃんの自殺は少しおかしな点が多いです。でも…やめてもらえませんか。」
 有坂は驚いた。岸野の顔を見ると、いつもの飄々とした表情は消えて、真顔になっていた。二人ともがしばらく何も言えずに黙っていると、再び柊が口を開いた。
「その…気持ちはありがたいんですけど…やっぱりそういうのって、人の死を引っ掻き回すみたいで、私はあまりいい気分じゃないです。私も、杏奈ちゃんも、ようやく凛ちゃんの死を受け入れられて、立ち直れそうなんです。だから…」
 そこまで言うと、柊は口をつぐんだ。柊が話す間、有坂は柊の左手首についたミサンガを見ていた。先ほどとは違ってじっくり見ていたので、三つ着けていることがわかった。一つは、赤と白を組み合わせたもの。もう一つは、青と黄色を組み合わせたもの。最後の一つは、緑とオレンジを組み合わせたものだった。一つ一つにどのような願い事をこめたのかは、本人しかわからないことだが、どれもしっかりと結んである。
「やめてって…でも、月山さんから頼まれたことだし、何より月山さんが真相を知りたがってるんだ。それに俺たちはその月山さんからの頼みを引き受けた。だから」
 有坂が戸惑いながら反論していると、言葉の途中で柊が割って入った。
「杏奈ちゃんは!」
 有坂はまた驚いた。思わず一歩引いてしまいそうになるくらいの気迫だった。岸野は相変わらず無表情で柊を見ている。いや、観察しているともいえるような雰囲気だった。
「杏奈ちゃんは、凛ちゃんという存在にすがりつきたいだけなんです。そういうのってダメだと思うんです。早く…早く忘れないと…」
 柊は俯きながら震えていた。俯いているので表情は伺えないが、おそらく今にも泣き出しそうな顔をしているのだろう。月山のように知りたがる人もいれば、柊のようにそっとしておきたい人もいる。だが、自分たちは月山の頼みを引き受けた。今更やめるわけにはいかない。それを伝えようとすると、今まで押し黙っていた岸野が口を開いた。
「柊さん、さっき成人が言ったように、僕達は月山さんの頼みを引き受けたんだ。一度引き受けてしまった以上、やっぱり止めるなんていうのは人としてダメだと思わないかい。それに、僕自身も少なからず永峰さんとは交流があったからね。個人的問題でもあるんだ。わかったら今日はもう帰ってくれないか。」
 岸野の話し方はいつもの飄々とした風、というより優しさが感じられた。しかし、最後の一言には厳しさしか感じられなかった。何か、岸野にも思うところがあるのだろう。有坂は黙って様子を見守った。
 時間にして一分もたっていないのだろうが、この沈黙は非常に長く感じられた。あまりに静か過ぎて、次第にほとんど聞こえないはずの川の流れの音が聞こえてきた。岸野は無表情で柊を見ている。柊は俯いている。有坂はどうしていいのかわからず、うろたえていた。
「…失礼します。」
 突然、柊が俯いたままそう言葉を発した。そして言い終わるや否や、有坂と岸野に背を向けて、足早に歩き出した。有坂は何も言えずに、その後姿を見送った。
 しばらく立ち尽くしていた二人だったが、おもむろに岸野がそっと呟いた。
「妙だな。」
 有坂は岸野の顔を見た。さきほどの無表情とは違い、なにか思案している顔になっていた。岸野のその珍しい表情は、有坂に驚きを与えるには十分だった。
「…何がだ。」
 驚きつつも、搾り出すようにして有坂は岸野に聞いた。
「いや、なんでもない。」
 岸野はそのまま歩き出してしまった。有坂は慌てて後を追いかけて、そのまま帰路につくことになった。
 その後結局二人は無言で歩き続け、それぞれが自宅に到着した。有坂は自室にこもって、今日起きたことを思い返していた。柊の言っていたこと。俺が柊や月山の立場なら、どちらの行動をとるのだろうか。どちらの行動も、大切な友達が突然自殺したとするなら自然な行動なのかもしれない。友達の死をすんなりとは受け入れられず、理由を求める月山。死んだ人は死んだ人として潔く離れて、ひたすら生きる柊。有坂にはどちらが正しいなどと言えるはずもなかったし、きっと正解はないのだろうと思った。自分たちは、月山を手伝うと決めたのだが、月山を手伝えば柊が嫌な思いをする。しかし、柊を気遣って止めてしまえば、月山の心の闇は払えないままだ。見事な板ばさみ状態だった。しかし有坂に、どちらも納得できるようなうまい案がうかぶこともなく、考え込むうちに眠りに落ちてしまっていた。

9.
 翌日、学校に到着し、教室に入った有坂は、その時教室にいた全員の視線を浴びた。有坂は思わず扉のところで立ち止まった。何人かのクラスメイトは有坂の机の周りに集まっている。
「お、おはようみんな、俺、なんか変か?」
 有坂はぎこちない笑顔をうかべて挨拶をした。しかしクラスメイトたちは一様に悲しい顔を有坂のほうに向けている。ようやくクラスメイトの一人が有坂に向かって言葉を発した。
「お前、大丈夫か?」
「な、何がだよ。いつもどおりじゃないか。」
「これ、見てみろよ。」
 そのクラスメイトがそう言いながら、有坂の机に視線を落とした。有坂は足早に近づいて、机を確認した。驚いた。机の上は泥が塗りたくられたようになっている。有坂は慌てて机の中に入っていた教科書などを確かめた。どれも無くなってはいなかった。無くなってはいなかったが、どれも、水浸しだった。
「おい…誰だよこれやったの…」
 有坂の声は震えていた。有坂のあとに教室に入ってきたクラスメイトに誰かが小声で事情を説明しているような声が聞こえてきた。自分は今までいじめとは無関係だった。というか、この学校でいじめがあるなんて思ってもいなかった。有坂は思い当たる節をあたった。そういえば、一週間か二週間ほど前に他クラスの男子生徒ともめたことがあった。その原因は、その男子生徒の彼女である女子生徒をじろじろ見ていた、などと事実無根の言いがかりをつけられたためである。有坂はそのときその男子生徒に喧嘩を売られたのだが、逆に有坂が一方的に追い詰めてしまい、あわや殴りあいというところで、そう、岸野と園田に止められたのだ。あの男なら、恥をかかされた、なんていうくだらない理由で嫌がらせをしてくることも考えられる。
「俺と会長が最初に教室に入ったんだけどさ、鍵が開いてたんだ。昨日誰かが閉め忘れたのかな、なんて言いながら教室に入ったら、こうなってたんだ。」
 先ほどのクラスメイトが状況を説明してくれた。会長が絡んでいるならこのクラスメイトが嘘をついているなんてことはないだろう。有坂は会長とは放課後にも何度か遊ぶほどの仲だったからだ。会長は今この件を担任の報告しに行っているため、ここにはいないらしい。そもそも、有坂にクラスメイトを疑うという選択肢は無かったのだが。
「そうか…先生に見せてから片付けたほうがいいのかな。それにしても教科書どうしよう…」

