紅茶屋妖怪事件録

筆者が学生時代に書いた小説を手直ししたものです。

学内で発表したものとオチを変更しました。
……オチというより、正しくは過程でしょうか?
まぁ、未読の方々には分からないことですよね。
ともかく、学内発表でのオチはあまり好きではなかったので変更。

多分オチの変更は賛否両論があるでしょうが、自分の作品が納得のいかない形で世に出回るのは少々気に食わないため、変更版もとい「完全版」としてこの場に掲載します。

そのため、変更前の小説はココには載せません。

ですので「読みたいなぁ」とは思わないでください。
絶対に公表しませんので(笑)

 窗麗に整えられた庭園。目に栄える花は咲いていないが、瑞々しく香り高いハーブなどが多く並べられ、そこには寧ろ控えめな清楚さがあった。
 その奥に赤煉瓦で創られた洋式の建物。ゴシック建築を感じさせる美しい風貌で一度入れば、まるで童話の世界に迷い込んだような感覚になれる。そんな都会の隠れ家的なカフェ『Lime AND Mint』
 そこの裏口が開けられる。ギィ、という木材の軋む音がこの建物自体の創立年数を物語っている。しかし、それとは対照的なベルの音が耳に心地好い。
男性が一人現れた。ライトブラウン、というよりはオレンジに近いその髪色と笑顔からは優しい印象を受ける。その後ろからは小柄な女性。鳥羽色ともいえる真っ黒な髪に、深く吸い込まれるようなこれまた黒い瞳。男性の笑顔とは対照的な沈んだ面持ちである。
 裏口のベルの音に気付いた男性店員は迎えようとレジを外す。しかし、男性の傍らにいる女性を見付けるや否その表情が悪くなる。
「どちら様だよ。その女」
 出迎えをした黒髪に緑色のエプロンをしている店員は凄みを効かせた声でたずねる。腹を立てているのが火を見るより明かだ。
「えっと、そこで助けた」
 店員の唐突な怒りに威圧されたのか、戸惑っているのかはわからないが、橙髪の男性は語勢を弱く返した。店員は畳み掛けるように続ける。
「犬猫じゃねぇんだよ。簡単に拾えるか。どんな面倒事だ」
 何故か命令口調で理由を聞く店員。
「………………」
「………………」
 多分正当な理由があるのだろうが、こう凄まれては言い出せるもの言い出せない。時計の秒針が三針進んだほどで黒髪の店員が女性の肩が震えているのに気づく。店員は「ちっ」と舌打ちをして通路を行って左の部屋に入る。暫くしてから「さっさと来い」と店員の声。スクエアテーブルの来客側に二つのティーカップ。湯気が立ち上っており煎れたばかりのようだ。香りからしてベルガモットだろうか。中央の白い皿にはお茶請けとしてクッキー、スコーン、ラスク、ドーナツと様々。
「店早じまいするから、それまで勝手に食って待ってろ。お代わりはそいつに頼め」
 そうはいったものの実際お代わりの際にどれを取ってよいかもわからず、橙髪の男性は尋ねようとしたが、言い切る前に、「好きにしろ」と言われてしまった。
 言い終えるとすぐ、店員は足速に店の奥に姿を消す。あちら側が表口なのだろう。
 暫しの沈黙。
 橙髪の男性が声をかける。
「…ほら。食べよ」
 ……こくん、と声なく頷いた女性は椅子に座りカップに口をつけた。

