雨守塚

 信濃と越後の国境に、尾上岳という山がある。さほど高くはないが深い森に覆われた険しい山で、人が足を踏み入れることはまれである。
 南のふもとにある箕内村(みのちむら)は、尾根の谷間に棚田が広がる豊かな村だ。田を潤す沢の上流には水神淵という大きな淵があり、そのほとりにはむかし、雨守堂という小さな堂があったという。
 雨守堂はそれこそ茅葺き屋根から雨が漏るほど古びた堂で、中には漆の剥げた古い厨子が置かれているだけだが、いつしかここに覚信という老いた廻国聖が住みついた。覚信は村の百姓仕事を手伝ったり、法事に呼ばれて一つ覚えの経を読んだりして、どうにか日々を食いつないでいた。

 しとしと雨降る水無月の夕方。野良手伝いを終えた覚信が堂に戻ると、小さな女の子が一人、軒先で毬をついて遊んでいた。村ではついぞ見かけたことのない器量の良さで、赤い着物もおかっぱの髪もすっかり濡れているというのに、娘はとても楽しげだった。
「こりゃ、おまえはどこの家の子じゃ」
 覚信が聞くと、娘は笑って堂を指さした。
「はて、おかしな。ここの堂守になって長く経つが、わしには妻も子もありはせん」
 覚信はいぶかしんだが、まつ毛からつま先まですっかり濡れそぼっている娘を不憫に思い、堂に入れて体を拭き夕餉の稗がゆを分けてやった。
 日が暮れれば親が迎えにくるかと思ったが、いつまで経っても誰も来ない。
 どこから来たと尋ねてみても、娘はにこにこするばかり。父母はどこかと尋ねると、小首をかしげて天を指す。
「そうか、おまえもわしとおなじ、親に死なれたみなしごか」
 覚信が頭をなでてやると、娘はうれしそうに目を細めるのだった。

 その日から、娘は堂に居着くようになった。口をきかぬ彼女を覚信はわが子のように可愛がり、娘も覚信によくなついた。
「雨守堂の鉢叩きに唖の子ができたそうな。どこからさらってきたものか」
 と、村人たちはからかい半分にうわさした。
 娘は雨が大好きだった。風邪をひくぞと叱っても、笠も蓑もつけたがらない。毎日のように雨の中を駆け回り、毬をついたり花を摘んだり、堂の周りで一人機嫌よく遊んでいる。
 日暮れになると、髪からしずくを垂らしたまま堂のきざはしにちょこりと座り、覚信の帰りを待っている。その姿に彼は呆れながらも苦笑するほかないのだった。

 そんなある夜、村の庄屋が険しい面持ちで雨守堂にやってきた。濡れた笠の滴を払って板の間に上がり込むと、覚信の膝で寝息を立てている娘を一瞥してから切り出した。
「おまえも知っての通り、今年は夏の盛りだというに雨ばかり降って日が照らん。稲は花も咲かずに根腐れしておるありさまよ。なんとかならぬものかのう」
 覚信は日乞いのまじないなどしたことはない。返事に困っていると、庄屋は立ち上がって厨子の扉を開いた。
「おまえは旅の者だで知らぬだろうが、村の年寄りが言うことに、ここのご本尊は雨守権現というて、日照りの時に雨を降らせるありがたい神様だそうな。雨を降らせる神ならば、雨を止めることもできるだろう」
 厨子に納められた本尊は虫喰いだらけの小さな木彫りで、腕も目鼻も欠けているため神か仏か、男か女かもわからない。こんなものにどれほどの利益があるものかと覚信は笑いをこらえたが、庄屋の顔はまじめだった。
「堂守のおまえが祈れば、きっと権現様はお聞き届けくださろう。覚信殿、ここは一つ村のために願を立ててはくれまいか」
 これまで乞食だの鉢叩きだのと陰口されてきた覚信にとって、殿呼ばわりはなんとも面はゆい。しかしこれを引き受けて雨が上がれば、百姓たちから一目も二目も置かれ、布施がたんまり集まって旨いものが食えるだろう。銭が貯まれば娘に傘の一つも買ってやりたい。そもそも村がこれ以上不作になれば、真っ先に飢えるのは自分たちだ。
 覚信は眠っている娘の髪を撫でると、継ぎ当てだらけの衣の襟を正して胸を反らせた。
「拙僧でよければお力になりましょう。ただし権現様へのお供物は、不足のないようお届けくだされよ」

