無剣の騎士 第2話 scene7. 落涙
今回のお話を書く段階になって、近衛騎士団の詳細設定を考えていなかったことに気付き。
こうして投稿する段階になって、今回後半の舞台となる施設が男女別じゃないのはおかしいと気付き……。
この物語はフィクションですので、あまり細かいことを気にしてはいけません。
白い雲が空を流れる。清々しく晴れた朝。今日は、ウィンデスタールの留学生達が祖国に向けて旅立つ日である。
学校の中庭に留学生達は整列し、周りには学校関係者のみならず、アストリア政府の外交関係者らも参列していた。出発直前の壮行会である。
「えー、ウィンデスタールから来られた優秀な学生諸君が全員無事に本校の課程を修了し、本日こうして彼らの母国へと帰還することとなりましたのは、私共と致しましても非常に喜ばしいことであり、……」
校長の長くて退屈な話を喜んで聞く生徒はそうそういないものだが、中でもレザリスは、ずっと別のことが気になっているせいでそわそわと落ち着かない様子を見せていた。
(おかしいわ。来るって約束したのに……)
来賓者席を何度見回しても、目当ての人物――アーシェルは見当たらない。
アーシェルが学校に来た最後の日、レザリスはアーシェルに頼み事をしていたのだった。
「ねぇ、アーシェ……。出発の日、見送りに来てくれる?」
「うん、その予定。さっき先生に呼び出されたのも、そのことだったんだ」
「そう、良かった! その日に、大事な話があるの。――二人っきりで」
「え、大事な話? 今じゃなくて、その日に?」
アーシェルはきょとんとした顔でレザリスを見返した。やはりというか相変わらずというか、レザリスの気持ちには微塵も気付いていないのだろう。
「うん、その日に」
レザリスは満面の笑みでアーシェルと指切りをした。
「約束よ、絶対来てね!」
壮行会が終わり、数台の馬車が順次出発するまでの隙を見計らって、レザリスは参列者の一人の騎士に近付いた。
「あの、すみません。今日、ヴァーティスさんも来られるはずだったと思うんですけど」
「――ああ、彼のことか」
声を掛けられた近衛騎士は、やや険しい表情をして答えた。
「彼には急遽、別の大切な任務が命じられてね。残念だが今日は欠席することになってしまった」
「別の大切な任務って、何ですか?」
「っ……、守秘義務があるためその質問には答えられない」
「えっと、じゃあ、壮行会には無理でも、見送りには来てくれるとかいう可能性は……」
「残念だが、それもないだろうね」
「そうですか……」
がっくりと肩を落とすレザリス。
「おーい、レザリス、早く乗れ。出発するぞ!」
馬車の方から呼ぶ声がした。レザリスは元気なく礼を述べると、とぼとぼと馬車の方へ歩いていった。
* *
時間は少し遡り、レザリス達が出発する前日のこと。
間もなく日が沈むという夕暮れ時、王太子の近衛騎士団の一小隊――アーシェルを含む――が、アストリア-リヒテルバウム間の国境付近へと行軍していた。
国境の関所付近に山賊が出没するようになったため注意されたし、との通告がリヒテルバウムから届いたのだ。賊が国境を越えて侵入してくる可能性は低いと考えられるものの、万が一に備えて警備を強化しておいた方が良い。エドワードの判断により、近衛騎士達が小隊ごとに交代で警備に加わることとなった。
「賊は、夜になると我々騎士団の一小隊と同程度の人数で襲い掛かってくるらしい」
歩きながら、メルキオが言った。
「ということは、同じ人数相手に戦うことになるんですか?」
隣を歩くアーシェルが不安げな表情で尋ねた。
「いや、関所に常駐している兵がいるから、人数の点ではこちらがやや上回るな。もし人数が同じだったとしても、こちらの大多数は脈玉入りの剣を持っている。心配は要らんさ」
「そうか……。そうですよね」
アーシェルは自分を安心させるかのように頷いた。
「なんだ、久しぶりの前線で怖じ気づいているのか?」
メルキオはにやにやしながらアーシェルの顔を覗き込んだ。