 一時間ばかりして黒髪の店員が戻ってきたころでも、お茶請けは大して減っていなかった。その女性が元々少食なのか、それとも食欲がないのかは定かではない。店員自分の分の紅茶を注ぎながら話を切り出す。
「明石。なんなんだ、そいつ」
「…えっと………」
 明石と呼ばれた橙髪の男性は言葉を選んでいるようでなかなか話さない。それを見た店員は自分の態度も悪かったのだろうと、舌打ちをして付け加える。
「怒ってねぇから素直に話せよ」
「……詳しくは知らない」
「あ?」
 意味深な答えに店員は再び語勢が強まる。
「さっき襲われてたとこを助けてきたんだ」
「あぁ。事情は知らねぇんだな。じゃあ名前は。襲われるにしても思い当たるとこはあるだろ。それはなんだ」
 店員は矢継ぎ早に質問を繰り返す。しかし明石の答えはというと「知らない」の一点張りだった。
「明石。お前はさっきの一時間何してた。俺が働いてる間、のんびり優雅にティータイムか」
 元々短気な性分のようだが、ここまで『知らない』を繰り返されると流石に頭にくるのだろう。随分と嫌味たらしい話し方になっていた。明石自身も悪いとは思っているのだろう。遠慮がちに言い返す。
「いや、何も事情知らなかったのは悪かったよ。でも……」
 と言って女性の方に目を向ける明石。その肩は畏縮しきってとても話せる状態じゃない。相当怖い目にあったのだろう。
「紅茶のお代わり、いるか」
 店員はなるべく優しい声でお代わりを尋ねる。しかし女性はというと、そのような些細なことでも反応し難いのか、欲しいともいらないとも言わない。明石が「ホラ」と催促すると漸く、それでも一言「いる」と答えた。明石は砂糖はどのぐらいほしいか、クッキーは食べるかなど気を廻している。店員は暫くしてから切り出す。
「俺は伊丹朋也だ。お前、なんて言うんだ?」
「………」
 女性は相変わらず何も答えない。尋ねるだけ無駄だと判断したのか、店員、伊丹は明石に話を振る。
「明石。そいつの名前はなんだ?」
「俺は明石陽って言うんだけど、君は?」
「知らねぇのかよ」と聞こえるか聞こえないかという見事に調節された声で伊丹は毒づく。数秒の間の後、女性は答える。
「花見朋です」
 今度は伊丹に変わって明石が花見に質問する。
「さっきのについて何か知ってる?」
 途端、記憶が蘇ったのか、花見はガタガタと震えあがる。怯え方が尋常ではない。それを見た伊丹は安心させるためか、声をかける。
「この建物は絶対安全だ。安心しろ」
「うん。大丈夫だよ」と、明石も続ける。
その甲斐あってか、いまだ花見は怯えの色があっても、なんとか頷いた。
「じゃあ。さっきの何か知ってる?」
「…ううん」
「何かアレに悪いことしたことは?」
「ない、と、思う」
「御家族の職業は?」
 伊丹が不意に思ったことを尋ねてみる。
「………」
「答えられないのかな」
 明石が聞き直す。暫くの間の後花見は答える。
「個人経営の、お店やってる」
 聞き終えるや否、舌打ちをして伊丹は裏口へ歩きだす。急にどうしたのかと明石は追いかけて話かける。
「伊丹、何処行くの?」
「自分で調べる。お前はそいつをどうにかしろ」
「どうにかって……」
「事情を聞けって言ってんだ。じゃなきゃ護衛でもしてろ」
 伊丹は殆ど強引に店を出ていった。ドアを閉めた後のベルの音が虚しく響く。取り残された明石は所在を無くしていた。具体的なことを言わなかった以上、何もしなくてもよいということだろうが、本当に何もしないわけにもいかない。ましてや花見を放っておいてよいというわけがなく、明石はまず説明を始めることにした。
「俺達はここでカフェを経営してる他にもう一つ仕事をしてるんだ」
 一心拍おいて付け加える。
「それが妖怪退治」
 明石の柔和な表情が切り替わる。表向きはカフェであるこの店は、裏で妖怪に関する問題を解決している。古くから人々に危害を加える存在としてあらゆる地方に存在する妖怪。それらは見えないだけで確かに居る。花見はそれに襲われているところを明石に助けられたのだ。
「人から依頼されたり、悪い妖怪を退治したり、まだ悪くなる前の幽霊を成仏させたり、色々やってるんだ」
 仕事には守秘義務というものがある。ましてや表沙汰にしない職業なら尚更だ。そのため明石は言い過ぎないように、可能な範囲で説明した。
「けどね。妖怪を退治するにも事情を知らなきゃいけないんだ。だから詳しく教えてくれないかな」
 明石は再び朗らかな優しい笑顔に戻った。花見は直感的に感じた。明石なら解決してくれると。妖怪に襲われた、初めて出逢ったときにも助けてくれたのだ。だから意を決して話すことにした。
「いつの頃からかわからないけど……、ある日…、急にあの犬に襲われて……、それから…、毎日で…、怖くて……!」
 言葉を紡げば紡ぐほど、肩の震えが大きくなっていく。話したくはなかったことなのだろう。思い出したくもなかったのだろう。花見はこの店に来る前のときのように怯えてしまっていた。明石はその間慰め、宥めて、側を離れないでいた。