 その後、担任の先生が来て、一通り事情を説明したあと、机を一緒にきれいにしてくれた。教科書などは濡れて使い物にならなかったので、しばらくは隣の席の生徒が見せてくれることになった。もちろんそういった事情を各教科の担当に、担任から説明してくれたので、授業中面倒なことにはならなかった。有坂は、例の他クラスの男子生徒に対して憤っていた。しかし、ここで怒りに任せて詰め寄っても、相手の思う壺だったらどうする。それは非常に面白くない。有坂は、あえて何も無かったように振舞うことにした。
 授業が終わり、有坂は今日もとりあえず帰ることにした。クラスメイトから気遣って声をかけられたりしたが、有坂は先ほどとは違って自然な笑顔でそれに答えた。
 教室を出ると、岸野と園田がいた。二人ともどこか暗い表情をしている。有坂は、もう自分の話が知れ渡ってるのかと思った。しかし、二人からは意外なことが告げられた。
「成人もだってね。嫌がらせ。僕ら二人も受けたんだよ。」

10.
 岸野と園田によれば、同じように机に泥のようなものが塗りたくられていて、机の中は水浸しだったという。幸い園田は教科書は毎回持ってかえるという、真面目な一面を持っていたため、その被害は受けなかったらしい。岸野にいたっては筆箱まで置いていたらしいから、被害はきっと有坂を超えていたのだろう。有坂は心当たりを説明した。園田は忘れていたが、岸野は覚えていたらしい。
「ああ、あの貧弱な不良くんね。思い出すだけで笑えちゃうよあいつ。」
 どうやら岸野は最初から見ていたが、喧嘩を売っておきながら追い詰められるさまを見て楽しんでいたらしい。岸野のそういったところは見直してほしいと有坂は思った。
「今になってようやく仕返しをしてきたのね。ずいぶんと時間がかかるじゃない。」
 園田はもっともなことをいった。確かに、事が起きたのは一週間以上前だった。
「貧弱不良くんのことだ、行動を起こすのにすごい勇気がいったんだろう。やばい、びくびくしながらやってるのを想像すると笑えちゃうよ。」
 岸野はなぜかとても楽しんでいるようだった。有坂と園田はあきれた顔をして岸野を見ていた。通りすがった小学生も同じように楽しそうにはしゃいでいた。どう見ても、同じような楽しそうな顔をしていた。
「ところで、何か情報収集はできたか。」
 有坂は話を変えた。もうこの話は特に重要ではないと踏んだからだ。岸野と園田も同じように考えていたのか、すぐに話題の変更についてきた。
「いや、今日バスケ部のほうに顔を出そうと思ったんだけど、あのことがあったしね。」
「私は杏奈ちゃんと生徒会あたってみたけど特に何も無いわ。私顔広くないのよね…ま、だからあんた達に手伝ってもらってるんだけど。」
「そうか、まあ、情報収集のほうは、俺とヒロに任せてもらおう。園田には…月山さんのケアをしてもらおう。」
 有坂は、月山と仲の良い園田が月山の、簡単に言えば話し相手になるのが良いと考えた。話せばある程度人の心は軽くなるものだ。ならその話し相手は仲の良い人間の方が良いに決まっている。
「そうね…しっかり頼むわよ。」
 そんな会話をしながら三人は別れて、それぞれが家に帰った。

11.
 次の日学校に着いた有坂は、また嫌がらせをされているのではないだろうか、と内心不安だった。教室に入ると、昨日のことがあったせいか、またクラスメイトの視線を浴びたが、昨日ほどではなく、自分の机も今日は何事もなかった。平穏が返ってきた。有坂はそう考えていた。そして、一日が滞りなく進んだ。
 この日有坂は、陸上部に顔を出すことにしていた。授業が終わると、いつものように帰り支度をして、そのまま校門ではなく、グラウンドの方へと歩いていった。
「先輩!どうしたんですか。」
 陸上部の活動場所に着くと、有坂は早速声をかけられた。すでに三年生は引退して、二年生が中心となり部活をしているのだが、現在の陸上部キャプテンの二年生が声をかけてきたのだった。
「ああ、ちょっと用事があってな。とりあえずしばらく練習を見せてもらうよ。最近調子はどうだ?」
 有坂はしばらくキャプテンと雑談をしていた。その間に来る部員はみんな丁寧に有坂に挨拶をしていく。有坂は、後輩に対しても優しい態度を取っていたので、三年生部員の中では割と人望のあるほうだった。
 練習を眺めていると、軽く休憩を取りにきた女子部員数人が話しかけてきた。
「先輩、今日は突然どうしたんですか。」
 有坂はその数人が、部活をやってたころそれなりに仲の良かった部員だと確認すると、軽く事情を説明して、情報収集を始めた。
「…それで、永峰凜、っていう子、知ってるだろ。」
「はい、私たち同じクラスでそれなりに仲良くしてましたから。」
 そう答える女子部員の顔は浮かないものだった。クラスで仲良くしていた生徒が自殺したのだ。暗くならないほうがおかしいというものだろう。
「じゃあ、何か言ってなかったか?悩みがある、だとか、何でもいい。」
「そうですね…本当に明るい子で、悩みなんか無いんじゃないかってぐらいいつも楽しそうにしてましたからね。あの子。」
 女子部員は考えるように有坂の頭上あたりを見ながら答えた。
「あ、でもなんか、一度だけ呟くみたいに、面倒だなあの子、みたいなこと言ってました。」
「面倒?あの子って誰のことだ。」
 有坂は意外な話が出てきて思わず被せ気味に聞いてしまった。
「私も、あの子って誰よ、って聞いたんですけどね、なんでもないなんでもない、って。それ以来そういう言葉も聞いてないし、別になんともないと思いますけどね。あ、それじゃあ私達そろそろ戻りますね。」
「あ、ああ、ありがとう。練習がんばれよ。」
 そう言うと、女子部員達は足早に戻っていった。有坂はその後姿を見ながら考えていた。「面倒だなあの子」という言葉。いったい誰に対しての言葉なのか。しかし、有坂はその言葉が自殺に繋がっているとは思えなかった。ある特定の人と関わりあうのが面倒で自殺などするのだろうか。さすがに、自殺をする動機としては弱すぎる。それに、誰かを一瞬だけ面倒に思うことなんて誰にでもある。自分だって岸野のことを面倒に思うことはある。というか、大半は面倒に思う。これは大した収穫ではないな、と有坂は少し肩を落とした。
 その後有坂は、部員がみんな真剣に練習をしていたので、邪魔をしては悪いと思い、帰ることにした。多分明日もまた来る、そうキャプテンに告げて、有坂は学校から出て行った。