「向こうさんから情報提供があっただけで、まだ実際に賊が出たという事実は無い。そんなにビクビクするなって」
そう言ってメルキオは笑い、アーシェルの肩を豪快に叩いた。
だが、どんなにメルキオに笑い飛ばされても、この日のアーシェルは何故か嫌な予感をどうしても拭い去れないのだった。
果たして彼の悪い予感は的中した。
その日の深夜、アストリア側の関所が何者かに襲われたのだ。関所は騒然となった。
「団長、敵襲です!」
「敵の数は!?」
「暗いため正確には判りませんが、恐らくこちらと同数ほどと思われます!」
そこへ別の騎士が駆け込んできた。
「団長、大変です!」
「どうした?」
「敵が、敵が――脈玉入りの剣を持っています! しかも、火を灯して!」
「何!?」
脈玉の戦闘状態を発動することを、騎士達は俗に“火を灯す”と表現していた。脈玉が、燃えるような赤色に染まるからだ。“火を灯す”ことが出来るのは、脈玉入り武器の使用に関して相当の訓練を積んだ者に限られる。ましてや、リヒテルバウムの山賊が脈玉入りの剣を携えているなど有り得ない。
「これは一体どういうことでしょうか、団長!?」
うろたえる部下の問いかけに対する答えをメルキオも持ち合わせてはいなかったが、とにかく今は考えている場合ではない。
「全員に通達! 脈玉の戦闘状態を発動せよ!」
「はっ!」
人数の点で劣勢であろうと、こちらが脈玉入りの武器で戦う限り、その不利は覆すことが出来る。脈玉入りの武器を振るう兵士一人は――勿論各人の技量にも依るが――通常の武器を振るう兵士十人にも匹敵するといわれている。今でこそアストリアとリヒテルバウムは休戦中だが、以前、剣を交えていた際に兵の数で大きく上回るリヒテルバウムがアストリアに決定的な敗北をもたらすことが出来なかったのは、ひとえに脈玉の有無が要因であった。
戦局にそれほど多大な影響を及ぼす脈玉という利点がなくなった今、勝負の行方は騎士達一人一人の剣の腕に懸かっていた。
「はああっ!」
アーシェルは振り上げた剣を気合いと共に振り下ろした。が、相手の剣に弾かれ、体躯の小さなアーシェルは思わず後退りした。
「くっ!」
どうにもおかしいと思って手元を見やると、また脈玉が通常の銀色に戻っている。
(何故だ!?)
敵は、アーシェルが見せたその一瞬を見逃さなかった。
「うおおぉ!」
(あっ、しまっ――!)
アーシェルが思わず身を縮めた刹那、一際大きな剣戟の音が響いた。
「アーシェル、ぼさっとするな!」
間一髪のところで、メルキオが割って入って守ってくれていた。そして、剣を大きく薙ぎ払って敵を弾き飛ばす。
アーシェルは姿勢を正すと、メルキオに敬礼した。
「すいません団長、僕、一旦下がります!」
「えっ? おい、アーシェル!?」
アーシェルは返事を待たずに踵を返すと、一目散に暗闇の中へと駆けて行った。
戦闘の行なわれている一帯から少し離れた場所で、アーシェルは改めて剣を持ち直した。そして、目を閉じ、精神を統一し、脈玉に語りかけた。
「――――君は、誰だ?」
* *
ウィンデスタールへ向かう馬車に揺られ、これで一旦見納めになるであろうアストリアの風景を眺めながら、レザリスは大きくため息をついた。
(最後の最後に激情溢れる大・告・白! をするつもりだったのになぁ……)
そして、自分の荷物が積まれている辺りをちらりと見やる。
(アレも、今日返すつもりだったのになぁ……)
レザリスは瞳を閉じて、しばし黙考した。
(…………)
そして勢いよく目を開くと、わざと口角を上げて無理に笑顔を作ってみた。
(まぁいっか。もう二度と会えない訳じゃない。手紙だって書けるし、会おうと思えば来られないこともないし)
その時、レザリス達が乗っている馬車の遥か後方から、数頭の馬と小さな馬車がかなりの速度で追いかけてくるのが見えた。
「何かしら?」
レザリスをはじめ留学生達が不思議そうに眺めている間に、彼らはぐんぐんと近付いてきた。見たところ騎手達は近衛騎士のようだ。
「止まれ! そこの馬車、止まれ!」