 花見が落ち着いた頃には日が傾き始めていた。明石は悩み出す。この時間以降は妖怪が活発に成りはじめる頃である。花見を外に出すわけにもいかない。この時間になる前なら別の安全地帯へ移動できたわけだが、この時間になってはできるわけもない。立ちあがった明石は室内にある受話器を手に取る。
「あ、伊丹。あのさ……」
 電話の相手は伊丹のようだ。小声で話をしていて、花見の方をちらちらと見ている。
「うん…うん…。ごめん……ありがとう」
 話が終えたようで受話器を置く。明石は振り向いて花見に話し掛ける。
「今日はこのお店に泊まってきなよ」
 花見は一瞬何を言ってるのか理解できなかった。しかし、自分を気遣っているのだと気付き、聞き直す。
「いいんですか?」
 明石は花見不安を取り除くため、笑顔で言う。
「許可はもう取ったよ」
「え…、誰に…?」
「伊丹にだよ。あれで結構優しいんだよ」
 花見は何処となく、納得しない表情を見せた。
「今外に出るのは怖いでしょ?」
 花見は嬉しさに頬の筋肉を弛緩させながらお礼を言った。

 真夜中の二時。丑三つ時に明石は目が覚めた。店の結界に『何か』が入ってきた。明石は二階窓から庭を見渡す。ギラギラと赤く輝く二つの光が宙に浮いている。
 明石は直感的に理解する。昼間に花見を襲った犬の妖怪だと。
 花見を起こさないように階下へ下り、正面口を開ける。来客を知らせるベルがこのときは恨めしく思えた。
 犬がこちらを気付いたようだ。二つの赤い光がこちらを向いてるのがわかる。体躯はゆうに四、五メートルを超える巨体だ。明石はどうにかしてあの犬を追い払わなくてはと思う。
 いや、追い払うどころではない。花見に危害を加えた時点で、寧ろ処理をしなくてはならない。しかし、あの犬は虎視眈々と明石の方を見ている。隙の大きい動作をするわけにはいかない。
 明石は走り出し、ポケットから札を取り出し、投擲する。札は激しい炎となり妖怪のもとまで飛んでいく。妖怪は後方へ跳躍しそれをかわす。敵意があると理解すると妖怪は低く唸り始めた。明石は今度は両の手でそれぞれ複数の図形を描く。右手で描いたそのうちの数個に手を翳し、陣を発動させる。
 身の丈もありそうな水の球体が複数、妖怪へ勢いよく飛んでいく。妖怪は身体を横に向け尾で弾く。しかし全てを弾ききることはできないのか、数弾残して天高く跳躍する。残された水の弾はその弾道に従って庭にクレーターをあける。高く跳躍して宙で隙だらけの妖怪に追い撃ちをかけるように左手の陣を発動させる。一心拍の間、鎌鼬が一筋妖怪の身体を刻む。妖怪は悲鳴を大きく上げ、そのまま地面に墜落する。
 唸りながら明石をねめつけ、明石も相手の動きを牽制している。暫くの沈黙、カランカラン、と店のベルがその間を壊す。明石は音の方を振り向く。そこには地べたに座り込んでいる花見がいた。
 夜中に目が覚めたら明石の姿がなく不安がって捜しにきたところ、この妖怪を目にして腰が抜けてしまったのだろう。
 明石の思考に不安が駆け巡る。花見がまたパニックになってしまう。それは何としても避けたい。しかし目の前には狂暴な妖怪がこちらの出方を伺っている。花見を守りに移動するのも難しい。どのように花見の場所まで移動するかと思考を巡らしていると。
「……て」
 声がした。
「頑張って」
 花見が必死に声を絞り出していた。
「私は大丈夫だから。頑張って…」
 花見は声を張り上げた。
「そんな化け物退治して!」
 花見は妖怪に、恐怖に打ち勝ったのだ。明石は微笑し、新しく陣を描き始める。陣は淡い光を放ち、水の球体が勢いよく妖怪へ飛んでいく。妖怪は避けられず弧を描いて飛んでいった。
 砂埃を巻き上げ、庭を荒らしながら、地面に崩れ落ちる。一歩一歩、明石が妖怪との距離を縮めていく。明石は妖怪の目の前で足を止めた。直撃故にダメージが大きいのだろう。
 妖怪は殆ど虫の息のように見える。明石は宙に陣を描き出す。これで終えるつもりなのだろう。静かに息を吸い込み、陣に手を翳そうととした刹那、
「明石、避けろ!」
 伊丹の声が明石の聴覚を刺激する。明石は、はっとしてその場から引き下がる。その直後、つい先程まで明石がいた場所に銀色の何かが空を切る。鋭い刃物だろうか。その場にいたら、ただでは済まなかっただろう。
「明石から離れろ!」
 いつの間にかいた伊丹が右手で空を薙ぐ。直後に稲妻が銀色の刃の場所へ放たれるが、喰らうべく対象はひらりと跳躍し容易くそれを避ける。その姿は人間の両の手が蟹鋏になっている。先程の銀色の刃はその手なのだろう。
「明石、気をつけろ」
「伊丹…!」
 明石は伊丹を見て絶句した。伊丹の身体にはいくつもの切り傷が見受けられたからだ。妖怪退治で怪我をすることの少ない伊丹がこれ程とは、ついいましがた現れた妖怪は相当凶悪なようだ。明石は固唾を飲み込む。
「伊丹。アレ何」
「野良妖怪だろ。詳しいことは知らねぇ。誰彼構わず切り落とすみたいだから、被害が出ねぇ内に消すぞ」
 伊丹の語勢は相変わらず強かったが、今はそれが虚勢のように見えた。明石は伊丹がここまで余裕がなくなるのは始めて見た。蟹鋏の妖怪は刃を滑らせ不敵に手を鳴らしている。明石はポケットをまさぐり図形の描かれた札を取り出しす。その刹那、蟹鋏の妖怪が走り出した。明石は伊丹を庇うように前に立ち、札を翳す。淡い光を放つ空気がヴェールのように二人を包み込む。結界だ。明石はこれで敵の攻撃を防ごうとした。しかし蟹鋏の妖怪は明石たちの前を素通りする。
「……は」
 明石は思わず抜けた声をあげる。手負いの明石達を無視して何処へ行くというのだろうか。
「明石、あの女はどうした!」
 伊丹が声を張り上げる。花見は今寝室で寝ていて……いや、明石はしまったと思った。今は玄関で座り込んでしまっている。今から追いかけたのでは間に合わない。このままでは花見は蟹鋏の妖怪に消されてしまう。舌打ちをしながら駄目元で伊丹は右手で空薙ぎ、淡い光の球を飛ばす。しかし蟹鋏の妖怪はとっくに花見の前に立って右手を振り上げている。花見の声にならない短い悲鳴が聞こえた刹那、ドスリ…と鈍い音が聞こえた。蟹鋏はその身体を捕らえていた。
 犬型の妖怪のをだ。
 その場にいた全員が呆然とした。何故あの犬型の妖怪が花見を庇ったのか。
「どうして……」
 花見が声を漏らしたとき、脳内に映像が鮮明に蘇る。
暗い部屋。泣いている女の子。それを高い位置から見下ろしている。女の子は泣き腫らし、哀しみに暮れていた。酷く辛いことがあったのだろうか、自分で自分を傷付ける言葉を繰り返している。それは誰かに言われたことだろうか。いや、そうであってもなくても、その姿はとても見るに堪えないものだった。見ている誰かの感情が身体全体に流れこんでくる。