12.
 翌日も、嫌がらせはなく、一日を無事に終えて、陸上部の練習するグラウンドに向かっていた。すると玄関を出たところで、柊が外にいるのを見つけた。有坂は声をかけるべきか迷った。前回のやり取りがあのようになってしまっただけあって、少し気まずい感じがした。しかし、せっかく知り合ったのだし、永峰と仲が良かった生徒の一人なので話を聞くことになるかもしれない、そう考えると声をかけたほうがいいだろう、有坂はそう判断して、声をかけようとした。有坂が声をかける直前に、柊は有坂の存在に気がついた。しかし柊は声をかける事はせずに、表情を曇らせて、逃げるように走り去っていってしまった。有坂はがっかりした。柊から話を聞けるということはもうないだろう、そう思ったからだ。
 有坂は肩を落としながらも、陸上部の活動場所へと向かった。まだ何人か話が聞ける生徒がいるかもしれない。少しの期待を抱きつつ、昨日と同じように練習を眺めていた。ちょうど近くに女子部員が来たので、話を聞くことにした。

 何人かに話を聞いたが、目新しい情報はなかった。どの生徒も同じように、明るかった、悩みがなさそうだった、と言っていた。ますます自殺の理由がわからなくなる。それとも、自殺をするのに悩みなど関係ないのだろうか。有坂は戸惑っていた。
 今日の収穫は無かったことにして、有坂は帰ることにした。やはり、自分のような一男子高校生ごときでは、人の死の真相に近づくことなど無理なのだろうか。そんなネガティブな考えが頭をよぎった。しかし同時に、泣き出しそうな顔の月山が浮かんできた。もし自分が動かなかったら、あの女の子はどうなるのだろうか。心に闇を抱えたまま生きろ、というのは酷な話である。それならば、自分にできることをして、困っている人に手を差し伸べるのが道理だ。有坂はネガティブな気持ちを振り切り、考え直すことにした。
 有坂が一人で歩く道は、以前岸野と話し合った川の近くだった。少し時間帯がずれたため、元気な小学生は見受けられない。しかし、周辺の住民が犬を散歩に連れてきている姿が、ちらほらと目に入る。有坂はそんな様子を目の端で捉えながら、さきほどのことを思い出していた。
 有坂の姿を見ると、逃げ出した柊。あの時はただ嫌われてしまっただけと考えていたが、本当にそうなのだろうか。人の姿を見るだけで逃げ出してしまうパターンを、有坂はいくつか考えてみた。最初に考えた、嫌いな人を見つけた場合。例えば、こちらだけが気づいていて、相手側が気づいていないのなら、避けて動く、なんてことはあるのかもしれないが、相手と目が合って逃げる、というのはお互い相当いがみ合ってないと無理な話である。さすがにそこまでではない。有坂は思った。次に、相手がとんでもなく怖い人間だった場合。そういう場合なら、誰だって間違いなく逃げるのだろうが、あいにく有坂の容姿はいたって普通で、怖いという感情からはかけ離れている。有坂はそう信じた。他には、やましいことがある場合。といっても、有坂と柊は出会って間もないので、やましいことをされる暇もなかったはずである。この点も却下となった。最後に考えついたのが、相手に知られたくないことがある。言葉を交わして余計な粗を晒してしまうよりも、いっそのこと避けたほうが安全である。柊は何か、隠しているのではないか。何か知っているのではないか。永峰が自殺した理由について。
 ここまで考えて、有坂は自分がいつの間にか家の前まで帰ってきてることに気がついた。玄関には鍵がかかっていた。鍵をあけて中に入ると、案の定留守だった。有坂はそのまま自室に向かって、階段を上った。部屋に入り、かばんを机に置いて、ベッドに横になった。
 柊は何かを知っているのか。永峰の自殺の理由となった何かについて。例えば、女性なら暴行されて、それを誰にも告げられずに、そしてそれを苦にしての自殺、なんてことは少なくないと、どこかで聞いた。仮に、それが永峰に起こっていたとしたら、柊が話したがらないのもよくわかる。しかしそんなことがこんな身近で起きるのか。有坂には実感がわかなかった。他に考え付く理由は、恋愛沙汰である。好きな人がいて、その人にひどい振られ方をした。それで自殺。有坂はわからなかった。そんなことあるのだろうか。いくらなんでも青春に命を懸けすぎな気がする。そもそも前者にしても後者にしても、月山には何の相談も無かったのだろうか。月山は知らないのに、柊が知っている。有坂は違和感を感じた。月山の話によれば、二人は親友で付き合いも長い。柊とは高校に入ってからの付き合いだという。有坂は、自分なら月山に話すだろうと思った。付き合いの長いほうが、何より信頼がおける。ただし、長い付き合いの中で、相手を信頼するに足ると判断した場合だけなのだが。
 そんなことを考えているうちに、月山と永峰の関係が変に思えてきた。もはや二人の関係については、月山からしか話を聞けない。完全に月山の主観で語られることになる。かといって、二人が親友だった、ということを疑い始めるのも何か違う気がした。結局有坂は、考えることに疲れてそのまま眠りについてしまった。

13.
 翌日学校に行った有坂に、嫌な知らせが待っていた。教室の扉を開けると、クラスメイトの視線が突き刺さる。有坂は、よくいうデジャヴというものを感じた。しかしこのデジャヴは、気のせいではなく、確かにあった事実と似た光景が広がっているだけであった。クラスメイトは何も言わない。しかし、有坂は何が起きているのか予想ができた。無言で机に向かうと、やはり泥が塗りたくられていた。またか。二回目は無い。犯人は特定できている。有坂は犯人と思い込んでいる男子生徒のところへ行こうとした。しかし、机の引き出しから、見覚えの無い紙が少しだけ見えていることに気がついた。有坂はその紙を少し乱暴に取り出した。そこには殴り書きのような文字でこう書かれていた。
「嗅ぎまわるな。やめろ。」
 有坂は心臓をつかまれるような感じがした。有坂は、「嗅ぎまわ」っていることに心当たりがあったからだ。永峰のことだった。犯人はいったい誰だ。月山か、柊か。しかし、月山であるはずがない。仮に月山が犯人だったとしたら、明らかな矛盾を生むからだ。ならば柊はどうだろう。確かに、柊は、自分たちにやめるよう言ってきたことがある。しかも、柊との関係は良好とは言えなかった。しかしだからといって、あの今どきの女の子みたいな柊が、こんなことをできるのか。そもそも、本当に止めさせたいなら直接言えばいい。一度会話を交わしているのだから、何も不自然なことはない。それに、犯人の候補を二人に絞るのもおかしな話な気がしてきた。陸上部の部員から、有坂が話を聞きまわっているという情報が他の生徒に流れてもおかしくはない。その中に、有坂たちの行為を不愉快に思う生徒がいたなら。ならば、犯人の候補はいくらでも出てくるのではないか。
 その後は、以前と同じように生徒会長が担任を連れてきて、一緒に片づけをした。担任は、有坂に対して
「何かあったら相談しろ。俺はお前の担任なんだから。」
 という、男らしい台詞を投げかけた。有坂はそれが少し嬉しかったが、今の話を先生に頼る気にはなれなかったので、礼だけは言っておいた。
 
