七夕笹飾り
今年も盆帰りの季節がやってきた。
僕の実家は今家族四人で住んでいる町からは車で2時間ほどの距離にあった。
海岸のごくごく狭い集落に軒をくっつけるようにして数千人ほどの人達が静かに暮らしていた。
その小さな町に母が一人で住んでいた。
数年前に父が他界してからはずっと一人暮らしだった。
一緒に住もうと言っても
「そっちに行っても知り合いが一人もいないからそのほうが寂しい」
といって決して同居しようとはしなかった。
わが家は夫婦共働きのため毎年帰省できるのはお盆の前後のほんの数日だけだった。
年ごとに母は老いていくし僕は申し訳なく思いながらも日々の忙しさにかまけて母を忘れることもあった。
その年は、仕事の関係でお盆の前後に帰省することができなくなった。
しかたなく、僕は子供たちを連れてその前の週に帰省した。
「あっ、七夕飾り!」
娘が玄関の扉の横に小さな笹飾りを見つけた。
短い笹に三つ四つの紙の飾り物と数枚の短冊が飾られていた。
「へえ、ばあちゃんが作ったんやな。そういや今日は七夕なんやなあ」
そうつぶやいた瞬間、僕の脳裏に過去の記憶が鮮明に蘇ってきた。
幼い日の私が母や祖母、弟妹たちと笹飾りを作り短冊に願い事を書いては笹に結ぶ。
みんなが楽しそうに笑っている。飾り終わると父が玄関先に差し掛ける。
西瓜の赤、笹の緑、短冊の多原色・・・
潮風の香り、夕立のあとの土埃りの匂い、蚊取線香の煙り・・・
風鈴の涼音、夜の海の波の砕ける音、蝉の声・・・
井戸水の冷たさ、麦茶の味、線香花火の光・・
それは幼い日の夏の記憶の洪水だった・・・
『母ちゃんはまだこんなこと続けていたのか・・・』
祖父母が亡くなり、子供たちが巣立ち、父が逝き、母はたった一人でここに住んでいる。
私はいつもお盆に帰っていたので、だからちっとも気づかなかったのだ。
だが、母はもう何年も何年もずっとたった一人で昔と変わらない七夕を続けていたのだ。
たった一人で笹飾りを作って飾り、次の日ひとりでそれを片付ける・・・
しんとした家に笹のこすれる音だけがしている・・・
そのとき風がそよいだ。
一枚の短冊が裏返り短い文章が目に飛び込んできた。
紛れもなく母の文字。
しかし筆圧は弱々しく少し震え頼りないくらい薄い鉛筆の文字。
そこに書かれていた母の願いは天に祈ったものだったのだろうか?
あるいは先立った父への願いだったのだろうか?
その短冊にはこう書かれていた
『みんなを守ってください』
七夕笹飾り
旧暦の七夕が近づくと思い出すのがこのエピソードです。
すごく短いエッセイです。
以前、ブログにアップしたことがあるのですがいろいろな媒体に残しておきたい大切な記憶なのでこちらにアップする一番目として書いておきます。