『やめて。苦しまないで。悲しまないで。とっても辛いことかもしれないけど、君はとっても良い子だから。だから。自分を傷付けないで。だから。泣き止んで。お願いだから。僕の声が届いて』

 その願いはとても強い。しかしそれが声となることはない。何故か声がでない。ずっと懇願しているのに少女は泣き止まない。足場が悪いのか身体がぐらりと揺れ地に落ち、身体が跳ね、そこで映像が途切れる。
 その場にいた全員は唖然としていた、否、伊丹を除いてだ。伊丹は両の手を大きく広げる。蟹鋏の妖怪の背後に飛来している光球が二つに別れたかと思うと一本の筋が光球を繋ぎ、伊丹の手の動きに合わせ、蟹鋏の妖怪をぐるぐると巻き上げる。
「明石、俺を飛ばせ」
 伊丹の呼び掛けに我を取り戻し急いで陣を描きあげる。明石が手を翳し水の球体に伊丹を包み込み、飛ばす。蟹鋏の妖怪の目の前で水が弾け、中から伊丹が姿を現す。伊丹は右手で妖怪の顔を掴み、ぼそり…と何かを呟く。直後に火柱が高く巻き上がり妖怪を跡形もなく滅する。後にいるのは犬型の妖怪と花見だ。明石が小走りでこちらにやってくる。
「伊丹。この妖怪は」
 先程何故か花見を庇った妖怪の対処に明石は困っているようだ。花見も困惑しているようで身体が小刻みに震えている。
「おい女」
 伊丹に突然呼ばれ身体が飛び跳ねる花見。おそるおそる伊丹の顔を見上げる。
「お前はこいつをどうしたい」