 昼休み、有坂は岸野と園田を呼び出した。案の定、二人も嫌がらせを受けたらしい。そして、犯人が礼の男子生徒ではないということも、二人は考えていた。犯人の候補をしぼることができない、という点については、有坂と岸野の意見は一致していた。園田はというと、二度にわたる嫌がらせを受けて、相当なショックを受けているようだった。お互いの意見が一致することを確認した有坂と岸野は、その後園田を宥めることに専念した。
 一日の授業が終わり、有坂は帰るために玄関を出て校門に向かって歩いていた。
「先輩!」
 有坂は、後ろから聞き覚えのある声で呼ばれるのを聞いた。振り向くと、そこには月山がいた。
「あの…嫌がらせを…受けたそうで…」
 どこから知ったのか、月山は嫌がらせのことを訪ねた。この様子だと、どうやら理由も知っているようだ。そう有坂は感じた。
「えっと、ああ。もう情報が回ってるのか。すごいな、集団生活っていうのは。」
 有坂はできるだけ明るく振舞った。ぎこちない笑顔を浮かべて月山の様子を伺った。
「園田先輩にちょうど出会って、それで聞きました。その…すいません、私のわがままのせいで。」
 月山は、有坂の予想通りに謝った。有坂にしてみれば、自分で起こした行動が招いた結果なので、誰かのせいにしようとは思わなかった。
「いや、月山さんのせいじゃないよ。確かに、月山さんに頼まれてしたことだけど、するって決めたのは俺たちだ。犯人以外に責任があるとするなら、俺たち自身になるんだと思う。」
 有坂は、思ったことを正直に言った。そして、月山の様子を伺った。月山の表情はさきほどよりかは幾分明るくなったように見える。
「そう言ってもらえると…えっと、それで、それでもまだ、私のこと、手伝ってくれますか?」
 月山は申し訳なさそうに聞いた。有坂は、月山の背中を軽く叩きながらいった。
「任せてよ。一回やり始めたら止まらない性格なんだ。」
 月山はそれを聞いて、嬉しそうに微笑んだ。有坂はその笑顔を見て、すこし照れてしまった。
「ありがとうございます。じゃあ、あの凜のおじさんたちから、借りれたものがあるので、明日持って行きますね。それではまた。」
 月山はそう言うと、校舎のほうへと戻っていった。有坂はその後姿を見送り、再び校門のほうへと歩き出した。そういえば明日、報告会するんだっけ。そんなことを考えながら。

14.
 休日の朝、いつもより早く起きた有坂は、のんびりとテレビを眺めていた。普段見ない朝の情報番組では、最近人気のアイドルが、今話題になっている喫茶店で、人気のメニューを食べて感想を言っている。当たり障りの無いことを言って、映像はスタジオに戻る。そして、ゲストという形で、人気俳優が出てきて、近く公開される映画の宣伝をしていた。特に興味を持てなかった有坂は、テレビのチャンネルを適当に変えていた。しかしどのチャンネルも有坂の興味を引く番組を放送していなかった。有坂はテレビの電源を切って、自室にあるパソコンの前に座った。インターネットでニュースサイトを見てみたり、SNSサイトを見てみたりしていた。特に気になる情報もなかったが、有坂にとってはいい時間つぶしとなった。気づけば昼前になっていたので、有坂は準備をして家を出た。
 以前と同じように、有坂は十二時の約十分ほど前に駅前についていた。しばらくすると、園田と月山がやってきた。
「おはよう、相変わらず早いのね。」
 園田はいつもの園田に戻っていた。かといって、有坂は今は何もつっこまないことにした。
「おはよう。予定の無い暇人はいつでも出てこれるんだよ。」
 駅前に設置されている時計を見ると、十二時になろうとしているところだった。視線を落とすと、ようやく岸野が現れるのが見えた。
「いやあ、ごめんごめん。みんながこんなに早く来るとは思ってなかったから。」
 月山は岸野に対して会釈をしながら挨拶をしていたが、有坂と園田は岸野に対して軽く手を挙げるだけで、特に反応をみせることはなかった。
「じゃ、みんな集まったことだし行きましょうか。」
 園田の一言により、四人は移動を開始した。

 以前と同じレストランに入った四人は、以前とは違う席についた。前回と同じようにそれぞれが食べ物とドリンクバーを注文し、先に食事を終えてしまった。一週間前とは違い、月山は注文した料理をしっかりと食べきっていた。二週間弱の時間が経っていたので、精神状態も回復したのだろう。空いた食器を店員が持っていったところで、四人は本題にはいることにした。
「それじゃあまず、それぞれがどんなことを聞いたかっていう話をしていこうか。」
 有坂がそう提案すると、月山と園田は気まずそうな顔をした。
「ごめんなさい…その、私友達が少なくて、友達に色々聞いてみようと思ったんですが、友達の知ってることはだいたい私の知ってることで、新しい話っていうのがなかったんです。ほんとにすみません。」
 月山はそう言うと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「私もね、部活やってなくて生徒会だけだったからね、後輩に知り合いがいないのよね。杏奈ちゃんと一緒に生徒会の子当たってみたけどね…ダメだったのよ。」
 園田も収穫が無かったことを報告した。有坂も得た情報は少なかったので、文句を言える立場ではなかったし、そもそも文句を言う気もなかった。
「そうか、わかった。仕方ないよな。俺もほとんど役に立ちそうな情報はなかったよ。」
 有坂はそう前置きをして、自分の得た情報について話し始めた。といっても、得た情報といえば一つだけだったし、それが役に立つかもわからない。「面倒だなあの子」という発言。しかし、有坂にはやはりこの発言が意味を持つように思えなかった。それに加えて、柊の話も一応しておくことにした。調べるのを止めてきたこと。その後出会ったとき、姿を見ただけで逃げられたこと。
「霧音ちゃんが…そうですか。私とは少し考え方が違うんですかね。逃げたっていうのも、きっと気まずかったんでしょう。あの、嫌がらせのことを霧音ちゃんに話したら、すごく心配していました。」
 嫌がらせ、という言葉を聞いて、園田の顔は少し曇ったように見えた。
「解決したら、改めて柊さんには謝らないとな。それでヒロ、お前はどうなんだ。」
 話を振られた岸野は、得意げに咳払いをすると、話始めた。
「僕はね、バスケ部と科学部に顔を出してきたんだ。ああ、知ってるから、みたいな顔しないでよ成人。それで、二年生の女の子には大体話を聞いたんだけどね。…結論から言うと、僕もそんなたくさんいい情報は手に入らなかったよ。でもね、あるのはあるんだ。て言っても、月山さんはもう知ってるかもしれないけどね。バスケ部の女の子の中でも、やっぱり永峰さんと友達だっていう子は多かったよ。それでね、どうやら最近、好きな人ができてたみたいなんだ。」
 岸野はそこで一息ついて、ジュースを一口飲んだ。有坂が見ると、意外なことに月山が少し驚いた顔をしていた。
「それもどうやら、永峰さんは友達と同じ人を好きになったって言う話なんだよ。でも、あんなやつに負けられるかって意気込んでたらしいんだ。あんなやつ、ってのが誰かまではわからなかったけど。」
 月山は依然として驚いた顔をしている。まるで、知らなかった、とでも言うように。