 その日から覚信の祈祷が始まった。娘が摘んできた桔梗や女郎花で厨子を飾り、村人たちが毎日持ち寄る畑の幸を山のように供えた。
 寄進された墨染衣を身にまとい、日がな一日経や念仏を唱えていれば、たらふく供物のお下がりを食うことができる。覚信にとっては生きて極楽に昇ったような日々だった。
 そんな彼を不思議そうに眺めながら、口をきかぬ娘はあいかわらず雨の中で静かに無邪気に遊んでいた。

 祈祷が始まって何日たっても、厚い雨雲が村から立ち退く気配はなかった。
「覚信殿、雨はいつごろ上がりましょうや」
 村人に尋ねられると覚信は答える。
「すべてを捧げて帰依せねば、神仏は我らを救うてくれませぬ。権現様は水の神。畑の瓜や芋ばかりでなく、川の幸も捧げなされ」
 言葉通りに川魚が届けられると、覚信はさらに告げる。
「権現様は水の神。鯉だの鮒だのばかりでなく、米を絞った水もお供えなされ」

 村人たちがどんなに供物を貢いでも、雨はひたひたと降り続いた。そのまま文月に入ってまもなくのこと、山伏姿の立派な行者が一人、ふらりと村にやってきて庄屋の屋敷に宿をとった。
 家の主から長雨の話を聞いた行者は、即座に答えた。
「雨が続くのは、水の神がお怒りになっておるからじゃ。その怒りは念仏などで治まるものでなく、それというのも尊い祠堂に生臭坊主が住みついておるがゆえ。念仏をやめさせ、代わりに人身御供を淵の水神に捧げれば、雨はたちどころにやむであろう」
 それを聞いた庄屋は、大急ぎで村人たちを呼び集めた。彼らは口々に言い合った。
「行者様の言うことはもっともじゃ」
「人ひとり差し出して皆が助かるなら安いものよ」
「だがその一人をなんとする」
「言うまでもない。雨守様に召されるべきは雨守堂の堂守じゃ」
「おいぼれ坊主が死んだとて、泣く者などは一人もないわ」
 皆の考えは同じだった。

 次の朝、堂に詰めかけた人々からことの次第を聞かされて、覚信は慌てふためいた。
「待ってくだされ。もう少し、もう少しで権現様は願いをお聞き届けくださるに」
「嘘をつくな盗人坊主め」
「験力もないくせに供物ばかりせしめおって」
「権現さまがお怒りじゃ」
 詰め寄る男たちの剣幕に唖の娘もすっかりおびえ、覚信の背中で震えている。それを見た庄屋は村人たちを押しとどめた。
「この男が長く堂を守ってくれたこともまた確か。それに免じて七日だけ待ってやろう。七日後の夜明けまでに、必ず雨を止めてみせよ」

 その日から、覚信は死にものぐるいで読経を始めた。もはや村からは新たな供物も喜捨もないが、いまさら厨子の捧げものに手をつけるわけにはいかず、托鉢に出る余裕もない。
 覚信は昼も夜もなく祈り続けた。ものも食わず眠りもしない身体はみるみる痩せ衰えていく。口をきかぬ娘は色を失い、おろおろと覚信のそばにまとわりついた。衣の袖を引っ張ってみたり、供物をつかんで彼の口に入れようとしてみたり。しかし覚信はそれにかまわず、小さな本尊に向かって一心不乱に祈り続けるばかりだった。
 堂の破れ戸から漏れてくる弱々しい声に、見張りの若者たちはせせら笑った。
「あの念仏は日乞いではねえ、命乞いだ」