「お前はこいつをどうしたい」
「……ぁ………ぇ…」
 何かを言いたいのだが何も言えないようだ。明石の顔を懇願するように見ている。
「こっちを見ろ」
 伊丹の声は何故かひどく冷淡であった。
「おい伊丹」
「黙れ明石」
 花見に助け舟をだそうとしたが有無を言わさず伊丹に潰された。
「お前に聞いてんだ。はっきりしろ」
「………………」
 花見は堪らず明石を見続ける。何とかしてもらおうと、この緊張から助けてもらおうと。
「他人が介入しなきゃ、ろくに会話もできねぇのか。店に来たときもそうだったよな」
 伊丹の苛立ちが募っていく。花見はそれでも明石を見続ける。
「さっきので分かったろ。こいつは何も分かってねぇよ。いつまでも縋るな」
 花見はそれでも明石を見続ける。伊丹は冷徹な表情のまま続ける。
「今こいつを助けることができるのはお前だけだろ。いい加減向き合えよ」
 明石に向かって「助けて」と口が動く。それが我慢の限界だった。伊丹は右手の人差し指を立て、そこから小さい水の球体を作り上げる。それを花見の足元に射出する。花見は短い悲鳴を上げガタガタと震え出す。足元には小さなクレーターができあがっていた。
「人の話を聞く姿勢ぐらい作ったらどうだ。相手の顔を見るぐらいはできるだろ」
「伊丹!」
 明石は叫びだす。
「こんな脅迫みたいなことしなくてもいいだろ! こんな怖がっているんだから」
「お前がこいつに同情すんのは勝手だが、俺はこの犬の方が可哀相で仕方ねぇな」
「それってどうゆう意味だよ! さっきも助けるとかなんとか言って。この犬は今朝この子を襲って……」
「ねぇよ。この女毎日追い掛けられたんだろ。こんなデカい犬から逃げ切れるとでも? それなのに怪我してねぇなら、この犬が始めから食うつもりがないんだろ」
 伊丹は明石が言い終える前に否定し、畳み掛けるように言い切る。確かに伊丹の言う通りではある。しかし。
「じゃあ…。なんでこの妖怪はそんなこと」
 そのとおりだ。この妖怪がそんなことをする事情は思いつかない。花見に質問したときに答えなかったということは犬に関することは何もないハズだ。伊丹は相変わらず舌打ちをしてから、大体の解説を始めた。
「お前がこの女を助けた場所は駅から少し離れた路地裏だろ。お前がたまに使う道を考えるとそれが妥当だ。あそこで蟹鋏に会ったんだ。この犬はあの蟹鋏からこいつを守るためにずっと追い返してたんだよ」
 顎で花見を指しながら説明を続ける。
「犬だから喋ることが出来ない。だから俺らに助けを呼べなかった。だからこの女を守るには、怖がらせるしか道がなかった」
 表情を変えずに淡々と言葉を続ける伊丹。
「だがこの女はあれ以外目的地への道を知らなかった。だから毎日あそこを通ろうとして毎日追い掛けられた。そうゆうわけだ」
「この子は一体何処に行こうとしてたんだ?」
 明石は疑問を投げ掛ける。確かにそれだけ怖い目に遭っても行きたがるその場所とは一体何処なのだろうか。
「此処だ。正確に言うとお前だ」
「え?」
 明石は意味がわからないという呈で声を出す。どうして自分がそこまで好かれていることになっているのだろうか。まして、どうしてそのようなことがわかるのだろうか
「お前がこの女見つけたのは偶然なんだろ。毎日追い掛けられてんだがお前が見つけたのは最近。お前がたまに使う路地裏を使って行けるのはこの店ぐらいだ」
「俺に逢いたいっていうのは」
「そいつ、ずっとお前としか話してねぇだろ。業務的な質問しても俺のは全部無視だ。お前のことだから、『伊丹は優しい』とか言ったんじゃねぇか? それでも話さないのは、そいつがお前しか見えてねぇからだ」
 明石は何も言えず考え込む。憶測でしかなく、飛躍してるところもあるかもしれないが、それでも一応筋は通っている。
「じゃあさ……」
 明石は別の質問をしてみる。