15.
 その後、月山が借りてきたという、永峰の日記を四人で読んだ。日記を見る、という行為はその人のプライベートの一番深い部分に入り込んでいく気がして、あまりいい気がしない、と有坂は思ったが、読まないことには話が進まないので、渋々一緒に読むことにした。
 日記は、自殺する前日の日付で終わっていた。内容としては、他愛無いことばかりが書かれていた。今日は誰と遊んだ、学校の授業で寝てしまった、部活でミスをした、晩御飯がおいしかった。普通の女の子が、普通の生活の中で、普通に感じそうなことばかりが書かれていた。また、岸野が聞いたという好きな人の話も書かれていた。日記からも収穫無しか、そう思ったとき、ある日の文面が有坂の目にとまった。全体としては他の日と同じように、その日あったなんでもないようなことを書いてあった。しかし、有坂はある言葉に目をつけた。
 文の中に、「毎日ほんと面倒くさいよあいつ。」という一文があった。めんどくさい。この言葉が有坂は気になった。「面倒だなあの子」。この言葉は、例えばクラスの誰かの行動を見てふと発した言葉だと思っていたが、日記にまで書かれていた。ということは、やはり人間関係になんらかの難があったのか。
「どうしたの、成人。難しい顔して。」
 岸野が顔を覗き込んできた。有坂は感じたことを三人に説明した。三人は黙って聞いていたが、話が終わると、月山が呟くように言葉を発した。
「知らなかった、です。」
 有坂と岸野と園田の三人は、月山のほうを見た。いつか見たように、コップに目を落としている。
「私は、凜と小学校の頃からずっと一緒で、お互いに知らないことはないと思ってました。実際私は、なんでもないことから悩みまで、いろんなことを凜に話してました。それで、私は、当たり前みたいに凜もそうしてくれてると思ってました。でも…人間関係の悩みならまだしも、好きな人がいるなんて、そんなことも私は知りませんでした。私は、何も…」
 そう言うと、月山の顔から何かが落ちた。どうやら泣いているようだった。月山以外の三人はただ黙っていた。しかしその中で有坂は、大げさだと思った。たしかに、長い付き合いの友達なら、お互いのことをよく知っていると思ってしまうのもわからなくはない。有坂自身も、岸野や園田に対して、他の友達よりはよく知っていると思っている。しかし、長い付き合いだからこそ言わないこともある。長い付き合いだからこそ、恥ずかしくなってしまうようなこともある。それを少し言わなかっただけで、泣き出すものなのだろうか。もしかしたら、それが男と女の違いなのかもしれない。何にせよ、有坂には涙の理由が理解できなかった。

 その後、月山が泣き止むのを待って、四人は解散することにした。泣き止みはしたが落ち着かない月山を園田が送っていくことにして、有坂と岸野はそれぞれ自宅に帰っていった。有坂は自宅に着くと、一度休憩をとったあと、今日のことを自分なりにまとめることにした。
 まず、永峰の言う、面倒なあの子のことだ。日記の中のあの文から、どうやらその場のふとした感情だけで発した言葉ではなく、日常的にめんどくさいと思っていた、という可能性が高まった。誰かが永峰と揉めていたのか。人間関係のもつれだ。それが鬱の発祥へとつながり、自殺を招いた。これは一つの可能性として十分ありそうだった。そして、もう一つの原因となりそうなのが、岸野の得た情報だった。好きな人ができた。さらに、その恋愛にはライバルがいたようだった。有坂は、なんとなくそのライバルと、面倒なあの子が同一人物である気がした。以前考えたように、好きな人にひどい振られ方をし、それが自殺に繋がる。ありえない話ではない。しかし、日記には振られたことなどは書かれていなかった。つまり、その線が自殺の原因である可能性はかなり低いと見ていいだろう。
 結局はたいしたことはわからなかった。むしろ、謎が増えた。月山のことである。園田の女性の意見を聞きたいところであったが、あの場面で泣いたのは、有坂にとってはいまだに理解ができないことであった。好きな人がいたことを知らなかっただけで、泣いたりするのか。そういった話を聞いていなくてショックを受ける、ということならわかるが、月山は泣いていた。もしかしたら、感受性が有坂の倍以上高いのかもしれない。または、永峰の自殺で心が弱っているとも考えられた。涙の理由は本人しかわからない。もしかすると、考えている以上に何か特別な理由があるのかもしれない。そう思っていると、携帯電話が鳴った。月山からのメールだった。どうやら有坂だけでなく、園田と岸野にも一斉送信されているようだった。メールにはこう書かれていた。
『こんばんわ、今日はありがとうございました。そして、いきなり泣いたりしてすいませんでした。もう大丈夫です。それより、少し驚いたことがあって、メールをさせてもらっています。日記帳のことなんですが、家に帰った後もう一度読み直してみたところ、こんなことが書いてありました。「私はあの子のお守りじゃないっての。部活まで同じにしてくるし、いい迷惑。あんなやつにあの人取られてたまるか。」私としては、凜がこんなことを言うのがまず驚きなんですが、この文で指されてる人って、もしかしたら霧音ちゃんかもしれません。なんとなくですけど…そういえば霧音ちゃんも、好きな人ができて、ライバルがいるって、話してた気がします。あと、霧音ちゃんのことで、大切なことを忘れていました。霧音ちゃんは、凜の自殺を目撃してます。」