先頭を駆けて来た騎士が大声を上げながら、馬車の前へ回りこんだ。留学生達を乗せた馬車は次々に急停車させられた。そこへ、後続の馬も追いつき、馬車を取り囲んだ。
「何だ何だ?」
「どうしたんだ?」
御者や留学生達が困惑する中、行く手を阻んだ騎士は馬から下りると、彼らに呼ばわった。
「この中に、レザリス・ゲイルハートは居るか?」
周りの目が一斉にレザリスの方を向く。騎士達が何故自分を探しているのかは分からないが、ここは名乗り出ない訳にもいくまい。
「は、はい。あたしですけど……」
おずおずと手を挙げると、騎士は大股でレザリスの乗っている馬車の傍へとやって来た。そして、一つの巻物を取り出し、開いて、その中身をレザリスの方に掲げて見せた。
「レザリス・ゲイルハート。脈玉の窃盗ならびに密輸の疑いで、身柄を拘束する!」
* *
「して、その娘は動機について何と?」
エドワードは眉間に皺を寄せたまま、玉座から尋ねた。
「はっ。『自分の造った剣の出来栄えを知りたかった』、それ故『密かに本物と交換して、持ち主がいつ気付くか試してみた』――と申しております」
赤い絨毯の上に跪いたメルキオが、取調べの内容を報告した。
「では、本国へ持ち帰る意図は無かったのだな?」
「はい、そのようです。アーシェルが気付きさえすればすぐに、そうでないとしても最悪、今日の出発式の際には返すつもりだった、と」
「ところが、アーシェは気付かず、今日の見送りにも現れなかった――」
エドワードは額に手をやった。悪い偶然とは重なるものだ。
「アーシェは何故、昨夜実戦で使うまで気付かなかったのだ? その為の時間は十分あったであろうに」
「それが……」
メルキオは少し言い淀んだ。
「詳しくは知りませんが、アーシェルの奴、最近なんだか辛い事があったらしくて……、ここのところ、剣の手入れをサボっていたようなんです」
「ほう……?」
「普段なら――特に前線任務に就く前には――きちんと整備をするはずなんですが……」
私生活で何があったにせよ、近衛騎士としての務めを怠ったのはアーシェルの落ち度であり、それはメルキオにも弁護しようがないことだった。エドワードも、そのことはよく分かっている。
「二人の処分は追って決定する。――メルキオ、そなたにも監督責任を問わねばならぬかも知れぬ」
「承知してます。私はともかく、出来れば二人には寛大な処置を」
「うむ――と言いたいところだが、余の立場上、私情を挟む訳にもいかぬ。二人には相応の処罰を受けてもらうことになるだろう」
「やはり、そうですか……」
二人は揃ってため息をついた。
ふと、エドワードは顔を上げてメルキオに尋ねた。
「ところで、二人は今 何処に居る?」
「ひとまず最初の取調べが終わりましたので、二人とも今は……」
* *
「ちょっと、痛いってば! そんなに引っ張らなくたって、ちゃんと歩けるわよ!」
レザリスの甲高い声が通路に響く。手枷を嵌められた彼女は数人の兵士達に囲まれて、地下牢へ続く通路を歩いていた。あちこちの小窓から光が差しているため、灯りが要らない程度には明るい。とはいえ、こんな所に何日も居たら気が滅入ってしまいそうだとレザリスは思った。
独房が並んでいる中を彼らは奥へ奥へと進んでいった。独房の前面は天井から床に至るまで大きな鉄格子になっており、中がよく見える。レザリスは左右をきょろきょろと見回してみたが、殆どの独房は無人だった。
(ま、汚い髭面のおっさんがうじゃうじゃ居るよりはマシね)
やがて突き当りまで来ると、兵士が左側の独房の扉を開けた。
「ここだ。入れ」
兵士はレザリスの手枷から鎖を外すと、彼女を突き飛ばすようにして独房の中へ押し込んだ。
「きゃっ」
倒れ込んだレザリスは振り向いて兵士達を睨みつけたが、そんなことにはお構いなく無情な音を立てて独房の鍵が掛けられた。兵士達はそのままレザリスに一瞥もくれず引き揚げていった。彼らを睨み続けていたレザリスは、彼らが去った後、視線の先に人影を見つけた。向かいの独房に、人が居る。その小柄な人物は、壁に背を預けて座り込み、まるで魂が抜けたかのように固まっていた。
(あれは――!)