「この犬はどうしてこの子を。この子はこの犬のこと知らないって」
「九十九神だ」
 伊丹は言い切る。
 九十九神とは長年使われた物に魂が宿るものをいう。妖怪になる頃がその物の限界で妖怪に成り切る前に棄てられるのが多く、実際に妖怪に成るのは稀である。
「さっきの少女が泣いてた映像。アレはこの女だろう。上からずっと眺めてたのは人形時代のこいつの記憶だ」
 可哀相な奴だよな、と伊丹は付け加える。
「常日頃この女の辛いとき、悲しいときを傍にいながら何もできない無力な姿。心がとっくに出来てたのに身体は動かせない。見ているだけで、この女を助けられない。助けるどころか、慰めることすらだ。それでようやく訪れた機会はこの女を怯えさせるだけだ。助けたかったのに怯えさせてしまうなんて、皮肉だよな」
伊丹は眼を伏せ、そこで区切り、再び付け加える。
「本当に憐れな畜生だ」
 その表情には心の底から湧き出る不快感が色濃くが浮かんでいた。
「心を持たせてもらうだけ愛してもらったからって助けたい? 所詮人形で所詮妖怪だ。ご主人様を助けたいなんてただの倨傲だな。分不相応も甚だしい。それが何の救いになった? 遠吠えでもして助けを呼べば良かったじゃねぇか。危険人物に他人を巻き込んで他人を見殺しにすれば良かったじゃねぇか。それだけで自分もご主人様も助かるじゃねぇか。それなのにこの犬は………」
「いい加減にしろ!」
 明石も遂に我慢の限界だったようだ。伊丹に食ってかかる。
「この犬はただ助けたかっただけじゃないか。他人に助けを呼ばなかったのは喋れないからじゃないか。遠吠えしなかったのは他の人を巻き込むまいとしたからじゃないか。全部分かっておきながら、なんでそんな勝手なことが言えるんだよ!」
 明石は怒り、叫びだす。身体がボロボロになってまで花見を助けようとした九十九神の尊厳を守るために。
 それを見て花見は喜びで胸がいっぱいになった。辛かったが、何も言い返せなかった自分の気持ちを、代弁してくれたのだ。それを聞くと伊丹の表情は不快な色が消え、無表情になる。
「それでやったことといえば、ご主人様の心に恐怖心を植え付けただけだ。肉体的に守っても精神をボロボロにしてるじゃねぇか。本末転倒だな」
「それはそれ以外に道がないからだろ!」
 伊丹は僅かに目を見開いた。伊丹は気付いた。
「…ちゃんとした理由があるなら仕方ない…って?」
 伊丹は確認するかのように、反芻するかのように小さな声でボソリと呟く。
「そうだろ…!」
 伊丹が理解できないのが不快なのか声を荒げて答える明石。まるで伊丹の不快感が明石へ移ったかのようだ。伊丹は納得したように言葉を紡いだ。伊丹は「そうか…」と納得したように言葉を紡ぐ。
「だから、事情を知らないお前がこいつを攻撃し、傷付けたのは赦される」
「……ッ…」
「だから、そんな『化け物』を『退治して』と望んだその女は赦される」
「…………」
「誰がこの忠犬を傷付けた。肉体的にやったのは明石だ。精神的に傷付けたのはこの女だ。何が『そこまでわかっておきながら』だ。自分らは潔癖のつもりか」
 明石は冷めた表情のまま、怒り、語り続ける。
「御蔭様でこの女は恐怖心に支配される毎日を過ごしてきた。俺達は金にならない仕事をするハメになった。けど、こいつは理解して俺達に迷惑を掛けた。こいつは理解してその女を恐怖に陥れた。理解してるだけマシだ。何も事情を知らないで、知らなかったから仕方がないなんて厚かましいことほざいてるお前らより、何も話せないこの犬の方がよっぽどマシだ」
 伊丹の言葉は二人の心を深く抉った。明石も花見も顔を伏せ黙り込んでいる。重く、暗い、沈黙が辺りを包む。暫くしてから伊丹は沈黙を破る。
「この犬は処分する。恐怖を植え付けるのは妖怪の常套手段だ。酌量の余地はねぇよ。そんな特例は許されない」