16.
 月曜日、学校に向かっていた有坂は、土曜日の夜のことを思い出していた。月山のメールのこと。もしかしたら、永峰が柊を疎ましく思っていたかもしれないこと。そして、柊が永峰の自殺を目撃していたこと。あのメールを読んだ後、有坂はすぐに月山に電話をかけて、月曜日の放課後に柊と話せるようにしてくれと頼んだ。月山は、学校でなんとか話してみます、と答えた。
 校門を通り、下駄箱についた有坂は、自分の靴いれのところに紙が一枚入っているのを見つけた。いつか見たような殴り書きで、こう書かれていた。
「これで最後だ。もう止めろ。」
 有坂は紙を丸めて近くにあったゴミ箱に捨てた。最後通告のつもりだろうが、止める気はない。有坂は、もうすぐで真実にたどり着ける気がしていた。柊は何かを知っていて、しかし月山に知らせるには残酷な内容だったため、隠した。有坂はそんな推理を立てた。一つの事件を解決する、そんな満足感に浸っていた。靴を履き替えようと、ふと足元をみると、大き目の糸きれのようなものが落ちていた。赤と白の糸が混ざっていた。家庭科の授業か何かで出た糸くずのごみなのだろうが、上機嫌になっていた有坂は、その糸くずもついでに捨てておくことにした。事件も解決して、学校の清掃にも役立った。有坂は新たな満足感を得ていた。
 念のために昼休みに確認すると、岸野と園田にも同じ紙が届いていたらしい。園田はまたショックを受けた顔をしていた。しかし有坂は気にしなかった。人の死が絡んでいるので、不謹慎だと思われるかもしれないが、もうすぐ解決する、そんな気がしてかなり興奮していたからだ。授業中も、どうにも落ち着かなかった。一日の授業が終わるのを、何ヶ月かぶりに楽しみにしていた。
 放課後になり、岸野と園田と合流した二人は、月山の所属するクラスへと向かっていった。柊の話を聞くためだ。昼休みに月山から連絡があり、しつこくお願いしたら、柊がしぶしぶ承諾してくれた、とのことだった。有坂の胸は高鳴っていた。陸上の長距離でゴールするときの間隔に似ていた。一つの目標を成し遂げる。いい気持ちだった。
 教室の前で待っていると、月山が出てきた。話によると、別の教室で話をするらしい。確かに放課後といっても、何をするでもなく残っている生徒は少なくない。あまりみんなに聞かせるような話でもないので、それに承諾し、月山についていくことにした。
 着いた教室は、音楽室の隣にある、なぜか施錠のされていない、今は使われていない教室だった。扉を開けると、すでに柊はいた。柊は四人の姿を確認すると、気まずそうに頭を下げた。
「まだ…調べてたんですね。」
 柊は開口一番にそう言った。もっともな発言だった。柊は一度止めるように有坂たちに言ってきている。その柊に話を聞こうというのだから、文句の一つも言われて当然だった。
「ごめん、やっぱり頼みを引き受けた以上はね。それに、俺たちも真実を知りたい。」
 有坂は真っ直ぐに柊を見て言った。
「いいんです。それで、聞きたいことって何ですか。私、部活あるんで早くしてくださいね。」
 柊は無愛想に言った。部活が無くても、きっと早く終わらせたがったのだろう。もしかしたら本当は部活などないのかもしれない。しかし、構っていられなかった。有坂だって早く話が聞きたいと思っていた。
「すぐ終わらせる。柊さん。君は、永峰さんの自殺を目撃したそうだね。」
 有坂がそう言い終わらないうちに、柊は大きな音を立てて立ち上がった。音の正体は、どうやら勢いよく椅子を下げたせいで後ろの机に当たったときの音のようだった。有坂たち四人は目を丸くして柊を見た。
「…思い出させるんですか?人の辛い記憶を。」
 有坂はそこでようやく冷静さを取り戻した。考えてみれば、すぐにわかりそうなことである。友達が目の前で死んで、その時の状況を聞かれて、喜んで答える人はきっと少ないだろう。完全に配慮不足だった。有坂は自分に落胆していた。
「…失礼します。」
 柊はそう言うと、かばんを持って部屋から出て行こうとした。しかし、有坂たちの横をすり抜けるときに、有坂は咄嗟に柊の左手をつかんでいた。
「待ってくれ!…その、悪かった。」
 そう言って、有坂は視線を落とした。落とした先にあったものは、柊の左手だった。その時有坂は違和感を感じた。何か足りない。柊の左手はこんな風だったか。いや、何かが欠落している。二、三度しか会ってない有坂が思うのもおかしな話だったが、有坂は確固たる違和感を持っていた。何がおかしいのか。有坂は柊の左手をじっくりとみた。それに気がついた柊は、有坂の手を振りほどいた。
「な、なんですか。」
 柊はそう言いながら、右手で自分の左手首をかばった。その瞬間、有坂は違和感の正体に気がついた。それと同時に、有坂は思わず一歩引いてしまった。
「お、お前か。」
 その有坂の発言に、岸野と園田と月山は不思議そうな顔をした。
「柊さん…ミサンガ、三つつけてたよね。もう一つは、どこに行ったの?赤と白のミサンガ、どこに行ったの。」