レザリスは鉄格子にぶつかっていって、大声で呼びかけた。
「アーシェ! アーシェじゃないの!」
相手はゆっくりと顔を上げてこちらを見たが、その表情には明らかに生気が無い。
「ああ……。レザリスか……」
「ちょっと、大丈夫? 今日見送りに来てくれなかったから心配したのよ? まさか、こんな所で会えるとは思ってなかったけど……」
「ごめんね、見送りに行けなくて……」
レザリスは首を横に振った。
「ううん、いいの、気にしないで。そんなことより、何でアーシェまで此処に? 別の大事な任務が出来たって、聞いてたんだけど」
アーシェルは、ふふっと力なく笑った。口は笑っているが、目は笑っていない。
「何でって、レザリスなら分かってるんじゃないの……?」
「!」
そう、アーシェルの指摘通り、レザリスにも大方の予想はついていた。アーシェルの剣を偽物とすり替えたのは、他でもないレザリス自身。その行為のせいで、アーシェルが騎士団の規律違反を犯すことになると、レザリスもよく知っていた。(何せ、「脈玉入りの武器を常時携行すべし」とのその規則を利用して、卒業制作の間アーシェルと共に過ごすことに成功したのだから。) しかし、その違反がまさか牢屋行きになるほど重大なものだとは、夢にも思っていなかったのだ。
「ごめんなさい……。あたし、まさかこんなことになるなんて思ってなくて……。今日には返せるって思ってたのに、アーシェが来なかったから渡せなくて……」
レザリスはその場にぺたんと座り込んだ。
「いや、僕も悪かったんだ」
アーシェルはレザリスから視線を外すと、無機質な天井を見上げた。
「辛い出来事をいつまでも引きずって、剣の手入れもしなかったんだから……」
「アーシェは悪くない! 悪いのはあたしじゃない!」
レザリスは叫んだが、アーシェルは力なく首を振るばかりだった。
「多分、僕にも何かの罰があると思う。もしかしたら、最悪の場合――、騎士の身分剥奪かも」
「嘘!? そんな重罪になるの!?」
アーシェルは膝を抱え込んで顔をうずめた。
「ヴァーティス家はずっと、騎士の家系だったのに……。父さまも、母さまも、僕が立派な騎士になるようにって、いつも……」
「アーシェ……」
普段なら大抵のことは笑い飛ばすレザリスも、流石にこの時ばかりは肩を震わせて泣くアーシェルに何と声を掛けてよいのか分からなかった。
(あたし、もしかしてとんでもないことをしちゃったの……?)
だが、この時のレザリスはまだ十分に理解していなかった。
母親の死に立ち会ってさえ涙を見せなかったアーシェルが人前で泣いているという事実がどれほど重大なことであるかを。
そして、この事件がヴァーティス家の全てを以てしても償えないほどの国家的惨事に発展していくということを――。
無剣の騎士 第2話 scene7. 落涙
次回予告:
2人を救おうと奮闘するエドワード。
しかし、司法が、ギルドが、ウィンデスタールが行く手を阻む。
その混乱の中、遂にあの男が動き出す――。
⇒ scene8. 反乱 につづく