 右手を九十九神に向ける。それは先程の蟹鋏の妖怪を消滅させるのと同じ方法を取るつもりなのだろう。勘付いた明石は体を動かし、伊丹を制止する。
「待てよ!」
「なんだよ」
 明石は体を震わせながら必死に訴え始める。
「どうして、どうして消さなくちゃならないんだよ!」
「簡単だ。その女を怖がらせたからだ」
「それは分かる!でも、でもだからといって消す必要はないだろ!だって悪いのは気付けなかった俺なんだから!」
 伊丹は明石のその訴えを聞いて更に表情が強張る。
「お前今なんて言った……」
 伊丹の声が今までにないほどに低くなった。それほどまでに明石の訴えが琴線に触れたようだ。
「お前が言ったことが本当なら、この九十九神は何も悪くない!よく調べなかった俺に責任があるだろ!その九十九神が消される理由なんてどこにもないだろ!」
「お前は何を言ってるんだ」
「だってそうだろ!? 俺が本当に悪いなら……」
「お前らが悪いからこいつが消えなきゃならないんだろ」
 遮るような伊丹の冷酷な発言に明石は声を詰まらせる。伊丹は自身が悪いと理解しておきながらもこのような発言をした明石が許せなかったのだ。なにより、明石は自身が悪いことは誰よりも理解しているだろう。しかし、花見はそうではない。あまりに唐突なその一言は花見が理解するにはあまりにも重すぎた。
「……それって……、どういう……」
「お前らがこいつのことを気付けなかった時点でこいつが消えることは決ってるんだよ。お前らが悪いのに、何故か、代わりに、こいつが消えるんじゃない」
 花見はその言葉に衝撃を受けた。まともに口を動かすこともできず、まるで生気が抜け落ちたかのように目から光が消えていく。しかし伊丹は気に留めることもなく、淡々と言葉を繋げていく。
「お前らがこいつを味方だと初めから理解していれば、こんなことにならなかっただろ。こいつの事情を理解していれば、こいつを怖がらずにすんだだろ。こいつの気持ちを理解していれば、こいつは傷つかずにすんだだろ。お前らがこいつを理解できなかった、その時点でこいつは消されるんだよ」
 花見はその言葉に耐えきれず、再び目から涙を流し出す。嗚咽を漏らすことも喚くこともなく、憔悴し切って、ただただ泣いていた。その姿はとても直視できるものではない。
「それにこいつを助けるは不可能だってのはお前は分かっているだろ。明石」
 明石は何も言えなかった。手負いの妖怪は身体を再生するたびにより凶悪化していく。九十九神自身が再生をしていないが、どのみちこの深手ではもう持つわけがない。攻撃を与えてしまった明石にもその責任の一端はあるのだ。
 もう誰も口を開こうとはしなかった。再び訪れた沈黙に九十九神の痛ましい呼吸が響く。
 伊丹は右手を九十九神の額にあてる。これ以上この九十九神を苦しませるわけにはいかないと判断したのだろう。九十九神は抵抗することなく目を閉じた、自分が消滅することを受け入れているのだ。
 そのとき、伊丹の脚に花見がしがみ付く。九十九神が消されると気付き、辛いのを我慢し体を突き動かしたのだ。しかし泣いているだけでなにも話すことができない。伊丹は泣き腫らしている花見を見下ろし厳しく言い放つ。
「なんのつもりだ。こいつは罪を犯した。何より傷付けたのはお前自身だろ。」
 口を動かさず目だけで必死に訴えてくる。しかしそんな訴えを無視するかのように伊丹は口を動かす。
「あの時の勇気は何処行ったよ。こんな『化け物』を『退治して』って叫んだときの勇気は何処だよ。さっきからお前のことなのに何一つとして喋らないよな。優しい明石に頼ってなきゃ何もできないのか。明石が全部解決してくれると思って依存してんじゃねぇよ」
 ぐっ、と花見は喉に力を入れる。言いたいことを言うために。
「自立してみろ」
 伊丹の一言で花見は漸く答えを出す。
「……最後にいいですか」
 伊丹は「ああ」と言って九十九神から手を退ける。
 花見は九十九神に抱きよった。そして言った。
「ルナ。あなたのことを分かってあげられなくてごめんなさい。ルナ。私のことを助けてくれてありがとう。ルナ。次も一緒になれたらよろしくね。ルナ。愛してるよ」
 ルナ。ルナ。ルナ。花見は強く抱きしめ、愛しく何度も何度も名前を呼んだ。
 ひとしきり名前を呼び終え、花見がルナから離れたときに、
「じゃあ。寝かせてやろう」
 伊丹は言った。
 こくんと花見は頷き、伊丹の手が光り出し、炎がルナを包み込み、そのまま消した。