17.
 依然として、有坂と柊以外の三人は意味がわからない、という顔をしている。
「こ、これは…どこかで切れて、それで落ちちゃって…」
 柊はそう言うと、今まで以上に手首を隠した。もはやミサンガは見えない。しかし、有坂はさらに詰め寄った。
「朝、俺の下駄箱の前に、柊さんが着けていた、あの赤と白のミサンガと同じものが落ちていた。ごみだと思って捨てちゃったけど、あれ、よく見れば切れたミサンガだった。なんなら見に行こう。まだゴミ箱に残ってるはずだ。それで、下駄箱の中には、紙切れが入ってた。」
 そこまで言うと、岸野と園田の顔が驚いた顔になった。事態を理解したようだった。月山は、その紙切れが何のことかはわからないので、困った顔をしているだけだった。
「できれば間違っていてほしいんだけど、柊さん。君が、嫌がらせの犯人か。」
 有坂のその発言で、月山はようやく事態を理解し、誰よりも驚いた顔をしていた。
「…………………もん…」
 いつの間にかうつむいていた柊から、何かの音が漏れた。何かを言ったらしいが、聞き取れなかった。
「ど、どうなんだ。」
 有坂は自信なさげに詰め寄った。すると柊は急に顔をあげ、大声を出した。
「だったあんたらがやめないんだもん!」
 その怒声に、場は静まり返った。元々二人しかしゃべっていなかったので静かだったのだが、今はもはや、誰の呼吸音すら聞こえそうに無かった。みんな息が止まっているのではないか、というぐらいだった。
「どうしてそこまでして…何か、永峰さんの自殺について、知っているのか。」
 有坂はあくまでも真実にたどり着こうとした。自分にされた嫌がらせなど、もはや気にしていなかった。
「…知りません。」
 その言葉をうけ、有坂は確信を得た。柊は何か知っている。証拠があるわけではない。いわゆる感なのだが、有坂には自身があった。
「…お前は、永峰さんと、うまくいってなかったな?」
「だから、なんだって言うんです。」
 有坂の言葉に対し、柊は動揺することなく言った。
「お前と永峰さんは、同じ人を好きになって、さらに溝が深まった。どうだ?」
 そこでようやく柊の体がびくりとするのが見て取れた。返事を聞かずとも、有坂の読みが正しかったことを証明していた。有坂の推理、面倒なあの子と、恋愛のライバルは同一人物。この推理は正しかったようだ。
「それで喧嘩して…永峰さんに何かしたのか?」
 有坂は、あくまでひどいことを言ったのか、という意味で聞いた。その言葉を聞いて、柊は急に激昂しだした。
「何もしてない!あの子は急に電車に飛び込んで!」
 そこまで言った、柊の呼吸は大きく乱れていた。まるで過呼吸一歩手前のようだった。
「何かあったんだな?何をした?」
 あまり気持ちのいいことではないが、有坂の中に一つの仮説があった。長峰と柊がもめているうちに、柊がひどいことを言って、それを苦にした永峰は電車に飛び込んだ。しかし、返ってきた柊の言葉は、予想をはるかに超えるものとなった。
「うるさい!私は悪くない!あんなの殺したうちに入らない!」

18.
 柊の発言は、場の空気をさらに凍らせた。殺したうちに入らない。ならば、見方を変えれば殺したうちにはいるのか。つまり、直接的か間接的かはわからないが、柊が永峰を殺した、ということか。
「こ、殺したのか?」
 有坂がそう言うと、先ほどまではひどく息を乱していた柊が、急に落ち着きを取り戻して、顔に笑みを浮かべながら話し始めた。
「ちょっと喧嘩して、むかついたから突き飛ばしてやったら、あの女、バランス崩してこけてんのよ。それでホームから線路に落ちて、電車に轢かれてんの。運動やってるくせにあのバランスの悪さ、恥ずかしくないのかな。まあ、いつも植え込みの向こう側で話してたから、目撃者が誰もいなくて、ラッキーだったわ。」
 信じられない事実が次々と柊の口から飛び出していた。有坂の問い詰め方が良かったのか悪かったのか、柊はパニックを起こして、全て自白してしまったようだった。次の瞬間、月山は柊に飛び掛っていた。
「どうして!どうして凜を!なんで!」
 月山は涙をこぼしながら叫んだ。有坂たち三人は、動くことができなかった。柊は月山をふりほどき、突き飛ばした。
「うざいなレズ女!あんたがべたべたするからあの女も迷惑がってたわよ。面倒ねあの子って!あの女は生意気だったのよ!なんで私より何もかもできるの!なんで私と同じ人を好きになって、取ろうとするの!思い出しただけでむかつくわね。死んで正解よあんな女!」
 有坂の中で、全ての正解が見えた気がした。面倒なあの子の正体は、月山だったのだ。そして、恋愛のライバルで、日記の中で疎まれていたのは、柊。同一人物ではなかった。そして、月山の涙の理由。きっと、月山は永峰に、友達という範疇を超えて、付きまとったのだろう。月山に自覚があったのかはわからないが、それを永峰は面倒くさがった。もしかしたら、柊の言うように、性同一性障害を持っていて、永峰のことを友達以上に認識していたのかもしれない。だから、好きな人がいたことが、悲しかったのだろう。涙を流すほどに。そう考えていると、今度は月山の声で、有坂は思考の世界から現実の世界に引き戻された。現実とは、ひどく醜いものである。
「お前が!お前が死ねばよかった!なんでお前じゃなくて凜が!」
 そう叫びきると、月山は渾身の力をこめたであろうビンタを、柊の右ほほに叩き込んだ。
「あああああああああああああああああああああ!」
 月山は声にならない叫びをあげながら、教室を走って出て行った。相変わらず三人は動けずにいた。この短時間にいろいろなことが起こりすぎた。
 有坂はようやく首を動かし、柊のほうをみた。柊は、ゆっくりとした動きで、落ちていた鞄を拾っていたところだった。有坂の視線に気づいた柊は、気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
「あんたらこのこと言うの?通報するの?無駄だよ、目撃者もいないのに。こんなところでの私の自白は、録音でもない限りなかったことになるから。でもまあ、認めるわよ。私があの女を殺したの。電車にぶつかって、あの女はじけ飛んだわ。見てて爽快よ、あれ。あんたらも一回やってみるといいわ。ふふ、ふふふふふ、あははははははははは!」
 柊は狂ったように笑いながら教室を出て行った。しばらくはその笑い声が廊下に響いていた。響いて聞こえてきた声を聞くと、全身の鳥肌がとまらなかった。再び三人は、動けなくなった。

 いつの間にか柊の笑い声も聞こえなくなって、吹奏楽部が練習する、楽器の音がどこか遠くから聞こえてきて、グラウンドからは野球部やサッカー部の顧問や部員の叫び声が聞こえる。園田はいつの間にか座り込んでいた。岸野は落とした鞄を拾えずにいた。有坂は全身の力が抜け、壁にもたれかかっていた。ようやく有坂は声を絞り出した。
「…帰ろう。」

19.
 あの後三人は、ずっと無言で歩き続けた。そして、別れ際に岸野が切り出した。
「あのさ、今日のことは、もう…」
 岸野がそう言うと、有坂も園田も深く頷いた。この件には、もう一切触れないことにした。
 結局、永峰は自殺ではなく、はずみで柊に殺された、というのが真実だったらしい。永峰は、基本的に友達とうわべの付き合いしかしていなかったようだ。月山も例外ではなかったのか。そして、恋愛沙汰で柊ともめて、取っ組み合いの喧嘩をして、タイミング悪く電車に轢かれた。柊の話からすると、こうなる。だが有坂は、柊には殺意があったと思えてならなかった。
 永峰凜という女子生徒は、小学校からの付き合いである月山をも面倒くさがった。元からそういう正確だったのか、高校に入ってからなのかはわからない。しかし、今回明らかになった真実は、どれも月山にとってなんらかのプラスになるとはとても思えなかった。真実を求めなければ、こんなに醜い現実を見ることはなかったのではないだろうか。自分の中で、大好きな友達を、大好きな友達のままで残せたのではないのだろうか。そう考えると、今回の真実探しに協力した自分に対しても、罪悪感を感じずにいられなかった。
 しかし、次の日学校に行った有坂は、何事も無かったかのように一日を過ごした。どうやら、岸野と園田も同じだったようだ。殺人の事実を知っておきながら、胸のうちに隠して日常を送る。三人は誰にもばれることのない罪を犯し、平穏を取り戻した。しかし三人のその平穏は、もはや作られた、偽者の平穏でしかなかった。
 お互いの顔を見ると嫌でも思い出してしまうので、三人は次第に距離を置くようになった。そうするうちに、だんだんと疎遠になっていった。いつしか、本当に忘れてしまう日が来ることを信じて、三人ともが、思い出さないように、考えないようにしていた。
 有坂は、風のうわさで、月山が全然学校に来ていないこと、柊が人が変わったように冷たくなり攻撃的になったことを知った。しかし、月山も柊ももはや自分には関係のない人物、と言い聞かせて、記憶の片隅においやってしまった。