 無常にも空は泣き止まぬまま、雨守堂は七日目の朝を迎えた。猫の額ほどの境内には行者の指図で五色の幟が立て巡らされ、水神淵の崖上には紙垂(しで)で飾られた祭壇が据えられた。
 庄屋が小さく頷くのを合図に、若者たちは堂に踏み入り、かすれた喉で念仏を続ける覚信を引きずり出した。覚信は枯れ枝のような手足を振り回し、娘も男たちの腕にかじりついて手向かったが、甲斐はない。男たちは境内の隅に崩れていた五輪塔の丸石を転がしてきて、骨と皮ばかりになった覚信の腹に抱かせると、その身体を薦(こも)巻きにして縛り上げた。
「助けてくれ、わしが死んだら娘はどうなる」
 覚信の訴えに庄屋は笑った。
「案ずるな。口はきけずともこの器量、欲しがる先はいくらもある」

 これまでになく強い雨が降る中で、祭壇に陣取った行者は大声で陀羅尼を唱え、九字を切った。
「岳にまし、天にまします於加美之大神、我らの贄(にえ)を受け取り賜え。怒りを鎮め、天照る恵みを授け賜え」
「いやじゃ、いやじゃ」
 必死で叫ぶ覚信を、村の男たちは高々と担ぎ上げた。とりすがる娘を突き飛ばし、そのまま淵めがけて人柱を投げ込んだ。真っ逆さまに落ちた覚信の身体は、ごぼりと一つ大きな泡をあげて、濁流うず巻く水底へ沈んでいった。
 降りしきる雨の中に、男たちの息遣いと行者の陀羅尼だけが続いている。皆が息を詰めて空を仰ぐなか、声も立てずに泣いていた娘が泥の中から立ち上がり、ぽつりと言った。

「おらは贄など欲しゅうないに」

 村人たちは驚いた。
「おまえ、口がきけたのか」
 娘はそれに答えず、ぷいと着物のすそを翻すと、沢沿いの山道を尾上岳に向かってとっとと走りだした。
「逃すな、追え」
 庄屋の怒声に弾かれて数人の若者たちが後を追ったが、どんなに山奥までたどってみても、娘の姿は見つからなかった。

 はたして、その日を境に村の雨はぱったりとやんだ。雲は尾上岳の方へと跡形もなく流れ去り、青い空と白い太陽が現れた。
 しかし村人たちの喜びは続かなかった。今度はいつまでも日照りが続き、雨粒一つ落ちてこない。田はひび割れ稲は枯れ、水神淵すら干上がりそうな有様だった。行者がどんなに雨乞いをしても効き目はなく、面目を失った行者はそそくさと村を出ていった。
 やがて、誰が言うとなくうわさが広がった。
「この日照りは覚信の祟りに違いない」
「骨を拾って供養せねば、この先二度と雨が降らぬぞ」
 恐れおののいた村人たちは、わらにもすがる思いで水神淵の底をさらった。しかし覚信の体や骨はどこにもなく、見つかったのは彼に抱かせたあの丸石だけだった。
 村人たちは堂の脇に祠を建てて丸石を納め、隣村から寺の和尚を呼んでねんごろに供養した。
 以来、箕内村は長雨にも日照りにも遭うことなく、見事な米どころになったという。

 いまでも村の古老たちは、尾上岳に夕雲がかかると子供らに言い聞かせる。
「雨降り娘が墓参りにくるで、明日は雨じゃ」
 こぬか雨が降る黄昏どきに水神淵の近くを通る者は、覚信の墓の前で小さな女の子が傘もささずに遊んでいるのを見るという。
 人の住まなくなった雨守堂はいつしか朽ち果ててしまったが、今でも覚信の墓は「雨守塚」と呼ばれ、誰が供えるのか桔梗や女郎花などが絶えることはないのである。

【おわり】

雨守塚

雨守塚

水神淵のほとりに建つ雨守堂。そこに住む僧覚信のもとに、口のきけぬ幼い娘が現れた。娘を養うことに決めた彼の許に、庄屋が頼みごとを持ちかけてくる。【13枚】

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-16

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