「さて、と」
 問題が一段落着いたと宣言するかのように伊丹は体勢を整え、花見に話しかける。
「お前、まだ心残りがあるだろ。さっさと片付けてさっさと行けよ」
 そう言って伊丹は店へと姿を消す。カランカランと店のベルが聞こえてきた。伊丹が店の中に入った、姿を消したというわけだ。
 花見は明石へと向き直る。そしてはっきりと告げる。
「貴方が好きでした」

 カランカランと来客を告げるベルが聞こえてきた。
「返事は?」
「嬉しかったけど、やっぱり無理かな」
「まあ幽霊じゃ仕方ねぇな。相容れない」
「伊丹さ。花見のこと責めてたけど、やっぱりあの子だって可哀相じゃないか? 生前の未練があったからずっと成仏できないで、あの道を通るしかなかったし」
「俺だってあいつに同情はする。ただ、あの、好きな奴としかまともに接することのできない態度がうざかったんだよ」
「でも仕方ない……は言っちゃいけないか…」
「大体俺と会話できないのがおかしいんだよ。だって俺はお前の仕事仲間、態度だけみたら先輩だ」
「態度がデカいことは認めるんだ……」
「寧ろ頼られるべきだよ。アレで頼らないのはあの女が信頼できる人間しか信用しないからだ。信頼と信用は違う。あんなんじゃ来世の魂がロクなもんにならない」
「厳しくしたのは愛情ってこと?」
「純粋にうざかったんだよ。ま、あんなのには甘やかすお前みたいなのが良いんだろうな」
「だって可哀相だろ」
「お前のは所詮下らない自己満なんだよ。一生面倒見るか、具体的な期間がないなら二度とやるんじゃねぇ。この女殺し」
「いや。成仏するまでのつもりだったよ。一応……」
「はっ。期間決めてたんなら良いんだがな」
「そういや伊丹さ、花見が叫んで僕を応援したとかなんで知ってたの? あの路地裏にいたんでしょ?」
「いや、店の前で蟹鋏とはやりあってた」
「ていうか一撃で蟹鋏を滅したけど、もしかして苦戦してたのは嘘?」
「怪我してんのは本当だ」
「あの犬のためにつれてきた、とか?」
「ともかく、今日の成果は悪霊退治一件、お祓い一件、浮遊霊の成仏一件だな」
「……ふぅ。じゃ、紅茶でも飲むか?」
「煎れるの上手くなってから言えよな」

紅茶屋妖怪事件録

もしオリジナル、というよりは「修正前」を読んだことのある方がいるなら分かりますが、修正箇所はルナが助かったか否かです。
以前はお祓いされたということでハッピーエンド風味なのでしたが今回それはやめさせていただきました。

その修正を施すため千文字以上文章を書き足しておきながらすべて削除し、数百文字を更に書き加えるという二度手間をしてしまいました。

正直。迷走したと後悔しています。

その千文字は別の筆者の主張があったのですが、内容が今回の主張に近い(重なっている)こともあり、非常にクドく読む側としては消化不良になるだろうと思い、バッサリ消しました。

バックアップはありませんよ?
なかなか思い切ったと勿体無さを禁じえませんが後悔はなしです。

さて、この変更した事実だけを聞くと筆者は随分と性格が悪いと思われる方が多そうですが……、
まったくもってその通り(笑)

昔の友人との会話で
筆者「俺ってマジ厨二病だよなw」
友人「いや、お前は性格が歪んでるだけだ(キッパリ)」
ということがありました。

辛辣です。

少々脱線してしまいましたが、悪いことをやったら許されないのが世の常。
いかなる理由があろうともルナが助かってはいけないのです。

何か理由があるなら悪いことをしていい理屈にならない、
のは小学生で習うでしょう。

しかし、もし、ルナを助けたいと思うなら、
花見や明石のように自身を反省しましょう。

仕方ない、なんて言い訳しないで、
知らなかったら、知ろうと努力して、
傷付けないように、相手を思いやりましょう。

最後に「coloring」も同時公開してますので読んでみてください!!
あちらの方が文章が比較的軽くなっていると思います。

紅茶屋妖怪事件録

Lime AND Mint と呼ばれるカフェの二人の店員は妖怪退治を本業としている。 ある日、伊丹朋哉が一人で店番をしていると買い物から帰ってきた明石陽が花見朋という少女を連れてきた。 花見は妖怪に襲われているところを明石に助けられたのだ。 身を守るためカフェに泊まるが、その妖怪が現れて………。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-16

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著作権法内での利用のみを許可します。

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