20.
 あの悪夢のような暴露事件から一週間、柊霧音はひどい事態に悩まされていた。自分に対する執拗な嫌がらせだった。暴露の次の日から嫌がらせは始まり、一週間毎日何らかの嫌がらせがされていた。柊の中では犯人は特定できていた。同じ学年の月山杏奈である。わかりきったことだ、そう思いつつ、柊は唇をかみ締めていた。嫌がらせの内容は、机をあらされるなどの初歩から始まり、最近では体育から戻れば鞄など全ての持ち物が水びたし、ということもあった。柊はストレスの限界が近づいていた。周りの人間に八つ当たりを重ね、次第に孤立していった。
 ある日教室に入った柊を、痛いほどの視線が襲った。その場にいたクラスメイト全員の視線が突き刺さる。何事かと教室を見回すと、原因は黒板にあった。黒板には、きっと100メートル離れて見ても読み取れるくらい大きく、こう書いてあった。
「柊霧音は 永峰凜を殺した」
 柊はあわてて黒板の字を消した。クラスメイトが小声で話し合っているのが聞こえる。乱暴に黒板の字を消し終えた柊は、持っていた黒板けしを床に投げつけた。はねた黒板けしがクラスメイトの足に当たったが、柊は謝りもしなかった。もはや、そんな余裕もなかったのだ。
 その日は体育の授業が四時間目にあり、それが終わると柊は、また何かされていると思い、びくびくしながら教室に帰った。意外にも、持ち物に異変はなかった。安心した柊は着替えをすませると、持参した弁当を鞄から取り出し、ふたを開けた。
「ぎゃあ!」
 開けた瞬間、柊は叫び声をあげて、弁当箱を払いのけた。中に、大量の虫の死骸が入っていた。しかしよく見ると、死にきっていない虫もいて、動いている部分もあった。それに気がついたほかのクラスメイトも、叫びながら柊の席から離れた。柊はいやな予感がした。水筒のふたを開けると、先ほど払いのけて落とした弁当箱の上に全て流しだしてしまった。そこには柊の予想通り、大量の虫が出てきた。柊は、体中虫にまとわりつかれる感覚に陥った。もう何をしていても気持ちが悪い。歩くたびに虫を踏み潰す感覚がする。息をするたびに虫を吸い込んでいる気がする。今かいている汗は虫が潰れたことによって出てきた体液である気がする。柊はもう何もかも我慢ができなかった。
 いきなり席を立ち上がった柊は、窓に近付いて、ためらうことなく頭突きをした。相当な力で頭突きをしたらしく、ガラスは一発で割れた。そして、割れたガラスの一部で、窓についたまま残っているものをはずして、断面を首筋に当てた。
 次の瞬間、教室中が悲鳴に包まれ、窓の辺りでは真っ赤な液体が噴出していた。

21.
 また、この学校から自殺者が出た。しかも、学校内で自殺をしたらしい。全校集会の場で、有坂成人は呆れていた。この平穏な高校生活中に自殺を考えるなど、その人の気が知れなかった。名前は、柊霧音というらしい。
「…知らないな。」
 有坂はそう呟いた。すこし頭が痛くなるのを感じたが、すぐに治まった。二年生で自分の部活の部員じゃないのだから、知らなくても当然だ。そう思っていた。そういえば、二年生は今多くの問題を抱えている学年らしい。先日は生徒が一人自殺して、そのちょっと後から、生徒が一人登校拒否。そして今回また自殺だ。学年が違ってよかった。有坂は自身の平穏をかみ締めていた。
 受験を意識した授業を受けて、一日を無事に過ごした有坂は、することもないので、家に帰ることにした。玄関で、岸野寛忠を見かけた。有坂は、彼のことを思い出した。昔は交流があったが、今はほとんどない。そういえばあまり仲良くもなかった。だから声をかける必要もない。有坂は、そのまま玄関を出て行った。
 校門のあたりで、また見知った顔を見かけた。今度は、園田薫だった。園田とは目があってしまった。
「有坂…」
 園田はひどく悲しそうな目でこちらを見ている。
「悪い、急いでるんだ。それじゃあな。」
 有坂はそう言うと、園田に背を向けた。園田も岸野と同じだ。あまり交流は無いほうなので、なぜ声をかけられたのかもよくわからない。気まぐれで行動する人もいるもんだな。有坂はのんきに考えながら、一人で帰り道を歩いていった。

 その日の夜、数学の課題をやっていた有坂の携帯電話が鳴った。月山杏奈という人からだった。
「…誰だっけ。」
 有坂はそう呟きながらもメールを開けた。岸野と園田にも送られている。メールにはこう書かれていた。
『こんばんわ。お元気ですか。柊霧音のこと、聞きました。私の行動の結果なのでしょうか。もしそうだとしても、反省はしません。あの女は、受けるべき罰から逃げたのですから。こんな結果を凜が喜ぶかはわかりませんが。いえ、私は結局凜に嫌われていたのでしたね。笑えてきますね。しかしこうなったことで、私の生きる目標は達成され、同時に何もなくなりました。今だったら、凜は私を受け入れてくれるでしょうか。次は嫌われずに接することができるでしょうか。次は凜と仲良くできることを祈っていてください。それではさようなら、ありがとうございました。』
 メールの内容は、何を指した話かまったくわからなかった。しかし、有坂はひどい頭痛がするのを感じた。座っているだけでもしんどくなるほどの頭痛だった。我慢ができなくなった有坂は、携帯電話の電源を切り、明日訪れる平穏のために、そのまま眠りについた。

高校生は平穏

後味の悪い作品を目指した結果、自分でもうまくまとまらず後味が悪くなりました。
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高校生は平穏

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-17

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